挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

58/204

■母の宴

 モジョの故郷は彼女が言った通り田舎だった。
 四方を山に囲まれて町並みも何処か古めかしいし駅だって無人駅。
 それに加えて電車も数時間に一本と言う気合の入った田舎っぷりである。

「一応着替えは持って来ているな?」

 繰り返すがここは田舎だ。
 雲母の話を聞いて長引けば今日はこの町で泊まるしかない。
 なのでモジョは事前に着替えを持って来るように言い含めておいたのだ。

「はい。俺は大丈夫です。アリスも出掛けに伝えたし大丈夫だよな?」
「うん! パジャマも明日の着替えもバッチリよ!」
「そうか、なら良い。泊まる場合は私の実家になるが……よく考えればミラーが来てくれて助かった」

 モジョの両親は既に他界しておりこの町にある彼女の家は親戚に任せてある。
 なので今日もそこに泊まるつもりだったのだが、
よくよく考えれば男子生徒と女教師が同じ家で泊まると言うのは風聞が悪い。
 と言うより倫理的にどうかって問題になる。
 雲母のことでそこまで頭が回らなかったモジョは今更ながらにアリスの存在に感謝していた。

「よし、じゃあ雲母に会いに行こう。着いて来てくれ」

 モジョの先導に従って歩き出す二人。
 アリスは見るもの総てが珍しいのかキョロキョロと周囲を見渡している。

「シングーよりも田舎ねここ」
「こらこら(だよなー。こんな芋臭いとこ出身だったのかよモジョ。納得の芋臭さだわ)」

 こらこら、と窘められるのはアリスではなく紫苑だろう。
 いや、ここまで失礼だと一発二発は引っ叩いても良いはずだ。

「構わん。電車でも行っただろ? だから飛び出したってな」
「分かるわその気持ち。だってなーんにも無いんだもん」

 商店街を入ると明らかに数世紀前の代物であろう置物があったりと色々な意味で衝撃的だ。

「(何だあの蛙の置物……何度か塗装繰り返してんのかすげえ気持ち悪い。捨てろよ)」

 何処の店も老人ばかりで若者らしい若者は全然見当たらない。
 数年後にこの町はゴーストタウンになるのでは? そんな予感すらよぎる田舎町。
 この絶妙な廃れ具合が紫苑の心を擽ってしょうがない。

「(ふぅ……何かこの町に居るだけで優越感に浸れるわ)」

 田舎者を見下す都会人そのものである。

「――――着いた、ここだ」

 歩き続けて十数分、辿り着いたのは何の変哲も無い一軒家。
 かなりの金銭を貰ったにしては随分と普通の暮らしぶりだ。

「……出ないな。連絡はしていたはずなのに」

 インターホンを鳴らしても一向に出て来る様子が窺えない。
 気配を探ってみれば中には誰も居ないことが分かる。

「あんれまー! 女威ちゃんじゃない。どうしたんね?」

 どうするかど迷っているモジョに隣家から出て来た老婆が語りかける。

「これは……お久しぶりです」
「ホントよぉ! 里帰りかい? その子らは女威ちゃんのお子さんかね?」
「生徒ですよ。野暮用で連れて来ただけで……あの、雲母が何処に居るか知りませんか?」

 雲母、その名を出した途端に嬉しそうだった老婆の顔が曇った。
 その名はどうやら忌み名に近いようだ。
 老婆は悲しそうに目を伏せてポツリと呟く。

「……多分、河原だよ。あの子に会いに来たのかい?」
「はい、どうかしたんですか?」
「それは……会いに行けば分かる。でも、私は会いに行かん方が良いと思うがね」

 気の毒そうな顔のまま老婆は家の中へ戻って行った。
 どうにもこうにも不安が掻き立てられる。
 だが、ここまで来た以上帰る選択肢は無い。
 モジョは再び二人を先導してこの家から少し離れた場所にある河原へと向かう。

