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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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嘘から出た真 参

 ギチギチと力いっぱい膨らんだ両の腕は下手な女性のウェストよりも太い。
 分厚いワイヤーを束ねて捻ったような筋肉。
 それが振るわれれば分かり易いまでの破壊が巻き起こることは予想に難くない。

「フンッ……!」

 飾り気の無い右ストレートが眼前に居た鬼の顔面を破裂させた。
 同時に真横に居た鬼の拳が顔面に、その凶悪な爪が横っ腹に突き刺さるが身動ぎもしない。
 もとよりこの身は人形、人に限りなく近かろうともそれは不変の事実。
 であればどうして痛みなどに動きを縛られようか。

「!?」

 驚いたのは鬼達だ。何だこれは、道理に合わぬ。
 殴られれば痛いはずだ、尖ったものが刺されば痛いし血が出るはずだ。
 そいつは本能であって僅かなりとも動きを鈍らせるのが当たり前。
 だがこの男は何だ? まるで鈍った様子も見せずに反撃をしている。
 顔面を殴った同胞の腹部に大穴が開いて絶命しているではないか。

「ある意味、自分とお前達はそっくりだな」

 戸惑っている鬼の顔面に回し蹴りを放ち命を刈り取る。
 頭を失い倒れる寸前の身体は利用させてもらおう。
 ルークは頭部の無い身体の腕を引っ掴んで力任せに振り回す――即興の鈍器だ。
 壊れるまで酷使し、壊れたらまた調達すれば良い。
 何せ数だけはやたら揃っているのだから。
 防御を考える必要も無く、活動限界を超えるダメージを見極めていれば好き勝手に動ける。
 それが人形の強み。ルークは自身の強みを最大限に活かしていた。

「主の命に従って動く――まあ、そちらに主従の概念があるかは知らんが」

 紫苑はカマキリに送ったメールに詰め込めるだけの情報を詰め込んでいた。
 ゆえに鬼の集団を統率している五匹が居て、
完全なる縦社会で絶対に揺るがないと言う彼の私見も当然知らされている。
 だからこそファーストアタックを終えた後、雲母、アリス、アイリーンの三人は五匹に襲い掛かった。
 強固な結束を支えている柱から崩しにかかったのだ。
 立て直しには若干時間がかかる、その読みはドンピシャ。
 だからこそ、こうやってルークの無双が続いているのだ。
 立て直し終わる前に削れるだけ削る。
 屠っても屠っても数が減ったようには思えず、普通ならばげんなりしていただろう。
 肉体的にも精神的にも疲労は避けられない――――が、ルークには無縁のこと。

「ボーナスタイムだ」

 肉体的にも精神的にも疲労はしない。
 流れ作業のように眼前の敵を殺し続けることが出来る。
 さて、順調なルークだが、それは他の者らも同じだった。

「すっとろい」

 任された二匹の相手をしているアイリーンは前後からの時間差連携攻撃をあっさりといなす。
 言葉通り、彼女にとっては遅いのだ。
 空振ったことで若干体勢を崩す二匹だったが、即座に立て直した。
 暫定的に幹部級と称するとして、雑魚とは違うことがよーく分かる。
 アイリーンはこのように理性的な戦い方をするモンスターとの戦いは始めてだった、
ゆえに確実を期すためにまずは見の姿勢を取って手を出していなかったが……。

「問題はなさそう」

 そもそも知能を有する敵と言うのならば、人間との交戦経験でこと足りる。
 モンスターだから何某かの不思議な力は所持しているかもしれない。
 だが、そのようなことは関係無いのだ。
 他の者にとっては別でも問題無いと言い切れるだけの力がアイリーンにはある。
 ゆえにそれは驕りでも何でもない、当然の感想だ。
 クルリと片手で槍を回してタイミングを合わせ、突進して来る鬼の腹に槍を突き刺す。

