海峡封鎖
5 海峡封鎖
関門海峡。建設当時、世界最大のつり橋といわれた関門橋は、本州へ渡る人であふれていた。放置された車が道をふさぎ、通行できる状態ではない。強風に煽られ、時折落ちそうになる人もいる。それでも、押し合いへし合い、人々は本州へ向かっていた。その本州側に自衛隊員が控えていた。目配せをし、時計の針を確認して、うなずきあうと、突然、通行を押しとめた。笛を吹き、人々を手で制し、その流れを止め、自衛隊の車両が道路を封鎖した。素早く、他の隊員が鉄条網を張りめぐらせた。罵声がとび、悲鳴があがり、怒号飛び交った。が、銃を以って威嚇した。それが返答だった。
鉄条網で引き裂かれた親子が多数いた。本州側の親が、娘に手を伸ばす。が、隊員に連れ去られる。娘は泣き崩れ、いつまでもその場を離れない。一組の夫婦が、幼い我が子を鉄条網の向こうに投げ入れた。隊員が気づいた。逃げなさいっ、夫婦は必死で叫んだ。が、子供は金網のむこうでパパとママを呼んでいる。父親が怒った顔を見せた。ようやく子供は駆け出した。母親が夫にすがって泣いた。
鉄条網だけでは不十分だとばかり、隊員は土嚢を積み始めた。その作業中も、整然と並び、銃口をこちらに向けている隊員。取り残された人々の顔に絶望が浮かんだ。吹き抜ける強風が、人々のすすり泣きをさらっていった。
同時刻。関門トンネル人道出口。通常は、エレベーターで昇降する。が、通電していない現在、被災者達は長い非常階段をのぼって本州へ入ってきていた。あと、少し。もう一段で本州の扉だ。突然、扉は閉じられた。施錠された。暗闇のなかに、人々は取り残された。叩いても、蹴っても、その扉が開くことは二度となかった。
関門トンネル入り口、門司港側。こちらもまた、現在車の通行はなく、流れているのは人の群れである。九州各県から避難してきた人々。ゲートは開け放たれ、道路公団の職員の代わりに、自衛官がいた。彼らも、時計を確認し、いっせいにゲートを閉じた。自衛隊の車両が道路を封鎖し、鉄条網が張りめぐらされ、警備の隊員が立った。銃を持っている。
そこでは暴動が起きた。自衛官が威嚇射撃をしたが、押し寄せた群集は隊員を押し倒し、ゲートをよじ登り、鉄条網を踏み越え、トンネルの中になだれをうって駆け込んだ。だが、真っ暗で長いトンネルの最後までたどり着いた彼らが得たものは絶望。そのトンネルには出口がなかった。 下関側は完全にふさがれていた。崩れ落ちた天井で。
生き残りは十八人。ホンダと弟の亮太。仲井麻奈。自衛官の豊田。金髪の少年(川野と言った)、妊婦とその夫。老人。数人の男女。二十代に三十代……。
「フェリーは来ない」彼らをまえにホンダは言った。
「東京と電話がつながった。確認した。フェリーはもう来ない。北へ。関門海峡を渡るしかない。そこも、もうすぐ封鎖される」
「車は無理だな」豊田が言った。歩いていくしかない。全員の顔を見回した。
彼の考えていることはわかる。着いて来れそうにない者を選別している。老人、妊婦、子供……。いや、体力のある者でも、いつルナティックとなるかわからない。その時は残酷な決断をしなければならない。むろん、彼自身がそうなる可能性は承知のうえ。
「もし、海峡が封鎖されていたら、船しかない。適当なクルーザーを盗んで」
「どこへ行く」
「韓国。ないし、瀬戸内海を東上し広島、岡山あたりを目指すか、日本海へ出て鳥取あたりを目指すか……」山口県は頭になかった。自分達がたどり着く頃には、当然、被災しているだろうから。
「素人の俺達がか? この中に船舶の免許を持っている者は?」素人ばかりで海へ出るほど危険なことはない。だが、誰ひとり、手を上げる者はいなかった。
しかも、たとえたどり着けたとしても、そこが安住の地ではない。これが広がっているのなら、さらに逃げなければならない。どこまで……?
|