「先生、ホントにこの河原に居るんですかね?(出来ればどっかで溺死してろ)」
「あのおばさんが言うには……だがな。しかし何故ここに?」

 幼い頃に水遊びをした場所ではある。
 だがこの歳になって水遊びと言うわけもないだろう。
 首を傾げるモジョと不安がる紫苑、そして興味が無さそうなアリスの耳に歌声が届く。

「――――あの児の齢や数えて一つ、募る後悔石一つ」

 ねっとりと心の奥底にへばりつくような湿り気を帯びた声。
 歌に込められた情念は吐き気を催すほどに重い。

「……先生、あれは……」

 声が聞こえる場所に向かうと、
無造作に伸びた髪を頬に貼り付けた妙齢の肉感的な女が石を積んでいた。
 美しく、だがそれ以上に痛ましい。

「……あれが、雲母だ」

 さしものモジョもこれは知らなかったのか呻くような声しか出なかった。

「あの児の齢や数えて二つ、募る後悔石二つ」

 これはこの世のことならず。死出の山路の裾野なる、さいの河原の物語。
 聞くにつけても哀れなり。
 二つや三つや四つ五つ、十にも足らぬおさなごが、
父恋し母恋し、恋し恋しと泣く声は、この世の声とはこと変わり悲しさ骨身を通すなり。

「あの児の齢や数えて三つ、募る後悔石三つ」

 かのみどりごの所作として、河原の石をとり集め、これにて回向の塔を組む。
 一重組んでは父のため、二重組んでは母のため。
 三重組んではふるさとの兄弟我身と回向して、
昼は独りで遊べども日も入り相いのその頃は地獄の鬼が現れて、やれ汝らは何をする。

「あの児の齢や数えて四つ、募る後悔石四つ」

 娑婆に残りし父母は追善供養の勤めなく、ただ明け暮れの嘆きには酷や可哀や不憫やと。
 親の嘆きは汝らの、苦患を受くる種となる。
 我を恨むる事なかれとくろがねの棒をのべ、積みたる塔を押し崩す。
 その時能化の地蔵尊ゆるぎ出てさせたまいつつ、汝ら命短かくて冥土の旅に来るなり。

「あの児の齢や数えて五つ、募る後悔石五つ」

 娑婆と冥土はほど遠し。
 我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよと、
幼き者を御衣のもすその内にかき入れて哀れみたまうぞ有難き。
 いまだ歩まぬみどりごを、錫杖の柄に取り付かせ忍辱慈悲の御肌へに、
いだきかかえなでさすり、哀れみたまうぞ有難き。南無延命地蔵大菩薩……。

「先生、彼女の……逆鬼さんの第一の喪失って……」

 地蔵菩薩や御身に問う。
 御身は二つや三つや四つ五つ、十にも足らぬおさなごを救おう。

「ああ――――アイツは子を喪っている」

 だが、子を喪った母の魂を一体誰が救おうや?
 地蔵菩薩よ答えてくれ。現世で血を吐く母の痛みを誰が癒す?

「(そ ん な 女 と 何 を 話 せ と 言 う ん だ)」

 珍しいことに正論である。

「(いやいやいやいや、重すぎね? 十代のガキに何語れってんだよ!
つーか怖えよ! 何あの人? 目が怖い目が。何処見てるか分からんねーよ!
焦点の合ってない瞳とか覗き込むだけで頭がおかしくなりそうだわ!!
そもそも話が通じるのか? ああ言う手合いは現実を見ていないぞ!?)」

 逆鬼雲母がどんな心境であるか、何を望んでいるかは察せる。
 だがこれは察せたところでどうにもならない問題なのだ。
 前提として紫苑は母ではなく、その痛みに対してどんな言葉を投げようとも意味が無い。
 これが近しい――親類のような立場ならほんの僅かだが可能性は開ける。
 だが紫苑は赤の他人で男だ。
 我が子を喪った母の痛みに対してどんな言葉を投げようとも届かない。

