挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

198/204

春風紫苑 伍

「ドぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっせい!!!!」

 気合いと共に放たれた右ストレートが障壁に激突した瞬間、甲高いを音を響かせて障壁が砕け散った。
 また一歩エデンへと近付いたわけなのだが、障壁を破壊した天魔の表情は不機嫌そうだ。

「これで何枚目だ? 百や二百じゃないだろ、この邪魔な障害物」

 エデンに続く異次元空間の中に張り巡らされた障壁。
 交代交代で破壊しているのだがその数は天魔が言うようにちょっとどころではない数だった。
 一枚一枚も一発でパリン、と叩き割れるようなヤワなものではなくそれなりに本気を出しても数発はかかる強度。
 フラストレーションが溜まるのも已む無しな状況である。

「うっざいんだよマジで。本気で腹立つわ」

 気合い入れて乗り込んだのに此処に至るまで戦いは一切無し。
 やり場の無い戦意は宙ぶらりんになったまま。どうにも出鼻を挫かれたような気分が拭えない。
 それは他の者達も同じだった。唯一ルドルフとベアトリクスは戦闘を行っているが、それでもモヤモヤするのは確かだ。
 幻想にとっても人類にとっても最終ラインの大戦争。だと言うのに動きが無いのは不気味が過ぎると言うもの。

「……カニ、あなたはどう思いますか?」

 頭が回り、尚且つ幻想陣営にも居たことがあるカニならば何か手の内が読めないか?
 そんな期待を込めて純化状態のさしおりが話を振るのだが……。

「さて……どうだろうな」

 カニは随時現世の状況を窺いながら進んでいた。
 ゆえに晴明や信長達が抱いた引っ掛かりのようなものを同じように感じている。
 それでもカニの方が若干答えに近いのだが、口に出すのは躊躇われた。

「紫苑、お前はどう思う?」

 カニは自分の考えが正しいのならと言う確認の意味も込めて紫苑へ話題をパスする。

「(えへへ……ふへへ……え?)どう思う、か」

 障壁を鬱陶しいと思うことはあれども一歩一歩着実に大願へと近付いている。
 年末のカウントダウンとしているようなおめでたい気持ちの紫苑は引っ掛かりなど総てスルーしていた。

「(クッ、折角良い気分だったのに邪魔しやがってよぉ……)」

 などと悪態を吐きながらも頭をフル回転させる。
 何かそれっぽいことを言っておかねばカニより間抜けになってしまうから紫苑も必死だ。

「何かある、そう考えるのが自然だろうな。現世での細かな敗北も総て帳消しにするような、ドデカイ何かが。
どうにもな……疼くんだよ。なあ、皆は感じないか? 胸が――否、魂がざわめくこの嫌な感覚を」

 左胸をギュっと押さえて額に汗を浮かべる紫苑に全員が息を呑む。
 かつてないほどに我らがリーダーが警戒を露にしている――と周囲には見えてしまうのだ。

『え? そんなん感じてるんですか?』
「(いや全然。けどすんげえ何かそれっぽいだろ?)」
『外れてたら赤っ恥とかそう言うレベルじゃないっすよ』
「(バーカ、外れてるこたぁねえだろうよ)」

 この僅かな時間で現世の状況や今自分達が置かれている状況を鑑みて何かがあると言うのは間違いない。
 でなくば幻想は心底から阿呆と言うことになってしまう。
 いや、それはそれでラッキーと言えばラッキーなのだが紫苑もそこまで楽観視は出来ない。
 なので場に適したそれっぽい台詞を吐いたのだ。

「……状況から見て、何かあるかもって言うのは私も分かるわ。けど、紫苑お兄さんの感じてる不安は分からない」

 が、だからと言って紫苑の言を一笑に付すことは出来ない。
 潜在的な能力で言えば彼こそがこの中で一番大きいのだから。

「卿の言うことが確かなら、苛吐いている場合ではないな」

 障壁破壊と言う単調な作業が続いていたせいで集中が乱れていたのは確かだ。
 だが、そんな余裕をこいている場合ではないと改めて認識する。

「……」

 紫苑に話を振ったカニは無言だった。今の発言を聞き「やはりか」と確信を抱いたのみ。
 カス蛇から渡された血の意味もこれでようやくハッキリした。
 エデンにて待ち受けているであろう"誰か"に正攻法で太刀打ち出来るわけがない。
 恐らくは今の世界を創った――そこまで考えてカニは頭を振る。
 何を怖気ているのか。己に敗北を与えた至高の男は今、傍に居る紫苑じゃないか。
 であれば怖気るわけにはいかないだろう。例えそれが"紫苑"であろうとも。

