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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

32/204

夢見る少女じゃいられないなんてレベルじゃねえ……

 ポツリ、ポツリ一つ二つ、静かに降り出した雨。
 アイリーンは小さな兎の人形を抱いたまま空を仰ぐ。

「……天気予報のお姉さん、嘘吐き」

 天気予報では晴れだったのにどう言うことか。
 別に自分が濡れること自体は構わない。恋する乙女にとっての問題は、

「傘、持ってる?」

 愛しの彼が濡れていないか、それだけだ。
 ここ最近どう言う理由か顔を見ていないが、きっと頑張っているであろうことは予想出来た。
 自分と同じくらい表情が乏しいことは知っている。
 それでも自分より遥かに彼は恵まれていない。
 だから涼しい顔をしながらも何時だって必死に頑張っている。
 アイリーンはそんな紫苑の顔が大好きだった。

「まるで白鳥のよう」

 涼しい顔の下で誰よりも必死になっているのだ。
 その在り方がまるで白鳥と言うのなら確かにそうだろう。
 ただ、問題はアイリーンが思っている方向とは別に必死になっていることだが。
 白鳥と言うよりはカルガモかアヒル辺りが白鳥の皮を被っていると言う表現の方が正しいだろう。

「……」

 さて、雨空の下で乙女エンジンをフル回転させているアイリーン。
 今はまだ掃除の真っ最中、しかし彼女の周りに生徒の姿は無い。
 別に友達が居ないわけではない。サボっているのだ。
 真面目なアイリーンがサボっている理由はたった一つ、今思いを馳せていた紫苑絡みである。

「ここ?」

 黙々と歩いて辿り着いたのはそこそこ大きな神社の前だった。
 だが不思議なことに周囲には人影がまったくない。
 ここに歩いて来るまでに一人二人と減って行き神社に辿り着くまでにはゼロに。

「――――ようこそお姉さん」

 階段を上って境内に辿り着くと甘い声がアイリーンの耳朶を擽った。
 賽銭箱に腰掛けているのは誰あろう転校生のアリス・ミラー。

「物騒な手紙」

 アイリーンは兎から受け取っていた手紙を放り投げた。
 濡れた地面に落ちた手紙には短くこう綴られている。
 "恋敵のあなたを殺したいので××神社に来てください"
 余りにも潔すぎる殺人予告にいっそ感心してしまいそうだ。

「子供でも良くない」

 子供でもこんな性質の悪い手紙は書いちゃダメ! と言いたいのだろう。
 察っしようとも思えば察することも出来るが、結構ギリギリのラインだ。

「良いも悪いも無いわ。素直な気持ちを伝えただけじゃない」

 真面目に会話する気などなかった。
 呼び出して誘いに応じた時点でもう殺すしか選択肢は無い。
 食べられる餌が目の前にあるのに食べない獣が何処に居ると言うのか。

「あなたが居なくなると、紫苑が困る」
「殺せないとでも思っているの?」
「私を殺せるのはあの人だけ」

 愛すべき白鳥以外に己は殺せぬと言うアイリーン。
 それは確信なのか妄信なのか、
どちらにせよ恋する乙女が別の恋する乙女相手に負けるわけにはいかないのだ。

「気が合うわね。私もそうよ――――私が殺せないのは紫苑お兄さんだけ!!」

 賽銭箱から飛び降りたアリスは一足でアイリーンの懐に飛び込んだ。

「!」

 アイリーンの動体視力はしっかりそれを捉えていた。
 来るのは蹴り、顎を跳ね上げるつもりだと言うことも。

「この蹴り、一歩下がるだけで十分回避出来るんじゃない?」
「クハッ……!?」

 アイリーンの顎が跳ね上がる。
 彼女は一歩だけ下がった、もう一歩下がっていたら避けられたはずなのに。
 距離を見誤るような間抜けではないアイリーンが、
モロに蹴りを喰らってしまったのは言うまでもなくアリスの仕業。
 洗脳による思考誘導で行動を乱したのだ。

