合流3
ミキは、とりあえず一番いいワンピースを着て、待ち合わせ場所へ向かった。何故一番いいワンピースを選んだのかは、自分でもわからない。十分も早く待ち合わせ場所に着いた。沢山の人がまわりにいる。そこは待ち合わせ場所のメッカのひとつ。こんな状況下でも、いや、だからこそかもしれない。人々は恋人と待ち合わせ、大切な時間を過ごす。
彼は自分に気付いてくれるだろうか。彼とはBISと名乗る男。アメコミのスパイダーマンのレア本を持って現れると言っていた。そんなもの持ち歩く人はいないだろうから、すぐわかるはず。自分のことは、ワンピースの上に革ジャンをはおっていくと伝えてある。
一人の男が現れてすぐにわかった。手にはスパイダーマンのコミック。八十年代ならこんな格好の男がゴロゴロいただろうか。オリーブ色のMA−1、白いTシャツにジーンズ。ごついブーツを履いている。茶髪の長い髪を後ろで束ねている。鋭い眉に鷹に似た眼。風貌精悍。背は高く、鍛え抜かれた逞しい体がTシャツの上からでもわかる。
「あなたがBIS?」
「俺の名は野原祐二、エクソシスト(悪魔祓い師)だ。これを渡しておく。貴橄欖石という石を埋めこんだペンダントだ。悪魔の狂気を防いでくれる。これで精神崩壊からは身を護れる。俺は『死者の石』というのを持っている。同じような効果があるものだ。それから、その革ジャンはいいが、ワンピースは着替えて来い。靴も丈夫なブーツか動きやすいスニーカーに履き替えろ。俺は修験道で一年、日蓮宗系の変わり者の和尚のしたで二年修業した。俺の法力が悪魔に通じるかどうかわからないが、一緒に九州へ行こう。」
「あ……ありがと……」圧倒された。
「広島市内の総合病院に、川野郁夫という少年が保護されている。彼に同行してもらう。君のいとこ『エレボス』と一緒にいたらしい」
「そ、その人も一緒に行ってくれるの?」
BISこと野原祐二はにやりと笑って言った。
「連絡など取れるわけがない。病院に忍び込みさらって行く。勿論、本人の意思を尊重するが」
「とりあえず、銃が効くことがわかっただけでも収穫だわ」オートマティックに弾倉を装填しながらアニナ。
疾走する車の中。既に獣はふりきった。
「バンパイアでさえ銃弾の効かない奴がいる。悪魔だからさらに上を行くかと思っていたけれど……」
「兵隊だったから、かも知れない。結論を出すには早計よ」ようやく冷静になったアイコ。
「かもね。……だとしたらわたし達にはお手上げよ。はやくエレボスを見つけて助けてもらわなきゃ」冗談めいた口調でアニナが言い、
「初戦は敗退だったわ」と肩をすくめた。
アイコは至極真面目な口調で前方を睨み、
「セレは、あなたが牙を持っていると言っていた」と言った。
それを聞いてアニナも口ごもる。
「抽象的な意味でかしら?」思い当たるものはまったくないのだ。
「とにかく、やるわ。わたし、もう決めたの」断固とした口調でアイコが言った。
「オル・ヴァブを召還するわ」
え!! オル・ヴァブを召還するの!? 本気?
「このステージにおいてのみ、わたし達は悪魔より優位に立てる。そうでない場合は追い立てられ殺される対象に過ぎない。だから、先手を打ってできるだけ情報を集めておくの。それも大ボスのね。言っとくけど、これも賭けよ」
賭け、と言った意味は、大ボスをうまくコントロールできるかどうか、といったところだろうか。
「この辺が丁度良さそう」アイコは車を停めた。
そこはどう見ても低所得者向けの老朽化した住宅地。平屋の長屋が軒を連ねている。家屋と家屋の間に広いスペースがあり寂しい公園がある。その公園の真ん中にアイコはスプレー缶で円を書いた。
「オル・ヴァブを呼ぶ召還円を知らないから、凡庸な円を書くわ。つづりはOll・Babuuでいいはず。だけど、記号と数字がわからない」
アイコは魔法円の中心にペンタグラム五芒星を書き込み、円の内側に独特の書体で悪魔の名を書いた。
「強みは正しい発音だけはわかっていることかしら」それはオノボゥスから得ている。オル・ヴァブ。ヴァブの前に小さくゼ音かズ音が入る。オル・ズヴァブ。オル・ゼヴァブ。名前があっていれば悪魔は現れるはず。後はこの魔法円が悪魔を有効に封じることを祈るだけだ。
うつろな目をしたルナティックを一人連れてきて円の中に立たせた。
「Athah gabor leolam,Adonai」
呪文に続け、
「オル・ゼヴァブ」名前を叫んだ。
一発目から反応があった。召還円の中を小さな黒い飛行体がブンブン渦巻いて飛んでいる。