「あら、また壁が来たわねえ」
『だが、もうエデンはすぐそこまでだ。なあ、感じるだろ紫苑? お前にとっても懐かしい空気をよぉ』
「……ああ(キャッホォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオイ!!)」

 神妙な表情をしながら心の中で狂喜すると言うのは実に器用なやり方である。

『これが最後の一枚だ』

 カス蛇の言葉に誰からともなく前に出て、同時に障壁に向けて攻撃を繰り出した。
 砕かれた障壁の欠片が硝子色の雪のように降り注ぎ、一気に世界が塗り変わる。

『――――ようこそ、エデンへ。歓迎するぜ人間』

 果てが見えぬ荒涼とした大地。空は厚い黒雲に覆われ枯れた木々が幾つかあるだけの寂しい場所。
 この場所がかつては楽園だったのだと一体誰が想像出来るだろうか?
 アダムとイブが去り、父なる神も消え去った主無き楽園。
 虚無の波に呑まれ、昔日の姿は見る影も無い。他の場所では感じた郷愁のようなものも此処では決して感じることはない。
 原罪を背負った日に人にとっての楽園ではなくなってしまったから。

「カッコつけとるとこ悪いけどカス蛇くん……これ、どう言うことなん?」

 エデンに突入した瞬間には敵の攻撃が来ると思っていた。
 しかし、此処に至って尚も幻想側からのアクションが無い。

「あんだけど偉そうやった目玉天使なんかもおれへんし……」

 目玉天使、酷い言われようだがメタトロンをパッと表するならばこの上なく分かり易い。
 それはさておき。麻衣は居ないと戸惑っているがそれは違う。

「……いいえ、それは違うわ麻衣お姉さん。連中、確かに居るわ」
「カミサマだったりマオウサマなんてものと同化してて、より彼らに近い僕らだから分かるんだ」

 エデンを一つの惑星に置き換えて考えれば分かり易い。
 幻想は惑星エデンの中には居ないがその外には居るのだ。
 惑星のすぐ外側でじーっと此方を窺っているのだと分かる者達が語ると麻衣は成るほど、と頷いた。

「まだ仕掛けて来ない。コイツはどう言うことだと思う?」
「二葉、お前にも分かっているんじゃないのか? 奴らは俺が生命の果実を喰うのを待っている」

 それがどう言う意図かは分からない。
 しかし、このタイミングでも仕掛けなかったことを鑑みればそれぐらいしかないだろう。

「(ふひゃひゃひゃひゃひゃひゃwwwどう言うことかは知らんが良い流れが来てるぜ!
もうこれ完全に俺の時代到来しちゃったわ。此処からもうずっと俺の時代だね!
黄金時代の幕開けだ! おい、誰かちょっと祝福のラッパを鳴らせよ!!)意図までは分からんがな」
「だよなぁ」

 苦い顔で頷き合う紫苑とカニ。
 まあ片方は浮かれポンチで本格的に馬鹿になっていて鬱陶しいことこの上ないのだが。

「……カス蛇、先導を頼む(喜べカッス、ようやく役に立つぞお前。俺を不老不死の下まで案内せい!)」
『あいよ(ハハー! ってやらせんな馬鹿)』

 カス蛇の先導に従い朽ち果てた楽園を進む紫苑とその仲間達。
 自分が生命の果実を食らうまでは安全かもしれないと紫苑とカニは予想したがそれでも一応警戒は怠らない。
 今、自分達が居るのは敵の腹の中で何が起こっても不思議ではないのだ。

