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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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見下しセラピーはやっぱ最高や!

 何かを得ることもなく岩手から戻った翌日、紫苑は朝から学校に足を運んでいた。
 夏服なので蛇のタトゥーが目につくが良い意味で春風紫苑と言う生徒は目立っている。
 なのでタトゥーの由来についても既に知れ渡っており気兼ねなく夏服を着ることが出来るのだ。

「(ふぅ……暑いなぁ……流石にこんな日に冬服は着たくねえもんな)」
『つかさぁ、右腕に包帯巻けば良いんじゃねえの?』
「(アホ! んなことしたら中学二年生みたいだろうが!)」

 表の発言の大半が中学二年生入っているのに今更である。

「失礼します(おー……やっぱ職員室はクーラー効いてんなぁオイ)」
「春風くんかね? 今日はどうした?」

 職員室に入ると真っ先に担任であるヤクザと出くわす。
 その目は休んでいなくて良いのか? と語っている。
 担任だけあって昨日まで岩手でダンジョンを探索していたことを知らされているのだ。

「桃鞍先生とそれ関連でお話がありまして」
「桃鞍先生と……? ん、まあ分かった。少し出ているから生徒指導室で待っていると良い」
「分かりました」

 紫苑が二階にある生徒指導室へと足を運ぶと中はもぬけの殻。
 それでも冷房がしっかり効いているのは、わざわざ部屋を空けてくれたと言うことだろう。
 僅かな時間だったと言うのにヤクザは手配が早過ぎる。

「(ちょっと気持ち悪いくらいだわ)」

 ソファーに腰掛けて鞄の中からペットボトルを取り出す。

「んぐ……(あー……うんめえ……夏はしっかり水分摂らなきゃなぁ……)」
『アップルジュース買えば良かったのに……』
「(うっせえな。俺そこまで林檎好きじゃねーんだよ)」

 今現在紫苑が飲んでいるのは普通のスポーツドリンクだ。
 カス蛇にとってはそれが不満で不満でしょうがなかった。

『あーあー、岩手の帰りに青森観光も行けなかったしさぁ……』
「(愚痴愚痴うるせえ! お前それでも男か!?)」

 そう言う紫苑も常に愚痴愚痴言っている件について。

「すまない、待たせたな春風。少し部活の指導が長引いてな」

 当然のことながら冒険者学校にも部活と言うものは存在している。
 よくある運動部や文化部から、魔法研究部やら鍛冶部なんてものまで種類は様々。
 部活動なんてものに興味が無い紫苑はともかくとして麻衣などは偶に料理部に顔を出していたりする。

「それで、私に用とは何だ?」
「実は――――」

 夏休み前にファミレスで話したことをそのままモジョにも伝える。
 桃鞍女威と言う女は基本的に悠然としているが、紫苑は見逃さなかった。
 野暮ったい眼鏡の奥で確かに瞳が揺らいだことを。
 どうやら彼女にとってアムリタを譲渡したであろう"生き残った一人"とはただならぬ関係らしい。

「……お前は、本当に注意深く生きているな」

 アムリタを渡しただけでよくもまあここまで辿り着けたものだと言っているのだろう。
 だがそれは違う。確かに春風紫苑は些細な言葉の裏を読むことに長けている。
 だが、この場合は違うのだ。

「教師と私人の間で先生が揺れ動いていたから気付けたんですよ――多分ね」

 もし本当に隠す気があるならどうとでも言い繕えるはずだ。
 けれどもモジョはそれをせず、ただ自分から言わなかっただけ。
 そこから推察するに気付けば教えるが気付かなければ教えたくはなかった。
 紫苑はそんなところだろうと睨んでいる。

「……怖いな。いいや、お前を見出した私の眼力も捨てたもんじゃなかったわけか」

 疲れたような苦笑を浮かべるモジョ。
 それは紫苑の推測が当たっていると言う無言の肯定だ。

「(そういやこのダッサイ婆のせいで俺こうなってんのか……絶対赦さない!!)
……言い難いことであれば、俺はこのまま去りますが?」

 生徒にそう言われて、じゃあ御願いしますと言えるわけがない。
 それを分かってのこの発言。いやらしいと言うしかない。

「いや、それには及ばん。お前の推察通り、私は気付けた以上隠し立てをすることはせん」
「申し訳ありません」
「はは、謝るな。生徒に謝られると私もどうして良いか分からなくなる。
だが、話す前に一つ聞かせてくれ。お前達は他のパーティと接触していないんだな?」
「ええ。どう言う理由か、ね。先日岩手で救出のために接触したのが初めてです」
「そうか……少しばかり不思議だな」

