合流11
川野は随分腕前をあげた。八九式小銃だ。既に自分の分身のように感じている。公募された八九式小銃のニックネームはバディだから、まさにその通りだ。ただ、そのニックネームはかなりダサいと感じてる。
ミキに銃を持たせるのはあきらめた。手ぶらというのもかなり心配だが、どうしようもない。彼女が危機に瀕しないよう、戦える俺たちが気を使うしかない。
彼なりに、戦い方を想定している。距離があれば、敵は弾を避ける。肉弾戦でないと駄目だ。ほとんど体当たり気味に、銃口突きつけ撃ちまくる。勿論、五メートル離れたところで決着がつくのなら、そちらを選択する。三八口径以上の銃弾の初速は大抵音速を超える。5.56mm弾(二二口径)の八九式は音速を超えないだろう。多分。しかしあいつ、ホンダの持っていた刀とほぼ同じ理屈になる。悪魔は避けきれず弾は当たる筈。
自衛官達は拳銃も持っていた。ホルスターごと三丁頂いて腰につけている。『九ミリ拳銃』だ。それが正式名称だから味も素っ気もないが、これはスイスのシグザウアーP220というモデルである(それを日本でライセンス生産したものだ)。九ミリというのは所謂三八口径。三八口径のオートマティックということになる。この九ミリ拳銃は、野原祐二も二丁頂いて腰につけている。ふたりで練習をしたが、共通の感想は、拳銃よりも長物の方がいい、ということだった。
今日は、ミキを連れて関門パーキング・エリアまで足をのばした。彼女がジュースを飲みたいと言ったからだ。任せろ、と豪語して連れてきた。バールは広島で二本手ごろなのを手に入れている。人目を気にせず、かなり荒っぽく壊してもいい、となると開けられない自販機はないに等しい。もっとも、頑丈な錠をつけているものもあったが。これはどうかと彼は思う。自販機ドロの立場で言えたことじゃないが、災害時に自販機は大事な飲料備蓄庫となる。素人でも開けられるようにしておくべきだと思う。
とりあえず、ミキにジュースを渡し、自分も一本飲み、入るだけバッグに入れた。ミキがジュースを飲んでいる間、煙草くゆらしながら、海峡を見た。ここからは橋がよく見える。見上げる橋は、災禍の前となんら変わりないように思えた。
「エリゴールを召還するわ」
活路が見出せると、ようやく普段の自分を少し取り戻せた気がした。アイコは涙を拭いた。
「聞いて。他の悪魔と違い、エリゴールはサムヤサとともに地上に降りた可能性が高いわ。つまり、太古から地球にいるということ。そしてサムヤサとともに戦ったときも、霊として居た筈。『エト・エウトクタ』を信じる。『地の底から戦ひ人の影が立ちのぼり口を開いた』という。その時、媒体はなかった。それでも姿をあらわした。人間の目に見える形で。でしょ。今まで召還した霊には、媒体として人間の体が必要だったけれど、エリゴールには必要ない筈。不可視ではない霊の姿で現れてくれると思うの。だからルナティックなしでも召還できると思う。召還円と記号や数字はレメゲトンの召還法を信用していいと思う。所謂ソロモン七十二霊の『エリゴル』の召還法を用いる。これが悪魔のなした業ならエリゴールに救ってもらう。レメゲトンの記述を信じるわ。静謐な騎士の姿で現れると言う。人間もそうだけど、霊だって内面が見た目にあらわれるのよ。きっと、救ってくれると思う」
息もつかず喋った。話すことで落ち着いた。頭のなかが整理できた。まったく自信はなかったが、話しているうち、必ず召還できると思い始めていた。
アニナはうなずき、
「任せる」と短く一言だけ。そしてスペースの確保に取り掛かった。首を足で蹴って場所を空ける。召還に必要な円を描くスペース。そして自分達の立ち位置を確保する。この作業はアイコには出来ないだろう。ショック状態から抜けたばかりだ。
アイコがスプレー缶を取り出し、カチャカチャと振る。うつむき、無心でそれを地面に描いていく。十分ほどでそれは描きあがった。
「作法も手順もでたらめだけど、多分大丈夫。ある程度破っても現れてくれると思う」それを願った。準備にはここでは用意できないものも多数ある。だが、名前さえ知っていれば悪魔は召還できる。そしてその名前を知っている。オノボゥスが『エリゴール』と言ったとき、その発音もアクセントも彼女は記憶していた。
早くしなきゃ。彼女は必要ないのに焦っていた。プレッシャーを感じていた。その原因は周囲の全て、そのうめき声。泣き声。
「分かってるわよっ!!」彼女は苛立ち呟いた。お願いだからしばらく黙ってて!!