「(……まだ、真っ当な悲しみ方をしている女なら手はあったんだがな)」

 悲しみを抱えた人間で言葉が届くのは共感と救いを求めている者だけだ。
 共感や救いを求める心はその悲しみに刻まれた亀裂であり、
だからこそ、そこを突くことで悲しみを壊して心に入り込むことが出来る。
 人の心を熟知している紫苑はそこら辺を弁えている。
 だからこそ天魔、アリス、栞、紗織と言った少女らを誑かすことが出来た。

『おう、打つ手無しかよ?』
「(会話を成立させるための手ぐらいは打てるが……。
根本的にアレをどうにかしようってのは無理だ。赤の他人で、ましてや男の俺にはな)」
『じゃあアイツにとって赤の他人じゃなくなれば手は打てるのか?』
「(打てる――かもしれないってくらいだ。つーかそもそもアレをどうにかする気はねーよ)」

 君子危うきに近寄らず、
モジョに期待されている立場ではあるが流石の彼女もあれをどうにかしろとは言わないだろう。
 紫苑のキャパシティを超えていることは火を見るより明らかなのだから。

「(モジョ、あの婆……自分の友達がここまで壊れてるって知らなかったな。
現に今だって絶句してやがる。ここまでとは思っていなかったってなぁ。
さっきの近所の婆との会話でモジョは結構な期間田舎に帰ってなかったみたいだ。
察するにあの逆鬼って女が田舎に帰ってから余計に帰りたくなかったんだろうよ。
どうすれば良いか分からない、ただただ痛々しい。
だから考えないようにしてたのに……何で戻ろうとしたんだ馬鹿野郎!!)」

 その罵倒は見当違いにもほどがあるだろう。
 モジョが帰って来る切っ掛けになったのは紫苑なのだから。

『んじゃあこのまま帰るのか?』
「(それも出来ねえよ。モジョも数多く居る偽善者の一人らしい。
どうすれば良いか分からないがどうにかしたいとか思っている――――愚か極まりねえな)」

 正にその通り。紫苑は正確にモジョの精神状態を把握していた。
 彼女がピクリとも動くことが出来ないのはどうすれば良いか分からないからだ。

『でもお前関係ないじゃん?』
「(ないけどアレ放置して帰ったら俺の評判が心配だ。
善人で通ってる俺が何もせずに帰れってか? 俺だってそうしたいわ!
でも出来ないの! だって俺善人だから! キャラがあるからぁ!!)」

 そしてそのキャラを作ったのは紫苑。
 自縄自縛とは正にこのことである。

「うわぁ……ジャッパニーズホラーだわ」
「(お前はお前で暢気だな! 人の気も知らないでよ!!)」

 他者の痛みや苦しみに共感すると言った能力が著しく欠如しているアリス。
 そんな彼女に悲しき母の歌は届かない。
 だからこそ暢気な感想を述べることが出来るのだ。

「(これだから人の痛みを知らないガキは嫌いなのよ!)」
『お前だって別にあの雲母って女に同情とかしてるわけじゃねえだろ?』

 カス蛇の言う通りだ。
 他者の痛みや苦しみに共感すると言った能力が著しく欠如しているのは紫苑も同じ。
 唯一違うのは普遍的な価値観や独自の価値観に照らし合わせて理解が出来ると言うことだけ。

「(まあな。近寄りたくないとしか思えねえよ)」

 だが何時までもここに立ち尽くしているわけにもいかない。
 心底嫌ではあったが、意を決して紫苑は口を開く。

「……先生。とりあえず話さないことにはどうにもなりません」
「その、通りだが……多分、聞こえていないぞ……アイツ……」

 心なしかモジョが震えているように見える。
 それは変わってしまった友への恐れ、あるいは悲しみゆえか……。

「だが会話は出来る。先生が言ってたじゃないですか、連絡はしたと。
つまり会話が出来る精神状態になることもあるんだ。今はそうじゃないだけで。
なら話は早い。彼女を引き戻せば良い……まあ、一時的にしか無理そうですが」

