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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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カーッ! 血も涙もないとはこのことだな!!

「はぁ……」

 紫苑が目覚めた翌日、未だそのことを知らない百合は憂鬱な気分で山道を歩いていた。
 ここは醍醐栞との因縁を清算した地であり、醍醐紗織が死んだ場所。
 もう二度とここに来るまいと思っていたのだが……。
 友人であるカニの呼び出しがあったのだ。
 彼女には聞きたいこともあったし、
この誘いは渡りに船と飛び付きはしたがいざ山に入るとどうにもテンションが下がってしまう。

「――――来たか」

 栞と相対したあの梅の木がある場所でカニは待っていた。
 真っ赤なコートに真っ赤なマフラー、どれだけ赤が好きなのだろうか。
 ひょっとして日曜の朝七時半にやってる特撮リスペクト?

「来ましたよ。というかその目に痛い格好は何ですか?」
「そういうお前も赤は好きだろ?」

 梅の木に背を預けたままカラカラと笑うカニ。
 紫苑が居たならば気障なことしてんじゃねえよと吐き捨てていただろう。

「嫌いじゃありませんが……」
「まあ良いさ。それより久しぶりだな百合」
「何が久しぶりですか……動画を見て、何度も何度もメールしたのに無視して……!」

 怒りはある、しかしそれよりも先に聞くべきことがある。
 あの日、あの場所で一体紫苑に何があったのかだ。

「一体京都で何があったんですか? 紫苑さんの身に何が起こったんです?」
「まあ落ち着けよ。そりゃ私にも正確なとこは分からん。だが、お前に言えることもある」
「……何です?」
「春風紫苑は目覚めたぞ。つい昨日な」
「! ほ、本当ですか!? う、うう嘘じゃないですよね!?」
「ああ。京都から大阪に戻ってしばらくはやばかったらしいが、仲間の活躍で目覚められたそうだ」

 その言葉を聞いた瞬間、百合の中でずっと張り詰めていた糸が切れた。
 和らぐ表情、零れ出す涙。
 紫苑の見舞いに行くことも出来ない彼女は誰よりも不安に苛まれていたのだ。

「ちなみに今はリハビリ中で、来月には完全に退院出来るかも――だそうだ」
「そう、ですか……良かった、良かったぁ……」

 泣き笑いの顔のまま良かった良かったと繰り返す百合をカニは優しく見つめていた。
 葛西二葉はどうしようもない外道ではあるが、友情がないわけではないのだ。

「ぐす……良い報告を聞けました、本当にありがとうございます」
「いや何、気にするな」
「そうですか……ところでカニ」
「ん?」

 先ほどまでの柔らかな顔から一転、今の百合は底冷えするような顔になっている。
 思い当たる節は――――あった。
 カニはあの件のことかと苦笑を漏らす。

「何、キス、して、るんですか?」

 カニの首筋に細い糸が巻き付く、返答次第ではここで首を刈るつもりなのだろう。

「――――テンション上がってノリでやった」

 それ以外に特に理由は無い、カニはスパッと言い切った。
 実際、百合のように恋慕を抱いているわけでもないしアレは完全なノリだったのだ。

「……本当でしょうね?」
「嘘を吐いてもしゃあないだろ。しかし焦ったぞ、ノリでキスした直後だったからな」
「私も一瞬、あなたが毒を仕込んだのかと思いましたよ」
「むしろ私はそっち関係でお前がキレてると思ってたんだがな。状況だけ見りゃ疑わしいのは私だろ?」

 冗談めかしてそんなことを口にするカニ。
 実際百合も初見ではその考えがよぎった。しかし、それをする理由が無いのだ。

「あの場で毒を仕込む理由がありますか?」

 勝ちのためならそれぐらいするだろう。
 しかしあの場でカニが望んでいた勝利は鬼からもぎ取るものであり紫苑からではない。

「成るほど……まあ、道理だわな」
「でしょう? それよりカニ、春風さんの無事を知らせるためにわざわざここへ?」
「いいや、それだけじゃない。なあ百合、私が春風紫苑を気にしてるのは知ってるだろ?」
「ええ。あなた本人にもその理由が分からないと言ってましたが……」

