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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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梅香の姉妹 肆

「春風、さん……」

 妹の栞が紫苑に好意を持っているのは知っていた。そしてその理由も。
 成るほど、確かにこれが本当に正しい人間なのだろう。
 罪深き自分のために心を痛め、涙を流してくれている。
 紗織はこんな人間に出会ったことがない。

「もう、十分辛い思いをしたじゃないか……これ以上、傷付かなくて良いんだ。
(これで復讐止めて俺を解放してコイツがどっかで野垂れ死ねばベストなんだがな)」

 紫苑は復讐自体は否定しない。
 ただ、復讐するにしても自分の関係ないところでやって欲しいのだ。
 ついでに言うなら殺すにしても腕の慰謝料と義肢の代金を払わせてからにして欲しい。
 しかし、この場でそれは欲張り過ぎ。
 だからせめて、自分だけは解放して欲しいとの願いを込めてペラを回している。

『何つーか……無常だなぁ……』

 すれ違いの切なさをカス蛇はしみじみと感じていた。
 自分をよく見せるために心血を注ぐ紫苑、彼に追いつける人間は居るのだろうか?

「甘いって言われるかもしれないし……現実はそう簡単じゃないって分かってる。
でもさぁ……ずっとずっと辛い思いをして来た人間が、幸せになれないのは悲しいよ。
(つまりは俺のことだな。俺はそろそろ幸せになっても良いだろう。どう考えても)」

 幸せになるのに順番があるとしたら紫苑の場合は一番最後だろう。

「紗織はもう、十分過ぎるくらいに傷付いたじゃないか。
これ以上、自分と他人を傷付けながら生きるのは悲し……す、ぎ……(こ、このアマぁ……!)」

 腹にめり込んだ拳、再び紫苑は気絶させられた。
 日に二度負ける奴があるか! しかも女に! と怒られてしまいそうな駄目っぷりだ。

「――――ごめんなさい」

 その気持ちは嬉しい、でも妹への憎悪は捨てられないのだ。
 復讐は何も生まないと言うが、確かにその通り。
 復讐と言うのは生産性を求めてするものではないのだから。
 復讐しなければ前に進めないからするのだ。
 喉に引っ掛かった小骨のように、何時までも気になってしょうがない。
 踏ん切りをつけるためには復讐するしか方法は無い。

「でも、そうね。春風さん、あなたのおかげで少しだけ――――」

 復讐が終わった後のことについて考えられるようになった。
 栞を殺せた場合、殺せなかった場合、
ツーパターン考えてあるが、そのどちらでも空虚な未来しか待っていない。
 けれども、紫苑のおかげでほんの少し未来への希望が見出せたのだ。
 であれば、やるしかない。復讐を遂げるしかない。
 紗織は静かに闘志の炎を燃やしていた。

「……そろそろ、かしら」

 紫苑を梅の木の下に寝かせた紗織は静かに空気の流れを感じ取る。
 こちらへの敵意を剥き出しにした怖い怖い敵が来るのだ。
 たった一人の血を分けた妹、存在そのものが気に入らない女。

「――――やっぱりここに居たのね、姉様」

 幽鬼の如く現れた栞。
 何時もは綺麗に整えられている御髪が若干乱れており、山姥のようにも見える。
 極大の殺意を以って実姉に相対する彼女に、正気などと言うものはなかった。

「良い顔になったわね栞。お姉ちゃん、とっても嬉しいわぁ♪」

 関係の無い人間を殺し、紫苑を攫えばこうなると分かっていた。
 醍醐栞を支えていた柱が折れ、心の均衡が崩れれば後はもう堕ちるのみ。
 ようやく自分と同じ場所に引き摺り下ろせたことが紗織には何よりもの幸福だった。
 一人だけ綺麗なままで、親を、友を奪った憎い妹。
 良いザマだ、哂えるぞ。そら、これで少しは私の気持ちが分かっただろう?
 ほの暗い愉悦がその胸を満たしてゆく……。

「何て無様な転落かしら。私の総てを踏み躙った愚かな妹……。
今のあなた、とても良い顔をしているわ。もっとグチャグチャにしてあげたい!」

 今更真実や意図を話して理解を求める気は無い。
 紫苑が起きていれば、きっと必死で姉妹の仲を取り持っただろう。
 だが、紗織はそれを望まない。
 今更お手手繋いで仲良し姉妹♪ なんて冗談ではない。
 気持ちはありがたいし、自分を想ってくれるのはありがたい。
 それでも喪失の痛みを消すには仲良しこよしなんて出来はしないのだ。