 根本的に何とかするのは不可能。
 だが、一時通常会話を成立させる方法は思いついている。

「出来る、のか?」
「ええ……傍から見ると惨い行為で、俺自身もやりたくはありませんが……」

 こうやって予防線を張ることで、
これからやることが不本意であるとアピールしているのだ。

「(嘘泣きの準備もしとこうっと)どうします?」
「……すまん、やってくれ。私じゃ何も思いつかない……」

 むしろこんな場面に出くわして冷静に思考出来る方がおかしいのだ。
 だからこそ、悔やむ必要は無い。
 むしろ真っ当な感性をしていると誇るべきだろう。

「……分かりました」

 召喚魔法を発動させて呼び出した槍を片手に紫苑は河原へと下りる。
 人が近付いていると言うのに雲母は欠片も気付いていない。
 気付かぬままに悲しい童歌を口ずさんで石を積んでいる。

「……ふぅ」

 石を積む女の前に立った紫苑は大きく槍を振りかぶり、

「あの児の齢や数えて――――」

 積 ん で い た 石 を 総 て 薙 ぎ 払 っ た。
 その瞬間、雲母の歌が止って彼女は忘我状態になってしまう。

「あ……」

 ぼんやりと紫苑を見上げるその瞳はやっぱり焦点が合っていない。

「愚かなる母よ、嘆くだけで何も出来ぬ愚かな母よ。
お前の子がそうされたように私もまたお前に罰を与えたのだ」

 "我を恨むる事なかれとくろがねの棒をのべ、積みたる塔を押し崩す"
 つまりはそう言うこと。紫苑は賽の河原で鬼がしている役割を演じたのだ。

「我を恨むることなかれ(うわ……近くで見て気付いたが、コイツ俺と同じ目の色してる……!)」

 ヘーゼル色の瞳を持つ人間と言うのは身近にそうそう居ないものだ。
 紫苑自身も母親以外で自分と同じ瞳を見たことがなかった。
 だと言うのによりにもよってこれか! テンションが急降下するが、ここで萎えるわけにはいかない。

「分かっております、鬼様」

 抑揚の無い声でそう呟き、再び雲母は石積みを始める。
 紫苑もまた槍を振るって石を崩していく。
 それでも雲母は再び石を積み、再び紫苑が槍を振るって石を崩す。
 そんなやり取りを十分ほど続けていると……。

「(――――戻った)」

 僅かながらに雲母の瞳に理性の光が宿ったことを確信する。

『こりゃまた……お前、一体何したんだよ?』
「(この手の人間はな――――罰 せ ら れ た い ん だ よ)」

 罪を犯した人間のその後は大きく二つに分けることが出来る。
 一つは表面上は反省していても内心ではまったく反省していない人間。
 一つは心の均衡を崩すほどに深く悔いている人間。
 紫苑は前者で雲母は後者だった。

「(モジョからリーダーを任されたって時点で責任感が強いのは分かってた。
だから折角手に入れたアムリタだって全部渡そうとしたんだ。
ごめんなさいごめんなさい、あなたに任された役割をこなせませんでした。
私が総て悪いの。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいってな)」

 一番最初の喪失、
その後に再会したモジョを始めとした幼馴染達の献身により一時期雲母は持ち直していたはずなのだ。
 だが、それを喪ったことで完全に均衡が崩れた。
 一応今でも友達を死なせてしまったことは後悔しているだろう。
 だが、大事な友と言っても所詮は他人。
 となると一番最初の疵の痛みがぶり返す。
 我が子を喪った後悔が以前よりも大きくなってその心を蝕むのだ。
 だからこそここでこうやって賽の河原で我が子がそうしているように彼女も石を積んでいる。
 それが紫苑の見立てだった。
 だが、賽の河原を真似るにしてもここには足りないものがある――――鬼だ。
 愚かな己を呵責する鬼が居ないのだ。
 だからこそ紫苑は鬼を演じて一種の満足感を与えることを考えた。
 そうすることでほんの少し、一時的に心を軽くしてやったのだ。

