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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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よしよしよしよぉおおおし! ガンガン行こうぜガンガン!

「ふわぁ……おはようさん……」

 寝室から出てリビングに向かうと、
そこではルークがアリスの服と紫苑の服を丁寧に丁寧にアイロンがけしていた。

「む、おはよう。もう昼過ぎだが……最近お疲れか?」
「(コイツも家事のためにわざわざ一階から三階まで……ご苦労なこった)ああ、そうだな」

 珍しいことに紫苑は割りとマジでルークに同情していた。
 人形とは言え馬車馬のように扱われていることに――――ではない。
 アリスのようなクソガキに良いように使われていると言う事実が同情に値するのだ。

「それより、アリスは最近何やってるんだ? 昨日もベッドに入って来たの遅かったが……。
(夜中にベッドに入って来られると目ぇ醒めるんだよ……マジ勘弁だわあのクソガキ)」

 冷蔵庫に手をかけてから気付く。そう言えば牛乳が切れていたことに。
 少々残念に思いながらお茶を飲もうと冷蔵庫を開けると、

「む、牛乳は買っておいた。そのメーカーので良いのだろう?」
「あ、ああ……すまんな(家政婦だな、マジで。便利だから良いけど男の癖に情けねえ)」
「アリスが何をやっているか……だったか? 人形造りだ」
「人形?」

 あの特殊なダンジョンを探索する予定はまだ無い。
 だと言うのに人形制作。自分用の人形を造っているのだろうか?

「そうだ。前に滋賀から帰って来た時、アリスに礼を言っていただろう?」
「ああ、アイツの人形が無ければ俺達は死んでいたからな」

 礼を言うのは癪だったが、円滑な付き合いを考えると嘘でも言っておかねばならない。
 だからこそ紫苑は帰って来た日の晩に、改めて感謝を伝えた。
 しかしそれと一体何の関係があるのだろうか?

「あれから張り切ってな。色々頭の中で人形の構想を練っていたんだ。
それが昨日思いついたらしくてな。明け方まで没頭していたようだ。
まあ、お前のためだけじゃなくて自分のためでもあるっぽいがな」
「? そりゃアリスは人形遣いだから自分のために造るだろうよ。何の不思議も無い」

 牛乳を呷りつつ言葉を返す紫苑、しかしどう言うわけかルークの顔は渋い。

「いや、それは……うん、まあそうだな」

 アリスが自分用に造っている理由を知っているからこその渋面。
 アイリーンやら天魔やらの恋敵抹殺用に造っていると知っていたらそりゃ顔も渋くなる。

「実は……いや、何でもない」

 ルークはそれを紫苑に伝えようとして――止めた。
 万が一知られれば自分に面倒が降りかかると分かっていたからだ。
 それに、アイリーンも天魔も一筋縄ではいかないと確信している。
 だから早々滅多なことにもならないはず。そんな希望的観測もルークが口を噤む理由の一つだ。

「それより昼食を作るが起きたばかりだし軽めにしようか?」
「ああいや、偶には外で食うさ。何時も世話になってるし今日ぐらいは、な」
「気を遣わんでも良い。アリスが世話になっているんだからな」
「(ホントだよ。無料家政婦どころであのクソガキの相手する対価になると思うなよ)」

 顔を洗って歯を磨き、手早く着替えるとすぐに家を出る。
 アリスに気取られると色々面倒なことになるからだ。

「~♪」

 鼻歌が出てしまうくらいご機嫌な紫苑。
 薄手のカーディガンに細身のカーゴパンツ、卸し立ての夏服で向かう先は学校。

「ごめん、待たせたか?」
「い、いえ! 今来たところですから」

 校門の前で待っていたのは百合だった。そう、今日はデートなのだ。
 六月頭に彼女と出会ってから図書室で関係を深めて連絡先を交換し、ようやっと漕ぎ付けた。
 それを誰にも邪魔されるわけにはいかない。
 だから、アリスが寝ているのは好都合だった。

