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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

59/204

鬼母の宴 始

「何から話しましょうか……そうね、とりあえず最初からが良いかしら?」

 ぼんやりと天井を眺めているように見えるが、その瞳は過去を映しているのだろう。
 もう二度と取り戻せない過去を……。

「あの時、私達はインドに行っていたの」
「(カレー食べに?)それはまたどうして?」
「ああ、そこに深い理由は無いわよ。普通の慰安旅行みたいなものだったわ」

 成人をとうに超えた女五人、だと言うのに童女のようにはしゃいでいた。
 あの優しい空気は紛れもなく救いだった。
 雲母はその温かい世界に居たからこそ決定的な破綻を迎えずに済んだのだ。

「色んな場所に行ったわ。タージ・マハル、赤い城、山岳鉄道群……。
依頼があったのは日本に帰る前日だったわ。
粗方目ぼしい場所を観光し終えた私達はニューデリーで最後の一日を過していた。
お洋服を買いに行ったり、飲食店を巡ったりしてね」

 そのまま楽しい気持ちを抱えて日本に帰るはずだった。
 そうしてモジョの下に土産話をしに行くのだ。
 きっと彼女は愚痴っていただろう。
 自分は教師でそんな暇なんて良いのに良い身分だな……と。
 冗談交じりの軽口に雲母達も冗談を返して楽しい時間が始まるはずだった。
 だが運命と言うやつは音もなく忍び寄り、その人間を飲み込んでしまう。

「何件目かの飲食店で食事をしていると現地のギルドから使者がやって来たの」

 雲母達のパーティはワールドワイドな活躍をしていた。
 普通は自国のみで活動する冒険者が多いのだが、彼女らは別。
 元々広い世界に行きたくて故郷を飛び出した人間が四人居るのだ。
 ゆえに、自国のみならず他国でも冒険をし続けていた。
 そのおかげでギルドの間でもかなり評価が高かった。
 だからこそ全滅してからの対応が早かったのだ。
 特殊なダンジョンに通じる孔の封鎖、冒険者の選別、
どれもこれも一流以上だった雲母のパーティが一人を除き全滅したからこそ手早く進められた。

「妙な孔があって、その調査をして欲しいって依頼だったわ」
「……失礼ながら、何故受けたんです?」

 旅行中だったなら召喚で呼び出せる武器はともかく各種アイテムなどは持っていたか怪しい。
 そんな状態で依頼を受けると言うのは如何なものだろうか?

『厳しいなぁオイ』
「(こう言う方が良いんだよ。責めることでこの女の痛みを和らげるんだ)」

 これが春風紫苑の円滑なコミュニケーション術である。
 尚、あくまで表面上は苦しそうな表情をしている模様。
 そうすることでモジョに対して意図を説明しているのだ。

「そう、ね……本当に、その通りだわ。私のせいよ、私の見通しが甘かったせい」

 見通しの甘さならば紫苑だって負けていない。
 蜂蜜を一気した後に生クリームで口直しするくらいに奴は甘い。

「ッ……ごめんなさい、出過ぎたことを言いました(あー……面倒臭えなぁオイ)」
「ふふ、良いのよ。ごめんなさいね?」

 その謝罪は何に対してのものだろうか?
 紫苑の毒のある発言と渋面はあくまでモジョに意図を知らせるためのもの。
 だから当然、雲母には分からないはずなのだが……。

「話を戻すわね。私は馬鹿な判断をしたの。大丈夫だろうって依頼を受けてしまったのよ」
「(そりゃ嘘だろうな。都合の良いように事実を捻じ曲げてるぜこの女)」
『あん? どう言うこった?』
「(コイツは押しが弱いタイプだ。だからこそ仲間に囲まれて一時でも痛みを忘れることが出来たのよ)」