 個人情報以外――ダンジョンについての情報などは開示されている。
 だがやはり、探索した人間と直に話し合う方が良いはずだ。
 それなのに紫苑以外のパーティは情報交換会を望んでいない。
 モジョはそこら辺が少しばかり不思議だった。

「……別段不思議ではないでしょう。
特別な立場に抜擢されると、どうしたって驕りが生まれてしまう。
そしてそれも仕方ないと思えるだけの能力を持った人間達ばかりですからね」

 わざわざ学生と話す気なんてないと言うことだ。
 ダンジョンの情報はギルド側に言えば開示されるし何の問題も無い。
 驕りと言うと聞こえは悪いが、それは仕方のない驕りだ。
 人間である以上常に謙虚であれなんて不可能に近い。
 まあ、その驕りのせいで岩手での一件のようなことも起こったのだが。

「(だが、顔の見えない暗殺者は別だ……あれは、驕りじゃない)」

 カニの場合は単純に直に会うことで漏れるリスクと、
得られるメリットを秤にかけて前者を選んだと言うだけだろう。

「成るほどな……しかし、やはりお前には驕りがなさそうだな」

 驕りマックスハートで増上慢の化身である紫苑に一体何を言っているのだろう?

「非才の身ですからね。驕る余裕すら無いんですよ」
「フッ……だが、そのおかげでお前の仲間達は驕りに呑まれなさそうだな」
「(つーか何時まで無駄話してんだよ。んなに話したくないかね貴様)」

 モジョの意図はとっくにまるっとお見通しである。
 話すと言ったが、どうにも踏ん切りがつかずこんな会話をしているのだ。

「……本当に、お前は年齢に似合わぬ気遣いが出来る男だな」

 モジョもまた紫苑が薄々気付いているだろうなとは思っていた。
 何も言わない理由については勘違いしているようだが。

「大人が余り情けない姿を晒すわけにもいかん。うん、話そう」
「御願いします(前フリなげーんだよ。んなだからお前はモジョなんだモジョ。何だそのジャージ眼鏡)」

 今日も今日とて黒のスポーツジャージに野暮ったい眼鏡。
 女を捨てたとしか思えない出で立ちをディスる紫苑。
 だが、それとこれとは話が別だろう。

「件のアムリタ、あれはな。確かに私が個人的に譲渡されたものだ」
「やはり……」
「くれたのは――――同郷の幼馴染だ。彼女とは、教師になる前にパーティを組んでいた」
「その縁で?」
「そうと言えばそうなのだろうな。
色々と複雑な事情があって、今は少し話す決心が出来ないが……。
それでも会って直に話が聞きたいと言うのならば最大限の便宜をはかるつもりだ」
「なら、御願いしても?」
「うむ。ただ、色々と覚悟しておけ。男のお前では分からん狂気に触れるかもしれん」
「(え? 何か怖い感じ? だったら嫌だよ!)」

 そもそもからしてアムリタ残ってるなら上手いこと騙して手に入れられないかなー、
と考えての面談申し込みだったわけで面倒な相手ならば会いたくなんてない。
 しかし、ここまで言ってしまった以上後には退けないのもまた事実。

「コンタクトを取る際は私も同席するが……いや、これ以上脅してもしょうがないな」
「(ホントだよ! 不安煽るな教師だろお前!?)」
「兎に角、日程が決まったのならまた連絡しよう。それで良いな?」
「ありがとうございます」

 とまあ、これで用は済んだわけだがまだ帰るわけにはいかない。
 家に帰ったところでクソ鬱陶しいロリが待っているだけ。
 岩手の件が終わってようやく始まった花の夏休み、
その初っ端をイカレタ合法ロリと過すなんて悲しいにもほどがある。
 紫苑は若干消沈しつつ図書室へと足を運ぶ。

