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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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大事なのは気持ちですよね

 草木も眠る丑三つ刻。真っ暗な寝室の中で百合は目覚める。
 近くで寝ている友人を起こさないようにそっと部屋を出てリビングへ。
 百合は照明もつけないままソファーの中に隠していたものを取り出すと、音も無く服を脱ぎ捨てた。
 "紗織"を捨てて"百合"に成る時に火傷を消したのでその肌には傷一つ無い。
 愛しい人に抱かれる時、疵物の身体を見せるなんて乙女として赦せない。
 彼ならばきっと受け入れてくれるだろうけど、どうせなら美しい肢体を食べてもらう方が良いに決まっている。
 愛した人に純潔を捧げる――――それは女にとって人生の一大事。
 そう思っている女がどれだけ居るかは分からない。
 だが、少なくとも百合は特別なことだと思っている。少女趣味と笑うことなかれ。
 清らかな乙女の祈りを嘲笑える権利なんて神仏にだって無いのだ。
 権利も無しに嘲笑おうものならば手痛いしっぺ返しがやって来る。
 女と言うやつは激情の生き物だ。とかく恋とか愛とかに関して言うならば男よりも激しい。
 それに付随するものを哂えば乙女はたちまち鬼女に早変わり。
 パックリ喰われて骨も残さず消え去るだろう。

「……」

 下着も着けずに白装束を纏い頭に蝋燭を突き立てた鉄輪を被せて着替えは終了。
 後は藁人形と写真、釘と金槌を持てば準備は完了だ。
 そう、百合は俗に言う丑の刻参りを行おうとしているのだ。
 いや、行おうとしていると言う表現は正確ではない――――既に行っているのだ。
 八月九日から今日十五日に至るまで毎夜欠かさずに。

「よし!」

 忌々しい女の写真を貼り付けた藁人形と金槌、五寸釘を手に家を出ようとするが……。

「――――何やってんだお前」

 藍色の甚平を纏った眠そうな顔をした赤毛の少女。
 何時もは鋭い目つきも深夜と言うことで眠そうな半目になっている。
 彼女こそ葛西二葉、醍醐紗織だった時からの友人だ。

「きゃぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
「いや、おかしいだろリアクション。どっちかってーと私だろ叫ぶの」

 まあ確かに夜中に怨み女スタイルを纏った友達を見たら普通は悲鳴を上げるだろう。
 少なくとも見られた当人が叫ぶのはおかしい。

「見られたら呪術が失敗じゃないですかこのド戯け!!」

 ド 戯 け は こ の 女 で あ る。
 何と言うか妹が妹なら姉も姉だ。そして彼女らを産んだ両親もアレ。
 ひょっとして醍醐の血族は悪に憑かれた一族なのかもしれない。

「そっちかよ」

 カニが百合の家に居る理由は至って単純――夏休みだからだ。
 立場上学生である彼女は、それでも例のダンジョンの探索などもあったが、
既に八月分は終えてしまっていたのでフリーになっていた。
 なのでやるべきことを終えてから友人である百合の下へやって来たのだ。

「それ以外に何があるんですか!? ああもう最悪です最悪!」

 髪を振り乱して嘆くその姿は正に鬼女そのものだ。
 カニはそんな百合を冷ややかな目で見つめつつ問いを投げる。

「で、お前は何をしているんだ? いや、何となく分かるけど……一応聞かせてくれ」
「――――丑の刻参りですよ」

 何を言ってるの? 馬鹿なの? 死ぬの?
 そう言わんばかりに呆れた表情をしている百合だが馬鹿はコイツである。

「んな迷信を信じてんのかよとか何処で買ったんだよその白装束とか……。
まあ、色々ツッコミたいことはあるが……誰を呪うつもりなんだ?」

 欠伸を噛み殺しつつ聞いてみる。
 今の――紗織を辞めた百合が誰を怨んでいるのかが気になるのだ。

「醍醐栞とか言う醍醐紗織の2Pキャラですよ」

 元御嬢様だと言うのにそう言う知識は何処から仕入れて来るのだろうか?

