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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

191/204

ああ良かった! やっぱり紫苑さんだ!

 十月三十一日、この日はハロウィンだ。
 この日は死者の霊魂や悪魔が彷徨うので仮装をして同族に成りすまして難を逃れようぜ! な日である今の世界では笑えない。
 それはさておき、死者が集うと言う意味では今この場に居る面子は中々に豪華な死者の群れだ。
 大阪城の大広間に集まった織田・豊臣の重臣達。

 上座には紫苑、そしてその両脇には織田信長とその姪である茶々姫。
 ずらりと並ぶ顔ぶれは戦国時代を好む人間にとっては垂涎ものだろう。
 明智光秀、豊臣秀吉、柴田勝家、真田幸村、竹中半兵衛と黒田官兵衛の両兵衛、石田三成に加藤清正ら七本槍。
 パッと有名どころを上げるだけでもオールスターと言う言葉が相応しい。

 まあその内の一人は自分の家を主君の姪で元嫁に乗っ取られていて可哀想な気もするが、それは置いておこう。
 好き好んでエテ公の話をしたところでしょうがない。
 さて、何故この面子が集まっているかと言えば来る大戦を前にして暇なうちに宴でもしようと言う運びになったからだ。
 ちなみにジャンヌ・ダルクとジルドレも列席していたりする。中国での大戦で織田家と共同戦線を張ったからだ。

「さて、何かこう真面目ぶったことを言おうと思ったが止めだ。
そもそも宴の前にそんなことをされても白けるだけだしな。少なくとも俺はそうだ」

 両家を代表して信長がスピーチをする運びになっていたのだが流石はうつけ者。
 この男、現代に生きて居れば絶対に校長の挨拶とかサボっていただろう。

「御大将は何かあるか?」
「いや、俺も同感だよ。特には無い」

 と言うより面倒臭い。やる場面ではペラを回すがそうでないならば極力する気は無いのだ。
 信長は紫苑の言葉に満足そうに一つ頷き、今度は姪を見やる。

「お前も無いな?」
「……うむ」

 本当はあったのだが紫苑が何も言わないのならば言うわけにはいかない。
 だって何か空気読めてないみたいだし、それに男より前に出ると紫苑に思われたくないのだ。
 元旦那の家を乗っ取った女が何言ってんだと思うかもしれないがそこはそれ。
 乙女のいじましさと言うことでスルーするのが男の器量と言うやつだろう。

「よし、それでは全員グラスを持てい!」

 この宴のために大阪城の厨房には現世の料理人がレンタルされており、食事も酒も総て現世のものだ。
 いずれ消える運命ならば精一杯現世を味わおうと言う信長の粋な計らいである。

「乾杯!!!!」

 信長の音頭に呼応して、野太い声が響き渡る。
 この場に居るのはムッサイ男ばかりなのでしょうがない。女なんてたった二人だけだ。

『む、むさ苦しいなぁ……』
「(女二人も芋とタカビーだしなぁ……俺以外に華が無いわ)」

 言外に――と言うより割りと真正面から自分だけはむさくないとアピールをする紫苑。
 こう言う上から目線の男が一人居るだけで場が白けてしまうのだが表には出さないので問題は無い。
 この男、空気だけは読めるのだ。場に適した行動を取らせれば一流以上である。

「って言うか拙者気付いたんだけど織田連中ってジジイばっかじゃね? ミッチー」
「……いきなり何を言い出すんだお前は」

 酒を呷りながら隣に居る三成に絡んでいる幸村。
 三成は神経質さが滲み出る顔を歪ませ心底鬱陶しがっているがユッキーは気にしていない。

「だってノブノブとか三十三歳差だよ? もうこれあれじゃん、親子の幅ぶっちぎりじゃん。
で、当然織田の連中も大体同年代か少し下、少し上でしょ? ほらもうジジイじゃん!
拙者らの全盛期にはすっかり忘れ去られてた悲しい人ばっかだよ?」