「な、ぜ……!」

 アイリーンはワケが分からなかった。
 綺麗に噛み合っていたはずの歯車に砂が噛んだような言いようの無い感覚。
 何時もの戦いが出来ないのだ。

「あは♪ 丁度良いところに殴りやすそうな顔があるわね」

 滞空しているアリスと跳ね上がったアイリーンの視線が交わる。
 アリスは悪戯な笑みを浮かべて目の前にある顔に拳を叩き込んだ。

「わけが、分からない」

 吹っ飛ばされ、階段から落ちる寸でのところで起き上がるアイリーン。
 その目に浮かぶ困惑の色は更に深くなっていた。

「御馬鹿なのね。だから身のほど知らずの恋をしちゃうんだわ」

 さて、続けざまに攻撃を当てたアリスだが彼女とて余裕があるわけではなかった。
 キックとパンチは別に遊びで当てたわけじゃない。
 殺す気で放ったのだ。しかしどうだ? アイリーンはまるで堪えていない。

「(異様な打たれ強さ――ってだけじゃないわね、これ。思考誘導だって効き過ぎている)」

 アイリーンと言う少女が意志薄弱なわけではない。
 そりゃ気の緩んでいる教室などではアリスのそれにもあっさりかかるだろう。
 だが殺意を以って襲って来た以上は臨戦態勢になるはず。
 アリスの見立てでは効きはしても少しばかり混乱する程度で、
さっきの二発をクリーンヒットさせることは出来ないはずだったのだ。
 では臨戦態勢にならなかった? 否、そこまで寝惚けてはいない。
 見た目が少女で同級生と言うファクターが邪魔をしても、それはあくまで攻撃面だけ。
 防御や回避ならば完璧にこなせるスペックはある。

「(ああ――――御同輩ってわけ。私と違って普通だから、本人でさえ気付いていない)」

 心身の成長が遅かったり、洗脳、人形に命を吹き込むなんて明らかな異端ではない。
 だからこそアイリーンのそれは気付き難い。
 地味で目立たないが、彼女はアリスのように何処か外れた人間なのだ。
 それは恐らく本人も気付いていない。いや、本人だから気付けないのだろう。

「むむむ……!」
「何がむむむ……! よ。それより槍を抜かなくて良いのかしら?」

 小さくステップを踏みながら挑発をするアリスだが内心では別のことを考えていた。
 アイリーン・ハーンと言う少女の中身、それは何か。

「(戦う者として最上の肉体、それが総てかしら?)」

 発展途上だが、今の段階でもその戦闘能力は計り知れない。
 その戦闘能力を支えているのは何だ? 簡単だ――――その肉体である。
 アリスは総てそこに集約されていると見当をつけた。
 その上で思考誘導が効き過ぎた理由について考えてみる。

「必要無い」
「私には得物を使うまでもないって? の割りにはやられっぱなしじゃない(反射が鍵、かな?)」

 意識するこなく行われる自動的な運動制御、俗に言う反射。
 脳からの命令によって行われる意識的な運動制御。
 大雑把に言うとこの二種類によって人は動いている。
 アリスはアイリーン・ハーンと言う少女の特異性はそこにあると睨んだ。

「そう言う意味じゃない」
「舐めてるとしか思えないけどね」

 アイリーンは戦闘になった途端自分でも気付かないうちに最適化されているのだ。
 戦い易いように、上手に戦いを運べるように。
 意識的な運動制御が反射のそれと混ざり合うのだ。
 考えてから避けると言う運動を例にとって見れば分かり易いだろう。
 通常は僅かではあるがタイムラグが生じる、しかしアイリーンにはそれが無い。
 避けようと思うのと身体が動くのが全く同じなのだ。
 特異性を有効に活かせる肉体のスペックと彼女自身が持つ戦闘センス。
 それらがあるから強いのだ。
 真っ当にやろうと思えば紫苑のように毒を用いてスペックダウンさせるしか無いだろう。
 動きを鈍らせ思考を淀ませることで特異性を殺すのだ。
 まあ、その毒を付加させると言うのも通常では一苦労だが。