「へえ……んん? あれ? お前って復讐終わらせたんじゃなかったか?」

 友情と一応の義理としてカニは復讐の顛末を聞かされている。
 炎の中で死んだと見せかけて紫苑の心に傷を作り、
栞を見る度に自分の影をチラつかせることで妹の邪魔をする――それで終わったはずだ。
 だと言うのに今になって何故丑の刻参りなんてクラシックな方法で?

「ええ、終わらせましたよ」
「じゃあ何だって妹を呪ってんだよ」
「両親と紗織、そして香織の復讐は終わらせました。だからと言って新たに怨みが生まれないとでも?」
「んー……そりゃまあ、正論だな」

 ある事象によって生じた怨嗟は晴らした、
だがまた別の事象により怨嗟が生まれないとは限らない――確かに正論である。

「しかし何でまた? あれか、前に言ってた体育祭での一件か?」

 勝つためならばどんな汚いことでもやってのけるカニに色恋沙汰は分からない。
 それでも、あれだけ復讐に熱を入れていた友人が入れ込んでいるのだ。
 それはきっと凄まじいものなのだとは想像出来る。
 だからこそ心当たりを口にしてみたのだが……。

「ああいえ、それは問題ないです。夏休みに入ってから百合として春風さんとキス出来ましたし」

 加えて醍醐紗織と言う傷が未だに根深く刻みついていることも分かった。
 なので栞の蛮行に対する怨みは既に霧散している。

「じゃあ何だよ」
「……それは八月九日のことです」

 机の上に置いていた携帯を手に取り百合はそれを操作をし始める。

「何時ものように――と言うほどではありませんが、私はたまに春風さんとメールをしています」

 本当は毎日メールを送りたい。
 それでも"黒姫百合"と言うキャラを守るためにはそれが出来ない。

「ほーん……」
「九日のメールでお盆はどうするかを聞いたんです」

 額に浮かび上がる青筋、もう何だか展開が読めて来た。
 恐らくは栞が紫苑に同行しているのが気に入らないのだろう。

「そしたらぁ……! 春風さんはパーティメンバープラス2と一緒に田舎に帰るそうで……!
同行するメンバーの中に恋敵が三人居るわけですが、その中でも特に憎い奴がぁあああ!!」
「ああはいはい、お前の妹な」
「やですね。黒姫百合に妹なんていませんよ」

 ちなみに、百合は醍醐紗織の供養をしている。
 何を言っているか分からないと思うので順を追って説明しよう。
 醍醐紗織は表向き完全に死んでいる。
 そして弔う人間も居ない。
 なので百合がわざわざ墓を建立して仏壇まで作っていたりする。
 どう考えてもおかしいとは思うが本人的には何の矛盾も無いらしい。
 なので、生きているじゃねーか、と言うか本人じゃねーかなどと言ってはいけない。

「ふぅん……まあ、そこらはどうでも良いわ。で?
醍醐栞が愛しの彼にくっついてるのが憎いから丑の刻参りやってるのか?」
「それ以外に理由がありますか? 極自然な女の子らしい思考の結果でしょうに」

 恋敵が憎いと思ってもいきなり丑の刻参りをやらかす十代女子が居てたまるか。
 それを自然な思考の結果だと言うのなら日本はとうの昔に修羅の国だ。
 百合は自分がマイノリティーであることを自覚すべきである。

「だと言うのにあなたのせいで……」
「私のせいか? 気配を気取られるそっちが間抜けなだけだろうに」
「まあ良いです。作法から外れてしまいましたが……大事なのは気持ちですよね」

 気持ちが篭っていればきっと怨み《おもい》は届く――そう言いたいのだろう。
 諸々の背景をすっ飛ばせば綺麗な台詞だが中身はドロッドロだ。

「じゃあ、私は出かけますのでカニは気にせず寝ててください」
「友達のド馬鹿っぷりを見せられたばっかで眠れねーよ。暇だし着いてって良いか?」
「まあ、既に見られてしまいましたし……邪魔しなければ良いですよ」