 その言葉に遂に我慢の限界を超えた織田家オールスターズ。
 怒号が飛ぶものの、やっぱりユッキーは気にしていない。

「小僧、あまり調子に乗るでないぞ!?」
「うるせー。鬼柴田とか言われてるくせにあっさり猿にやられたくせによー。猿より弱い鬼って何だよ」

 昔のことをほじくり返し始めたら居心地が悪くなるのは秀吉である。
 織田家の基盤丸々乗っ取ってアレコレした出世欲旺盛な秀吉は自身の城だと言うのにとても居心地が悪そうだ。
 そして織田家の分裂にまで話が及ぶと、当然、その原因となった光秀についても言及せざるを得ない。

「フフフ……皆さんが忘れ去られたのも私のせいですよ私の」

 息子はヤンデレだし後世にまで裏切り者として名を残すしで踏んだり蹴ったりの光秀。
 彼が居る辺りからは傍に居るだけで欝になりそうなオーラが漂い初めていた。

「止めろよ光秀! お前悪くないって俺達知ってるもんよー!」
「そうだよ! そりゃ一度は瓦解したけど織田家は復活したじゃん!」
「俺達ずっ友だろ!? だから醤油を一気飲みしようとするのは止めろ!」

 相変わらず死に芸をネタにする光秀と男子高校生みてえな織田家家臣軍団。
 仲が良いのは結構なことだが、彼らのファンが見れば卒倒するのではなかろうか?

「……」
「どうした、茶々?」
「いや、よう考えれば義父殿がおるのだなぁ……と」

 ぶっちゃけ絡みは殆ど無かったのだが、母が共に最期を迎えた相手が柴田勝家だ。
 よりにもよってあんな髭もじゃと再婚させんでも良いだろうに思う茶々だった。

「まあ良いわ。紫苑、酌をしよう」
「む、ありがとう(コイツは俺に惚れてるけど何もしてこねえから楽だわ)」

 ともすれば自意識過剰な馬鹿の物言いに聞こえるが当たっているのが酷い。
 茶々は嬉しそうに酌をしていると言うのにこれでは救えない。

「ところで信長よ」
「どうしたね御大将」
「これは茶々にも頼みたいんだが、暇な時で良いし嫌なら拒否しても構わんが二人や家臣らの人生を記してくれないか?」

 んん? と首を傾げる伯父と姪っ子。
 紫苑の言わんとしていることがイマイチ分からないらしい。

「二人や、この場に居る皆は日本の歴史的に見ても最も賑やかな時代を生きた者達だ」

 良きにしろ悪しきにしろ戦国時代と言うのは輝きを放っていた時代だった。
 多くの史家が血に彩られながらも煌びやかな戦国の世に惹かれて研究をしていることからも特別な時代であることは確かだ。
 学校の授業などではそう深く触れることはないが、それでも殆どの日本人は信長や秀吉の名は知っている。

「とは言え、正確性に欠く資料も多いし散逸しているものも多い」
「まあ……そうよなぁ。私なぞ姉妹が主役の大河ドラマがあると聞いてどれどれと見てみたが……」

 茶々は何とも言えない表情で口ごもる。
 大昔の大河ドラマだが、当時を生きた人間からすれば滑稽極まりないので無理もない。

「私がそうだったように、江も特に伯父上と接点は無かったのだがな。
他にも色々おかしいところはあったが口に出すのも憚られるわ。あれ私の妹なの?」

 GOUについて色々物申したいようだがこれ以上は蛇足になるので止めよう。

「まあ、確かに俺だって巨大化したりしねえしなぁ……歪められて伝えられてるってのは分かるぜ」

 いや、信長の巨大化はまた別問題だ。
 ああ言う類のものは割り切ったファンタジー戦国なのだから赦されて然るべきである。

「勿論、正しいことだってあるのは確かだ。多くの史家が必死に研究して正しい像を浮き彫りにさせた。
だが、当時を生きて居たものにしか息吹は吹き込めない。だから皆の生きた証を記して欲しいんだ。
別に大きな事件だけを書き記して欲しいわけじゃない。本当に些細なことでも構わないんだ。
日々、何を感じて生きていたか。大きく動く世の流れの中で何を思っていたのかとか……主観でも全然良い」