「さてさて……お、居た居た」

 余り利用者の居ない図書室だが夏休みともなれば顕著だ。
 司書を含めて片手で数えられえるくらいの数しか居ない。
 紫苑はその中にお目当ての一人を見つけて近寄って行く。

「頑張ってるな黒姫」

 山と積まれた参考書を前でペンを走らせていたのは誰あろう図書室の天使。

「あ、春風さん……こんにちは」

 今まさに紫苑に気付いたと言った感じで笑みを零す百合だがそんなことはない。
 学校の敷地内に入った時点で紫苑が居ることは把握していた。
 そして、真面目な彼だから用事で学校に来るにしてもそれが終われば図書室で勉強するだろうと言うことも。

「ああこんにちは。隣、良いか?」
「は、はい! ど、どうぞ」

 隣の席に置かれていた鞄をあたふたとどかす仕草すら愛おしい。
 この何とも言えない駄目っぷり! もう堪らんぜよ! ってな具合の紫苑なのだが……。
 言うまでもなく演技であるこれは。
 駄目でも頑張ってる女の子に優しい紫苑に好かれたいがゆえの演技。
 間違っていないのだが紫苑が好きなのは劣る人間ってだけ。
 百合が考えているような清らかな感じではない。

「(今日も良い具合に駄目さが滲み出てる! 何や天使やないか!)
俺は用事で学校に来て、ついでに宿題も片付けに来たんだが……」

 百合のそれは宿題と言うわけではなさそうだ。
 参考書のタイトルやノートの内容を見るに一学期のおさらいと言った感じだろうか?

「凄いな……一学期の復習を全部やっているのか?」
「す、凄くないです。私、人一倍頑張らなきゃいけませんから……」

 なーんて言ってるが別にそんなことはない。
 妹が優れたスペックを持つように姉だって優れている。
 ぶっちゃけた話をするのならば高校三年間で学ぶ内容については余裕だ余裕。
 ノートを取ったり参考書を広げたりなんてする必要はない。
 総て紫苑に見てもらいたいがための演出である。

「(ほっほー! そうだよなそうだよな! THE・劣等生だものなお前!)」

 まんまと絡新婦の術中に引っ掛かっている馬鹿発見。
 見栄を守るためだけに偽り続ける紫苑。
 愛する男に愛されたいからと偽の自分に成った百合。
 致命的にすれ違ってはいるがある意味この二人はお似合いかもしれない。

「そうやって頑張れることそれ自体が凄いのさ。
うん、俺も頑張らなきゃって思う。俺で良ければ分かる部分を教えようか?」
「え……で、でも春風さんは宿題をしに来たんじゃ……」

 申し訳無さそうに紫苑の申し出を断る百合。
 だが、内心では有頂天だった。
 こんな風に優しくしてくれる紫苑が愛しくて愛しくてしょうがない。
 浅ましいだろう、だがこの歓喜に比べれば後ろめたさなど何するものか。

「大丈夫、これは俺のためでもあるんだ。
他人に教えることで自分の理解を深めるのにも役立つ。駄目か?」
「……じゃ、じゃあ御願い、してよろしいでしょうか?」
「ああ、喜んで(イヤッホイ♪ 癒されるわぁ……見下しセラピーはやっぱ最高や!)」

 そんな心理療法があってたまるか。

「ご、ごめんなさい」
「そこはありがとうで良いんだよ。余り遠慮されると、俺も困る」
「あ……」

 優しく微笑みかける紫苑に胸キュンバースト寸前の百合。
 彼女は改めて思った、醍醐紗織を殺して良かったと。
 色々な意味で狂気を感じる感想だが触れると欝になりそうなので放置が一番だろう。

「あり、がとうございます」

 胸がいっぱいで言葉もつっかえてしまう。
 それは偽らざる気持ちだった。黒姫百合は今――――心底幸せだった。
 他人からすれば取るに足らないことでも彼女にとっては無上の幸福。
 光差さぬ血生臭い世界で生きて来た少女には何よりもの癒しなのだ。
 それを否定することは何者にも赦されない。

「どういたしまして。じゃあ、始めようか」
「はい!」

 席を近付けると鼓動の音すら拾えそうな距離になった。
 下心ありありの接近だったが紫苑は何でもないように振舞っている。
 これでは天然だと受け取られても不思議ではない。