「予想通り」

 鬼は腹に刺さった槍を腹筋で締め上げ、豪腕を以って槍を握り締める。
 得物を封じてやったぞと言わんばかりに歪む鬼の顔面。
 だがこれは予想通りだった。
 わざと取らせてやったのだ。
 アイリーンは槍を握る手にめいっぱいの力を込めて――――鬼ごと持ち上げる。
 そしてそのまま跳躍、仕掛けるタイミングを窺っていた鬼の頭上に躍り出た。
 鬼の重量は200kgを優に超えているが彼女はまったく苦にしていない。
 その痩躯からは考えられないほどの馬鹿力だ。

「即席ハンマー」

 鬼の自重による落下プラス振り下ろしの力が加わった槍が地上に居る鬼の頭上に叩き付けられた。
 本人も言っているようにこれは即席のハンマーだ。
 槍を鬼の腹部に固定させることで造り上げた大槌は見事に鬼達の命を磨り潰した。
 硬いものと硬いものを全力でぶつければどうなるか、実に単純なことだ。
 "問題はなさそう"――その言葉に偽りはなく、僅かな苦戦もなくアイリーンは鬼を倒してのけた。
 伊達に劇毒のフルコースで弱らせねば勝てないだけはある。
 真っ当な勝負で彼女が負ける姿は中々想像出来ない。

「……助けたい、けど安全優先」

 今すぐに湖に飛び込んで紫苑らを救出したい。
 だがまだまだ雑魚鬼は残っている。まずはその排除を優先すべき。
 後ろ髪を引かれながらもアイリーンはそのまま雑魚鬼の群れに突っ込んだ。
 彼女が加わったことで雑魚殲滅は更に加速することになる。
 一番早くに自分の役目を終わらせたアイリーン。
 雑魚討伐を除くと残るはアリスと雲母だ。

「正面切っての力比べじゃ分が悪いわね」

 隻腕の鬼はボロボロの大太刀を以って雲母のそれと鍔迫り合っていた。
 相手は片手だと言うのに押し切れない。
 鬼の剛力、その面目躍如と言ったところだろうか。
 正面からの押し合いで彼女が勝てる可能性は低い。
 ゆえに雲母は即座に脱力して前方からかかる力を受け流した。
 そしてそのままするりと敵の横をすり抜けて背後に回り込んだ。

「反応が早いわね」

 後ろから首を薙ぎ払おうとしたのだが、
隻腕の鬼も伊達にこの場に居る鬼達の中で一番強いわけではない。
 刃が首に届くよりも早くに振り向き、その勢いのままに刃を振るって雲母の刀を弾いた。

「しかし……」

 不思議だ、と雲母は思った。
 通常、ダンジョンの中に居るモンスターは一種類だけではない。
 こう言うダンジョンのように鬼だけで構成されている方が稀なのだ。
 だが彼女の驚きはそれではない。
 驚いているのは隻腕の鬼が初めから隻腕と言う傷を負っていることだ。
 異なる種族のモンスターが同居している通常のダンジョンでもモンスター同士の殺し合いは無い。
 なので当然、人間の前に出て来る時は無傷のままだ。
 だと言うのにこの鬼は明確な傷を持っている。
 縦社会ゆえに鬼同士で殺し合った結果と言うわけではないだろう。
 ならば人間が? いいや、この孔は四日前に出現しばかりだ。
 初めてここに踏み込んだのは紫苑達であって他には存在しない。
 そしてその彼らも鬼と戦ったわけではない。
 ならばあの腕は一体どうして失ったのだろう?

「ふふ」

 考えたところでこの頭では分かるまい。
 ゆえに今漏らした笑みは自嘲のそれだったのだが……。

「――――哂ったか」

 隻腕の鬼が漏らした言葉は血霧が満ちる戦場には似つかわしくないほどに冷たかった。

「哂ったかぁああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 鬼は雲母の笑いを侮辱と受け取った。
 下等なる畜生に奪われたこの腕を哂ったのだと。
 極大の赫怒はそのまま攻撃の苛烈さに繋がった。
 突如としてキレた鬼に戸惑いながらも雲母はその攻撃を捌いてゆく。
 精細さこそ欠いたもののそれを補って余りある剛力は着実に彼女を劣勢へと追い詰めていった。