 少し気が回る人間ならばそれが気遣いだとすぐに分かるだろう。
 いずれ消え往く自分達の身を惜しんでくれているのだ、春風紫苑は。
 ゆえにせめてこの時代に確かに存在したのだと証を立てさせてくれようとしている。

「……ありがとよ」

 少しだけ乱暴に信長は紫苑の頭を撫でた。
 紫苑の側からは腕が邪魔で見えなかったが、茶々には確かに見えていた。
 信長は笑っていたのだ、照れ臭そうに、それでも嬉しそうに微かだが笑っていたのだ。

「いや、こんなものは……(おい、俺のキューティクルが破壊されるだろうが!!)」

 勿論、紫苑は気遣いでこんなことを言い出したのではない。
 単純に文化面でも自分の功績が欲しかったので提案しただけだ。

「偽善かもしれないってか? だけどそれでも俺はありがたいと思ったんだ。もう少し自信持ちなよ、大将」
「……やっぱり、凄いよ。織田信長は何時だって自信満々だ」
「じゃなきゃ魔王なんて名乗れねえよ」

 パン! と大きく手を叩き信長は全員の注目を集める。

「そこはかとなく聞いてた奴も居るだろうが、改めて俺から下知を下す。
今の世に遺る俺達を伝える資料もそれはそれで面白いが、実像を知られぬと言うのも悲しい。
つーわけで、お前らの嬉し恥ずかしな戦国メモリーを赤裸々に記せ。
明日から十一月だが、十二月に入るまではそこまで忙しくねえだろうしな。
俺も足利の馬鹿将軍に苦労させられてキレまくった日々とかめっちゃ記すから!」

 信長は己が恥も栄光も総てを記すつもりで居る。
 弟を殺さざるを得なかったことに対する後悔、苦渋も葛藤も何もかもを。
 綺麗な部分だけしか遺さぬなど愚か極まる。清濁併せて人間なのだから。

「と言うか伯父上、あなたは豊臣の頭では無いだろうに何を大将顔で命令を……」

 そう言う茶々も簒奪者なのだから正統ではないだろう、秀吉が死んでりゃ別だが生きてるし。

「まあ良い。豊臣の臣よ、聞いておったな? 織田の文官とも協力して詳しいことを煮詰めろ。
無論、私も惜しみなく協力するつもりじゃ。明日からは少しばかり忙しくなるぞ」

 茶々は女だ。戦国の世において女と言うものの立場は低い。
 名家の姫であろうと政略の道具でしかなく、茶々自身もそうだった。
 それでも意思が無かったわけではない。一個の人間として日々を懸命に生きていた自負がある。
 報われたとは言い辛いが、それでも何の価値も無い人生だったわけではないから。

 ともあれ、信長、茶々の両名から下された下知に俄かに色めき立つ家臣達。
 彼らにも思うところはあるのだろう。ああ言われてるが実は俺達こうだったんだぜ! と。
 特に光秀の一件は大きいだろう。大逆人として歴史に名を刻んだがその実、裏切りは本意ではなかったのだから。
 とは言え、秀吉の晩年については弁解不可だろう。あれはもうどうしようもない。

「ちなみにあれだ、御大将は俺達のことで気になるのはあるかい? 口頭で良けりゃ教えてやるぜ?」

 紫苑が読書家で、歴史小説なども読んでいると雑談の折りに聞いたことがある。
 なので折角だしと話題を振ってみたのだ。信長から直に当時のことを聞けるのは貴重な体験だろう。