 何故いきなりそんな話を? 怪訝な顔をする百合だが、カニは気にしていない。
 これはあくまで義理を果たすための会話であり、リアクションはどうでも良いのだ。

「その理由がようやく分かった――――私は春風紫苑に勝ちたい」

 瞬間、場の空気が一気に零下まで落ち込む。
 何せカニが口にしたのは明確な敵対宣言なのだから。

「……何故、ですか?」

 友と決別し殺し合うこと自体に感傷を抱いているわけではない。
 黒姫百合にとっての至高は春風紫苑だけ。
 ゆえにこの場でカニと決裂したところで何の問題も無いのだ。
 しかし、疑問があるのは確かだった。
 勝ちたいというのならば何故もっと早く気付かなかったのか。

「京都での戦いでな、分かったのさ。春風紫苑、アレは私と同類だ」
「――――は?」

 それは疑問の"は?" ではない。ヤンキー的な意味での"は?" だ。
 お前のような怪奇外道キャンサーと紫苑が同類?
 余り舐めたこと言ってんじゃねえぞダボが! と百合は言いたいのだ。

「まあ聞け。そりゃベクトルは違うさ。私は勝利、あれは他者を救うために、だ」
「それは……」

 分からないでもない。
 自分のこと以上に他人のために身を削る姿を知っているからこそ、否定は出来ない。

「今でもかなり手段を選んじゃいないが、それでもあくまで自分限定だ。
自分を捨てて他者を救おうとしている程度だ。けどな、違うだろそれ。
まだあるだろもっと先が。百万のために十万の命を効率良く磨り潰せる人間なんだよアイツは。
狂気的なまでに他者の幸せを願っているがゆえに、
どうしようもない状況になれば少数を上手に切り捨てて多数を救えるんだよ。
切り捨てる側にはどんなことだって出来る、そうやって災禍を叩き潰せる人間なんだ」

 他者を救いたいのに他者を切り捨てることが出来る。
 それは酷い自己矛盾だが、人の性でもある。

「そりゃ今のままじゃ無理だよ。強烈に自己を律しているからな。
百万と十万の秤を今差し出したところで奴は選べないだろうよ。
だが、その強烈に縛り付けているものを外してやれば……なあ、面白いと思わないか?」
「……何が面白いんですか?」

 カニは自分が言っていることを理解しているのか。
 効率良く何の逡巡も葛藤もなく大のために小を切り捨てる、それはただのマシーンだ。
 人を救うための機械、それは個としての幸せを捨て去るに等しい。
 想像するだけでぞっとする。今のままが一番なのだ。
 救えなくて傷付いてでも、それでも何とか乗り越えて生きていく……。
 そうやって生きていくことも辛いだろうが、マシーンになるよりかはマシだ。
 少なくとも前者ならば幸せがあるかもしれないのだから。

「だってそうだろう? 考えてもみろよ。
本当の意味で何の躊躇いもなく何でも利用出来て何でも切り捨てられる人間は少ない。
表面上は出来ていたとしても心の何処かで罪悪感を抱いちまう。
それは瑕であり、付け入る隙になる。ぶっちゃけて言うなら二流だ。
単純に罪悪感を抱かない人間も居るには居るが、
どうしても勝負して勝ちたいって思えるほど能力が伴っているとは限らない」

 単純に何でも切り捨てられる人間と戦いたいわけではないのだ。

「私が惹かれるのは春風紫苑のみだ、あれはあり得たかもしれない私なんだよ。
それを証明するようにまったく同じ理論を提唱してやがるからなぁ。
なあ、自分に勝つって素敵だと思わないか?
私はそれにどうしようもなく惹かれる。私は春風紫苑をもう一人の私とみなしているんだ」

