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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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梅香の姉妹 弐

「醍醐、紗織……?
(しかもお姉ちゃん? 栞に紗織って……テキトーに名付けただろ絶対。
と言うかこの花弁、コイツが用意したの? 演出のために? 超受けるんですけどーwww)」

 ツッコムところはそこじゃないだろう。
 と言うかそう言うお前も演出のためだけに鬼の面被ってたじゃねえか。
 人の振り見て我が振り直せよ。

「何故、どうして……そんな、だって……あなたは……」

 わなわなと震える栞。その目には確かな恐怖が宿っていた。
 死んだはずの人間が生きて居たこともそうだが、
それ以上に紗織が自分の前に現れたことが恐ろしくて仕方ないのだ。

「ええそうよ、あの日あなたに殺された。
痛かったし熱かったわ……思い出すだけで気が狂いそうになる」

 決して赦さない、呪ってやる、絶対に報復してやる、幸せになどしてたまるものか。
 そう思い続けて生きて来た彼女の意思を象徴するかのように、
着物には黒百合の柄があしらわれていた。

「春風さん、その女はあなたが救う価値も無いような人間なんですよ?
真に罪深きはと仰ってましたけど……それはそこに居る愚かな妹ですわ」

 有りっ丈の侮蔑を込めた視線が栞に突き刺さる。
 彼女はビク! っと身体を震わせて俯いてしまった。

「お前は、栞の姉……なのか? だが、亡くなったと聴いていたが……」
「殺した、の間違いでしてよ。まあ、私は命からがら生き延びましたが父母は殺されました」
「(俺の周り――――身内殺し多過ぎね?)」

 アリスに栞、交友範囲の中に親殺しをしている人間が二人も居る。
 これは一体どれほどの確率なのだろうか?

「っと、それより止血が完全ではないようですね」
「ッ!」

 キュっと圧迫感を覚えたと思えば、滴っていた血が完全に止った。
 微かに煌く何かが見えたので、恐らく糸を使ったのだろう。

「これはお礼と言うことで」
「? お礼? 俺はお前と初対面だが……」
「ええ、この顔ではそうですね。でも、これには見覚えがあるのでは?」

 紗織が懐から取り出したのは皮だ。
 顔面の皮、確かにそれには見覚えがあった。
 昼間一緒にデートをしていた黒姫百合の顔なのだから。

「……まさか、お前、黒姫……?」
「はい。騙したようで申し訳ありませんが、それは偽名ですわ」
「――――」

 一瞬、完全に思考が停止する。

「(お、おおおお俺を騙したのかぁああああああああああああああああああ!!
しかもアレだろ? さっきの糸繰りを見る限り完全に栞と同格じゃねえか!
姉より優れた妹は居ないと言う説から考えれば同格ってか上位互換!?
ふ、ふふふふふざけるなよ! 俺の天使を返せ!
気持ちよく見下せて、おどおどしてて、俺より劣る百合を返せよぉおおおおお!!)」

 紫苑ばか大激怒である。
 ようやく始まったと思っていた春が実は冬の訪れだったなどあり得ない。
 こんなことが赦されて良いのか!? 否、否否否ァ!!
 そんな気持ちを発露するように際限なく湧き出す恨み言。
 それは紗織の抱く怨嗟にもタメを張るほどだ――――心底くだらないがな。

「しおんさん、彼女を……し、知っているのですか?」

 がちがちと歯を鳴らしながら問いかける栞。
 それを見て紫苑は若干怒りを鎮火させた。現金な男である。

「(この顔受けるーwww)紗織、と言う人物は知らないが……黒姫百合は知っている。
あの顔の少女は俺達と同級生で、しかし……この様子を見るに、どうやら違うらしい」

 それでもその意図はほぼ看破していた。
 何せ自分が彼女の立場で、
栞に怨みを抱いていると仮定した時、紗織と同じことをやるだろうから。

「(やっぱり栞への嫌がらせのために俺に近付いたわけかぁ……!
俺の純情ハートを弄んでさぁ……!
そりゃ確かに妹で怨敵であるコイツが惚れてる俺を利用しない手は無いけどさぁ……。
だからって酷すぎないか? 人を騙すなんて信じられないよ!)」