「そうか……ん? 黒姫、制服なのか?」
「はい。さっきまで図書室に居ましたので」
「図書室に――――ってことはやっぱり待っていたんじゃないか」
「あ……」

 気を遣っていたのにボロを出してしまった。百合は恥ずかしそうに俯く。
 それを見て紫苑は益々上機嫌になった。

「(コイツ分かってる。そうだよ、俺より先に来て待つのが当然だよ!)
悪いな。今日の昼飯は俺が奢るからさ。あ、もう食べてしまったか?」
「いえ、まだですけど……悪いですし、自分で……」

 もじもじと遠慮するその姿もまた良し! ご機嫌ゲージが二本目に突入だ。

「気にすることはないさ。男の甲斐性ってやつだ。それに、こう見えて結構稼いでるんだぞ?」

 茶目っ気を織り交ぜたウィンク。こんなに愛想を振り撒く紫苑は本当に珍しい。
 同じパーティの仲間達にすら見せたことのない姿だ。

「それにさ、友達なんだから……変に遠慮される方が悲しい。
それとも、友達だって思ってるのは俺だけだったりするのか?」

 いけしゃあしゃあと……今までの人生で誰にも友情など抱いたことないだろうに。

「で、でも私なんて……」
「(ふぅ……この常に自信なさげな顔も堪らん。思わず押し倒したいくらいだ)俺が友達じゃ、駄目か?」
「……だめ、じゃないです」

 蚊が鳴くような小さい声だったが、紫苑のデビルイヤーはしっかりそれを拾った。
 総てが思う通りに運んでいる全能感に浸りながら紫苑はとびっきりの笑顔を作る。

「じゃあ、決まりだな。行こう」

 手を取って歩き出す。ここまでされて、果たして女性は勘違いしないだろうか?
 もしかしてこの人は自分に好意を持っているんじゃないか? そう思ってしまうのも無理は無い。
 実 際 紫 苑 は そ れ を 狙 っ て い る。
 言葉にすればクソくだらない自尊心だが、奴は"告白する"のが恥だと考えている。
 あくまで相手に告白させる、そのスタンスを崩さない。
 恋は惚れた方の負けとは言うが、正にその言葉通りだ。

「あ……」

 嬉しいような、悲しいような、申し訳無さそうな、
複雑に混ざり合った感情が百合の瞳を彩っている。
 それに気付くこともなく紫苑は、

「(クックック……俺ほどのイケメンにこうされたら誰だって惚れる、俺だって惚れる)」

 自分に酔っていた。もうベロンベロンだ。二日酔いどころか一生酔いである。

『そりゃお前がナルシーだからだよ』
「(せからしかぁ! 俺はこの女を堕とすために頑張ってんだから黙っとけ!)」

 さて、何か忘れていないだろうか?
 見通しが甘く目先のことしか見えない紫苑の節穴アイでは気付けないかもしれないが、
今現在彼奴に惚れている面子の中で危険な女が二人ほど居ることを。
 一人は合法メンヘラロリのアリス、一人は僕っ娘メンヘラ天魔。
 こと紫苑に対する執着では群を抜いている二人だ。
 万が一馬鹿しおんの目論見が上手くいったとしよう。
 しかし、結ばれてはい! ハッピーエンド! となるだろうか?
 そこら辺を考えずに口説きにかかっている紫苑は馬鹿の極みだ。
 何でデートの邪魔のことを考えられて付き合った後のことを考えられないのか。

「さ、ここ入ろうぜ」
「喫茶店……ですか?」
「ああ。そこまで有名じゃないけど美味いランチやってるんだよ」

 クラシックな、如何にも喫茶店でござい! と言う佇まいの喫茶店に入る。
 お昼を過ぎてはいるが今日は休日。そこそこ人は多い。
 二人が席に着くとすぐにウェイターが来て注文を聞く。
 紫苑はランチセットを頼み、主体性が無いように見える百合もそれに追従する。

