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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

193/204

春風紫苑

 何時か何処かの違う未来のかつて日本と呼ばれた国の遥か上空に二つの影があった。
 鳥以外は空を飛ぶことは無くなったその領域に銀髪碧眼の美青年と金髪金眼の美少年が物理法則に逆らって浮かんでいる。
 美形の大安売りである――と言うのはさておき。
 彼らの背中にはそれぞれ一対の美しい白翼が生えていた。

「人にとっては最後の領域、エデンと言えばエデンだが……父なる神ですら此処まではやらなかっただろうねえ」

 銀髪の少年――ミカエルが皮肉げな笑みを浮かべる。
 この距離から地上をこと細かに見つめることは人間には無理だが彼らには可能だ。
 今は仮の姿として人の形を取っているがその実彼らは人間ではなく天使なのだから。

「そうは思わないかい、メタトロン」

 隣に居る金髪の青年――メタトロンに話を振ると、彼は小さく頷いた。

「完全管理。その人生すらも、だからな」

 大枠のルールは存在して後は放置――ではない。
 個々の人生ですらこの国の主は管理している。
 つい百年か二百年ほど前にそこから逸脱した者が居たが彼らはそれを知らない。
 名も無きその青年は羽ばたく前に処理されてしまったので当然ではあるが。

「僕もあなたも未だ人への憎悪は消えていないが、これは流石に……ねえ?」
「ここまで徹底していて完全で無ければ我らも認めはしなかっただろうがな」

 下界を睥睨する大天使二人。表面上は余裕な体を装っているが内心は違う。
 この箱庭で生きているとも言えぬ人間達ならばともかく彼らは最上位の幻想。
 かつて日本と呼ばれた国を今現在治めている存在の桁違いの圧力を肌で感じているのだ。
 か弱き存在であればその強大さを感じることすら出来ない。

 が、不幸なことにメタトロンもミカエルもか弱き存在ではなかった。
 だからこそ薄皮一枚剥いだ先で座する"彼"の存在をひしひしと感じている。
 少なくとも二対一では絶対に敵わない。
 "彼"と争うのならば幻想の総力を以ってかからねばならず、その果てに待ち受けるものは互いにとって良くないものだ。

 ゆえに幻想は基本的に彼に干渉はしない。
 かつては顎で使っていたが、取り引きを終えた後はノータッチ。
 その段階ですら脅威と感じる力を持っていたので下手にことを荒立てない方が良いと判断したのだ。
 そして、幻想の存在にとっても長き時間が流れた今、"彼"の力は極まっている。

 人は憎い、今も尚人が存在する世界から見れば小さなこの国も消し去ってしまいたい。
 その想いはあれども決してそれを実行するわけにはいかない。
 引き金を引いてしまえば未曾有の混沌が巻き起こることは必定。
 そも、幻想が約定を違えぬ限り"彼"は従順だ。であれば不用意に干渉しない方が良いに決まっている。

 が、しかし今度ばかりはそうもいかなくなった。
 ゆえにメタトロンとミカエルは使者として"彼"の領域へと赴いたのだ。
 幻想陣営では最上位の二人が自ら足を運ぶ、それは彼らなりの誠意だった。
 少数で赴いたのは敵対の意思が無いことを示すため、争う気が無いと主張するため。

「"彼"はもう此方を把握しているかな?」
「していないと考える方が間抜けだ」
「これでも極力、力は抑えてるつもりなんだけどねえ……」
「力を抑えているのは此方の意思を示すため。彼は理知的だ。数千年ほど前の事件を鑑みればそれは明白」

 数千年ほど前に、"彼"が治めるこの地に降り立った幻想が居る。
 その者は戦いの神であり、純粋な力試しとして此処へ来たことを告げ手合わせを乞うた。
 "彼"は嫌な顔一つせずにそれを承諾し、かつて中国と呼ばれた国へと場所を移動し挑戦を受けた。
 その結果は語るまでもなく挑んだ側の敗北。
 戦いの神が死した後、その縁者が"彼"の下に赴き決して敵対するつもりではなかったと弁解し"彼"も承知の上だと答えた。
 それらの事実から鑑みるに話せば分かる男だと言うのは明白である。

