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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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梅香の姉妹

 倉橋に呼び出された紫苑は、とある喫茶店に来ていた。
 昼間も喫茶店で夕方も喫茶店、いい加減飽き飽きだ。

「それで、栞を助けてくれってどう言うことなんです?」

 コーヒーカップに砂糖を注ぎながら問いを投げる。
 ぶっちゃけると、嫌で嫌でしょうがない。
 何が悲しくて茶店で爺と一対一で向かい合わにゃならんのだ。
 紫苑の不満は飽和状態だった。

「男として情けない限りですが、俺はアイツより弱いですよ?
そもそもからして後衛だし。喧嘩をすれば千回やって千回とも負けます」

 本当に情けなかった。
 事実ではあるのだが、やっぱり殴り合いで女に負ける男は情けない。

「……いえ、荒事ではありません」
「では、どう言うことです?(勿体つけんなよこのクソ爺が。これだから爺は嫌いなんだ俺)」

 尚、紫苑本人が迂遠な言い回しをするのは良い模様。
 自分は良くて他人は駄目。何処まで自分を甘やかせば気が済むのか。

「御嬢様は、見えない鎖に囚われております」
「(ファーwww見えない鎖www臭いこと言ってんじゃねえよ)」
『お前の言葉も産廃並に悪臭放ってんだろうがよ』
「(シャラップ爬虫類!)」

 だが、これは好機だ。醍醐栞の弱い部分を知るまたとないチャンス。
 紫苑は気を引き締めて倉橋の言葉に返事を返す。

「それは、自己を殺していると言うことでしょうか?」

 初日の自己紹介で栞はこう言った。"この国の更なる発展のために"と。
 それ自体は立派なことだし、何もおかしいところは無い。
 しかし、栞からは功名心のようなものが感じられないのだ。
 頑張りに対して見返りを求めるのは健全なこと。
 けれども彼女にはそれが無い。
 加えて、粗探しのプロである紫苑をしてどうにも掴みきれない彼女の芯。
 それは自分を殺していることに他ならないのでは?
 他の面子に比べて自己主張をしないので余計にそう感じるのだ。

「加えて、自己の正しさについて強迫観念染みたものがあるようにも」

 滋賀へ向かう車内で紫苑は人間の欲について語ったことがある。
 人間とは薄汚いもの、そう言った時栞は難しい顔をしていた。
 信じたくない、そうじゃない、でも否定が出来ない。
 自分達の発見が良いものだけを齎すとは限らないと言われ、栞は悩んでいた。

「…………」
「ま、俺の推測でしかないんですがね」

 加えて、この間藍妖鉱を取りに行った時もそうだった。
 自分達が手に入れたあの銃もどきが社会に齎す影響に栞は誰よりも渋い顔をしていた。

「……いえ、その通りで御座います。
詳しく私の口から申すわけにはいきませんが、あなた様の推測は間違っておりません。
御嬢様は、ある時からずっと己を殺しています。ですが、春風様と出会ってからは……」

 倉橋は従者と主以上の親愛を栞に抱いているのだろう。
 その姿は孫を心配する祖父のようにも見える。

「俺と出会ってからは?(俺に惚れてんだろ? だが好みじゃねえんだよあの女)」

 他人の感情の機微に疎いのもどうかと思うが、鋭いのもどうだろう?
 好意を持たれていると分かった上でガンスルーしているのは少々酷だ。

「少しずつではありますが、自分を出されるようになったのです」
「……長い付き合い、なのか?」
「はい。御嬢様が生まれる前より醍醐の家に仕えておりますので」

 つまりはずっと彼女の成長を見守って来たのだろう。
 自分を殺す前の栞、自分を殺し始めた栞、その両方を見ている。

「六年前より、心を閉ざしておられました。
ですが、あなた様と出会い、言葉を交わし、絆を深めるようになってからは……。
随分と、随分と久方ぶりに本当の御嬢様に出会えました。
帰宅されると嬉しそうに春風様のことをお話になるのです。私は、それが何よりも嬉しかった」