アニナがアイコの肩に手をのせ言った。眸から彼女を気遣う心が伺えた。
「何も急ぐことはないわ。これは既にどうしようもないこと。周りが何を言っても、あなたがすることに何の影響も及ぼさない。これはあなたとエリゴールの『出会い』よ。集中して」
言われなくても分かっている。エリゴールを召還するその意味を。その成否が、今後の自分達の運命を大きく左右することが。だから……躊躇する……心が震える。
「Athah gabor leolam,Adonai」涙声の呪文。
「エリゴール」彼女は呼んだ。か細い声で。再び、
「エリゴール」懇願する声で。
「我、涙もて訴えり……エリゴール」短剣をかざした。『A・G・L・A』と刻まれた短剣。
「汝に、騎士の心あらば、我が願い聞きとどけ……」短剣のうえに涙がこぼれる。そして短剣をつたった雫が、円の中にはらりと落ちた。我が前にその勇姿を現せ。
「エリゴール!!」
異変起こった。円の中のアスファルトが割れて高く浮き上がった。その下から現れるは清涼な光。大地に光の穴が現れ、その光のなかにゆっくりと槍と笏を手にした騎士の姿が浮かびあがった。その顔は鎧で覆われわからない。静謐としてしかも堂々たるその姿。浮いていたアスファルトの欠片がばらばらと落ちた。光の穴は既に消えている。
「魔女よ」エリゴールが口を開いた。
「数千年のときを経て、再びめぐり合えたに、その秘密明かせぬとは」
わたし?? わたしなの?? アニナじゃないの……。突然の霊の言葉に驚くアイコ。
「エリゴールよ。それはわたしのこと?」
「然り」
わたしは……、わたしはただの人間だ。言われるならアニナだ。彼女はサムヤサなんだから……。
「彼女は!?」アニナを指した。
「サムヤサじゃないの?」
鎧の奥でエリゴールが微笑んだように思えた。
「然り。サムヤサの血を濃く引いておる」
やっぱり。思ったとおり……。
だが、これにはアニナが閉口して口を挟んだ。
「わたしはそんなたいそうな者じゃない。第一、サムヤサの牙と呼ばれているこの日子の瓊矛だって、どうやって使ったらいいかさっぱり分からない」
エリゴールは静かにアニナに向き直り答えた。
「いずれ、使える。それよりも問題なのは、その時、自分が槍を伸ばしている、形を変えていると考えないことだ。お前は、それを『創っている』のだ」
アニナは、余計混乱させられた。
アイコははじめの話に戻した。
「じゃあ、わたしはなんなの? 明かせぬ秘密っていったい」
鎧の奥の目が少し見えた気がした。慈愛に満ちた目とは言わない。それは強き眼。しかし悪魔の持つ残虐な目ではない。娘を護る父親に似た目。
「明かせぬ。汝死するとき、必ずや我現れ、秘密解き明かそう。その時なれば、一瞬にして理解できよう」
わかったわ。死ぬときのお楽しみね。それが遠い先であることを祈るけど。まずは、頼まなきゃ。この惨劇を終わりにしてもらう。
アイコは周囲を指差し言った。
「エリゴール。我畏敬の念を持って汝に問う。この悪魔の業は何者のなせるものか?」
ふむ、と鼻をならしエリゴールは答えた。
「バティンなり」
「されば、汝にこの業を解くことは可なりや?」
「一度離れた首を元に戻すことはできぬ。死んだ人間を生き返らせることも」
アイコは唇を噛んだ。緊張の糸が切れたのかもしれない。涙がこぼれた。
「違うの……。この人たちに、せめて安らかな死を……」
その様子にエリゴールは静かに言った。
「叶えよう。汝の涙に」そして槍をふりあげるとこう言った。
「悪しき霊バティンの業に苦しむこの者たちに安らかな死を」
途端に声が消えた。静まり返っている。それは相変わらずそこにある。到る所にある。だが、口を開いているものは一人もいない。静寂が山に戻ってきた。
「ありがとう……エリゴールよ……」言いながら、アイコはまた泣いた。
ずっと捜していた。古い信仰や神を調べながら、自ずとそれを捜していた。己が身も心も捧げ崇拝することができる神を。
「汝の業は悪魔を凌駕し善為す力あり……我信服し」
もう良いと思った。この霊の力を信じ、この霊の業により己を、いや、信仰というものはそういうものではない。ただ、今、感じていることは、己の魂をこの霊に預けて後悔しないということ。
「我が魂を契約により」
彼女の言葉をエリゴールはさえぎった。
「魔女よ。そなたの魂は孤高のもの。そなたのみのものにして霊に明け渡すこと適わず。己を大事にするがよい」
アイコは涙を拭いて言った。
「わかったわ……」
「この後も我が力必要ならば呼べ。大地のうえであればいずこでも我は出」
「ありがとう……エリゴール……」
アイコの言葉が終わらないうちに、再び地から清涼な光立ち昇った。
「待って、まだ聞きたいことが……」
「立ち向かひて難事あらば呼べ」
そう言い残すと、霊は静かに光とともに消えた
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