「そうだね。何時までもこうしてるわけにはいかないし、降りようか」
「うむ」

 言うや二人は背中の翼を収納し、重力に身を任せた。
 高度数千メートルからの自由落下だが、彼らの表情には怯え一つ無い。
 人間ならば恐怖で気を失っているであろう現状も彼らにとっては取るに足らぬこと。

「う……」

 地上に近付くにつれ圧が強くなる。別に威嚇をしているわけでもないのにこれだ。
 本当に本当にやってられない。どうしてこんな生物が生まれてしまったのか。
 ミカエルは心底帰りたいと思いつつも、そう出来ない現状を呪った。

「我慢しろ、ミカエル」

 かつて大阪と呼ばれた土地に音も無く降り立つ。
 二人が着地したのは丁度、人が住んでいる集落のようだったが人々は視線一つ彼らに寄越さない。
 二人も原始人のような原住民達には目もくれずにそっと大地に手を触れる。

「面会の許可が下りたようだ」

 二人が立って居た地面に孔が出現し、彼らを飲み込む。
 孔自体は二人を飲み込んですぐに閉じてしまったが人間達にとっては認識の外だ。
 この国の主である"彼"が認識を弄っているのだから当然である。

「ふぅ……文明の残り香、あるいは墓標なのかな? そして、彼は墓守」

 地上とは数千年レベルで文明が違うかつての大阪を見渡し、ミカエルは"彼"をそう評した。
 この場所こそが本来の日本なのだ。表層部は後から"彼"が創造したものに過ぎない。
 気の遠くなるほど昔、"彼"は日本を物理的に海に沈めてしまった。
 完全に沈んだその日本の上に築かれたのが新たな日本列島、人間の終の住処、あるいは牢獄。

 そんな真似を出来る時点で出鱈目が極まっているとしか言いようが無い。
 いや、メタトロンやミカエルにも日本列島を破壊することぐらいは出来る。
 が、無傷のまま日本を沈めてその上に寸分違わぬ列島を創造するなど不可能だ。
 他の神々の力を借りれば出来ないこともないが単独では天地が引っ繰り返ってもまず不可能だ。

「……ミカエル、お前は兄に似てどうにも口が軽いな」

 咎めるようにミカエルを睨むメタトロン。彼は同輩の軽はずみな言動を快く思っていないのだ。

「こりゃ失敬」
「敬意を払え。人間は唾棄すべき存在だが、彼はその枠を超越し、また我らすらも超越している」

 それに敬意を払わぬと言うことは自分達を軽んじているのと同義だ。
 好悪は別として、メタトロンは"彼"に敬意を抱いている。
 たった一つの想いを抱いて亡骸を抱き続けるその様はまるで聖者の如く。
 美しく愚かな、人類史上最高の大馬鹿者だ。

「分かっているよ。それより駄弁ってないで早く行こうよ」
「ああ」

 命の気配が耐えた旧大阪の街を往く二人。
 今この瞬間にでも"彼"は此方を把握しているはずなのに出て来ない。
 しかしそれを無礼だなどと謗るつもりはなかった。
 用があるのは此方で出迎えるのはあちら、礼儀と言うものを軽んじてはいけない。

 二人が辿り着いた瞬間に冒険者学校の固く閉ざされていた正門が音も無く開かれる。
 二人は顔を見合わせて一つ頷き、玄関から校内へと足を踏み入れた。
 下足箱では来客用のスリッパが用意されておりそれに履き替えることも忘れない。
 此処は"彼"にとっての聖地であり土足で踏み入れば決して良い感情を抱かれぬと知っているから。

 階段を上り三階の"彼"が居るであろう教室の前に立ち深呼吸を一つ。
 ノックをして入室すればやはり"彼"が居た。
 最後にメタトロンが"彼"を見たのは取引を終わらせて列島を創造する時で、その時は少年の面影を色濃く残していた。
 が、今此処でぼんやりと黒板を見つめる"彼"に昔日の幼さは存在しない。

