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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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訳知り顔でUZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!

 クー・フーリンを超えるとは具体的にどうすれば良いのだろう?
 彼の敗北への道筋を辿りながらも、結果だけは覆す。
 成るほど、確かにそれも一つの道だ。
 何せ具体的な武勇に関しては物語の登場人物ゆえに正確には分からない。
 であれば彼が成せなかったことを成せばそれは超えたと言えるかもしれない。
 アイリーンはそう考えて紫苑の誘いに乗り、憧れの先へ手を届かせかけた。
 しかし結果は敗北、だがそれは快い敗北だった。
 あれほど気持ち良く負けられるなんて長い人生の中でもあるかどうか……。

 さて、歓喜に満ちた敗北以降もアイリーンは余り難しいことを考えるのが苦手な頭で考え続けていた。
 他にもクー・フーリンを超える方法はないものか……と。
 そこで盲点とも言うべきところに気付いた。
 当人の視点ではともかく、客観的に見て彼は不幸だ。
 親友を殺し、息子を殺し、最期は自らの得物を奪われた挙句、それを使って殺されてしまった。
 戦士としてはともかく、人としてはどうだろうか?
 彼の生涯を幸福に満ちたものだったと言える人間は居ないはずだ。
 並々ならぬ憧れを抱くアイリーンですら、不幸としか思えない。

 なので、彼女はこう考えた。
 戦士として生きながらも、一人の女として幸せになろう。
 愛した人を結ばれ、子を成し、何時の日か年老いて終わりの足音が聞こえて来た時、
隣に居る大切な人に一つだけ質問をするのだ。

"私と一緒で幸せでしたか?"

 自分の好きなあの小さな微笑みを浮かべて肯定してくれたら……。
 それはきっと、何にも代えられない幸福だろう。
 その時こそ、憧れを超えたと胸を張って言える。
 ゆえに、

「――――こんなところで負けられない」

 望む未来を手に入れるためには負けるわけにはいかないのだ。
 渾身の一振りを受け止めた異形の身体が大きく揺らぐ。
 太刀で受け止めたが、痺れが全身に回って上手に反応出来ない。
 アイリーンはそれを見逃さず槍を振り切った勢いで横っ腹に回し蹴りを叩き込む。

「……硬い」

 蹴り足の痺れを無理矢理押し殺して更に一歩踏み込みこめかみに向けて頭突きを放つ。
 が、これはあっさりと躱されカウンター気味に異形の拳が腹に突き刺さる。

「硬さで言えばそなたも随分と頑丈であろうに!」

 二人同時に飛び退き、得物を使っての壮絶な打ち合いが始まる。
 一合、二合、得物が打ち鳴らす甲高い金属音が耳に鳴り響く。
 インパクトの際に生じる衝撃波は周囲の地形をも変えていた。

「……出鱈目にもほどがあるね。麻衣ちゃん、大丈夫かい?」

 腰にしがみついている麻衣に語りかけるが余り余裕が無いらしく微かに頷きが返って来るだけ。
 とは言っても、他三人とて余裕綽々というわけでもない。
 化け物二匹の領域から距離を取っているから何とかなっているだけ。
 もし領域内に入っていたのならば余波だけでも重傷は覚悟しなければいけなかっただろう。

「人外の領域ね」

 アリスが苦い顔で吐き捨てる。
 今、アイリーンは自分と同じ領域に踏み入っているのはよーく分かった。
 あの領域内においてアリスは先達なので空気で理解出来る。
 だが一回でこれだ。天魔の言葉通り出鱈目にもほどがあるだろう。
 余計なものを削ぎ落とし、純化した状態で戦ったとしよう。
 それでもアリスにはアイリーンに勝てるビジョンが浮かばなかった。

「アリスさん、本当に私達にもあんなことが?」

 栞は何処か自信なさげだ。しかしそれも当然。
 奇を衒ったようなものは何一つ存在しない純粋な強さ。
 今のアイリーンは普段の彼女が更に強くなったようなもの。
 だからこそ、恐ろしい。純粋に強いというのは分かり易く脅威だ。
 果たして自分もあんな風になれるだろうか? 少なくとも栞にはなれるとは思えなかった。