 だからこそ勝負したい、何て勝手な言い分だろうか。
 紫苑からすればたまったものではない。
 「お前はもう一人の私だ」意味が分からない、電波か?
 とは言えカニは自分の考えを曲げることはないだろう。
 何処までも主観で生きている彼女だ、共感なんぞ求めていない。
 葛西二葉は自分がこうだと決めたのならば他者の干渉なんか跳ね除けて本懐を果たす人間だ。
 それは百合にもよーく分かっている。
 論理的な反論で紫苑をカニのターゲットから外すことは不可能だ。

「本当にどうしようもない女ですねあなたは」
「自覚しているが改める気はない。まあアレだよ」

 ほんの少し寂しそうに、だがそれ以上の歓喜を以ってカニは宣言する。

「――――二千万ロリーズは解散ってことでよろしく」
「アホですかあなたは――――とっくに解散済みですよそのアホみたいなタッグは」

 言うやカニが背を預けていた木が細切れになる。
 無論のことそれは百合の攻撃で、
カニをも千の肉片に変えてやるつもりの一撃だったのだが……。

「流石に、手の内は知り尽くされていますか」

 カニには傷一つ付けられなかった。
 糸に触れないように上手く掻い潜って回避したのだ。

「謙遜するなよ。お前が私の総てを知らんように私もお前の総てを知ってるわけじゃあない」
「同性なのに何だか気持ちの悪い物言いですね」
「昔から思ってたがお前って結構口悪いよな……しかし、今の攻撃は何だ?」

 分かっていながらも敢えて口にするのは、最後に友としての会話をしたいからかもしれない。
 だがそれは決して名残惜しいからではない。ちょっとした余興のようなものだ。

「何、とは?」
「手を抜いていたとは言わんが殺気が乗ってなかったぞ。ええおい?」
「そういうあなたこそこんな場所に呼び出しといて何ですか?
罠の一つもないじゃないですか。勝つためなら何でもするという信念はゴミ箱にでも捨てました?」

 百合もまた余興に乗っかって分かっていることを敢えて口にする。
 互いに知っているのだ。
 どうして攻撃に殺気が乗っていなかったか、どうして罠の一つも無いのか。
 考えるまでもなく分かる。伊達に長く付き合ってはいないのだ。

「先に問うたのは私だ、そっちから答えろよ」
「あなたに殺す気がなかったから、そして私一人では勝率が低いと判断したからです。
ねえカニ、あなたは私を駒にしたいのでしょう?」

 駒といってもカニの駒というわけではない。彼女は百合を紫苑の駒にしたいのだ。

「春風さんとの全霊を尽くした勝負、単独でも強いあなたと違って彼は単独では弱い。
だからこそ、そこそこ使える駒が必要。そして私はそこそこ使える駒。
私を春風さんに使わせたいのでしょう? ええ、そりゃ喜んで駒にでも何でもなりますよ。
あの人を護るためならば何もかもを捨てられます。
ただね、覚えておきなさいカニ。何もかもがあなたの思い通りにいくわけじゃありませんよ」

 カニは紫苑から余計なものを削ぎ落としてやると言った。
 しかし百合はそんなことをさせるつもりはない。
 想い人を無明の道になんて行かせない、そんな道に堕ちるのは自分だけで良い。
 復讐のために無明の道を歩いて来た彼女だからこそ、光差す道の尊さを知っている。
 そして紫苑にはそこを真っ直ぐ歩いて欲しいと心の底から願っている。

「ああ、覚えておくよ」

 不敵な笑みは微塵も崩れない。カニはこの状況を楽しんでいるようだ。

「それより、次はあなたが答えてくださいよ」
「今お前が言った通りさ。指し手の居ない駒を潰してどうするってんだ?」

 今確認し合ったことは彼女らが互いに予想していたことと寸分も違わなかった。
 カニは駒を消すのが惜しいから仕掛けず。
 百合はその意図を理解していて単独では勝率が低いと判断したから殺気を乗せなかった。