「随分と懐かしい顔だな、メタトロン」

 黒板から視線を外すことなく"彼"はメタトロンに語り掛ける。
 同時に、二人の眼前に熱いミルクティーが注がれたティーカップとクッキーの皿が出現した。
 来客のもてなしと言うことだろう。ミカエルは中空に浮かぶカップを受け取り静かにミルクティーを啜る。
 用件を話すのは相方であるメタトロンに一任する気のようだ。

「ああ、最後に会ったのはまだ君が十代の頃だったか」

 幻想の視点から見ても長いと言える時間が流れた。
 あれからメタトロンは時間の経過と共に全盛期の力を取り戻した。
 しかし絶対値が変わったわけではない。それは他の幻想達も同じだ。唯一絶対値を上昇させたのは"彼"だけ。

「だったか? もう随分と記憶も曖昧でな」

 クツクツと枯れ切った笑いを漏らす。
 凪いだ海のように穏やかな様子だが、その胸の裡を渦巻く感情の波濤は宇宙すら飲み込むほどだ。
 ゆえに扱いは慎重に、警戒に警戒を重ねるぐらいが丁度良い。

「それで、何故俺の下に? お前達からすれば俺は憎き人類を守護する忌むべき相手だろうに」
「……忌むべき相手であろうとも、僕らには手出しが出来ないだろう?」

 或いは、心の底ではもう止めてしまいたいと思っているのかもしれない。
 何もかもから解き放たれ総てを無に還してしまいたい――そう思っているのだとしたらやはり危険だ。
 ミカエルは額に汗を浮かべながら冷静に"彼"の観察を続ける。
 "彼"が自棄になってしまえば人類は滅ぶだろう、それは喜ぶべきことだ。

 が、その代償は大きい。歓喜と引き換えに世界が壊れてしまう可能性があるのだから。
 総ての枷から解き放たれた"彼"の力は強大無比。
 総ての幻想を相手取り、諸共に総てを壊してしまえるだけの力を持っている。
 この世界から人と幻想が一気に死ねばどうなるか。

 幻想が真の意味で不死なのは確かだが、総ての幻想が同時に死に絶えればどうなる?
 良い結果を生むなんて考えられるのはよっぽどの馬鹿だけだ。
 そして多くの幻想は賢明である。ゆえに"彼"と"彼"が治めるこの国に不干渉を保っている。
 扱いには細心の注意を、その心の裡を読めぬミカエルにとってはただただ恐ろしいだけだ。

「そうかい……」
「我らが此処に来た理由を伝えよう。そしてミカエル、お前は黙っていろ」
「はいはい、こりゃ失礼しましたよぉ」
「――――ラプラスから報告があった」

 メタトロンはまずそう切り出した。それだけでただならぬ事態が起きていると察してくれるだろうと考えたからだ。
 誤算があるとすれば、

「……中立を気取ってるあの観測魔がか? 一体何を?」

 そのラプラスが完全中立であると誤認していることだ。
 素知らぬ顔で驚いたフリをする"彼"だが、ラプラスは既に"彼"の傀儡である。
 まだ人類と幻想が戦っていた頃には既に、"彼"の糸で絡め取られていた。
 あらゆる世界を観測し、萌芽の兆しを知るためだけに。

「何時か何処かの"春風紫苑"が有り得ざる大博打を打ったのだよ」
「ほう……博打、ねえ」
「詳細を話せば用件も分かってもらえると思う」

 そう前置きして、何時か何処かの世界で起ころうとしている大事変について静かに語り始めた。
 "彼"はメタトロンの語りに静かに耳を傾ける。
 その間も、草臥れた表情は変わらず、ただそのヘーゼルの瞳だけが色を濃くしていった。

「聖書の蛇、生命の果実、我らの領域を侵さんとする愚行……分かるだろう?」
「ああ」

 ぞっとするような笑みを貼り付けて"彼"はメタトロンの言葉に追従した。
 まあ、内心は違うのだがそれを知る者はそれこそ何時か何処かの"彼"ぐらいだろう。
 同一存在でなければその考えを正確に読み取ることは出来まい。

