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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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殺させろよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!

 その日は朝から憂鬱だった。
 GWが終わった初日、休み明けと言うのは誰だって怠るいものが桁が違う。
 授業は免除になるが代わりに嫌なことをしなければいけない。
 前日に聞いていた大阪ドームに朝九時に向かえば憎悪すべき敵手は既に自分達を待っていた。
 だだっぴろい大阪ドームの中央で下僕を従えて……

「(ああ欝だ……)」

 自然と野球を始める前の挨拶をするような感じで両陣営は向かい合う。
 時は待たない、時間よ止まれと祈れども祈れども時計の針は止められない。
 物理的に止めることは可能じゃね? などと言う無粋なツッコミはご勘弁を。

「(時よ止まれ時よ止まれ時よ止まれ時よ止まれ時よ止まれ時よ止まれ時よ止まれ)」

 さて、ここで一人時よ止まれと祈っている男が居るがコイツの祈りも当然届かない。
 観客の居ない大阪ドームの中央で堂々と胸を張って、
アリスとメンチを切り合っているように見えるが内心ではもう限界寸前だった。
 このまま時間を止めて、そして時の止まった世界で遠くへ逃げさせてと本気で現実逃避をしている。
 自分以外の時間が止まってしまえば恥をかかないで済むからな!

「やれと言われているから、そしてやった先にあるものが見たいから槍を振るっているが……
私はな、正直なところこの槍で人を傷付けたくはないのだよ。この槍は人外を貫く槍だからな」
「あらお兄さん、ことここに至って命乞いかしら? ふふ、情けなぁい」

 この合法ロリは紫苑をディスっているのだろうか?

「生憎と、そんな臆病者はうちのパーティにはいませんよ」
「せやで。勇気凛々胸いっぱい、今日も精一杯頑張ります! ってやる気に満ち溢れた子ばっかりや」

 味方からの熱い死体蹴りに思わず眩暈を覚えてしまった紫苑。
 勇気もやる気も欠片も無いコイツにはキツ過ぎる言葉だった。

「ルドルフくんが言ってることは実にシンプルなことさ。とっとと茶番を終わらせたいってことだよ。
先にあるものを見たければ勝つしかない――――つまりはとっとと君らを片付けるってことだ」

 お忘れではないだろうか? もう一組パーティが居ることを。
 今日戦っているのは四組で勝者は二組生まれるのだ。
 よっぽどのことが無い限りはもう一戦確定している。
 しかもあちらで勝者となるであろうパーティは顔の見えない暗殺者が率いるパーティだと紫苑は睨んでいる。
 そしてそいつと相対すれば自分はもう限界を振り切れるだろうとも。

「(嗚呼……何だかとっても穏やかな気分になって来た。ゴールが近いからかしら?)」

 かつてないほどに穏やかと言う名の諦めの境地に達した紫苑。
 思わず気持ち悪いカマ口調になるくらい消耗している。

『うぉおおおい!? 待て待て紫苑! 頑張れよもうちょっと! 俺様まだ終わりたくねえぞ!?』

 Aクラスに入って優秀な奴らを扱き使って小金を稼ぎたかった、
ただそれだけのささやかな望みすら叶わない世界の不条理。
 紫苑は今、自分の不幸に酔っていた……勿論自業自得などとは欠片も思っていない。

「(何かもう色々嫌になって来た……最後だし、好き勝手しようかなぁ……)」
『だから聞けって!』
「(うるせえ! 何かもうしんどいんだよ! いい加減黙らねえと泣くぞ俺!?)」
『いやだから――――』
「(嗚呼、どうして俺がこんな目に……)」

 そう思うと、途端に憎悪が巻き起こって来た。
 ストレスの原因であるパーティメンバーもそうだがそれ以上にアリス。
 あの日生徒指導室で手紙を読んだ時から紫苑はロクに寝ていない――不安で不安でしょうがないから。
 おかげで心身共にボロボロ、何で自分がこんな目に――――

「(お前のせいくわぁぁあああああああああああああああああああああ!!!)」

 とんだ八つ当たりである。

「紫苑お兄さんは黙ったままね。何も無いのかしら? それとも怖い?」
「――――恐れているのはどちらだろうな」

 皮肉げに吊り上げられた唇、言うまでもなく嘲笑だ。
 今のコイツは一種の覚醒状態と言って良い。
 まあ、別の言い方をすれば自棄っぱちも言えるのだが。

「大言は身を滅ぼすわよ?」

 滅ぼしかけているのが目の前に居るから気付いてあげて!