「……知りませんよ、そんなの」

 噎せ返るような感情の波濤をぶつけられた栞だが、まるで興味が無さそうだ。
 しかしそれも当然。既に振り切れている彼女にとって紗織は過ぎ去った存在しかない。
 そんなものに重さは無い――――否、紫苑以外のあらゆる一切に重みなど無いのだ。

「私がここに来たのは姉様を殺すため。だって、悪いのは姉様だもの。
ええ、勿論私も悪いわ? 六年前、しっかり殺さなかったから。
逃げ出さずに姉様の首を引き千切るべきだった。
そうすれば紫苑さんをこんなことに巻き込まずに済んだのに……」

 逃げ出さずに――――その言葉は紗織の逆鱗に触れるも同然の言葉だった。

「どの口でぇ……!!」

 逃げなければ香織が死ぬこともなかった。
 怨みを抱きながら死んだだろうけど、それでも六年間の苦しみは存在していなかったはずだ。

「でも大丈夫ですよ紫苑さん。これからは栞が傍らで御守りしますから。
悪い子です、栞は悪い子です。でも、頑張りますから。
良い子良い子ってしてくださいね? 紫苑さんにそうされると……きっと……
間違いだらけの私でも、少しは救われるから。そうですね、だからぁ……
手始めに姉様を殺しますね? 紫苑さんに酷いことをした姉様。
私の過ちそのものである姉様。今度こそ引導を渡します」

 二人の会話は噛み合っていない。
 特に栞。彼女は姉への殺意を撒き散らしながらもその姿を見ていない。
 瞳に映っているのは、正道を往く者――――春風紫苑のみ。

「引導を渡す? それはこっちの台詞よ。栞――――」
「姉様――――」

 細い指先が踊り、

「死 ん で く れ る ?」
「死 ん で く だ さ い」

 姉妹は激突する。
 互いに糸を操る者同士で、手の内も殆ど知っている。
 技量の差もほぼ同じ。ならば差を分けるのはその精神だ。
 しかし、その精神も互角ならば? もうどうなるかすら分からない。
 どちらに転んでも不思議ではないのだ。

「随分と上手になったじゃない……!!」

 四肢に絡み付く糸、栞がこのまま引っ張れば紗織の両手足は引き千切れるだろう。

「大人しく死んでくださいよ……」

 しかし、僅かでも力を入れると首に巻き付いた紗織の糸が栞の首を断つことになる。
 こう言う糸の使い方では勝負がつかないのは互いに分かっていた。
 絡み付けて絡み付かれての繰り返しにしかならないのだ。
 だからこれはあくまで準備運動。
 二人は同時に糸を緩めてそれぞれの得物を編み込む。
 栞は大鎌を、紗織は戦斧を手に、まったく同じ呼吸で駆け出す。

「嫌よ。だって死ななきゃいけないのはあなたでしょう?
親殺しに姉殺し、重い咎よ。それを隠して善人面して生きて来たなんて……呆れるわ。
随分厚い面の皮じゃない。ねえ、良いこと教えてあげましょうか?」

 首を跳ねんと迫る大鎌の刃に乗っかり、手にした戦斧で首を薙ぐ。
 が、上体を後ろに反らすことで回避されてしまう。
 けれどもそれは予想通り。

「ぐっ……!?」

 背中を奔る痛み。
 さっきの攻撃は二段構えだったのだ。戦斧による一撃と不可視の一撃。
 背を反らさせることで事前に張っていた一本の糸に突っ込ませたのだ。
 これが蜘蛛の巣のように複雑に入り組んでいたらば栞も気付けただろう。
 だが、一本。たった一本だからこそ気付くことが出来なかった。

「あの日、焼け跡から見つかった子供の遺体は倉橋の孫よ。
あなたが逃げ出した後、私を助けに来て死んだの。
あの子は私とあなたが殺したのよ。ねえ、どんな気分?
倉橋の可愛い可愛い孫を奪っておいて素知らぬ顔であの爺と一緒に居たのよ?
爺も内心では恨んでいたのかもね。それを押し殺してずぅっと傍に……。
それだけ尽くしたのに、私に殺されて死んじゃった♪」