 爺のセンチメンタルな気持ちなんぞ知ったこっちゃねー。
 紫苑はローテンションのままコーヒーを呷っている。

「ですが、四日ほど前から……」
「(四日? って言うと……)」

 紅梅の香りについて聞かれた時だ。
 紫苑はロッククライミングからのハイパーダイブを思い出して若干顔を青褪めさせている。

「少し、様子がおかしくなったのです。
そしてつい先日、凍結していた縁談を進めることになったのです」
「(良いじゃねえか。寿退学しちゃえよ鬱陶しい)」

 栞が居なければアイリーン戦などでかなり苦労していたのにこの言い草。
 受けた恩は忘れても受けた仇は忘れない紫苑らしさが大爆発だ。

「縁談?」
「はい。亡き御両親が整えていた縁談なのですが、逝去に伴って凍結されていたのです」

 確かに親が死ねば縁談が破談になっても仕方ないだろう。
 しかし、凍結と言うことは相手側はずっと待っていたのかもしれない。

「栞様も乗り気では無かったのですが……春風様、何か心当たりはありませんか?」
「心当たり、と言われてもな。強いて言うならこの間の授業で」

 軽く要点だけを説明すると倉橋の顔が蒼白になった。
 "紅梅の香り"、それは彼にとっても特別なものらしい。
 やはり栞と件の姉の間にはよろしくないことがあったようだ。

「紅梅の香り、一体何なんですか?」
「……私の口からは申し上げられません。ですが、縁談の理由が分かりました」
「それも話せない?」
「……せめてもの親孝行、なのかもしれません」

 要領を得ない答えだなクソ爺! その白髪を金にしてやろうか!?
 紫苑はキレる寸前だった。
 折角弱みを看破出来ると期待していたのに当てが外れてしまったからだ。
 逆ギレ以外の何ものでもないが……まあ、紫苑なのでしょうがない。

「いまいち分かりませんね(助けを請う態度じゃねえだろどう考えても)」
「申し訳ありません。やはり私の口からは……ですが、御嬢様はきっと春風様になら……」
「(なあカス蛇)」
『あん?』
「(俺この爺にコーヒーぶっかけても赦されるんじゃねえか?)」

 呼び出しておいてイマイチ分からないことばかり並べ立てられ、本題に入れない。
 折角デート中だったのに、これでは何のために来たのか分からない。
 紫苑にしては割と真っ当な怒りだった。

「それで倉橋さん、助けるとは具体的にどうすれば良いので?」
「単刀直入に言いますと――――縁談を壊して頂きたいのです」
「(ねえ、この爺本当に社会人ですか?)」

 栞の家は醍醐と言う苗字からも分かるように貴族の流れを酌む名家だ。
 ならば縁談をする相手もその家格に釣り合った相手のはず。
 それをぶち壊しにするなんて馬鹿のやることだ。
 こっちに責任がやって来たらどうするつもりなのか。

「(呆れてものも言えんとはこのことだ……。慰謝料とか請求されたらどうすんだよ)」

 保身大好き! な紫苑に縁談を壊すなど無理だ。
 しかし、倉橋はそんな彼の内心など知らずに話を進めて行く。

「責任は総て私が負います。
それに、御嬢様は……きっと、止めて貰いたがっているのです。
他ならぬ春風様に。だからどうか、どうかお力添えを!!」

 机に頭を叩きつけるような勢いで頭を下げる倉橋。
 店内には人目もあり、世間体を気にする紫苑にはとても効果的だ。

「頭を上げて下さい。仲間を助けるのに否はありませんから。ですが聞かせてください」
「何でしょう?」
「縁談の相手とは、問題のある人なんですか?」
「いいえ、気は弱くとも心根の真っ直ぐな方です。ただ、御嬢様は彼を好きではない」

 望まぬ婚姻など不幸の種にしかならない。
 これが平安時代ならまだしも今時そんなことが赦されるわけがないのだ。
 倉橋は祈っている、栞の幸せを。
 好いた相手と結ばれて温かい家庭を築いて欲しい、そんな親心にも似た感情だ。