「歩み寄るだけ歩み寄った、ならば今の俺に出来ることは何だろうか?」

 アリスの言葉を無視して謳う。
 彼女の苦しそうな顔を見ているだけで愉快な気分になって来る。
 嗚呼、これなら気持ち良く舌を回せそうだと、紫苑は更に笑みを深くした。

「――――敵として本気で向かい合うことだけだ」

 どうせ手を伸ばすことはしないだろう、だって性格悪そうだし?
 だったらもう殺しちゃって良いよね? 殺すっきゃないよね?
 救われないなら終わらせる(笑)、それが最上の選択肢で見栄えも良い。
 それに加えて黄泉への道連れも増やせるのだ。文句なしの答えだろう。

「(顔の見えない方は遊びの無いキチガ●だ。そしてそんな奴に勝てるとは思えない。
十中八九死ぬんだったらもう好き勝手してやる。まずはこのクソガキだ。
俺の首を切ったり背中刺したり不眠の原因になったりと……疫病神め!
お前みたいなのが居るから俺は辛い思いをするんだ!
まずはお前を殺して黄泉に送ってやる。俺も直に行くから先に待ってろクソが!)」

 非情の策を打つ時であろうとも、殺気などとは無縁の紫苑。
 だからこそ今この場でこれほどまでに鬼気を放つ彼を見るのは初めてだった。
 鬼気はイコール決意の重さ。
 目の下の隈や憔悴した様子はずっと悩んでいたからだと仲間達は受け取った。
 真実はビビって眠れなかったのと先を見たせいで自棄になっているだけなのだが。

「アリス、僕は君が羨ましいよ。ここまで想ってもらえるなんてね」

 だからこそ、

「――――気に入らない、赦せない」

 天魔はアリスの顔面目掛けて思いっきり拳を振りかぶり――――戦端が開かれた。
 アリスを守っていた三つの甲冑が一斉に天魔に刃を向ける。

「この鎧は私が引き受けます!」

 糸で絡め取った三つの甲冑を力任せに放り投げて天魔の周囲から除く。

「ならば私がルークの相手を仕るとしようかァ!!」

 アリスの背後に控えていたルーク目掛けてルドルフが突進、
その勢いのままにドーム端の壁に激突。

「あら、浅薄ねえ天魔お姉さん。従僕を除けば何とかなると思った?」
「思ってないよ。多分君はどのポジションでもやれる人間だろうからな」

 顔面に触れる寸前でアリスは拳を受け止めている。
 前衛顔負けの握力が義肢を軋ませる、このまま続けば二分ほどで義肢は砕け散るだろう。
 ゆえに、

「その綺麗な面ァ――――穴だらけにしてやる」

 義肢マシンガンの登場である。
 幸いにも掴まれたのは手首、拳を解いて指を真っ直ぐ向けて至近距離から弾丸を放つ。

「欠伸が出そうだわ。子守唄でも聞いているみたい」

 即座に手を離して弾丸を回避するアリス。
 ゆらゆら、ふわふわと弾丸を縫うようにして背後に距離を取るその姿は気味が悪い。

「はは、発砲音が子守唄だって? どんな音感してるんだい? 君って音痴なんだね」

 これはあくまでほんの挨拶程度、始まりはここから。

「僕の王子様、どうか僕に命令をおくれ」
「ああ、良いとも俺の騎士よ。オーダーは一つ、余すことなく全力を出し切れ」
「殺しても?」
「俺は全力でやれと言った(これは殺人教唆に入るのだろうか?)」