「気になる事柄は幾らでもある。信長の代名詞である桶狭間の戦いとかな」

 桶狭間、あるいは田楽狭間にて織田信長は当時最も天下に近かった男今川義元を奇襲で破ったと言う。
 それが今川家の凋落の始まりであり、織田家が飛躍した切っ掛けであった。

「桶狭間……ああ、そう言う名で呼ばれてるのな。なら俺もそう倣おうか。で、その桶狭間の戦いの何が気になるんだ?」
「諸説あり過ぎてどれが真実か分からないんだよ。狙って奇襲したのか、偶発的だったのか」

 その他、そもそもからして織田は少数だったと言うが実際はどうなのか。
 資料によっても色々違うのでどれが真実かは今を以ってしても分かっていないのだ。

「狙ってやったに決まってるだろ。あん時は進退窮まってたし一発逆転の目を狙うしかなかったからな。
あちこちに信の置ける密偵を配し、天候を読み、連中の行軍状況を読んで殆どの家臣に知らせぬまま機を待ち動いたのよ」

 つまるところ、後世に伝えられる華々しい活躍は事実だったと言うことになる。
 そうなると面白くないのは紫苑だ。彼は実際は大したことなかったと言う答えを望んでいたのだから。

「(ケッ……情けねえぜ今川義元。何を尾張のうつけに負けてやがんだよファック!
東海一の弓取りなんでしょ? 大そう名で呼ばれてたくせによー!)それはまた……凄いな」
「凄かねえよ。むしろ下策だ。最上は真正面から潰すことだしな」

 一番良いのは圧倒的兵力で真正面から蹂躙することだ。
 奇襲なんてものは追い詰められた者が取る苦肉の策で、そこまで追い詰められたのだから凄いも何も無い。
 信長からすれば代名詞とも呼べる桶狭間はそう誇れるものではないようだ。

「ふむ、そうか。良いな、そう言うことも注釈付きで記してくれると学者は喜びそうだ」
「分かっておるよ」
「他にも松永の裏切りについてとか――――」

 松永と言う名を出した瞬間、何人かの家臣がグラスを握り潰した。
 彼らは何も言わないが顔にはハッキリとこう書いてある――あの腐れボンバーマン、と。
 松永久秀と言う男はあまりに自由に生き過ぎた、戦国の価値観ですら忌避されるほどに。
 彼に対する怨みは死後でも収まらないらしい。

「弾正か。俺はそう嫌いじゃないんだがな」

 三度の赦しを施そうとしたのは何も利だけではない。
 信長と言う個人が松永久秀と言う個人の性格を好んでいたからでもある。

「……意外だな」
「ああもギラギラと活力に満ちた男は見ていて気持ちが良いからのう」

 君と臣では視点が違うと言うことだろう。
 まあ実際、松永久秀のアクティブさは普通に凄い、将軍殺すわ大仏燃やすわ息をするように裏切るわでやりたい放題だ。
 生前にそれだけやったから今の世には居ないのかもしれない。
 居たとしても枯れ果てていて動く気力が無いだけかもしれないが。

「はいはーい! 春風殿、某らにも聞きたいことないのー!?」

 家臣達もさりげに自分の武勲や逸話を自慢したいのだろう。
 赤ら顔の両家家臣達は期待を込めて紫苑を見ている。

「そうだなぁ……秀吉や三成の気遣いについての逸話なども真偽が気になるな」
「儂の気遣い?」

 はてと首を傾げる秀吉、三成も同じように首を傾げている。

「ああ、草鞋のエピソードだ。冬に信長が草鞋を履いた時に温かかったので尻に敷いてたな!?
ってキレたら、いいえ殿、懐にて温めておりました。殿のおみ足が冷えぬように……みたいな?」

 十中八九後世の逸話だろうと思っていたのだが、

「あー……そんなこともあったのう。なあ、猿よ」
「はぁ。しかしそがな話まで残っとるゆーんは恥ずかしい話ですな殿」

 主従は懐かしい懐かしいと笑うだけ――つまり真実。
 おかげで紫苑のテンションは更に降下してしまった。が、その紫苑を悦ばせる存在が一人。

「……そうまでして媚びたいのか。賎しい猿よのう」

 ボソリと、しかし絶対零度で以って漏れ出た茶々の呟きに場の空気が凍て付く。
 秀吉はもうさめざめと泣いている――秀吉はイジメるのはやめたげてよぉ!