『にしてもよぉ……責められて持ち直すってのも変な話だな』
「(そうおかしなことでもないさ。良いか? 人間は自分を罰するのが下手糞なんだよ)」

 紫苑も自分を罰するのはとても苦手――って言うか思いつきもしない。

「(だから罪を犯した人間を裁く法や機関が存在している。
だがな、そこに入ることすら出来ない咎人はどうしたら良い?
待ってるのさ、誰かに罰せられるのを。そうすることで慙愧の念をもっと強くしたい。
何てアホらしい……赦しを乞うために罰を望まず、赦されたくないから罰を望む。
俺から言わせりゃ気持ち悪い自己満足でしかねえや)」

 辛口ではあるが、そこに正しさが無いわけではない。
 とは言えそれを口にすれば角が立つし、
平気で哀れな女を呵責すると言うのも風聞が悪い。
 紫苑は心底苦しそうな顔を作ってアピールしている。僕も辛いんでちゅぅ……と。

「愚かな女、何故お前は石を積む?」
「私が咎人だからで御座います」
「そうかそうか、だから崩されても終わらずに何度も何度も石を積むわけか」

 すぅ、と息を大きく吸い込んでトドメの一言を放つ。

「そ ん な に 赦 さ れ た い の か お 前 は」
「――――」

 この世の終わり、今の雲母の表情にタイトルをつけるとしたらそれだ。
 何て浅ましい女だ――情け容赦も無い紫苑の追撃が放たれる。

「あ」

 雲母の瞳が完全に理性を取り戻す。

「(やっぱりな……コイツ、殆ど無意識でこれをやってやがった。
ある種の夢遊病、もしくは多重人格に近いもんがあるな……ガチ患者じゃねえか!)」

 この石積み、発端が何だったのかは分からない。
 だが気付けば逆鬼雲母と言う女の習慣――否、習性になっていたのだろう。
 だからこそ人が近付こうとも気付かずに石を積み続けている。

『成るほど……だからこそ効いたわけか』

 それほど深く根ざした後悔の念。
 そこに深く響く呵責だからこそ雲母を正気に戻すことが出来たのだ。

「(よし! こ こ で 涙 腺 開 放 ! !)」

 つぅ……と一筋の涙が紫苑の頬を伝う。

「あら……? あらあら、ボク……どうしたの? 痛いの?」

 そんな言葉が出て来るのは完全に認識が成されている証拠だ。

「……大丈夫ですよお姉さん。全然、痛くありませんから」

 無理して笑っている――そんな表情を演出、これぞ匠の業である。
 顔面劇的何ちゃらアフターとはこのことだ。

「そぉ? それなら良いのだけど……ん? まあ、まあまあ! 女威ちゃん!!」

 ようやく旧友の姿に気付いたらしい。
 モジョはその声に安堵しつつも、重たい足を引き摺って河原へと下りる。

「……すまんな春風、辛い役目をやらせてしまった」
「(よし! 計画通り!)いえ……」
「女威ちゃん、この子と知り合いなの? もしかして……」
「忘れたのか? 教え子と一緒にお前に会いに行くと言っただろう?」
「? そう、だったかしら? 忘れてたみたいだわ……ごめんなさいねえ」

 心底申し訳なさそうに謝る辺り、本当に忘れていたのだろう。
 一日のうち正気である時間がどれだけあるのか……考えるだけで欝になりそうだ。

「とりあえずお家に来て頂戴な。あのお人形さんみたいな子も女威ちゃんの生徒さんよね?」
「……ああ、彼女はアリス・ミラー。そしてこの男の子が春風紫苑だ」
「アリスちゃんに紫苑ちゃんね? 私は逆鬼雲母よ。よろしくね?」
「(よろしくしたくねえよ)はい、御願いします」
「雲行きも怪しいし……早いところお家に行きましょうか。案内するわ」

 そうして来た道を戻り、紫苑達は逆鬼家に招待されたのだが……。
 中に入ると誰もが言葉を失った。
 生活感が欠如した室内、殆ど何も無い。
 必要最低限のものしか置かれていないのだ。