「オル・ゼヴァブ」再び叫んだ。飛行体の数が増えた。よく見ればそれは太った蝿だ。普通の蝿の二倍くらいある。召還円から出ることはない。召還円の中をぐるぐる回って飛んでいる。
「オル・ゼヴァブ」次の瞬間、大地が揺れた。
召還円の中に巨大な真っ黒い物体がある。いや、違う。黒いのは全て蝿だ。もぞもぞ動き回っている。物体が身動きした。とたん、いっせいに蝿は飛び立ち、円の中ぐるぐる渦を巻いて飛びはじめた。蝿が邪魔でその者の姿がよく見えない。身長は二メートルくらい。でっぷり太っていて極端に短い足。さらに目を凝らしてみれば、皮膚の下は無数の何かが蠢いている。その何か。すぐにわかった。熟れたいちぢくのように破れた皮膚から、蛆が大量にこぼれているのだ。頭の一部が欠損し中の脳とのたうつウジが見える。鼻と口からもウジがこぼれている。灰色の巨大な眼球の奥にも蠢く蛆がのぞく。
「汝、オル・ゼヴァブか?」
巨人は質問には答えず逆に問うた。
「我を呼びし魔女は貴様か」
「然り。我はいかなる契約にも応じぬものなり。いかなる代償も払うつもりはない。そのうえで汝に聞きたいことあり。我が求めに応じ問いに答えよ」
がごぅ、ごふ、ごふ。腹を揺らして悪魔は嘲笑った。
「我に聞きたいことがあるとはこれは笑殺なり。我に何を聞く」
聞くだけ無駄だといいたいのか? 戸惑う。この悪魔のこの対応はどう判断してよいかわからない。威圧感がないのだ。これまで見てきた悪魔に比べ。勿論、誠実さなど感じないが。どこか超然としている。地上にこれほどの災禍をもたらした者だというのに、面と向かえば(気持ち悪さはともかく)害意を感じない。
「まず汝に問う。セレの言う牙とは何のことであるか」
答えが得られるとは思っていなかった。が、次の瞬間、悪魔は思いもよらぬ秘密を明かした。
「セレが何を言ったか知らぬが、我らにとって牙といえばサムヤサの牙だ」
「サムヤサの牙っ!?」
ごぅ、ごふ、ごふ。笑い言った。「汝知らぬとみえる」
牙!? アニナは閃いた。もしや。あの彫刻には牙がついていた。まさかアレがサムヤサのモノだったの?? でも小さすぎる。だけど。アニナはカバンの中から『日子の瓊矛』を持ち出した。アイコに目配せする。アイコも彼女の推測に吃驚している。が、悪魔との交渉中に動揺は表せない。
「サムヤサの牙とはアレであるか?」日子の瓊矛を差し聞いた。
「然り」そう言ってまた笑った。
「どうやれば使えるのだ?」
さらに笑い言った。
「持ち主ですらわからぬものを、何故俺が知りえようか」
使い方はわからない。だが、この瞬間より以降、アイコはアニナ=サムヤサだと固く信じるようになる。エレボスがそうであるように。アニナはサムヤサのコピーに近い存在。だから、その娘であるラ・プティエリ・ア・ナネが夢に現れる。
「汝の災禍で地上は荒れ、人は少なくなった。汝この地球全てに災いをもたらすつもりか」
「違うな。魔女よ。人間がいなくなってしまえば困るのは我らだ。ゆえに我が災禍はあと四十八日の間続き、それ以降、わたしは眠ることとなる」
「四十八日……」
灰色のぎょろ目を動かし悪魔は続けた。
「だが、バティンらに気をつけろ。奴らが画策していることは宇宙を覆す災いだ。奴らの技に比すれば我が災禍など甘いものだ。気をつけろ。バティンが封印を解こうとしている。おそらくアスルーが護っている」
しばらく押し黙ったままのアイコ。頭の中で様々な符号がはまったり外れたりを繰り返していて、言葉が出てこない。
「何故そこまで教えてくれるの」混乱させるための嘘の場合もある。
「我は孤独の王。バティンらの小賢しい遊戯に付き合う気はない」
そう。そうね。あなたは孤独の王にして、……蝿の王。
「聞きたいことは済んだか? 魔女よ」
灰色の濁った目でアイコを見る悪魔。
アイコは大きくうなずき礼を言った。
「充分である。礼を言う。オル・ゼヴァブ。もはや我が望みは叶った。元いた場所へ戻るがよい。Athah gabor leolam,Adonai」
悪魔が蛆だらけの口でにやりと笑った。
「我は孤独の王だ。我が則に従い我は生きる。千年に一度蘇り。それもあと四十八日となった。魔女よ。我を恨み恐れるか」
「いいえ。礼を言うわ。もっと深刻な脅威が迫ってきていることを教えてくれて」
悪魔は地を揺るがし笑い、ゆっくりと大地の中へ堕ちていった。不思議なことに描いていた魔法円が消え、奈落の底のような穴が口をあけている。
完全に姿が消えると公園は元に戻った。地面に書いた魔法円も。
「礼を言う。蝿の王、……ベルゼブブ」アイコは小さな声で呟いた。
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