『ケルビムも炎の剣も無いから道中は安全で良いやね』

 ケラケラと笑っているのはカス蛇だけだ。
 まあ、ルシファーやロキなども気楽そうではあったがわざわざ気が抜けるようなことは口にしていない。

「……ロキ、卿、何やら楽しそうだな」

 先ほどから裡に溶けているロキから歓喜の感情が伝わって来る。
 最初は無視していたが、流石にこの状況で喜んでいると言うのは不安だった。

『杞憂だよルドルフ。私は君達の味方で、悪巧みをしているわけじゃあない。ただ、期待しているんだよ』
「期待?」
『そう、期待。私が焦がれて居る"誰か"にようやく会えそうなんでね』

 クツクツと笑うロキにますます意味が分からなくなる。
 無理に追求したところでこの邪神が話すことはないだろうことは分かっているのでルドルフは溜息を吐くしかなかった。

『何、そう焦らずとも直に分かることさ』

 ポツリポツリと会話はあるものの、誰一人としてその顔色は優れない。
 真綿でじわじわと首を絞められているような、そんな息苦しさを感じているのだ。
 仕掛けて来るなら早く仕掛けて来い、その方が楽だ――そんなことを考えてしまうほどに精神的には消耗していた。

『――――着いたぞ、此処だ、これが生命の樹だ』

 一行の前に現れたのはパッと見た感じは枯れた一本の樹にしか見えないもの。
 しかし、枯れ果てても尚、感じる存在の大きさが生命の樹であることを証明していた。

「カス蛇、俺はどうすれば良い?」
『宝石は持ってるな?』

 コクンと頷き懐から聖者の血が結晶化した首飾りを取り出す。
 カス蛇が何か呪文のようなものを唱えると首飾りは紫苑の手を離れ空中に浮かび上がり煌々と輝き出した。

『後は聖槍でそいつをぶち抜いてやれば良い』
「分かった」

 言われるがままに力いっぱい空中で静止する首飾りに聖槍を突き立てる。
 すると、結晶が砕けてエデン全域に赤い光の雨が降り始めた。
 雨は剥き出しの大地に緑の息吹を与え、分厚い雲を払い、エデンにかつての姿を取り戻させた。
 同時に枯れ果てていた生命の樹にも異変が訪れ、早送りをしているかのように樹が命を取り戻し葉を付け――――

「……これが、生命の果実?」

 既存の果実とはまったく形が異なる銀色の果実が樹に実っている。
 その美しさに見惚れ、しばしの間時間が止まった。

『その通り。これが、これそこそがかつて俺様がアダムとイブに与えられなかった唯一の心残りだ』

 カス蛇としても、再び生命の果実を目にすることが出来て思うところもあるのだろう。
 ようやく、ようやく大願が成就する時が来たのだ。その声は少しだけ涙ぐんでいた。

「(何て、何て遠い回り道……今までの"理不尽な不幸"はこの時のために……)」

 紫苑もまた、心の中で咽び泣いていた。
 しかし理不尽な不幸とは言うがどれもこれも自業自得だろう、何言ってるんだコイツ。

「(ありがとう、俺、諦めずによく頑張った……本当に本当にありがとう、俺……それしか言う言葉が見つからない……)」

 ありがとう俺とか言う奴、初めて見たわ。
 一体何処まで自己愛が極まっていれば素面でこんなクソ気持ち悪い感謝を捧げることが出来るのか。
 どれだけの人間性を犠牲にすればこうも身勝手になれるのか。
 ここまで来ると最早尊敬――出来るわけがない。屑はやっぱり屑である。

『(何処から来るんだろうなぁ、その自信)紫苑、春風紫苑』

 厳かにその名を呼ぶカッス。雰囲気作りと言うのはとても大切だ。
 紫苑もこう言うシチュエーションを好んでいるのでやらねば怒られてしまう。

「……(どうしよう、涙が、止まらない……痛みに耐えて良く頑張ったわ俺)」
『この果実を食せば、お前はその瞬間、外れた人間となる』

 始まりの人間であるアダムとイブならばともかく、紫苑には総ての人間を不老不死にすることは出来ない。
 それをするには人間と言うものは随分拡がり過ぎてしまった。

『永劫の時を彷徨う、誰一人としてお前の時間に付き合うことは出来ない。
存在するだけで大きな影響を与えてしまう寄る辺無き放浪者――それがお前に待ち受ける未来だ』

 今この場で口を挟める者は誰一人として居なかった。
 特にメンヘラーズはそう。生命の果実を食すことで余命問題を解決して欲しい。
 だが同時に、紫苑が最も望まぬであろう茨の道を往くのを止めたい。
 背反する想いが鎖となって身体を縛る。ただただ見守ることしか出来ない己の無様さに怒りを通り越して呆れてしまう。

