飲み込めた言葉とうろたえるアストラ様、お礼を約束する私
「アストラ様、オクリース様。すぐ終わらせますので」
「アストラとオクリース、男二人は黙って大人しく座ってな」
アクティさんが顎でさしたのは、店の中央にあるレトロなスツールだった。あれは売り物じゃなくて、腰休めのためだったのか。少し残念だ。
女性ならともかく。大方の男性にとって、日常雑貨にこだわる買物は至極つまらない時間だろう。付添いの男性を疲れさせない配慮なのかな。貴族の紳士ならともかく、普通のデートならありがたいと、女ながらに思った。私はデートじゃないけれど。
「あんた、また。妙な視点で見てるだろ」
「失礼しました。商売の色もですが、隅々に、お客さんに対する気持ちが込められてるなって」
とは言えど。私の場合、純粋なる付き合いで来て頂いている身だ。お二方ご自分の身の回り品や、贈物ならまだしも。
早く住居に赴き、仕事に戻りたいに違いない。
私は優柔不断なので、買物には時間がかかる方だ。でも、今回ばかりは即決で購入しよう。最低限のものだけ入手して、明日以降にでも一人で来店すればよいのだ。
「ヴィッテ。身の回りが落ち着いたら、一緒に飲もう。酒はいけるかい?」
「はい、強くはありませんが、飲むのは好きです」
「それは酒豪の決まり文句だねぇ」
アクティさんの豪快な笑い声が店内に響いた。間近であげられた声に、一瞬びくりと体が跳ねてしまった。が、とても素敵だと思った。
母も父もお酒には強い体質だった。けれど姉は弱かったため、私が両親の晩酌に付き合っていた。あまり社交的でない私だけれど。親友が気遣って連れ出してくれた、茶会という名のお酒の会でも「顔色が変わらなくて可愛げない」と言われていたので、おそらく弱くはないだろう。
「店長! うるさいっすよ!」
「すまん、すまん」
懐かしい思い出に浸りかかったところに、二階からどすのきいた低いお叱りが聞こえてきた。再度、肩が竦む。当のアクティさんは、からっからと、さらに大きな声で返していた。
みっ耳が痛い。くらっとした頭を押さえてしまう。
たちくらんだ私を笑ったアクティさん。親指が、天井を指した。
「二階は旅関連の用品を扱っててね。弟が管理してんだ。そんなこたぁどーでもいいか。ほら、ヴィッテ。新生活を始めるなら、このセットがお勧めだよ」
「わぁ、すごい! テーマごとに一式用意されてます。これなら、迷って少なく買うよりも、他に思考がまわりますね!」
差し出された軽冊子には、テーマごとの家具や日常雑貨が載っている。もちろん、後ろの方には、個別に購入したい方のための頁もある。
見てるだけでわくわくする!
「これって、店内閲覧限定ですか?」
「そうだね。持って帰ってどうするんだい?」
「これだけ魅力的な作りなら、家でじっくり見て、また飾りなども追加で買いたくなるかなって。特に、私、今とにかく基本的なものだけ買ってお店を出なきゃいけない身ですし。そっか。残念です。他店に品揃えを知られちゃうのもありますもんね」
めくって、また戻って。自分の部屋で、飾り付けを想像しながら考えられたら楽しいかなって。
眺めているだけで楽しくて、つま先でリズムをとってしまう。とんとんとーんと、ブーツと木の床が鳴らす音に、鼻歌まで出てきちゃって。父様の書斎で、商品の写真や材質説明書なんかを読んでいるうちについた癖。
目を瞑ると、瞼の裏にフィオーレの街をうつした部屋が浮かび上がってくる。
「ふーん。ほんとにさ、色々聞かせてくれ。あんたの考え」
「あっ、いえ! 私は、あまり新しい発想は得意ではなくて、思いついたことをぽんぽん言ってしまっているだけで。姉の方が――」
また。出た姉の亡霊。
けれど、どうしてか、続くはずだった卑下の言葉はあっさりと飲み込めた。
商品を選ぶのに悩む振りをして、口元に指を寄せる。動揺が表面に出てないといい。
行為は、姉について述べてしまったことを後悔したのと……それ以上に、途中で止められたのに対する驚きからだった。姉関連は、初めてと表現しても良いかも、だ。
どきどきする。とっとと、跳ねる鼓動は、アクティさんに先を促されたら際の反応を考えるのに焦っているというよりも。どこか、新しい出会いへのわくわくに似ていた。
つい、つま先を高い音で鳴らしてしまった。
「可愛くて楽しそうなヴィッテを見ていると、俺まで幸せになるな」
「ヴィッテの場合、自分の中で完結している世界を外に出せるようになれば、かなりの武器になると思いますよ」