「違う、そうじゃない」

 再び格闘戦を再開するも、やはり展開は一方的だった。

「じゃあどう言うことよ?(多分、私の仮説は間違ってない)」

 戦闘行為に移行すると同時に意識的な運動制御と反射の境目が消滅する。
 総てが噛み合って新しい一つの機械となるのだ。
 その機械を構成する歯車の一つ――――思考。
 アリスはそこに干渉する力を持っている。
 完璧に噛み合っていたからこそ、たった一つのズレが大きな影響を及ぼすのだ。
 自分の特異性を自覚していればまだ打つ手もあっただろう。
 だが生憎とアイリーンは自分の特異性に気付いていない。
 アリスのように分かり易いそれではないがゆえの悲劇だ。
 そんなアイリーンにとってアリスは天敵と言える。

「私、敵とは戦うし倒す」
「私は敵じゃないって? おめでたい頭じゃない」
「違う、敵」
「要領を得ないわね。ちょっとコミュニケーションの勉強をすれば?」

 ぐうの音も出ない正論だ。
 アイリーンもそれを自覚しているのか恥ずかしそうに顔を赤くしている。

「むむむ……その、あの……悲しむ」
「誰が? ああ、その肘鉄の打点はずらさない方が吉よ」

 攻めの手を休めないアリスだが、彼女には勝負を詰みに持っていける手が欠けていた。
 人払いなどもしているが派手な手段――爆発やら何やらを使えば流石に目立つ。
 ゆえに自走式卵型爆弾などは使えない。
 甲冑やトランプ兵は使えるには使えるが、あれは言うほど優れているわけではないのだ。
 アリスが自ら操作しなければいけなので洗脳と併用していると両方が疎かになってしまう。
 これが並みの相手ならばまだマシなのだろうが相手はアイリーンだ。
 二極より一極集中の方が効果的だと判断した。
 一番高性能なルークを使うのことも一度は考えたが、

「(デカブツルーク……最近甘くなったしフルに性能を発揮出来ないものね)」

 善人ルークがエゴ丸出しのこの戦いで全力を出せないと却下した。
 ゆえに己の身一つで片付けると決めたのだが……予想以上に敵が強過ぎた。
 そもそもからしてちゃんと下調べをしていれば勝利への道筋を立てられたかもしれない。
 そうしなかった理由、

"私が殺せないのは紫苑お兄さんだけ!!"

 総てはその言葉に集約されていた。
 アリスは驕っているのだ。
 妄信狂信確信、それら総てが綯い交ぜになった感情が驕りを誘発している。
 結果が今の状況なのだが彼女はそれを認められるほど大人ではないのだ。

「紫苑が――――悲しむ」

 当たるように誘導された膝蹴りがアイリーンの腹に突き刺さる。
 冒険者であろうとも骨が圧し折れて内臓に刺さるような一撃なのに、やっぱり堪えていない。
 狂ったようにHPが高いボスキャラだ。
 これがゲームならクソゲー確定である。

「あなたが死ぬか、傷付けば、きっと悲しむ。彼は、そう言う人だから」

 いいえ、大歓喜すると思います。
 見える部分でこの上ない悲哀を表現しつつも、
見えない部分では口に出すのも憚られるような喜び方をするのにカシオミニを賭けても良い。

「好きな人の悲しむ姿なんて、見たくはない」
「大丈夫よ。死ぬのはあなただし、あなたが死んでも気付きはしないからね」

 アイリーンの言わんとしていることは分かっている。
 だが、その上でアリスはその懸念を解消する術を持っているのだ。
 殺した相手を人形にすることで生きているように見せかけることが出来る。
 これが紫苑に近しい四人ならばともかくとしてアイリーン程度ならばバレない自信があった。
 まあ、奴は誰が人形になろうとも絶対に気付かないだろうが。
 いや、気付いたとしても好都合だと気付かないフリをするに決まっている。

