滅びへ
どうやったらここを出られるのか聞かれて川野は頭を抱えた。思案に余る。そんなことは俺が聞きてぇ。ただ、俺たちの現状はともかく、全員がバラバラになったわけだけど、全員の目的地は同じだよな。福岡ドーム。何とかしてここを出て向かわなければいけない。
どうすればいい? 窮した。名案なんかない。
アイコが黒い缶スプレーを出した。目が合うとにやっと笑みを浮かべたが、その笑みの端は唇を噛んでいる。
「エリゴールを召還してみる。立ち向かいて難事あらば呼べ、と言っていたわ。きっと助けてくれるはず」
「エリゴールって確か良い奴だったよな?」
「唯一のわたし達の味方よ」
「神様、仏様だな……」この際悪魔でもかまわない。助けてくれ。
アイコは既に床に魔法円書き始めている。記号や数字はレメゲトンの召還法から。ただ、それが既に必要ないだろうことを予測している。霊は名前さえ正確に発音すれば呼べる。魔法円は呼び出した霊を封じ込めるためのもの。エリゴールのことは信頼している。彼にそれは必要ない。
「俺、表側を見てくるよ」八十九式小銃肩にかけ言った。この亡者の群れが建物をぐるりと取り囲んでいるのか確認したい。
「気をつけて。なるべく早く戻ってきて」
「わかった」言い残し店舗奥へ走った。
彼女がエリゴール召還に成功して、エリゴールがここから連れ出してくれたら、ついでに言えば福岡ドームまで運んでくれたら、万々歳だな。
川野は店舗内のエスカレーターを駆けおりた。一階まで降りてみるつもりだった。このブースは分厚いガラスで仕切られているはずだから。心配なのは中庭に面したエスカレーター。アレは、さっき自分達がいた回廊に直結している。さえぎるものは何もない。登ってこられたらアウトだ。
ここはかなりへんてこな格好をした商業施設だ。官民共同で市営劇場や美術館、公共放送局や新聞社も入っている。大きく分けて三つのブースに分けられる。自分達がいるのは映画館やショップが並んだ商業ブース。
一階まで降りてまず中庭側を確認した。ガラスの向こうを死者の群れが蠢いている。反対側へ踵を返した。大通り側。同じだ。わかってはいたが軽い絶望感に囚われる。唇を噛みしばらくその場にたたずんだが、いつまでもそうしてはいられない。情報は収集した。すみやかに戻るべきだ。川野はほとんど暗がりのエスカレーターを駆け上った。
戻ってみると、魔方陣を前にアイコが当惑の表情を浮かべていた。
「召還できないの……」弱りきった口調で彼女は言った。
「何故かしら……?」
しばらく考えていたが、思い当たったらしく、
「わかったわ」と言った。
「彼は『大地の上であればいずこでも我はいずる』と言ったわ。ここはビルの三階。大地の上じゃない。だから駄目なのよ」
「なるほど」そいつは無理な相談だ。大地の上は亡者であふれかえっている。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「わたしが聞きたいわ」
川野は苦笑した。どうしてもこういう問答になるようだ。その時ふと思いついた。ビルの一階ならどうなんだ?
