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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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不吉の足音

「なあ元、お前がスキンヘッドにしてから結構経つけど……全然髪生えないよな」

 実習を終えたハゲは転移室を出て仲間と共に教室を目指していた。
 その途上で頭のことに触れられたのだが、生えないと言うのは大きな間違いだ。

「ちっげーよ。こりゃ剃ってんのさ」
「え? 何お前、このままずっとハゲで行くつもりなん?」
「おう。これがまた意外と便利でよ。シャンプーも必要無いしな」

 石鹸でそのまま洗えると言うのはこれがまた楽なのだ。
 朝だって寝癖を直す必要も無いし、夏は涼しい。
 冬になれば寒いだろうが、それはまた先の問題だ。
 その時になってから考えれば良い。少なくとも今は髪を伸ばそうとは思っていない。
 最初は自戒のためだったが、今はすっかり気に入っているようだ。

「ほーん……そんなもんかね。つかやべ、ちと催した。便所行ってくらぁ」
「おう、つか一々言わなくて良いから」

 一人になったハゲはそのまま真っ直ぐ教室へ。
 中に入ると先に実習を終えて戻って来ていた生徒と――――紫苑が居た。
 自分の席に座って本を読んでいる。

「あれ、今日は居るのかよ?」

 とある事情でパーティメンバーが居ない紫苑は、
ここ最近は実習の時間になると常に何処かへ行っていた――それがハゲの認識だ。
 なのでここ最近はこの時間帯に顔を合わせることもなかったのだが……。

「ああ、今日は休みだ」

 確かに紫苑は神便鬼毒酒でどうこうなることはない。
 だが連日、摂取させると言うのも少しばかり気にかかる。
 何せ貴重な人材なのだ。ギルド側としても健康面には気を遣っていた。
 その一環として休日を与えたと言うわけだ。

「へえ……だったら学校に残ることねえだろうに。誰かと待ち合わせか?」
「一人の家に帰っても、な。ああ、これで結構俺は寂しがり屋なんだよ」

 冗談めかした微かな笑顔。
 入学仕立ての頃に比べると随分柔らかくなったと釣られてハゲも笑顔になる。

「OKOK、じゃあ俺がお前の寂しさ埋めてやるよ」
「(気持ち悪い野郎だぜ)フッ……それより花形、例の文通はどうなんだ?」
「ん、おお……まあ、何だ? 順調だよ」

 照れたようにそっぽを向き頬を掻くその姿は初々しさに満ちていた。
 それがまた紫苑の嫌悪を掻き立てるのだが、それはまた別の話だ。

「それは何よりだ。ああ、影ながら応援しているよ(恋が砕け散るのはな)」

 誰が誰と付き合おうが欠片も興味は無い。
 でも良い感じに青春している人間の恋が破れる瞬間は見たい。
 相も変わらずゲッスい思考である。

「おう、サンキュ」
「フッ……ところで、今日の実習はどうだった?」
「ああ……割かしメンドイ系よ」
「となると採集系か?」
「ああ。苔採って来いって言われたんだが……そう言うの得意じゃねえからな」
「何、得手不得手があるのは当然だ。そう小さくなることもないだろう」
「……だな。お前だって直接戦闘とかはからっきしだし」
「ハハハ、そうだな(馬鹿にしやがって馬鹿にしやがって首吊って死ね)」

 言うまでもないが別に馬鹿にする意図はなかった。
 ハゲは単純に事実を口にしただけでそこに悪意などは微塵も含まれていない。
 紫苑とは違うのだよ紫苑とは。

「ところでお前何読んでんの?」

 手元の本を指差すハゲ、
タイトルは見たことも聞いたこともないものでジャンルすら想像出来ていないようだ。
 その無知っぷりに紫苑は若干癒されて機嫌が若干上向きになる。

「(アホだなコイツ。これだからハゲはハゲなんだよ)
マクベスだ。本来は演劇だが、小説用に書き直されているやつでな」
「まくべす……?」
「シェイクスピア、名前ぐらいは知ってるだろ?」
「あー、はいはい。知ってる知ってる。けど何だってそんなもん読んでんだ?」