 二人揃って家を出る。
 深夜と言えどもここは大阪、街が完全に眠っているわけではない。
 それでも二人のスペックならば誰にも気付かれずに目的地まで行くことも可能だ。

「夜の神社とか初めて来たな」

 二人がやって来た神社はかつてアリスがアイリーンを始末するために選んだ場所だ。
 何と言うかこの神社も不憫なものである。
 邪悪なロリの手で殺人現場になりかけたり、
怨み女が呪いの儀式をするための場所に選ばれたり……ダイナミック不敬である。
 祀られている神が何かは分からないがきっと草葉の陰で泣いているだろう。

「良い経験になりましたね」
「いや別に良い経験ってわけじゃ……」

 ふと、二人の表情が険しいものになる。
 今の今まで気付かなかったが――――敷地内に誰かが居る。
 これが一般人や小動物ならば気にもとめなかっただろう。
 だが、こうやって反応したと言うことは……。

「おい百合、お前の丑の刻参りが何か良くないもん呼び出したんじゃねえの?」
「何を仰るやら。良くないものと言うならあなたもでしょうに」

 それに、この気配は邪悪と言うものではない。
 単純に密度と質量の桁が違うだけだ。

「それよりどうします――と言うのは、あなたには愚問ですよね」

 曰く、賽の河原よりも非生産的で虚しい行いだがカニはそれをするのが大好きなのだ。
 生きるとは擦り切れた勝利を積み重ね続けること。
 そう本気で信じているカニにとってこの気配の主は格好の餌だ。
 これだけの相手を負かせばさぞや気持ち良いだろう。
 ふしだらな妄想に侵された少女の顔はひたすらに邪悪だった。

「準備は整っているんですか?」

 その心根こそ理解出来ないし実際に何をするかは分からない。
 それでも戦うとなればカニはえげつないまでの布石を打っていることが多い。
 なのでこう言う突発的な事態に直面するとどうなるのか。
 百合は多少興味が沸いたようで薄ら笑いを浮かべている。

「さぁな」

 種は明かさない、あるいは見てのお楽しみと言うことだろう。
 だがここに来たことが無い以上は神社そのものに仕掛けはされていないはずだ。
 となると怪しいのは腰に巻いたバッグ。
 冒険者が使う容量を無視したそいつの中にまたぞろ怪しい物品を仕込んでいるのかもしれない。

「(特に最近はおかしなダンジョンを探索しているとも聞きますしね……)」

 当然のことながら例の孔やダンジョンについては秘匿義務がある。
 だが、カニは当然のごとくにそれを無視している。
 とは言っても絶対に喋らないであろう人間にだけだが。
 百合などは冒険者学校にこそ通っているが冒険者であることにこだわりは無い。
 なので例のダンジョンの存在を知ったところで何も問題はないのだ。
 となれば結局のところ情報は漏れないので秘匿義務を守ったとも言える。
 詭弁極まりないがカニにとってはそれが真実なのだ。

「おい、出て来いよ。何処の誰だか知らないが、ちょっと遊んでくれや」

 その言葉に反応して気配が動いたことを察知する。
 一歩、また一歩、ゆっくり歩み寄り姿を見せたのは……。

「いや悪いね。ちょっと寝てた。醍醐紗織くんがここへ来るのが遅かったんだもん」

 アロハシャツに短パンと言うチャラい格好をした赤毛の男。
 カニと同じ赤ではあるが、男のそれは真っ赤――と言うよりも薄い赤と言った感じだ。
 身長は百九十手前で、それに見合った立派な体躯。
 歳の頃は四十少しか、あるいはその手前。

「だがまあ、君も来るとはね。葛西二葉くん」

 顔立ちは整っており蓄えた髭と相まってナイスミドル! と言う形容が相応しいだろう。
 だが、それよりも何よりも看過出来ない発言があった。
 男は確かにこう言ったのだ――――"醍醐紗織"と。
 加えて殆どの人間が知らないだろう友人の名前まで知っている。