「何もない方の腕を哂った……と受け取られたのかしら?」

 が、雲母に焦りは無い。
 伊達に修羅場を潜っていない、この程度窮地と呼ぶのもおこがましい。
 するりするりと敵の刃をいなしながら、一つの決断をする。
 冷静さを失ったのなら丁度良い。
 中途半端に残しておくのもみっともないだろう。
 であれば残る理性も殺いでしまおう、そして獣に落とすのだ。
 突っ込むだけの敵など喰らうに容易い餌なのだから。

「あの阿修羅に比べればどうってことないわね」

 冷笑を浮かべることで嘲りをダイレクトに伝える。
 更に雑になった攻撃を躱す、躱す、躱す、躱す、躱す。
 鬼さんこちら、手の鳴る方へ――――童女のように歌いながら回避に専念する雲母。
 これは確実に来るであろうチャンスを待ってのタメだ。

「うぅぅううおおおお……!!」

 下からの斬り上げ、それを皮一枚で回避する。
 目の前には刃を持った手を振り上げたままの隙だらけの鬼。
 雲母は即座に刃を振るって――――残る片腕を斬断。
 鬼は何が起こったか分からないと言うように呆けた顔をしている。

「――――あ」

 これは亀裂、ここから理性と言う名の水が一気に噴出すのだ。

「あぁああああああああああああああああああああああああ
あぁああああああああああああああああああああああああ
あぁああああああああああああああああああああああああ
あぁああああああああああああああああああああああああ
あぁああああああああああああああああああああああああ
あぁああああああああああああああああああああああああ!!!
またしても、またしても人間にぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 そこから先は最早言葉ですら無かった。
 憎悪の雄叫びを上げてひたすら突進を繰り返す腕無しの鬼。
 それでも湖に突っ込まないようにしている辺り、
最低限の理性があるのかも――――いや違う。
 理性を失っても尚、あの酒は鬼門なのだ。
 鬼が鬼門と言うのも笑える話だが、兎に角あれはそれほどまでに良くないものらしい。
 ならば、と雲母は湖の縁を走り抜けながら刃を水面に突っ込んで刀身に酒を纏わせた。
 そしてそのまま良い位置に誘導し、真正面から鬼の突進を待ち受ける。

「――――抜けば玉散る氷の刃、だったかしら?」

 交差した瞬間に鬼の肉体を切り裂く。
 すると鬼は糸が切れた人形のように崩れ落ちてしまった。
 死んだわけではない、酒を纏った刃が毒となって弱らせたのだ。
 しかしここまで効果覿面だとは……雲母は驚きと共に刃を見つめる。
 鬼の血と酒が混ざり合って赤く染まった刀身は怖気がするほどに怪しい。
 だが、何時までも見蕩れているわけにもいかない。

「さようなら」

 崩れ落ちた鬼の首を刎ね飛ばす。
 雲母は何度か刀を突き刺して絶命しているかを確認、どうやら完全に死んでいるようだ。
 残るはアリスのみ、そしてそちらもそろそろ決着がつきそうだった。

「フフフ、お仲間さんに殺される気分はどうかしら?」

 アリスは殺した片方の鬼を修復して人形にしたらしい。
 数の上では二対一で最初とは完全に逆転していた。

「ががががががががが!!!」
「そうよ、ほら、そのまま首を絞めて。鶏を絞めるようにキュッ、ってね♪」

 アリスの人形に成り下がった鬼が同胞の首を絞めて完全に息の根を止める。
 彼女はそれをつまらなそうに見届けて、最後の命令を下す。

「自分の首を捻り切って元の死体に戻りなさい」

 その命令に抗うことも出来ず、人形は再び骸と化した。
 これで鬼の軍団を束ねていた五匹が完全に居なくなった。後は烏合の衆のみ。
 地獄の転職支援者達によって十分とかからずに鬼達は死体に転職してしまった。
 そして他に敵の気配も無し。これで安全は確保出来たと言えるだろう。
 後は湖に居る五人を救助するだけなのだが……。