「……さあ? ああなると基礎スペックも跳ね上がるけど、私もあそこまでじゃない」

 元々持っていたものの差異ゆえだろうか?
 思考を巡らせるがどれだけ考えても浮かんで来るのは仮説ばかり。
 そんなことに時間を割くよりかはこの戦いの推移をしかと見守るべき。
 そう判断したアリスはこれ以上何も口にすることはなかった。
 残る二人もそれに倣って戦いに目を凝らす。
 一進一退、身体能力ではややアイリーンに分があり、技量では異形にやや分があり。
 どちらも決定的な攻めを欠いた状況と言えよう。
 しかし、だからといってここで三人が隙を作るために加勢しても邪魔になるだけだ。
 アイリーンのパフォーマンスを大幅に劣化させてしまう結果しか得られないだろう。

「! 獲った」

 横薙ぎの一閃が異形の首を刎ね飛ばす。
 これは致命に至る一撃だ、そう確信したアイリーンだったが……。

「あう……!?」

 宙を舞った首が彼女に噛み付き、
頭部を失った肉体がそんなことも感じさせずに袈裟懸けの一撃を放ったのだ。

「首を獲れば終わると思ったか? それは残念。余は首程度じゃ死なんよ」

 ダメージを負いながらも首を引き剥がして飛びずさったアイリーン。
 打ち捨てられた首は再び胴体を合体して、何ごともなかったかのように繋がってしまった。
 それを見て彼女は即座に看破する。

「……わざと」

 そう、わざと斬らせたのだ。
 戦況を変えるために意表を突くつもりだったのだろう。
 確かに驚いたし、割と深いダメージを負ってしまった。
 しかし異形からすれば今ので終わらせるつもりだったのだ。
 だが、予想以上にアイリーンが強く攻め切れなかった。

「まあの」
「びっくり」

 だがモンスターなのだし、それぐらいはやってのけるのだろう。
 素直な彼女はあるがままを受け止めて納得する。これもまた長所なのかもしれない。

「フン……!」

 斬られた箇所の筋肉を動かして出血を止めたアイリーンは再び槍を構える。
 首を切っても駄目なら頭を潰す、あるいは――存在するかどうかはともかく心臓を狙う。
 とりあえずその二つに焦点を定めた。

「この戦いがそうであるように、どんな戦いにも終わりというものがある」
「?」

 あくまで手は緩めていないが、異形はいきなり意味の分からないことを言い始めた。
 そのことに小首を傾げるアイリーンだが異形はお構いなしだ。

「勝利か敗北か、生か死か。戦いの終わりにはそういうものが見えるはずだ。
しかし、どうだろう? 終わりが見えない戦いがあったとしたら。
どうしたら敵を滅ぼせるのかが分からなくて……。
また、滅ぼし勝利を得た先の足場が酷く不安定だったとしたらどうする?」
「足場……? 抽象的」

 つまりはよく分からないということだ。
 余りにも素直な物言いに、異形は微かに苦笑を浮かべた。

「そうだな、なら分かり易く言おう。勝ったら死ぬとして――――そなたは戦えるか?」
「自分が選んだ道ならば」

 間髪入れずにアイリーンは答えた。
 迷いも気負いも一切無い、ともすれば無知な子供の物言いとも取れる。
 だが、だからこそ純粋だ。そこには嘘も誤魔化しも入る余地が無い。
 大阪在住のHSさんとは大違いである。

「……童らしい向こう見ずな物言いだな」
「歳を取っていれば良いというわけじゃない」

 歳を取れば得るものもあるが、喪われるものもある。
 例えば熱、若さがあるからこそ胸の裡で燃え滾る何かがあるはずだ。
 その熱は時に齢を重ねて得た経験とかそういうものを凌駕することだってある。