「御嬢様が真に好いているのは……」
「それは、あなたの口から言うべきことじゃないし、俺もどうすれば良いか分からない。
恋愛ごととは無縁で生きて来たのでね。兎に角、分かりました。協力しますよ」
「おお! ありがとうございます!」
「それで、縁談と言うのは何時?」
「今夜19時に府内のとある料亭にて」
「(もっと早くに言えよ)」

 ぐうの音も出ない正論だ。

「しかし……壊す、壊すと言ってもどうするか……」

 縁談の場に乗り込んで、縁談どころではない状態を作り出す。
 第一段階としてはそれで良いだろう。
 だが、栞の気持ちを変えない限り意味は無い。
 倉橋は心変わりをさせられるのは紫苑だけだと考えている。
 だからこそこの話を持って来たのだろう。

「とりあえず、今回の場を壊すことだけ考えて頂ければ」
「分かりました。なら、料亭の詳しい間取りやら警備体制なんかを教えてもらえますか?」
「あ、そこら辺は問題ありません。既に手を回しておりますので」
「(有能だな爺)ふむ……だった派手に乗り込んで栞を攫えば良い、か」

 頭の中で演出を組み立てる紫苑。
 ある程度の形が出来た段階で倉橋に用意して欲しいものを伝えると、
やり手の執事らしくすぐに携帯で手配をしてくれた。

「……しかし倉橋さん」
「何でしょう?」
「言っては何だが、あなたのそれは主と従者の領分を超えている。何故、そこまで栞に?」

 ブツが届くまでの間、もうしばし喫茶店に留まらねばならない。
 ゆえに嫌がらせも兼ねて紫苑は倉橋の触れられたくないであろう部分に踏み込んだ。

「……代償行為、あるいは贖罪、なのかもしれませんね」
「(それに俺を付き合わせるなよ。老い先短い爺が調子こいてんじゃねーよ)」

 悔恨に塗れた倉橋を見ていると多少溜飲も下がった。
 紫苑はコーヒーを一気に呷り余韻ごと飲み込む。

「俺にはよく分かりませんが……あなたのそれは、良くないものを招きますよ」
「かもしれませんね。ですが、それで例え命を落としても本望です」
「(ん? 命落とすような展開あるの!? おい、全部話せよクソ爺!)」

 そうこうしていると倉橋の命で動いていたと思わしきメイドが入店して来る。
 二人は渡された荷物を確認すると、表に泊めてある車に乗り込む。
 目指すは縁談が行われる料亭。

「(あの日本人形(呪)の意識を変えられるかはともかく……縁談はお義理で壊さなきゃな)」

 責任が自分に降りかからないのならば、若干やる気も出て来る。
 何せ倉橋が言うには相手方は栞に惚れているらしいのだ。

「(ケッケッケ……苦労も何もしてねえボンボンの恋路を邪魔するなんてさぁ!
フヘヘwww考えただけでワクワクして来るぜ! いや、マジで。
しかし女の趣味が悪いよなボンボン。俺ならピクリともしねえよあんな女)」

 重苦しい空気が流れる車内でこんなことを考えていようとは、神仏にも見抜けまい。
 神ならぬ人ならば尚更だ。倉橋も助けを求めた相手がこれだとは思うまい。

「――――そろそろですな」
「了解」

 料亭の裏口に駐車し、紫苑はあらかじめ伝えられていた待機場所に入って行く。
 着替えやら何やらの準備があるのだ。
 さて、一方同じ料亭内の一室では二人の男女が向かい合っていた。
 片方は誰あろう、醍醐栞。片方はその縁談相手。
 若干気が弱そうな雰囲気を漂わせているが、悪そうな人間ではない。