「良い雰囲気のお店ですね」
「だろう? デザートも絶品なんだ。ただ、難点を挙げるとすれば……」
「すれば?」
「店主の音楽センスが最低ってことだ」

 店内で流れているアリア、それは店の雰囲気にそぐわないものだ。

「この曲、ですか?」
「ああ。モーツァルト作曲の歌劇『魔笛』の第二幕で夜の女王が歌うアリアでな」

 タイトルが最悪なのだ。少なくとも飯を食べながら聞く曲ではない。
 何時もならそれでもまだマシな選曲なのだが、今日は最悪だ。
 入ってすぐに気付いていれば良かったのだが生憎と気付いたのは注文を終えてから。
 今から店を出ると言う選択肢は無い。

「タイトルは"復讐の炎は地獄のように我が心に燃え"だ」
「へえ……」

 一瞬、ほんの一瞬紫苑が外を向いた時。百合の目がすぅっと細められた。
 そこに浮かぶ激情を見たのは誰一人として居ない。

「何時もなら浪曲やらコミックソングが流れてるんだがな。何で今日に限って……」
「ふふ、確かにちょっと変ですけど……こう言うのも悪くないですよ」
「そうか? 不快な気分にさせてしまったんじゃないかと心配したんだがな」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。貴重な体験です」
「それなら良かった。ま、確かに普通の喫茶店じゃ流さないような曲だしな」

 ちなみに何故紫苑が曲名を知っていたのか、それには理由がある。
 そう、あれは中学時代のこと。
 ウィーン古典派三大巨匠の一人と称されるモーツァルトの楽曲をマラソンしたことがあるのだ。
 勿論、真っ当な理由では無い。
 死して存在しない神格化されたモーツァルトを馬鹿にするためだ。
 "何処が良いのか分からない"、"こんなものを評価した奴らは軒並み馬鹿"
 そんなことを言いながらマラソンをしていた際に魔笛にも触れて曲名を知ったのだ。
 ルドルフ辺りがそれを知ればキレていたかもしれない。
 何せモーツァルトが生まれた神聖ローマ帝国には現在のドイツも含まれているのだから。

「ところで黒姫、遊びに行こうと誘っておいて何だが……希望があったりするか?」

 一応は紫苑もデートプランは考えてある。
 しかしそれはあくまで百合の希望が無かった場合だ。
 希望があるならばそれに沿った予定を即興で立てるつもりで居る。

「はい。あの、春風さんは読書がお好きなんですよね?」

 図書室で一緒に勉強している時に話題に上がったこともある。
 お互い読書家だったので話が弾んだりもした。

「ああ」
「古書店なども幾つか回っていると聞きました。その、そこを巡りたいなぁ……なんて」

 デートなのだからもっと華やかなチョイスをするべきだ。
 それは本人にも分かっているのだろう。
 だが、そう言う場所に自分が不似合いだとでも言いたげな百合を見て紫苑は、

「(分を弁えてる! 良いね、金もかからないし! 益々気に入った)」
「だ、駄目……でしょうか?」
「いや、問題ない。喜んで案内するよ。勿論、荷物持ちだってな」
「あ、ありがとうございます!」

 傍から見れば初々しいカップルにしか見えないやり取り。
 ちょっと押しの強い男の子と、控えめな女の子。組み合わせとしては中々絵になる感じだ。

「(よしよしよしよぉおおおし! ガンガン行こうぜガンガン!
今日で告白させられると言うほど俺は自信過剰ではない。
今日はあくまで仕込みだ。要所要所で俺のことを意識させて深層にまで溶け込ませる。
そして寝ても覚めても俺のことを考えてしまう感じに誘導するんだ。
その後、身のほど知らずと分かっていながら抑えきれない恋心を胸に俺に告白して来る……。
そこまで行ってようやくミッションコンプリートだ。よし、頑張ろう俺!)」