「さて、まあこれで別れの挨拶も済んだな」
「そうですね。お互いの――あったかどうかも怪しい友情はゴミ箱にいきました」
「クク……ゴミ箱行きかよ」

 思い返せば随分と長い付き合いになった。
 あの日、アンダーグラウンドで出会ってタッグを組んだのが始まり。
 そこから何となく付き合い続けて今日の別れまで続いた。
 こんなにも長い時間誰かと縁を持ったのは初めてだった。
 だからこそカニは最後のお節介を焼くことに。

「最後に一つ、なあオイ。墓穴に眠ってる昔のお前を出してやった方が良いんじゃないか?
私にゃ色恋なんてものは分からんが、
本当の自分で接した方が負い目も消えるし、相手だって喜んでくれると思うぞ」

 もし百合が正体を明かせば一瞬で紫苑の恋は冷めてしまうだろう。
 なのでカニの言ってることは見当違いである。

「余計なお世話ですよ」
「そうかい……そりゃすまんかったな」

 一歩、また一歩、カニは歩を進める。
 そして百合の横を通り過ぎる瞬間、

「――――さようなら紗織」
「――――さようなら二葉」

 同時に別れの言葉を告げる。
 これで完全な決別、次会う時が来るならそれは間違いなく殺し合いの場だろう。

「……ふぅ」

 小さく息を吐き、瞳を閉じる。
 黒姫百合にとってこの山は始まりと終わりを象徴する場所だ。
 数ヶ月前、炎の中で芽生えた復讐心を昇華させ、過去の己を殺し新しい己として第一歩を。
 今日は友情に終わりを告げ、敵対者としての始まりの一歩を進むことになった。

「何ともまあ、因果な場所ですね」

 さてこれからどうするか。
 このまますぐに山を下りて見舞いに行きたいがギルド系列の病院なので入れるかが分からない。
 となると潜入? スニーキングミッション? と、思考が反社会サイドに傾きかけたその時だった。
 ポケットから琴の音色が鳴り響く。

「春風さんから着信!?」

 慌てて確認すると……。
 一月あまりも連絡出来なくて申し訳ない、中間テストは大丈夫だったか?
 そんな内容の謝罪メールだった。

「えーっと……大丈夫です、ニュースを見ましたが身体は大丈夫ですか?
お見舞いに行きたいのですが……大丈夫でしょうか……っと」

 返信メールを送り十分ほど待つと返事が返って来る。
 お見舞いなんて気を遣わなくても大丈夫――紫苑らしい返信だった。
 ただまあ、内心では「来いよ! 些事なんて捨てて俺の見舞いに来いよ!」と思っているだろう、奴ならば。

「――――拒否はされてませんしOKってことですよね?」

 百合は行きとは違い、意気揚々と山を下りて大阪行きの電車に飛び乗った。
 見舞いの品はケーキか、果物か、大阪に着くまでの間に色々と考える。
 最終的には無難に果物と花にすると決め、大阪駅でそれを買って病院に急ぐ。

「……あ、そういえばギルド系列の病院だし、会えるんでしょうか?」

 加えて言うならば病院の住所を何故知っている? となりかねない。
 そこらの言い訳も考えておくべきだ。

「住所についてはネットとかでも流れてましたし、
それを見ていけないと思ったけど居ても立ってもいられず……ということにしましょうか」

 そういう理由ならば紫苑に会えた時も赦してくれるだろう。
 多少叱られはするが好意を無下にするような男ではないから。
 そんなことを考えているが取り越し苦労だ。
 百合に関して言えば喜んで見舞いを受け入れるだろう、あの男ならば。

「あ、あの……すいません」

 受け付けの人間におずおずとした態度で話しかける。
 百合は会わせてくれないと言われた場合はここで泣くつもりだ。
 無論、嘘泣きだが。

「はい、お見舞いでしょうか?」
「そ、そうです……あの、春風紫苑さんの病室は……」

 百合がそう口にすると受け付けのお兄さんの顔が困ったような表情に変わる。
 VIP扱いの紫苑に何処の誰とも知れない人間を合わせるわけにはいかないのだ。
 もし百合がマスコミの関係者とかだった場合、面倒なことになる。
 それ以外でも余り良からぬ団体の人間とかならば……。

