【今日のニュースです。アソギのシラで『霧』が発生しました。被害者は、3500人程度と……】
また『霧』か…。
「由榎、遅刻するわよ」
母に言われて気が付いた。もう8時前。
「ホントだ、やばっ!鞄、かばんっ!いってきますっ!」
慌てて家を出た。
「慌ただしい子ねぇ…」
という母のつぶやきを後ろに聞きながら。
ギリギリで学校に着いた。
「由榎、おはよう」
振り向くと柚菜がいた。
「おはよう」
「また発生したね、『霧』」
「そうだね」
「恐いね。いつ自分がああなるか分かんないもんね」
「うん、恐い…」
話しているうちに、教室の前まで来ていた。教室に入ると、『霧』の話が聞こえてきた。
「恐いよね。どこで発生するか分かんないし」
「うん。それにいつ自分が消えるのかと思うと…」
「『霧』が発生した後、そこには何も残ってないんだろ?恐いよな」
「そんなん嘘だろ。ありえるわけねー」
「嘘じゃないわよ。私、実際に見たことあるもん。本当に何もなかった。ただ、深い闇が広がっていて押し潰されそうな気がした…。恐かった。もし自分も消されたらって思うと…」
「それ、マジ?」
「ホントよっ!」
みんなやっぱり『霧』の話してるな。
『霧』とは、最近全国のあちこちで発生し始めた原因不明のものである。その『霧』は、そこに存在していたものをすべて消し去ってしまう。そして、そこに残っているのは、押し潰されそうなぐらいの闇だけだ。他には何も残ってなどいない。そう何も……。
ガラッ。
「みなさん、おはようございます」
入ってきたのは、先生だった。
「それでは、出席をとりますね。石田くん、大本くん、北さん、小森さん、鈴木くん、鳥井くん、中河さん、橋口さん、堀内くん、室岡くん、森山くん、山岸さん、吉沢くん……、吉沢くん?」
先生は顔を上げ、吉沢くんの席を見た。そこには、誰もいなかった。
「吉沢くんは休みね……。渡里さん、…渡里さん?」
「えっ…。あっ、はい…」
「渡里さん、大丈夫?」
「すみません…。ボーとしてました…」
「気をつけてね。欠席一名で、出席しているのは、十三名ね…」
私のクラスは…といっても、学年で一クラスしかないのだが、全員で十四人だ。どこの学年も一クラスしかなく、人数も似たようなものだ。
この華月中学校は、この島の唯一の中学校だ。中学校の人数の少なさからこの島の規模の小ささが分かる。人口が三百人にも満たない、小さな島だ。
だんだん人口の数も減り、子供の数も急激に少なくなっている。小学校は全員で、私のクラスの人数くらいしかいない。このままだと中学校も小学校も、廃校になるかもしれない…。
「それでは、授業を始めますよ」
先生の声が聞こえた。と、いうことは…、数学だ…。はぁ……。やだなぁ。
「なにがやなんですか。渡里さん?」
「いえ…。何でもないです……」
思わず、声に出ていたらしい。
あの先生、こういうときすごい怖いんだよね…。
「そうですか?なら、いいです。では、授業を始めましょう」
嫌な数学の授業が終わり、休み時間になった。
「吉沢、『霧』に消されちゃったらしいぜ」
という声が、私の耳に届いた。
「それ、ほんと?」
柚菜が、鳥井くんに聞いた。
「たぶんな。先生たちが話してるのが、聞こえてきたんだ」
「マジかよ」
「先生たちが言ってたことが、本当だったらな」
「本当だったら、吉沢くん消えちゃったってことだよね?」
橋口さんが、消え入りそうな声で言った。
鳥井くんは、
「ああ」
と一だけ言った。 その時、二時間目をつげるチャイムが鳴った。
そして何日たっても、吉沢くんは学校に来なかった…。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡
私は誰もいない席を見つめた。あそこ、誰の席だっけ…。
ガラッ。