 コイツにとっての自信過剰って何なのか。
 根拠の無い自信を下に妄言を吐くのはどう考えても自信過剰である。
 身のほどを知らないのは百合ではなく紫苑だ。

「あ、来たようですね」
「そうだな。それじゃ、頂こうか」

 注文の品が届いたことで二人は一旦会話を止めて食事に集中する。
 何時もより美味しく感じるのはきっと、紫苑の機嫌が良いからだろう。

「(しかも古書店巡りってこたぁ、金がそんなにかからんからな。そこらもグッドだ)」

 早くデートに出かけたいと言う思いがそうしたのか、紫苑はすぐに食べ終わってしまった。
 百合はまだデザートを食べていてチラチラと彼を見ている。
 早く食べなければと焦っているのだろう。

「落ち着いて食べれば良いさ。味合わなきゃ損だぞ?」

 時折こんな気遣いも見せつつ食事は終始和やかに進んだ。

「さて、じゃあ古書店巡りと行こうか」
「はい!」
「ここの近くに行き付けが一件あるんだ。個人経営で少々ボロっちいけど品揃えは良いぞ」

 手を繋ぎ人ごみを往く二人。
 どうにもドン臭いところがある百合は何度か転びかけたりもしたが、

「(GOOD! この駄目なとこが良い)」

 紫苑には大好評だった。
 そうこうしているうちに路地裏を抜けた先にある古書店へ辿り着く。
 両者共に名残惜しそうに手を離す辺り、マジで青春って感じだ。

「どうだ?」
「良いですね。古い時代の本が沢山あります!」

 目を輝かせて本を物色し始める百合。
 紫苑もまた後々の会話の種にと購入する本を探し始める。

「(安いのが良いんだよなぁ……)」

 捨て値で売られているエリアにやって来て本棚をジー……っと睨む。
 ジャンルにこだわりが無いせいか、全然決まらない。
 じゃあテキトーに買えばとも思うが、買うからには面白そうなものが良い。
 紫苑は二束三文であろうと無駄にはしたくないのだ。

「(ず、図鑑でも買おうかな? 時間潰せるし……話題も広げやすいし)」

 うーん、うーんと唸っている紫苑の肩がポン、と叩かれる。

「あ、あのぅ……」
「? ああ、もう選び終わったのか」

 既に会計も済ませているらしく、紙袋の中には数冊の本が入っていた。
 そのどれもが日本書紀、古事記の訳本や注釈書だ。

「そう言うの、好きなのか?(年頃の女の趣味じゃねえな)」
「はい。へ、変ですかね?」

 不安そうに揺れる瞳。
 これまでの振る舞いと言い、どうにも嘘臭いのだが紫苑は全然気付かない。
 基本的に増長しているからしょうがないとは言え、どうしようもねえ。

「いや、良いんじゃないか? そもそも俺だって、
他人の趣味を否定できるような高尚な趣味があるわけじゃないし」

 ホントだよ。悪意の美術館巡りや悪意のモーツァルトマラソンなんて下劣の極みだ。

「良かった……春風さんは、何か買わないんですか?」
「ああ。イマイチピンと来なくてな。俺は特定ジャンルに絞ってなくてさ。
パッとタイトルや表紙を見た時にピン! と来たのを買うんだ」

 ここではそんな本に巡り合えなかったと苦笑する。

「で、どうする? 次の古書店に行くか?」
「はい! 春風さんさえよろしければ」
「よし。なら俺も次の店に期待しようかな?」

 そうして、古書店巡りが始まった。
 近場から遠くまで、紫苑が知っている多くの書店を巡る。
 道中で他愛ない会話をし、着いてからは二人で本を選んだりと充実したデートだった。
 その中でも小賢しい好感度上げをバッチリやっている辺り流石屑だ。