「まあ、殺す気が無いならそれでも良いわ。所詮あなたはその程度だってことだし」
「……? 意味が分からない」
「私も割りとあなたの言ってること意味分からないのだけど――――まあ、良いわ。教えてあげる」

 激しさを増す雨。張り付いた髪が酷く鬱陶しかった。
 アリスは不機嫌さを隠そうともしないまま、持論を展開し始める。

「あなたの紫苑お兄さんを大好きって気持ちはその程度なのって言ってるのよ」
「撤回して」

 好きな人への想いを恋敵に否定される、それは何よりもの屈辱だった。
 極大の殺気と共に撤回を求めるが、

「絶対嫌」

 極大の殺気と共に拒否されてしまう。
 二人の殺気がぶつかり合って石畳が吹き飛び、雨が爆ぜる。

「だってそうじゃない。好きで好きで好きで好きで好きで好きでどうしようもない!!
大好きなあの人と結ばれるためならば恋敵を殺すのに何の躊躇いがあるの?
それほどの深さも無い愛なんて塵屑と変わらないでしょう。
好きって言うのは形振り構わないってことよ。
恋してるのに、愛してるのに何で正気を保てるの? 倫理道徳人道……何でも良いわ。
そんなものに阻むことの出来ないそれをこそ――――人は愛と呼ぶのよ」

 紫苑は司書室で勉強するよりもアリスを観察する方がよっぽど捗っただろう。
 だってどう聞いても狂人の理屈だもの。
 三百六十度、何処から見渡しても狂っているとしか思えない。
 まあ……愛されず、愛することを知らなかったアリスだからこそなのかもしれないが。

「分かる? 分からないわよね。
あなたは恋や愛と呼ぶのもおこがましいほどに浅い想いしか抱いていないんだもの」

 小さな身体をいっぱいに使って空を抱き締める。
 雨粒をも蒸発させてしまいそうな愛の発露はこの上なく醜悪だ。
 しかし、同時にある種の美も感じさせるのは何故だろうか?
 言うまでもない――――アリスが本気だからだ。

「ふとした瞬間目が合う、幸せだわ。
優しい声で名前を呼んでくれる、幸せだわ。
一緒に"いただきます"を言う、幸せだわ。
ごちそうさまを言った後で"美味しかったね"って笑い合う、幸せだわ。
一緒にお風呂に入って背中を流しっこする、幸せだわ。
湯船に浸かりながら二人でお歌を歌うの、幸せだわ。
お風呂から上がった後で二人並んでアイスを食べるの、幸せだわ。
優しい手つきで髪を梳いてくれる、幸せだわ。
一緒のベッドに入って顔を合わせる、幸せだわ。
"おやすみアリス"そう言って笑ってくれる、幸せだわ。
夜目が覚めた時に感じる温もり、幸せだわ。
心臓の鼓動が聞こえる距離に居られる、幸せだわ。
同じベッドで眠って一緒に朝を迎えられる、幸せだわ。
両手の指じゃ足りないくらいの幸せが満ちているのよ」

 尚、両手の指では足りないくらいの不幸せが紫苑には圧し掛かっている模様。

「この幸せを知ってしまったら、もう戻れない。手離せない。
誰にも渡したくない。あの人の優しい眼差し、温かな声、
髪一本から魂魄の一欠片に至るまで独り占めしたい。
私だけを見て、私だけを愛して、私もあなただけを見るから、あなただけを愛するから。
アリスの世界は二人で良いの! 他なんて要らない!」