「(女子ってやっぱ良いわぁ……ええ匂いやのぅ……こりゃガマズミの花の香水かな?)」

 ちなみに、ではあるがガマズミの花言葉は色々強烈だ。
 "無視したら私は死にます"――――メンヘラ草とかそう言う名前の方が相応しいだろう。
 百合が何故この花の香水を選んだかと言うとその花言葉通りだ。
 紫苑に無視されたら死んでしまうだろうと言う乙女心アピールである。

『しおりんとか天魔も良い匂いじゃねえの?』
「(香水やら何やらで隠し切れない危険で醜悪な匂いがするからヤだ)」

 今、一番あなたの近くに居る少女もそうなのですが。

「(それに比べて百合ちゃんマジ天使)」

 薄汚い内心をおくびにも出さず紫苑は問題の解説をしていく。
 その見事なポーカーフェイスの下にある下心は永劫日の目を見ることはないだろう。

「違う、そこ間違ってる。解き方を勘違いしているようだ」
「あぅ……ごめんなさい、折角教えて頂いているのに……」
「良いよ。根気強く行こう。まずは基本の問題をちゃんと解けるように、だな」
「はい!」

 さて、悦に浸っているのは紫苑だけではない。
 百合もまたどうしようもない快楽に心身を委ねている。

「そう……あ、でもそのやり方よりこっちの方が良いな」

 吐息がかかるような距離にある想い人の顔。
 汗とボディソープの匂いが混じった想い人の体臭。
 駄目な女に根気強く教えようとしてくれている想い人の優しい声。
 四苦八苦するフリをしながら問題を解く度に良く出来たと笑いかけてくれる。
 偽っている後ろめたさすら凌駕する幸福が百合を満たしていく。
 今にも絶頂してしまいそうなほどに昂ぶったこの気持ち。
 これが愛、これこそが愛。世界中の人間に教えてあげたいほどだ。

「(堪らんのう……日頃のストレスが吹っ飛ぶくらい幸せだ!)」
「(嗚呼、私、こんなにも幸せです……!)」

 すれ違っていながらも同じ思考に辿り着くと言う離れ業を何と例えれば良いのだろう。
 いや、本当にお似合いだ。
 このままの状態が続くのならば幸せなカップルになれること間違いなしである。

「っと……少し休憩にしようか」

 デレデレしながら進めていたら気付けばもう昼前になっていた。
 暑さのせいで昼食を摂る気はないが、それでも休憩するには丁度良い。

「はい。あの、春風さんはお弁当とか?」
「どうにもこの暑さで食欲が無くてな。本当は良くないんだろうが……」
「あはは、私もです。そうめんぐらいしか喉を通りません」
「分かる分かる」

 それでもそんな紫苑を気遣って食べやすい食事を作ってくれるのがルークだ。
 戦闘から家事まで何でもござれのマッチョメン、一家に一台の時代がそのうち来るかもしれない。

「それにしても……」
「どうかしたんですか?」
「いや、一学期の全部を復習する! ってぐらいの量だと思ってな。
これに加えて宿題もあるし、大変なんじゃないか?」

 百合はその問いを待っていた。

「はい。でも、私一時期学校休んでたんです。記憶も曖昧で何故休んだかも分からなくて……。
あ、でも何か出席したことになってて……ホントよく分からないんですけど……。
そのせいで勉強も遅れてるし、これぐらいやらなきゃって思って……。
無駄かもしれないけど頑張るだけ頑張ってみようって……あ、ごめんなさい。意味の分からない話しちゃって」

 休んでいたはずなのに出席したことになっている。
 だが、欠席をした理由も分からない。
 まるで意味が分からないだろう――――紗織のことを知らぬ人間にとっては。

「(ファーwwwそういやコイツそうだったなオイ!)」

 紗織が百合に成り代わっていたと誤認させられている紫苑。
 彼には百合が言うところの意味の分からない話がよーく分かる。
 恐らくは背丈が似ていたであろうと言うだけで紗織に目をつけられた百合。
 記憶が曖昧と言うことは摩り替わってる間は恒常的に薬物を使用されていた可能性もあると推測出来る。