「それに、向こう見ずでも何でもない」

 至極当然なことだ。
 自分で選んだこともまっとう出来ないようならば生きている価値も無い。

「成るほど、正論だ。しかし、女人とは思えぬほどに潔――――」

 深く考え込み始めた異形、その隙を逃せるほどアイリーンは傲慢ではなく、

「あ、もらった」

 極限まで研ぎ澄まされた刺突が異形の左胸を穿つ。
 人間ならばそこに心臓があるし、
モンスターでもヒトガタならば何某かの重要器官があっても不思議ではないのだが……。

「中々に強かだな」

 抉り取ったような気はする、するのだが――やはり通じていない。
 いよいよ以ってどうやって倒せば良いか分からなくなった。
 首を飛ばし胸を穿っても動きが鈍ることはない、つまりはダメージが無いわけだ。
 そんな相手をどうやって殺せば良い?
 やはりもう一度首を飛ばして頭を潰すしかないのだろうか?
 だが先ほど首を飛ばせたのは誘いがあったからだ。
 二度目はかなり梃子摺るだろう。

「だが、どうにも寝起きが悪いと見える。ここで終わるならそれはそこまで」

 無造作に太刀を天に掲げる異形――――瞬間、身の毛が逆立つ。
 アイリーンは最大級の警戒センサーに従ってバックステップを幾度も繰り返して距離を取る。
 一見すれば仲間を置いて逃げた――――ようにも思えるがそれは違う。
 逆だ、あのままあそこに居れば巻き込んでしまうと理解していたからだ。

「勘が良いな、だが気付いていると思うが距離なぞ関係無いぞ」

 空に北斗の軌跡をなぞる七つの禍津星が輝く。
 それは咲き誇っていた桔梗を枯らし、大地を殺し始めた。
 これより先に待つは紛れもない凶事。

「――――耐えろ」

 一秒が何百倍にも切り刻まれ時間の感覚が酷く伸びてしまう。
 総てがスローモーな世界の中で、アイリーンは確かに見た。
 七つの星より生じた極光がゆっくりと自分に近付いていることに。
 一つだけでも自分を飲み込んで余りあるというのに七つもだ。
 笑えもしない、逃げられもしない、絶望が顎を開けて涎を垂らして近付いて来る。

「……」

 受ける? 避ける? いや違うだろ、そうじゃない。
 アイリーンは無意識のうちに投擲の体勢を取っていた。
 どうすれば良いか分からないから身体に、心に任せることしたのだ。
 美しい肢体を弓のようにしならせて槍を天に向ける、切っ先は迫り来る極光。
 あの破壊光はアイリーンを百度消し去っても威力が減退することはないだろう。
 そんなものに槍をぶつけたところで何がどうなる? 常識的に考えればこの行動に意味は無い。
 意味は無いのだが――――それがどうした?
 極限状態であろうとも、これが自分の選択だ。
 であれば何を恥じることがある。

「すぅ……」

 槍の切っ先が向かっているのは破壊光、しかし真紅の瞳が見据えるのは異形の命。
 天に槍を向けながら大地に居る異形の命を狙う。
 意味が分からない、道理から外れている。
 しかし、それを考えられるような余裕は無い。

「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 雄叫びと共に全力で放たれた槍は紅い閃光となって破壊光と激突。
 その鬩ぎ合いは大地を鳴動させ、凄まじい衝撃を発生させる。
 そう、今この二つは鬩ぎ合っているのだ。

「あ」

 その光景を見ていた四人の誰か――あるいは全員が小さな呟きを漏らす。
 小さな小さな紅い閃光が破壊光を霧散させたのだ。
 だが、真の驚きはそこからだった。
 槍は破壊光を突き抜け上空へ消えていくかと思われたのだがそれは違った。
 投擲した本人ですら予想していなかったことが起きたのだ。

「……おぉ」

 雷光のようにジグザグと大地目掛けて迸る閃光。
 主の下へ戻るのか? 否、それは違う。
 槍は紅い残光だけを残して視認するのも困難な速度で異形に接近し――――そのこめかみを貫いた。
 これには投擲した本人であるアイリーンも驚きを隠せなかった。