 だが、押しが弱いと言っても力が加わらねばどうにも変えられない。
 つまり雲母以外の四人は押しが強いタイプだったのだろう。
 だからこそ今の話だって恐らくは四人が受けると言って、雲母が追従した可能性が高い。

「(ったく……今のは重要じゃねえが、これから先こう言うのは止めて欲しいもんだ)」

 雲母の歪んだ認識を正して自分の中に情報を入れねばならない。
 これは存外面倒なことなのだ。

「現地に行くと、確かに不思議な孔だったわ。見ているだけで涙が出そうになった」
「……郷愁、のようなものを感じたと?」
「そうよ。よく知って――――ああ、紫苑ちゃんは既に同じような場所を探索したのね」

 紫苑が知っているのはあくまで仲間からの又聞きだ。
 本人は孔を前にしても一切何も感じなかった。

「ふふ、本当に私とは大違いだわ。紫苑ちゃんはえらいわねえ」

 良い子良い子と頭を撫でる雲母。
 これは紫苑を褒めているのか、それとも自分を責めているのだろうか。
 どちらにしても愉快な気持ちが沸きそうにはない。

「(フッ……俺がえらいのは宇宙の真理だが、それはそれとして気持ち悪い)」

 宇宙の真理がこんな矮小なものであってたまるか。

「それでね、私達はその孔に飛び込んだの。
深い深い森の中だった。それと、大きな川が流れていたわ……。
でも、不思議なことにモンスターの気配なんかは無かったの」

 だからこそ油断した、深く調べてみようと欲が出てしまったのだ。
 一応探索中はちゃんと警戒していた。
 それでも何処かに気の緩みがあったことは否定出来ない。

「ちょっと変だけど特別危険なものではない、私達はそう判断した」
「……その後、ですか?」
「ええ――――最低限の警戒すら解除したその瞬間だったわ」

 恐ろしい、とっても恐ろしい敵がやって来たのだ。
 恐らくは雲母達の動向を窺っていたのだろう。
 そして気を待って仕掛けた――――それは普通のモンスターの所業ではない。

「あれ、何て言うんだったかしら? 八面六臂の仏像みたいな……」
「阿修羅ですか?」
「そう、それよ。その阿修羅のようなモンスターが襲い掛かって来たの」

 閉じられた雲母の瞳から涙が零れだす。
 目蓋の裏に映し出されている惨劇のせいだろう。

「まず一人、回復役のゆっこちゃんの首が刎ねられた」

 一気に警戒レベルが跳ね上がった。
 しかし、目の前で友を殺されて冷静になれるわけがないのだ。
 危ない奴だとは分かっていても心の整理がつけられない。
 それまで警戒を解いていただけに頭を切り替えようにも上手く出来ないのだ。
 阿修羅はそこまでの効果を狙って仕掛けたのだろう。

「次いで二人、女威ちゃんが抜けてから新しく仲間に加わった攻撃魔法を担当とするちぃちゃんの心臓が穿たれた」

 後衛二人をまず排除する、それは吐き気がするほど理に適っていた。
 畳み掛けるように友を二人も殺されたのだ。
 雲母を含む残り三人の憎悪はどれほどのものか。

「怒りで頭が真っ白になった。私は無我夢中で斬り掛かったわ」

 だが、そんな状態で太刀打ち出来ようはずもない。

「けど、お腹に大穴を開けられて大木に叩き付けられた」

 それでも死ねない、死ねなかった。
 仇を討てぬままのうのうとくたばって良いはずがないのだ。
 生まれるはずだった我が子を殺し、今度は友を殺した。
 そんな自分が安易に死ぬことが赦されるわけがない。
 身体は動かずとも雲母は恐るべき執念でその命を繋いでいた。
 だからこそ、

「(――――死ねば楽になれたのに)」

 惨 劇 を 最 後 ま で 見 届 け る こ と に な っ た。

「(……しかし何故だ? 聞く限りじゃ明らかに致命傷だろう?
動くことも出来なかったはずだ。アムリタか? だがその状態でどうやってアムリタを?
探しに行けるわけがないだろう。都合良く近くにあった? んなわけねえだろ)」