「(とことん不幸で笑えて来るわ。百合の不幸があれば俺は何杯でも飯を食える!)」

 騙されているとも知らずに間抜けな男である。
 これはあくまで紗織と百合は別ものだと印象付けるための会話だ。
 であれば百合の目論みは見事成功したと言えるだろう。
 今更その必要も無いと思うかもしれない。
 しかし、こう言うところで細かなケアをするのが大事なのだ。
 この辺りの小賢しさも紫苑そっくりだ。

「あの、私変なこと言いました、か?」

 不安そうな百合、その理由は紫苑にあった。
 彼はどう言うわけだか悲しそうな顔をしている。

「(百合が不幸天使なのは良いが……あのキチガイも思い出しちまった……)」

 そう、百合を拉致った――と思っている紗織のことを思い出してテンションが下がってしまったのだ。
 何せ紗織は自分に迷惑をかけたキチガイでしかない。
 そんな顔を思い出してしまったのだから表情が曇るのもしょうがないだろう。

「……いや、何でもないよ」

 少し寂しそうに笑う紫苑を見て百合は確信を得る。
 彼の中にある醍醐紗織と言う名の疵から血が流れ出ていることに。
 決して癒えず広がったままの傷口から赤い涙が滴り落ちて今でもその心を苛んでいる。
 そう考えるだけで暗い愉悦が泉のように湧き出す。

「あの、私と初めて出会った日……は、春風さん、泣いて、いましたよね?」

 おずおずと問いかける百合。
 意図は明白――――疵口を抉ることで闇色の独占欲を満たそうとしているのだ。

「もしかして……今、悲しい顔をしているのと関係があるんじゃないですか?」
「(関係ねーよ。だがまあ……確かに、そう取られてもおかしくはない、かな?)」

 百合の前で辛そうな顔をしたのは今とあの時の二回だけ。
 関連性が在ると思われても仕方ない。
 であれば、それを利用するのも一興だと紫苑はほくそ笑む。

「(死んだキチガイを使って悲しい過去を持つ俺カッケー作戦発動だ!)」
『最近気付いたけどお前にネーミングセンス無いよな』
「(シャラップ! アンドダァイ!)関係、か……」
「あ、ごごごごめんなさい! 出過ぎたことを言ってしまって……」

 本気で落ち込んでいるようにしか見えない紫苑を見て百合も大満足。
 これ以上は辛くなるだけなので追求を止めようとするが……。

「いや、良い。うん……少し、誰かに聞いて欲しいのかもしれない」

 寂しげな瞳が問いかけている。話を聞いてくれるか? と。
 百合は沈痛な面持ちでそれに頷く。

「あの時も言ったかもしれないが俺は一人の女の子を助けられなかった(助けるつもりもなかったがな)」

 下唇を強く噛んで血を流させる。
 こうすることで今でもやり切れずに悲しんでいるとアピールしているのだ。

「女の子は、同じ年頃だってのに俺やお前よりも辛い生き方をして来た。
ぬくぬくと育った俺なんかじゃ、及びもつかないくらい厳しい生き方だ。
その人生は苦痛に塗れていただろう……救いなんてなかったはずだ……(ゴミみてえな人生だよなアイツ)」

 涙ぐむ紫苑。自由自在に涙腺を操る技が惜しみもなく披露されている。
 一方で百合は途方も無い喜びを甘受していた。
 今も尚、かつての己の生き方に誰よりも心を重ねてくれている。
 他人ごとだと斬って捨てずに我がことのように悲しんでくれている。
 既に醍醐紗織は死んだ存在、ならばこれは何よりもの弔いだ。

「血を吐くような生き方だ……俺なら、きっと耐えられない(ま、所詮は人ごとだけどな)」
「……春風さんは、どうしてその方と出会ったんですか?」
「話を聞く限りじゃ俺を利用するためだったみたいだ」
「それなのに春風さんはその人のために涙を……?」

 それは百合にとっても気がかりだった。
 紫苑を利用しようと近付いた事実は消えない――端的に言えば彼女は負い目を抱いている。

「辛くなかったと言えば嘘になる(俺は生涯アイツを赦さねえ!)」

 でも、と言葉を区切りタメを作る。

「彼女は情状酌量の余地あれども、多くの罪を犯して来た」

 それはその通りだ。
 醍醐紗織は復讐のために闇の道を渡って来た。
 その途上で多くの者が犠牲になっただろう。
 倉橋や栞と見合いをしていた名も知らぬ少年などが良い例だ。