「し、して……秀吉様の気遣いはともかく、某の気遣いとは何で御座いましょうや?」

 すかさずフォローに入った三成。
 生前もこれぐらい上手くやれていれば周囲との軋轢を生まずに済んだだろうに……。

「覚えは無いのか?」
「はぁ……某はあまり器用な性質ではありませんので、むしろ怒りを買うことも多く……いや、恥ずかしい限りです」

 恥ずかしそうに頬を掻く三成、今度こそはと期待に胸膨らませる紫苑だが――どうせ無駄である。

「秀吉が長浜の城主だった頃だったかな? 鷹狩の途中に立ち寄った寺で三成と出会ったそうだが……」
「ええ、太閤殿下とはその折に」
「おお! あれではないかえ三成や。お前が出してくれた茶だ!」

 鷹狩で疲れていた秀吉は寺の小姓であった三成に茶を所望した。
 彼は一杯目を大きな茶碗に温めの茶、次に一杯目よりやや小さくやや熱めの茶、三杯目には小さな茶碗に熱めの茶を出したと言う。
 秀吉が何故このように茶を出した? と問えば三成はこう答えた。
 お疲れのようでしたのでまずは喉を潤すために飲み干せる量を。
 そこからは茶の味を堪能して貰うために御座います、と。その細やかな気配りが気に入った秀吉は三成を取り立てたと言う。
 創作説もあったがどうやら真実だったらしい。

「ああ、あれですか」

 その他にも三成の茶に関してのエピソードはあるが割愛する。
 気になればネットの海に君臨する先生にお伺いを立てて見るのも面白いだろう。
 さておき、信長から始まった昔語りはその後も随分と盛り上がった。
 まあ、中には光秀による義息子語りなど笑えないものも多々あったが。

 それらが一段落すると今度は護国がために戦えるのは誉れだと近い将来訪れる大戦の話題へと移って行った。
 が、その途中でジャンヌがこっそり席を抜け出すのを紫苑は目敏く発見。
 信長と茶々に断りを入れ、トイレに行くと言って席を離れてジャンヌを追う。
 彼女は宴会場からしばし離れた場所でポツンと佇んで居た。

「どうした、ジャンヌ?」
「あ、紫苑さ……いや、別に何でもねえですだよ」

 ぎこちなく笑って見せるジャンヌだが、何でもない女はそんな顔をしない。
 別に放置しておいても良かったのだが、信長がジャンヌの様子に気付いていたのだ。
 となると気付かないフリをしてやり過ごすことも出来ずこうして動くことにした。

「嘘は嫌いだな」

 それはえらく遠まわしな自己否定でしょうか?

「う……」
「これはあくまで俺の勝手な想像だ。間違っているならそれはそれで良い」

 と言いながらも紫苑は自分の考えに絶対の自信を持っている。

「織田や豊臣の皆は世界のため――と言うよりも愛する祖国のために戦おうとしている。
それが羨ましかったんじゃないか? どれだけ憎もうとも、ジャンヌにとってフランスは祖国だもんな」

 かつては憎悪し、憎悪のままに蹂躙した。
 その負い目があるし、二度と祖国の土は踏めぬとジャンヌも分かっている。
 それでもやはり、紫苑が言うように彼女にとってフランスは大事な故郷なのだ。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの。憎悪から解き放たれ、世界に飛び出し随分遠くまで来た。
今では少しだけ見え方も違っているんじゃないか? 今その目に映る祖国は愛すべきものだろう?」

