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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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朝だよ、おにいちゃん☆

『朝だよ、おにいちゃん☆』
「……殺すぞカス蛇」

 精神的苦痛を催す声で目を覚ます、気分は最悪だった。
 昨日良い雰囲気のままアリスと別れた紫苑は家に戻ると生還パーティと称して一人、小さな贅沢を楽しんだ。
 レンタルした映画を鑑賞しながらデリバリーで頼んだピザや寿司をつまむささやかな宴。
 その宴の後であるゴミ、ゴミ、ゴミが眼前に広がっている。
 先ほどのカス蛇のモーニングコールと合わせて最悪のダブルパンチだった。

「つーかお前は何処でそんなん覚えるんだっつの」
『あん? そりゃお前……何処だ?』

 無論のこと、紫苑はそんなサブカルチャーにお金は使わない。だって勿体無いから。
 強いて言うなら映画やドラマなどをレンタルするが、それにしたってアニメとは無縁のものばかりだ。
 カス蛇の知識は一体何処から来ているのだろうか?

「知らねーよ。お前マジでいい加減に……ああ良いや、文句言うのも怠るい」

 時刻は六時半、学校に行くにはまだ早い時間帯だが丁度良かった。
 昨夜は結局風呂にも入らずにリビングで寝てしまったのだ。
 部屋着を脱いだ紫苑はそのまま風呂場に行き蛇口を捻る。

「ところでカスよ。マジな話、どうだ? 何か思い出したりしたのか?」

 わしゃわしゃと頭を洗いながら問いかける。
 自分に害を成さないとは感覚的に理解している、
けれど人語を解する知能の高いモンスターの存在がやっぱり気になるのだ。
 今まで散々スルーして来たじゃねえかと思うかもしれないが、そこはそれ。
 今回知能の高いモンスターが居るダンジョンから一攫千金の可能性を知った以上は捨て置けない。
 何か役に立つ情報がないか知りたくて知りたくてしょうがないのだ。

『ぼんやり生きて来たからなぁ……時間の流れすらも曖昧なまま……マジで分かんねえ』
「チッ、役に立たない爬虫類だぜ」
『ひっでえ言い草なのなお前』
「酷くて結構コケコッコー……ってな。なあ、自分の住んでた場所とかについても分からないのか?」

 あの荒れ果てた大地、何かありそうな雰囲気も特にはなかったが……念には念を。
 もしあそこに何か金になりそうなものがあったのならば是非知っておきたいのが人情だ。

『んー……何かあったような気もするが……大昔のことのような気もするんだよなぁ……』
「ガチで役に立たんなオイ。つか、そもそもお前ら何なんだ――ってのも聞いたって無駄か」

 孔がどうして開いたのか、中にあるダンジョンは具体的に何処にあるのか、
モンスターや人知を超えた資源は一体何なのか、人間は驚くほどにものを知らない。
 分かっているのはダンジョンは地球上には無いと言うこと、
孔はダンジョンがある別の次元への道であると言うことぐらいだ。
 その別の次元と言うのも暫定的な表現でしかなく、正確なことは何一つ分かっていない。
 それでも問題なく世界が回っているので別に問題はないのだろうが……

『自分が何なのか、じゃあ人間おまえらは説明出来るんかよ?』
「はは、そりゃ無理だ。人類のルーツは今を以ってしても明らかになっちゃいないからな」

 飛びっきりに熱いお湯で全身を流して蛇口を閉める。
 どうでも良いこだわりだが紫苑は最後に身体を流す際に温度を一気に上げるのだ。

「朝飯は……お、昨日のピザが半分くらい残ってらぁ」

 前衛の人間に比べれば劣るが、紫苑も人並み以上に食べる。
 だから昨日はLLサイズのピザを二枚頼んだのだが、
ピザだけならまだしも寿司やカツ丼まで頼んだので流石に食べ切れなかった。

『俺様、フレンチトーストと言うものに興味があるんだが?』
「……そのうち食わせてやる。今回はピザで我慢しとけピザで」

 一月ほどとは言え一緒に過すうちに情が沸いた――――わけではない。
 今までお荷物にしか感じていなかったカス蛇、
もしかしたらそれは金の卵であるかもしれないと思い始めたからだ。
 ゆえに多少のワガママは聞いてやる方が良いと判断したのだ。