「ちょっと待ちなさいアイリーンお姉さん!」

 ずかずかと湖に踏み込もうとしたアイリーンの横っ腹に飛び蹴りをかますアリス。

「何する」

 む、と頬を膨らませるアイリーンだが、彼女は大事なことを忘れている。

「俺は平気だがお前達がここに入って来るのはマズイんだよ。
他四人の二の舞になりかねない(……これだから脳筋は嫌いなんだよ)」
「あ……」
「紫苑ちゃん、ロープを投げるから四人に結び付けてくれる?」
「分かった」

 軽く動ける程度にはもう回復は済んでいる。
 紫苑は投げ渡されたロープをドザエモン(一歩手前)四人に括り付ける。

「あの子達は濡れてるのよねえ……背負うのはちょっとマズイかしら?」
「私に任せてちょうだい。デカブツルーク、鬼の骨を抜き取りなさい」
「……ソリを造るんだな、分かった」

 私に任せてとか言って他人任せかよ!
 そうツッコミを入れたいルークだったが、グッと堪えて鬼の死体から骨を抜き取り始める。
 主に使うのは太くて丈夫な脊椎、それを何本も何本も取り出してロープなどで繋ぎ合わせる。

「これに布を貼り合わせてっと……よし完成!
アイリーン、ロープ引っ張ってお姉さん達をここに乗せてちょうだい」
「了解」

 ずーりずーりと地面を引き摺って四人を陸に揚げ、
四人が十分に乗れる巨大ソリに乗せて撤退準備は完了。

「紫苑ちゃんは乗らなくて大丈夫なの?」

 出来ることならおんぶして連れて帰りたい、雲母の顔にはデカデカとそう書いてあった。
 だが、濡れているのは紫苑も同じなので密着するのはひっじょーにマズイ。

「ええ……俺の場合は、毒と言うより疲労ですから……魔力もすっからかんで……」
「魔力?」

 紫苑が使えるのは強化魔法だ、そして戦闘をしていない以上それを使う機会は無いはず。
 だと言うのに魔力が空とはどう言うことだ? と、アイリーンは問うている。
 最早社会に適合出来るコミュニケーション能力ではない。

「(コイツさ、頭に障害とか抱えてんじゃねえの? だとしたら超嬉しい)
詳しいことは道すがら話そう。でもその前に、皆――――ありがとう」

 多少フラつきながらも紫苑は深く深く頭を下げた。
 四人には当然の如くその意図が伝わったが――野暮は無しだ。

「良いのよ。さあ、帰りましょう紫苑ちゃん」
「賛成」
「デカブツルーク、ソリをしっかり引っ張るのよ」
「……ああ」

 湖に背を向けて去って行く一同。
 一瞬、風もないし石が投げ込まれたわけでもないのに湖に波紋が生じたことは誰も気付いていない。
 大きな生命の目覚め、それに気付くのはまだ先になりそうだ。

「(いかん……本気でしんどいな……)
と言うわけでな、兎を逃がすために幻術魔法を使ったんだ。
如何なる理由か、俺にとってあの酒はドーピングの効果もあったらしい。
幻術は予想外に効いて、魔力を使い果たした途端に消耗してロクに動くことも出来なくなった」
『悪態吐く元気も無いって割とガチじゃねえか』

 悪態を吐いてりゃ元気と言うのもあんまりな話である。

「不可解」
「そうねえ……紫苑ちゃんには匂いすら感じなかったんでしょう?」
「けど、私達は――倒れちゃったお姉さん達も含めて全員その匂いを感じたわ」
「事前情報が無ければ抗い難い誘惑に駆られて彼らの二の舞になっていただろう」

 だからこそ解せない。
 何故紫苑だけが匂いも誘惑も感じず、挙句毒が薬となっていたのか。
 ハッキリ言って春風紫苑は冒険者としては並である。
 魔力も、強化魔法の精度だって槍などのサポートがなければ目も当てられない。
 特別身体が丈夫だと言うわけでもない。
 だと言うのに何故、たった一人だけ逃れられたのだろうか。

「適正外の幻術魔法で数百の鬼を一気に惑わせたと言うのも変な話よね」

 明らかに適正のある強化魔法より凄まじい。
 特別強い五匹も含めた鬼を数百完全に惑わせること自体尋常ではない。
 そんなことを可能とする幻術魔法の使い手が存在するのだろうか?