「クハ……耐えるでも避けるでもなく、立ち向かい、そして破るか。
成るほど、向こう見ずな熱の恐ろしさを見せてもらった」

 槍が穿ったこめかみの穴は塞がっているものの、異形の身体が徐々に徐々に崩れてゆく。
 光の粒子は桔梗の花弁にも似ており、何処か幻想的だ。

「私の勝ち?」

 距離を取っていたアイリーンだが、異形の滅びを悟って戻って来る。

「おお、そなたの勝ちよ。見事見事、余も約束を果たそうではないか。手を出せ」
「こう?」
「そうだ」

 異形の胸から拳大の翠色の光が飛び出し、アイリーンの手に収まる。

「これは?」

 手の中に溶けてゆく光に悪意は感じない。
 しかし、これが紫苑の役に立つものなのだろうか。

「そなたが懸想しておる男――春風紫苑の下に赴き、身体に触れろ。なるべく早くな」
「治る?」
「最初に言っただろう。薬のようなものは何も無い……と。
それはすぐに役に立つものではないし、それ単体では意味を成さんものよ。
しかし必ず必要となるだろう。まあ、余の想像通りであればな」

 死に向かっているというのにその顔は晴れやかだ。
 惰性で生きてきた――そう言っていたことに関係があるのかもしれない。
 最期の最後に惰性から抜け出し、何かを見つけられた。
 だからこそこうやって穏やかな顔で逝ける。

「そう、ありがとう」
「そなたの手で勝ち取ったものだ、礼を貰うのはちと違うだろうよ」

 そこでアイリーンから視線を外し、異形はこの場に居る全員を見渡す。

「そなたら、人を殺したことはあるか?」

 これまた意味の分からない問いだ。
 全員が疑問符を浮かべるが、特に隠し立てする理由も無い。

「えーっと……そんな経験あらへんけど……」
「僕も星の巡りなのか何なのか、殺しの経験は無いね」

 問題はここからだ。

「初めての殺人はパパとママよ」
「奇遇ですね、私も初めての殺人は両親です。
二度目は愚かな姉で……ああいや、あれは殺し損ねましたか」

 この二人、まるで反省していない。
 人殺しに対する嫌悪感というのは大抵の人間が持っているものだ。
 現に吹っ切れる前の栞は両親を殺したことに対して並々ならぬ罪悪感を抱いていたのに……。

「そうか、では次の問いよ。人は殺せるか?」
「う、うちは……」

 言い淀む麻衣、しかしそれが人としての正しさだ。
 むしろ即答出来るような輩の方が人として重大な欠陥を持っていると言っても良い。
 つまり、

「殺せるよ。特に、僕の好きな人の敵とか……ならね」
「紫苑お兄さん以外どーでも良いわ。何人でも殺すわよ」
「必要とあらば幾らでも手を汚しましょう。あの人が美しくあれるのならば私は喜んで穢れを呑みます」
「戦う以上は命を奪うことだってある」

 コイツら四人は欠陥人間ということだ。
 加えて言うなら彼女らが想いを寄せる春風紫苑も欠陥人間である。
 彼が人殺しをしないのは単純にメリットが無いから。
 殺しをすることで降りかかるデメリットを嫌っているから。
 それらの理由でしないだけで殺すことそのものに忌避感は無い。
 何せ自分以外の一切を無価値と断じているのだから。