「流石に冷めてるがオーブンで焼けば十分だろ」

 トースターにピザをぶちこんだ紫苑は焼きあがるまでの間に登校準備を整える。
 ようやく人間同士の胃がキリキリする戦いが終わったのだ。
 何時特殊なダンジョンを探索することになるかは分からないが、当面は平常授業のはず。
 そう思うと学校に行くのが楽しみで楽しみでしょうがなかった。

『おい、ピアス忘れてるぞ』
「ん……サンキュ。寝る前に外してるとついつい忘れるんだよなぁ」

 そのままのんべんだらりと朝食を摂ってぼんやり天井を眺めていたら、あっという間に一時間。
 今日も一日頑張って学業に励もう! とアパートを出ようとしたら……

「大家さん……?」

 玄関前で掃き掃除をしている老婆、
それはこのアパートの大家だがこんな時間に見たのは初めてだった。

「まあまあ、おはようね紫苑ちゃん。今から学校かい?」
「はい。ところで、どうしたんです? こんな時間に……(まあ爺婆の朝は早いらしいけどさ)」

 大家はこのアパートに住んでいるわけではない。
 紫苑の記憶では別の場所にある一軒家に住んでいたはずだ。
 たまに掃除をしに来たりはするが……それでも大体午後が多い。

「そのうち管理会社の方から連絡いくと思うけどね。私、ここを譲り渡すのよ」
「それはまた……初耳です」
「でしょうね。昨日決まったばっかりなのよ」
「はぁ、それは寂しくなります(家賃値上げとかなんないよなぁ……なったら最悪だ)」

 お前もう十分に高給取りだろうが。

「ありがとうね。私もそう思ってこんな時間から来たのよ」

 登校、出勤などで通る住人に挨拶がしたかったのだろう。

「今までお疲れ様です。とは言っても家は近所だし今生の別れと言うわけではないですよね」

 今生の別れであったとしても紫苑からすれば全く問題なしだ。

「そうでもないのよ。これを機にちょっと静かなところに引っ越そうと思ってねえ」
「大阪を離れるので?」
「ええ、まとまったお金も手に入ったし……田舎に終の棲家を建てようと思ってるの」
「そうですか……(ケッ、老い先短い婆が金持ってたってしゃあねえだろうが)」

 金の使い方も分かっていないようなガキの懐にあるのも同じようなものである。

「とりあえずブラブラと旅行でもしながら住む場所を決めるつもり」
「はは、それは良いですね」
「でしょう?」

 何時までもここで世間話に興じているわけにもいかない。
 紫苑はテキトーに話を切り上げて学校へ向かう。
 頭の中は家賃がどうなるか、それのみだ。

「む、紫苑かおはよう」

 下駄箱で出くわしたルドルフの目元にはうっすらと隈が浮かんでいた。

「おはようルドルフ」
「卿は昨日、眠れたか? 私は駄目だった。どうにも血が滾ってなぁ」

 くつくつと喉を鳴らすルドルフ。
 ヤクザから聞かされた話で益々気合が入ったのだろう。
 純粋に己を高めるチャンスに巡り合えたのだ、求道者としては高揚を抑えきれないのも無理からぬこと。
 まあ、その熱さが紫苑にとっては鬱陶しいだけなのだが。

「何時からかは分からんが、私は今日からでも構わないくらいだ」
「それは流石に無いだろう。何せ準備も何も整っていないんだから」

 主語を抜かしているのは機密保持のためだ。
 そこら辺の配慮は幾ら浮かれていようともしっかりしている。

「多分、学校か――もっと上から支度金か、あるいは現物支給の話も出るはずだ(と言うか出せ)」

 適正ありと見込まれた以上、バックアップがあってもおかしくはない。
 リターンを考えるなら無い方がおかしい。
 もし無かったのならばそれはギルド日本支部の能力を疑ってしまう。

「ありがたいことだな。これを機に私も防具を誂えようかな?」
「俺もインナーは買い揃えようと思っている」

 鎧のようなものを着るのは前衛だけで十分、
後衛はむしろ身軽な方が良いというのが紫苑の持論だ。

「うむ、それで良い。下手に着込まれると私達を信用していないのかと思ってしまうからな」

 冗談めかして笑うルドルフだが、

「(はは、信用してるわけないじゃんバーカ)大丈夫、うちの前衛は無敵だよ」

 こっちは冗談抜きに信用していない。

「持ち上げてくれるな。プレッシャーになったらどうしてくれる?」
「何、それすら良い方向に働かせられるだけのメンタルはあるだろうよ」
「やれやれ……うちのリーダーは随分と厳しい男だ。そこまで言われたら応えるしかあるまいて」
「フッ……期待しているよ」