「ごちゃごちゃしたお家でごめんなさいね?
近所のおばさん達がどうしてか私の家に色々家に置いていくのよ」

 困ったように笑う雲母だが――――笑えない。
 つまりこの最低限すら彼女にとっては余計なものなのだ。
 それだけ逆鬼雲母と言う女は膿んでいる。

「あ……でも、お出しするお茶が無いわ。ちょっと買って――――」
「アリス! 何か飲み物を買って来てくれ」

 雲母の言葉を遮るように紫苑が言葉を発する。
 暗に席を外してくれと言うことだろう、アリスもそれを察して大人しく家を出て行く。

「あらあら、御客様に気を遣わせちゃったみたいで……お金を払うわ」
「いいえ、それには及びませんよ」
「良いのよぉ。私、お金なんてあっても使い道無いし」

 纏っている衣服もよくよく見ればこの年齢の女が着るものではない。
 飾り気も何もない、年配のお母さんが着ているようなものだ。
 恐らくはこれも近所の人間が渡したものなのだろう。

「(……この調子だと食べ物とかも近所の連中が差し入れてそうだな)」

 紫苑は吐き気を堪えるので精一杯だった。

「(いかん! ポジティブだ! ポジティブなことだけ考えろ紫苑!
こんなメンヘラ(狂)のことなんて深く考えるな!
どうせならコイツを利用してモジョの評価を上げることを考えろ!
モジョはモジョだけどAクラス総てを統括してる結構な立場に居る人間だからな!
そいつの好感度を上げておいて損は無いだろう――――よし、頑張れ俺!)」

 頑 張 れ 紫 苑。

「逆鬼さん、改めて自己紹介します。
俺は大阪にある冒険者学校から来ました春風紫苑です」
「まあまあ、しっかしてるのねえ……あら……」

 ふっと、雲母から表情が消える。
 彼女の視線はどうやら紫苑の瞳に注がれているようだ。

「……珍しい。私と、同じなのねえ」
「確かに身近では余り見ませんよね(俺もう帰りたい……)」

 見つめ合うだけでこんなにも憔悴させられる相手と言うのもそうそう居ないだろう。

「あ、ごめんなさい。話を遮っちゃったわね。続けてくれるかしら?」
「コイツはな、優秀な者が集うAクラスの中でも指折りの人間を集めたパーティの頭をやってるんだ」

 モジョが紫苑を持ち上げたことで若干ではあるがテンションが上がる。
 これならもうしばらく戦うことが出来そうだ。

「使える魔法の質は正直並なんだがな……それ以外の部分が素晴らしい。
判断力、観察力、度胸、進んで辛い役目を担う強い心と相手を思いやる優しい心。
リーダーとしてこれ以上ないくらいの資質を備えた男なんだ」

 それはモジョの偽らざる評価だ。
 先ほどの呵責を見たことでそれは不動のものになった。

「まぁ……凄いのねえ。ふふ、駄目な私とは大違いだわ」
「そんなことはない。お前も十分――――」

 感情的に反論しようとしたモジョだが、紫苑が手でそれを制する。
 ここでそれをすれば更に泥沼に嵌るだけだと。

「ッ……すまん。それでな、雲母。本題に入りたいんだが……」
「先生、俺から言います」
「だが……」
「これは俺が望んだこと。それに、辛そうな先生にやらせるのは気が咎めます」
「春風……」
「(うん! 良い感じだ俺ェ!!)」

 ようやく調子が戻って来たようだ。
 いやまあ、河原で呵責してた時も絶好調っちゃ絶好調だったが。

「……優しい子、なのねえ」

 モジョがどうして辛そうにしているかは分からない。
 だが、それを思いやっている紫苑は優しい――雲母はそう思った。

「ふぅ……雲母、さん」

 若干言葉を詰まらせることで辛そうな感じを演出するのが肝だ。
 そうすることでモジョに罪悪感を抱かせることが出来る。

「何かしら?」
「俺は……仲間の命を預かる立場に居ます。
全員で生きて帰る、そのために何時だって全力を尽くしています」

 尚、滋賀では皆殺しにしようとした模様。

「今でも自信は無いし、何時だっておっかなびっくりです。
でも――――死んで欲しくない。入学式の際に、俺は仲間を喪いました。
その場で出会ったばかりで深い付き合いなんてなかった。
それでも……これから先、どうなるかは分からなかった。
友人に、あるいは恋人に、良いところも悪いところも知ることが出来たかもしれない。
だけど……死んでしまった。あらゆる可能性がそこで閉じてしまったんです」