「まあ、余にとってはそうでもないが世の移り変わりもあり、価値観も変ずる。
箍が外れているのが四人、だが支えとなっているものは尋常ならざる域で自己を律している」

 であれば良い塩梅なのかもしれない――異形の呟きは誰の耳に届くこともなかった。

「それで、結局あなたは何が言いたいのかしら?」
「さぁてな……言っても良いが、言わぬ方がそなたらのためよ」

 それでも聞きたいか?
 何処か不吉さを滲ませる笑みのまま投げられた確認に五人は息を呑む。

「聞かぬ、か。ならば、もうしばし喋らせてもらおうか。消えるまでもう少し時間がありそうだからな」

 既に半ばほどまで消えている異形だが、
彼の言うように完全消滅までにはもうしばし時間がかかるだろう。

「夜が明ければ日が昇る、それは世の摂理である。
しかし、これからもう少し先……そなたらは明けるか分からぬ夜に身を置くことになろう」

 えらく抽象的な物言いだが、その言葉に漠然とした不安が掻き立てられる。

「大きな、大きな戦いだ。女も子供も老人も、誰一人として逃れられない。
誰一人として戦の当事者から外れることは出来ない。
そなたらがどの側に立つかは……まあ、予想は出来るがここで言うことでもない。
確かなことは、どちらで勝利を得るにしても、誰にも勝利の先にあるものが分からない。
勝てばそれで終わり、意気揚々と凱歌をあげる――――とはならん」

 心底愉快そうに、心底残念そうに、異形は哂う。

「包み隠さず言わせてもらうならば、そなたらはその大戦においては端役よ。
具体的に誰か一人が中心に、ということにはならんだろう。
だが、間違いなく重要な意味を持つことになる人間が一人居る――誰か分かるか?」

 ここまで言われて話の流れを読めないほど間が抜けた人間は居ない。
 だが、同時にそれは信じたくないことでもあった。
 前提――その大戦とやらが起こるということそのものを鼻で笑い飛ばしてやりたい。
 しかし、それが出来ないのだ。
 こんな曖昧な物言いなのにそれを否定することが出来ない。

「……紫苑?」
「そうだ、そなたらの想い人よ。否応無しに渦中に巻き込まれるだろうて。
逃げることは出来る――――だろうが、どうにも逃げる姿が想像出来ん。
そなたらの想念で識った彼の者は、随分と頑ななようだしな」
「ちょっと待ってください! し、紫苑さんが――――」
「だが安心しろ」

 栞の言葉は強引に遮られた。

「茨の道でも、彼の者の傍にはそなたらや、心強い同胞がおろうよ。
特に、余と違って未だに闘志衰えぬ輩が居るようだしなぁ」
「ちょっと待ってくれるかい? イマイチ要領を得ないんだが……」
「諸々の疑問は探らずとも良い。真実は向こうから勝手に歩み寄って来る。頼んでもいないのにな」

 やはり異形は疑問に答える気は無いらしい。
 あくまで自分の言いたいことを勝手に口にしているだけ。
 紫苑がこの場に居たのならば、

"訳知り顔でUZEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!"

 となっていただろう。

「余のような者らが何なのか、そなたらが何なのか、総ての疑問が解消されるはずだ。
であればそれまで無駄に思考を巡らせて時を浪費する必要もあるまいよ」

 異形の身体はもう、首しか残っていない。
 次が最後の言葉になるだろう。

「心の赴くままに生きろ――――それはきっと正しいことだ」

 突風が花弁を巻き上げて異形を包み込む。
 花弁の吹雪が晴れる頃には既にその姿は無く、彼は完全に消え去ってしまった。

「……勝ったのにスッキリしない」
「まあそりゃ、不安の種だけ残されて逝かれたら消化不良よね」
「で、これからどうします――――!?」

 いきなりアイリーンが倒れ込んで来る。
 栞は驚きながらもしかりとその身体を受け止めた。

「あー……はいはい、反動が来たのね。
アイリーンお姉さん、削ぎ落としたものを拾いなさい。何、簡単よ。
このままでいれば、悲しむ人が居て、その人のことを強く想えば戻れるはずだから」

 あの力を使い続けると反動でかなりの負荷がかかることをアリスは知っている。
 雲母との戦いでも戦っている最中は気にならなかったが、終わった途端にドっと襲って来るのだ。