『――――それでもお前は果実を喰らうか?』

 突き付けられた運命の選択。閉じられた紫苑の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
 紫苑はゆっくりと目を開け、そして――小さく笑った。

「誰がため、己がため、俺は果実を喰らおう。その先に待ち受けるものがどれだけ辛くたって後悔は無い」

 その言葉に呼応するように生命の樹から果実が零れ落ち、紫苑の手に収まる。
 仲間達が思わず紫苑の名を呼ぶよりも先に彼は生命の果実に齧り付いた。

「~~~~~~~~~ッッッッ!?!?!!」

 瞬間、声にならない絶叫が響き渡る。
 仲間達が駆け寄ろうとするものの紫苑を覆う銀色のオーラを突破することが出来ない。

「あ、あぁあああああ……!」

 身体が、魂が、命そのものが一から組み替えられていく感覚。
 苦痛と快楽が綯い交ぜになった不可思議な感覚は紫苑の鉄面皮をも崩すほどだった。

「紫苑さん! クッ……カス蛇、大丈夫なんですかこれは!?」

 苦痛への耐性が人一倍どころか十倍も百倍もありそうな紫苑。
 その彼がここまで悲鳴を上げるなどただごとではない。

『心配するこったねえよ。コイツは今、生まれ変わってんのさ』

 これからの紫苑はこれまでの紫苑とは違う。
 アダムとイブから始まった長い長い人の歴史。その中で初めて二つの果実の恩恵を得るのだ。

『幼虫が蛹を経てやがて美しい蝶へと生まれる変わるようにな』

 食事の必要が無くなる。
 睡眠を摂る必要が無くなる。
 呼吸を止めたって問題は無くなる。
 老いが止まった、もうこれより先は無い。
 死が消えた、辿り着く先は消えた。
 時間と言う概念が消え去った。
 生まれてから死ぬまでに経過するはずのあらゆる一切が重みを無くす。
 人が渇望する生も、人が厭う死も、等しく価値を無くし――――春風紫苑は新生した。

「はぁ……! はぁ……はっ……!」

 胸を押さえて膝を突き、息を荒げる紫苑。
 銀色の壁は既に消失していたが誰一人として近付くことが出来なかった。
 分かるのだ、春風紫苑が彼にとって何よりも大切なものを捨ててしまったことが。
 今の紫苑にどんな言葉をかければ良い? 何も、何も言えはしない。

「(――――これが絶頂)」

 そんな仲間達の心配など露知らず、紫苑は今、無上の幸福を感じていた。
 分かるのだ。自分から老いが消え去ったことが、自分から死が消え去ったことが。
 理屈ではなく本能で理解出来る。旧い己を脱ぎ捨て完全に羽化した。

「(俺こそが究極生物だぁああああああ! 下民よ傅け頭が高いわぁあああああああああっはっはっはっは!!!!!)」

 血が出るほどに唇を噛み締め、ハラハラと涙を流すその姿は喪ったものへの哀悼にしか見えない。
 どんな幸福な状況であろうとも決して外面は崩さない――不老不死になっても紫苑はやっぱり紫苑だった。

『おめでとう、春風紫苑。お前は今、この瞬間に、前人未踏の領域に立ったんだ』

 神の被造物である二つの果実の恩恵を受け、人類が到達することは出来ない地平に一人佇む紫苑。
 未開の領域を進む者を冒険者と言うのならば、彼はこの上なく冒険者だと言えよう。

「し、紫苑ちゃ――――」

 オロオロと悲しげな顔で手を伸ばそうとするが、力なく宙を彷徨うだけ。
 仲間達を無視し、聖槍を杖に立ち上がった紫苑は抑揚の無い――いや、無理矢理押さえつけたような声色で問いを投げる。