「(一体何者……? 何処かで見た顔ではありますが……)」

 糸を出しはしたが、どうにも指がもつれてしまう。
 目の前に居る男のプレッシャーに身体が上手く動かせないのだ。
 存在そのものの密度と質量、そして隔絶した実力差が鎖となって百合を縛り付けていた。
 涼しい夜だと言うのに頬を伝う汗が止められない。

「――――アレクサンダー・クセキナス」

 ポツリとカニが呟く。

「あんたならばこの気配も納得出来る。随分日本語が上手いじゃないか」
「勉強は得意なんだ。これでも優等生でね」

 百合は男に視線を釘付けたままその名前を咀嚼する。
 何処かで聞いたことある、しかし何処で聞いたか思い出せない。

「……誰でしたっけ?」
「知 っ と け よ 学 生」

 冒険者学校に身を置いていながらこの不勉強ぶり。
 興味のない事柄であったとしてもアレクサンダーの名ぐらいは知っておくべきだ。
 冒険者と切り離せない関係にある組織ギルド。
 全国のそれを纏める長、それこそが目の前に居る男の正体だ。

「ハッハッハッハ! 仲が良いねえ君たち。うんうん、素敵じゃあないか」

 百合の態度に気分を害した様子もなく呵呵大笑するアレクサンダー。
 まあ、ギルドを束ねる人間なのでこれぐらいの大らかさは当然だろう。
 紫苑のように一々細かいことを気にしていたら長なんて務まるはずもない。

「ニュースであちこち回ってるとは聞いたが……まさか日本の、それも大阪に居るとはな」

 各国を回る、それ自体は不思議ではない。
 だが、日本にあるギルドの中心と言えば東京だ。
 確かに大阪も三大都市の一つではあるが、日本にあるギルドの中心はあくまで東京だ。
 ただでさえ多忙であろうアレクサンダーが大阪に足を運ぶ理由が分からない。

「そう不思議なことでもないさ。私はね、選別を乗り越えた冒険者を訪ねてるだけだからね」
「へえ……それで私のとこに来たってわけか」

 だが、解せないこともある。
 カニは本名である葛西二葉の名を使って学生をやっていない。
 足跡は消して回っているので今使っている偽名から本名に辿り着けるはずがないのだ。
 だと言うのに何故知っている?
 選別を乗り越えるだけのスペックを持っていようとも正式には冒険者ですらないのだ。
 その見習いの学生でしか無い身分の者をどうしてギルドを束ねる男が知っている?
 疑問がカニの脳裏を駆け巡るがそれでも困惑を顔に出すことはしなかった。

「? あー……ああ! カニ、この人ギルドの総本部長ですよ!!」

 一人だけペースがずれている百合が今になって驚きを露にする。
 前にニュースで見たことを思い出したのだ。
 プレッシャーに縛られているくせに何でこんなことが言えるのだろうか……。

「知ってらぁ。だからさっき言っただろうアレクサンダー・クセキナスだって」
「名前だけ言われても分かりませんよ。だって興味無いし」

 百合の天然はさておき。
 アレクサンダーの訪日、ひいては大阪へやって来た理由が分かった。
 例の選別を乗り越えた者に会うためだ。
 しかし、更なる疑問も生まれてしまった。
 カニが籍を置いている冒険者学校は大阪ではないのだ。
 だから、大阪に居る理由は紫苑らに会うためなのだろうが……何故ここに居る?
 この場所と紫苑の関係が分からない――とそこまで考えてカニは思い出す。
 さっきアレクサンダーはこう言ったのだ。
 "醍醐紗織くんがここへ来るのが遅かったんだもん"――と。

「百合、奴さんが用あるのはお前らしいぞ」

 カニから戦意が消えたわけではない。
 ここで世界最強を討ち取れるチャンスなのだ、見逃すなんてあり得ない。
 百合に話を振ったのは時間稼ぎだ。

「へ?」
「さっきの言葉を思い出せ」

 言いながらもカニはアレクサンダーをじっくり観察する。
 通常、魔力と身体能力の両方がずば抜けている者は居ない。
 だからこそ前衛後衛と言う枠が存在するのだ。
 常人より身体能力が高く、魔力と呼ばれるものを生成する器官を持つのが冒険者だ。
 身体能力に秤が傾いている者が前衛、魔力に秤が傾いている者が後衛となる。
 アレクサンダーは潤沢な魔力を備え常軌を逸した炎の魔法を操る。
 なので括り的には後衛なのだが……それで世界最強などと言われるだろうか?
 つまるところ彼は例外的に魔力と身体能力がずば抜けている人間なのだ。