 殺したのは自分だが、殺される原因となったのはお前だ。
 紗織は暗にそう言っているのだ。しかし、今の栞には関係の無い話。

「で? それがどうかしたんですか? 私、もう止めたんです。
失くしたものばかりを数えるのは。だって、不毛じゃないですかぁ。
そのせいで一番大事なものが見えなくなるなんて……。
良いんです、倉橋も何もかもみーんなどうでも良いんです。
だってそうでしょう? もう死んじゃってるんですから。
死んだらそこで終わり。だから姉様も死んでくださいよ。
そうすれば私の怨みつらみも消えて気持ちよく紫苑さんと居られるんですから」

 紗織が死ねば紫苑が彼女に狙われることはもうない。
 今の栞が望むのはそれだけ。ただただ死んで欲しいのだ――――血を分けた実の姉に。
 二度と冥府から返って来ないように、深く深く沈んで欲しい。

「ねえ、春風さんに迷惑だとは思わないの? 正しさを押し付けてさぁ」
「そっちこそ紫苑さんに迷惑だとは思わないんですか? いきなり拉致するなんて」

 どっちもどっちでファイナルアンサーだ。
 と言うか見た目がほぼ同じなので鏡に向かって罵倒しているようにしか見えない。
 紫苑が一番望むのは互いに心臓を貫くような展開だ。

「そのエゴがお父様とお母様と私を殺した、また繰り返すの?」

 お前は何時か紫苑を殺す。
 そう言われて一瞬激昂しかけた栞だが、寸でのところで怒りを噛み殺した。
 怒りに呑まれて紗織を殺せないなんて冗談にもならないから。

「お父様とお母様は悪い人でしたからね。死んで当然です。
でも、紫苑さんはそんなことありません……から!!」

 豪快な上段回し蹴り、眩い太股が露になるがここには女しか居ない。
 まあ、男である紫苑が起きていたところでピクリとも反応しなかっただろうが。

「そんなすっとろい攻撃当た……りぃ!?」

 蹴りを掻い潜って回避しようとした紗織の顔面に糸で引き寄せられた拳大の石がぶつかる。
 最初の蹴りはフェイクでこれが本命だったのだ。
 姉が二段構えで来るなら、妹も二段構えで返す。
 仲が良いんだか悪いんだかよく分からない戦いだ。

「まあ、ぶっさいくな顔ですね♪」

 石がヒットした瞬間の紗織の顔は、それはもう面白かった。
 クスクスと上品な嘲りをぶつける栞。
 紗織にとってはぶつけられた石よりも、
その嘲りの方がよっぽど苛付いたようで額に青筋を浮かべている。

「中身が醜悪なあなたには負けるわよ」

 紫苑ディスってんじゃねえよ。
 いや、そんなどうでも良いことは置いておこう。大事なのはこの戦いだ。
 一進一退の攻防、鏡合せの姉妹は決め手を欠いていた。
 互いに殺したくて殺したくてしょうがない、だけど殺せる札が見当たらないのだ。

「本当に……目障りでしょうがないわ」
「ここまで煩わしいとは、我が姉ながら最悪です」

 打開する手がまったく無いわけではない。
 あるにはあるが、両者共にその選択肢を無意識のうちに除外しているのだ。
 栞も、紗織も、春風紫苑に対して並々ならぬ感情を抱いている。
 例えポーズであろうと攻撃を加える素振りを見せればどちらも身を呈して庇うだろう。
 それは得難い隙となり、詰みへの布石となる。
 しかし、それは出来ない。だって好きだから、好きで好きでしょうがないから。
 栞にとっては世界で唯一の"正しい人"で、
紗織にとっては世界で唯一自分のために"泣いてくれた人"なのだ。
 どうしてそんな彼を巻き込むことが出来ようか。

「……小細工は無しにしましょう」
「……そうね」

 二人は共に得物を解いて太刀へと編み変える。
 互いに剣術に関しては本職ではないし、この戦いでも使っていない。
 だから両者共に相手の力量は不明。
 けれどもまったく同じと言うことは無いだろう。
 自然と差が生まれるはず、そう考えての選択だ。

"――――絶対に勝つ"

 同時に息を吐き出して姉妹は駆け出す。
 総ての糸を使って編まれた太刀は頑丈だし、切れ味もある。
 だからこそ、型を無視したような振るい方でも問題は無い。
 紗織は一撃一撃に魂を込めるように太刀を振るい、
栞は丁寧に丁寧に、型をなぞるように太刀を振るった。
 ここに来て両者に差異が生まれたのは――――決着が近いと言うことだ。

「その首貰ったァ!!」

 横薙ぎの一撃が栞の太刀を弾き飛ばす。
 さあ、これで終わり――――にはならなかった。
 二人の視線は飛んで行った刃に向けられている。

「紫苑さん!」

 刃は紫苑がもたれかかっている巨木を切り裂く。
 このままでは下敷きになってしまうだろう。
 だからこそ、栞は咄嗟に飛び出した。
 一応紫苑も冒険者なので死にはしないはずなのだが、理屈ではない。

「ッ!(な、何だ!?)」

 ずしん……と言う大きな音で目を覚ました紫苑は現状が分からなかった。
 どうして自分は栞に抱きかかえられているのだろうか?