「ん……」

 アイリーンは言われたように紫苑の顔を思い浮かべた。
 箍を外す際も紫苑ならばかけなおす際にも紫苑。
 それだけ彼女らにとって春風紫苑の存在は大きいのだ。

「あ、髪の色とかも戻ったね」

 光のラインが消え血が滴っていた黒髪も元の蒼に戻った。
 平時の状態に戻れたのならば問題は無いだろう。

「一応回復魔法かけとくな」

 回復魔法をかけ、刻まれていたダメージを総て帳消しに。
 異形の言葉を信じるのならばここに薬のようなものはない。
 そして彼女らもそれは真実だろうと考えている。
 ゆえにここにもう用は無く、元来た道を引き返して孔の外へと。
 五人は休むこともなく宿へと戻り、ことの顛末を報告。
 カマキリは難しい顔をしていたが、ここで議論してもしょうがないことだ。
 加えて、それよりも何よりもまずやることがある。
 早く大阪に戻って紫苑の顔を見る、それより優先するべきことは何も無い。
 無理を言って強行軍で大阪に戻ることになった。

「車内がガランとしてるけどさぁ……これ、一車両借り切ったの?」
「ああ。本来なら宿で話すつもりだったが、そうもいかないようだしな」
「えらい剛毅な金の使い方するなぁギルドって」
「いや、そうでもないさ。これは僕のポケットマネーだ」
「あら、存外稼いでるのね鎌田お兄さん」

 この若さでカマキリはそれなりの職に就いているし、彼自身もそう贅沢をする性質でもない。
 なので金は有り余っているのだ。

「さて、帰って来てすぐで悪いが……一応、次の場所についても言っておこうと思ってね」

 そういう話をするのならば、当然の如く他に人が居る場所では不可能だ。
 それゆえ電車の車両を一つ丸ごと貸し切ったのだろう。

「いや構わん。そもそも私は今回何もしてないしな」
「ええ、私達は宿で待機してただけだものねえ」
「いえ、それを言うなら私達もですよ」
「馬車馬のようにアイリーンお姉さんだけだもの」
「だから明日――はちょっとアレだけど明後日ぐらいには動けるよ?」

 明日は無理というのはコンディションの問題ではない。
 単純に事前準備やらが必要というだけだ。

「ふむ……四日くらいは時間を置くつもりだったけど、君らがそう言うならそうしよう」
「で、場所は何処なん?」
「――――京都だ」

 京都大虐殺において京都の街は大震災にも負けぬ被害を被った。
 特に市内は最悪だ。鬼が全力で大暴れしたものだから都市機能が完全に麻痺している。
 折れた京都タワーの撤去、破壊された駅やビルなどの建造物だって修理しなければいけない。
 なので現在は国を挙げて復興している真っ最中なのだが……。

「その、奇妙なことにね……復興作業中に市内の地下に大空洞が見つかったんだ」

 カマキリ自身も複雑な表情をしているが、それは他の者らも同じだ。

「はい? ちょっと待って下さい。京都市内の地下に大空洞? それも見つかった?」

 栞の疑問も尤もだ。
 見つかった、ということは最近まで把握されていなかったということになる。
 これが小さいものならともかく大空洞と表現されるほどのものがだ。
 それは余りにも不可解と言えるだろう。

「地下鉄とか通す時にそういう調査とかやったんとちゃうん? 何世紀も前のことやろけど」

 この御時世、お上が把握していない場所など日本に存在しているのだろうか?
 これが何処ぞの山奥ならばそういうこともあるかもしれない。
 しかし場所は京都、外国人も多く訪れるような場所で都会だ。
 麻衣が言うように地下鉄を通す時に調べつくされていても不思議ではない。

「ああ、そうなんだが……だから奇妙なんだよ。そんな場所があったとは誰も知らなかった」
「ふぅん……そこに孔があるのかしら?」
「そうだ。近畿圏だし明日京都入りして次の日という形になるが問題は無いかい?」

