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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

79/204

京都大虐殺 参

 カマキリに連れられてやって来たのは大阪駅だった。
 しかし、駅構内には誰も居ない。
 こんなにも静かな大阪駅を見たのは生まれて初めてだった。

「これは……」
「車を運転にするにしても冒険者じゃ京都に入れないし一般人じゃ危な過ぎる。
そして君らも運転が出来る年齢じゃないし、運転方法も分からないだろう。
ヘリや戦闘機という手も考えたが、着地するにしても空からパラシュートで降りるにしても危ない」

 狙い撃ちにされてしまえばそこで終わりだ。
 しかし電車は違う、空よりかはまだ逃げ出しやすく、尚且つ無人操縦のまま目的地に辿り着ける。

「だから電車ってわけですか。しかし人払いをする必要はあったんですか?」
「ああ、流石に君ら二人だけのために電車を動かすってなると色々騒がしくなるだろ?
だが今その対応をしている暇は無くてね。無理矢理人を外に弾き出させてもらった」

 貸し切りにされた電車に乗り込む一人の高校生、それは酷く目を引く光景だろう。
 これから決死の戦いに向かう紫苑相手に、
余計なストレスを与えたくないというカマキリの気遣いだったのかもしれない。

「彼女は既に車内に居る。君が乗り込んだ時点で電車は発進することになるが……大丈夫かい?」
「ああ」
「大体四十分で辿り着く、その間に車内で出来ることはしておくと良い。
使えそうなアイテムや腹ごしらえの食料、必要そうなものは思いつく限り詰め込んでおいた」
「何から何までありがとうございます」
「……武運を、祈っているよ」

 その言葉に強く頷いて、紫苑は車内に乗り込んだ。
 同時に扉が閉まり、ゆっくりと電車は走り出す。

『さて、お前の相方は何処に――――って、来たみたいだな』

 隣の車両から三つ編みとそばかすが特徴的な地味系女子がやって来る。
 紫苑にとってはこんな時でなければ絶対に会いたくなかった人間である。
 やっぱり、どうしても嫌な感じがするのだ。

「(加藤二乃……いけ好かねえぜ)」
『お前から見れば大半の人間がいけ好かねえ奴じゃねえの?)」
「(馬鹿、俺より劣る奴は好きだよ!)」

 何故歪んだ好意を恥ずかしげもなく口に出来るのか。

「こんにちは春風さん。大変なことになりましたね」

 心なしか緊張したような面持ちだが、しかしそれは何処か不自然だ。
 もう死ぬと決めているから余計な思考が削ぎ落とされ、
集中力が高まっている今だからこそ、強く不自然さが感じ取れた。
 そしてこの不自然さ、かつて何処かで……。

「――――縁があるな、俺とお前は」
「はい?」
「余計な芝居は無しにしよう。
お前は勝利、俺は人命救助、目的はどうであれ背中を預けて死地に臨むんだからな」

 芝居は無しにしようと言ったのに嘘を吐いている件について。

「……ハ、参ったな。前この姿のまま会った時は気付いてなかった気がするんだがな。
あれかね、緊張状態で集中が高まっているからか? 頼もしいなぁオイ」

 看破されている、誤魔化しは効かない。
 そう判断した彼女は自分の顔をひっ掴んで偽りの皮を剥ぎ取る。
 その下にあったのは不敵な笑みを浮かべた赤毛の少女の顔だった。

「それがお前の素顔か、隠すような容姿でも無いだろうに」
「そりゃ光栄。自分でも顔は悪くないと思ってるが、褒めてくれて嬉しいよ」
「……にしても、口調を戻すだけかと思っていたが、素顔まで晒すとはな」

 それともその顔も偽りか? 紫苑は暗にそう問うている。
 実際、顔を晒すとは思っていなかったのだ。
 ゆえにこれも嘘、そう考えたのだが……。

「まあ、その疑惑はもっともだよ。けど、素顔だよ。
ああ、別に自棄っぱちになってるわけじゃないぞ?」
「それは分かる。お前は負けるつもりで戦いに臨むような奴じゃないからな」