「幻想を完全に消せるかどうかも分からない、よしんば消せたとしても――――どうなるか分からない」

 紫苑達の世界のみならず、今も幻想と戦い続けている世界では未来が無い。
 少なくともその世界に居る者達はそう思っている。
 だからこそ、溺れる者は藁にも縋るの格言通りに不確かな希望に縋ろうとしている。
 どうして幻想が消えてそれで万々歳なんて思えるのか。

「幻想もまた世界を構成する要素の一つだ。それが消えてしまえばどうなる?
完全に消えてしまったのならば何が起こる? 神すら知らぬ未知が訪れるぞ」

 それが最良の未来を齎すかどうかは分からない。
 そしてそれだけの大きな変化が訪れればそれを基点に統合が起こるだろう。
 下手をすれば今この世界の数少ない人類すら消えてしまうかもしれない。
 ゆえに"彼"は動くとメタトロン達幻想は誤認している。
 最適化された祈りのままに生き続ける"彼"ならばと勘違いしてしまっている。
 ハッキリ言おう、それは致命的な陥穽だ。幻想は確実に後悔するだろう、わざわざ自分達からこんな話を持って来たことを。

「その世界に飛べと言うんだな?」
「君ならば出来るだろう?」
「出来る。が、条件が一つある。そちらの春風紫苑だ。俺と同じにさせてもらうぞ」

 幻想側にとってその提案は織り込み済みだった。

「あちらの我らには既に話は通してある。君のために、我らのために利害は一致している」

 誰も彼もが道化に堕する。賢しげに考えを巡らせている現状の何と滑稽なことか。

「頼むぞ――――"春風紫苑"」

 これより、道化芝居は最終幕へと突入する。
 脚本は長い年月を経て想念の怪物となった最低最悪の道化、春風紫苑。
 誰も彼もが知らぬ間に道化と化し、紫苑の望むままに踊り続けることになる。
 終わりを目指して一直線、賽は投げられた、坂道を転がり出した石は砕け散るまで止まることはない。

 主演は二人の春風紫苑、傍目にはまったく違う属性を有しているように見えようが根底は同じ。
 ただただ薄汚い我欲を満たすがためだけに三千大千世界を巻き込み踊る。
 その結果として誰かが笑い、誰かが泣くことになるだろうが本人達からすれば知ったことではない。
 自分さえ良ければそれで良い――――それに尽きる。

 醜いだろうが、それは決して否定出来ない人の一側面だ。
 紫苑の場合はそれだけで構成されているので性質が悪いとかそう言うレベルではないが。
 ただ、その性質の悪い男だからこそ成せることもあるのだろう。
 さて、並行世界の春風紫苑――シオンが動き出した頃、紫苑は……。

「ヘックシッ!!!!」

 盛大なくしゃみをしていた。
 丁度並行世界のシオンが動くのを決めたのと同じタイミングで。
 同位体であり、尚且つあちらは凄まじい力を持っているので何某かの繋がりが生まれたのかもしれない。

『風邪かよ?』
「(いや、誰かが俺の噂をしてるんだろう……参ったなァ! メシアでごめんね!?)」

 今日は十二月二十四日、クリスマスイヴ。
 決戦を明日に控えていると言うのにこのお気楽っぷりには呆れるばかりだ。
 今の紫苑には不老不死を得て幸福となった自分の姿しか見えていない。
 明日の戦いでかなりの人間が死ぬだろうに微塵も心を痛めていない――いやまあ、痛めてたらそれはそれで気持ち悪いけど。

『よ、日本一!』

 幸福に浮かれている紫苑を見て可愛く思ったのかカッスがよいしょを繰り出す。

「(バーロー、そこは宇宙一だろうが!!)」
『ゲヘへ、そうでげすな!』
「(何キャラだよ気持ち悪い)」
『え、酷くない?』

 カス蛇の抗議をさらりと流し、ネクタイを整える紫苑。
 明日の決戦を前にしてこれから演説を行わねばならないのだ。
 演説の内容は特に考えていないものの、その場のノリでどうとでも出来ると思っている。
 舐め腐ったことをと思うかもしれないがそれで出来てしまうのが紫苑である。
 こと舌を回すと言う分野においてこの男以上の存在は居ない。
 人類史上最悪のアジテーターである、髭の伍長もビックリだ。