 カッコつけるため以外にあると思ってるのか。

「趣味でよく古書店を回ってるんだが……まあ、何だ……これが安くてな」

 お値段一冊二十円である。

「暇潰しには良いってわけか。見た感じ、随分熱中してたようだが……良い買い物したじゃん」
「ああ。俺も名前ぐらいしか知らなかったからな。読んでみたらこれが中々」

 紫苑は成功を収めた人間の転落劇を何よりも好む。
 ハッピーエンドよりもバッドエンド、そんな彼にとってマクベスはお誂え向きだった。
 史実のマクベスとは違うが戯曲のマクベスは中々に紫苑好みの転落を辿る。
 雑把に言うと良心の呵責に苛まれながら悪業を犯して王位を手に入れたのに、
長く君臨することも出来ずあっさり手放す羽目になり失意のうちに死ぬというのがあらすじ――完璧だ。
 四大悲劇の一に数えられてはいるが紫苑からすればこれは喜劇。
 腹が捩れて笑いを止められないほどの喜劇、ハマらないわけがない。

「色々考えさせられる作品だ。花形もどうだ?」
「無理無理、俺は漫画とかで十分。まあ、お前はそう言うの読んでなさそうだけどな」
「おいおい、俺を何だと思ってる。漫画くらい読むさ」
「マジで? 何かそんなイメージねえんだけど」
「本が好きだからな、本に貴賎は無い。とは言っても漫画は中々集められないがな」

 短くまとまっている作品ならばともかく、長過ぎる作品は単純に部屋のスペースを取ってしまう。
 ゆえに紫苑は漫画などは大抵漫画喫茶か、
買うにしても中古で尚且つ十冊以内に収まっているものしか選ばない。

「ほう、んじゃ今度オススメ貸してやろうか?」
「良いのか?」
「おう。つってもうちのチビ共も読んでるから若干ボロっちいがな」
「弟さんと妹さんか……下の子が居るってどんな感じなんだ?」
「? いや、お前にもアリスちゃんが居るじゃねえか」
「確かにアリスは(建前上)家族みたいなものだが、出会いは他人だったからな。
やっぱり今も何処か俺に気を遣っている部分もある。と言うかそもそも同年代だぞアイツ」

 家族のような存在というならば雲母とアリスがそうだろう。
 しかし紫苑自身は認めていない。あくまで建前上そう振舞っているだけ。
 本当の家族と言うのならば死んだ両親だけで、
その両親にしたって子の心をまるで理解していなかったのだから真の家族とは言い辛い。
 そういう意味で紫苑は天涯孤独を体現していると言えよう。

「まあ、そりゃそっか。でも、どんな感じねえ……ちょいと抽象的過ぎだわな」
「どんな風に暮らしてるのかとか、どんな気分なのかってことだよ。
俺の貧困な想像では漫画とかに出て来るような感じなんだが……そこら辺どうなんだ?」
「ハハ! あれか、おかず取り合ったりクソくだらねえことで喧嘩したりってか?」
「そうそう、そんな感じ」
「んー……他所はどうだか知らんが、うちではんなことねえなぁ」

 基本的にハゲは弟妹を優先するのでおかずなどは譲ってやるし、
よっぽどのことが無い限り弟妹と張り合って喧嘩をすることもない。
 勿論、いけないことをすれば叱ることはあるが、
それにしたってしっかり諭すように説教するので弟妹も反発することはない。
 なので漫画染みた兄弟像なんてものは余りピンと来ないのだ。

「ただまあ、気分ってか心構えか? そう言うのは確かにあるぜ」
「ほう……聞かせてくれ」
「弟が生まれて初めて抱いた時だったか」

 懐かしむように目を細める。
 命が誕生する、それは世界中何処でだって溢れている光景だ。
 それでも感じることはその人によって違う。
 少なくともハゲにとっては掛け替えのない大事な思い出なのだろう。