 素のカニと会話をしたのはこれで二度目だが紫苑は断定口調だった。
 それは自分の観察眼に自信を持っているからだ。

「その上で、俺なんかに自分の素顔を晒すのが解せない。
今までだって偽の情報すら伏せて来たじゃないか。何故、今なんだ? 理由は?」

 加藤二乃としての存在くらいは明かしても良い、
そう思っているならば紫苑のパーティとカニのパーティで会合があっても良かった。
 しかし意見交換会なんかは却下されている。
 だと言うのにここに来ていきなり素顔を晒す、まったく理解出来ない。

「ああいや、そりゃちょっとした義理というか……なあ?」

 確かに最初は偽の情報すら伏せておくつもりだった。
 しかし、紫苑のことが気になりだしてからはそうでもなかった。
 意見交換会なんかを開くのも悪くはないと思っていたのだが……。
 そこら辺で友人が彼に惚れてしまった。
 そうなると色々ややこしくなって来る。
 意見交換会なんかを開けば当然、連絡先だって交換する流れになるだろう。
 一人だけ拒否するのもおかしな話だ。
 そうなると友人である紗織――否、百合に対する不義理になる。
 ただでさえ自分が紫苑に興味を持っていることに警戒しているのだ。
 その上連絡先まで知ったとなると……。
 そう考えてカニは偽の情報を伏せて来たのだ。

「前に顔を合わせたのも……ああいいや、それは本筋じゃねえしな」

 以前体育祭で姿を見せた時だって、結構無理を言った結果なのだ。
 しかしそれを目の前の紫苑に言ったらこれもまた不義理になってしまう。

「よく分からんが……まあ良い(どっちみち今日死ぬしな俺。そしてコイツも)
それが素顔であろうとなかろうと、俺達のやることは変わらない」
「素顔なんだがな……ま、確かにその通りだ。私は勝つために、お前は救うために」

 こうして共同戦線と相成ったわけだ。
 ならばこんなくだらない会話をしている場合ではないだろう。

「俺のことは把握しているな?」
「ああ、三十分限定でぶっ飛んだ力が使えるそうじゃないか」
「そう、だがその札を最初から切るのは下策だと思うのだが……如何に?」
「話が早い。私もそう提案するつもりだった」
「……お前に負担をかけるが?」
「お前が気にしぃだってのは知ってるが、私は大丈夫さ」

 何処かぼんやりとした内容の作戦会議。
 だが、二人にとってはこれで十分だった。
 生来の察しの良さもあるが、それ以上に二人は近しい。
 ゆえに本人達は気付いていないが相手の考えていることが何となく汲み取れるのだ。

「私みたいなのにまで情けをかけるのは悪癖だな、弱さだぜそりゃぁ」

 からかうような口調。
 とは言ってもカニは別に紫苑を馬鹿にしているわけではない。
 その姿勢はある程度認めているのだ。

「どんな奴だろうと、悪いとこばかりじゃないと思っている。
それに……お前は本気で自分の命をまっとうしているからな。
やってること、やってきたことの是非はともかくとして心の底から嫌いになれない。
それが弱さだと言うのならば構わない。弱いままでも、俺は俺をまっとうしてやる」

 紫苑は自分の死が確定であると分かっている。
 それでも――否、だからこそ決して本心は表に出さない。
 異常領域にまで達している自閉は、何者にも曝け出すことは出来ないのだ。

「フッ……そうかい、まあ好きにすりゃ良いさ。
ここで私とお前が議論したとこで平行線なのは見えてる、実りある会話をしようじゃないか」
「そうだな……加藤、さっきは三十分と言ったが――――」
「ああ待て、お前に偽名で呼ばれるのは変な感じだ。あだ名で呼んでくれ、私のあだ名はカニだ」
「あだ名も本名じゃないと思うが……」
「本名をもじってそう呼ばれてるのさ。数少ない友達にな」
「そうか、ならばカニと呼ばせてもらう。で、カニよ。三十分のリミット、あれは確実じゃないぞ」
「ああ、府内に電車が突入した瞬間に覚醒しちまったらそうはいかないもんな」

 車内に居るとはいえ霧に満ちた府内に入ればどうなるかは分からない。
 もし即座に発動してしまったのならば、戦いの中で使える時間は更に削れるだろう。
 加えて市内に到着してすぐに鬼を見つけられるとも限らない。