 紫苑は沸き出した疑問の答えを確かめるために改めて雲母の言葉に耳を傾けた。

「はなちゃんとあっちゃんの連携は凄まじかった。あの二人は特に仲が良かったから」
「ッッ……!」

 黙って聞いていたモジョだが、ここに来て小さな呻きを漏らす。
 それは雲母を責めているわけではない。
 どうして自分がそこに居なかったのかと言う後悔の呻きだ。
 もし自分が居れば――意味の無い仮定だし、傲慢にもほどがあるだろう。
 それでも彼女はそう思わずにはいられないのだ。

「(アッホ臭……モジョ、この婆心底アホなこと考えてやがるぜ)」

 モジョの内心は完全に見透かされていた。
 意味の無い仮定をしてしまう本当の理由すら筒抜けだった。
 本人は自覚すらしていないだろう、だがそこすら紫苑は読み切っている。

『どう言うことよ?』
「(自分がその場に居たら助けられたと思っている――――わけじゃない。
コ イ ツ も そ こ で 死 に た か っ た ん だ よ。
割とタフなメンタルしてるモジョだが、ダチの変貌の前にもうボロボロになっちまった)」

 こんな痛々しい姿を見るくらいならいっそ死んでしまいたかった。
 それがモジョの心の奥底で芽生えた本音だ。

「でも、あの怪物には届かなかった。四肢を切り飛ばされて最後には首を刎ねられた。
それで……あの怪物は皆の骸に火を放って灰にしてしまったわ……」

 その瞬間、逆鬼雲母と言う女は完全に壊れた。

「そこからの記憶は酷い曖昧なの……覚えているのは映像だけ……。
多分、あの怪物は私にトドメを刺そうと近付いて来たんだと思う」

 ここでこうして話をしている以上、答えは決まっている。
 友と一緒に死なせてやらない運命の残酷さよ。
 死なせてやればこんな風に苦しむこともなかっただろうに。
 この世には神も仏も居ない。

「でも、新しいモンスターが現れたの。
ヒラヒラの羽衣を纏った美しい女の姿をしたモンスター。
子供のようなものを抱いていて、左手には見たこともない果物……みたいなものを持っていた」
「(子供に、果実……何かそんな特徴に覚えがあるな……何かの本で読んだんだったかな?)」

 思い出せないものはしょうがない。
 であれば、今は考えるのを止めて雲母の言葉に集中するべきだ。
 紫苑は即座に思考を切り替えた。

「多分、そいつは私に何か語りかけていたように思う……。
よくは覚えていないけど、口が動いていたから間違いないはずよ」
「そいつが、逆鬼さんを?」
「ええ……瓶のようなものから何かを掬って私に飲ませたの」

 それがアムリタだった。
 雲母は身体こそ完全に治癒したが、心の方はどうにもならない。
 忘我状態のままぼんやりしていたと言う。

「女の怪物は私にアムリタの入った小さな瓶を持たせて――――気付けば外に居たわ」

 そこから後は語るまでもない。
 ギルドに保護されて正気を失っている雲母を治癒し、
情報を聞き出し所持していたアムリタを接収したのだろう。
 だが、そのまま完全に接収するわけにもいかない。
 後々正当な取り分として幾らかのアムリタを雲母に返却し、
あのようなダンジョンの存在を口外させないために多大な金額を支払った。

「――――ふ、ふふふ」

 話し終えて一息吐いたところで、雲母が笑い始める。
 歪で破滅的、目を逸らしたくなるような痛々しい笑顔だ。

「私が……私が悪いの……みんなが死んだのも……。
産まれるはずだったあの子が死んでしまったのも……ぜーんぶわたしのせい。
わたしがおばかだったからみんなしんじゃったの……。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
だめなおかあさんでごめんなさい、わたしがみらいをうばってしまった。
きっと……ううん、ぜったいにいいこだった。だめなわたしとちがって……」