「こ、この度は……そ、その……僕との縁談を受けて頂き、ありがとうございます!」

 好いた相手と一緒と言うだけでも嬉しいのに、
この場所に居る時点で既に結婚は成ったも同然。
 少年は隠しきれない歓喜を滲ませながら栞に感謝の気持ちを伝えた。

「いえ、こちらこそ。手前の勝手な都合で一度反故にしたものを受けて頂きまして」

 一方の栞は――――人形だった。
 己を殺して事務的に会話をしているその姿は哀れ且つ滑稽。
 紫苑が見ていたら大爆笑していたこと間違いなしだ。

「仕方ありませんよ。栞さんのお父様とお母様、そしてお姉様があんなことになられたんですし……」

 あれは悲劇としか言いようがない、少年は悲しげに目を伏せる。
 紫苑のように演技でも何でもなく、純粋に栞の家族の死を悼んでいるのだ。

「もう、六年になりますか。栞さんも大変だったでしょう」
「……ええ」
「家族旅行で避暑地に行って久しぶりの水入らずだったのに……」

 少年が知っている事件のあらましはこうだ。
 六年前、多忙だった栞の両親が珍しく二人揃って休みを取れた。
 そこで二人は近くの避暑地にあった別荘に娘を呼んで久しぶりの一家団欒を過そうとしたのだ。
 けれど、不幸なことに火事が起こってしまい両親と姉は焼死してしまった。
 栞は風邪で姉より少し遅れて別荘に行ったので難を逃れ、たった一人になってしまった。
 少年はそれを自分のことのように悲しんでいる。
 本質的に善人なのだろう。だが、栞は彼を異性として見られない。
 彼女が異性に求めるものを少年は何一つ持って居ないから。

「あ、そうだ! この縁談が成ったら……一緒に報告に行きましょう。
お父様とお母様、そしてお姉様に。誰よりも早く報告した方が良いですもんね」

 少年は家族を愛している。
 ゆえに、もし自分が栞の立場だったら真っ先に家族に報告に行かなきゃと思ってしまう。
 だからこその発言だったのだが……どうにも間が悪い。
 彼が家族を愛しているからと言ってどうして栞が家族を愛していると言えようか。

「そうですね」

 愛想笑いを一つ。それが嘘の笑顔だと見抜ければまた、話も違ったのだろう。
 だが、少年は純粋だ。だからこそ気付くことが出来ない。
 笑顔の裏に秘めたドス黒い何かを看破することが出来ないのだ。

「あ、そうだ。栞さん、学校のこと教えてくださいよ。
うちの家でも冒険者が関わる事業に手は出していますけど僕自身は普通の一般人ですからね。
そこらのことよく分からないんですよ。やっぱり現場の声って貴重じゃないですか」
「面白いものでもありませんが……」
「構いませんよ!」
「では――――」

 そう言って栞は大切な思い出を語り始める。
 どんな場所に行ったか、どんなものを手に入れたか。
 勿論、仲間のことも話す。ルドルフは愉快な外国人、天魔はちょっと弾けた女の子。
 麻衣は優しくてとっても女の子らしいこと。そして、

「春風紫苑さん。これまで出会った誰よりも、強くて優しい御方です。
私も、他の三人も……冒険者としての才に恵まれています。
強靭な肉体とそれを十全に扱える技量。あるいは莫大な魔力や魔法の精度。
自分で言うのも恥ずかしいですが、私達は持つ者だと思うのです」

 醍醐栞の目を焼くような眩さを誇る春風紫苑のこと。

「私が属するAクラスと言うのはそう言う持つ者が集まったクラスです」
「じゃあ、その紫苑さんも?」
「いいえ。恐ろしいほどに頭は切れますが、冒険者としての才は凡庸」

 紫苑のことディスってんじゃねえよ。
 奴が聞いていたら百倍返しの罵倒をしていたことだろう。
 ま、口に出す度胸は無いからあくまで心の中でだが。

「魔力量は並。使える魔法も並。本来ならCクラスが妥当でしょう。
ですが、一番強いのは誰? そう言われたら誰もが紫苑さんを挙げると思います」

 確かに一番エゴが強いのは奴だろう。

「己の不遇に腐ることもなく」

 いいえ、腐り過ぎて最早腐敗臭すらしないレベルです。

「ひたむきに歩き続け、何時だって前を向いている」

 全力で後ろ向きなことしか考えてない件について。

「優しくて、時に悲しく見えるほどに意地っ張りで……目が離せない。
私も、仲間達もそんな彼だからこそ命を預けられるんです。
そして彼はそんな私達の信頼に何時だって全力で応えてくれている。
痛ましいくらいに……"真の正道を往く者"それが春風紫苑さんです」