聞こえた笑いに半分だけ振り向くと、アストラ様が口に手を当て、肩を揺らしていた。隣に座るオクリース様は、わずかにわかるくらいにだけ瞳を細めている。
お二人の笑みに釣られるように、ほろっと目元が綻んだ。花の香りを嗅いだ時みたいに、自分にしかわからないような微笑。
心なしか、お腹が痛む。嬉しいのに、上手に笑えない。早々にカウンターに向き直り、ぎゅっと唇を結んだ。
「すっかり自分の世界に入ってました。えと、私、ちょっとアンティーク調でブラウンを基調としたのが好きで」
私の正面にいらっしゃるアクティさんには、全てお見通しだったと思う。
苦々しい表情も、とってつけたような相談も。
けれど、アクティさんはからっとした調子で「なら、これだね」と手元の冊子を奪っていった。カウンター下から取り出された新しい冊子が、こつんと額に触れた。痛くはなかったけれど、反射で目を閉じてしまう。
よっぽど面白い顔だったようで、アクティさんからはまた笑いが飛び出した。二階から、しかし今度は呆れたような注意が落とされた。
「おい、アクティ! ヴィッテはお前と違って柔肌なんだぞ! 乱暴にするな」
「あー、やだやだ。ヴィッテ、気をつけな。ちょっと顔が良いからって、あぁやってエロ親父思考な言葉を、人目憚らず口にする男にはね」
「アストラ、ヴィッテの年齢から言って、せめて瑞々しいに留めておくべきですね」
いや、オクリース様。瑞々しいのが一般論ではあるかと思いますが、印象的には大差ないのではありませんか? 私はどちらもお世辞ですねとありがたく心の中で感謝を述べるに留まりますが。そうか、ここがいわゆる頬染めポイントというやつなのか。
そんな可愛くない言い訳を内心でしないといけないくらい、耐性がない自分が恨めしい。
「俺をなんだと思っているのだ、二人とも。いくら非難を受けようとも、ヴィッテが柔肌で可愛いのは覆らないからな」
「ちょっとどころかだいぶ。私にはアストラ様が拗ねながら胸を張られているお言葉に同意しかねます」
アクティさんから攻撃を受け、オクリース様からフォローでないフォローを貰い。アストラ様はスツールを鳴らして立ち上がった。
あまりの恥ずかしい宣言に、傍観を決め込んだはずの私も、若干身を引いてしまった。
「うっ裏などないぞ! さっき触れた率直な感想だ!」
「もっとやばいよ、あんた」
追撃に、喉を詰まらせたアストラ様。あまりに愉快なポーズで固まったアストラ様に、笑いを零した。きっと、貴方と気軽に会話を交わせるのは、あと少しの時間だろうから。どうぞ、許してくださいとの色を混ぜて。
身のこなしや屋敷、それに馬車にあった家紋から身分のある方なのは、嫌と言うほど伝わってくる。いくら身元保証人とはいえ、本来は「良い天気ですね」などと挨拶をかけられる人ではないのだろう。
必死で笑い声があがるのは耐えたのだけれど。余計にアストラ様を刺激してしまったらしい。アストラ様は反対側に体を向けて座ってしまった。
「ヴィッテも、不快ならばしっと拒否しておきな」
「大丈夫です。アストラ様の声で言われると、たいして不快、深い意味には取れませんので」
「……当人が言うなら、他人が口出すことじゃないけどさ。まぁ、気をつけな」
あぁ。どうして、フィオーレの街はこんなに優しいのか。一人で生きていくと決心したというのに、これでもかという程に甘い。
いやいや。幸福と不幸は半々というのが持論だ。とはいえ、それは母様が亡くなられてから自分を慰めるために掲げてきた言葉だから。可能ならば、どうかこのままであって欲しい。
それは、甘やかしてくださる方々というのではなくて、人の好意を前向きに捉えられる自分であれますようにという願い。感謝の気持ちを、前向きに抱けるようになるんだっていう決意。
「じゃあ、夕刻にはあんたの家に搬入できるよう進めるよ」
「ありがとうございます。タオルなども含め、品数も少なくはないのに……」
「気にしなさんな。ちょうど繁忙期も過ぎたところだったからね。逆に助かるよ。じゃあ、ここに住所記入してくれるかい?」
差し出された用紙を受け取ったのは、アストラ様だった。いつの間に傍へ来ていたのだろうか。私の代わりに、さらさらと住所を記入していく。
私は横から覗き込んで覚えるのが精一杯だ。
って、お会計である。定型分の購入だからだろう。見積書はさっと出てきた。王都の物価の詳細はまだ把握出来ていないけれど、かなり値引いてくれているのが私にもわかった。
アクティさんは「新生活祝いと、ご贔屓さん狙い」と片目を瞑ってくれた。