 情が――――深過ぎる。
 紫苑のように冷酷なのもどうかと思うが、雲母のように深過ぎるのもいけない。
 中庸、本来はそれが一番なのだ。

「いいこだったのに! しあわせなじんせいがまっていたはずなのに!!」

 哀しき母の叫びが響き渡る。

「(産まれるはずだったってことは流産か。
だったら良い子もクソも――――ああ、そうだよな。そう言う人間だったな。
駄 目 な 母 親 が 殺 す の が 駄 目 な 子 供 で は 意 味 が 無 い)」

 でなくば罪が軽くなってしまう。
 悪人が悪人を殺しても悪が一つ消えて万々歳。
 悪人が善人を殺すからこそ罪が罪として機能するのだ。
 法的にはどちらも罪だが心情的には後者こそを罪と感じるのが人間なのだから。
 だからこそ雲母は過剰なまでにその手に抱けなかった我が子を神聖視している。
 自分が殺してしまった子が悪い子であるはずがないから。

『……お前ってさ、エグイほどに真実を見抜くよな』
「(まーな。じゃなきゃ見栄なんざ張れねえだろ)」

 心の動きやそれに伴う思考の動きを把握していなければ欺くことすら出来ない。
 春風紫苑はそこがずば抜けている。
 だからこそ衣服を纏うように嘘を纏い本質を隠して万人が望む己を飾り立てることが出来るのだ。
 こと装うことに関してこの男の右に出る者は居ないだろう。

「き、雲母……」

 ふと見ればモジョも涙を流していた。
 親友の苦しみをどうすることも出来ない己を恥じているのだ。
 彼女は縋るように紫苑を見つめる。

「(だから俺はカウンセラーでも何でもねえんだっつの!)」

 そもそもからして欠片も情を抱いていないのだ。
 万人が同情するであろう雲母の境遇にすら絆されない冷血。
 その冷たさは永久凍土顔負けである。

『でもやるんだろ?』
「(このままじゃ帰れそうにねえしな。ポーズだけでも取っとかなきゃならんわ)」

 決断をすればそこからは早い。
 紫苑は壊れたように謝罪の言葉を口にする雲母の額に自分の額をあてがう。

「ッ……くぅ……そう、だ。悪い、のは……! あなた、だ……!」

 こうして声を震わせ、つっかえながら話すことで紫苑自身もう限界は近いと告げているのだ。
 そうすることによってモジョに対して負い目を抱かせるのが狙い。
 真っ当な教師である彼女ならば間違いなく責任を感じるだろう。
 となればこれから先色々と役に立つこともあるかもしれない。
 今この場でモジョの活用法が思いつかずとも後々、
何か必要な場面で使える可能性がある札として持っておくだけでも悪くない。
 そんな薄汚いことを考えていたその時だった。

「――――嗚呼、また泣かせちゃったわね」

 まだ呵責を始めていないと言うのに雲母が理性を取り戻したのだ。
 いや、取り戻したのか?

「(――――え)」

 流石の紫苑も予想外だったようで二の句が告げられずに居た。

「ごめんなさいねえ紫苑ちゃん。優しいあなたには辛いわよね。
私が駄目なばかりに……本当に本当にごめんなさい」

 寂しげな微笑を浮かべる雲母を見ていると言いようの無い不安が募る。

「(? 何だ……何か、気持ち悪いぞ……)」

 何か見落としていることはないか。
 何か陥穽があるのではないか。
 何か齟齬があるのではないか。
 何か何か何かがおかしい。
 そう思いながらも紫苑は恐怖と嫌悪が先立ってしまい思考を放棄する。
 それよりも早くにこの地から離れたかったのだ。

