夜の訪問者[1]
「星が見たい」
サウルが突然言い出した。
サウルの気まぐれは今に始まった事ではない。ヨナはいつも通り、何も言わずに付き従った。
サウルは、ここ、城塞都市マハナイムの城主エフラムの息子である。他に兄弟もなく、将来は父の跡を継ぎ、城主となる事は、生まれた時から決まっていた。
そのため、苦労を知らず、少々我がままな性格に育った。
……と、周囲からは見られているが、幼い頃から従者として側に仕えるヨナは、サウルの本当の姿はそのようなものではないと理解していた。
――偉大な父君を継ぐべく期待され、そのプレッシャーから絶えずストレスを感じており、時折そこから逃げ出したい衝動に駆られる。それ故の言動だった。
それを理解しているから、ヨナはいつもサウルの気まぐれに黙って付き合うのだった。
しかし、このような夜分に城を抜け出すのは初めてだ。サウルはこう見えても他者に対し気遣いをする方で、限度を超えた我がままを言うのは、よほどの事があった時だ。
いつも通り、城外への抜け道を駆けるサウルの背中を追いながら、ヨナは心配になった。
城門を管理する兵士の待合所から馬を拝借し、二騎はそっと城門を抜けた。
高い防風壁の外は、一面の砂漠だ。
風のない時の砂漠は、空気が澄み渡り、押し潰されそうなほどに大きく空が広がる。それ一面に広げられた、濃紺の上質な絹織物の上に散らばした無数の宝石に似た星々が、砂漠の白い砂を薄明るく照らし、空と大地の境目の緩やかな線を、くっきりと浮かび上がらせている。
その中を、二騎は連れ立って、慣れた道をとある場所へと駆けた。
間もなく、前方にこんもりとした黒い影が見えてきた。――森だ。
砂漠に突如として森が出現するのは、珍しい事ではなかった。
「神の審判」後、生態系が大きく変わり、数多くの動植物が絶滅した一方で、環境に適応するよう進化を遂げた、新たなる生物も生まれていた。
森の中心に、その威容を見せつけるかのようにそそり立つ「ダイヤモンドツリー」と呼ばれる巨木が、その代表格だ。
なぜ、このような大層な名が付けられたのか。それは、この木の表皮が非常に硬く、透き通って美しい輝きを発しているからだ。
表皮が強固なのは、「霧」から身を守るために他ならない。では、守るべきその表皮の下にあるものとは何か。
この木は、非常に地下深くまで根を張り、地下水脈を掘り当て、根から大量の水を吸い上げてその太い幹に蓄えている。その水は、時に周囲に溢れ出し、泉となることすらある。
その水に呼び寄せられるように、鳥や小動物が集まり、彼らによって他の植物の種子が運ばれ、その周囲に根付く。そして、森が形成される。
そのため、この木は「森の主」とも呼ばれ、非常に大切にされている。
ふたりは森を通る街道を走り、この森の主の前で馬を降りた。
キノコが寄り集まった株に似た姿をしたこの巨木は、幼い頃よりふたりの遊び場だった。
慣れた動作で、低い脇枝からよじ登り、中央の最も大きな幹のてっぺんを目指す。
テーブルのように広がったその頂上は、太陽の下で見るそれとは、全く異なる情景を見せていた。
その磨かれた宝石のように滑らかな樹皮に星の輝きを映し、息を飲むほど幻想的だった。
しかし、サウルはその光景に構わず、中央に寝そべり星を見上げた。ヨナも隣へ倣う。
しばらくふたりは無言だった。サウルが話す気になるまで待つ、それもいつもの事だった。
そして、いつものように、唐突にサウルが口を開いた。
「――父は、もう長くない」
ヨナは驚いてサウルの横顔を見たが、言葉に詰まり、何も返せなかった。
サウルの父エフラムは、昨年病に倒れてから床に伏していた。政務はヨナの父である宰相シメオンが取り仕切っていたが、式典等には短時間であるが顔を出しており、そこまでの病状とは知らなかった。
サウルは星を見つめたまま続けた。
「人は死んだら星になると言うが、本当だと思うか?」
ヨナは、サウルの言わんとするところが分からず、ただその横顔を見つめた。
「俺はそう思わない。死んだら、――無だ」
サウルは夜空の一点に目を据えていた。ヨナはそちらに視線を移すが、サウルの見ている星がどれなのか、見当すらつかなかった。
「だから俺は、生きているうちにやりたい事をやる。……俺が何をしたいのか分かるか、ヨナ?」
ヨナが再びサウルへ顔を向けると、サウルのガーネット色の瞳もヨナを見ていた。その瞳は、固い決意の光を帯びていた。
「俺は、皇国をぶっ潰す」
続く