 いやいや、この場で死んだのなら殺人罪には問われないはず、
とそこまで考えて紫苑は自分の考えを鼻で笑う。
 そもそも先を見ていないのだから好きにやって良いはずだと。
 もっとも、好きにやるとは言っても終わりは綺麗に飾りたいから最低限体面は整えるつもりだが。

「お前は間引くと言ったなアリス、その考えが変わらないなら仕方ない。
俺は世界の異物であるお前を間引こう。
伸ばした手を払い除けたのみならず、手を伸ばさないと言うならばそれで良い。
お前はそこで死んでゆけ。死の寸前に泣け、喚け、叫べ、俺に憎悪をぶつけろ」

 殺すと言う選択が已む無いことである、悩みぬいた末の答えである。
 そう見せかけるための虚言だ。そこに真実は一切無い。

「全部抱きとめてやる――――そうすれば、寂しくないだろう?」
「取らぬ狸の何とやらね。やれてもいないことを、出来もしないことを舌に乗せてはダメよ」

 だって滑稽でしょう? そう笑うアリスの顔には安らぎと嘲りと哀切が浮かんでいた。
 何とも複雑な心境を語る顔色だがそんなものを酌む気は一切無い。

「天魔、復唱は?」
「了解、僕の王子様。オーダー通りに全力を尽くそうじゃないか」
「(よしやれ、ぶっ殺せよキチガ●。容赦なんてものは一切必要無い)」

 強く地を蹴ってアリスに向かって走り出した天魔の背を見守る紫苑。
 彼は腕を組んで、口を真一文字に結び、眉を顰めている。
 悲壮な決意を演出するための小細工だ。

「嗚呼、何て――何て――――憎らしいのかしら?」

 スカートの両端をつまむと、中から沢山のトランプが地に落ちる。
 そのトランプからは足が生え、剣を持った手が生え、兵隊に変じた。

「さあ行きなさい私の従僕、黒ひげ危機一髪よ」

 アリスの号令と共にトランプ兵が浮かび上がり――――ミサイルの如く天魔に殺到。
 彼女は急所へ向かうトランプ兵だけを弾き飛ばして前に進む。
 小さな傷が刻まれていくが速度は一切落とさない。
 前進、前進、前進、全力前進あるのみ。
 背後で己を信じて待つ王子様に情けない姿は見せられないのだ。

「(かったるい……とっととアリスを血祭りにあげてくれよー……)」

 そうぼやきつつ視線をルドルフらに向ける。
 彼らはしっかり自分の役割を弁えていた。
 普通のパーティならば誰か一人を落としたところで大勢は決しない。
 しかし、アリスらは別。
 彼女のパーティはアリスと言う王女とその下僕で構成されている。
 であればことは単純、アリスを潰せば良いだけ。
 仲間が王女の首を獲れるように下僕を足止めするのが自分達の役目だ。
 勝つことではない、負けずに邪魔をさせないことが肝要。
 ルドルフも栞もそれを弁えた立ち振る舞いをしている。

「(ふわぁ……これ終わってすぐに向こうの勝者とは戦わんだろう。
だったらこれを機に金をパーっと使うのも悪くないかな? じゃんじゃん散財しよう)」

 そして麻衣もまた役割を弁えている。
 メインは天魔の回復、しかしルドルフと栞も忘れてはいない。
 二人が崩れるレベルの負傷、その兆候が見えたら即座に駆けつけるつもりだ。

「アリス、アリス。お馬鹿なアリス。君はものを知らないね」

 手足のついた自走式卵型爆弾を回避しながら語りかける。

「あら、いきなり人を馬鹿呼ばわりとは躾けがなっていないのね天魔お姉さん」
「淑女としての教育を受けていないものでね」
「それは可哀そうに。見てくれだけは整っているのに」
「ハハ、アリス、お馬鹿なアリス。鏡を見れば僕以外にも見てくれだけしか整っていない子が居るよ」