「雲母……」
「女威ちゃんもごめんね? うん……本当に、本当にごめんなさい。そしてありがとう」
「……私は何もしていないさ」
「そんなことないわ。ようやく出会えたんだもの」

 噛み合っているようで噛み合っていない。
 二人の会話は致命的な破綻を孕んでいる。
 それに気付けるのはこの場において紫苑しか居ないのだが……。

「(あー……帰りたい帰りたい帰りたい。お家に帰って不貞寝したい。
俺は山陰のドMじゃねえんだから七難八苦とかいらねえんだよ。
もう神様はそろそろ俺に楽させるべきだろ。ゴルゴダ昇るより辛いわ!)」

 十字の聖者に最低百回は土下座すべきだ。
 と言うのはともかくとして紫苑は二人の会話に耳を傾けていない。

「ただいまー! 紫苑おにーさーん!!」

 場違いな明るい声。
 もうそろそろ話も終わっただろうと考えたアリスが戻って来たのだ。
 一応建前上の理由としてジュースを買いに行ったことになってるからだろうか。
 その手にはスーパーの袋が提げられている。

「紫苑お兄さんはオレンジ、先生と雲母お姉さんはお茶で良いわよね?」
「あらあら、ありがとうねアリスちゃん。でも、随分と遅かったけど……迷っちゃった?」

 申し訳無さそうにしている雲母、
アリスを一人で行かせるべきではなかったと思っているのだろう。

「ううん。ちょっと寄り道とかしてたら遅くなっちゃったの」
「もう……アリスちゃんは可愛いんだからフラフラしちゃ駄目よぉ?」
「はーい」

 和やかな空気に戻った。
 モジョはほっと胸を撫で下ろしているが紫苑はそうでもない。
 早く帰りたくてしょうがないのだ。

「あら……雨、降り出して来たわねえ」
「む、天気も悪かったからな。大阪を出た時はそうでもなかったんだが」
「ねえ女威ちゃん、良かったらなんだけど……今日は、泊まって行かない?」

 久しぶりに会えたのだから、と言うことだろうか。
 モジョはその提案に僅かな逡巡も見せることなく頷いた。
 今の雲母は持ち直しているが、また一人になればどうなるか分からない。
 そう考えての承諾だった。

「布団とかは大丈夫か?」
「お夕飯の買い物がてら買って来るわ。ほら、ちょっと遠くにデパートが出来たのよ」
「いやいや、それは流石に悪い。私の家から持って来るよ」
「良いわよ。こんな機会じゃないとお金を使うこともないし」

 と、そこで雲母は紫苑とアリスに視線を向ける。

「二人は今日のお夕飯、何が食べたい?」
「(俺 も 泊 ま る ん で す か ! ?)」

 泊 ま る ん で す。

「いや、流石にそこまで御厄介になるわけには……」
「良いの良いの。そんな遠慮しなくて良いわ」
「すまんな雲母。コイツは早くに御両親を亡くされているせいか、どうにも気を遣いすぎるんだ」
「まあ、御両親を……」

 用事があるから早く帰りたい――――と言う言い訳は使えない。
 何せ元々一泊も視野に入れてこの町にやって来たのだ。
 そして他に有効な言い訳が思い浮かびそうにもない……つまり詰んでるわけだ。

「春風、今日は御世話になろう。ミラーも良いな?」
「そう、ですね。よろしく御願いします(うへぇ……)」
「私は紫苑お兄さんが一緒なら別に良いわ」
「ふふ、今日は賑やかになりそうだわ。じゃあ女威ちゃん、お留守番よろしくね?」
「分かった。三人で待っているよ」