 アリスの冷静な部分はそれが叶わないことを知っている。
 だからせめてもの妥協として恋敵だけは排除しようと言うのだ。
 妥協しても凶悪性が薄れない辺りはもうどうしようもない。

「私が描く幸せの絵にあなたは必要無いのよ。だから存在を赦せない、だから消す。
それほどの決意すら持たないあなたに人を好きになる資格なんて無いわ」

 じゃあ殺さずに見逃せば良いじゃん。何でまだ殺る気満々なんだ。

「――――浅薄」

 黙って聞いていたアイリーンだが、アリスの主張が終わると同時にバッサリと斬り捨てた。
 真っ向から浅薄と言われたことで更に殺気が濃くなったが何処吹く風。
 アリスが確固たる価値観を持っているように、アイリーンもまた自分の価値観を持っているのだ。

「……何ですって? 浅薄? 良いわ、謳ってみなさいな」

 私の愛の何処に疵があるのか言ってみろと言うアリス。
 疵だらけで真っ当な部分が見えないとかツッコミを入れてはいけない。

「想いの深浅を測るなら、その方向を間違ってはいけない」

 自分の愛と他人の愛を比べようと言うなら土俵を間違えてはいけない。
 アリスは前提からして間違っているのだ。

「私は、紫苑が好き」
「それは私もよ」
「知ってる。でも、どっちが上かを比べるなら、あなたの理屈は違う」

 深く息を吸い込んで、引き絞る。
 自分が放つがアリスの胸を射抜けるように、強く強く引き絞る。

「あなたのそれは、自分のため」

 アリスの理屈は所詮自分のためでしかない。
 自分が結ばれるために、自分の想いを成就させるために何が出来るかでしかない。
 それじゃ想いの丈を比べることは出来ないのだ。

「本当に、本当に好きなら――――好きな人のために何が出来るかだと思う」

 さあ、考えてみよう。自分が大好きな人のために何が出来るだろう?
 戦線を布告しに来たあの日、胸が熱くなった。
 互いの本気をぶつけ合って敗れたあの日、熱の正体が恋だと知った。
 惚れた、惚れてしまった。一秒だってその恋の熱が弱まったことはない。

「自分が、何が出来るか。大好きなあの人のために、自分だけが出来ること」

 美味しい料理を作る? それも良いだろう。
 美味しいものを食べた時に綻ぶあの人の顔はずっと見ていても飽きない。
 編み物なんかはどうだ? それも良いだろう。
 頑張って編み物を覚えてマフラーを贈ったら、きっと喜んでくれる。
 ずっとずっと考えて来た。
 でも、どれもこれもアイリーン・ハーンの愛ではない。
 "自分らしさ"が何処にも無いのだ。
 けど、

「ありがとう。アリス、ようやく分かった」

 アリスの告白を聞いてようやく愛の形を掴めた――――アイリーン・ハーンが示す愛を。

「何ですって……?」
「――――誓い(ゲッシュ)をここに」

 それはアリスに語りかけているわけではない。
 ここには居ない愛しの彼に対して、語りかけているのだ。
 聞こえないし届かないだろうけど、誓いとは自分に立てるものだから。

「アイリーン・ハーンは何があっても春風紫苑の味方で在り続ける。
寄り添い続けよう、例え世界の敵になったとしても。
どんな絶望的な戦いで、誰が彼を見捨てようとも、自分だけは見捨てない。
例え神が敵であろうとも私は槍を取ろう。槍が折れたらこの両の腕で薙ぎ払う。
腕がもげれば両の足で蹴り飛ばす、足が潰れれば噛み付いてやる。
死したのならば魂魄となって戦い続ける。誰のためでもない春風紫苑のために」

 朗々と誓いを立てるアイリーン。
 彼女にとってゲッシュとは決して軽いものではない。
 クー・フーリンのゲッシュを守るために劇毒を口にするのも躊躇わなかったほどだ。
 今立てているそれはクランの猛犬をなぞるためのものではない。
 アイリーン・ハーンが自らの愛の下に立てている誓いだ。