 震脚で踏み砕いたドームの地面が即席の目くらましとなる。
 アリスは障害物に身を隠して蹴りを放って来た天魔の懐に潜り込みその顔をはたく。
 可愛らしいビンタだが威力は可愛いなどと言うものではない。
 首に力を入れていなければ四回転ぐらいはしていただろう。

「何も知らない知ろうとしない。ほら、頭の中身が空っぽだ」
「だったら教えてちょうだいな。私が何を知らないのかを」

 飛び上がったアリスが天魔の胸を踏む、何度も踏む。
 都合六発ほどの踏みつけを胸に喰らった天魔だが軽く仰け反ったと思えばすぐ反撃に転じた。
 後ろに倒れるようにしてアリスの顔を蹴り上げたのだ。

「世に迎合出来ぬ背徳の性、孤独になるか、総てを捨てて世に溶けるか。
どちらにしろ待っているのはロクな結末じゃあない。総てがバッドエンドルートだ」

 しかし、その一見してバッドエンド以外が無いように見える道の中にも抜け道はある。
 それを見つけてしまえば問答無用でハッピーエンドになれるのだ。

「僕は性を捨てて溶ける道が嫌だった、でも孤独も嫌だった。独りは寂しいもの」

 わがままだろう、だが往々にして人間はわがままなのだ。
 だから泣き喚いた。泣けば何とかなると思っていないか?
 よく聞く説教の中にそんな文言がある、だが何とかなるのだ。
 泣き喚いた結果として救いの道が開かれた、無様ではあるが確かに開かれた。
 であれば泣いて喚いたことは無駄じゃない。

「そんなどうしようもないモヤモヤを一挙に解決出来るものがある」
「そんな都合の良いものは存在しないわ」
「いいや存在しているね」

 弾いたはずのトランプ兵が背後より迫るが問題はない。
 視線も向けずに天魔はそれらを後ろ回し蹴りで蹴散らす。

「――――恋をすれば良いのさ」

 背徳の性を抱えるがゆえに感じる言い知れぬ閉塞感などもそれで総て吹き飛ぶ。
 恋をすれば黒雲を裂いて日が現れ、光が差す。

「別に両想いになれなくたって良い。ただ人を好きになるだけで素敵な気分を味わえる。
それ以外のことが酷く瑣末だと思い始めて、暗い気分なんか吹き飛んじゃう。
命をチップにして遊んでたかつての自分は何処へやら。
自分の性を満たすよりも大事だと思える素敵な道――――それが恋さ」

 場違いなまでにロマンチックな天魔の言葉が大阪ドームに響き渡る。
 別段語気を強めていたわけでもないのに、それは皆に聞こえた。
 ルドルフや麻衣、栞はおろか、ルークまでもが目を丸くしている。

「あなた、何を言ってるの?」

 頬を引き攣らせたままアリスが問う。呆れているのか何なのか……
 どちらにしろ、天魔が口にした都合の良いものの正体に驚いてはいるようだ。

「極自然なことさ。いやいや、昔の人が言うことも馬鹿に出来たもんじゃないよね。
恋は人を、人生を変える――――陳腐だが真理だよ。いや、真理だから陳腐なのかな?
男も女も人を好きになる、求め合う。それはアダムとイブの頃より変わらない。
好きになるとさ、独りだった頃じゃ見えない景色が見えるようになって意識の変革が起こる。
そしてそれは何よりも素敵なこと。恋が出来ない、人が好きになれないような人間は――――死ねば良い」

 極論もここに極まれりだ。
 確かに人を好きになることは素晴らしいが、好きになれないなら死ね。
 自分以外を愛せないような人間なら死んだ方がマシ――恐ろしいと言わざるを得ない。
 そしてその論法で言うならば紫苑は真っ先に死ぬべき人間だ。

「(おいおいおいおいおいおいぃ? 一体コイツは何言ってんだ?
スイーツ(笑)とか言うレベルじゃないだろう。むしろスイーツ(殺)とかスイーツ(魔)じゃん。
と言うか……え? ちょっと待って。俺こんな危ない女に好かれてんの?
いやいや、今までも十分危なかったが何か更にヤバくなってないか?!)」