「その通りだ。時間は短く見積もっておいた方が良いだろう」
「そうだな。となると、場合によっちゃ回復まで待ってって手も……ん?」

 そこで一つの疑問にぶち当たる。

「言いたいことは分かる。未知の領域だって言うんだろ?
霧に満ちた府内では呼吸をするだけで神便鬼毒酒を吸い込むことになってしまう。
つまり、三十分過ぎた後も継続的に飲まされるってわけだ。
事前情報によるとガスマスクなんかをしても遮断出来ない類の霧らしいからな」
「検証する時間があればなぁ……」
「そうだな、だが試している時間も無い」

 もう既に賽は投げられたのだ。

「だろうな。どっちにしろギルドは自主的に行かせたかったようだし。
人命優先ってのは無いだろうな。おたくの幻術を過信してるからか?
つってもミサイル撃って効かなかったんだから幻術だけじゃなぁ。
アタッカーたる私が攻撃を通せるかも疑問だよな。さてはて、一体……」

 と、そこまで言ってカニは頭を振った。
 これこそ無駄な時間だ。そんなことを考えている暇は無い。

「お前は何で乗ったんだ? 断って浴びることになる重圧なんぞ気にする性質じゃないだろう?」

 勝てる準備を整えて勝負に挑むのが普通だ。
 どうにもカニは彼女の定石から外れた行動をしているように見える。

「さあ? 気分だよ気分。でも、強いて言うなら……お前だよ。
パートナーが他の誰かってんならどうしてたかは分からないが、春風紫苑だ」
「俺を過大評価しちゃいないか?」
「いいや、過大評価も何も――そもそも評価すら出来ていねえよ」
「は?」
「分からないんだって、お前が。そして自分の行動の理由もさぁ。
ただまあ、ここで行った方が良いんじゃね? って何となく勘が囁くんだよ」

 呆れたというしかない。
 大事な決断を勘で済ませたのか? 馬鹿じゃないか。
 もうどうしようもない――と紫苑は思っているが人のことを言えた義理ではない。
 見栄のためにあっさり死地に赴くのも馬鹿のすることだ。

「何となくな、この戦いを生きて乗り越えれば諸々の疑問、その答えも出そうなんだよ」
「……呆れた」
「そりゃこっちもだ。見ず知らずの他人のために命張るなんて、とんだ変態だよ」
「他人のために――なんて言えるほど強くない。ただ、耐えられないだけだ」

 誰かが無慈悲に死んでいくことが、耐えられない。
 それが手の届かない場所でなら、諦めることも出来る。
 だが、手の届く場所にあるのならば手を伸ばさなきゃきっと後悔する。
 紫苑は淡々と自分の言葉を吐き出した。

「やっぱり変だよお前……ってああ、また無駄話してるぞ私ら」

 クツクツと楽しそうに笑うカニに合わせて紫苑も作り笑顔を浮かべる。
 何か良い空気を醸し出すためだ。

「どうにも締まらないな。何時もの俺なら、もっと緊張しているはずなのに」
「そりゃあれじゃね、私のことを信頼してるから」
「どうだろうな。殆ど面識が無い相手に全幅の信頼を寄せられるほど暢気じゃないさ」

 そんな会話をしつつ、車内にあったサンドイッチを手に取る。
 バーガーショップでは食べ終わる前に出て来てしまったので、最後の腹ごしらえだ。

「(タダなんだし喰わなきゃ勿体ないよな。あーあ、最後の晩餐かぁ……今昼だけど)」

 タダだから、勿体ない、こんな状況でそんなことを考えられるのはコイツくらいだろう。

「しかしまあ、タッグとは懐かしいなぁ……ガキの頃を思い出すよ

 紗織と組んでいた頃を思い出しているのだろう。

「子供の頃?」
「ああ、友達と二千万ロリーズってタッグ組んでたんだよ」
「(ひっでえネーミング)ところで加藤……じゃなくてカニ、お前はどんな武器を使うんだ?」
「あ? コイツさ」

 そう言って取り出したのは二本の鋏だった。
 刃の一本一本が短剣並の大きを誇るそれだが……。

「鬼の身体を刻めると思うか?」

 ミサイルで傷一つ付かなかったのだから普通の武器で付けられるとは思えない。
 そんな意図が込められた問いだったが……。

「どうかな? 一応、例のダンジョン由来の金属で造ってるし切れ味も抜群なんだが……」
「試してみるまでは分からない、か」
「そういうこと。いやいや、ぶっつけで勝負に挑むなんてホント私らしくないぜ」

