合流10
ざわめきとカラスの鳴き声で目を覚ました。ざわめき? とは違う。夢の中でずっと聞こえていた。悲痛なうめき声。一人や二人ではない。数百人、いや、それ以上の人間の。
地獄? 夢の中と現実の区別がつかない。朝靄に包まれ眼前に広がる光景が、悪夢の中のものなのか、それとも現実なのか区別がつかずしばらくぼんやりとそれを見た。夢?
跳ね起きた。夢じゃない!!
気配にアイコが目を覚ました。彼女は悲鳴を上げた。車のなかで逃げ場を求め、身を縮め叫び続けた。朝靄のなかに浮かび上がったその光景を見て。
クリスマスの飾りのように木にぶら下がっている。行く手の道を埋め尽くすように転がっている。老若男女。人間の生首。それが口を開いている。苦痛のうめき声をあげている。呪いの言葉を吐いている。すすり泣いている。しゃくりあげている。カラスが群がっている。その目玉をついばんでいる。
視界の全て、見える範囲全てがそうだった。木に鈴なりの人の首。
アニナは背後をふり返った。同じ光景がひろがっていた。戻れない。まずい。アイコがパニックだ。アニナは彼女を落ち着かせようとした。肩をつかみ、幻聴だと言った。しかし。
「クリソレトゥスをつけているのよ! わたし達。悪魔のもたらす幻覚だけじゃなくて幻聴も当然防げるわ!」泣きながら答えた。
「そうだとしても死んでいる。首だけになって生きている筈がない」
「いえ。魔力で正気に戻っているのよ。ルナティックだった人たちよ、きっと。正気に戻って意識があるンだわ」
狭い車のなか。言い合っても仕方がない。車は動かないのだ。ここを歩いていくほかない。とにかく、アイコには落ち着いてもらわなければならない。一体どんな悪魔の業なのか? またセレなのか? それとも知らない何者なのか、アイコの知識が必要だ。
アニナは外へ出ようとした。その背中をアイコがつかんだ。
「駄目。出て行かないで……」泣きながら懇願した。
「落ち着いて」と言った。
「少し様子を見てくるだけだ」車のなかにずっといても仕方がない。ドアを開けた。自分は言葉がわからないだけマシなのかもしれない。日本語がわかれば、アイコのように取り乱すのかもしれない。一歩足を踏み出した、そのブーツのすぐそばに首があり、苦痛に顔をゆがめ、何か喋っている。無視した。
歩いてゆけないほどではない。道を埋め尽くしているわけではない。それを避けながら進んでいくことはできる。蹴っ飛ばしたくはないから……。
すぐ脇の木にぶら下がっていたひとつのそれが、アニナの姿を見てこう言った。
「お願い。助けて。苦しいの……」
アニナは唇を噛んだ。意識がある。この女性の首は、わたしを外国人だと判断して英語で話しかけてきた。いったいどんな悪魔の仕業なんだ。
「もう、楽にして……」
XDピストルを抜き、その額を撃ちぬいた。苦悶の表情が消えた。それは目を閉じた。
どうする? 自問自答する。ここにある全てを、救えない。楽にしてやることすら出来ない。弾の続く限りそれをしても意味がない。
アニナは車に戻り自分の荷物を取った。
「行こう。アイコ。こうしていても仕方がない。残念だがどうしようもできない」
このなかを進んでいくしかない。何処まで行けば、これが終わるのか、それもわからないが。
目を見れば、少し落ち着いたことはわかる。だが、アイコは首をふり、外へ出ることを嫌がった。このなかを歩いてゆくなんて考えられないことのようだった。
「他に道はないわ。アイコ。あなたなら、これがどの悪魔の仕業かわかるかもしれない。そうしたら、この人たちを……救うこともできるかもしれない」
アニナの説得に、アイコは不承不承自分の荷物を手に取った。促され外に出たが、そこから一歩も動けなくなった。四方にそれがある。そこから進むこともさがることも出来ない。しゃがむことも出来ない。それに触れる。
それが口々に何かを言っている。まずい。こいつらはアイコに話しかけている。訴えている。苦しみを。
「アイコ。無視して」それが出来れば泣くこともない。パニックになることも。
かろうじて、アイコはパニックにならなかった。泣き顔でアニナに聞いた。
「どうすればいいの……」
アニナは、足元に注意してアイコのそばまで行った。
「考えて。これをやれそうな悪魔はいる?」彼女が落ち着いて考えられるように、そばにあるそれらを蹴って転がした。
「悪魔なら……」どの悪魔でもこれくらいやってのけるのか。
「でも、これほど陰惨なことをする霊は幾つか」地上にあるのは十八霊だけ。限られている。
「バティンかパイモン……でも、セレかもしれないし、わからない」
バティン、パイモン、アニナの頼りないグリモアの知識では、両者ともルシファーの忠実な家来だった……。そう、それにバティンはエト・エウトクタにもその名があった。
「バティンを召還できる?」
アイコは首をふった。
「エト・エウトクタには『破滅を求めざれば召還するべからず』とあるわ。それに召還してどうするの? これをもとに戻させるの? そんな求めに悪魔が応じる筈ないわ」
やはり無理だ。アニナは思った。耐え難い精神力を要求されるが、ここを歩いてゆくしかないのだ。わたし達は無力だ。心配なのはアイコのほうだ。自分は言葉が解らないからまだいい。アイコは彼らの言葉全て理解できる。
「……リゴール……」アイコが小さな声で呟いた。アニナはふり返った。
「え?」
「……エリゴール」アイコの眸にほんの少し光が戻っていた。
|