 勿論紫苑も大混乱だ。
 過激とかそんなレベルではない天魔の論理は普通におかしい。
 道理条理を踏み外して世から逸脱している。
 だが、それすらも彼女にとってはどうでも良いことなのだろう。
 その論理に照らし合わせるのならば恋をしたことで懊悩から解き放たれているのだから。
 悩むことはない、恋こそが至上、それ以外は瑣末なことでしかないと。

「分かるかい? 君はそれが出来ない。心の何処かで他者を欲していても……
こびり付いた差別意識と強者の論理がそれを赦さない。
人を好きになると言う道へ入ることを自分で阻害しているんだ。
だからあの日、君は紫苑くんの手を取らなかった。だったらもう――――死ねよ」

 別に紫苑を好きになれと言っているわけではない。
 そもそもそこは自由なのだから。だが、アリスは違う。
 言葉を交わし熱を感じて紫苑に心を揺らしたのだ、天魔にはそれが分かる。
 好きな人が出来たのにその手を払った、自分から。
 救いへ繋がる道を自分から塞いだ以上、残っているのはバッドエンドへの道。
 であればそこに行き着く前に殺してやるのがせめてもの慈悲だと天魔は考えている。
 ゆえにこそ"死ねよ"と言う言葉が出て来た。

「(色々アレだが俺にはもう先が見えないし……天魔が何だろうと良いや。
とりあえず目下の目的、俺に辛い思いをさせたアリスを殺せるなら何だって良いさ)

 天魔が殺すと言うのならそれで良い、
アリスが死んだ後で静かに涙でも流してやれば絵になって綺麗に終われる。
 紫苑にとってはその程度のことでしかない。

「狂人の論理ね」
「好きになるのと狂うのは大差ないからね」
「おめでたい頭だわ」
「ありがとう、褒め言葉だよ。ってかさ、狂人と言うのなら君もそうだろうが」

 さていよいよ埒が明かなくなって来た。
 小手先で攻めていたならばアリスと言う女王は落とせない。
 何せ相手は前衛だか後衛だかの区別もつかないような技ばかりを使う女。
 防御や回避と言った守りの姿勢を捨てねば攻め切れない。

「天魔ちゃん、回復は?」
「要らない。集中力を乱したくないからこれで良い。それよりルドルフくんらを御願いするよ」

 振り返ることもなくそう告げて天魔は駆け出した。
 迎撃として放たれたトランプ兵や自走式卵型爆弾は回避すらしない。
 決して軽くはない傷が刻まれるものの、無視すれば問題なし。
 最短距離で駆け抜けてアリスを攻撃することが最優先、それ以外は思考の必要すらない。

「猪女め!」
「恋は猪突猛進ってね」

 天魔の四肢には赤黒い光が纏わりついていた。
 アイリーンとの戦いにおいて使っていた技だろう。

「ッ……!」

 首ごと吹き飛ばさんとするほどに勢いのついた左裏拳を背を逸らすことで辛うじて回避するが、
アリスを待っていたのは裏拳の勢いのままに繰り出された右回し蹴り。
ダイレクトに喰らってしまいピンボールのように小さな身体が吹き飛ぶ。

「まだまだブン殴れるドン♪」

 アリスが空中で体勢を整えたと思えば、すぐ傍には天魔。
 吹き飛ばした方向に先回りしていた彼女はアリスの右脇腹に痛烈なボディブローを叩き込む。
 無論アリスとて合間合間で反撃はしているのだが、通じないのだ。
 痛くないわけがない、苦しくないわけがない、なのに怯まない。

「化け物め……!」
「そりゃ僕のような人間じゃなくアイリーンみたいな子に言うべきだ」

 脳内麻薬が噴き出しているとは言え痛みを感じないわけではない。
 天魔とて今にも意識を失いそうなのだ。
 それでも立って攻撃をしていられるのは矜持があるから。
 アリス・ミラーと言う"もしも"の自分と対峙しているがゆえに、折れるわけにはいかないのだ。
 ある意味今の彼女はアイリーンと戦った時よりも強いだろう。