「おはようございます。みんな、席に着いてー」
先生が教室に入ってきた。
「それでは、出席をとりますね。石田くん、大本くん、北さん、小森さん、鈴木くん、鳥井くん、中河さん、橋口さん、堀内くん、室岡くん、森山くん、山岸さん、渡里さん」
「え、はい…」
「欠席はなしで、出席者十三人と…」
私は何か違和感があった気がした。だけど、それは、すぐに消えた。
「せんせー。」
「何ですか?大本くん」
「なんで、机一つ多いんですかー?」
「あら?ほんとですね…。なんででしょう…。」
「せんせー、邪魔なんでのけてもいいですかー?」
「いいですよ。一時間目は理科ですね。では」
先生はそう言って、教室から出ていった。その後すぐに、柚菜が話しかけてきた。
「由榎、消しゴム二つない?忘れてきちゃった」 「ごめん、柚菜。二つない」
「そっかぁ…」
「半分、消しゴムあげるよ。はい」
「いいの?ありがと。そういえば、由榎知ってる?今日の朝やってたんだけど、『霧』がまた発生したんだって」
「そうなんだ…」
「詳しくは分かんないけど、今までと違うことがあったらしいよ」
「どんな…?」
「『霧』が発生する前に、何か起こったみたい」
「何かって、何…?」
キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴り響いた。
「チャイム鳴っちゃた。ごめんね。それ以上、詳しいこと分かんない。席に戻るね」
放課後になった。
「由榎、帰ろー」
「うん…」
「どうしたの?元気ないね」
「そんなことないよ…」
「中河、由榎」
智が私たちを呼び止めた。
「何?堀内くん」 柚菜が智に聞いた。 「あのさ、吉沢って知ってる?」
「吉沢…?誰、それ…?」…吉沢?吉沢……。
「由榎は?」
「え…」
「由榎?」
「ごめん…。私も知らない…」
「そっか…」
「吉沢って人がどうかしたの?堀内くん」
「いや…。別に」
吉沢…。何かがひっかかる。何だろう…。
「じゃ、帰ろう。由榎」
「ごめん、柚菜」
「え?」
「私ちょっと智に話があるの」
「うん…、わかった。じゃ、先に帰るね。バイバイ」
「ごめんね。バイバイ、柚菜」
柚菜に手を振ってから、智を見た。
「何?話があるって」
戸惑いながら智が聞いた。
「さっきの話なんだけど…」
「さっきの話…?」
「うん。吉沢って人のこと…」
「由榎…。知ってるのか?」
私は静かに首をふった。
「そうじゃなくて…。何て言ったらいいんだろう…?気になるというか、なんか心にひっかかるの」
智が驚いたように私を見た。
「他の奴らと違って完全に忘れてるわけじゃないんだな」
「忘れてる…?どういうこと?」智は、少し考えてから口を開いた。
「吉沢は、俺らのクラスにいたんだ」
「え…?」
私はわけが分からなくなった。吉沢って人がクラスにいた…?
「意味が…よくわかんないよ……」
「最初から話すよ」
「うん…」
「吉沢は、俺らのクラスメートだ。そして何日か前から学校に来ていない。『霧』に消されたかもしれないっていわれていた。そして昨日、俺は石田に言ったんだ」
「なんて…?」
「吉沢、ホントに『霧』に消されたのかな、て。そしたら石田が、吉沢って誰?って言ったんだ。初めは冗談かなにかかと思った。だけど、クラスの誰に聞いても返ってくる答えは同じだった…」
「………」
「だんだん自分が信じれなくなった。そのうち、俺も吉沢のこと忘れかけてた。だけど今日の朝、大本が何で一つ机が多いのかって言っただろう」
「うん…」
「その時さ、やっぱりこのクラスにはもう一人いたんだって思った。吉沢は、ここにいたんだって…。だけど俺も吉沢のこと忘れてしまうと思う。みんなみたいに…」
「吉沢って人がクラスにいたの…?私たちが忘れてるだけで?覚えてるのは、智だけ?」