「――――さようなら、栞」

 困惑する紫苑を他所に、紗織は的確に隙を突いた。
 栞の両手足の腱が断ち切られて鮮血が舞う。
 最早戦えない。後は煮るなり焼くなりどうぞ御自由に、だ。

「っつぅ……一体、何がどうなってるんだ?」

 栞が倒れたことで紫苑もまた投げ出されてしまう。

「大丈夫ですよ春風さん。総て、終わらせますから」

 太刀を片手に栞へと近付く紗織、そこには殺意だけが満ちていた。
 だが、

「駄目だ!(俺コイツに腕斬られてんだぞ!?)」

 浅ましい理由で紫苑が立ち塞がってしまう。

「(そりゃ確かに死んで欲しいけど、
それならそれでせめて慰謝料と義肢代払ってからにしろよ!!
だってのに殺されちゃ堪んないぜ! お前の怨みなんぞ知ったこっちゃねえ!!)」

 強い意思を込めた瞳に射抜かれ、気圧された紗織は少しだけ後ずさった。
 願いはただ一つ――――殺す前に金をくれ、だ。

「(ああでも! ここで栞を助けたらその後復讐が成されるか分からないんだよな……。
紗織を説き伏せてこの場では見逃させても、それで復讐止められたら困る。
この場をなあなあで解散させつつ、尚且つ復讐も終わらず最終的には両者共倒れ!
それでいて俺は完全ノータッチ、完全なる第三者で居られる!
そんな完璧な一手は無いかな!? 教えてくれよゴッド!!)」

 そんな厚かましい願いを聞いてくれる神などこの世には居ない。

「(ああもう! それもこれも栞のアホが弱いからいけないんだ!
と言うか紗織も紗織だ! 俺があんだけ感動的な演説したのに何だこれ!?
俺を気絶させるなんて何考えてやがる!? ふざけんじゃねえ!)」

 ふざけてるのはどっちだ。

「……御願いです、どいてください」
「いいや、どけない」

 でも理由は言えない。
 尚、紫苑が栞を庇うように立ち塞がっているのには斬られないと言う確信があるからだ。

「(コイツは俺に惚れてるっぽいからなぁ……邪魔だ!
とか言って殺しはしないけど……ああ、こっからどうしよう……。
寝起きだし、栞役立たずだし、何も思い浮かばねえ……)」

 他人の好意を利用することに躊躇いはない。
 だが、ここからどう展開すれば良いのか分からない。
 紫苑は珍しいことに言葉を失っていた。

「……」

 ヘーゼルの瞳に縛られた紗織は、一歩も進めずに居た。
 殺したい、でもこの人の想いは無下にしたくない。
 自分のためを想って止めてくれている人間をどうして払い除けられようか。

「……(神よ! この俺の祈りに答え給へ!!)」

 しばしの間睨み合っていた二人だが、
紗織が太刀を放り投げたことで空気が弛緩する。

「栞――――あなたへの最高の復讐が思い浮かんだわ」
「何を、するつもりですか……?」

 完全に殺気が消え失せた紗織を怪訝な瞳で見つめる紫苑と栞。
 この復讐者が思いついた最高の復讐とは何だ?

「春風さん」
「(え? 俺? 俺殺す流れ!? ちょ、待っ――――)」

 しかしその予想は見事に裏切られた。
 柔らかい感触、唇に唇が触れている。そう、今紫苑は――――キスをされている。

「(……犯罪者じゃなきゃこの屈折っぷりとか好みなんだがなぁ)」
「ごめんなさい、これから私、酷いことをします」

 瞬間、紫苑の身体はピクリとも動かなくなる。
 感じる圧迫感は……恐らく糸によるものだろう。

「(やっぱり殺す気か!? お、おおお恩を仇で返しやがって!)」

 紫苑の焦りなど知ることもなく、紗織は行動を開始する。
 まず始めにやったのは紫苑を監禁していた小屋に火を付けること。

「栞、春風さんが好きよね? うん、私も好きよ」

 隠してあったポリタンクを糸で引き寄せる。
 中身は満タンに詰まったガソリンだ。

「初めて私の苦しみに触れてくれた人、初めて私のために泣いてくれた人。
初めて心の底から好きになった人。誰にも渡したくない。
妹にも、それ以外にも……だから――――消えない疵を刻む」