「(こりゃ……天魔の勝ちだな。ふむ、美味しいところをどうやって持っていこうか?)」

 アリスに対する見当違いの憤怒は消えていない。
 何時もならば自分で手を汚すなんて嫌で嫌でしょうがなかったが、
色々と吹っ切れている今ならば直接引導をくれてやるのも悪くないと思える。

「これで――――」

 ダメージでロクに身体が動かないアリスを天高く放り投げる。
 そして天魔本人は落下地点に先回りし、

「終わりだぁあああああああああああああああ!!」

 落ちて来たアリスの左胸目掛けて渾身の蹴りを放つ。
 再び舞い上がった小さな身体はドームの天井に叩きつけられ亀裂を刻み、破片と共に再び落下。
 ドームに開いた穴からは黒雲が覗き、雨がドームの地面を濡らす。

「しぶといね……き、君も……」

 天魔の身体がリミットを超えて意識を失う。
 だ が ア リ ス は ま だ 生 き て い た。

「う、あぁ……」

 とは言っても既に死に掛け。何だったら今の紫苑でも殺せるぐらいだ。

「(好機!)麻衣、天魔を頼む。俺は俺の後始末をつける」
「……うん、分かった。紫苑くんの正しいと思ったようにすればええよ」

 さあ、ショータイムだ! 紫苑のテンションが急上昇する。

「あら……紫苑、お兄さん……あなた達の方が強かったけど……
残念、手を取るに足るとは思えないわ……だから、殺しなさい……」

 頑な過ぎる心が手を伸ばすことを拒否しているが、それは強がりだった。
 本当は手を伸ばしたいし、手を繋いで欲しい。
 だがことここに至っても出来ない、アリスは自分の頑なさを自嘲する。

「(コイツ、マジで俺に惚れてるな。気持ち悪いが、これを利用しない手はない)」

 アリスを見下ろしながらゲッスい手を思いつく紫苑。
 ただ殺すだけでは気が晴れない、
心に傷をつけて後悔のままに死なせてやらなければ面白くない。

「心臓、かしら? 頭、かしら? まあ……どっちでも良いわ……」

 紫苑が取り出した短刀を見て、小さく笑うアリス。

「何を、するの?」

 紫苑は地面に膝を突いてアリスの手を取り短刀を握らせ、その小さな手を外から覆う。

「(俺にゃとんと理解出来ないが、好きな人を傷付けるってどんな気分なんだろうなあ?)」

 この戦いの中でアリスは決して紫苑を狙わなかった。
 正直狙えるタイミングは幾らでもあったはずなのに。
 それが彼女の弱さの一つ、口では拒絶している癖に好きな男を傷付けられない。

「! な、何をするの……?」

 短刀を持ったアリスの手をゆっくり自分に近付け――――突き刺す。
 腹部に突き刺さった短刀からは血が伝い少女の手を濡らす。

「あ……あぁ……ひぃ……!」

 初めてアリスは恐怖した。
 人を傷付けたことなんて幾らでもある。殺しだって普通にした。
 それでもこんなにも怖いと思ったことはなかった。
 傷付けた誰かに価値を見出していなかったから、どうとも思わなかったから平気で傷付けられた。
 しかし、初めて特別だと思った人を傷付けた。その事実がどうしてか恐ろしい。

「(クキャキャキャキャwww笑えるぜその顔はよぉおおおお!)」

 このままアリスにトドメを刺せば紫苑の目論見通りアリスは絶望のままに死ぬだろう。
 しかし、コイツはカッコつけで体面を気にする男。
 自棄にはなっているが綺麗に終わりを飾りたいとも思っている。
 だからこそここで言葉を投げないわけにはいかない。