 お前の言い草こそ信じられないよ。

「(確かに不安を煽ったり、恐怖を掻き立てるためには効果的だけどさぁ!!)」

 自分に怨みを抱いている人間が、自分の好きな相手に近付いたとしよう。
 想像するだけで色々と嫌な考えが浮かんで来る。
 人質にして手が出せないようにして一方的に嬲る、
あるいは殺して相手の心に深い傷を付けるなんてのも良いかもしれない。

「(ダーティな手は幾らでも思い浮かぶからな……あれ? 俺ピンチ?)」

 ダーティな手を幾らでも思いつくコイツが"正道を往く者"とな?
 栞からすれば酷い裏切りだろう。まあ、騙される奴が悪いと言えばそこまでだが。

「う、恨みがあるのは私でしょう? な、なら私だけを狙いなさい!!」

 舌を半ばほどまで噛み千切ることで毒による痺れと朦朧を押し殺した栞。
 口から夥しい量の血を流しながらも紗織を睨みつけるその顔は正に鬼女。

「ま! 姉への口の利き方がなってないわね。倉橋は一体どんな育て方をしていたのかしら」
「……本当に、本当に姉様なのですか?」
「嘘を吐いてどうするのよ。そんなに信じられない?」
「あなたは……確かに、死んだはず。骸だって……」
「本当に何も知らされていないのね。倉橋は私が生きている可能性を知っていたはずよ」
「(この隙に逃げても良いかな?)」

 しかしその甘い考えは一瞬で砕け散る。
 未だに振り続けている黒百合の花弁が空中で切り裂かれたのだ。
 つい今しがた、糸の結界を張ったのだろう。

「倉橋が……?」
「火事の現場から発見されたのは三つの死体。大人の男女と少女一人。
焼け焦げて顔も何も分からない状態だけど、調べれば分かったはずよ」
「で、でも何故倉橋はそれを……」

 そう口にしながらも、栞は気付いていた。
 自分を守るために黙っていたのだ。
 紗織が生きていると分かればとても正気では居られない。
 恐怖と罪悪感に苛まれて生きなければならなかった。
 倉橋は終わったはずのことを蒸し返すなんて出来なかったのだ。

「ま、出血多量に加えて大火傷もだからお陀仏って可能性もあったしね。
そうでなくても、生きていたのなら自分で片付けるつもりだったみたいよ?」

 そこまで言ったところで、紗織の唇が半月を描く。

「と言っても――――その倉橋も既にこの世に居ないのだけれど」
「まさか……!」
「(あの爺さん死んだんかwwwざまぁwww俺を巻き込んだ報いだ! ケッ……)」

 心底ショックを受けている栞と心底喜んでいる紫苑。
 正道を歩いているのは明らかに前者だ。
 まあ、こんな状況になったことへの苛立ちも分かるが……。
 それでも死んだ人間に対してもう少し情を見せても良いだろう。

「し、栞さん! 一体どうした……ってえ? 栞さんが二人……?」

 料亭内のただならぬ空気に気付いたのだろう。
 縁談相手の少年がこの場にやって来る。

「! 逃げて、御願いです!!」
「え? それはど――――」

 夜闇にもう一輪緋色の花が咲く。
 少年の首が宙を舞って栞の足元に転がり落ちた。

「あ、あぁ……いやぁああああああああああああああああああああ!!」
「アッハッハッハ! その顔、その顔が見たかったのよ!」

 彼を殺したのは誰だ? 紗織? ああ、確かにそうだろう。
 だが、もっと深い部分まで辿れば――――栞に行き着く。

「(おーおー、ええ眺めやのう。こら笑えるでぇ……)」

 言うまでもないが、紫苑はさっきまで話していた相手が目の前で殺されようと平気だ。
 一応、顔を顰めてはいるがこれはポーズでしかない。
 俺、ショックを受けてますよぉおおお……と言うアピールだ。