「本部長、そろそろ準備はよろしいですか?」
「ああ」

 前のように国連本部――と言うわけではない。
 明日に決戦を控えているのに米国まで行っている暇は無いのだ。
 なので日本国内にてテキトーに場所を見繕っての演説である。

「(ちゃっちゃか終わらせて帰りてえなぁ……不老不死の前祝に美味しいもの食べるんだ、僕ちん)」

 厳粛な空気を漂わせ会場に現れた紫苑を見て、報道陣らも一斉に静まり返る。
 彼の脇に控えるのは何時もの面子プラスベアトリクスの計十一人。紫苑を入れれば十二人だ。
 そうそうたる顔触れ、殆どが美男美女なので正装がこれでもかと言うくらい絵になっている。

「明日、日本時間の正午十二時に戦端を開きます」

 以前から告知はしていたものの、改めて言葉にする。
 そうすることで気を引き締めさせるのだ。

「今、この瞬間からテレビやネットでも日本時間が表示される時計が出ているはずなのでしっかり見ておいて下さい」

 業務連絡のような形だが、これは前フリだ。
 聞いている者の心を撫で繰り戦いに駆り立てるアジテートはここからである。

「業務連絡――と言う表現は正しいかどうか分かりませんが、とりあえずこれで終わりです」

 ここからは私心を語る、そう前置きして紫苑は瞳を閉じた。

「まず、今を生きる総ての人々に感謝を伝えたい。
(俺の役に立ってくれてありがとう……いや、これから役に立つから少し違うか)」

 誰よりも強い意思の光をヘーゼルの瞳に宿しながら、紫苑は深く深く頭を下げた。

「(それに俺の役に立って死ねるんなら本望だよな。むしろ俺が感謝される側か)」

 明日で世界が終わる可能性だってある。だと言うのに春風紫苑は春風紫苑のままだ。
 この揺るぎなさに思わず拍手を送りたいカス蛇だった――蛇の手とは何処だろう?

「共に未来のために戦うことを選んでくれて、本当に本当にありがとう。
強大な敵に立ち向かわねばならない恐怖も、不老不死に対する不安も、総て消し飛んだ。
皆の心が共に在るおかげで俺は今こうしてしゃんと立って居られる。
ここに至った皆の勇気と覚悟に心からの感謝を――――ありがとう」

 さらりと不老不死が不本意であることをアピール。
 いやー不老不死とかマジ勘弁なんだけど人類を救うためだもんなぁ……カーッ、しょうがねえ! ってな具合である。
 この厭らしさには反吐が出てしまうのも已む無しだ。

『もう、何も怖くない』
「(何か不吉を感じる物言いをヤメロ!)明日になれば人類史上最も過酷な一日が始まる」

 過酷なのは紫苑以外である。紫苑にとっては満願成就の一日になるのだから。
 不老不死不老不死、口にする度心が躍る。
 未来への希望が膨らむ、何と素晴らしい――明日は明るい日なのだと心から実感出来るではないか。

「だからせめて今日だけは……忘れろ、なんて難しいかもしれない。
だけど今日は、今日だけは、傍らに居る大切な人を想って一日を終えて欲しい。
友達、家族、恋人、間柄は様々だけど、誰にだって大切な人は居ると思う。
今近くに居なくても、想うことは出来る。深く想おう、そしてその人がどれだけ大切なのかを改めて確認しよう。
そうすることで、明日、戦うための力が沸いて来るから。だから精一杯、愛を謳ってくれ」

 現在進行形で(自己)愛を謳っている紫苑の表情は仏のように穏やかだ。
 とても明日、神々に喧嘩を売るようには見えない。
 しかしそれも当然。紫苑は戦わないのだ。血みどろの闘争は総て他人任せ。
 高貴なあてくしに戦いなんて野蛮なことは出来んザーマス! とばかりに傍観を決め込むつもりなのだ。
 ゆえに恐怖など微塵も無い。お前ら俺のために道を開け、そして死ね――本当に本当に屑野郎、それしか言う言葉が見つからない。