 でなくば護国に燃える男達に羨望を感じるわけがない。
 心の中に祖国への愛あればこその羨望だ。自分もそんな風になりたい。
 別に英雄になりたいわけではない、それはもう十分に懲りている。
 ただ、ただ祖国のために命を賭して必死に戦ってみたいのだ。

「……それでも今のおらには、紫苑さって護るべき人が居るだ」

 仮にフランスで戦うことを赦されたとしても簡単に割り切ることは出来ない。
 祖国と同じぐらい、春風紫苑と言う存在は重いのだ。
 自身を孤独の業火から救ってくれて優しさをくれた人――彼と祖国を天秤にかければ前者に傾いてしまう。

「真に俺を想うならば、ジャンヌ、後悔が無い選択肢をして欲しい。
自分が消えると分かっていながらも、俺達に味方をしてくれる……その感謝はどれだけ伝えても伝えきれない。
それだけのことをしてもらって、じゃあ俺達に何が出来るだろう?
せめて皆がこの世に居た証を、後悔の無い選択をしてもらうことぐらいだ」

 言って紫苑はジャンヌを自分の胸に抱き締めた。
 香水などで飾っているわけじゃないがほんのり香るお日様の匂い。この素朴さがジャンヌの本質なのだろう。
 ヤルダバオトや当時の人間達はこんな素朴な少女を無遠慮に飾り付けて捨ててしまった。
 総てが総て人のせいとは言えないが、その事実もまた人の愚かさを示している。

「行って来い、ジャンヌ。お前がフランスで戦えるよう俺が取り計らってやる」

 優しく、優しくその背を押された気がした。
 これが厄介払いならば良かった、自分の意思じゃないと言い訳が出来た。
 しかし、そうじゃない。紫苑は心の底から自分を想ってこんなことを言ってくれている。
 そして、嬉しいと感じてしまうのは――――つまり、ジャンヌ・ダルクにとってはそれが正答なのだろう。

「……ありがとう、紫苑さ。おら、ほんとに紫苑さに出会えて良かったよ」

 死後に訪れた何よりもの福音だった。
 チュ、と瞳を開いたまま少しだけ長いキスをする、溢れ出る想いのままに。

「じゃ、じゃあおらもう戻るだよ! 紫苑さも早く戻って来てけろ!」

 パタパタと恥ずかしそうに宴会場に戻って行くジャンヌを見て、

「(非処女がこれぐらいで何照れてんだよ)」

 やっぱり最低な紫苑だった。
 宴会場に戻るとますますヒートアップしており、裸踊りをしようとして茶々の不興を買う者まで居た。
 尚、その者は茶々の射撃の的にされて別の意味で大成功していたが。
 そんな乱痴気騒ぎは結局、深夜まで続き紫苑が拠点に戻る頃には三時になっていた。

 本来ならばこのまま寝てしまいたいのだが、あまりにもアルコール臭い。
 このままベッドに転がり込むのは紫苑的にアウトなので大浴場へと向かう。
 そして身体から総てのアルコールを抜くべくサウナへ直行。
 酒をたらふく飲んでサウナに直行とか自殺志願者だろうか?

「――――随分酔うておるのう」

 三十分ほど籠っていると色気と稚気が同居した独特の声が耳朶を擽る。
 サウナの入り口には何時かと同じようにラムネ瓶を持った晴明がやっぱり全裸で立って居た。

「ああ……ちょいと飲み過ぎた。皆があまりにも楽しそうだったんでな」
「フフフ、ほれ」
「ん、ありがとう」

 差し出されたラムネを素直に受け取り、失われた水分を補給すべく速攻で開封し瓶に口をつける。
 熱された身体に染み渡る炭酸の爽やかさとほのかな甘さ。
 これだけで何かもう無敵状態になったような錯覚すら感じるほどだ。