「一階で試してみたら?」ここを下った一階は無理だが、さっき俺が行ってきた場所なら? 外とは仕切られている。
アイコは眸を輝かせて答えた。
「それならうまくいくかも!!」
その時、遠くでガラスの割れる音が聞こえた。二人は嫌な予感に顔を見合わせた。
店舗内に入り中央のエスカレーターを駆け下る。一階まで降りる必要もなかった。ガラスが割れ入り込んできている。死者の群れが。這って。
「戻ろう。いや、塞いでいこう」
二人は手近にあった棚や椅子でエスカレーターに障害物を築いた。完全に塞がった状態にした。
「戻ろう」こうなると回廊側のエスカレーターも心配だ。
「上に逃げるしかないの?」その問いかけは川野にしたものではない。川野だってわかっている。自分も同じことを問いたい。神様に。
朝靄のなかにその化け物は姿をあらわした。両生類のように四つんばいで、亀のように長い首を持っていて、大きく裂けた口には鋭い牙が並んでいる。
はじめは一匹だけかと思った。だが、朝靄の奥に影が蠢いている。無数の。
来たか。しかも話しに聞く獣の群れだ。祐二は覚悟を決めた。エレボスと約束した。俺の命に代えてもこの子だけは守り通す。
「土嚢の向こうへ行くんだ」ミキに言った。ミキは駆け出し土嚢を越えた。祐二はあの時置いてきたポリタンク三缶の軽油を土嚢にぶちまけ火をつけた。巨大な炎が立ち昇る。炎を背後に背水の陣。
ショットガンで撃った。が、獣は一瞬立ち止まっただけ。ゆっくりとこっちに進んでくる。
無駄だ。祐二は印を切った。
『臨』『兵』『闘』『者』『皆』『陳』『列』『在』『前』。
呪縛した。動きを止めている。繰り返す。
『阿耨多羅三藐三菩提』効果はある。が、動きを止めているだけだ。
強い風が吹き、朝靄を飛ばした。その切れ目に奴らの親玉が姿をあらわした。
蝙蝠のような翼が背にあり、人の姿に似ているが、ぬめぬめした灰色の肌。額に二本の曲がった角。大きく裂けた口。
こいつを倒せば群れはルナティックに戻る。祐二は印を切りなおした。そして唱えるは『頭破七分』。
『妙』『法』『蓮』『華』『経』『頭』『破』『七』『分』。
しかし効かない。悪魔がそのおぞましい口を開いた。
「その術、セレから聞いておる。同じ術が通じると思ったのか」
祐二は不敵な笑みを浮かべ聞いた。
「貴様の名は」
「名乗らぬ」通常悪魔は名前を知られることを嫌う。
「貴様らはここで死ぬ。何も知る必要はない」
『頭破七分』が効かぬとしても、まだ手段はある。九字十字がある。しかしそれは最終手段。安易な利用は厳に禁じられている。もし敵に打ち破られれば、その呪力は本人にはね返って来る。命を落とすと思っていい。祐二は思った。今がその時。
『怖畏軍陣中衆怨悉退散』。
何事も起こらない。
次の瞬間。
祐二の全身の毛穴から血が噴出した。
破られたっ。
がっくりと膝をつく。駄目だ。約束を守れない……。目のなかに血が入っている。ぬぐった。もう一度唱えられるか……。アニナの顔が脳裏に浮かんだ。三年前新宿の雑踏で出会ったときの。
黒煙吹き上げる炎背後に、かろうじて立ち上がり、
『怖畏軍陣中衆怨悉退散』。血飛沫とともに倒れた。
悪魔の高らかな哄笑響き渡った。
中庭にいた亡者の群れがエスカレーターを登りはじめた。アイコと川野はめくら滅法銃弾をぶち込んだ。しかし次々動かなくなった死体の上を乗り越えて這ってくる。音に反応してさらに集まってくる。きりがなかった。二人は手近にあった店舗の立て看板や棚でエスカレーターを塞いだ。
「撤退しよう」篭城が最良の作戦だとは思えない。だが、現時点では他にどうしようもない。
ミキは崩落した橋の突端まで行った。下を見る。はるか眼下に、いてつく冬の海が見えた。逆巻いている。足がすくんだ。ふりかえって炎を見た。今にも炎を突き破って出てくる獣を想像した。
死にたくない。でも、死ぬより怖い。
アニナに貰ったグロック18を両手で握り締めている。右手でグリップを、左手でグリップから飛び出たマガジンを鷲掴みしている。
祐二さん、大丈夫かしら。お願い神様、わたし達を助けて。
だが、炎の向こうからあらわれたのは絶望だった。火を割って獣がゆっくりと土嚢を下ってきた。そしてもっとおぞましい者の姿も。
彼女は夢中で引き金を引いた。スライドが激しくブローバックを繰り返し、三十一発全弾を一瞬で撃ち尽くした。当たったのか当たってないのかわからない。彼女は急いでマガジンを交換しようとしたがマガジンキャッチボタンが何処かわからない。何処なの? グリップのボタンにようやく気付き押してみる。空のマガジンがカラリとアスファルトの上に落ちた。貰った予備マガジンを押し込んだ。再び引き金を引く。もう、獣は目前に迫っている。弾は当たっている。だが、彼女は再び絶望にとらわれた。拳銃が効かない。
耀。せっかく会えたのに。喧嘩しかしてない。何も話してない。
耀。助けてよ。
景色が涙で滲んだ。
彼女は海へ身を躍らせた。ひらひらと風に舞う花びらのように落ちていった。
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