「ああ。やっぱり信じられないか…?」
智がまっすぐ私を見た。
「ううん。信じるよ。小さいときから一緒にいるんだから、嘘ついてたらわかるよ。…それに心にひっかかってたのは、このことのような気がしたから…」
「そっか。信じてくれてありがとう。そろそろ帰ろうか」
「うん」
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡ガチャッ。
玄関のドアを開けると、ひんやりとした空気が流れてきた。嫌な感じがした。
この空気に混じって微かな匂いがする。中へ進むにつれて、その匂いは強さを増していく。
クチャッ。
何か音がした。動物が何かを食べているような…。
クチャッ。
また同じ音がした…。
匂いが強くなるにつれて、その音も大きくなっていく……。
背中に冷たい汗が流れた。暑くなんてないのに。むしろ寒いぐらいだ。さっきから腕に鳥肌が立っている。クチャッ。
音がいっそう大きくなった。その音のした方に私は静かに、目を向けた…。
「…………!」
悲鳴が声にならなかった。黒い塊が静かにこちらを見る。それは口を歪にして笑った。その口から、赤いものが滴っていた。
視線を下に向けると、赤い塊があった。その赤い塊は見たことがあった。
黒っぽいくて、長い髪。白い肌。目尻の皺。花模様のパレッタ…。それは私が誕生日にあげたものだった。
「……お………母……さん……?」
クチャッ。
黒い塊は赤い塊も食いちぎった。そしてまたそれは真っ赤に染まった口を歪ませ笑ったのだ。赤い塊をゆっくりと咀嚼しながら…。
「…っ……!」
クチャッ。クチャッ。
どんどん赤い塊が小さくなっていく。
クチャッ。
「………お………か…………さ…………」
クチャッ。
何かが頬に当たった。
それを手で触ると嫌な感触がした……肉片だった。
「…ひっ…………っ…………き………きゃ―――――――――――――――――――――――――!!!」
そして視界が暗くなった。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡
目を開けると視界が白かった。
シャリッ。
音のする方を見た。
銀色の先の尖ったものがあった。ナイフだった。
「…………っ!」
「あら、目が覚めた?」
横からのんびりとした声が聞こえた。
「お……かあ………さ……ん…?」
声の主はどこからどう見ても母だった。
「な……んで…?」
「何が?由榎大丈夫?」
「死んだん……じゃ…なかったの……?…おか…さ……ん…」
「何言ってるの?母さんのどこが死んでるのよ?ほら、ぴんぴんしてるわよ?」
母はほらみてっと腕をあげたりしてみせた。
「生きて……た…の……?ホ……ント…に…?黒いかた……まり…が………」
そこまで言うと視界が歪んだ。自然と涙が溢れ出ていた。
「どうしたの?由榎。怖い夢でも見た?まあ、二日も目が覚めなかったんだから夢も見るわね」
「二日……?」
「そうよ。ずっと目が覚めなかったの。心配したんだから」
私は母が手に持っているフォークの先を見た。そこには林檎が刺さっている。その視線に気付いてか、
「人間誰しもおなかはすくもんよ」
と慌てて言った。
「でもホントに心配したんだから。買い物から帰ってきたら、由榎が倒れてるんだもの。揺すっても反応がなくて…。意識がなかったから、慌てて救急車を呼んだのよ。外傷はなかったみたいなんだけど目が覚めなくて……、心配したのよ。でも目が覚めてよかった」母は私を抱きしめた。
「ごめんね、お母さん。心配かけて……」
だけど、本当にあれは私の思い過ごしだったのか。もしくは夢だったのか。それとも…。母は確かにここにいて生きているのに、不安が拭い去れなかった。
妙な胸騒ぎがする。これは一体何なのか……?