「重かった――――物理的な意味じゃねえぞ? 何つーか……命の重さだ。
俺、この子を護らなきゃって思ったよ。だって、俺兄ちゃんなんだもん。
なあ紫苑、何で兄貴が早く生まれて来るか知ってるか?」
「何でって……(何言ってんだコイツ)」
「そいつはな、後から生まれて来る弟や妹を護るためだって俺は思うんだ。
弟を抱いた時に、それを強く自覚した。俺は絶対にコイツらを護れる兄貴で在ろうって決意した」

 天魔も、栞も、麻衣も、ルドルフも、アイリーンも、アリスも、
そしてこのハゲも、Aクラスに属するような者らには総じて情が厚い傾向がある。
 全員が全員凄まじく深い域で愛を体現しているかは分からないが、
先の七人の他にもこのクラスに属している殆どの者にはその手の傾向があるのかもしれない。
 だからこそ何と言うべきか、紫苑の異色さが際立っている。
 何時でも何処でもハブとか超笑える。

「って……ちょっと臭かったかな。悪い、忘れてくれ」

 恥ずかしそうに鼻を擦っている彼を一言で表すならば――――好漢、それに尽きる。

「いや、素敵な信念だよ(あーあ、期待してたのとちげえわ。期待外れだわこのハゲ)」
『どんな期待してたん?』
「(醜い、辟易するような弟妹像を話して欲しかったんだよ。
大体さ、クソガキとか普通に考えてウザくね? 絶対このハゲ良い子ぶってるわ)」

 誰もが自分と同じだと思うなよ。

「よせやい、照れ臭え」
「ハハ、俺はお前のような男と友達になれて本当に誇らしいよ」
「……俺も結構恥ずかしいこと言ったが、お前も大概だよな」
「何だ、俺と友達ってのは嫌か?」
「バーカ、んなわけねえだろ。すげえ好きだよ、お前のことも」

 そんな二人を遠巻きに見ている女子が騒がしい。
 別に良からぬ想像をしているわけではない。
 単純に男同士の友情と言うやつにキュンキュンしているだけだ。
 これは余談だが、こんな展開になったのは紫苑の思惑通りである。
 自分達を見ている女子達へのちょっとしたリップサービスだ。

「(これが俺の凡俗に恵んでやるサービスだぜ!)」
『君は一体何を言っているんだ?』
「(いや、何か女子が微笑ましそうに見てたじゃん?
だったらちょっとぐらいは評判上げるためにもクッセー青春劇やってやろうかなって)」

 何気ない会話ですら利用するこの浅ましさよ。
 常時計算づくで動くと言うのは疲れないのだろうか? それが少しばかり不思議だ。

『ほーん……確かに女子共は喜んでるみてえだな』
「(だろ? そう言うの好きそうな感じだからな。御客様のニーズに応えてってやつよ)」
「ところでよぉ紫苑」
「ん?」
「その指輪、どうしたんだよ?」

 ハゲの視線は首からかかっている指輪に向けられていた。

「アリスにプレゼントされた。初めて自分で稼いだ給料でな」
「ほお……」
「俺に隠れてこっそり作っていたらしい。
宝石のカッティングから何から何まで全部アイツのハンドメイドだ。凄いだろう?」
「おう、男冥利に尽きるじゃねえの?」

 からかうように肘で小突くハゲに困った顔をする紫苑だが、内心では憤慨していた。
 おいお前、何この俺に無礼を働いているんだ――――と。

「言葉じゃ足りないくらい嬉しいんだが……ここまでしてくれるってのが申し訳なくもあってな」
「バッカ、誇れよ、そこは。それだけしても良いってくらいお前は好かれてんだから」

 感謝と愛情の証、それは素直に受け止めるべきだ。
 ハゲの言葉は何処までも真っ直ぐで、だからこそ紫苑に届かない。

「そうだな(コイツちょっと酔っ払ってんじゃねえの?)」
『お前も常時酔ってるようなもんだけどな』

 と、そこで携帯が震える――――紫苑の待っていた連絡が来たのだ。

「すまん花形、そろそろ行くよ」
「ん? ああ……けど最後にちっと聞かせてくれ。四人の具合はどうなんだ?」
「経過は順調だよ」

 紫苑は大抵は実験の終わりに見舞いに行っており、その経過もしっかり把握している。
 四人は今、意識を取り戻し身体もそこそこ動くようになっていた。
 とは言っても戦線復帰出来るほどではない。