 そんなことを言いながらもカニは何処か楽しげだった。

「ただまあ、私もお前もどういうわけか、神便鬼毒酒が通じない。
んで例の鬼は神便鬼毒酒の霧を撒き散らしている……。
判明していない別の要素で、私らが奴と渡り合える可能性もあるんじゃないか?」
「希望的観測だな」
「しかし有り得そうなことでもある」

 そうこうしていると車内の電光掲示板に表示が浮かび上がる。
 京都駅到着まで後十分、同時に紫苑にも変化が訪れた。

「……ヤバイ、始まった」
「マジか? 京都駅に着いた時点で残りは二十分ですぐ見つけられたとしても……」

 最初に考えていた策が半ばおじゃんになった。
 とは言え不確定要素もあったし、
上手くいくとも考えていなかったので二人は落ち着いている。

「お前を役立たずだと印象付ける作戦は無しにした方が良いな」
「ああ。ことによっちゃ俺も最初から全開で行くしかないだろう」
「つっても、まずは一撃私が入れてからだ」
「攻撃が通じるかどうかを試すんだな?」
「そういうこと」

 紫苑は槍を召喚し、強く握り締める。
 白と黒の光は何時もよりも輝きが激しいが、彼はまったく気付いていない。

「(まず第一に生存者を探し出して勇敢な俺アピール!
をした後で何とか府内の外に避難させなきゃな。
最悪車でも何でも盗ませて……あるいはこの電車に乗らせて……。
うん、それでカマキリの連絡先渡して遠隔操縦で電車を動かせば……逃がせる、か?
そうすれば勇敢な高校生春風紫苑の存在を知る人間を外に出せる。
生存者ってことは絶対マスコミにも囲まれるだろうし、俺の人物像もちゃんと語られる)」

 (虚飾に塗れた人物像が)ちゃんと語られるだろう。

「(多くの人間を救うためにたった二人で死地に赴いた高校生。
マスコミが騒ぎ立てるには十分なネタだよな。
そうなると今まで積み重ねて来た俺がものを言い始める……!
クラスメイトとかのインタビューでも美辞麗句ばっかりだろうさ!!
無謬の俺は死後も続く――最高だな! わひゃひゃひゃwww)」

 ポジティブなのかネガティブなのか、どうにも判断がし難い。
 確かなのは頭おかしいんじゃねーの? ってことくらいだ。

「――――着いたぜ、紫苑よ」
「(何サラっと俺の名前呼んでんだよ殺すぞマジで)ああ」

 扉が開いた瞬間、二人の鼻を噎せ返るような血臭が襲う。
 何百何千ではきかない数の人間が死ねばこれほどの臭いなるのか。
 常人であればこの時点で気を殺がれるだろう。
 それでもこの二人はまるで堪えていない。
 もっとも、紫苑だけはポーズとして悲痛な表情を浮かべているが。

「……何でだろうな、そう遠くない場所に敵が居るような気がする」
「俺も同感だ。肌にビリビリと来る(生存者……生存者は居ないのか?)」

 駅構内は屍だらけで、凄惨としか言えない光景が広がっていた。
 二人が改札を通って中央口が見える場所に来た瞬間、

「伏せろ!!!!」
「ッッ!」

 カニが紫苑の頭を押さえつけて地面に押し倒す。
 二人の頭上を白くて巨大な何かが通り過ぎる。
 響く破壊音、崩れ始める駅構内。
 瓦礫の雨が降り注ぐ中、二人は破壊の元凶となったものを目撃することになる。

「京都タワー……?(これあかんですわカス蛇さん。やっぱ死ぬの確定だわさ)」
『ああ、ダメだなこれは』

 鬼の姿こそ見えないものの、何があったかは予想出来る。
 圧し折った京都タワーで駅を薙ぎ払ったのだ。
 鬼の金棒にしてはデカ過ぎである。

「おいおい、昔観た怪獣映画顔負けじゃねえか」
「……落ち着いているな」
「そういうお前も、な」

 兎にも角にも外に出るしかない、二人は警戒しながら駅を飛び出す。
 街中は更に酷かった。
 無残な状態で転がっている死体、
爆発炎上した後であろう乗用車やバスなどのあちこちに見られる破壊痕。
 アスファルトは真っ赤に染まっており、地獄のような光景だ。