『お前も命の危機だってこと忘れてない?』
「(忘れてねえよ! 目ぇ逸らしてるだけだ! 馬鹿にすんじゃねえ!!)」

 それは胸を張って言うことじゃないだろう。

「これで二人、さあ……三人目、誰かしらねえ」

 ケラケラと楽しそうに語りかける紗織、まだまだ彼女の怨みは晴れない。
 心も身体も徹底的に傷付けてから殺すつもりなのだろう。

「そう言えば春風さん。この子ったら、糸繰りが上手でしょう?」

 問いかけている風ではあるが、その実答えなど求めていない。
 それを理解している紫苑は沈黙を貫き通す。
 ※険しい表情をしているが、それはポーズでしかないので気にしないで下さい。

「私が教えてあげたんですよ。綾取りをしながらね……でも、この子ったら……」
「止めて! 御願い姉様、言わないで!!」

 制止の声は届かない。血を分けた姉妹なのに、今はこんなにも距離が遠い。

「私が教えてあげたその業で両親を殺したんですよ」
「(うぅむ……親殺しがトレンドなんだろうか?)」

 そんなトレンドがあってたまるか。

「事故でも何でもなく、確固たる殺意を以ってお父様とお母様を殺したんです。
そして、そのことを糾弾する私も……ね。実の妹相手ですもの。
私は本気になれなかった。けど、この子は情け容赦なく私を切り裂いたわ」

 目元から首筋までを奔る傷をそっとなぞる。
 刃傷にしては細過ぎる傷跡の正体は糸によるものだったらしい。

「その後も酷いのよ? 動けない私を尻目に別荘に火を着けたの」
「(六年前ってことは十歳か九歳だよな? 怖すぎるわ)」

 倫理観がぶっ飛んだ人間しか居ないことに涙が出そうだった。

「熱くて、苦しくて、必死で逃げたけど……ほら、見てこの火傷」

 着物を肌蹴ると、真白い肌には痛々しい火傷の跡が刻まれていた。
 火を着けた栞も怖いが、死に掛けの状態で逃げ出し、
尚且つ生き延びて復讐を誓った紗織も怖い。
 紫苑からすれば両者共に死ぬべき人間でしかなかった。

「う、うぅ……ふぅ……ひっ……ぐぅ……」

 月下に晒された罪過。それは栞の胸を穿った。
 他ならぬ想い人に知られてしまったことが何よりも辛いのだ。
 過呼吸気味の妹を一瞥し、紗織は紫苑に近付く。

「じゃ、行きましょうか」
「え――――」

 紫苑の腹に重い一撃が突き刺さる。
 紗織のボディブローは見事に意識を奪うことに成功した。

「し、紫苑さんを……ど、どうする気ですか!?」

 止めて、その人だけは傷付けないで。御願い、私で終わらせて。
 そんな懇願は――――言うまでもなく届かない。

「――――思い出の場所で待っているわ毒が抜けたら来なさい」

 気絶した紫苑を抱えて、紗織は闇へと消えて行った。
 残されたのは絶望に沈む栞ともの言わぬ骸だけ。

「…………」

 茫然自失、流れる涙は嫌になるくらい冷たかった。
 栞はもう、どうすれば良いか分からなかった。
 自分が招いた災厄が彼女にとって正しさの象徴である紫苑を襲ったのだ。
 次から次へと牙を向く後悔と言う獣は容赦なく彼女を食い荒らした。

「栞ちゃん! 大丈夫か!?」

 抜け殻の状態でもう十分ほど経っただろうか。
 聞き覚えのある声が栞の耳を揺らす。
 やって来たのは天魔、ルドルフ、麻衣の三人だった。

「あ……どう、して……?」
「倉橋って爺さんから僕らに連絡があったんだよ。紫苑くんと君が危ないってね」

 事情は飲み込めないが、
憔悴している栞と転がっている骸を見ればただならぬ何かがあったことくらいは分かる。
 天魔は厄介なことに巻き込まれてしまったことを痛感していた。