「そうか……そりゃ良かった」
「今度また見舞いに行くから花形も心配してたと言っておくよ」
「おう、よろしく」
「ああ、じゃあな」

 本を鞄に仕舞って教室を出る、目指すは図書室である。
 先ほどのメールは百合からで、実習も終わって今は図書室に居ると言う内容だった。

『しかしあの四人、やけに回復遅くねえか?』

 実験で神便鬼毒酒を飲んだ冒険者は他にも居る。
 だが、その者らは既に完全回復して病院を出ている。
 未だに弱体効果が残っているのは四人だけだ。

「(ああ……多分、アムリタのせいなんだろうな)」

 考えられる要因はそれしか無い。
 だが、試すにしてもアムリタは貴重品だしそうそう使えるわけではない。
 何せあれは死に掛けの絶体絶命のタイミングをあっさり覆すことが出来るのだ。
 冒険者にとっては喉から手が出るほどの一品。
 それゆえにギルド側もアムリタを所持している紫苑に提供を求めることが出来ない。
 他に所持しているのはインド側のギルドだが、そっちからの調達も難しいらしい。

「(まあ俺としちゃあ穏やかな日々が続いてるし、どうでも良いがね)」

 四人が戦線復帰しない限りは普通の実習も、例のダンジョンに潜ることも出来ない。
 それは何よりも幸せだった。
 小さな平和、そのありがたさを誰よりも噛み締めているのは紫苑だ。

『そうかい。ま、お前ならそう言うと思ったがね』
「(ったりめえだ。んで俺が馬鹿共の心配せにゃならんのだ)」
『はいはい。そういやよ、何でお前図書室で待ってなかったんだ?』

 百合と待ち合わせをしていたのならば先に図書室で待っていれば良かった。
 しかし紫苑はそれをせずに教室で一人読書。
 言われてみれば確かにおかしい。

「(だってお前……何時間も待ってたら、俺が心底楽しみにしてるって感じに思われるだろ?
何かがっついてるみてえだし、大天使を調子づかせたくないもん。
あくまで俺が上、大天使が下じゃなきゃヤダー! ってなわけよ)」

 クッソくだらない見栄を恥ずかしげもなく口に出来るのは恐ろしくもある。

「――――すまない、待たせたか」
「いえ、そんなことないです」

 図書室に入ると、何時もの席に百合は居た。
 相変わらず自分に自信がなさそうな顔、滲み出る卑屈さ、もう堪らない。
 紫苑の幸福は留まるところを知らない――しっぺ返しは近いぞ。

「疲れているようだが……大丈夫か?」

 百合の肌にはうっすらと汗が浮かんでいる。
 実習終わりで休むこともせずに図書室へ来たのだろう。

「あ……み、見苦しいところを……ご、ごめんなさい!」

 言うまでもないが百合のスペックは高い。
 なので下級クラスの実習程度では疲れるなどまずあり得ない。
 この汗はわざわざ頑張ってる自分を演出するためにわざとかいたものだ。

「いや良いさ、頑張ってる証じゃないか。誇れよ黒姫」

 これがもし百合以外で親交のある女性だったとしよう。
 臭いんだよ、みっともねえ、熱消毒して出直せ! ぐらいは心の中で言っていたはずだ。

「は、はいぃ……」

 赤くなって俯いてしまう百合だが、彼女は内心でガッツポーズをしている。
 褒めてくれた! 褒めてくれた! マジでたまんねえ! ってな具合だ。

「そう言えば、黒姫は前衛だったよな?」
「そうですね。皆さんの足手まといですが……」
「余り卑屈になるな。ちょっと聞きたいんだが一体どんな武器を使っているんだ?」