「他の人間は彼女を赦さないかもしれない。だからこそ――――俺だけは赦さなきゃいけない」
「それは……どうして、ですか?」
「怨み辛みはキリが無い。それは彼女を見ていてもよく分かった。
でも、だからこそ何処かで断ち切らなきゃいけない。
断ち切れる人間はそこで終わりにしなきゃいけないんだ。じゃなきゃ……」

 また彼女のような悲しい人が生まれてしまう……紫苑は涙声でそう告げた。

「だから俺は赦すんだ。誰が赦さなくても俺だけは彼女を赦したい」

 それは違う、と百合は口にしたかった。
 自分は紫苑以外の誰に赦されなくても構わない。
 ただあなたにだけ赦されればそれで良いのだと声を大にして言いたかった。

「それに、俺はどうしても彼女を怨めないし憎めないんだ。
それよりも先に悲しみが来てしまう。俺が利用されたことなんて些細なことでしかない」

 だがその些細なことを死ぬその寸前まで忘れないのが春風紫苑である。
 七代先まで祟ると言う言葉があるが、正にその通り。
 紫苑は自分の命が消える寸前であろうとも怨みの炎を燃やし続けて相手を呪うだろう。
 否、怨みを持つ相手だけではない。怨みを持つ相手に連なるあらゆる人間を呪う。
 その粘着気質はガムテープのそれよりも遥かに強い。

「俺は……救ってやりたかったんだ……!」

 傲慢かもしれない、それでもどうにかして日の当たる場所へ連れて来てあげたかった。

「だけど、俺は弱い……口では何とでも言えるが、結局救えなかった!
いたずらに疵を暴いて、その挙句に死なせちまった! 俺は自分が憎い!
炎の中に消えてしまった彼女の儚い笑顔が……今でも、脳裏から消えない!!」

 虚言、虚言、虚言、放たれ続ける嘘の弾丸。
 そこに真実は微塵も存在せず塗り固められた虚飾のみが場を支配している。

「彼女は、とても綺麗な人だった。お日様の下で心からの笑顔を見たかった……!」

 紫苑が紗織の顔で出会ったのは夜。
 無慈悲な月光のベールを纏った悲しき復讐者としての醍醐紗織しか知らない。
 だが、もし赦されるなら……優しい陽の光に包まれた彼女が見たかった。
 痛みも苦しみも悲しみも、何もかもを捨て去って微笑む紗織。
 嗚呼、それは何て美しい光景なのだろうか。
 だが悲しいかな。その可能性はもう欠片も残っていない。
 炎の中でその生涯を閉じた彼女に会うことはもう出来ないのだ!
 春風紫苑の迫真の演技に百合は涙が出そうだった。

「俺は、弱い……女の子一人、救えない……。
ずっとずっと辛い思いをして来たのに……彼女は、幸せになれなかった……!」

 それは違う! 自分は確かに救われた! そう叫びたかった。
 だが百合にそれは赦されない。そんな道を選んだのだ。
 美しくさも正しさもないけれど、それでも春風紫苑を手に入れたかった。
 紗織わたし百合わたしで愛しい人の心を独占すると決めたから。

「……春風さん、強さって何でしょう?」
「え……(おいおい興が乗ってる時に邪魔すんなよ。もう、百合ってば空気読めないわね!)」
「私は、誰かを赦すことだと思います」

 だからこそこうも思う――――春風紫苑は強くも悲しいと。
 罪人を罪人だと切って捨てることが出来ずにこうやって苦しんでいる。
 それでも苦しさから逃げようと忘却の道を選びはしない。
 これこそが強さ、自分が届かなかった本当の強さだと百合は知っている。

「咎人を赦し、その人のために涙を流せる春風さんは強い人です」

 だからこそ愛したいし愛されたい。
 例え三千大千世界を滅ぼしてでもその心が欲しい。

「ねえ春風さん」
「……何だ?」
「その人は、最期に笑っていたんですよね? 死の間際だと言うのに笑顔を浮かべていたんですよね?」
「ああ……とても、寂しい笑顔だった……」
「――――違うと思います」
「違う……?」
「きっと、ありがとうを伝えたかったんです」