「わ、私は春風さんと同じ学校で……あの、ずっと勉強教えてもらってて……」

 今にも泣き出しそうな顔で生徒手帳と携帯を取り出す。

「きょ、今日メールを頂いて……目が覚めたって……私、私……」
「お、お嬢さん? 落ち着いて、落ち着こう? ね?」

 ポロポロと泣き出した少女を前にして慌てふためく受け付けのお兄さん。
 こうなることを分かっていて百合は泣いているのだから性質が悪過ぎる。

「あのぅ、何かあったんです?」
「あ、君は……春風さんの……」
「はい。仲間の桝谷です。何や困ってるなぁ思うて」

 助け舟を出したのは偶然通りかかった麻衣だった。

「ああ、実はね……」

 受け付けのお兄さんは軽く事情を説明して助けを仰いだ。

「成るほどなぁ、うちらと同じ学校の子かぁ。でもよう知ってたなこの病院」
「は、はい……ネットでも情報とか出てて……。
い、いけないことだと思ったんですけど春風さんからのメールを見たら……」
「あはは、居ても立ってもおれへんよなそりゃ。うちにもその気持ち分かるわ」

 これがクラスメイトならばまだ良かった。
 自分達が説明しているから少しは安心出来ただろう。
 だが生徒手帳を見るに彼女は下のクラスで事情にも疎そうだ。
 きっと、ずっと不安だったのだろう。
 そんな時に紫苑からメールが来れば、

「そりゃ病院に来るよなぁ……よしゃ、ほならうちと紫苑くんに会いに行こか」
「い、良いんですか?」
「うん。病室かリハビリやるとこにおる思うから着いて来てや」
「ありがとうございます!」

 こんなに上手くことが運ぶとは思っていなかった百合は内心でほくそ笑む。
 同時にこれが日頃の行いかと清く正しい自分で良かったと確信。
 何処ぞの屑とまったく同じ思考である。

「黒姫ちゃんは紫苑くんとどういう知り合いなん?」
「ある時図書室でぶつかってしまって……それからその、勉強を教えてもらったり……」
「ふふ、そっか。何や少女漫画みたいなシチュエーションやなぁ――っとここが紫苑くんの病室や」

 そう言って扉を開けるが中には誰も居ない。
 どうやら外れだったらしい。ここに居ないとなると、今はリハビリ中なのだろう。

「とりあえず黒姫ちゃんの持ってる果物とかお花はここに置いとこか」
「はい」
「えーっと……あったあった」
「どうしたんですか?」
「ああいや、忘れ物取りに来たんよ」

 麻衣は朝のうちに仲間達と見舞いを済ませて昼食後に病院を出て家に帰ったのだが、
途中で携帯を忘れたことを思い出したので病院に戻って来たのだ。
 そこで百合と偶然出くわし今に至った。

「よし、ほならリハビリの部屋やな」

 再び場所を映し今度はリハビリルームへ。
 扉を開けるとドンピシャリ、紫苑が一人で歩行訓練をしていた。
 彼の顔はかなり知られている、
そのせいで一般のリハビリルームでは落ち着いてリハビリに専念出来ない可能性もある。
 なので現在は紫苑専用に一室、特別にリハビリルームが設けられているのだ。

「麻衣? それに黒姫も……?
(キタ━━━ヽ(´ー`)ノ━━━!! キタ──ヽ('∀')ノ──!! キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)」
『テンションたっけえなオイ』

 キョトンとした顔をしながらも内心では大喜びの紫苑を見てカス蛇が呆れたようにツッコむ。
 確かにこのテンションは少々――いや、かなりウザイ。

「うち携帯忘れてたやん? 取りに戻った時に黒姫ちゃんと会うて連れて来たんよ」
「そうか……黒姫、気を遣わせてしまったな(やっぱり天使や、天使はここにおったんや!)」