「例え報われずとも――――この誓いは不滅である」

 神が居ないなら誓いを反故にした時、罰を与える者は何処にも居ない。
 だが、ことアイリーン・ハーンにとっては罰を与える者など必要無い。
 彼女は己が誓いを破ったのならば、己で罰を下せる人間だから。
 愛を裏切った代償は"死"。口にするまでもない真理だ。

「これが、私の――――アイリーン・ハーンが示す愛」

 雨は降り続いているのに、太陽が出現した。
 彼女が浮かべる笑顔は太陽が如き熱を有している。

 "君のためなら世界を敵に回せるよ。命を賭けても良い"

 陳腐な文言だが、どれだけの人間がその言葉に本気になれるだろう?
 どれだけの人間が誓いを破った時に命を絶てるだろう?
 アイリーンはやってのけるだろう。
 既に一度、ゲッシュを守るために自ら死の淵へと踏み込んだのだから。

「――――」

 アリスは気圧されていた。
 戦いの手は止めているものの、依然優位は彼女のもの。
 けれどもアイリーンと言う恋敵が示した愛の熱に気圧されたのだ。
 頬を伝うのは雨か汗か……言わぬが花だろう。

「む、どうしたの?」

 黙ったままの恋敵を訝しむアイリーン。
 アリスは言葉を紡げずにいた。アイリーンが立てた誓いはそれほどまでに凄絶だった。
 無論アリスとて紫苑のためならば世界を敵に回して戦い続けることに迷いは無いだろう。
 当然過ぎて言葉にしていなかっただけ。
 が、彼女からすればそれがいけなかった。
 自分よりも先に言葉にされてしまったことで敗北感を抱いたのだ。
 愛の深浅を測るのなら好きな相手のために何が出来るか。
 その言葉が正しいと思ったことも影響していた。

「むむむ……」

 が、アリスに敗北感を与えた当人もまた敗北感を抱いていた。
 想いを形にしたことで一種の爽快感があったにはあった。
 だが、一つの形を成したことでアリスの言葉が脳裏をよぎったのだ。
 "恋してるのに、愛してるのに何で正気を保てるの?"
 それが正しいと思い始めて来たからこそ敗北感を抱いたのだ。

"足りない"

 二人は同時に歯噛みした。
 互いに欠けていることを自覚したのだ。
 利己と利他、それが混ざり合ってこその愛だと悟ったから。
 片方だけじゃ駄目。それじゃ届かないし、それじゃ物足りない。
 もっと好きになるためには、もっと幸せを手に入れるためには現状のままでは駄目。

"もっともっと、駄目なのこれじゃ"

 女比べで剥けた一皮は少女達を更なるステージに押し上げた。
 夢見る少女じゃいられないなんてレベルじゃねえ……。

「……」
「……」

 二人は静かに見つめ合う。
 殺気も何もなくただただ視線を交わしているだけなのに今までよりも数段重い空気だ。
 時間の感覚すら消えたまま沈黙の世界が続き、気付けば暗くなり始めていた。
 それでも微動だにしない二人だったが、終わりは唐突に訪れる。

「――――お前ら、何してるんだ?」

 凛とした空気が堰を切って時間が流れ始める。
 空気を壊したのは誰でも無い、二人の想い人だった。

「紫苑?」
「紫苑お兄さん?」

 紙袋片手に傘を差している紫苑、彼は今の状況がまったく把握出来ずに居た。
 どうして神社で二人がメンチを切り合っているのか。

「(あ、殺し合ってた? じゃあアレだ、両方共倒れ希望。どっちも死んでくれ。
ああでも……アリス死ねばアパートがなぁ……便利な人形も無くなるし……。
うーん、じゃあ最低でもアイリーンが死んでくれるだけで良いかな?
あの時の復讐をされるかもしれない可能性は未だ消えて無いし)」