 紗織は笑顔でガソリンを被った。

「姉様……?」
「(あ、アホなのか……?)待て、何をする気だ!?」

 ガソリンを被ったまま火の付いた小屋に向かって行く紗織。
 一体何をすると言うのか。まるで意図が分からない。

「喜びなさい、栞。望み通りに死んであげるわ」
「(やっぱ馬鹿だコイツ! キチ●イか!? いやだがラッキー!)
紗織……? 止めろ! お前、それで良いのか!? これまでも辛いことばかりだったのに……!」

 死ぬと言うなら止める理由は無い。
 丁度良い具合に身体も動けないし、これでは止められなくても仕方ない。
 声を張り上げるのは、あくまでポーズだポーズ。

「まさか……姉様!!」
「分かったようね。そう、あなたは絶対に春風さんと結ばれない」

 一歩、また一歩、ゆっくりと小屋へと近付く。

「"ずっとずっと辛い思いをして来た人間が、幸せになれないのは悲しいよ"
そう言ってくれた春風さんを裏切るのは心苦しいです。
でも、ここで死ねば――――あなたは一生忘れない。
優しい人だから、誰よりも優しい人だから、私のことを覚えていてくれる。
私はあなたの胸に刻まれた消えない疵として生き続けます」

 ことが成れば、どう足掻いても栞と紫苑は結ばれないだろう。
 容姿が瓜二つだからこそ、
彼女を見る度に自分の影がチラつき胸の奥にある疵が疼くから。
 それこそが醍醐紗織の復讐だ。

「ああそうだ。春風さん、私が成りすましていた黒姫百合さんのこと、気にかけてあげてくださいね」

 立ち止まった紗織は、ふと、そんなことを口にする。

「え……」
「ちょちょっと拉致監禁して偽りの名と姿を借りたんです。
時が来れば解放される手筈になっていますから御安心を。
私は演技でああしていましたが……本当の彼女は、頑張り屋さんですからね」

 言うべきことは総て言った、もう思い残すことはない。

「骸一つ残さず灰になり、消えましょう」

 飛びっきりの笑顔を浮かべて、

「だって――――私の居場所はあなたの胸の中ですから」

 醍醐紗織は炎の中に消えて行った。

「待て、駄目だ……紗織ぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!
(アホだぁあああああああああああああ! 焼身自殺しおったぁあああああ!!)」

 紫苑大歓喜である。

「姉、様……」

 呆然と炎を眺める栞、
六年前は遠くから見ていたそれを今度は間近で……。
 手足の腱が切られて動けない以上、助けに入るのは不可能だ。

「そんな……(俺 大 勝 利 じ ゃ ね え か ! !)

 メラメラと勢い良く燃え続けて、十分ほどで何もかもが焼失してしまった。
 醍醐紗織は宣言通りに骸一つ遺さずにこの世を去ったのだ。

「何で……まだ、俺達は十代だぞ……? もっと、あったじゃないか……違う道が……!
(ところでこの糸、何時解けるんだ? まったく動かないんですけどコレ)」

 結果だけ見れば今回の事件は紫苑の大勝利で終わった――――わけがない。
 そう、火事の現場から1kmほどの場所にある巨木の枝に一つの影。
 それは誰あろう――――醍醐紗織だった。

「大成功、ですね」

 クスクスと笑う紗織。ここで種明かしをしよう。
 彼女が考えていた栞を殺せた場合と殺せなかった場合とは何だろうか?
 まず殺せた場合はそのまま復讐完遂でそれで終わり。
 しかし、殺せなかった場合。栞が自分より強かった場合だ。
 彼女は自決をするフリをして逃げるつもりだった。
 逃げて次の機会を待つべく小屋の下にこっそり抜け穴を掘っていたのだ。
 だからこそ、こうして今生きている。
 だが、今生きているのは次の機会を待つためではない。

「これで醍醐紗織は永遠になった」

 既に醍醐栞への復讐は終わっている。
 紫苑らに語ったあの自決の理由に嘘は無い。
 春風紫苑にとっての醍醐紗織と言う存在を永遠として、
栞が結ばれないようにすると言うのは紛れもない真実だ。
 ただ、語っていない意図も含まれているだけ。