「私のお友達にも魔法を使う子は居たけれど……それでも適正外のものをってのは聞いたことがないわ」
「幻術が適正?」

 つまり元々は幻術魔法が適正では? アイリーンが意見を口にするがそれも違うだろう。

「いいや、それはないな。適性ってのは正確だ。俺の適正は強化だよ」

 まずは専用機器で適正を調べる。
 その上で適正魔法と適正外の魔法を使って最終確認。
 紫苑は最終確認の際に幻術魔法を使いはしたが効果すら出なかった。

「……やはり不可解だな。自分にはこれと言う仮説も浮かばん」

 総ての原因はあの酒、今の段階ではそれ以外には分からない。
 紫苑が持ち帰った酒をギルドに渡してその結果を待つしかないだろう。

「(ケッ、テメェみてえな脳筋が分かるなら頭脳明晰で顔も良い俺だって分かるわ……)」
『本当に元気無いな』
「(うるせえよ……)」

 身体が動けるようにはなったが、どうにも活力が沸いて来ないのだ。
 一度崩れた見えない均衡が元に戻ったが、どうにも完全に噛み合っていないような……。
 そんな何とも言えない不思議な感覚が紫苑から元気を奪っていた。

「デカブツルークに分かるなら私だって分かるわよ。あまり調子に乗らないで」
「……はい」

 とりあえずディスられるのが悲しいところだ。
 黙っていたら黙っていたで文句を言われるのだから堪ったものではない。
 ルークは今すぐ家に帰ってゴロゴロしながら撮り溜めしていた二時間ドラマを見て心を癒したかった。
 何ともオバハン臭く見た目とも不釣合いな趣味である。

「とりあえず外に出たら救急車だな。皆を病院に入れないと……(心配するフリもめんどくせえ……)」

 じ ゃ あ 止 め ろ。
 疲れている時まで良い人ぶろうとするから余計に疲れるのだ。

「紫苑ちゃんも一緒に行くのよ?」

 眉をハの字にして注意する雲母。
 酒を摂取し酒に浸かっていたのは紫苑とて同じなのだ。
 病院に行って検査してもらわねばならないだろう。

「いや、俺は宿で休めば……(よしよし、思う存分俺の心配をさせてやる)」

 母親としての自尊心を満たさせてやろうと言う薄汚い思惑を孕んだ遠慮。
 しかしまあ、"俺の心配をさせてやる"――――こんな文言を思いつくのはこの男くらいだろう。

「メ、よ。身体は大切にしなきゃいけないわ」

 心底から紫苑を心配しているのだろう。
 優しく温かな母性を滲ませる雲母だが、そんな素敵なマザーイオンもコイツには通じない。

「(ケッ……母親ヅラ出来て満足かよ?)分かったよ、母さん」

 と、言ったところで紫苑は恥ずかしそうに口を押さえる。
 疲れているから自然と本音が出て来てしまったと言うように。
 つまるところこれはアピールだ。
 心の底から雲母を慕っていますよぅ、アピール。
 虚飾を弄する職人芸は霧の中であろうとも禍々しい光を放っていた。

「……お義母さん?」

 紫苑の母親が雲母だと言うのならば、自分にとっても義理の母になるの?
 そんな意図がアイリーンの呟きには込められていたのだが言葉が少な過ぎて紫苑ぐらいにしか通じていない。

「あ、いや……その……」
「ふふふ、また機会があれば説明してあげるわ」

 言いながらも雲母は喜びを隠せていない。
 笑顔が何時もの三割り増しで、頬はほんのりと桜色に染まっている。
 紫苑のアピールはちゃんと彼女にも伝わっていたらしい。

「むぅ……」

 紫苑を除いてこの中で一番雲母と関係が深いのはアリスだ。
 だからこそ、この二人の間に何があったのか気になってしょうがない。
 "お母さん"と言う単語はあの夜に深く関係している言葉だから。