 ともすれば気障ったらしいと受け取られかねないやり取りだが、
そこはそれ――――二人とも美男と評するべき男達だ、とても絵になっている。
 まあ、一人は中身が伴っていないが傍から見ている人間には知れようはずもない。
 男二人のやり取りに女子達はキャッキャと騒いでいる。

「だが支度金が出ると言うなら、魔道書も買い換えるかなぁ……」
「む、卿には槍があるだろう?」
「ああ……だが予備として魔道書も常に持ち歩いているからな」

 戦いの際は媒介としての質が良い槍を使っているが――ぶっちゃけ嵩張る。
 沢山金が出るなら媒介として同ランクの魔道書を買ったほうがよっぽど良いだろう。

「それに、ある種の転機かもしれない。まだ一月も経っていないが……状況は目まぐるしく変わっている」

 良いものだから、加えて演出のために黒田の槍を使っていたが、
やっぱり遺品と言うものはどうにも運気が下がるような気がしてならない。

「武器としても一級品だ。ルドルフになら譲っても良いのかもしれない。遺族の方も納得してくれるだろう」

 別名厄介払いである。

「確かにアレは良いものだし、私ならばと信じて託してくれるのも嬉しいが……」
「が?」

 教室に着いた二人は話を続けながらも一時限目の準備を整え始める。
 何のかんの言っても優等生二人、ここらは抜かりない。

「あの槍は卿を選んでいる。何故だかそう言う気がするのだ。受け取れんよ」
「(槍が選ぶぅ? まぁた電波なこと言ってるよコイツ)そうか」

 仮にだが槍にも意思と言うものがあるなら明らかに自分を選んではいないと紫苑は断言出来る。
 柄から槍頭までが黄金で構成された槍は、
黒田が担い手の時は眩く光っていたのに紫苑が担い手となってからはまったく光らないのだ。
 黄金が金メッキに成り果てたかのような変貌はガッカリどころの話ではない。
 いやまあ、ある意味紫苑にはピッタリなのだが。

「ああ。それに、自分の得物は自分で見出すに限る」
「(タダで貰えるんならそれで良いと思うがねえ)なら、そう言う期待もあるわけか」
「うむ。絵空事の発見よりも槍に使えそうな良い金属が見つかる方が私としては嬉しい」

 それを使って槍を一本仕立てる、
不老不死や万能薬などの発見よりもルドルフにとってはそちらの方が楽しみのようだ。

「まあそれはそれとしてだ。授業までは時間がある――――少し遊ばないか?」

 そう言って懐から取り出したのは――――花札だった。

「花札? 何でまたそんなものを……」
「いや、昨日祖父に貰ってな。美麗な絵柄が実に素晴らしいと思わんか?」
「確かに風情があるとは思うが……しかし、やけに年季の入った代物だな」

 金の臭いに敏感な鼻は、即座にルドルフの持つ花札の価値に気付く。

「ああ、最古の手摺りだとかどうとか言っていたな。それよりこいこいのルールは分かるな?」
「(つーかやるの決定かよ)まあ、多少は」

 多少なんて謙遜しちゃいるが、自信アリアリだったりする。

「ならば始めるとしよう。負けた方はジュース一本でどうだ?」
「どうせならパンもつけよう。カツサンドとミックスサンドでどうだ?」
「よかろう! ならば一勝負といこうではないか!!」

 こう言う具合で始業までの間勝負に興じる紫苑だったが……そこはそれ、日頃の行いか。
 初心者であるはずのルドルフに勝ち切れない。
 堅実に稼いでいく紫苑をあざ笑うかのようにルドルフが大きな手を出すのだ。
 何戦かやったが結局、終わる頃には勝ち数がイーブンで賭けはお流れになってしまった。

「えー、今日から一週間は交通安全週間と言うことで皆、何時も以上に気を付けて欲しい」

 HRでの連絡なのだが……それは果たして冒険者に必要なのだろうか?
 トラックに轢かれても死なないような連中だし、
そもそも前衛の人間ならトラックが迫って来ても余裕で回避出来る。