「……後は強化魔法をかければ良いんだな?」
『ああ、制御は俺様も手伝――――』

 忘れていたわけではない、事前にこの瞬間に仕掛けて来ることは予想の範疇内だった。
 が、その仕掛け方がまた予想外で――カス蛇の言葉を遮るようにエデンが完全に世界から隔離されてしまう。
 元々幻想の領域と言うものは力さえあればと言う但し書きがあれば何処へでも飛べる。
 上位の幻想は自分達の側からならば基本的に何処へでも行けるだろう。
 今回のように現世と幻想の境界が崩れたのならば現世の側からでも力があれば問題は無い。
 そして、行けると言うことは当然、帰ることも出来るのだが……。

「何が起きた?」

 真っ先に問うたアイリーンを始めとして紫苑以外は皆がこの閉塞感に気付いている。
 が、具体的にどうなっているのかが分からない。

『口下手のスカアハじゃ説明にも時間がかかるから俺様が手短に説明してやる。
今、エデンは完全に閉鎖された。強化魔法を使っても全人類に届けられねえし物理的に出ることも不可能だ。
人間達への中継は繋がっているようだが、強化はどうやったって届かないだろうな。
これだけのことをしようと思ったら……それこそ、上位の連中が軒並み結界の展開・維持のために使わにゃならねえ』

 ようやく幻想が仕掛けて来なかった理由が分かった。
 無駄な余力を使うわけにはいかなかったから仕掛けて来なかったのだ。
 それでもこの結果を展開するために時間が必要だったからこそエデンに至る道に障壁なんてものを張った。

「……このまま私達をここに閉じ込めて現世を完全に滅ぼす気なのでしょうか?」

 考えられる最悪の展開だ、しかしそれは違う。
 さしおりの言葉に否定の言葉を返したのはカス蛇でもロキでもルシファーでも誰でもなく――――

「――――そんなセコイことをするつもりは無いさ」

 聞き覚えのある声、でも何処か違う。
 振り返ってみる。
 毎日見ている顔、でも何処か違う。
 誰もが、紫苑ですらその男の姿を見て完全に固まってしまう。
 予想をしていたカニですら固まってしまうのだ、驚いていないのはカス蛇とロキぐらいだ。

「お、俺……?(やだ……何あのイケメン……? あ、俺だった!)」

 こんな時でもそんな戯けたこと言える精神性にビックリだよ。

「い、いや……で、でも……紫苑くんとはちょっと違う……よね?」

 或いは認めたくないのかもしれないアレが紫苑であることを。
 今の紫苑も十分高身長だが、それよりも頭一つ分大きく肉体もシャープに見えるがよく鍛えられている。
 しかし同じヘーゼルの瞳のはずなのに何処か草臥れていて、何よりも――頭髪が完全に白だ。
 頭髪の色が示すものは、だがそれを認めてしまえば……。

「……目を逸らすなよ天魔。ありゃ紫苑だ、完全に吹っ切れちまった平行世界の春風紫苑」

 カニは知っている、かつてラプラスに見せられた何時か何処かでの自分と紫苑。
 幻想側に着いて自分を殺した紫苑も完全に白髪で、目の前に居る男はそいつとまったく同じ人物だ。
 根拠も何も無いがカニはそう確信した。

「幾らか見知った顔もあるが……知らんのも多いな。改めて自己紹介しよう、俺は春風紫苑だ」

 平行世界の紫苑――シオンは草臥れた笑みで自身の名を告げる。
 シオンにとってこの場に居る面子は自分を含めてルドルフや天魔、麻衣、栞、アイリーン、カニ、雲母は知っているがそれ以外は知らない。
 いやまあ、正確に言えば栞も今はさしおりになっているのである意味で初対面だが。

「随分懐かしい顔だが……醍醐、お前は双子だったんだな」

 極まったシオンだからこそさしおりの正体も看破することが出来た。
 二つの魂が溶け合って一つの存在となっているのがさしおりで、その魂の片割れが栞であると。

「……醍醐?」

 他人行儀な物言いに困惑を隠せないさしおり。
 そのことから導き出せる事実は一つ、シオンが居た世界においては自分とシオンが親しくなかったと言うこと。
 いやまあ、今も厳密に言えば親しい関係ではないのだが。

「一年の夏休み前に無断欠席して、何時の間にか死んでたとしか知らなかったが……こっちじゃ生きているのか」

 何時の間にか死んでいた、それはつまり彼の世界において自分達は……。
 さしおりは導き出された答えに顔を青くする。
 だがそれも無理からぬこと。和解も何もないままに憎み合って死んだと聞かされて平気で居られる人間の方が稀だ。