「(こっちもフォローか……)なあ、アリス」
「え……ああうん、何?」
「皆が助けに来てくれたことには感謝の言葉しかない。
が、あの兎が居なければ助けを呼ぶことも出来なかったからな。アリス、本当に助かったよ」

 小さな頭を撫でようと手を伸ばしかけて、紫苑はすぐに手を引っ込めた。
 本当は撫でてあげたいけどまだ手が乾いてないんだ、あー残念! アピールである。

「えへへ、あの子が役に立ったのなら私も嬉しいわ」

 チラリと地面を見やるアリス、今も帰りのナビをしているのだ。
 この兎は簡易の命令しかこなせないし、戦闘だって自爆しか出来ないシンプルな人形である。
 それでも今回の勝利は彼、もしくは彼女の助力無しには成り立たなかったかもしれない。

「帰ったらこの子の服に勲章でも縫い付けてあげようかしら?」
「そう言えばアリスちゃん、この兎ちゃんは男の子? 女の子?」
「一応は女の子よ。男の子兎も紫苑お兄さんに渡しているけどね」
「俺は性別があったのを初めて知ったんだが……」

 そんなこんなでようやっと外に辿り着くと、そこにはカマキリと救急隊員が待っていた。

「早く彼らを担架に乗せてやってくれ」
「いや待ってくれ鎌田さん。今、皆は酒に塗れた状態だ」

 この匂いにあてられて体調を崩さないとも限らない。
 ゆえに紫苑は確認をするためにバッグから酒が収められた容器を取り出した。

「蓋を開ける、心惹かれる甘い匂いを感じた人は外れてくれ。念のために、な」

 反応したのは雲母、アリス、アイリーン、ルークの四人は当然として、
救急隊員四名のうち二名とカマキリも匂いに反応した。

「う……それが罠ってやつかい……?
確かに、事前に駄目だと知らされてなきゃ今すぐにでも奪って飲んでいたかもしれないよ」

 つまり、事前に注意していれば耐えられると言うわけだ。
 であれば病院の方にも徹底させるべきだろう。

「反応しなかった御二人は何か心当たりがありますか?」

 紫苑の問いに首を傾げる隊員二人だったが、
強いて言うなら一般人だからだろうか? と自信なさげに自己申告する。
 どうやら他二人は冒険者としてやっていける人材のようだ。

「一般人には反応しない? いやだが、俺は冒険者だしなぁ……」
「イマイチ判然としないわね」

 紫苑の言葉に同意を示すアリス。
 二次被害を避けるためにも共通点を割り出せれば良かったのだが、そうもいかないらしい。

「春風くん、とりあえずこの二人に四人を運ばせよう。
それと、処置に当たれる人間を選別するためにも例の酒が入った容器を使うと言うのはどうだい?」
「匂いを嗅がせて判別、確かにそうするのが一番安全かもしれませんね」
「だろう? 雲母さんと他三人も出来ればこのまま付き合ってくれないか?」

 事前に注意をさせるつもりではあるが、耐えられない人間が居ないとは限らない。
 ゆえに反応した人間が酒を奪おうとした時、取り押さえる人間が必要だ。
 そうなると既に耐えられることが明白な四人はうってつけだろう。

「分かったわ」
「問題無い」
「どの道紫苑お兄さんが心配だから着いて行く気だったし良いわ」
「……自分も構わない」

 用意していた複数の救急車に乗り込んでギルド系列の病院へ。
 処置にあたれる人間の選別を済ませると、速やかに五人の検査が進められた。
 疲労だけの紫苑はすぐさま検査が終わり個室へと通される。

「春風さんの場合、身体の方に異常はありませんでした。
その疲労については……精神的な疲れが原因ではないかと?」

 目の前の医者はそう告げるが……。

「(ヤ ブ だ な)そうですか」

 紫苑は納得していなかった。
 魔力を総て消費し切っても身体を動かすのも辛いほどの疲労は無いし、
あったとしてもここまで後に引くとも思えない、ましてや精神的疲労? 紫苑のタフさを舐め過ぎである。
 とは言え検査結果で異常が無いのであれば、これ以上何も言うことは出来ない。
 不満に思いながらもグっと飲み込み、次の問いを投げる。