「それと購買に入荷して欲しい商品のリクエストが始まったので、希望がある者は目安箱に投下してくれ」

 その後もつらつらと些細な連絡事項が続き、HRが終わった。
 このまま一時限目が始まるまで10分ほどの短い休み時間に入るかと思われたのだが、

「春風くん達は少しこっちに来てくれたまえ」

 紫苑達だけが呼び出されてしまう。

「センセ、一時限目小テストなんやけど……」
「君らは免除だ。これから一週間、特別授業を受けてもらう」
「特別授業ねえ……それは例のことに関係して?」

 天魔の予測はずばり当たっていた……まあ、空気を読めば当たらないわけがない。

「そうだ。一週間の特別授業を終えた翌日、君達は実際にあそこへ行ってもらう」
「(準備期間短くない? ああいや、まずは空気を感じる意味でってことか)成るほど。で、特別授業とは?」
「早い話が一線で活躍している冒険者に各自鍛えてもらえ、と言うことだな。ギルドから指導員が来ている」

 個人のスキルアップを目的とした特別授業、それ自体に異論はないが……

「あの、先生。俺達後衛は鍛えてどうにかなるものではないんですが……」
「やねえ。後衛の――それも回復やら強化って先天的な資質から変わらんしな」

 これが攻撃的な魔法を使う後衛などなら、話は少し違う。
 幾らか攻撃の威力が上がったりもするのだが回復や強化はそうもいかない。
 何故なのかはイマイチ分かっていないがそれら二つは、
装備によるブーストでもなければ回復量が増加したり強化の質が上がったりはしないのだ。
 紫苑自身そう言うものだと納得はしているし、頑張らなくても良いので別に気にしていないが。

「うむ。後衛二人には更に特別な授業をやってもらう」

 何とも嫌な響きだった。感じる不吉は何処からやって来るのだろう?
 紫苑は我知らず拳を強く握り締めていた。

「とりあえず前衛三人は職員室に行って詳しい説明を聞いてくれ。後衛二人は私に着いてくるように」

 特別授業を受けたくはないが、拒否する勇気も権利も無い。
 紫苑は渋々とヤクザの背を追う。
 心持ち楽しそうにしている麻衣を少し見習え。

「図書室? お勉強でもするんですか?」

 やって来たのは始業前で人気の無い図書室、

「違う、こっちだ」

 ではなくて図書室の奥にある司書室だった。
 本来ここに詰めているはずの司書はおらずテーブルの上には分厚い資料が鎮座している。

「さあ、かけたまえ」

 言われるがままに二人は着席する。
 紫苑は目の前にある資料から感じる不吉さに吐き気を催していた。

「防音は完璧。外からこの部屋の様子は窺えないから安心してくれ」
「はぁ……」
「諸君らは高度な知性を持ったモンスターと相対することになるわけだ」
「はぁ、そらそう聞いてますけど……」
「しかし、人間並みの知性を所有していようとも埋め難い種族の差がある」

 つまり、人間の常識を過信するわけにはいかないわけだ。
 勿論役立たずと言うこともないだろうが……それでも絶対ではない。

「だが生憎と高度な知能を有する人間以外の生物の思考を知る手段はない」
「正論ですね。では、どうすると言うのです?(迂遠な言い回しだなぁ……ウゼエ)」

 尚、自分が迂遠な言い回しをする分には問題ない模様。
 心に棚を作るのがお上手ですわ。

「ゆえに次善策。人間でありながら人間には理解し難い思考を持つ者らについての資料を集めた」
「!」
「え? 何やの? よう分からんのやけど……」
「ふふふ、春風くんは気付いたようだな。答え合わせといこうじゃないか」

 目で答えを促すヤクザ、
紫苑は出来れば外れていてくれと思いながら恐る恐る口を開く。

「……サイコパス、人類史に残る精神疾患を持った凶悪犯罪者の資料ですか? これは」

 コンコン、と軽く目の前の資料を叩く。

「その通りだ。人間の形をしたモンスターと言っても過言ではない彼らについて余すことなく記載されている。
人類史に残るような人物から、社会的影響を危惧して闇に伏せられた者達、
各国の協力の下に作られた資料だ。諸君らはこれに目を通して――――考えて欲しい」

 紫苑と麻衣の顔が真っ青になる。しかし、それも無理からぬこと。
 何せ人間の闇に踏み込めと言われているのだから。

「……先生、一つ質問が(グェエエエエエエ! こんなん普通に授業受けてた方がマシだろ!?)」

 朝の爽やかな空気がバイオレンスとグロティックに塗り潰されようとしている。
 そんなのはNO THANKYOU! とばかりに紫苑が胃を挟む。

「許可しよう。何だね?」
「そもそもそう言う人種に対して、理解しようと言うのが間違いでは?
独特の価値観に基づいての行動である以上、そこから何か見出せるとは思わないのですが……」