「倉橋……倉橋は、無事なのですか……?」

 縋るような問い、されども祈りは届かない。

「……残念ながら、我らが来た頃には彼の老人は既に息絶えていた」

 悲しげに首を振るルドルフ、
大事なものが砂のように指から零れていく絶望。
 成るほど、確かにこれは復讐だ。

「なあ、紫苑くんは何処なん? 一緒やったんやろ?」
「……多分、ここには居ないよ」

 すんすんと鼻を鳴らす天魔、犬かお前は。

「栞ちゃんに似た匂いが紫苑くんを連れ去ったみたいだ」
「よく攫われるなあの男は……桃姫のようだ」
「冗談言っとる場合ちゃうやろ!」
「そうだね、そんな場合じゃない。ねえ、醍醐栞」

 天魔は栞の胸倉を掴んで、そのまま無理矢理持ち上げた。

「何があった?」
「…………」
「腐った目ぇしやがってからに……そうやって腐ってるだけなら、紫苑くんは死ぬぞ。
そうなりゃ僕は絶対に君を赦さない。親類縁者、君と僅かでも関わった人間を殺す。
総て殺す。殺し尽くして生首を君の前に並び立ててやる」

 ギラギラと煌く瞳に浮かぶ殺意。
 天魔は焦っている。本気で焦っている。
 愛しい人を失う恐怖を前にして冷静では居られないのだ。

「ちょ、ちょっと落ち着きぃや天魔ちゃん! うちらが喧嘩しても意味無いやろ!?」
「その通りだ。栞、喪ったものばかり数えていたら……これから先も喪い続けるぞ。
未だ手にあるものの重みを感じられないのならば、永劫失くし続けるだろうよ」

 お前はそれで良いのか? ルドルフの問いかけが栞の瞳に炎を宿す。
 ああ、確かにその通りだ。大事ならば、奪い返さねばならない。
 渡しては行けない、例えもう一度肉親を殺すことになっても。

「……すいません、少々腑抜けていました」
「それで良いんだ。ねえ、紫苑くんを攫った奴は何処に居るの?」
「と言うか誰がこんなことしたん?」
「……ふぅ、毒が抜けるまでの間、少し昔話をしましょうか」
「待て待て、そんな暇あるのか?」
「ええ、姉様自身が言ったことですから。反故にはしないはずです」

 姉妹だからこそ分かる、すぐに紫苑を殺すことはないと。

「君のお姉さんが、犯人なのかい?」
「そうです。醍醐紗織、六年前に私が殺したはずの女……」
「こ、殺したて……前、火事で亡くなったって……」
「嘘です。まあ、最初から話しましょうか」

 懺悔室で罪を告白する咎人とはこんな気分なのだろうか?
 巻き込んでしまった以上沈黙は不義理だ。沈黙と言う選択肢は無い。

「私の両親は、忙しい人でしてね。幼少の頃から寂しい思いをしてました。
だから偶に会えると姉妹揃って甘えていました……六年前もそう。
避暑地で過さないかと連絡が来て、私はそこへ向かいました。
ですが、その前後に私は知りたくなかったことを知ってしまったのです」

 これは罪の物語、誰も彼もが罪を犯して、誰も彼もが何かを失ったお話。
 取り戻すことは出来ない。だからこそ重いのだ。

「光が大きければ大きいほど、影も深く濃くなる。それと同じです。
家が大きければ大きいほどに後ろ暗いことだって多々ある」
「ま、そりゃ綺麗ごとだけで社会は回らないからねえ」

 天魔のようにスッパリと割り切れたら楽だったのだろう。
 だが、栞はそう出来るほどに器用ではなかったし、正義感に溢れ過ぎていた。

「父母は裏で口に出すのも憚られるようなことをしていました。
そのせいで何人もの人間が無慈悲に死んで行った……悪鬼の所業です。
私は偶然それを知ってしまい、別荘で父母と会った際に問い詰めました。
そして、二度とこんなことはしないでくれと懇願したのですが……」