「他にも俺が殺した奴らも含めて生きていて、尚且つ……こんな場所に居るとはつくづく面白いな平行世界は」

 俺が殺した、つまりシオンに殺された。
 今の自分には関係ないこととは言え並行世界の自分が殺されたと聞かされて愉快な気分ではない。
 それが春風紫苑と言う人間の手にかかってならば尚更だ。

「ハ、あんた別に世間話をしに来たわけじゃないだろ? どのツラ下げて此処に来たんだよ」

 不敵な笑みのままチクリとシオン刺すカニだがそれは虚勢だ。
 彼から感じる圧倒的な力に気圧されている、それでも気取られぬようにと虚勢を張っている。

「ああそうだ……お前らに用は無いんだ。俺が話をしたいのはお前だよ、なあ――俺よ」

 シオンと紫苑、ヘーゼルの瞳が真っ直ぐ交わる。

「(やっべえ――――アダルトな俺ってマジイケメンだ)」
「(やっべえ――――ヤングな俺ってマジイケメンだ)」
「(つまるところ)」
「(若くても歳食っても俺ってマジイケメンってことだな!)」

 別にテレパシーなんてものを用いているわけではない。
 屑同士の思考が上手いこと噛み合っているだけである――億年の時間すら紫苑を更正させるには足りないようだ。

「俺だなんて呼ぶな……あんたからは、どうにも良くないものを感じる」

 ホントは手を取り合って踊り出したいぐらいなのだが、この空気はそうもいかない。
 流れ的に見てシオンはどう考えても敵なのだ。
 今自分がやるべきことは並行世界の己が何を考えているかを知ることであると紫苑は探りにかかった。

「若い頃の俺って、こんなにも頑なだったか?」

 一方のシオンも自分がやるべきことを理解している。
 成すべきは紫苑に自身がどんな意図の下に此処に立って居るのかを知らせること。
 そしてその上で自分と言う何よりも信じられる相手にバックアップをしてもらうことだ。
 無論、自分以外には真の意図を気取らせないように。

「御託は良い。目的を話せ(もう俺ってば焦らし上手!)」
『(やだ、本当に気持ち悪いわ……)』

 何の誇張もなく本当に本当に気持ち悪い。

「率直に言う、今直ぐに馬鹿なことは止めろ。自分が何をしているのか本当に理解してるのか?
蛇の甘言に踊らされて取り返しがつかなくなる前に幻想側に着け」

 それは誰にとっても、分かっていても聞きたくはない言葉だった。
 並行世界のとは言え春風紫苑が幻想に頭を垂れて人の尊厳を捨ててしまうなど信じたくはないのだ。

「蛇の甘言? 違う、俺達は選んだんだ。誰か一人の意思じゃない、総ての人が自分の意思で未来を望んだんだ」
「その先にあるのが明るい未来だと、どうして断言出来る? よーく考えてみろ」

 食って掛かる紫苑は険しい顔で怒りを露にし青臭い若さを。
 それを受け止めるシオンは穏やかな顔で寛容を示し老いによる円熟をそれぞれアピールしていた。

「人も幻想も世界を構成する大事な部品だ。もし片方が無くなってしまえばどうなる?
全能の神亡き今の世でそれが分かる奴なんて何処にも居ない。
どうして良い結果だけが生まれるのだと疑いも無く信じられる? どうしてその道が希望に繋がっていると思える?」

 悲しげに目を伏せるシオン。
 紫苑はその物言いに堪忍袋の尾が切れたとばかりに詰め寄りその胸倉を引っ掴む。

「それでもこのままなら人間は滅んじまう! それにあんたの言ってることはおかしい。
どうして俺達の道が絶望に繋がってると言い切れる? 誰もわからないんだろう!?
それに、大事な部品だって言うならどうして幻想は俺達を滅ぼそうとする!!!!」

 紫苑とシオンの言い争いに誰も口が挟めずに居た。
 今この場は完全に"春風紫苑"による二人舞台の会場と化している。
 場の空気を握ると言うことにかけてこの男達ほどの者はそうは居ないだろう。