 全員異論は無いようで誰も口を挟まない。
 実際、消耗らしい消耗をしているのはアイリーンだけなので他の面子は万全の状態なのだ。

「パーティの編成だが今日入ったハーンさんが抜けて……逆鬼さん、頼めますか?」
「勿論、微力を尽くさせてもらうわ」
「よろしく御願いします」

 その後も細々として打ち合わせをして、大阪に辿り着く頃にはすっかり夜も更けていた。
 本来ならこんな時間に面会なんかは出来ないのだが、
ギルド系列でその関係者なので彼らはかなり融通が利きあっさりとICU前まで辿り着く。
 ICUの中では未だに意識が回復していない紫苑が眠っていた。

「……紫苑お兄さん、何時目覚めるのかしら」

 少し――いや、かなり沈んだ声だ。
 あの異形が言っていたこともあり、不安で不安でしょうがないのだ。

「明日か、明後日か、先の見えぬまま待つというのは辛いな」
「そうですね……ねえ、アイリーンさん。あのモンスターから貰ったというアレ、どうするんですか?」

"春風紫苑の下に赴き、身体に触れろ。なるべく早くな"

 その言葉がリフレインする。
 少し部屋に入って手を握るくらいならば赦されるだろう。
 しかし、それをして良いのか悪いのか。
 普通に考えて怪しいこと極まりない。
 だが、実際に相対した彼女らからすれば何故か信に足ると思えてしまう。

「なるべく早く……って言ってたよね」
「そして必要なことだとも言っていたわ。治る治らないは別として」

 今目の前にある現実と、未来にある漠然とした不安。
 治った後に触れるのでは手遅れならば……。
 アイリーンはしばし考えた後、ゆっくりと扉に手をかけた。
 そのことに異を唱える者は居らず、判断を任せるということだろう。

「何かあれば、すぐお医者さん呼ぶ」

 そう言い残して部屋に入り、片手にナースコールを持ってベッドの脇に立つ。
 ゴクリと喉を鳴らし、光が溶けていった側の手で紫苑の頬に触れると――――。

「え」

 ICU内に居るアイリーンも、外で見守っている者らも皆一様に目を見開く。
 どういうわけか突然紫苑の手に刻まれている召喚陣が光を放ち、槍を呼び出したのだ。
 意識があるのか? そう思ったが違う。紫苑の意識は未だ回復せず、だ。

「……?」

 宙に浮き爛々と黒と白の光を放つ槍。
 これは一体どうしたものかと首を傾げていると槍はゆっくりと紫苑の上まで移動。
 彼の身体から先ほど譲渡されたと思わしき翠の燐光が溢れ出て槍に吸い込まれていく。
 すると黒と白の二色に翠が加わり槍は三色の光を放つようになった。

「どういうこと?」

 疑問に思いつつ紫苑のバイタルをチェックするが異常なし。
 異形が言っていたように薬にはならなかったし、毒にもならなかったようだ。
 変化が訪れたのは槍だけ。
 その槍にしても役目は果たしたとばかりに消えてしまった。
 恐らくは何時も置いてある場所に戻ったのだろう。
 小首を傾げつつ部屋の外に出たアイリーンは他の面子の意見を聞くべくその顔を見渡すが……。

「いや、僕らにも分かんないよ?」

 全員が全員微妙な表情をしている。

「紫苑ちゃんの身体にも異常は無いみたいだし……」
「異常があったゆーたら槍やよな? とりあえずあれいっぺん調べてもろた方がええんちゃう?」

 現状何か変化があったのは槍だけだ。
 なので麻衣の槍を調べるという提案は間違っていないだろう。
 まあ、調べたところで何かが分かるとも限らないが。

「確か黒田さん……という方の御母堂から譲り受けたものでしたっけ?」
「うむ、そうらしいな」
「その人にも話聞いた方が良いのかな? つっても、それは僕らよりギルドの仕事だけど」
「それなら私がやっておくわ。それがお仕事だもの」

 そんな会話には加わらず、アリスは一人難しい顔をしていた。
 喉に刺さった小骨が取れないような感じ……ああ、これは一体何だ。

「黒、白、翠……これって……何だっけ?」

 結局、その日アリスがそれを思い出すことはなかった。
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