私は不安で堪らなかった…。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡
「由榎、おはよう」
「あっおはよう、柚菜」
「大丈夫?心配したんだから」
「ごめん。でも、もう大丈夫だから。一昨日には退院してたし。昨日は念のために休んだだけだから」
そう、私は一昨日に退院した。家に帰ってあの部屋を確かめてみた。だけど、血の一滴も落ちていなかったし、あの嫌な匂いもしなかった。あれはやはり夢だったのだろうか…。
「…か、由榎っ」
「え…なに?」
「由榎、本当に大丈夫?呼んでも返事がないし…」
「ごめん…。ちょっと考え事してただけ…」
「そう…。なら、いいんだけど…。由榎、言いにくいんだけど……」
「何?」
「あの…さ、由榎が倒れた日、堀内くんがいなくなったんだよ…」
「いなくなった…?智が…?どういうこと…?」
「家に帰ってこなかったらしいの。それからずっと帰ってきてないみたいなの…。由榎、何か知らない?あの日由榎、堀内くんと話したんでしょ?」
「し…らない…。話した後、一緒に帰ってたけど途中で別れたから…。その後はわ分からない……」
「そうだよね…。別に疑ってるとかそういうことじゃなかったんだけど…。」
「うん…。わかってるよ…。そっか……。智、行方不明なんだね…」
「うん…。そろそろ一時間目始まるから席に着くね」
「…うん」
どういうことだろう。智が行方不明…?それも私が倒れた同じ日に…。
まただ。胸騒ぎがする…。どこにいるんだろう、智……。
とてつもなく嫌な予感がする…。
そして30分経っても、一時間目を告げるチャイムは鳴らなかった。
「なんでチャイムが鳴らないの?」
この声をきっかけにみんなが騒ぎ始めた。
「先生も来ないよね」
「なんかあったのかな」
「そうなんじゃない?」
ざわめきが最高潮に達した瞬間、ガラッ!
勢いよくドアが開け放たれた。
教室内が静まり返った。
「みなさん、遅れてごめんなさいね」
息を切らしながら担任の坂口先生は言った。
「なんで遅れてきたんですか?」
石田君が聞いた。
「少しトラブルがあって…」
「何があったんですか?」
「……トラブルはトラブルです」
「なんで教えてくれないんですか?」
「…今は言えません。……それでは授業を始めますね」
強引に先生は授業を始めた。
約20分後、いつもと変わりなく一時間目の終了を告げるチャイムは鳴り響いた。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡
放課後。
辺りがオレンジ色の光に染まる中、校舎裏に私は佇んでいた。
静かだった…。
私は見つめていた。ただ一人を…。
クシャッ。
プリントかな…。
机の中に手を突っ込み取り出してみる。手紙だった。グシャグシャになってしまっていたので、きれいに皺をのばした。
開けてみると一枚の紙切れが入っていた。
それにはただ、放課後、校舎裏とだけ書かれていた。どういうことだろう…?
なんかあるのかな?
「由榎、理科室行くよ〜?」
「あ、うん」
ポケットの中に紙切れを突っ込み、柚菜と理科室に向かった。
キーンコーンカーンコーン。
放課後になった。
私はあの紙切れをポケットから出した。誰からなのか分からないし、どういうことなのかも分からない。だけど、なぜか気になる。
行ってみようか。校舎裏に…。何もなかったら帰ろう。
私は校舎裏に向かった。
放課後。校舎裏。
そこにいたのは、見知らぬ男の子だった。だけど、うちの学校の制服を着ている。
誰…?
うちの学校の生徒なら知らないはずがない。そんなに人数は多くないのだから。転校生とか…?
だとしても小さい学校だし、目新しいことがあればすぐ噂になる。転校生とかは、まずそうだ。
では、この人は誰だ…?
「渡里さん」
男の子が口を開いた。
なんで私の名前を知ってるの…?
「もしかして覚えてない?」
「どこかでお会いしましたっけ…?」
「じゃ、いいや」
「はい?」
「じゃあね」
男の子はそう言って去っていった。
なんだったの…?