「ふぅ……しかし、日本書紀や古事記関連の本ばかりだな」

 一通り巡り終わった紫苑らは近場にあった公園のベンチで一服することに。

「春風さんは日本書紀などは読まれますか?」
「んー……まあ、何度か読んだな。けど、そこまで詳しく知ってるわけじゃないよ」

 イザナギ、イザナミの逸話を読んで紫苑が抱いた感想はイザナギへタレwwwだ。
 こんなんが神なら俺なら神になれるわバーローwwwと大爆笑していた。

「けど、黒姫が好きなら一度じっくり読んでみるのも悪くないかな」
「はい! 是非そうしてください」
「ちなみに、こう言う言い回しが正しいのかは分からないが……どの逸話が好きなんだ?」

 と、そこで思い出す。

「俺は男だから……やっぱりスサノオのヤマタノオロチ退治が好きなんだ。
まあ、高天原で散々やらかしたことについてはちょっとどうかと思うがな。
(おいカス蛇。大蛇は酒飲まされて酔い潰れたところをバッサリされたんだぜ)」
『……何が言いたい?』
「(蛇って間抜けじゃね?)」
『俺様は飲んでも呑まれねえよ!!』

 憤慨するカス蛇。DQNにやられたアル中爬虫類と一緒にはされたくないようだ。

「うーん……私、ですか。そうですねえ……
木花之佐久夜毘売と石長比売の逸話はご存知ですか?」
「ああ、知っている。アレか……」

 簡単に言うと天孫ニニギが男として正直過ぎたと言う話だ。
 ブスは嫌だもんね、しょうがないね。

「美しい妹と醜い姉、正直過ぎる殿方……あれには、救いが無い」

 ニニギにブスだからと返却された石長比売。
 一説によると彼女はスサノオの子である八島士奴美神に嫁いだとも言われている。
 しかし、それも所詮は説でしかない。
 ブスだからとクーリングオフされた時点で救いなど無い。

「もし、春風さんがニニギだったらば……やはり、木花之佐久夜毘売だけを娶りますか?
あの……本当に正直に答えてくださって結構ですので。私もニニギが間違っていると思いませんし」

 と、フォローをする百合だったがその必要は無い。

「いや、どっちも娶らない」

 それは偽らざる本音だった。
 紫苑はあの逸話を読んだ時に、
心の機微が分からない女神らの父親である大山祇神を哂ったものだ。
 少し考えれば分かることも分からない神って超馬鹿wwwと。

「え……それは、どう言うことです?」

 正直に木花之佐久夜毘売を娶ると言うか、見栄を張って石長比売を娶ると言うか。
 そのどちらかだと思っていた百合は予想を外される。
 だからと言うわけでもないが、若干その化粧うそが剥がれて来ている。
 まあ、例によって紫苑は気付いていないのだが。

「俺はあの逸話を読んだ時にな大山祇神が一番悪いと思ったよ」
「……それは醜い石長比売姫を送りつけたから?」
「違う。父親として最悪なのさ、奴は。娘の心を分かっていないじゃないか」

 大山祇神が現代の父ならば老後は孤独死一直線だと紫苑は評価している。

「人の尺度で測るのもどうかと思うが……普通さ、分かるもんじゃないか?
姉でありながら妹の木花之佐久夜毘売より醜いことで
コンプレックスくらい抱いてて不思議じゃないってさ。
セットで送り付けられた時、石長比売はどう思ったんだろうな?
よしんば婚姻が成ったとしても姉妹間で差が生まれるんじゃないか?
愛しているのは木花之佐久夜毘売だけじゃないのか? そう不安に苛まれても不思議じゃない」

 神が無謬ではないと言う前提の下に語っているが、そう的外れでも無いだろう。

「いや、大山祇神の好意も分かるぞ? 天孫が岩のように永遠のものとなるように。
天孫が花のように繁栄するようにとの想いを込めてたんだからさ。
でも、余りにも娘の心を蔑ろにし過ぎだ。少なくとも娘の幸福を願う父としては失格だ。
誰もが幸せになれる都合の良い選択は出来ないかもしれないけど。
誰もが不幸にならない選択は出来たかもしれないんだ。違うかな?」