 買い物に出掛ける雲母を見送った後で、モジョは改めて紫苑に向き直る。

「……すまん。本当に、すまん。迷惑をかけた」
「(ホントだよ!)いえ、お気になさらず」
「そうもいかん……随分と、辛かっただろう?」

 モジョの言う辛いと紫苑の辛いでは意味が異なるわけだが、
それは紫苑本人しか知らないことなので何も問題は無い。

「……そう、ですね(よっしゃ! 恩売り効果はバッチリっぽいぞ!)」

 下衆いことを考えているが今回はそれも仕方ないことだろう。
 そうでも思わないとやってられない。

「私は、お前の先生で……雲母の、友達なのになぁ……情け無い。
教え子に縋り、友を前にして何も出来なかった。何をやってるんだかなぁ……」
「(ホ ン ト だ よ。お前マジで役に立ってねえぞ)」
「なあ春風、雲母は――――救えるだろうか?」

 希望に縋りながらも諦観を滲ませる問いかけだった。
 その綴れ織は紫苑が暗い愉悦に浸るに十分な出来だ。

「それは……」

 敢えて総てを言わずに哀しげに目を伏せる。
 そうすることで雄弁に告げることが出来る――――雲母を癒すことが不可能だと。

「そう、か」

 唯一話に着いて行けないアリスだったが、
それでも紫苑が悲しんでいることだけは分かった。

「――――紫苑お兄さん」

 その小さな手を紫苑の汗ばんだ手に重ねる。
 何を言えば良いかは分からない、それでも何かが伝われば良い。
 この行動はそんな小さな優しさの表れだ。

「……大丈夫だよ。アリス、俺は大丈夫だ」
「うん……」

 とてもそうは見えないけれど、それでもこれ以上何か言ってもその心を傷付けるだけ。
 そう理解したアリスはそっと紫苑の身体に寄り添う。
 どうしようもない現実の冷たさに晒されて震えるその心に少しでも熱を伝えるために。

「(はぁ……ホント貧乏くじばっか引いてるな俺。不幸になるのは俺以外の人間で良いのに……)」

 その無言の時間は雲母が帰って来るまで続いた。
 帰って来た後は表面上は皆が明るい振る舞いをしていたが、モジョのそれは見ていて痛々しいくらいだ。
 食事をしている時も、その後の談笑も、総てが偽り。
 誰もが嘘を吐かなければあっさりと壊れてしまう脆く儚い時間だった。

『なんつーか胃の痛い時間だったな』

 食事を終えて風呂から上がれば後はもう寝るだけだ。
 紫苑は割り当てられた和室の天井をぼんやりと眺めながら一日の終わりを実感していた。

「(ああ。品行方正な俺ばかりがどうしてこんな目に遭うんだろうな……。
世の中ってのは無常だぜ。善人だけが損をする仕組みになってやがる)」
『うん、お前が善人かは別の話だけどな』

 ちなみに今、紫苑は一人だ。
 アリスが何時ものように一緒にとねだったのだが理由をつけて断った。
 一人で考えたいことがあるとかどうとか言えば勝手に相手が勘違いしてくれるのだ。
 シチュエーションを利用することに長けた紫苑らしい手管である。

「(何か言いたいことでもあるのかしら?)」
『何でもねえでげす。つか、雨酷いなぁ……オイ』

 夕方から降り出した雨は更に激しさを増していた。
 時刻は午前一時、まるで弱まる気配がしない。

「(ああ。雷も鳴ってるしな。明日の朝までには止んでくれると良いんだがな)」

 時折光る雷が暗い室内を照らし出す。
 その度にちょっとビクってなるけど紫苑は小物なのでしょうがないね。

「(ん?)」

 障子の向こうに影一つ、そのシルエットは雲母のものだ。

「――――起きてる、かしら?」
「(んだよこんな時間に……)はい」
「入っても、良い?」
「……どうぞ」

 そっと和室に入った雲母、しどけない襦袢姿がどうにも艶かしい。

「(……襦袢が白だからかな? 何か幽霊みてえ。磯良とかお岩とかそんな感じ)」
『何それ?』
「(教養のねえ奴だなお前)」

 教養がある蛇って一体何なんだ?