「ああ……そう言う、ことですか。それで、アレクサンダーさん」
「アレクで構わんよ。長いだろう?」
「……ならばアレクさん。私に何か御用でしょうか?」

 醍醐栞と醍醐紗織、どちらが上かと言うならば後者に軍配が上がるだろう。
 つまり選別を超えられるだけの能力は備わっていると言うことだ。
 しかしここに居るのは駄目学生黒姫百合。
 名が売れるようなことは一切していない、そんな学生を訪ねて来るのは何故だ?
 いや、そもそも醍醐紗織の名を何処で知った?

「そう警戒せんでくれ。私は別に官憲でも何でもないからね」

 過去の違法活動についてか?
 一瞬そんな考えがよぎったものの目敏くそれを察したアレクによって否定される。

「そして別にスカウトと言うわけでもない。もしそうだとしたら私が直接出向くことじゃないだろう?」

 それはそうだ。
 そもそもからして各国にある例の孔に潜れる冒険者の選別はその国のギルドが行うこと。
 アレクは若い力を発掘すると言う方針を伝えこそしたが、直接の人事権は無い。

「では何故? 生憎と私にはまったく心当たりがありません。それこそ過去の悪行くらいしか」

 しかしそれだって醍醐紗織と共に葬ったと言うのが百合の認識だ。
 勝手極まる論理だが、少なくとも彼女自身はそう割り切っている。

「何、簡単なことさ。私はね、話が聞きたいだけだ」
「話……?」
「そう――――君の想い人についてね」

 百合の想い人、言うまでもない。
 天上天下に唾吐く、三千大千世界一の小物――――春風紫苑だ。

「遠目で見て、一度その存在の掛け替えの無さは自覚した。
そして彼の足跡を辿った。力無き人間でありながら、その魂は気高い。
当たり前の正しさを信じて人を愛している。ああ、彼のような男こそが宝なのだ」

 速報、道化芝居の役者がまた一人増えた模様。
 かつてカス蛇が紫苑に告げた言葉は正しかった。
 "三千大千世界でお前の心を知るのは俺様ぐらいだよ"――正にその通りだ。
 世界中のギルドを束ねる世界最強の男ですら紫苑を理解していない。
 ある意味で彼はひとりぼっちとも言えるだろう。
 この広い世界で誰もその心に触れられる人間が居ないのだから。

「それは同感です。
誰もが持っているはずなのに、気付けば捨ててしまったり忘れてしまっている尊さ。
私と言う人間が薄汚れているからこそ、どうしようもなく惹き付けられる」

 それは奇しくも栞が天魔に語ったことと同じだった。
 自身に無いものだからこそ――――焦がれてしまう。
 醍醐紗織を殺して黒姫百合になったとは言え姉妹の絆は切れていないらしい。

「ですが、何故私に? あなたの立場ならば紫苑さんとも好きなだけ話せるでしょう」

 正論だ。アレクの立場を利用すればそれこそ南極にだって呼び出せるだろう。
 そうして気の済むまで言葉を交わすことが出来るはずだ。
 わざわざ百合に聞きに来る必要など無い。
 いや、それ以前に、

「さっきの語り口からして紫苑さんの人となりについても御存知でしょう?」

 その通り。
 偽りの人物像と言えどそれを知るのは本人とカス蛇のみ。
 表向き通っている人物像は先ほどアレクが語った通りだ。

「ああその通り。だがね、人と言うのは個人で完結するものじゃあない。
我が居て彼が居る、ゆえに人足りうるのだ。
たった一人で完結しているのならそれはもう人間じゃない。
だからこそ、聞きたいんだよ。春風紫苑と言う人間についてね」

