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旅立ち[1]

 明け方、霧が出る前に、ヨシュアはシメオンの邸宅に戻っていた。

 シメオンを起こすつもりはない。静かに庭の片隅にある納骨塔へ向かった。


 この時代、人が亡くなると風葬に付される習慣があった。「霧」は、蛋白質を分解する性質を持つため、死んだ肉体を捧げることで、わずかでも霧の量を減らそうという考えからだ。そして、残った骨を回収し、納骨塔へ納めるのだ。


 納骨塔の周囲には、美しい花々が咲き乱れていた。これは生前、ヨシュアとヨナの母マリアが、大切に植え育てていたものだ。

 柔らかな風に吹かれ、花々は歌っているように見えた。……しかし、それは単なるのどかな光景ではなく、間も無く霧がやってくる前兆を示していた。

 ヨシュアはゆっくりとひざまずき、マリアの名が刻まれた石碑へ手を合わせた。


 その後、裏手に回り、納屋へと入っていった。古い家具や高く積まれた木箱の間を抜け、ある場所で立ち止まった。そして、床の模様を探り、わずかな隙間にナイフを差し込む。すると、床板が簡単に持ち上がり、その下に、地下へ続く階段が現れた。

 ヨシュアは近くの壁に掛けられたランタンに火を付け、手にすると階段を下りた。

 下りきった先にある重い扉をゆっくり開くと……。


 そこは、四方の壁一面に本が並んだ図書室だった。


 ヨシュアは、懐かしい気持ちで本棚を見渡した。どの本も、「神の審判」前に書かれたものばかりである。それらの本が発する独特の空気感が、ヨシュアを居心地の良い安らぎへと導く。


 ヨシュアはトバルカインにひとつだけ嘘をついた。ヨシュアが亜大陸の存在の確信を得たのは、死海で手に入れた地図ではなく、幼い頃、ここで見た本だった。


 シメオンは、代々伝わる書籍の数々を、ひっそりと守り抜いていた。そして、その貴重な財産を、惜しげもなくヨシュアに解放した。

 ヨシュアは毎日、暇さえあればここへ来て、片っ端から本を読み漁った。全て一通り目を通しただけでは飽き足らず、気に入った本は、二度三度と読み返した。

 その中でも特によく読んだのは、歴史の本だった。全ての出来事は必然であり、歴史の流れの中で繋がっている――。幼いながら、昔の人々の考えを探り、ロマンを巡らすのは非常に面白かった。時には、セント・マグス教の教典のカバーを付けて、士官学校へ持ち込んで読み耽ったこともあった。――それはさすがに、シメオンにひどく叱られた。


 しかし、今日見に来たのは、歴史の本ではない。ヨシュアが最も興味を示さなかった分野、――料理の本だ。

 皇国の書籍に対しての管理は非常に厳しく、新たに書かれた料理本すら、市井で見つけることはまず困難だった。

 ヨシュアは一応香辛料を商ってはいるが、料理が得意という訳ではない。むしろ、干し肉とうまい酒さえあれば、一週間や十日、何の苦もなく過ごせてしまうほど、食への関心が薄い。しかし、昨夜のトバルカインの反応を見て、少々反省するところがあった。

 ランタンをかざして、並んだ背表紙から料理関係のものを探す。何度も読んだ本なら、その場所も覚えているが、料理の本は全く印象がなく、なかなか見当たらない。


 ――その時、背後で物音がした。

「誰だ⁉︎」

 ここへ来る時は、誰にも気づかれぬよう細心の注意を払う、それが鉄則になっていた。まだ明けやらぬ早朝という事もあり、油断したか。

 ヨシュアは腰の剣に手をかけつつ、出入口を照らした。

 ……ぼんやりとした光の輪中には、ヨナの姿があった。

「ヨナ……。城へ戻ったんじゃなかったのか?」

「はい。……今日は、母上の命日なので……」

 役務に影響がないよう、私用は早朝に済ませる。そんな生真面目な姿勢は父シメオン譲りだ。無理をして体を壊さなければいいが。ヨシュアは少し心配になった。

 ヨシュアは表情を緩め、ヨナの元へ歩み寄り、肩に手を置いた。

「ヨシュア兄さんこそ、何を……?」

「料理の本を探していたんだ。なかなか見つからない。……母上がおいでだったら、直接教えていただきたかったものだ」

「母上は料理の達人でしたからね。……料理の本だったら、この辺りですよ」

 ヨナは迷うことなく、本棚の一角に向かった。

「……詳しいな」

「サウル様のお役に立てるよう、料理も一通り勉強しました」

 ……この違いが、ヨシュアとヨナの差だ。幼い頃からそうだった。偏狭な秀才と努力家の優等生。ヨシュアがシメオンの後継を自らヨナに譲った理由も、この辺にあった。

 ヨシュアはヨナに渡された本を開いた。千年の時を経ているとは思えないほど、鮮やかな色彩の写真が目に入る。代々、大切に保管されてきたのだろう。

 ……しかし、ヨシュアはレシピというものがどうにも苦手だった。他人の感性を押し付けられているようで、偏屈な精神が抵抗するのだ。――トバルカインには悪い事をしたが、やはり自己流でいこう。パラパラと適当にページを眺めて、本をヨナに返した。


 「――ヨナは、どの本が好きなんだ?」

「この頃は、お城にいる時間が長くてなかなか読書もできないですけど、小さい頃はよく、図鑑を見ていました。……今は存在しない動物や植物の絵を見ているだけで、楽しくて」

「そうだな。……でも、いつか、その動物たちが地上に蘇る日が来るんじゃないかな」

「えっ……!どうして?」

「あ、いや……。……何の根拠もないが、必ずどこかで生きている。俺はそう思う」

 ――まさか、亜大陸の「動物園」という場所に現存しているとは言えない。

 不思議そうに顔を見るヨナに愛想笑いを返していると、遠くで「霧」を知らせる半鐘が鳴り出すのが聞こえた。

 慌てて納屋の戸締まりを確認し、地下へ戻るが、ヨナは落ち着かない様子だった。

「……早くお城へ戻らないと……」

「霧が出てはどうしようもない。サウル様だって、しばらくは城に閉じこもっているしかないんだ。諦めるんだ」


 部屋の中央に置かれた古びたテーブルにランタンを置き、ヨシュアは椅子に腰を下ろした。ヨナも向かいに座るが、やはり居心地は悪そうだった。

 ヨシュアは腰に下げた袋から干した芋と水筒を取り出し、

「朝食にどうだ?」

とヨナに渡した。怪訝な顔で干し芋を見ながら、ヨナが言った。

「旅に出ると、こういうのを食べるんですか?」

「ああ。見た目に慣れれば、けっこううまいぞ」

「いや、そうじゃなくて、……こんなのばかり食べてると、体に良くないですよ。栄養をもっとつけなきゃ」

「………」

 ヨシュアには返す言葉がなかった。

続く

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