「あ、そのままで良いわ」

 身体を起こそうとした紫苑を制して雲母は枕元に腰を下ろすと、
そのまま彼の頭を抱え上げて自分の膝に乗せる。

「逆鬼さん……?」

 紫苑は微かな不安を混じらせた声で呼びかける。
 暗闇の中でじっと自分を見つめているであろう雲母が妙に怖いのだ。

「私ね、十四の時に家を飛び出したの」
「(だから何だってんだ知らんわアホ)そう言えば……先生が言ってましたね。
自分は十五の時に田舎を出たけど、逆鬼さんはその一年前に出たって」
「当時、私は身篭っていたの。ふしだらな女でしょう?」

 軽い調子で言ってるが、はいそうですねとは答えられないだろうコレ。

「お父さんとお母さんは反対して、堕ろせと言ったの。
でも、私は好きな人と結ばれたくて、子供を産みたくて、好きな人と連れ立って駆け落ちしたの。
今考えると何て愚かな子供なんでしょうねえ。今も昔も私はどうしようもない御馬鹿」

 十四、五の子供が結ばれるために連れ立って故郷を離れる。
 成るほど、良い塩梅の物語が書けそうだ。
 だが現実は物語のように救いなんて用意してくれない。
 ひたすらに残酷で陰惨、それが現実だ。

「小さなアパートを借りて二人で暮らしてた。あの人は朝も晩も働いてくれたわ。
でも、四ヶ月目かしら? その頃に――――あの人は私の前から姿を消した。
私は裏切られた怒りもあったけど、それ以上にショックでロクに頭も働かなかったわ」

 逆鬼雲母と言う女は本質的に弱い。
 信じた相手に裏切られると言う行為に耐えられる心ではないのだ。

「でも、お腹に居る子供のこともあったしへこんでられなくて……。
でも、どうすれば良いか分からなくて……簡単な内職をしていたっけ」

 親に頼れば良いのだ、それが一番の道だった。
 しかしその一番を見つけ出すには余りにも子供過ぎた。
 見知らぬ土地、頼れる人も居なくなってしまった。
 不安が少女を押し潰すには十分過ぎる。

「精神的にも肉体的にも参っていた私は……気付けば倒れていた。
声も出せない、このまま死んじゃうんじゃないかって目を閉じたわ。
でも、私は生きていた。目が覚めたら真っ白い天井。
わけが分からなかった。どうして生きているの? 私の子供は?」

 語るまでもない、それが彼女のジンクスなのだ。
 逆鬼雲母は大切なものを喪って生き残る運命にある。
 我が子を喪ったのが最初、次は親友達。
 神様はどうして彼女だけ愛してくれなかったのだろう。

「私は私が愚かなばかりに私の子供を殺してしまった」
「(懺悔なら教会行けよ。いや、むしろどっか逝ってくれ)」
「ずっとそう思っていた。でも――――私 の 可 愛 い 子 は こ こ に 居 た」

 稲光が照らし出した雲母の顔には慈母の微笑が浮かんでいた。

「(――――ん? んんんん!?)」
「うふふ、私が駄目なお母さんだったから出て行ったのよね?
そうやって別の場所で生まれて来たのよね? でも、こうして会いに来てくれた。
お母さん、もう失敗はしないわ。これからはずーっとお母さんがあなたを護るわ。
私の可愛い子、私の愛しい子、あなたは本当に優しい子。
こんなどうしようもないお母さんのために泣いてくれたのだもの。
もうお母さんは失敗しない。あなたに涙を流させない、辛い思いなんてさせないわ」

 臓腑に染み渡るコールタールのような情念。
 吐き出す言葉の一つ一つが紫苑の身体を縛る縄となり身動ぎ一つ出来ない。

「(お、おおおお俺が自分の子の生まれ変わりだとでも思ってんのか!?
馬鹿な! いやいやいやいや! 生まれ変わりがあったとしてもさぁ!
じ、じじじ時間軸的に――あれ? ギリギリで整合性が取れる期間、か?
いやいやいや、にしてもねえよ! 何だ!? 何があったコイツ!?)」