 成るほど、それもまた真理だ。
 主観客観を合わせて人物像を完成させると言うのは正しい。

「それにね、私はまだ彼と直接顔を合わせるわけにはいかないんだよ。
私が接触することで余計なものを起こしてしまう……ああいや、余計ではないかな?
大事なものだ……が、今目覚められてしまったらそれはそれで困る。
彼にはあるがままこの世界を見つめて欲しい、そしてその上で選んで欲しい。
アレが目覚めれば間違いなく紫苑くんを唆そうとするだろうからね。
それは私の道にも合致するし、彼自身の生き方からすれば同意を示すだろう。
だがね、やはり外的要因は少ない方が良い。選択は常に己自身のものでなければいけないんだよ」

 訳知り顔で意味の分からないことを口にする、何とも典型的じゃないか世界最強の男。
 と言うのはともかくとして、百合はアレクの言葉に不吉なものを感じていた。
 アレク自身が不吉と言うことではない。
 彼の言葉の裏にある何か大きなものが怖い。
 身体の奥の奥、根源的な恐怖が疼きだすのだ。

「……よくは分かりませんが、一つ聞かせてください」
「何だね?」
「あなたは春風さんの敵ですか?」

 それだけは、それだけは聞いてかおかねばなるまい。
 不吉が紫苑を襲うならば己が刃となり盾となろう。
 そのためにも目の前に居る世界最強が敵か味方かを見極めねばならない。
 もしも敵ならば命を賭して殺す。
 世界最強何するものか、愛のために戦う者は最強をも凌駕すると知らせてやろう。

「フッ……怖いな。そのまま進むにはまだ早いぞ」
「私は敵かどうかと問うたのですが?」
「ことによっては敵対するかもしれないが……その可能性は限りなく極小だろう。
むしろ私と彼は同じ道を往く者だ。今はまだ合流していないが、いずれは道が重なると思う」

 断言しなかったことが少しばかり不安だったが……いや、それで良いのかもしれない。
 敵ではないと断言されても、それをそのまま信じることは難しいだろう。

「分かりました。今はそれで良いとしましょう」
「それは重畳。では、話を聞かせてくれるかね?」
「良いでしょう。ではまず何から話しましょうか……」

 うーん、と唇に人差し指を当てて何処から話すべきかを思案する。
 星の数ほどある好きなところ、だがどれから挙げれば良いか分からないのだ。

「……」

 悩んでいる友人の横でカニは静かにアレクの左腕を見つめていた。
 彼の左腕には炎を象ったタトゥーが彫られている。
 だがどうだろう、それはとてもファッションには見えない。
 ただ墨を入れて絵を描いたタトゥーとは存在感が違う。

「(炎だが、荒々しいわけじゃない。むしろ……)」

 と、そこであることを思い出す。
 絵柄こそ違うが似たような存在感を放つ刺青を見たことがあるのだ。
 それは七月半ばほどの頃、友人に成りすまして春風紫苑に会いに行った時だ。
 フォークダンスをしている時に間近で見た蛇のタトゥー。
 あれとそっくりなのだ。

「よし、まずは出会いから話しましょう。最初私は春風さんを利用するつもりで近付きました。
成し遂げねばならない復讐があったからです。
けど、同じ時間を重ねる度に私は……無意識の内に惹かれていったんだと思います。
彼は、総てを暴露した後でも決して私に敵意を向けはしなかった。
むしろ、私の心の底にある傷を見抜いて、それを癒そうとしてくれた。
泣いてくれたんです、誰でもない――――私のために。
"ずっとずっと辛い思いをして来た人間が、幸せになれないのは悲しいよ"
そう言って私に手を差し伸べて光差す道へ連れて行こうとしてくれました」

 難しい顔をしているカニを他所に、百合は静かに語り始めた。
 アレクは黙って彼女の言葉に耳を傾け、時折静かに頷く。
 その顔は、"やはり春風紫苑は自分が感じた通りの人間だ"――そう言っているようだ。
 節穴――――と呼ぶのは些か酷だろう。