 神様であろうと平等にディスる、それが紫苑クオリティーである。
 百合は彼の言葉に呆然としていた。
 今の会話の何処かに思うところがあったのだろう。
 それこそが黒姫百合と言う人間の核なのかもしれない。

「……そう、かもしれませんね」
「だろう?」
「なら、石長比売姫はどうすれば幸せになれたんですかね?
醜く穢れて綺麗なものを妬むだけの彼女は……どうやって、幸せになれば良いんですか」

 それは石長比売姫のこと語っているのか、それとも……。
 どちらにしろ、百合と言う人間は今、装いが剥がれている状態だ。

「醜く穢れて、綺麗なものを妬む自分を見つめるところから始めれば良かったのさ」

 その言葉はそっくりそのまま紫苑に返って来る件について。

「前にも言ったが、嫉妬の何が悪い? 自分の不遇を嘆いて何が悪い?
だからこそ――――幸せになろうって頑張れるんだよ。
醜い感情から目を逸らしたって何にもなりゃしない。
醜いものを知っているからこそ、綺麗なものに憧れて……そうなりたいと願えるんだ」

 そんなことを言ってるが紫苑の本音は違う。
 石長比売姫は幸せになれない、ブスは何処まで行ってもブス。
 精々B専の神様を見つければ良いんじゃねーの? ぐらいにしか思っていない。

「お前だってそうじゃないか。栞に憧れて……でも、同時に妬んでも居る。
けど、そこで終わっていない。頑張ってるじゃないか、戦ってるじゃないか。
逃げずに真っ直ぐ自分に出来ることをやってるじゃないか。それが一番素敵なことだよ」

 殺し文句のフルコース、

「(これは堕ちるでぇ……俺のイケメン度数が天を貫いとるわwww)」

 紫苑はもう泥酔状態だ。自分に酔い過ぎて前後不覚になっている。
 ここまで自己を肯定出来るのはある意味凄い。

「……違う、私、そんなんじゃ……」

 酩酊状態の紫苑にその呟きは届かなかった。

「まあ、石長比売姫のことは置いといて、俺はそんなお前にこそ――――幸せになって欲しい」

 その言葉が限界を振り切らせた。
 百合は崩れ落ちるように紫苑の胸に顔を埋めて泣き出す。

「く、黒姫……?(おいおいおいおい、これ来たんじゃない? 今日で行くとこまで行っちゃう?)」
「……もっと、早くに出会いたかったなぁ……」

 哀切の言葉は突然鳴り出した携帯の音で掻き消されてしまう。
 それがせめてもの救いだったと、百合は静かに涙を流す。

「あの、ごめんなさい……その、電話……どうぞ」

 名残惜しげに紫苑の胸から離れた百合。
 涙を拭いながら痛々しい笑顔を作る彼女を見て紫苑は絶頂寸前だった。

「(ファーwwwって言いたいとこだが空気読めや携帯!)」

 苛つきを隠しながら電話に出ると、珍しい人物の声が耳に届く。

「春風様でしょうか? 倉橋で御座います」
「栞のとこの……執事さん? 何だって俺の携帯の番号を……(やだ、爺ストーカー?)」

 教えた覚えも無いのに何故? 軽く引いてる紫苑を他所に倉橋は謝罪を口にする。

「申し訳ありません。少々調べさせて頂きました」
「そうか……でも、俺に何の用で?」
「……実は、栞様に内密で御会いしたいのです」
「俺に?」
「はい。どうか――――御嬢様を助けてください」