「ふーん。かなり治安が良い地域を選んだねぇ。しかも、中央通りに程よく近いし、特権――魔術騎士団の縄張りときたもんだ。アストラもオクリースも、存外、過保護なんさね」
「たまたま、その物件が空いていたのですよ」
「へぇ。縄張りなんてあるんですね」
アクティさんが言いなおしたことから、特権騎士団というのは通常の名称ではないのだろう。シーナさんもアストラ様も口にされていたので、たいして気にはとめていなかったのだけれど。
まぁ、そりゃそうか。魔術師団に加え、騎士団もある。さらに騎士団が設けられているということは、つまり、騎士団と呼ばれる組織とは異なる役目を持つのだろう。
何が特権なのかとは思っていたが、理解出来た。あくまでも予想だが、特権というよりも万能という単語が当てはまる気がする。魔術に特化し、なおかつ騎士の腕をもつ人の集団。
「まっ、庶民にとっちゃ、しっかり仕事してくれりゃ何でもいいんだけどねぇ」
「それもそうですね。実際、雑用騎士団などと称されていますし」
オクリース様が苦笑交じりに髪を撫でてきた。
ヴィッテ、本能で確信しました。今のは、深く突っ込むな、考えるなという合図ですね。答え合わせの意味を込めて、ちらりと上目で伺うと。正解ですよと言わんばかりに、にこりと音を立てて微笑まれた。こここ、怖い! 微笑が怖い!! 細められた瞳の奥に、魔法陣を見た気がしたよ。
がたぶると震える私の髪をもう一度撫で付けたオクリース様。アストラ様が「ずるい!」と割り込んできてくださったので、冷気は去った。
てか、小動物扱いだ。完全に。
「ほいさ。この用紙は品を引きかえる際に必要になるからね。大事に持っておきな」
アクティさんから、支払証明書が手渡された。
大きな支払を自分の手でした証明に、手が震えた。支払の銀貨は、父様や母様が残してくれたものだけれど。今度は自分で稼いだお金でだと、いいな。そうだ。ガラス細工のペアのコップは、その記念に購入しよう。目標が出来た!
「それじゃあ、ヴィッテ。住居に案内するよ」
ガマグチ財布とお揃いの、ガマグチポーチの金具がぱちんと鳴ったところで。アストラ様に手を取られた。
慌ててアクティさんに会釈をする。アクティさんは、さして気を悪くした様子もなく、ひらっと手を振っただけで、奥の部屋に引っ込んでいった。
というか。店の横に停められている馬車に行くだけで、手を引いてくださらなくとも。
「よろしく、お願いします。アクティさんのお店から道順がわかればありがたいです」
「心配には及ばんよ。この目の前の大通りを下ると、大きな噴水広場がある。広場を左に向かって進めば、ヴィッテの住居近くの道がある。あぁ、噴水前の菓子屋にヴィッテの食べたいも――」
「アストラ、承知しているかとは思いますが。案内が終われば、即刻執務に戻って頂きますからね」
馬車に乗り込んで早々、オクリース様が釘を刺した。私の隣に座したアストラ様は、面倒臭そうに「わかってる」と手を振った。アストラ様は見えていないのだろうか。オクリース様の冷笑が。
漆黒の君とは容姿や服装からの二つ名ではないと思う。オクリース様が放つオーラからで間違いないだろう。うん。
そういえば、行き倒れる前に握り締めていたはずの食べたいものリストはどこで無くしてしまったのか。また書けばいいけど。
「お二人にお付き合い頂き、申し訳ございません。その、お礼など、出来ることがあれば良いのですが」
「そうか! ならば、ぜひ、新居でヴィッテの手料理にあずかりたいな! 身のまわりが落ち着いてからでも良い」
ぱっと。お日様の笑みを浮かべたアストラ様が、私側の壁に片手をついた。こっこれは、若干、追い詰められてる感じが。覆いかぶさるような体勢に、身が縮む。嫌ではない。ただ、心臓に悪いだけで。
眩しい笑顔を上に、私は精一杯の笑みを返した。たぶん、ていうか、絶対、緊張で引きつってるけど。
「て、料理ですか? えと。シーナさんのような素晴らしい料理はご用意出来ませんが。その、家庭料理かつ大雑把でよければ、ぜひ、心を込めて」
「うむ、約束だぞ!」
「その際は、オクリース様も、どうぞご一緒に」
鋭い視線でアストラ様を射抜いていたオクリース様。アストラ様の眩しさに負けて、助けを求めるように顔を向き直る。
と、意外にも瞬きをしたオクリース様だったが。へらりと笑いかけると、蕩けるような微笑を返してくださった。
ぐあぁ。心臓が! 止まる!
そんな蜂蜜のような微笑も、私の「まぶしい!」という呟きで、氷の笑みに変わってしまったのです。はい、すいません。