「屍山血河だなぁ……何時、京都へ来たか知らんがようやるわ」

 ケラケラと笑うカニ、その視線の先には地獄を生み出した鬼の姿があった。
 そいつは信じられないものを見たとばかりに目を見開き二人を見つめている。

『美男子だな』
「(俺の方がイケメンだけどな。だってアイツ肌赤いし! キモッ!!)」

 これは別に現実逃避でも何でもない。
 こんな状況でも自分の容姿を誇っているだけだ。
 テ メ ェ の ツ ラ が 一 体 何 の 役 に 立 つ の か。

「――――ふざけてやがる。一体、どういう道理だよ人間」

 肌を刺す怒りの波動、しかしそれに呑まれることはない。
 カニは勝利だけを見つめているがゆえに、
紫苑は既に死ぬと決め付けているがゆえに怯まない。

「俺側ってわけか? いや違う。こっち側でも俺は特別だ。
第一、お前らと似たようなのは全員立つことすらままならないはずだ」

 納得がいかない、鬼の顔にはそう書いてある。

「あれかね、紫苑。化け物にも中二病ってあるのかな? 俺は特別だ――なんてよぉ」

 嘲るような物言い、しかしそれは別に挑発を意図したものではない。
 純粋に馬鹿にしているのだ。

「さぁな……コイツが中二だろうが何だろうが関係ない。
やるべきことは決まってる、好き勝手やらかしたツケを清算させねばならない」

 と、そこで二人に分散していた鬼の集中が紫苑に向けられる。

「その腕……ああ、違うか。別に関係は無さそ――――」

 目を閉じて考えごとを始めようとした矢先だった。
 鬼は己に迫る気配を感じ目を見開く、すると眼前には首の無い屍が。

「チィッ……!!」

 片腕で迫っていた死体を払い除けた瞬間、脇腹に小さな痛みが奔る。
 見れば少し切り裂かれており、背後にはそれをやったであろう女が居た。

「おうおう、とりあえず攻撃は通じるみたいだ。クッソ硬いがな」

 鋏をジャグリングしながらあっけらかんとそんなことを口にするカニ。
 そう、彼女は死体を躊躇なく目くらましに使ったのだ。

「(それより生存者は居ないんだろうか……?
じゃなきゃ、俺の悲劇の英雄作戦が台無しじゃん)ああ、そのようだな」

 悲劇の英雄は決して自己申告するものではない。
 そう呼ばれた者達に百回くらい土下座するべきだ。

「……やってくれるぜ。ああ、そうだな。お前らが何なのかなんてどうでも良いわな。
だってよぉ――――どっちにしろここで死ぬんだからなぁ!!!!」

 雄叫びが大気を震わせる。鬼は今、完全な戦闘態勢へと突入した。

「わお!」

 鬼の裏拳を仰け反るようにして躱す。
 その刹那にカニは紫苑へと目配せを送る、全力でサポートしろ――と。

「(会話が成立してない件について)――――行くぞ」

 瞬間、鬼の目に映ったのは天から降る巨大な拳だった。
 拳の総体に比べれば鬼の身体ですら塵のようなものだ。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……!!」

 ヤバイ、あれはヤバイと鬼は両腕を交差し降って来た拳を受け止める。
 ギチギチと軋む腕からは血潮が噴出し、立っている地面はドンドン陥没していく。
 だが、そんな鬼に追い討ちをかけるように更なる衝撃が襲う。
 巨大な拳が突如として弾け、それが八つ首の龍へと変じたのだ。
 八つの首はそれぞれ鬼を喰らわんと牙を剥く。

「! 何だよこりゃぁ……!? 畜生、ワケが分からねえ!!
こんなことが出来るってそりゃお前……こっち側だろ!? なのに何で動けるぅううう!!!」

 龍の首を殴って弾き飛ばしながら叫ぶ――道理に合わぬ、道理に合わぬと。
 このような超常を起こせる存在ならば自分達の側へと属しているはずだ。
 そして、なればこそこの霧の中で力を失わなければならない。

「うわぁ……おっそろしいなぁ……オイ」

 突如恐慌状態になった鬼を切り裂きながらカニは呟く。
 その顔には冷や汗が浮かんでおり、明らかに紫苑を恐れていた。

「にしても、この混乱状態も十分くらいだろ? それまでに殺せるかねえ……」

 やたらめったら攻撃を繰り出している鬼、
その間隙を縫いながら着実にダメージを刻んでいるものの致命には遠い。
 単純に頑丈なのだ。首を刎ねようと思っても薄皮ほどしか切り裂けない。