「俺から最後に、もう一つだけワガママを言わせて欲しい。明日の戦い、どうやったって犠牲は避けられないだろう」

 千度奇跡が起こっても死人一人出さずに明日を終えることは出来ないだろう。
 それぐらいは子供にだって分かっている。

「それでも、皆には未来のために命を捨てるだなんて考えて欲しくはない。
あくまで未来を掴むために、生きるために戦うのだと忘れないでくれ。
分かっている。全員が全員、誰も欠けずに戦いを終えられるだなんて思っちゃいない。
だけど、それでも俺は皆に生き抜くのだと言う意思を柱に戦って欲しい」

 未来のためならば命なんて惜しくない、大そうカッコ良い台詞だ。
 しかし、カッコ良さなんか要らない。生きるために戦う、それは大原則だ。

「"Dum spiro, spero"――その胸の鼓動が鳴り止まぬ限り、生きることを諦めるな」

 それは優しくも残酷な言葉だが、誰もがそうであれと願う真理でもあった。
 そりゃそうだ。実際に戦う者も同胞には死んで欲しくないし自分も死にたくない。
 護られている者もそう、戦っている者達に死んで欲しくないと祈っている。
 生きることを諦めない、最後の最後まで生きると言う意思を持ち続けろ――人々は紫苑の願いをその胸に刻み込んだ。

「俺からは以上だ。皆からは何かあるか?」

 紫苑の両サイドに居る仲間達はそれならばと一歩前に進み出る。

「そうだね、うん……なら、生きるために、未来を掴むために戦う、それが大原則だと紫苑くんは言った。
もっと踏み込んで考えてみよう。生きるって何だろうか? ただ心臓が動いてりゃそれで良いのか?」

 違う、と天魔は強くそれを否定する。
 ただ生命活動を続けていれば生きているのだなどと言うのは違うのだと。

「私は、別に善人ではない。エゴのために戦っている」

 まずそこをハッキリさせねばならない。
 アイリーンは過酷な戦いに臨む理由をエゴのためだと言い切った。

「世界のためとかどうとか、そう言うのもののために私は戦えないわ」

 雲母は困ったように笑う。
 身勝手でごめんなさい、それでも自分達にとって生きるとはそう言うことではないのだと。

「好きな人が笑ってくれへんかったら、自分だって幸せとちゃうもんな」

 生きると言うことは自分一人で完結しているわけではない。
 生きるとは、他者との繋がりによって初めて実感出来るものだから。
 麻衣は自分なりの生きるを提示する。

「人の未来が閉ざされれば紫苑お兄さんはとっても哀しむわ。私、そんな顔なんて見たくないの」

 世界よりも重く想える一個人、誰にだってそう言う存在は居るだろう?
 アリスにとってのそれは春風紫苑で、紫苑こそが戦う理由だ。

「言葉にしてみれば単純です。好きな人を――春風さんを幸せにしたいから私は戦うんです」
「愛しい人を幸せにしたいから戦う。世界なんてのは言ってみれば二の次なんですよ」

 人類の未来なんて愛する人を幸せにすることに比べれば二の次だ。
 ただ、今回に限っては人類の未来を切り拓くことが愛する人の幸せに繋がっている。
 だから戦うのだと醍醐姉妹は胸を張って正直な気持ちを謳い上げた。

「私が惚れてる男は随分と傲慢な奴でな。皆が笑わなきゃ笑えねえってよ。
幻想を総て塗り潰し、何の憂いも無くなかった世の中を見せてやるためなら私は何でもしよう」

 総ての憂いを祓い、希望に満ちた地平を見せる――それこそが葛西二葉にとっての勝利だ。

「今彼女らが語ったことは随分独善的なことだ、しかし自分はそれで良いのだと思う」

 アリスの従僕だから――と言うわけではない。
 魂を持つ人形ルーク・ミラーは心の底から女達の我欲を肯定している。

「愛する人のため、自分のため、何でも良い、です。
だって、根底にあるのは同じだから。未来を望んでいるのならばそれで良いんです」

 ベアトリクス自身もそうだ。
 世界のためとか人類のためなんてスケールの大きい理由ではイマイチピンと来ない。
 彼女はルドルフと共に生きる未来が欲しいから戦う覚悟を決めた。
 自分達の幸せを願ってくれた無垢な幼子の献身に応えるために戦っている。