 ちょくちょく出て来る紫苑の似非関西弁が鬱陶しいことこの上ない。

「い、いえ……その、お元気そうで何よりです。ネットの動画見て、すっごく心配で……」

 潤んだ瞳を見ているだけで身体の調子が良くなったような錯覚さえ受ける。
 もしも人目が無ければ紫苑はここで百合を抱き締めていただろう。

「(麻衣とかいう邪魔者……)そうか、心配かけてすまない」

 その邪魔者が居なければ百合が病院に入れなかった件について。

「それより紫苑くん、えらい汗かいとるけど……うちら帰った後からずっとここにおったん?」
「(俺と天使に気を遣って出てけよマジで)ああ、他にやることもないしな」

 健常者は健常である時にはその尊さに気付くことが出来ない。
 失って初めてそれを自覚するのだ。
 紫苑もそう、身体が自由に動かないというのは予想以上に辛かった。
 とはいえ早く治ればそれだけ早く戦線に復帰しなければならない。
 なので紫苑はあくまでほどほどに動けるようになるまでしかリハビリは頑張らないつもりだ。

「せやけど、あんま無理したらあかんよ?」

 ポケットから取り出したハンカチで汗を拭う麻衣。
 後ろで百合がヘイトを溜めているのだがそれに気付ける者は誰一人としていない。

「ん……分かってる。だが、歯痒い気持ちも大きくてな。
歩くことも出来ず、箸だって使えない、そんな現状がどうにも厳しい。
鬼を倒せた代償と思えば安いのかもしれないが……まあ、贅沢な悩みだな」
「安いわけないやろ? もうちっと身体を大事にしぃ」

 ムスっとした顔で紫苑の額を軽く小突く。
 何度注意しても自分を安く見る癖は変わらない――麻衣は大きな溜息を吐く。
 まあ、実際紫苑ほど自分を高く見ている男もそうはいないのだが。

「そ、そうですよ……その、ゆっくりしてください!」
「(ふぅ……可愛いのう……)む、すまない」
「謝るだけやのうて、しっかり実践してな?」
「(やかまわしいわ馬鹿)」

 付き合いの長さで言うならば麻衣の方が遥かに長い。
 だというのにこのリアクション、絆の深さに時間なんて関係ないんだね。

『お前は露骨に態度を変えるよな』
「(差別は人間の性だからね、ちかたないね)ところで黒姫、メールでも書いたがテストはどうだった?」
「あ、はい……その、ごめんなさい……。教えてもらったのに順位はあまり変わりませんでした」
「(努力しても報われない百合ちゃん可愛い!)謝るなよ黒姫」

 百合の対応は的確に紫苑のツボを点いていた。

「俺も、勉強手伝うって言ったのに付き合えなくて悪かった」
「い、いえ! 春風さんはもっと大変なことをしてたんですし……」
「(だよねー!? 俺超頑張ったよな!)そうか。そう言ってくれると少しは気も楽になるよ」

 辛いリハビリも、自分より劣る(と思っている)百合が居れば何のその。
 しんどくて萎えかけていた紫苑の心に火が灯る。

「あ、そうだ。麻衣、俺の中間テストってどうなるか聞いてないか?」
「え? 紫苑くんの?」
「ああ、結局受けられなかったし……学校に復帰出来るのも十二月ぐらいだろ?
そうなると期末の時期だし、どうすれば良いのか聞いてないか?」

 テストを受けられなかったのは不可抗力だし、人命救助のために身を張った事実もある。
 そこら辺は学校側も配慮してくれるはず、
そう思ってはいるもののやはり直接言葉にして聞かないと小物は安心出来ないのだ。

「確か免除にするみたいなこと薬師寺先生が言うとった気ぃするわ。
期末も授業受けてないし、何か特別処置ってことになるんやないかな?」
「(ハッキリ聞いとけよ役立たず)そう、か。ちなみに麻衣や他の皆はどうだった?」
「ああ、うちらは受けたよ……でもまあ、なあ?」

