脱出不可4
片っ端から民家を探し回って、ようやく、石油ストーブのある家を見つけた。何処も石油ファンヒーターばかりだった。停電していては無用の長物。
家人の姿はない。リビングのラグの上に、おぶっていた亮太をおろした。まったくの無反応。そのままそこに座る。麻奈と顔を見合わせる。麻奈が瞳をふせた。それで、自分がひどい顔をしているとわかった。多分、絶望的な表情。
冷えきっていた部屋が暖かくなる。真っ暗な部屋を石油ストーブの赤い灯りが仄かに照らし出す。
雪が激しくてこれ以上進めない。今夜はここでしのぐ。朝になれば、出発する。たとえ、横殴りの雪が吹きつけ、腰まで積雪に埋もれながらでも、進まなければならない。時間がない。今、思っている次の瞬間にはそれが訪れるかも知れない。自分にも。
亮太の虚ろな眸子を見て思う。痴ほう、ではない。ショック状態。極度の。それがずっと続いている。ショックの度合いが大きすぎて、灰のようになっている。実存、という言葉が頭に浮かぶ。小難しいことは大嫌いだ。だけど、弟の精神の中で、何かが起こったのは確かだ。それも劇的な変化が。本来あった彼の自我は、その激変に耐えられず粉々に砕かれた。今あるのは燃えのこり。けれど内面的な変化は推測でしかない。対外的なことのみを言えば、彼は現実から引き裂かれ、そこに存在しないかのようだ。彼自身もまた現実を認識していない。以上のことを鑑みれば、コレは重度の統合失調症……? なのかも知れない。あるいは自閉、失語……。だとしたら、直る。時間はかかっても。ここを出れば医者もいる。コレは希望的観測だろうか。もっと、完璧な完膚なき人格破壊なのか。
ただひとつ、はっきり言えること。早く、ここを脱出すること。俺まで、そうなったら終わりだ。
麻奈の顔を見る。あれ以来、一言も話さない。悲しんでいる。怯えている。その両方。
俺と一緒にいることが、この子にとって安全なのか危険なのかわからない。ミキに話したとおり、俺は狙われていると考えて間違いない。エレボスとは、奴らと敵対していた者の名だ。俺が、そいつの何にあたるのかは知らない。だが、そいつはこの刀の持ち主だったはず。何故、俺に使えるのか。狐の言った血の意味がわからない。悪魔はウィルオトスと言った。
ただ、これだけははっきり感じている。狐はこれを妖刀と言った。そのとおりだ。ふるうたび、自分がまったく違う何かへ変貌していく感じがする。怖ろしい何かへ。はじめて手にしたときからそうだった。あの獣の群れに怖れなく挑んだ。しかも冷静だった。普通じゃない。あんなのは俺じゃない。けれど、この刀を抜くたび、その感覚はどんどん強くなる。
違う。刀のせいじゃない。あの日から、そもそものはじまりから、何かが違っていた!
彼はほとんど眠っていない。あの日、転落したバスの中で目覚めてから、ずっと。
時折、立ったまま、五分ほどまどろむ。それだけで足りた。かつてないほど、意識は研ぎ澄まされている。この身体の変化は説明できない。身体だけじゃない。考えてみればおかしすぎる。両親を見つけたとき、泣かなかった。いや、泣いたかもしれないが、あの程度だ。驚きはしたが、冷静だった。普通だったらPTSDってやつになってもおかしくない。ふりはらえない悪夢の如く、あの光景が脳裏に甦ってきて当然なンだ。俺は、どうなっちまったンだ!?
だけど、いい。俺がどうなったっていい。彼は唇をかむ。亮太とこの子を必ずここから連れ出す。九州を脱出する。奴らは微塵にしてやる。
気づかないうちに、少し眠っていた。五分と経っていない。目を開いた。何も変わっていない。亮太も麻奈もそこに座っている。けれど、彼女の瞳を見て、既にそこに彼女がいないことに気づいた。
薄暗がりのなかで、何度も目をさました。暑いのか寒いのかわからないテントのなか。息苦しくて外へ転がり出た。途端にしんまで冷えてテントのなかにもぐりこむ。朦朧とした意識のなかで何度もそんなことを繰り返した。目を覚まそうとして煙草に火をつける。が、三分と持たない。そのまま寝入ってしまう。起きているのか眠っているのかわからない。その浅い眠りのなかで夢ばかり見た。悪夢ではなかった。友達の夢。以前と同じように悪さをして夜中に遊んでいる夢。
突然、はっきりした意識を持って目覚めた。暗がりのなかで身を起す。夢の中の友人たちと、今ここにいる現実がつながらなくて、一瞬戸惑った。
夜は明けているようだった。煙草に火をつけ大きく煙を吸いこんだ。はいた。ニ・三度大きく繰り返すと、はっきり目が覚めた。立ちあがり怒鳴った。畜生!! マネキンを蹴り倒した。うつろな音をたててそれは転がっていった。
ショーウインドウから外をのぞいた。積雪は腰くらい。雪は少し小降りになっている。
彼は装備に取りかかった。スノーボードの上に、ありったけの荷物を積み上げ固定した。引っ張っていくつもりだ。防寒対策は完全だ。冬山登山用のブーツ、ズボン、ジャケット。完全防水の物ばかり。上着のポケットに拳銃を入れた。腰のベルトにバールをさした。
歩いていく。海峡まで。
割れたショーウインドウから外へ出た。積雪は予想以上だった。胸元近くまで雪に埋まった。
「クソ畜生!」ぶつける相手のいない苛立ちを呟きにかえ、雪を掻き分けて進みはじめた。スノボは、雪のうえをするする滑った。
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