「――――あ?」

 パン、と世界が弾けて鬼の目に映っていた異常が総て消え失せる。
 一瞬何が起こった? と唖然としていたが……。

「ま、ま……まやかしかぁあああああああああああああああああああ!!」

 即座に自分が何をされたかを理解する。
 ようも嘲ってくれた、赫怒を滾らせながら地を蹴る。
 砲弾のような勢いで紫苑に激突する鬼。
 普通ならば粉微塵に砕けるだろう。しかし、

「何処だぁ!?」

 鬼の巨躯が紫苑の身体に衝突した瞬間、煙のように消え失せてしまった。
 あくまで解除したのは大掛かりな幻術魔法だけ。
 消費の少ないものに関してはまだ使っている。
 龍を消すと同時に立ち位置を誤認させたのだ。
 こうなると鬼はもう、何が真かを判断出来なくなってしまう。

「鬼が疑心暗鬼にかられるってのも皮肉が効いてるじゃねえか」

 鬼はケラケラと笑うカニを睨み付ける。
 視線で人が殺せるのならば何千回と殺せるだろう。

「ッッ……!!」

 紫苑が見えなくなってしまった今、目に見えるのはカニだけ。
 しかしそれすらも本物かどうかは分からない。
 だが、このまま止っていてもしょうがない。
 少しの逡巡の後、鬼はカニに襲い掛かった。

「一撃でも喰らえば終わりだなこりゃ……!」

 回避しているはずなのに風圧だけで身体に小さくない傷が刻まれる。
 何て出鱈目、単純な戦闘能力では自分が戦った中でも最強だ。
 それでもアレクの方が強いだろうが、
彼に関しては戦いにすらならなかったのでカニはカウントしていない。

「ひ、ヒヒ……クケケ……!」

 これを負かせばさぞ気持ち良いだろう――カニは遠くに見える勝利を見つめて口の端を吊り上げる。
 今現在、紫苑はカニをサポートする幻術を行使していない。
 彼は鬼に拳を落とした時点でこう叫んでいたのだ。

"駅近辺に隠れている人! 聞いてください!! 今俺は幻術で鬼を惑わしています!
今すぐ出て来て駅の中に入ってください! 大阪行きのホームに電車が止っています!
そこに乗り込んでください! 五分以内に出て来てください! 俺も長くはもちません!!
今すぐ出て来て駅に! 御願いです、生きてください! そのために俺は来たんです!!"

 そう叫んで僅かな近辺に隠れている僅かな生き残りを炙り出し、
その中の一人に自分の名とカマキリの連絡先を教えた。

"全員が乗り込んだらこの番号にかけてください。
そして俺の名を言って電車を動かすように御願いしてください!
そうすれば助かる可能性があるかもしれない!!"

 そう言って紫苑は民間人が避難するためのサポートに回っていたわけだ。
 ゆえにカニのサポートに回れていない。
 だがそれは悪手ではない。
 疑心暗鬼に駆られた鬼は何が真で何が幻か判別がついていないのだから。

「……そろそろ出発したかねえ」

 鬼の攻撃の合間合間に攻撃を繰り出しながらボソリと呟く。
 彼女は別に紫苑を恨んでいない。
 そもそもここに来た目的はそれぞれ別だったのだから、
彼が勝算無しと判断し、少しでも人を救いたいというのならば好きにすれば良いと考えている。

「――――ああ、お前のおかげで僅かではあるが逃がせたよ」

 避難誘導を終えた紫苑が再び戦線に復帰する。
 鬼の動きが微妙におかしくなったことから、再び補助を始めたのだろう。

「そいつは結構。だが、お前は諦めてるようだが私は勝ちを諦めてないぞ」

 そう口にして、カニは思わず笑ってしまいそうになった。
 無策でここへ来て、無策のまま戦っているのに私はどの口で……と。
 だがことここに至っても尚、不思議と負けるとは思えないのだ。

「そうか……だが、数分で魔力が切れる」
「ふぅん、だったら後は隠れてるが良いさ」
「いや、お前の盾にぐらいはなってやるよ。ワガママを通した侘びにな」
「ハ! 盾ならそこらに転がってるから別に要らん。遠慮せず隠れてろ」