 麻衣は成績が特に良いというわけではない。
 大体真ん中辺りで、その時々により少々上下する程度だ。

「うちはちょっと順位下がってたわ。天魔ちゃんもやけどな。
ただ、栞ちゃんとルドルフくんはそれでも学年一桁やったみたいやで」

 紫苑のご機嫌ゲージが急降下する。
 自分が良い成績を取って良い順位につくのは良いが他人が良い順位につくのは嫌。
 自分より上位の人間はまとめて死ね! と悪態を吐く。

「(おいおいおいおいおいおいおい! 何コイツら、ルドルフと栞……仲間だよね?
天下無敵のリーダーである俺が生死の境を彷徨ってる時でも、
順位を落とさずに上位キープですか? カーッ! 血も涙もないとはこのことだな!!)」

 都合の良い時だけ仲間扱いをするこの男に血と涙はあるのだろうか。
 涙の代わりに下水、血の代わりにオイルが流れていても不思議だとは思えない。

「(こういう良い子って一番嫌いだわ)」

 鏡を見ればそこに一番嫌いな人種が映っているだろう。

「ほう、流石だなあの二人は」
「それでも紫苑くんのこともあったし、二人とも本調子やなかったみたいやけどね」
「(本調子じゃなくて一桁ですかそうですか。二人まとめて南極の永久凍土の中で眠りにつけ!)」

 一体どうしろと言うのか。
 本調子じゃなくて紫苑のことを気にかけて順位を落としているのにこのリアクション。
 結局のところ奴に好かれるには百合のようになるかしかないのだろうか?
 だがそれはそれでバレた時に口汚い罵倒を(心の中で)するはず――何て面倒な男なんだ。

「それはすまないことをしたな……」
「気にせんでええと思うで? 二人も紫苑くんに気に病まれたら困るやろし」
「分かった……って、ああすまないな黒姫。置いてけぼりにしてしまって」
「あ、せやな。仲間内の話やし……ごめんな?」
「い、いえ! 気にしてませんから」

 沈黙している百合を気遣った二人だが、別に彼女は疎外感を感じていたわけではない。
 単純に栞が褒められたことが気に入らないだけだ。

"ほう、流石だなあの二人は"

 あの二人、と言ってるが百合からすればルドルフなんてどうでも良い存在でしかない。
 だが栞は違う。女であり、紫苑の近くに居て、尚且つこうやってお褒めの言葉をもらえる。
 百合は今夜から再び丑の刻参りをする決意を固めた。

「ところで麻衣、黒姫でも良いが……髪をまとめるゴムとか持ってないか?」

 いずれは切るつもりだが今はまだ散髪する暇もなくロン毛のまま。
 汗で髪が張り付いて鬱陶しくなって来たのだ。

「いやぁ、うち見ての通りこの長さやからなぁ……ゴムとか使わへんねん」
「私も……その、基本的にこのままなので……」
「そう、か。ならしばらくは我慢するとしようか(役に立たない奴らだなぁ)」

 後で看護師にでも頼もうと決めた紫苑だったが、

「あ」
「どうした麻衣?」
「ピッタリなもんあるわ」

 言うや麻衣は自分の履いているブーツから靴紐を抜き取った。
 一体どういうことだ? とキョトンとしている紫苑と百合に麻衣は笑顔でこう答えた。

「靴紐の紫苑――ピッタリやろ? ま、応急処置ってことで。じっとしててな」

 紫苑の背中に回った麻衣は伸びっぱなしの髪を綺麗に纏めて細い靴紐で括り付ける。

「よしゃ、出来た! ええ感じや。なあ、黒姫ちゃん」
「はい! 何時もと違った魅力があります!」

 髪を結い上げた紫苑は中々様になっており、百合などはそれを見て頬を赤らめている。

「似合う似合わないは気にしないが……これで少しスッキリしたよ」

 鏡に映る自分を見て紫苑は心底からこう思った。

「(ふぅ……イケメンはどんな髪型にしても似合うから困るな!!)」

 似合う似合わないは気にしないんじゃなかったのか。
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