 天魔ならば徒手空拳プラス義肢に仕込んだマシンガンなど、
栞ならば糸、ルドルフは槍と言った感じだが百合は一体何を使うのか。
 詳しく聞いたことがなかったので少しばかり気になったのだ。

「薙刀を使わせてもらってます」

 本来の得物は栞と同じく糸なのだが、それをおおっぴらに使えばバレてしまう。
 なので仕方なしに今は薙刀を使っている。
 得手ではないものの、冒険者として大成する気も無い百合にとっては無問題だ。

「(女の子っぽくて良いなぁ……)」
『お前気持ち悪いなぁ……』

 紫苑が百合のことを好いているのは嫌ってほどに知っている。
 それでも彼が他者をベタ褒めすると言う違和感しかない事象がどうにも気持ち悪いカス蛇だった。

「薙刀か……やっぱり昔から習っていたとか?」
「ええ、とは言っても誇れるほどの腕はありませんが……」

 良家の子女の嗜みとして習ってはいたが、
そこまで熱を入れていたわけでもないし期間も長くは無い。
 実質素人同然と言っても良いだろう。
 ゆえに百合のこれは謙遜と言うわけでもなく純然たる事実だ。

「そもそもからして、私、戦いに向いてないかもしれません」

 ずーんと重い空気を撒き散らすその姿は本当に落ち込んでいるようにしか見えない。
 これがカマってちゃんだとは誰も思わないだろう。

「あ、ごめんなさい……何時も何時も愚痴ばかり言ってしまって……」
「良いさ。それで少しでも心が楽になるならな」

 ポンポンと優しく頭を撫でる紫苑。
 互いが互いに騙し騙され見抜けないまま嘘の幸せに浸っている。
 この場に満ちる虚飾の霧はあまりにも深く、誰にも見通せない。

「……ありがとうございます」
「どういたしまして。さ、今日の復習を始めようか」
「はい!」

 教科書を取り出して午前中の学習内容の確認を始める二人。
 通常の授業においてもAクラスは他に比べると厳しめで、どんどん先に進んでしまう。
 なので自然と紫苑が百合に教える側になるのだ。
 彼は自尊心を満たせて、彼女は大好きな人の授業を受けられる。
 歪み切ってはいるがWin-Winの関係と言えよう。

「何時も何時も、本当にありがとうございます。貴重なお時間を割いていただいて……」
「何時もと言う頻度でもないさ(本当はもっと一緒に居たいのになぁ……)」

 あまり百合にかまけていると、怪しまれてしまう。
 他の付き合いを疎かにすることで疑念を抱かせ、
この逢瀬のことを知られてしまうのは何が何でも避けなければいけない。
 紫苑はグッと涙を堪えて会いたい気持ちを押し殺しているのだ。

「だから、その……次の中間テストで、頑張ります!」

 教えてくれた分、少しでも順位を上げてみせる――と言うことなのだろう。

「(は? ふざけるなよ)ああ、楽しみにしてる」

 駄目な奴は駄目なままでなければいけない。
 紫苑は百合の成長など欠片も望んでいないのだ。
 むしろ頑張っても駄目だと言うところを見せて欲しいと誰よりも願っている。

「はい!」

 さて、決意表明をした百合だが――――勿論やる気は無い。
 順位など幾らでも調整出来るだろう。やろうと思えば一気に上位に食い込める。
 だがそれでは駄目なのだ。黒姫百合が成長することで失われるものがあるから。
 何せちゃんと出来るようになれば教えてもらう必要が無くなってしまう
 勿論、一緒に勉強することは出来るだろう。
 それでも頭を撫でてもらったり、
問題が解けた時に我がことのように喜んでくれる紫苑の笑顔が見えなくなってしまう。
 百合はそんなこと望んでいない。
 ゆえにこの歪んだ関係はこの先も続いていく、これは確定された未来だ。

「しかし中間テストか……確か十月の終わりだったよな?」
「ええ、それが何か?」
「いや、何でもない」

 紫苑が危惧しているのは中間テストを予定通り受けられるかどうかだ。
 勉強して勉強して、そのまま中間テストに――それが一番望ましいだろう。
 だが、勢いを挫くようにギルドから指令が下る可能性が高い。