紙切れを私に宛てたのはあの男の子だったんだろう。ますますあの男の子の正体が謎に包まれた。
わけがわからないまま、私はそのまま家に帰った。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡
ジャー。
智…どこにいったんだろう。
智が行方不明になってから、一週間が過ぎた。もうすぐ夏休みに入ろうとしている。
ギュッ。
ホントどこ……に…。
ガサッ。
ハンカチを取り出した拍子に何かが落ちた。
床を見下ろすと、紙きれだった。
まさか…。
拾いあげてみると、思ったとおりだった。
今度は、放課後、教室と書いてあった。
でも、なんでポケットに入ってるの…?朝は絶対入ってなかったのに。なんで?あの男の子は本当に一体誰なのか…。謎はますます深まるばかりだ。
放課後の教室。
誰もいなくなり、沈黙で満ちていた。世界に自分しかいないみたいだ。自分の呼吸でさえ、大きく聞こえる。
ガタッ。
小さな音がした。
あの男の子だと思った。
私は振り返った。
だけど、あれは……、
「智っ!!」
ドアのところに智はもたれ掛かっていた。
「どこに行ってたの…?」智は私の話を無視して身を翻し、廊下を駆け出した。
「待って!智!」
私は慌てて教室から廊下に出る。しかし、智は私の叫びを無視しし続け、廊下を疾走する。
私は必死にその後を追いかける。しかし、早すぎて追いつけない。
もう走れずに息を切らしていると、智が立ち止まった。そして、振り返ると私を見つめた。その目には哀しみの色が浮かんでいた。
長い時間、時が過ぎた気がした。私は動くことができなかった。
智はそっと一番近い窓を開けた。それから、足を窓枠に掛け、身を乗り出した。そして、私の方をもう一度見る。 「智っ!!」
智は、空へ飛び出した。 私は必死で掴もうとした。しかし、
「智っ!!!」
虚しく宙を掴んだだけだった。そして、そのまま――――重力に逆らわず智は落下していった。
「智―――――っ!!!」
私はこの後すぐ下に駆け降り、救急車と警察を呼んだ。しばらくしてサイレンが虚しく空に響き渡った。
私は智が運ばれていくのを茫然と眺めているしかなった。
この後私は警察に事情を聞かれた。あまりよく覚えていない。
何がなんだか分からなくなっていた。なんで行方不明だった智が突然学校に現れたのか。なぜ、あの紙切れが私のポケットに入っていたのか。あの男の子は誰なのか。なぜ智は……死んでしまったのか……。
いろいろなものがぐちゃぐちゃになって、私に押し寄せた。
もう、どうしていいか分からなくなっていた。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡
夜が深まっていく中、私はある場所にいた。
「ねえ、渡里さん」
私は、この声の主を睨んでいた。
「そんなに睨まなくったっていいんじゃない?」
「なんで?」
私は冷たく言い放った。
「だって、クラスメートなんだし」
「それが何の理由になるの?吉沢くん」
――――吉沢。
そう、この男の名は吉沢だった。
時は1時間ほど前に遡る――――――。
ザアザア。
風が強く吹き付ける。今の私の心とは正反対だ。
もう何も考えたくなかった。
私は家に向かって歩き続けた。
……呼んでる。
風が呼んでいる気がした。私は呼ばれている方を見た。
「……………も……?」
呟いた。
私は走った。あるものを目指して。
走っても縮まらない距離。違うと分かっていても走り続けてしまう哀しさ。
だけど、少しでも希望があるなら。たとえ、ありえないことだと知っていても。距離が縮まっていく。
…あと少し。
私は手を伸ばした。そして掴もうと………、
「えっ…」
擦り抜けた。
そしてあるものは霧散した。
「と………も…………?」私はその場にへたりこんだ。涙が溢れ出た。
分かっていた。そんなわけないって。だけど、信じたかった。信じたくなかったから。もういないって。
信じたくなかったから、追いかけた。それが、本当だって思いたかったから。
微かな希望に縋りついてでも、生きてるって、思いたかった。
私は土を握りしめた。涙が土に滲む。
涙が止まらなかった。
……………?
足音がする。誰…?