「それで、皆の容態は?」

 本当はどうでも良い質問なのだが一応やっておかねばなるまい。
 そんなことを考えている紫苑だが表面上は心底心配そうな顔をしている。

「命に別状はありません。毒に侵されたような状態なんですが……これもまた奇妙でしてね。
臓器の活動や、神経に異常をきたしていたり、弱っていたりはするんですが……。
その原因となるであろう酒の毒素らしきものが見つからないんです。
まあ、ダンジョン由来のものと言ってしまえばそこまでなんですがね」
「(命に別状はないのか、そうか、とっても残念だ)……つまり、解毒などは?」

 中毒を緩和する物質を解毒剤と言う。
 しかし、毒素らしきものが無い以上中和することも出来ない。

「こちらでも処置はしていますが……恐らくは自然回復を待つしかありませんね」
「そう、ですか。でも、命に別状は無いんですよね?」

 重ねて問いかける。
 そうすることで心配してますぅオーラを醸し出しているのだ。

「大丈夫です、それについては問題ありません」
「――――良かった」

 ほっと胸を撫で下ろし、笑顔を浮かべる紫苑。
 そして何度も何度も目の前の医者に頭を下げる。

「(ったく俺が何で頭下げなきゃなんねえんだよ)ありがとうございます、ありがとうございます!」
「医者が医者の責務を果たしているだけです。頭を上げてください」
「(言うのがおせーよ! 俺が一回頭下げた時点で言えや!)」
「それでは、私はこれで」
「ありがとうございます」

 医者が去るのと入れ替わりでカマキリが部屋に入って来る。

「何も無いようで安心したよ春風くん」
「いえ、それより鎌田さん……」
「ああ。君が検査を受けている間に、軽くあの酒の成分を調べさせてみたんだが……」

 その表情は苦く、思うような成果が出なかったのだろう。

「駄目だ、あくまで普通の酒だよ。
明らかに異常を感じているのに、科学的にはそんな結果しか出なかった」
「そうですか……」

 だが予想通りと言えば予想通りではある。
 例のダンジョン由来の代物は大体そんなものばかりなのだから。
 アムリタだって成分は不明で、未だに再現が出来ていない。
 なので新たに見つかったあの酒だってそう簡単に解明出来るわけがないのだ。

「何にしろ、君達が生きて戻って来れて良かったよ。他の子達も命に別状は無いみたいだしね」
「ええ、俺もそう思います。皆が生きている……それが何よりありがたい」
「彼らが何時目覚めるかは分からないが、ギルドで責任を持って保護しよう」

 親の居ない紫苑はともかく、
他四人の親御さんへの説明などこれからやることは沢山あるはずだ。
 栞も親が居ないと言うのは同じだが、紫苑とは立場が違う。
 家中の人間に対してしっかり説明をしておかねば後々マズイことになるだろう。

「とりあえず君も疲れただろう、車を用意させるから宿に行くと良い」
「はい。でもその前に、皆の顔を見たいんですが……」
「分かった」

 兎にも角にも自分より仲間が心配、
そんな紫苑のらしさに苦笑しつつカマキリは四人が眠る病室へと案内する。
 ベッドの上で眠る四人の顔色はお世辞にも良いとは言えない。

「……大丈夫、なんですよね?」
「ああ、お医者さんを、そして君の仲間を信じよう。
君の愛する仲間達は毒程度でくたばるようなヤワな人間かい?」

 紫苑を元気付けるように明るい声で問いかけるカマキリ。
 空回りも甚だしく、何だか涙が出てきそうだ。

「そう、ですね(皆――――このままくたばっても良いのよ?)」

 苦しむ仲間の顔を見てこれだ、悪魔にだって友情はあるのにコイツには欠片も備わっていないらしい。
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