「(と言うか中間テストがある来月はもう無しにしてくれよ……)」
「あ……そう言えば」
「? どうかしたか」
「ああいえ、ふと思い出したんですが……春風さんの御仲間の方、最近学校来ていませんよね?
クラスの子が最近ジンネマンさんの姿が見えなくて寂しいって言ってて……」

 カニ経由で四人が病院に居ることは知っているがそれ以上は知らない。
 百合としては是非ここで四人の容態を知っておきたかった。

「ん、ああ……少し、入院しててな」
「入院? その、大丈夫なんですか?」
「(アイツらの心配なんざするなよムカツクなぁ……)ああ、命がどうこうってわけじゃない」

 心配そうな顔をする百合を見て不機嫌になる紫苑だがそれは勘違いだ。
 彼女は四人の心配なんてしていない。
 むしろ栞が無事であると言う事実に舌打ちしたいくらいだった。

「そうですか、それは何よりです」
「ありがとう、仲間を心配してくれて」

 紫苑は百合が自分以外の人間を気にかけることが気に入らない、
それでも評価を崩したくないからこうやって礼を述べる。
 百合は百合で紫苑の評価を崩したくないから表面上は良い子ぶる。
 噛み合っているようで噛み合っていない、何とも滑稽極まる会話だ。

「いえ……それより、皆さんが居なくて春風さんも寂しいのでは?」

 いいえ、むしろ大喜びです。
 仲間が居ないことで享受出来る幸せを全力で噛み締めています。

「そうだな……うん、何時も傍に居る誰かが居ないのは寂しいよ
けどまあ、クラスメイトや、家に帰れば家族が待っているからな」

 だから自分は恵まれている、胸を張って断言するその顔は酷く眩しかった。
 自分が薄汚れているからだろうか?
 そんな自嘲が浮かびそうになるが、百合は寸でのところでそれを押し留めた。
 だって素敵な彼の顔を曇らせたくはないから。

「一緒に暮らしてらっしゃるミラーさん、でしたっけ?」
「そうだが……知ってるのか?(おいおい、Aクラス以外にも知られてんのかよ……)」

 少し驚いたような顔の紫苑だが内心ではかなりげんなりしていた。
 赤の他人であるロリと同居なんて風聞が悪過ぎる、と。
 Aクラスの誤解はハゲを利用して解いてはいるが、他のクラスもとなるとそうはいかない。
 対応策を考えつつ紫苑は百合の答えを待つ。

「え……あ、はい。以前そう言う噂を小耳に挟んだことがありまして」
「(大天使まで誤解してんのかよ……)」

 百合が妙な顔をしている理由を紫苑はそう受け取ったがそれは違う。
 彼女は嘘を吐いている、実際にはアリスと同居しているなんて噂は流れていない。
 Aクラスの誤解を解いた時点で話は終わっている。
 百合が知っているのは自分で調べたからだ。

「(とりあえず大天使の誤解だけは解かねば……だが、何か妙な感じも……まあ気のせいか)」

 感じた違和感は当然のことながら百合が嘘を吐いているからだ。
 しかし、今の紫苑には見抜くことが出来ない。
 黒姫百合は凡庸で嘘を吐くような度胸も無い小物だと決め付けているから。

「ちなみに、その……ミラーさんとは……」
「彼女とは色々あってな。家族のような存在ではあるが……」
「妹のような存在、ですか?」
「まあ、そんなところかな(一先ずはこんなところで良いか)」

 ムキになって否定すれば余計に怪しく見えてしまうのが人間と言うやつだ。
 ゆえに紫苑はこの程度の弁解で留めた。

「さあ、お喋りはここまでにして勉強を――――ん? おい、携帯光ってるぞ」
「え?」

 机の上に置かれていた百合の携帯のランプが点灯している。
 メールか電話があったのだろう。

「ちょっと失礼します」

 そう言って確認したところで――――苦い表情になる。
 百合がこのような顔を見せたところは今までになく、紫苑は僅かばかりではあるが驚いた。
 同時に少しばかりの好奇心が沸いて来る。