 雲母は静かに紫苑の言葉に耳を傾けていた。
 目の前で語る真っ直ぐな男の子はまるで――――。

「喪失の痛みは今でも俺を苛んでいる。二度と、こんな思いはしたくない。
今居る仲間とは多くの苦難を共にしました。
共に泣き、共に笑い、迷惑をかけたりかけられたり……掛け替えの無い時間を過して来た。
だからこそ、死んで欲しくない。甘いかもしれませんが……それが俺の本音です」

 さあ、ここからが本題だ。

「でも今、俺達はとても危ない橋を渡っています」
「危ない、橋?」
「……このことを伝えるのと、逆鬼さんは傷付くかもしれません。
でもだからと言って止めるわけにはいかない(早く話を終わらせて帰りたいしな)」

 血を吐くように紫苑は自分達の現状を言葉にする。

「俺達は今、かつて逆鬼さん達が潜ったダンジョンと同じようなダンジョンに挑んでいます。
明らかに格の違う知能を持つモンスターが出て来るあのダンジョンです」
「――――」

 雲母が沈黙しているのはかつて思い返しているからか。
 あるいは目の前に居る少年に……。

「どうか、あなたのお話を聞かせてください。どんな小さなことでも良い。
俺は知っておかなくちゃいけないんです……! 皆のために、俺のために!
喪うことの辛さと苦しさ、逆鬼さんには及ばなくても俺だって知ってます。
だから……酷いことを言っているのも自覚しています!」

 全滅した時のことを話してくれ――――何て酷な願いだろうか。
 モジョは自分の弱さを恥じていた。
 教え子にそんなことを言わせまいと自分が問うつもりでいたのだ。
 なのに、自分の不甲斐無い姿を見せたばかりに気を遣わせてしまった。
 その結果がこれだ。
 瞳に涙を浮かべて血を吐くように、
それでも一歩も引かずに雲母と向かい合っている。
 本当に強いのは誰だ? 一目瞭然、自分より教え子の方が強い。
 一回り以上も年下の少年の方がよっぽど立派に生きている。
 だがそれは厳しい生き方だとも思う。
 決して楽な道に流れることはなく、茨の道を血を流しながらも歩き続ける。
 とても十五、六の少年が選ぶような道ではない。
 モジョは複雑な心境で紫苑を見つめていた――――正に奴の術中である。

「でも、俺は聞かなきゃいけない。少しでも、少しでも生存の道を大きくするために……!
だからどうか……御願いします! 俺に、あなたの話を聞かせてください!!」

 ハ イ パ ー 土 下 座 タ イ ム で あ る。
 常日頃からやっていたら土下座とて軽いものになってしまう。
 だがらこそ、ここぞと言う場面で決め撃ちするのだ。
 土下座と言う情け無い行為が、一転して輝かしいものになる瞬間。
 それこそが今! 今が駆け抜ける瞬間だ!

「――――紫苑ちゃん、頭を上げて頂戴な」

 優しい、とても優しい声色だ。
 紫苑の傍に寄った雲母は優しい手で彼を抱き起こしてその胸に抱きとめる。

「(うわぁ……良い感触だけど全然萌えねえ。
やっぱ女は普通で尚且つ俺より劣ってて三歩下がって男の影踏まずな女が良い。
ツラも良過ぎたら何かアレだし、そこそこ可愛いぐらいが一番だな。
その方が俺のイケメンっぷりが際立つし!)」

 何て最低な亭主関白だろうか。

「本当に、本当に優しい子なのねえ」

 壊れ物を扱うような繊細な手つきで紫苑の頭を撫でる雲母。
 彼女はしばしの沈黙の後に、静かな声でこう告げた。

「分かったわ――――私が体験した総てを話しましょう」
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