 ただならぬ様子の倉橋。これは行かねばマズイ、付き合い的に。
 別に栞が死のうが何しようが知ったことではないが自分の評価が下がるのは嫌なのだ。

「あの、私なら大丈夫ですから」

 百合にも聞こえていたのだろう。
 彼女は自分なら気にしなくて良いと控えめな態度を見せた。

「そうか……すまんな。倉橋さん、何処に行けば良い?」

 電話をしながら公園を出て行った紫苑。残された百合はぼんやりと空を仰ぐ。
 その胸中を占めるのは出会ってから今日までの思い出。

「駄目だなぁ……私……」

 打算ありきで近付いた日に、心を揺らされた。
 偽りの日常の中で、目が離せなくなった。
 そして今日――――本気になってしまった。
 虚飾で塗り固めた己に対してこれ以上ないってほどに優しくしてくれた。
 利用されているなんて露ほども考えていないだろう。
 駄目な人間を装う自分に対して見せてくれた好意。
 もっと早くに出会いたかった。もっと早くに幸せになる方法を聞きたかった。

「ホンット、どうして私はあの子みたいになれないのかな……嗚呼、憎くてしょうがないよ」

 片手で顔を覆い――――虚飾の皮を引き剥がす。

「――――ふぅ」

 出会ったその日、紫苑は百合を"劣化栞"と評した。
 だが、どうだろう? 今彼女は――――醍 醐 栞 と 瓜 二 つ だ。
 違うのは額から左目を通って首筋まで細い傷が刻まれていること。

「紅梅の香りを嗅いで、動き出したんでしょうけど……偽善者め」

 極大な怨嗟に燃える瞳。引っ込み思案な少女の面影は何処にも無い。
 胸を燻る憎悪のままに生きている彼女こそが真の黒姫百合なのだ。
 否、その名すらも偽りなのだろう。
 黒百合を想起させる偽名を使ったのはその花言葉通りだ。

「倉橋の爺め……何を頼むかは大方想像出来るけど、よくもまあ……」

 もう戻れない昔日に思いを馳せているのだろう。
 過去を見つめる瞳に浮かぶドス黒い怨嗟の炎は、黒百合のようだ。

「本当にいけ好かないわ。真に罪深きはどっちなのかしらねえ」

 立ち上がって公園を出ようとするが……。

「ああ、そう言えば忘れてたわ」

 入り口まで来たところでベンチに置いていた紙袋のことを思い出す。

「……私は、救いようの無い石長比売姫だから……ごめんなさい」

 今日一日の思い出を振り払うように左手を振るうと、
紙袋が一瞬で中の本ごと切り刻まれてしまう。
 紙片の雪が舞い散る公園を後にした百合はそのまま近くの花屋へと足を運ぶ。

「すいません」
「はい何でしょうか?」
「この黒百合を包んで頂けますか?」
「はい、かしこまりました! 少々お待ちください」

 五分ほどで黒百合の花束が出来上がる。
 代金を払って受け取ると、彼女は淀みなく歩き出した。

「ふ、フフフ……」

 その時を想像するだけで嘲笑が浮かぶ。

「あの日から、ずぅっと考えていたのよ。あなたに何を贈ろうかって」

 ほの暗い感情が湧き出す。
 骨髄を、臓腑を、悪意の泥が満たしていく。
 もうすぐ出会える怨敵がどんな顔をするのか、総てを踏み躙ってやればどんな顔をするのか。
 想像するだけで絶頂してしまいそう。
 堰を切ったように流れ出す感情の波濤を止めることは出来ないし、止める気も無い。

「ああ、気にしなくて良いのよ」

 ここには居ない栞に語りかける百合の声色はとても甘い。
 総てを――己の存在すら失くしてまで生きて来たのは今日この日のため。
 始まるのか、終わるのか、それは本人にも分からない。
 本懐を遂げた後のことなんて考えていないから。

「だって私――――」

 さあ、

「――――お姉ちゃんだもの。プレゼントくらい、普通よね?」

 後 は 満 願 成 就 の 夜 が 来 る の を 待 つ だ け だ。
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