「そう、今の私は一生消えない疵として留まり続ける」

 実は生きていた、なんてバレることはない。
 抜け穴やその他のフォローも完璧にしているから、
紫苑も栞も紗織の生存に気付く可能性は限りなくゼロだ。

「だから、次の私に成ろう」

 懐から取り出したのは"黒姫百合"の皮だった。
 紗織は自決をする前にこう言った。
 "私が成りすましていた黒姫百合さんのこと、気にかけてあげてくださいね"、と。
 端的に言うなら――――本物の黒姫百合など存在しない。
 偽りの学籍や戸籍は今も存在しているが、あくまで架空の人物。
 栞に近付くためにでっち上げただけの存在に過ぎない。
 しかし、最後にああ言うことで本物の存在であると印象付けた。
 あくまで紗織が本物の黒姫百合を演じていたと言う体であると。
 なので、これから先紫苑に近付いたとしても不自然ではないわけだ。

「あは! またデートしましょうね♪」

 世話焼きで、頑張っている人が大好きなのが春風紫苑だ。
 あの鈍臭い黒姫百合ならば何もしなくても優しくしてくれる。
 百合として過していた時間で、それを強く実感している。
 だから、結ばれるチャンスはあるのだ。
 醍醐紗織のことがあるからと言って一生恋人を作らない、と言うことはないだろう。
 人間で、男の人ならば当然だ。
 引き摺りながらも恋人を作ることもあるはずだと紗織は考えている。
 恋人になるならば、この黒姫百合は打って付けの素材だ。

「百合のまま、少しずつ頑張っている様子を見せれば……嗚呼!
きっと、褒めてくれる。喜んでくれる、そうやって二人の距離は近付いていく!!」

 幸せな未来を夢想しているのだろう、顔が蕩けている。

「……こんなに幸せな気持ちになれるなんて思わなかった」

 本当なら、復讐が完遂した時点で終わり――つまりは死ぬ気だった。
 あのガソリンは偽りの自決のためだけではなく、
殺せた場合は本当の自決にも使うつもりだったのだ
 けれども、そうしなかったのには理由がある。
 人質として確保したが黒姫百合としての思い出もあったから、
攫いはしたものの危害を加える気はなかった。
 あくまで餌として活用するつもりだった。
 けれども紫苑は真実を見抜いて、その上で優しくしてくれた。
 だからこそ、復讐を終わらせて死ぬと言う選択肢が潰えた。
 つまり奴が余計なことを言わなければ紗織は素直に死んでいたのだ。
 そして復讐が完遂すると言うことは栞も死ぬと言うこと。
 一石二鳥を逃したのは紫苑の自業自得である。

「春風、さん……」

 未来への希望が芽生えたからこそ、紗織はこんな策を打ったのだ。
 まあ、思いついたのは栞にトドメを刺そうとして邪魔された時だったが。
 即興でこれだけの絵を描ける辺り、彼女も中々にやり手だ。

「ふ、フフフ……アハハハハハ!!
泣いてくれるんですね、悲しんでくれるんですね。優しい優しい春風さん!
紗織は幸せ者です。きっと穏やかに眠れるでしょう。その温かい胸の裡で……」

 視線の先に居る紫苑は悲哀の表情で涙を流している。
 あくまでポーズでしかないのだが、紗織にそれを知ることは出来ない。
 つまり見たままを受け取るしかないのだ。
 見たままを受け取った彼女は、更に想いを深めていく。
 最早妹のことなんてどうでも良かった。
 醍醐紗織の世界は春風紫苑で埋め尽くされてしまったから。

「私、頑張ります。だからきっと、好きになってくださいね?
私も、もっともっと好きになりますから。嗚呼、今度のデートは何処に行きましょうか?
また古書店巡りも良いですね。ああでも、遊園地とかも行ってみたいかも?
でもでも、何時もの図書室デートも悪くないです」

 紗織はゆっくりと黒姫百合の皮を纏う。
 もう、死人である醍醐紗織は必要無いのだ。
 これからは黒姫百合としての輝きに満ちた未来が待っている。
 醍醐紗織は春風紫苑の胸の中で生き続ければ良いのだ。

「アハ……紗織わたし百合わたしであなたを独り占めです♪」

 心 も 身 体 も 誰 に も 渡 さ な い。
 乙女は今ここに、決して滅びぬ誓いを立てた……。
+注意+
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