 子供に倫理道徳を説かれて悔い改めるように言われて、
素直に従えるような大人が居るだろうか? 居たとしてもそれは少数派だろう。
 現に、栞の両親はそれが出来なかった。

「子供に何が分かる、知った風な口を利くな、黙っていろ、そう言われました」
「……我が子に悪事を知られた上に諭されれば立つ瀬が無いものな」
「感情論で叱り飛ばすしかないよねえ。だっせえなぁ」
「ちょ、ちょっと! もうちょっと言い方あるんやない?」

 ルドルフと天魔のあんまりな言い様に麻衣が慌てて割って入る。
 けれども栞からすれば全くその通りで、下手に繕われる方がキツかった。

「いえ、良いのですよ麻衣さん。実際その通りでしょうから」

 頑なな大人だった、その事実は否定出来ない。
 出来ないからこそ、栞は赦せなかったのだ。

「私は何度も何度も抗議しましたが……聞き入れられず、恐怖に駆られました。
このままではもっと死ぬ、沢山死ぬ、死に続ける。愛する父母のせいで……!
そう考えると立っていることも覚束ないくらいに震えました。
どうにかせねば、どうにかせねば、しかしどうしたら良い?
考えて考えて、頭が真っ白になるくらい考え続けて――――気付けば父母を殺していました」

 当時から糸繰りの技量は一流で、しかも件の父母は一般人だった。
 子供の手でも殺せるくらいに弱かった、それもまた一つの悲劇なのかもしれない。

「……こ、殺した?」
「ええ、殺しました」

 栞の告白に驚愕を露にする麻衣と苦い顔をしているルドルフ。
 彼もまた正義感が強い方なので、理解が出来てしまうのだ。

「ふぅん……それで?」

 ニュートラルなのは天魔だけだ。
 彼女の場合は興味が無いから――ではなく、悩んだ末の答えだと分かったから。
 悩みぬいて出した答えを否定出来るほど自分は偉い人間ではないと弁えているのだ。

「血の海に佇み、バラバラになった父母の骸を呆然と眺めていたのです」

 決して忘れられない記憶トラウマ
 誰でもない、己の手で実の親を殺した痛みは今でも燻っている。
 糸が肉を裂く感触も、全身に浴びた返り血の温かさも、総て記憶している。
 そして今でも自問している。あれで良かったのか……と。
 父母の所業は悪、そう断ずることに否は無い。
 しかし、自分にとっては良き両親だった。愛し愛された記憶が今でも確かに存在している。
 両親が悪を成していると分かった時点で情を捨てれば楽だったのだろう。
 それが出来なかったのが醍醐栞にとっての悲劇。
 だからこそ今でも引き摺り続け、今回の縁談に臨んでしまった。
 あの縁談自体は家を盛り立てるだけでなく、娘の幸せを願ってのものだった。
 それが分かっていたからこそ、せめてもの償いとして縁談の凍結を解いたのだ。
 本当ならずっと凍結していたかった。
 しかし、あの紅梅の香りが罪を忘れるなと囁くのだ。

「……思えば、あれも姉様の仕込みだったのでしょうね」

 自分が紅梅の香りを嗅ぎ付けて、こうすることもお見通しだったに違いない。
 そのために紗織は紫苑に近付いたのだと栞は確信していた。
 そしてそれは事実だ。何せ姉妹だもの、考えていることくらいは分かる。

「親殺したってのは分かったよ。でもさ、お姉さんについてはまだ分からないな」
「……そもそも、姉と一緒に避暑地へ行ったんじゃないのか?」
「いえ、姉は風邪を引いていて少し遅れたのです」

 表向き知られている事実、そこでは栞が風邪を引いていたことになっているが真実は逆だ。
 栞が先に行って両親を殺し、後から紗織がやって来た。
 容姿が瓜二つだからこそ出来た誤魔化しである。

「姉がやって来たのは、丁度総てが終わった後……」

 想像するだけでショッキングだ。
 血の海に佇む両親を殺した妹と対面した姉の気持ちなど想像も出来ない。
 一体紗織は何を思ったのだろうか? 当人以外には分からないだろう。