私は顔を上げた。
……あの男の子だった。
「渡里さん」
私は男の子を見つめた。
「君っておもしろいね」
「え……」
言われた意味が分からなかった。
「まさかこんなに簡単に引っ掛かるとはね」
「…何を言ってるの?」
「堀内智が死んだのわかってたんでしょ?なのに追いかけてくるとはね。ま、こっちにとっては都合がよかったけどね。疑わなかったの?」
「あなた、誰?」
「やっぱり忘れてるんだ。寂しいな」
「私、あなたに会った記憶なんてないんだけど。だいたいさっきから、何を意味が分からないことばっかり言ってるの?」
「会った記憶がない、か。毎日のようにあってたんだけどな。ま、しょうがないか。そうなるようにしたんだから」
「質問に答えてよ」
「だから、君は僕に会ったことがある。そして、さっきの堀内智は僕が視せた幻だ」
「会ったことがある…?幻…?」
「そうだよ。会ったことがあるに決まってるじゃないか。クラスメートなんだから」
「クラスメート…?」
「そうだよ。覚えてない?堀内智が君に言ったことを。みんなは忘れている。だけど、自分は吉沢を覚えているって」
「……まさか?」
「そのまさか。僕は吉沢だよ」
「ホントに…?」
「そうだよ。信じられないんだったら、戻してあげるよ」
「え……?」
その瞬間、なにかが流れ込んできた。気持ち悪かった。
「気持ち悪い……」
「いっきに戻しすぎたかな?じゃ、ちょっと減らしてと…。どう?」
なにかが抜けていくのが分かった。気持ち悪いのが楽になった。と、同時に頭の中で映像が走りぬけた。多くの映像だった。誰かのアルバムをパラパラとめくっているような感覚だった。その映像の中には、必ず男の子がいた。
「大丈夫そうだね。じゃ、全部戻すよ」
何かがまた、流れ込んでくる。だけど、今度は平気だった。
頭の中に流れていた映像が動き出した。声も聞こえるようになる。
……思い出した。
この映像が本物ならこの男の子は確かに吉沢くんだ。
「思い出した?」
「うん。吉沢くん。これが本当なら、あなたは吉沢くんだよ。私、確かに吉沢くんて呼んでた」
「これは本当だよ?堀内智と違って。あれは僕が視せた幻だから」
「さっきからそう言ってるけど、どういうこと?」
「言ってるままだよ。あれは幻だ。君にここに来てもらうためのね」
私は吉沢くんを睨んだ。
これが1時間前から今までの出来事だった。
「なんで私をここに来させる必要があったの?どうしてよりにもよって智の幻を視せたの?あなたは一体誰?」
「あなたは一体誰って、僕は吉沢だよ?」
「そういうことを聞いてるんじゃないの。わかってるでしょ?」
「まあね。だけどそんなこと聞いてどうするの?……ま、いっか。教えてあげる。僕はただの人間だよ」
「…本当に?」
「信用ないな。本当だよ」
「……じゃあ、なんで私をここに来させたの?」
「ここ、どこか知ってる?」
「質問に答えてよ」
「答えるよ。だからここがどこだか知ってるか聞いてるんだよ」
「…知らない」
「だろうね。ここは゛隙間″だよ」
「゛隙間゛…?なに、それ…?」
「ここを見せたくて君を呼んだんだ」
「意味なんて分からなくていいんだよ」
「……」
「明日はきっとおもしろいことがあるよ」
「え……」
「また、明日」
吉沢は消えた。
私は呆然と佇むしかなかった。
‡∽∽∽¢∽∽¢∽∽∽‡「おはよっ。由榎」
「おはよう。柚菜」
昨日吉沢が言ってたおもしろいことってなんだろう。嫌な予感がするけれど…。
「由榎、元気ないね。どうかした?」
「ううん。柚菜こそ楽しそうだね。何かいいことあった?」
「うんっ。まあね。……由榎聞いた?堀内くんのこと」
「…うん。聞いたよ」
「自殺したんだってね。どうして自殺なんかしたのかな…」
「わからない…」
「ごめんね。こんな話して…。辛いよね。こんな話。とくに由榎は。幼なじみなんだから」
「うん…」
この話は今の私には重かった…。
教室。
入った瞬間、智のことが聞こえてきた。気がさらに重くなった。
今日はずっとこの調子なのか…。
キーンコーンカーンコーン。
いつもより早くチャイムが鳴り響いた。
教室は静まりかえった。
さらにチャイムは鳴り響く。だんだん速くなっていく。
「なに…?これ」