 そう締めくくって茶に口をつける。
 冷めてしまったそれは風味も何もかも逃げているが、構わなかった。
 どの道今の栞に茶の味を楽しむ余裕はない。

「す、素敵な人なんですね」

 明らかに熱が篭った言葉。
 栞が紫苑に懸想しているのを察せないほど少年は愚かではない。
 嫉妬を抱きつつも、それでも結婚するのは自分だと言い聞かせることで嫉妬の火を鎮火する。
 紫苑ならばメラメラと燃やし続けていただろうに……。

「ええ、とても」
「……そ、そうだ! 栞さんはどんな武器を使うんですか? やっぱり剣とかですか?」

 冒険者と言えば剣に盾!
 そう言ってはしゃいで見せる少年が何処か滑稽で……栞は化粧の下で嘲りを浮かべる。

「いいえ、私は糸です。ほら、こんな風に」

 左手を軽く振るうと糸が寄り集まって小さなナイフを形作った。

「へえ……あ、成るほど。そうですよね。
栞さんのお姉さんの紗織さんも綾取りが得意だったし!」

 悪意は無いのだろう、それでも少年はどうにも間が悪い。
 "醍醐紗織"、それは両親と同じく栞が忌むべき存在だ。
 出来るならば忘れてしまいたい、それでも忘れることが出来ない。
 胸を苛む罪悪の棘が更に彼女の胸に深く突き刺さる。

「ええ、そうですね」
「将来的に僕らにも子供が出来たなら、教えてあげましょうよ綾取り!」

 グイグイ攻める少年だったが、

「――――失笑ものだな」

 障子の向こうに居る誰かの嘲笑が攻めの手を防ぐ。
 ぼんやりと浮かび上がる影、何時もの栞ならば誰かが外に居れば気付けたはず。
 つまり、それだけ今の彼女は心ここにあらずなのだ。

「だ、誰だ!?」
「花嫁泥棒だ――――と言っても、まだ婚儀は成っちゃいないがな。そもそも年齢的に無理だし」

 勢い良く障子を開いて踏み込んで来たのは誰あろう、春風紫苑だった。
 かつてルドルフがプレゼントした正装に身を包み、何故だか鬼の面をつけている。

「あ……し、紫苑……さ、ん?」

 呆然としている栞には目もくれず、紫苑は少年に視線を向ける。

「いいや、俺は鬼さ。女を攫うのは鬼だって相場は決まってるだろ?」

 気取った言い回し。この男、ノリノリである。
 ナルシストの面目躍如と言ったところか。
 しかし、あれだけ面倒臭がってたのによくもまあ……。

「醍醐栞、君を喰らいに来たぞ」

 栞は何と言えば良いか分からなかった。
 総てを振り払って、両親へのせめてもの償いのために恋を振り切ったのだ。
 そうしてこの縁談に臨んだと言うのに、何故ここで紫苑が出て来る?
 揺れる心、彼女を覆っている化粧うそが音を立てて崩れ始めた。

「その哀しみ、苦しみ、総て喰らい尽くしてやる」
「……何で、どうして……」

 頼もしい紫苑の背中、今にも抱き締めたいくらいだ。
 それでも、そうするわけにはいかない。そんな資格が無いのだ。
 "正道を往く者"に自分のような咎人が、触れてはいけない。
 あの"紅梅の香り"で夢から覚めた自分に、恋など赦されはしないのだ。