「姉はしばし呆然としていましたが……すぐに憎悪を剥き出しにして襲って来ました」

 両手で糸を操って二人の少女を編んだ栞は、二人をそのまま殺し合わせた。
 かつての再現と言うことだろう。
 しかし、先ほどまであれだけ怯えていた彼女だが今はとても落ち着いている。

「私も已む無く応戦し、必死で自分の正当性を説いた覚えがあります」

 醒めた頭でかつての戦いを思い返えす栞。

"違うの姉様! だってお父様とお母様は悪いことをしていたのよ!?"
"それが何!? だとしても私達にとっては良いお父様とお母様だったじゃない!"
"でも放って置けば罪も無い人が沢山死ぬかもしれなくて!"
"うるさいうるさい! 良い子ぶらないで! この人殺しぃ!!"

 激情のままに殺しあう二人、理性なんてとうの昔に弾けていた。

"だったらお父様とお母様だって人殺しよ!!"
"それの何が悪いの!? 私には関係無い! 何時も何時も贔屓されてるお前が……!!"
"贔屓なんてされてない!"
"されてた! 私がどうなろうとしてかも知らない癖に!!"
"意味が分からないわ!"
"自分だけは汚れず綺麗なままで居れるからって……!!"

 ふと、思い返す。紗織は一体何を言っていたのだろうかと。
 今思えば何処か二人の会話は噛み合っていなかったのだ。
 だから多分、まだ知らない事実があるのだ。
 しかし、栞からすればそんなものは二の次でしかない。

「結果、僅差で私が勝利したものの……恐ろしくなったので逃げました。
走って、走って、遠くまで来たところで振り返ると、遠くに見える別荘が燃えていたのです。
戦いの最中に壊したものが発火したのでしょうけど……。
急いで戻った時にはとても入れるような状態ではありませんでした」

 轟々と燃え盛る別荘を前にして栞は立ち尽くすことしか出来なかった。
 燃えて燃えて燃えて、総て燃え尽きる頃には朝になっていて、
通報を受けて駆け付けたであろう消防隊に保護されたのだ。
 消防隊や警察には真実を話すこともなく、ただただ呆然としていた。
 我を取り戻したのは迎えに来た倉橋と家に帰る最中。
 泣きながら自分の罪を懺悔した。

「死体が三つ見つかったこともあり、総て終わったと思っていたのですが……」
「君のお姉さんは生きていて、復讐に来たわけだ」
「ええ、その通りです」
「で、でも一体どうやって? だって死体は三つあったんやろ?」
「……さあ? それ自体は重要なことではありませんので」

 栞には一つだけ心当たりがあった。
 あの当時、従者見習いとして同い年の女児が屋敷に住んでいたのだ。
 紗織の身の回りの世話をしていた倉橋の孫。
 どう言う理由でかは分からないが、
見つかった子供の死骸は彼女のものだったのかもしれない。
 現に気付けば居なくなっていて、後々死んだと聞かされたのだから間違いはないだろう。

「……まあ、栞のやったことの是非はともかく。それが確執の理由か」
「過去からの復讐者ねえ……映画とかでありそうだわ」
「それより紫苑くんを攫ったお姉さんが行きそうな場所は分かるん?」
「思い出の場所で待っていると言ってました。けどそこには私一人で往きます」

 下手に全員で行って紗織を刺激するわけにもいかないし、
栞自身、自分の手で片を付けたいと思っているのだ。

「せ、せやかて栞ちゃん!」
「だって……酷いじゃないですか姉様」

 それは麻衣に向けた言葉ではない。
 ここには居ない怨敵あねに向けた言葉だ。

「私だけを狙うならまだしも、紫苑さんは関係ないですよね?
私が憎くて憎くてしょうがなくても、紫苑さんは何もしてないじゃないですか。
何で酷いことするんですか? 闇の中でようやく巡り合えた"正しい人"なのに。
過ちだらけの私のことを救おうしてくれた、優しい人なんですよ?」