誰かがそう言ったのが微かに聞こえてきた。
次の瞬間、視界が揺れた。立っていられなくなった。悲鳴が耳に入ってくる。しかし、それはチャイムに掻き消され、小さくにしか聞こえない。
目を開けているのもつらくなるほどの揺れ。
どこからか、冷たい空気が流れてくる。私はあのことを思い出す。
私はそっと目を開ける。視界が白かった。誰かの叫ぶ声が聞こえる。『霧』だと…。
辺りはもう、それに包まれていた。そして何も見えなくなる。
そこで、私は意識を失った。
目を開けると辺りは暗闇だった。
『霧』に消されたはずなのに生きてる…。なんでだろう……。
周りを見渡してみるが、誰もいない。いたとしても、この深すぎる暗闇のなかでは見えないだろう。
私はなんとか立ち上がった。
「渡里さん」
嫌な声がした。無視したかった。
「渡里さん。聞こえてるでしょ?」
「なに?吉沢」
私はいらつきながら言った。
「ひどいな。呼び捨て?」
「……。あんたが言ってたおもしろいことってこれ?」
「そう、これだよ。おもしろかったでしょ?」
「ぜんぜんおもしろくな……」
後ろから、衝撃があった。私は耐え切れず前に倒れた。
「いっ…た。なに…?」
「大丈夫?渡里さん。先生は感づいてたみたいだよ。『霧』のこと…。だけど忘れてもらった」
「え……?」
頬に衝撃が走った。
「…っ」
「どうしたの?」
「あんたがやってるの?これ…」
「やってないよ」
「じゃあ今までの『霧』は…?」
「あれは、たぶん自然に発生したのが多いんじゃない?中には、故意もあっただろうけど。少なくとも、僕じゃない」
今度は腕に衝撃が走った。
「………っ。ねえっ!誰がやってるのかしってるんでしょっ!?」
「誰がやってるんだろうね?」
別の声がした。
その瞬間、肩に衝撃が走った。
顔を上げると吉沢は消えていた。後ろから声がする。
「誰だと思う?由榎」
声を発することができなかった。
「聞いてる?ねえ、答えてよ。由榎」
足に衝撃が走った。
私は恐る恐る後ろを振り向いた。私は言葉を失った。信じたくなかった。嘘だと思いたかった。だけど、そこにいたのは、
「……柚菜」
「なに?由榎」
頭が混乱し始めた。
「……どうして?」
涙が溢れ出てきた。
「簡単だよ。あんたが嫌いだから」
心に鉛が入ったみたいに重くなった。
「なんで…?」
「私の大好きな堀内くんに近付くから」
「柚菜、まさか…智のこと好きだったの…?」
「気安く堀内くんのこと智って呼ばないで。…そう。私はずっと堀内くんのことが好きだった。だから、あんたが憎くてたまらなかった。最初からあんたのことなんて嫌いだった」
もう何も言えなくなった。涙が流れ続ける。
「だから、アレを見つけたときはうれしかった」
「あ……れ…?」
「そう。"隙間″にある"カケラ"。それは世界の一部。それは、力を貸してくれる…。私はそれを使って、『霧』を発生させた。すべては、あんたを苦しめるため。あの幻も…」
「ま……ぼろ、し…?」
「そう、幻。視たでしょ?どうだった?家族が目の前で食い殺されるのは。それとも、堀内くんが目の前で死ぬ方が堪えられなかった?」
「智、が…死んだ……のもまぼ…ろしな、の……?」
「当たり前じやない。私が堀内くん殺すわけないじゃない」
「じゃあ……生きてる、の……?」
「生きてるよ」
「吉沢は…?」
「吉沢?あれは、幻だよ。本物には消えてもらった」
「だったら、智は…どこにいるの……?」
「堀内くんはずっと私と一緒にいるの。ずーっと、ずっーとね。これからずっと……。だから、あんたには死んでもらうの」
柚菜は満面の笑みで言う。
「この日をずっと待ってた。だから、おとなしく死んでね?」
柚菜が少しずつ近づいてくる。その手にはいつの間にかナイフが握られていた。そのナイフを柚菜は振り上げる。
「バイバイ。由榎」
振り上げている手が容赦なく振り下ろされる。
思わず目をつぶる。
「……………っ」
地面に倒れた。だんだん意識が薄くなっていく。
最期に見えたのは、柚菜の勝ち誇ったような笑顔だった。
「人間は弱いわね。ちょっとしたことですぐに壊れる。だから、おもしろいのだけど」
少女は呟く。
そして、昔を懐かしむ。
また、新たなものを探しに―――
「またね」
旅だっていく――――― |