「……結局、お前は独りなんだなアリス。
伸ばした手は届かず、そっちから手が伸びて来ることもなかった。
情けないな……俺は、何も出来なんだ。心底、自分の弱さが嫌になる」

 辛いのに、それを必死で耐えている――――としか見えない顔を作る。
 傍から見れば悲劇だが実情は道化芝居だ。

「終わらせるよ。俺が、お前を。そして忘れない、この痛みを」

 短刀が刺さったままの傷口にそっと手を当てる。
 痛くて痛くてしょうがないが、ここは我慢だ。

「この痛みと共に記憶に刻もう」

 そのまま短刀を引き抜くと、噴き出した血がアリスの顔を濡らす。

「――――ひとりぼっちの悲しい女の子が居たことを」

 短刀を両手でキツク握り締め、倒れ伏すアリスに跨る。
 そしてそのまま短刀を振り上げた体勢のまま――――涙を流す。

「俺は……忘れない……!(さあ、逝っちまいなぁああああああああああああああああ!!!)」

 短刀を心臓めがけて振り下ろす――――寸前で受け止められる。

「……泣かないで、優しいあなた」

 アリスの手が刃を止めていた。

「!(今になって命が惜しくなったか!? 何て見苦しい奴だ!!)」

 お前にゃ言われたくねえよ。
 と言うかそもそも、アリスが刃を止めた理由は命が惜しくなったからじゃない。

「どうしてかしらね、不思議だわ。死ぬのなんて怖くないのに……」

 顔を濡らした血と涙がやけに熱い。
 アリスはぼんやりと紫苑の顔を眺めていた。
 先ほど感じていた恐怖は気付けば消えうせていた。

「(嘘吐け! だったら手ぇ離せ! 今すぐ殺させろストレスの元凶!!)」
「ねえ紫苑お兄さん、そんな顔をしないで」

 お人好しの彼をこんなになるまで追い詰めてしまったのは自分だ。
 ここまで自分のことを想ってくれていたなんて思いもしなかった。

「独りは寂しい、でも独りで終わるのも辛いけどしょうがないかなって思ってたの。
だから紫苑お兄さんにトドメを刺されるのだって良いと思ってた」

 初めて自分の心に踏み込んで、手を伸ばしてくれた人だから。

「でもね、不思議なの。さっき、紫苑お兄さんを刺した時、怖かった。
死ぬよりもずっと怖かった。今、紫苑お兄さんが泣いてるのを見た時、辛かった。
独りで死ぬよりもずっと辛かった。そんな顔で私を殺せば、紫苑お兄さんは傷付くよね?」

 いいえ、何の痛痒もないでしょうよ。

「どうしてかしら、それが堪らなく我慢出来ない。
素知らぬ顔で殺してくれたら良いのに……お兄さんったら、そんな顔をするのだもの」

 余計な演技をしたことで頑なだったアリスの心を変えてしまったのだ。
 迂闊にもほどがあると言えるだろう。

「泣かないで優しいあなた」

 そっと紫苑の涙を拭う。
 手に感じる熱い涙をアリスはギュッと握り締めた。

「私が手を伸ばせば、紫苑お兄さんは泣かないで済むのよね?」

 初めてアリスは自分のためでなく誰かのために動くことを決意する。

「御願いお兄さん、助けて。アリス、ひとりぼっちは寂しいの」

 それはアリス・ミラーの心からの笑顔だった。

「(こ、こ……殺させろよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!)」

 それは春風紫苑の心からの叫びだった。

「ほんと、しょうがないわね……お兄さんったら泣き虫なんだもん。でも、大丈夫よ」

 そんな紫苑の内心を知らぬままアリスは苦笑する。

「もうお兄さんに涙は流させない。お兄さんを悲しませる悪い人はぜんぶアリスがやっつけてあげる」

 それを最後に少女は意識を失った、とても安らかな寝顔だった。

「(あぁああああああああああああ! これじゃ俺、ただ無意味に自傷しただけじゃん!!!)」

 自業自得だよ――――兎にも角にも、これで戦いは終わった。
+注意+
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