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グシュナサフの悪魔[1]

 大陸交易路の空は、青く深く晴れ渡っていた。

 マハナイム軍の砂漠船の甲板で、ヨナは空と砂の境目がどこまで続くのか、じっと見ていた。

 一面の砂漠。どこまでも変わりのない風景を見続けていると、果たして自分は進んでいるのか、それとも留まっているのか、分からなくなってくる。


 この時代、雨が降ることは非常に稀だった。

 海面をことごとく「霧」が覆い、太陽の光を遮ったため、海水が蒸発せず、大気中の水分は、わずかに生育する植物から蒸散される程度である。そのため、雨雲が発生するに至るまでには、相当な時間が必要となる。

 その結果、川や湖沼はそのほとんどが消滅し、砂の大地だけが広がった。

 しかし、全く雨が降らない訳ではない。一度降り出すと必ず豪雨となり、地形を変える程の洪水が発生することも珍しくなかった。


 大陸交易路も、そんな水害に何度も遭遇し、その形を変えていた。

 ヨナの視線の先に、荒れ果てた街の跡が現れた。石積みの防風壁は崩れ落ち、建物の残骸が砂の海に飲み込まれようとしている。……この、かつて街だった場所も、その昔、洪水に見舞われたのかもしれない。何とも言えない寂寥感に襲われ、ヨナは若草色のマントで身を包んだ。


 ふと隣に誰かの気配を感じ、見るとトバルカインが立っていた。

 トバルカインとは、幼い頃、ヨシュアのつてで知り合った。ヨシュアがマハナイムを去ってからは、何かとヨナを気にかけてくれていた。

「……何を見てるんだ?」

「この大陸は、どこまで続いてるのかと、見てました」

「ヨナは、マハナイムを出たのが初めてだったな」

「はい」

「……そう言う俺も、三年前に聖都へ行っただけで、長旅は二回目だ」

 トバルカインは手すりに背を預け、大きく伸びをした。

「――俺はどうも、船というものが苦手なようだ。窮屈で敵わん。……ところで、ヨシュアを見なかったか?」

「ヨシュア兄さんは、サウル様とお話をしてます」

「そうか……」

「……何かご用でしたか?」

「いや、特に。――まあ、なぜ俺を先鋒に選んだのか、それを聞きたくてな」


 マハナイムは大型の軍船を一艘保有しており、それに今ヨナたちが乗っている。

 大陸中に散在する数ある砂漠船の中でもかなり大型のもので、大砲も備えた軍艦である。しかし、いくら大型とはいえ、全軍の移動に使えるほどの収容量はない。そこで、サウルの本陣としての機能をここに置き、先鋒の一軍のみが乗船し、後は騎乗で別動していた。


「……騎士にとっては、先陣を切るって名誉なんじゃないですか?」

 ヨナのもっともな質問に、トバルカインは苦笑いを浮かべた。

「確かにそうだ。……だが、正直、怖いんだよ」

 ヨナは驚いた。「鋼鉄の騎士」と大陸中に名を轟かせている大男の口から、「怖い」などという言葉が出てくるとは思わなかった。

 トバルカインもそれを自覚しているのか、照れ隠しをするように鼻をこすった。

「大層な評判をもらってはいるが、実際のところ、競技会で優勝しただけで、命を張った実戦なんて、数えるほどしか経験してないんだ。……そのほとんどが海賊退治だしな。そんな男に先鋒なんて大役を任せて、本当に大丈夫なのかと」

「トバルカイン将軍でも、怖いことってあるんですね」

「バカにするな。俺だって、怖いもののひとつやふたつ、……って、自慢にもならんな」

 ハハハと笑ってはみたものの、笑い飛ばせるような内容ではないと思ったのか、トバルカインはすぐに笑うのをやめ、はあとため息をついた。

「……ヨシュアと犬猿の仲のコルネリウス将軍は別としても、老練のガド将軍、剛腕のサムソン将軍、策士のアシェル将軍の方が、ヨナから見ても頼もしく見えるだろう?」

 コルネリウス、ガド、サムソン、アシェルは、全員万騎将である。――しかし、万騎将だからといって常に一万騎を率いている訳ではなく、一万騎の軍を率いる権限を持つ役職、という意味である。

 この四名の万騎将は、それぞれの騎馬隊を率いて、別動隊としてこの軍船を追っていた。

「……失礼な言い方になるかもしれませんが、そのどれも持っていないからこそ、トバルカイン将軍が選ばれた、とは考えられませんか?」

「ハハ、確かに失礼だな。……しかしなるほど、人望が最悪なヨシュアの言うことを素直に聞きそうなのは、俺だけだな」

 トバルカインは再び伸びをした。そして急に真面目な顔でヨナに向き直ると、

「今の話、親父には絶対に言うなよ」

と念を押した。

 トバルカインの父レメックは、泣く子も黙る、マハナイム軍総帥である。現在は、宰相シメオンと共にマハナイムに残り城を守っていた。豪傑を絵に描いたような人物であり、トバルカインの弱気な発言を聞こうものなら、拳が飛んできそうだ。

 じゃあな、と軽く手を振り、トバルカインは戻っていった。


 ひとり甲板に残されたヨナは、再び砂の大地に目を向けた。

 ……誰だって、怖くないはずはない。

 これから何が起きようとしているのか、世界はどこに向かおうとしているのか――。

 ヨナには、果てしなく続く砂の海が、人の歴史を全て飲み込もうと、虎視眈々と待ち構えているように見えた。

続く

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