「それでですね。春風さんの素敵なところは内面だけじゃないんですよ。
ふとした時に見せる優しい笑顔、耳朶に染みる甘露のような声。
光の加減で色が変わって見える綺麗な瞳。
私が問題を解くとよく出来たと言って撫でてくれる温かい手。
体育の授業で息切れしている時も良いですね、半端ない色気です。
首筋に光る汗とかもう最高、舐めて拭いたくなります」

 アレクの顔が引き攣っていく。
 最初、内面について語っている時は良かった。
 しかしそれ以外の部分について語り始めた百合は――――端的に変態だ。
 そもそも彼が聞きたかったのは内面で、外面なんて聞いていない。
 だと言うのに百合はドンドンヒートアップしていく。

「……」

 そしてカニはこれを好機と受け取り腰元に手を伸ばすが……。

「――――おイタはいかんよ、お嬢さん」
「ッ!」

 間違いなく視線は逸らしていなかった。
 如何に速かろうとも見失うなんてあり得ない――そう思っていた。
 だが事実はどうだ?
 目の前にはアレクが居て、バッグに伸びた手をそっと押さえられている。
 つまるところ――――完全な詰みだ。
 舐めていた、侮っていた、驕っていた、世界最強の名は伊達ではないのだ。
 心底から自分の失態を憎むカニ。

「……殺せよ」

 カニにとっての勝利条件とは心身を圧し折ること。
 だが、自分の敗北条件に関しては厳しい。
 心が折れていなくとも、命を握られたのならばそれは敗北。
 誰よりも勝ちを望み、誰よりも敗北を厭う彼女だからこそ敗北についての条件は厳しいのだ。

「はて、何だって殺さなきゃいけないんだ?
確かに思想やら何やらに問題はあるが……だが、君はきっとこれからの世界に必要な人間だ。
私にそんな子を殺すことは出来んよ。そう、君も彼と同じく私と道が重なる可能性が高い」

 ポンポンとカニの肩を叩いてから背を向けるアレク。
 隙だらけだと言うのに、まるで攻められる気がしない。
 カニはこの上ない屈辱を味わっていた。
 赦さない、赦してなるものか、ああ――――舐められっぱなしで終われない。
 今はまだしょうがない。
 だが、いずれ必ずその首を奪ってやる。
 メラメラと燃え盛るドス黒い闘志、カニはかつてないほどに滾っていた。

「……私をここで殺さなかったこと、死ぬほど後悔させてやる」

 そう遠くない未来、この宣言は履行されることになる。
 そしてその時、血を吐くような後悔と極大の苦渋の中で彼は痛感するのだ。
 "あの時に殺しておくべきだった"――と。

「フッ、怖いな。さぁて……それでは私はそろそろ帰るよ」
「あら、まだ話し足りないのですけど……」
「ハハ……独り身に君の惚気はキツイよ。ああそうだ、お節介かもしれないが醍醐紗織くん」
「黒姫百合です」
「それだ。春風紫苑くんを偽るのは止めた方が良いんじゃないか?
醍醐紗織くんの死に相当堪えているようだしね。君が生きていると知らせて安心させてやりたまえ」
「余計な御世話です」

 プイっと顔を背けた百合にアレクは苦笑を禁じえなかった。
 ああ、やはり女性は複雑怪奇だ。

「では、失礼するよ。君らもあまり夜更かしはしないようにな」

 カラカラと笑いながら去っていったアレク、それがまたカニの癪に障ってしょうがない。

「あの野郎……いずれ必ず、敗北の泥を飲ませてやるぅ……!!」
「まあまあ、落ち着きなさいカニ」
「これが落ち着いて……ん? 何してんの?」

 テコテコと神社の奥に歩いていく百合、一体何処へ行くのだろう?

「何って……決まってるでしょう。丑の刻参りですよ。そのために来たんですから」

 何を当たり前のことを聞いてんの? そう言わんばかりの呆れた表情だ。

「こ の 空 気 で や る の か よ」

 初志貫徹である。
+注意+
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