 正論だろう、だが――――ヤクザは別に理解など求めていないのだ。

「それはその通り。だが私は理解しろなどとは言っていない。
良いかね? 理解した気になるのが一番危険なのだ。必要なのは危機感。
異常に対する甘い認識を消し去るのが肝要だ。件のダンジョンで出て来るモンスター……
どんなものかは分からない。分かっているのは高度な知性があると言うこと。
そんな者らと相対する以上、少しの気の緩みが死神に顔を変える。
だからこそ知るべきなのだ。同じ人間であろうとも理解出来ない異常があることを」

 ぐうの音も出ない正論だが、教育者としてそれはアリなのだろうか?

「君らはこれら総てに目を通し、その上で考えるのだ。
攻略法ではないぞ? ただ、自分がどんな心構えで居るべきか。
深淵を覗くことで見える何かを君らには掴んで欲しい」

 ドン引きしながらも麻衣は恐る恐る手を挙げて発言の許可を求める。
 ヤクザは目で許可を与えて発言を促す。

「そ、そらまあ……その、うちのパーティの頭脳である紫苑くんには必要やろうけど……」
「(はぁ!? 何仲間売ってんだビッチが!!)」
「う、うちまで見る必要あります?

 ルドルフも、栞も、天魔も、それが紫苑の指示ならば確実に完遂するだろう。
 だからこそ指揮官である紫苑にはこれらが必要かもしれない。
 だが自分は? 回復するだけの自分が何故この場に? 麻衣にはそれが疑問だった。

「無論だ。何時までも春風くんにおんぶに抱っこでは情けないだろう?
前衛の彼らはそれでも良いが、同じ後衛で常に傍に居る桝谷くんには必要なことだ。
春風くんとて無謬ではない、間違うし弱さを見せる時もある。
それを一番近くで正せるのは君だ。一人より二人、単純な論法ではないか」

 間違いだらけの紫苑を正せる人間などこの世には存在しない。

「それに、一人でこんなものを見続けろと言うのも酷な話だ。
加えて一人ならばそこで終わりになってしまう。しかし、二人居れば話し合える。
話し合うことで見えることも多いはずだ。だからこそ君もここに呼んだのだ」

 ヤクザの言葉で麻衣の顔に浮かんでいた怯えが薄れ、
代わりに神妙な面持ちで何ごとかを考え始めた。

「……確かに、そうですね。アリスちゃんのこともそうやけど、顔の見えない暗殺者。
あのことでもうちら随分と紫苑くんにだけ気を揉ませたみたいやし……うん、確かに必要かも」

 理を以って説かれ、頭と心でそれが正しいと受け容れた。
 であればもう迷う必要は無い。
 元々桝谷麻衣と言う少女もAクラスに居るだけあって向上が高いのだ。

「分かりました。うちも勉強させてもらいます」
「(何言ってんだコイツ? 正気かよ……むしろ瘴気だ。引くわぁ……
そんなにサイコパスの愉快なメモリーを見たいの? 人間性歪んでるよコイツ)」

 改めて頭を下げる彼女の顔には確かな決意が宿っていた。
 ドン引きしている紫苑は少しそれを見習うべきだ。

「よろしい。では、私は授業があるので戻るが……二人は一日ここで勉強してくれたまえ」
「……分かりました(見るフリして見ない……とか無理かなぁ?)」
「うむ。休憩時間は各自で判断して取るように。流石に……精神的疲労も重くなるだろうしな」

 通常授業に合わせて休みを取っていたらパンクするだろうとの配慮だ。
 厳しいことを言うだけ言った後で優しさを見せるとかまんまヤクザの手口である。

「……どうする、麻衣」
「……かっこつけたけど、正直キツイよね。内容もそうやけど量が半端ない」

 聳え立つ狂気の塔を前に怯む二人。
 決意はあれども、何処からどう手をつけたものか分からないのだ。

「……人間って、凄い犯罪を犯して来たんだな」
「……うん、正直これ全部読み終えたら人間不信になりそうやわ」
「……そうだな。だが、やるしかあるまい」

 お前は元から人間を信じていないだろうが。

「よっしゃ! ほなら始めよか!!」

 麻衣の号令でファイルを手に取り目を通し始める。
 内容は口に出すのも憚られるようなものばかり。

"人間? それは俺にとってなんでもなかった、ただの白紙だった"
"もしも真実と空想が入り混じっていたら、真実が何かなんて誰にも分からない"
"愚者は喋り、賢者は聞くという。言わぬが花だ"
"犯罪に理由は必要なのか?"