 狂っていようとも純粋な愛を向ける相手がコレなのだから泣けて来る。

「えっと、お兄さんはどうしてここに?」
「どうしてって……この神社さ、屋台出てるんだよ。祭りでも何でもないのにな」

 紫苑は子供の頃から幾度かこの神社に足を運んでいた。
 言うまでもなく信心があるわけではない。

「屋台?」

 アイリーンはキョトンと首を傾げる。
 何処を見渡しても屋台の影などないのにどう言うことかと。

「(コイツはコイツで相変わらず単語ばっかだな……まあ、今のは分かり易いけどさ)
ああ。神社の神主さんの親戚だったかな?
その人が毎日夕方からたこ焼きの屋台を開いてるんだよ。
何時もってわけじゃないが、偶に食べたくなってな。帰る前に寄ったんだよ」

 帰りが電車だったし、カス蛇も食べたいと言ったから丁度良かった。
 そう思って神社に寄ったのにコレだ。

「が、何でか屋台出て無いし二人は睨み合ってるし……どう言う状況なんだ?
(邪魔だから出てけ! って言われても今回だけは従うよ? どうぞ殺し合いを続けて)」

 折角神社に居るので紫苑は神に祈ってみたりもした。

「……」
「……」

 アリスとアイリーンは顔を見合わせて、気が抜けたように笑った。

「ううん、何でもない」
「そ。ちょっと二人でお勉強してただけだもん」
「(はぁ!? 何和解ムード流れてんだよ空気読め!)そうか……」

 空 気 読 め て な い の は お 前 だ よ。

「ところで、今日って地域一斉清掃だったよな?
濡れ具合からしてかなり長時間居たみたいだが……ひょっとしてサボったのか?」

 当然ながら二人は濡れ鼠だ。
 服が身体に張り付き、何とも艶かしい。
 アイリーンはストレートにエロいし、アリスは僅かな起伏が露になっていて別方向からエロい。
 それでも紫苑は欠片も反応しない。EDじゃないんだから少しは反応しろよ。

「むむむ……」
「何がむむむ、よ。うん、ごめんなさい紫苑お兄さん。時間が経つのを忘れちゃって……」

 サボったこと自体に罪悪感は無い。
 紫苑にバレてしまったことで朝の言葉の裏切りが露見したことが申し訳無いのだ。
 襲うなら放課後にすれば良かったと今更ながらに後悔していた。

「しょうがないな……明日、先生に謝ろう。俺も一緒に謝るから……良いな?」

 些細な恩を売っておこうと言うこのセコさよ。

「うん」
「はぁい!」
「とりあえず今日は帰ろう。アイリーン、送ってくから傘に入れ。アリスも良いな?」
「紫苑お兄さんがそう言うなら付き合うわ」
「(え? お前は傘買って帰れよ)」

 じゃあ"アリスも良いな?"とか確認するなよ。
 不満を抱きつつも紫苑は二人を傘に入れて歩き出そうとするが、

「あ、ちょっと待ってお兄さん」

 アリスに止められてしまう。
 彼女はよじよじと紫苑の身体を昇って彼と自分の顔の位置を合わせる。
 アイリーンはアリスが何をするかを悟って自分も更に近付く。

「な、何だ?(おいおいずぶ濡れで気持ち悪いんですけどー? マジ勘弁なんですけどー)」

 それには答えず二人は紫苑の頬に唇を落とした。

「(ギャァアアアアアアアアアアアアアアア! ちょ、おま……洗顔剤切れてんだぞ今!)」

 ド失礼な感想である。

「ねえ紫苑お兄さん――――私、もっと好きになるね」
「……アリスには、負けない。私も、好きになる」

 トキメキ必至の言葉と笑顔だったが、

「(洗顔剤のセールやってるドラッグストアちょっと遠いんだよなぁ……)」

 紫苑は洗顔剤のことしか頭になかった。
+注意+
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