 こんな時でも表情を崩さないのは驚嘆に値する。
 いや、本当にそのポーカーフェイスは見事の一言だ。

「真っ直ぐで、優しくて、駄目なお母さんに似なくて良かったわ……。
良い子、本当に良い子ねえ気付くのが遅れてしまって、本当にごめんなさい」

 その言葉が総てだ。
 駄目な親が殺すのが駄目な子供では意味が無い。
 紫苑自身がそう言って雲母が流れた我が子を過剰に神聖視していると見立てたのは正しかった。
 だ か ら こ そ 春 風 紫 苑 は 理 想 の 子 供 足 り う る の だ。
 万人が望む善人を装って雲母に接したのが過ちの一つ。
 紫苑はこれまでの振る舞いを総てモジョに向けていた。
 呵責の理由などもそう、モジョにだけ分かればそれで良かった。
 雲母が気付いているなどとは思ってもいなかったのだ。
 だが、その片鱗は確かにあった。
 現に涙の理由を悟っていたからこそ彼女は謝罪の言葉を口にしたのだから。
 あの時点で雲母は紫苑のこれまでの行動の理由に気付いていた。
 会話をするうちに冴え渡った頭が答えを導き出したのだろう。
 そこで気付くべきだったのだ。
 加えて、既に両親が居ないと言うことも雲母のリミッターを外すのに一役買っている。
 母親から子供を奪うことは出来ない。
 だが、既に紫苑に母は存在しない。
 であれば何を躊躇おう――――嗚呼、この子は私の子供だ。

「(自分の子供が他所の女の腹から産まれたって? 真っ当な神経じゃねえ……!)」
「紫苑ちゃん、紫苑ちゃん、紫苑ちゃん? これからはずーっと一緒よ?
甘えさせてあげられなかった分、たーくさん甘えてね?
ワガママだって何でも聞いてあげるわ。お母さん、お金だけはいっぱいあるの。
それはぜーんぶ紫苑ちゃんのもの、紫苑ちゃんのためだけに使うわ。
離さないで、離れないで、もうずっとこれからはお母さんの傍に居て」

 動けない紫苑を優しく抱き締めながら愛を囁く。
 脳髄をも侵す純粋な母性が現実すら歪ませて広がってゆく……。

「――――そこまで雲母!!」

 狂気を晴らす大喝破が響き渡る。
 部屋の入り口にはモジョとアリスが佇んでいた。

「妙な気配がしたので来てみれば……雲母、お前は……」

 弱音を口にしそうになったが、すぐさまそれを飲み込む。
 自分は教師で、紫苑は教え子だ。
 護られなければいけない。であれば今は余計なことを考えている場合ではない。

「紫苑お兄さんに何してくれてるのよぅ……!!」

 二人は軽い臨戦態勢に入っていた。
 だが、雲母は平然としている。二人などまるで障害にならないとばかりに凪いでいる。

「少し、待っててね?」

 抱き締めていた紫苑を布団に横たえて、立ち上がる。
 一歩一歩モジョとアリスに近付く雲母。
 三人の戦闘領域が重なったその瞬間、

「(う、うそーん……)」

 た っ た 一 撃 で 二 人 が や ら れ て し ま っ た の だ。
 軽く腕を振るっただけで二人はすっ飛んで行き、そのまま戻って来ない。
 つまりは意識を失っていると言うことだ。

「じゃあ、行きましょうか私の可愛い紫苑ちゃん」

 柔らかな微笑をたたえたその顔は美しくも……おぞましい。

「(コ イ ツ 人 間 じ ゃ ね え)」

 さあ――――鬼母の宴を始めよう。
+注意+
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