 醍醐紗織としての最期、何をするべきかを考えていた。
 動けない妹へトドメを刺すこと? いいや違う。
 自分の心を救ってくれた愛しい人に感謝を伝えたかったのだ。

「救ってくれてありがとう、その温かい胸の中で眠らせてください……って」
「(あー……そう言えば私の居場所は何ちゃらとか言ってたな……アッホらし)」
「じゃなきゃ笑えないですよ。私はその人がどんな悪いことをしたかは知りません」

 でも、と声を張り上げる。

「苦痛に塗れた人生だったと言うのは春風さんの話でよく分かりました。
そんな人間が最後の最期にようやく救われたんです。
だからきっと、死を選んだ。優しい誰かの思い出の中で眠りたかったから」

 悲しい物語だったかもしれない、それでも救いがなかったとは言わせない。

「そう、なのかな?(どーでもいいわ)」
「きっとそうです。春風さんは出来る限りをしたと思います。だから、胸を張ってください。
辛いかもしれません。でも、忘れないであげてください。その人が居たことを」

 そうすることでその魂は永遠の安らぎを得るのだ。

「春風さんは優しい人だから、こう言っても割り切れないと思います。
きっと、思い出す度に胸を痛めると思います。でも、忘れない限り……きっとその人は救われます」
「……重いな、潰れてしまいそうだ。だが、そうだな。黒姫の言う通りだ」

 紫苑は泣き笑いの表情を浮かべて百合を見つめる。
 これは一体何と言う茶番だろうか?

「――――俺は一生、この痛みを抱き続けよう」

 それは黒姫百合が何よりも欲していた言葉だった。

「っと……随分話し込んでしまったな」
「い、いいえ! 私も出過ぎたことを言ってしまって……何も知らない部外者なのに……」

 部外者と言う名の当事者である。

「いや良い。俺は少し、救われたよ。こんな重い話を聞かされて迷惑をかけたな」
「そんなことありません!」

 勢い良く立ち上がる百合だがバランスを崩して紫苑に倒れ掛かってしまう。
 二人はそのまま床に倒れて、

「(キタ━━━ヽ(´ー`)ノ━━━!! キタ──ヽ('∀')ノ──!! キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)」

 事故のような形でキスをしてしまった――――紫苑大歓喜である。

「(やっぱ日頃の行いだなぁ……やべ、百合ちゃんマジ天使!)」

 顔を真っ赤にしている百合を見て紫苑のテンションが更に急上昇。

「ご、ごごごめんなさい! わ、わわ私、何てことを……!」
「いや良い。こちらこそすまん。女の子の唇を奪ってしまったんだからな。
(反応を見るにファーストキスか!? カァーッ……ごちになりました!!)」

 これまで紫苑は五人の女の子からファーストキスを捧げられている。
 しかし、その五人に対してのリアクションは本当に酷いものだった。
 だと言うのに六人目はこれだ。
 厳密に言うなら四人目である紗織と六人目の百合は同一人物なのだが……。
 神ならぬ紫苑には分からぬことゆえ仕方ない。

「あぅ……わ、私ジュース買って来ますぅ!!」
「(照れて走り去るとか最高やな!)」

 さて、最高と言われた百合だが……。

「……」

 トイレに飛び込んだ彼女は鏡に映る自分の顔をじーっと見つめて、

「ふふ」

 微かに笑った。
 そう、さっきのキスは狙って起こしたもの。
 黒姫百合と言う人間の能力をフル活用して事故キスを演出したのである。
 紗織としてはキスを済ませているが百合としては未経験。
 だと言うのに世界で一番大嫌いな妹が仕出かしたあの蛮行。

「愚かなる妹め……これで借りは返したわよ」

 そう、彼女は体育祭でのことを未だに根に持っていたのだ。
 だが、黒姫百合は自分からキスをするようなキャラではない。
 でもキスしたい、事故キスは苦肉の策だった。
 そうとも知らずに紫苑は大喜びしているのだから……何とも気の毒なものだ。

「ふふ――――キス、しちゃったぁ♪」

 とても楽しそうだが、その笑顔はとても想い人に見せられるようなものではない。
 本当に本当に紫苑が気の毒だ……それしか言葉が見つからない。
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