「だ、誰ですかあなたは! 警察を呼びますよ!? 誰か! 誰か!!」

 呆然としていた少年は我に返り、紫苑に喰ってかかる。
 その姿を見て、

「(ホッホーwwwたまらんなコレwwwこの顔が見たかった!)」

 紫苑はこれ以上ないくらいにテンションをアゲ(↑)アゲ(↑)していた。
 この場で奴の好感度が一番高い人物はこの少年だろう。

「真に罪深きは誰だ? そりゃアンタだよお坊ちゃん」

 いやいや、お前の罪深さには負けるよ。判定するまでもなく圧勝だ。

「な、何だと!?」
「お前、栞がどんな顔をしている分かっているのか?」

 紫苑は別室でずぅっとこの部屋の様子を観察していた。
 だからこそ、少年のミスを幾つも見つけていた――――ホント粗探しが得意ですね!

「お前が栞の家族について嬉しそうに話してる時、コイツは辛そうだったぞ。
俺には理由も何も分からない。けどな、大切な仲間が泣きそうな顔してりゃ気付くよ。
お前は気付くことが出来たか? これから何十年も寄り添おうって相手の悲しみに」
「そ、それは……あ、あなたの思い違いでは!?」
「じゃあ栞の顔を見てみろ、今どんな顔をしている?」
「――――!」

 栞は、とても悲しそうな顔をしている。
 少年の前では崩れなかった化粧が完全に剥がれ落ちているのだ。

「そら、それが総てだ。喜びも悲しみも……
全部抱き締めてやれるような男の下に嫁げないなら、そりゃ悲しいだけだ。
離婚なんて制度があるけど……最良の夫と結ばれりゃ使う必要は無い。
それに、栞は己を殺すことが出来る。だから、離婚ってカードは使わないだろう。
ずっとずっと腹の中に深い哀しみの泥を溜め込んで、悲しい笑顔を浮かべるはずだ。
お前はそれを見抜けないまま、独り善がりの幸せを謳歌するだろうな」

 流石独り善がりの幸せを謳歌している男は言うことが違う。

「ぼ、僕は……」
「(はぁ……はぁ……た、楽スィイイイイイイイイイ!
ヤバイ、ボンボンに↑から目線で説教――――病み付きになる快感だ!)」

 自省する少年、自己満足に浸る紫苑。
 どっちに嫁げば幸せになれるか、まだ前者の方がマシだろうコレ。

「――――帰ってください紫苑さん」

 身体を震わせながら、それでも弱さを見せまいと栞は紫苑を跳ね付ける。

「(俺だってそうしたいよ)」

 こんな三文芝居に付き合っても一銭の得も無い、
更に言うなら紫苑はまだ夕食を食べておらずお腹ペコペコなのだ。

「いいや、連れて帰る」

 栞を抱き締める紫苑、彼女はそれを振り払おうとするが……。

「あ、あれ……か、身体に力が……」
「(ようやく効き始めたのかよ……どんな身体してんだコイツ)」

 紫苑は栞が拒否することを知っていた。
 だからこそ、事前に彼女が飲むお茶に毒を仕込むように指示していたのだ。
 アイリーンといい栞といい、女に毒を盛ることに微塵の躊躇いも無いとは……畜生顔負けだ。

「さて、それじゃあ鬼の仕事を果たすとしようか」

 栞を抱きかかえて部屋を出る紫苑。
 このまま廊下を渡って出口に行こうとしたのだが、

「はな……して……!」

 栞に突き飛ばされて庭へと転がり落ちてしまう。
 痺れで動くことすらままならないだろうに、それでも彼女の目は死んでいない。
 醍醐栞を突き動かす何かは毒をも凌駕したのだ。