 少し危ない攻撃が来るも転がっていた死体を盾にすることで勢いを弱らせ、その間に回避。
 この死体利用闘法とも言うべき外道のスタイル。
 しかしカニは全く以って心を痛めていない。
 死ねばそこまで、人はそういう生き物だ。
 であれば生きている人間がどうしようと自由――これもナチュラル屑の思考である。
 死体損壊とかそういうレベルじゃない。

「そう、か。それこそ、後はそれぐらいしか役に立たないんだがな……」

 紫苑はカニが勝てるなどとは思っていない。
 ゆえに隠れたところでどうせ殺されると高を括っているのだ。

「チッ……良いから、隠れてろよ!!」

 何故、こうも他人の身を案じてしまうのか。
 本当に本当に意味が分からない。これが恋とか愛とかそういう感情ではないのは確かだ。
 春風紫苑、この男はかなりの上物だ。
 これを負かしてやればさぞ気持ち良いだろう。
 でも何故か、どうしてか、今のままでは駄目だと思ってしまう。
 喰い時はここじゃない、理由も分からないままそう思ってしまう。
 カニは答えが出ぬままに、それでもその警鐘に従って紫苑の襟首を引っ掴み、

「へ?」
「おらぁああああああああああああああああああ!!!!」

 力任せに紫苑を京都タワーホテルの中にぶん投げた。
 建物の四階辺りの窓を突き破って彼の身体は屋内を転がる。

「(や、野郎……! な、何をしやがる……!!)」

 勢い良く壁に叩き付けられたことでようやく身体が止まった。
 呻きながら立ち上がろうとしたが……。

「――――あ」

 タイムリミットが訪れる。
 身体から力が抜けて、あの疲労が身体中に広がってゆく。
 指一本動かすのすら億劫で、立ち上がるなんて出来やしない。
 疲労と痛みが鎖となって紫苑の身体を縛る。

「(あぁ……どうせ死ぬし、このまま寝ちまおうかなぁ……。なあオイ、カッス)」
『あん?』
「(最期だから言うけど――――俺の人生にケチがつき始めたの、お前と出会ってからだよな)」

 この疫病神――そう告げて紫苑は瞳を閉じ、すやすやと穏やかな寝息を立て始めた。
 もう完全に自分の生を諦めている。

『……最期の言葉それかよ。いやまあ、最期にはならんがな』

 さて、寝たと言っても呼吸は止らない。
 今も尚、神便鬼毒酒の霧を吸い込み続けている。
 疲労後に更に神便鬼毒酒を摂取するとどうなるか、それはまだ紫苑も試していない。
 この場でそれを知っているのはカス蛇だけだ。
 彼だけは正確に紫苑の身体に起きている異常を察知していた。

『■■■■、お前は正にチートだよ。正に鬼札だ、どちらの側にとってもな。
だがな、邪魔なんだよお前。後々出張られるとウザイことこの上ない――だから死ね』

 春風紫苑という存在の奥底で、穴が広がっていく。
 呼吸をする度に、神便鬼毒酒を摂取する度に穴が広がっていく。
 ドンドン隠されていたものが露出し始める、しかしカス蛇は知っていた。
 穴が完全に開いてしまえば超人になれるが、カス蛇はそれを望んでいない。
 紫苑は超人になってはいけない、雑魚いままが一番なのだ。
 それに、そうなってしまえば紫苑は府内に転がっている冒険者共と同じ末路を辿ってしまう。
 今の状態こそが奇跡なのだ、ゆえに"皮"を保持しなければいけない。
 ギリギリを見極めねばいけない。
 両立しない二つが成り立ち、この霧の中でも動ける境界を。
 霧が晴れた時、今までにない揺り返しが起こるだろうが……今は生きるのが優先だ。

『なあ紫苑、俺様……お前に特別な力なんてないって言ったよな? ありゃ嘘だ。
お前は特別だよ、初めて会った時から気付いてた。なんつーか……奇跡だよ、お前。
そんなお前と出会えたからこそ、俺様は本懐を果たせそうだ』

 徐々に、徐々に紫苑の黒髪が白に染まってゆく。
 まだだ、まだ先だ、もう少し、後少し――――カス蛇は境界線を見極めた。
 彼は己の総てを懸けて、駆逐されてしまいそうな"皮"を包み込んで守護する。
 これが存在している限りは完全にはならない。

『――――紫苑、お前をここで終わらせるつもりはねえ』
+注意+
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