「どうしたんだ?」
「……いえ、遠方に住んでいる友達が大阪に来たようで……」
「? 苦手、なのか?」
「そうでもないんですが……彼女、夏休みにも大阪に来たばかりなのにどうしてかな、と」
「(女か……良かった)そうか」
「その、既に校門で待っているようなので私はこれで失礼しますね」
「(残念だ……)分かった、気を付けてな」
「はい」

 帰り支度を整えて百合は校門へと向かう。
 だが、校門の前には赤毛の少女など見当たらない。
 居るのは三つ編みとそばかすが特徴的な地味ぃな女子だけ。
 しかし百合は知っている、それがカニであることを。

「お待たせしましたねカニ」
「いや、待ってないさ。何だか機嫌が悪そうだが……あれかね、逢引の最中だったか?」

 からかうような口調に対して百合はじと目で肯定の意を返した。

「それなら無視してくれても良かったのにな」
「私だってそうしたかったですよ。でも、あなたを放って置くのは……ねえ?」

 無視すれば自分を探しに図書室までやって来るかもしれない。
 そうすれば紫苑と顔を合わせてしまう。それだけはどうしても避けたかったのだ。
 この友人はどう言うわけか自分の想い人に興味を抱いている。
 それが恋とか愛でないのは明白だが、それでも放置は出来ない。
 何せカニに目をつけられるというのは決して良いことではないから。
 ゆえに最低限の接触すらさせないように傍で見張らねばならないのだ。

「で、急にどうしたんですか?」
「仕事だよ仕事。ギルドのな。ほら、前にメールしただろ? 春風紫苑以外が戦線離脱してるって」

 他のパーティは別の場所で別のダンジョンを探索しており、
手が空いているのはカニのパーティだけだった。
 ゆえに近畿圏で見つかった他のダンジョン探索に駆り出されたと言うわけだ。
 何も望んで大阪に来たわけではない。

「ふぅん……でも、御仲間と一緒じゃなくて良いんですか?」
「構わんよ。私個別でギルド大阪に呼び出されていたからな」
「あなただけが?」
「ああ。春風紫苑が持ち帰った神便鬼毒酒、アレが通じないのは私も同じだからな」

 こっちに来たことだし、そのことについて本人から詳しい事情が聞きたいと打診があったのだ。

「……」

 紫苑と同じ、その単語が百合の嫉妬心を掻き立てた。
 かなり心臓に悪い類の殺気が放たれているのだが柳に風とばかりにカニは平然としている。

「お前の妹もやられた千丈ヶ嶽のダンジョン潜ったりするから、
しばらくは大阪に居るつもりだ。まあその間、よろしく頼む」
「はぁ……しょうがないですね」
「で、早速なんだが私は腹が減った。どっか美味い店連れてってくれよ」
「分かりました」
「? 私から聞いといて何だが……お前、そう言う店知ってんのか?」

 復讐以外のことに無頓着だったのはよーく知っている。
 一応今は復讐も終わっているが、だからと言っていきなりそう言う方面に詳しくなるとも思えない。
 目をパチクリさせるカニに百合は苦笑を返す。

「その反応も分かりますけど……ちゃんと理由があります。
いずれ春風さんとデートをする時のためにちゃんと勉強しておいたんですよ」

 とは言え引っ込み思案で通っている以上自分から誘うのは難しい。
 どうにかして紫苑に誘ってもらえないか、それが目下の課題だった。

「ほう……乙女だねえ」
「でしょう? さ、とりあえず駅に行きましょうか」

 歩き出そうとした百合だが、ふと友人が足を止めていることに気付く。

「? どうしたんです」

 あらぬ方向を見つめているカニ。
 その視線のずーっと先にあるのは――――京都だ。

「いや、なーんか首筋がビビっときてな……ケケ、近々楽しそうなことが起きるぜこりゃ」

 紫苑が甘受している幸福へのしっぺ返し、その足音はもうすぐそこまで来ていた……。
+注意+
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