「な、んで……なんで、来たんですか……どうして、邪魔をするんですかぁ……!」

 膝を突いて息を荒げながら栞が叫ぶ。
 額に浮かぶ脂汗、今にも気絶してしまいたいだろうに……。

「(面倒臭い女だなオイ。俺だってボンボンのあの顔見れたしもう帰りてえよ)
倉橋さんに頼まれた。それに、俺はお前の仲間だ。そんな顔をしているお前を放って置けるか」

 体面を気にしなくて良いなら紫苑は喜んで栞を見捨てていただろう。

「さあ、帰ろう(あんまゴチャゴチャ言ってると土に還すぞこのアマ)」

 栞に近付き、左手を差し伸べる紫苑。

「来ないでぇえええええええええええ!!!!」

 刹那、夜闇に紅い花が咲く。
 紫苑は一瞬呆然となったが、すぐにその花の正体が自分の血であることに気付いた。
 左手の肘から先が綺麗に切断されている。
 恐らくは糸で切り裂いたのだろう。

「(この展開は予想してなかったぁあああああああああああああああ!!
え? 何? コイツマジで俺に惚れてんの!? 腕切りやがったぞ!?)」

 いきなり腕を斬られても表面上はまるで動じていないように見えるが内情はこんなもんだ。
 紫苑は右拳を左脇に挟んで強く圧迫し、即席の止血を開始する。
 こんな状況でも自分の命を繋ぐために的確な行動を取れるのは流石と言えよう。

「――――え、いや……ちが、違うの……だって、これ……これぇ!
ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
お父様、お母様、姉様、違う……違うんです、私、悪くない……だって、私は間違って……
ま、間違ってるのはみんなで……わ、私は正しい……え? でも、紫苑さんの腕……?
あ、嗚呼……しおんさ……いや、見ないで! そんな目で私を見ないでぇええええ!!」

 長い御髪を振り乱し狂乱するその様はまるでジャパニーズホラーである。
 紫苑は21世紀に流行ったと言う某ホラーを思い出していた。

『おい、どうすんのよ?』
「(そんなん俺が聞きたいわ! あの爺……とんでもねえことに付き合わせやがって!
こりゃ慰謝料請求しなきゃやってらんねえ! だが、その前にコイツをどうにかせにゃならん!)」

 狂乱していて冷静さを欠いているのは好都合でもあった。
 こう言う時ほど、心の中に踏み入り易いから。
 紫苑は内心で邪悪な笑みを浮かべながら、優しく語り掛ける。

「さあ、帰ろう栞」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「大丈夫、俺は怒っていないよ」
「――――あ」

 片腕で、強く栞を抱き寄せる。
 胸元に彼女の顔が来るようにしたのは小細工のためだ。

「大丈夫、俺は生きている。ほら、聞こえるだろう? 心臓の音がさ」

 心音と言うのは心を落ち着かせる効果があるそうだ。
 紫苑はそれを狙っていた。そして、その甲斐あってか栞の瞳に理性の輝きが戻る。

「……紫苑、さん。どうして、どうしてここまで……」

 救いに来て、手酷いことをされたのにどうして私を見捨てないの?
 栞は縋るように紫苑を見つめる。

「仲間だってのもあるし、それに、ここで俺が退いたら望まぬ婚姻を結ぶことになるからな」

 それでも俺は一向に構わん! と言いたい紫苑だがここはグっと我慢。

「俺の母さんが、言ってたんだ。お嫁さんになるって言うのはとっても幸せなことだって。
女の子にとっての一大事、涙を流しても良いけど笑ってなきゃ駄目だってさ。
なのに栞、笑ってないじゃないか。不幸せなお嫁さんなんて存在しちゃ駄目だろ?」

 ちなみに紫苑の母はそんなことを言ってない。
 即興でテキトーに考えただけだ。

「わ、私は……」
「もう良い。今は何も言わな――――ん? 何だあれ……花……?」

 庭に降り注ぐ大量の花弁、夜の闇より尚暗いそれは黒百合だ。
 花に紛れて現れたのは、

「……嘘」

 そんなはずはない。その女が存在しているはずはない。
 ――――だって自分が殺したのだから。
 栞は混乱の極致にあった。

「はぁい♪ 素敵な夜ね、栞?」
「醍醐……紗織……?」
「ええ、そうよ。私は醍醐紗織――――あなたのお姉ちゃんよ?」

 怨嗟の夜はまだまだ終わらない……。
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