「アイツらは憎悪で目が曇ってるんだ。が、道理を話せば分からん奴らでもない。
実際、俺の世界では人類は……気の遠くなるような時間の果てまで存続している。
そしてこっちの世界の幻想にも俺が提示したプランで内諾は貰った。だからこそ俺は此処に居るんだよ。
とは言え、俺には俺の世界のこともある。この世界のことはお前に任せたい」

 生命の果実を喰わせることをスルーさせたのは幻想達が約束を履行させると言う意思表示だ。
 不老不死の存在となった紫苑を害することは出来ないので安心しろと言うシオンにだけ分かるメッセージ。

「それでも規模はかなり縮小するがな――――具体的に言えば日本が人類最後の生存圏となる」
「どう言う、ことだ?」
「頭の巡りが悪い奴だな。俺とお前が使える力は何だ?」

 両手を広げ仰々しく語るシオンは何処か芝居掛かっていて、それが仲間達の目には奇異に映った。

「人類は滅ぶ、何もしなければな。例え一定数の冒険者が幻想側に着いて一般人総てを滅ぼしたとしよう。
それでも幻想は何時かまた同じことが繰り返されてしまうかもしれないといずれ冒険者も滅ぼす。
そうして最後にゃ人類は世界から消え去るが――――俺達ならば幻想の不安を杞憂にしてやれる」

 答えに思い至った者達は一人残らず顔面蒼白となった。
 常から紫苑が吹っ切れてしまえばロクでもないことになると言う意味がようやく分かったのだ。
 同時にシオンが幻想側に着いた理由も。
 彼は依然として変わらず人類を護っているのだろう――――おぞましい方法で。

「一旦、日本を完全に空にする。
そしてモンゴロイド、ネグロイド、コーカソイド、オーストラロイド、ありとあらゆる人種を一定数確保。
その上でそれら総てを日本にぶち込めば良い。ほうら、小さな世界の出来上がりだ」

 シェルターなどへの被害が少ないのはそのためだった。
 人間を一定数、日本の国土が許容出来るだけの数を確保するために幻想はシェルターへの攻撃を最低限にしたのだ。
 勿論、確保した後は総て滅ぼすのだろうが。

「俺は今ある日本列島をそのまま海に沈めてその上にそっくりそのまま同じ日本列島を創造した。
これまで築き上げた文明が邪魔だったんでな。破壊するよりは一から作り直した方が早かった」

 さらりと告げられた言葉が力の差を示す。
 日本を沈めることならばこの場に居る面子でも紫苑と麻衣以外なら出来るだろう。
 しかし破壊せずに物理的に沈め、その上で新たな列島を寸分違わず創造するなど不可能だ。

「その新しく築かれた列島に確保した人間を総て叩き込み俺の力で夢の中へと誘う。
決して幻想への畏敬を忘れぬように、決して行き過ぎた文明を築かぬように設定してな。
これならば奴らも文句のつけようが無い。まあ、難点としては寝る間もなく絶えず力を行使しなけりゃいけないことだが……。
まあそれにしたって問題は無い。俺一人が頑張れば良いだけの話だからなぁ。
その証明として幻想回帰から億年以上も人類は存続している」

 消耗しても回復している、理論上は永遠に続けられるので問題は無い語るシオン。

「……億年、億年以上もあなたは幻術を行使、しているのですか?」

 日本列島が許容出来るギリギリの数の人間総てに絶え間なく幻術をかけ続ける、それも億年以上も。
 尋常じゃない――さしおりは静かに震えていた。いや、彼女だけでなく全員が。

「ああ、今も絶えず夢を見せちゃいるが見ての通り余力はある――それこそお前ら全員を相手取れるほどにな」

 絶望的な戦い、そんなものはこれまで幾度もあった。
 しかしその度にそれを乗り越え自分達は成長して来たと言う自負がある。
 だが、彼らは初めて知った――――本当に絶望的な戦いと言うものを。

「春風紫苑、お前がこの世界で俺が担っている役目を果たすんだ(俺の言いたいことは分かったか俺ェ!?)」

 紫苑はこれでもかと言うほど怒りを露にシオンの顔面に拳を叩き付けた。

「ふざけんじゃねえぞテメェ!!!!(分かったぜ俺ェ!!)」

 テレパシーなんかなくても人は通じ合えるのだ――ひっでえ以心伝心である。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