「様々な戦う理由、しかし卿らはそれを恥じる必要は無い。
堂々と謳い上げろ、己が生きる理由を。私は愛すべき仲間達と歩む未来が欲しい。
そしてその理由に恥じ入るべきものは一片たりとも存在しない。
我らの想い、一つ一つは小さくか弱いものだろう。しかし寄り集まればそれは大きな力となる」

 一つ一つは小さな篝火でも総てが集えば未来を照らす光となり道を切り拓く。
 四月に紫苑が言った言葉だ。そしてルドルフもそれを信じている。

「(くっさ! コイツらくっさ! 何真顔でそんなこと言ってんの?)」

 これまでの発言総てを省みてからそんなことを言え。
 世界中で誰もが共有している想いをこの男だけは共有していない。
 震えるほどハブ! 燃え尽きてしまえ屑! ドドメ色の紫苑疾走には嫌悪感しか沸いて来ない。

『紫苑さんも真顔で臭いこと言ってるじゃないっすか』
「(俺は心にもないことを言ってるんだからセーフ。真面目に言ってる奴はアウトだ)」

 一体どんな基準なのか――ふと、今まで喋っていた者達の視線が自分に向いていることに紫苑は気付く。
 語るべきことは語り終えた、後は紫苑が〆てくれと言うことだろう。
 小さく頷き、深呼吸をして一歩前に出る。
 その表情は仲間の言葉に感じ入るものがあったかのように感慨深さを滲ませていた。

「泣いても笑っても明日で総てが決まる。そして明日はクリスマスだ。
互いが互いにプレゼントを贈ろう――――未来と言う名のクリスマスプレゼントをな」

 聖なる夜を新世界への希望と共に迎える。それは何て輝きに満ちた未来だろうか?

「素敵なクリスマスにしよう、約束だ」

 そう告げて演説を締め括る。
 会場に居る者、居ない者、あちこちで万雷の拍手が鳴り響く。
 人間とは愚かだ、歴史を振り返っても間違いばかりを犯している。
 それでもこうやって想いを重ねて一つの目標に向かって往けるのならば人間もそう捨てたものではない。
 誰もが口には出さずとも、そんな確信めいた希望を抱いていた。

「ふぅ……やっぱりどうも、ああ言うのには慣れないな」

 控え室に戻り、ネクタイを緩めながらそんなことをぼやく――勿論本音ではない。
 本音では流石は俺だな何時も通り良い仕事した! と満足感でいっぱいだ。

「いや何、卿の演説は堂に入ったものだったぞ?」
「難しく考える必要は無いわよ。変に飾らず何時もの紫苑お兄さんの素直な気持ちを口にすれば良いだけだもの」

 昇天ド下衆外道盛り――そんなネーミングがつきそうなほどにゴッテゴッテに飾り付けている件について。

「そう言われてもな……そもそもからしてあんな風に目立つのも恥ずかしくて顔から火が出そうなくらいなんだ」

 反吐が出るほどの目立ちたがり屋が何か言ってるけど全然聞こえない。

「おいおい、私を嵌めるために人目を利用したじゃないか?」
「それとこれとはまた意識が違うから別なんだよ……」

 はぁ、と肩を落とす紫苑。控え室に楽しげな笑い声が響き渡る。

「さ、春風さん。もうやるべきことを終えたし早く帰りましょう」
「……そうだな。沢山食べて沢山笑って沢山寝て、明日に控えなきゃいけないもんな」

 勢い良く立ち上がりみなを見渡す。

「よし、帰るぞ!!(ウヘヘ……ゲヘヘ! 明日で不老不死! 不老不死ィ!!)」

 馬鹿の一つ覚えとはこのことである。
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