 犯罪者達が語った言葉なども余すことなく羅列されており、見ているだけで気が狂いそうになる。
 元から人間を軽視して自分至上を掲げている紫苑ですら不愉快なのに、
一般人の感性を持ち善人に属する麻衣は気の毒なくらいに顔を青褪めさせていた。
 それでも無言のまま二人は資料を読み進めていく。

"怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ"――――そうニーチェは言った。
 おぞましいと思いながらも手が止められないのは深淵に魅入られたからか……

「あ……もうこんな時間やわ」
「ッ――ふぅ、今日は終わりにしようか」
「うん。何も食べんとぶっ通しやったからね……」
「続きは明日にして、帰ろう」
「せやね」

 食事を摂るのも忘れて資料を読み耽っていたら気付けば日が暮れていた。
 黄昏の朱が酷く不愉快に思えてしまうのは禁忌に触れていたからだろうか?
 珍しいことに紫苑は本気で落ち込んでいた。
 と言っても人間に絶望したとかそう言うのではなく、単純にグロいものを見たからである。
 写真なども懇切丁寧に貼り付けられているのだから堪ったものではない。

「(はぁ……最悪の気分だ……)」
『俺様、今日の晩飯は肉が良いんだが』
「(馬鹿なの? 死ぬの?)」

 麻衣と別れた紫苑はとぼとぼと家路に着いていた。
 夢にまで出て来そうなグロ写真のフルコースにより、彼の精神は酷く消耗しているようだ。

『ちょっとしたスネークジョークじゃねえか。で、どうよ?』
「(どう、とは?)」
『同族があそこまで醜く堕ちれるんだ。人間に対して思うところはねえの?』
「(あるわきゃねえだろ。と言うか綺麗な人間なんてこの世の何処にもいやしないよ)」

 紫苑自身も薄汚い人間の一人だ。
 まあ、世紀の犯罪者のように闇の黒ではなく一言で言うなら小汚い浮浪者的な汚れ方だが。

「(自分のため自分のため自分のため。我が身が可愛くてしょうがない。
奪い、殺し、侵し、そうやって歴史を積み重ねて来た。
やりたいことをやりたいようにやって、良い思い以外はしたくない。
それで誰が迷惑を被ろうとも鼻で笑える癖に逆の立場になるとぎゃーぎゃー喚く。
そんな人間の何処が綺麗なんだっつの。元から皆醜いんだよ。
あの資料の奴らは化粧が下手――と言うかしたくないだけ。
他の奴らは皆分厚い化粧で汚い自分の性を覆い隠してる)」

 それはひょっとして自己紹介なのだろうか?

『ふぅん……それで今日の晩飯は?』
「(聞いといて良い度胸だなカス蛇ぃいいいいいい!)」

 ぎゃーぎゃーと漫才をしながら帰宅した紫苑。
 制服をハンガーにかけ部屋着に着替え、さあ一息つこうとしたその時だった。

「な、何だ!?」

 轟音と共にリビングの壁が崩れたのだ。
 隣に入居者は居ないはずなのだが……

「む、おかえり」
「……る、ルーク?」

 リビングの壁に開いた大穴から顔を出したのは長崎に居るはずのルークだった。
 どうやら隣の部屋から壁を壊したのは彼らしい。

「少し待っていろ。御主人、御主人!!」

 思考停止している紫苑を他所に事態は加速する。
 ルークに次いで壁の穴から出て来たのは……

「紫苑お兄さんおかえりなさい! あ、これ蕎麦ね蕎麦」
「……な、何故ここに? そして何故蕎麦?」

 天ざるセットを受け取りながら呻くように塔。

「え? そんなの決まってるじゃない――――私ここに引っ越して来たのよ」

 天ざるセットは引越し蕎麦だったで御座る。

「引越し……?(え? 嘘、エイプリルフール? もうとっくに過ぎてるよ!?)」
「うん。このアパート買い取ったから近々大家さんにもなるわ。これからよろしくね♪」

 ギュっと紫苑に抱き付くアリス。
 突然の展開に紫苑は思考が追いつかない、それでも分かることがあるとすれば……

「(あ、悪夢だ……初夏の夜の悪い夢だ……)」

 アリスが引っ越して来たと言う事実は昼間に見たどんなグロ写真よりも紫苑の心を抉ったそうな。
+注意+
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