 焦点の合わない瞳でブツブツと呟き始めた栞――――柱が壊れたのだ。
 正しいことのために親を殺した、しかしそのせいで姉まで殺してしまった。
 であれば一生正しい生き方をするしかない、栞は一度そう定めたのだ。
 けど、正直なところ何が正しいかなんて分からなかった。
 だから"この国の更なる発展のために"なんて空々しい目標を打ち立てたのだ。
 少なくとも国を愛し、その発展を望むことは間違いではないから。
 そうやって"正しさ"を妄信して生きて来たのに、
今になって姉が現れて総てを嘲笑うように奪って行った。
 自分のせいで倉橋と少年が死んだ、もう自分が正しいなんて言えはしない。
 醍醐栞を支えていた柱が音を立てて砕け散ったのだ。
 残ったのは彼女が定めたもう一つの正しさ"春風紫苑"のみ。
 内心を知らぬ栞の目に、紫苑は何時だって正しく映っていた。
 人道から外れず、歯を食い縛って前に進み、
アリスのような咎人にすら涙し、どうしようもない自分までも救おうとしてくれた。
 絶対普遍の正しさである紫苑以外に何も残っていないのだ。

「どうしてそんな優しい紫苑さんを巻き込むんですか……ああ、私のせいだ。
姉様は悪い人だから、ちゃんと殺しておかなきゃいけなかったんですね。
悔やみます、悔やみます。どうしてあの日、逃げ出したんでしょうね。
ちゃんと首を刎ねておくべきでした。そうすれば倉橋は死なずに済んだのに……。
ごめんなさい紫苑さん、栞は悪い子です。でも、今度はしっかりやりますから。
ちゃんと姉様を地獄に突き落とします。
そして、二度と紫苑さんに悪いことが起こらないように守ります。
栞がお傍でずっと守り続けますから。穢れも喜んで飲み干します。
紫苑さんは、ただただ正道を往ってくださいませ。悪業は総て私が……。
ふふ、フフフ……姉様、姉様。怖くて酷くて悪い悪い姉様……。
栞は間違い続けて来ましたが、もう大丈夫。これだけは間違えません」

 柱が壊れ、危うい均衡が崩れた。もう彼女が正気を取り戻すことはないだろう。
 残った"春風紫苑"と言う柱も彼さえ正しければ何も問題はなく、
栞自身がどんな非道外道を犯そうとも罪悪を感じることさえなくなった。
 壊れた栞に対して痛ましい視線を向けるルドルフと麻衣、
彼らにも分かっているのだ――――栞はもう止れないと。
 唯一の救いは紫苑が居ればどうにか踏み止まれると言うことだけだ。

「……はぁ、面倒な恋敵が出来ちゃったなぁ。あのクソガキよかマシだけど」

 いや、五十歩百歩だろう。
 と言うかぶっ壊れた仲間を見て抱く感想がそれか。
 つくづく紫苑に惚れている人間にまともな女は居ない。

「皆さん、御願いですから……邪魔しないでくださいね? 私一人に任せてくださいね?」

 三人は揃って頷く。万が一それを破ればどうなるかを理解したからだ。
 まず間違いなく泥沼になる。三人プラス梅香の姉妹二人による混戦など笑えもしない。
 そんなことになったら紫苑が一番悲しむのは火を見るより明らかだと三人は考えている。
 恋する乙女天魔にはそんなこと、許容出来るはずもない。
 ルドルフと麻衣も理屈的にも心情的にも大混戦は反対。
 であれば、栞一人に任せるのがこの場での一番ベストな選択肢となるわけだ。
 まあ、大混戦になったとしても紫苑は喜ぶだけだがな!

「ふ、ふふ……姉様、今度こそ引導を渡してあげる」

 さあ、往こう。

「大丈夫、根の国には父様と母様も居るから――――きっと寂しくないわ♪」

 六年越しの姉妹喧嘩に決着を着けるために……。
+注意+
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