「楽しかったかえ?」
「うん。楽しかった、皆が生き生きと楽しんでいるのを見るだけで此方も胸が躍ったよ」

 実際飯と酒だけは美味かったのでそこそこ機嫌は良い。

「皆が楽しそうだから、か。何ともそなたらしい物言いよのう」

 別に陰気と言うわけではないのだが、一歩退いて楽しそうにしている輪を眺めるのが好き。
 随分とらしい、そう言って笑う晴明に紫苑も釣られて笑みを浮かべる。

「俺らしいって何だよ……と言うか、晴明も来れば良かったのに」

 紫苑も一応誘いはしたのだ。
 時代がズレた甚だしいババアではあるが、過去の人間と言うことでは同じ括りだし。

「わらわは騒がしい場は……嫌いではないが、あんまり男臭いのは……のう?」
「酷い奴だ」

 いやぁ、酷さで言えば紫苑の足下にも及ばないだろう。

「あ、そうだ。晴明、信長らにも頼んだんだが――――」

 大阪城でした説明をそのまま晴明に伝える。
 全時代コンプリートと言うわけにはいかないが、これで戦国、江戸初期、幕末、平安時代については網羅出来るだろう。

「当時の政変やら民草の暮らし等は記しても良いが、わらわについては記さんぞ」

 晴明からの返答は条件付のものだった。
 学術的に役に立ちそうなものならば微に入り細に穿って書こう、しかし自分については完全ノータッチ。
 紫苑からすれば学術的価値がありそうなものだけで十分なので別に良かったが、

「……良いのか?」

 一応、表向きの理由としてはいずれ消え往く幻想を想ってのことだ。
 少しだけ寂しそうな顔で確認を取らねばならない。

「よいよい、そなたはほんに優しい子よな」

 晴明とて己らを気遣っての提案だと言うことは分かっている。
 だが、彼女自身は書に記して自身の証を立てると言うのは好きではないのだ。

「過去のわらわも、今のわらわも、文字にして残すつもりはないのだ。
ただただ、誰かの心に残ればそれでよい。万人に知られずとも何ら問題はないのよ」

 誰か、と言うのは語るまでもない。
 あらゆる命はいずれ死ぬ、しかしこれから先、終わりを剥奪された者が出て来る。
 その者の記憶にだけ残ればそれで良いのだ。それだけで良いのだ。
 晴明は紫苑の心に残る己にこそ価値を見出した。

「何も四六時中わらわを想えとは言わん。それは流石に贅沢が過ぎると言うもの」

 四六時中想う、それは情が深いように思えるが想われている側からすれば申し訳なさを感じてしまう。
 もうその時に己は居ないのに、彼の人は己に縛られている。そう感じてしまうのだ。

「永劫の時の中を生きるそなたが、時たま思い出してくれるのならばわらわは満足よ」

 晴明は己が欲深い方であると自覚はしている。が、それでも名誉などにはまるで興味が無い。
 後世の見知らぬ人間が自分を讃えようと罵ろうと等価だ。等しく価値を見出せない。

「俺が?」
「うむ、そなたの名は未来永劫、人の歴史が続く限りに褪せることはないだろう」

 常に燦然と天上に輝く至高の綺羅星。
 春風紫苑以上の存在は過去にも未来にも出て来ることはないだろう。
 勿論、紫苑が大戦に勝てばと但し書きはつくが晴明はそこを不安に思ってはいない。

「(分かってるじゃねえか狐ババア!)それは流石に……」

 思わず上機嫌になってしまう紫苑。ヨイショしとけば機嫌が良くなるのだからチョロいもんだ。

「言い過ぎでも何でもない純然たる事実よ。
その証拠に、かつてどんな指導者であろうとも成し得なかったことをそなたは成しておる」

 全人類の意思統一、不可能としか思えない奇跡を紫苑はやってのけた。
 それだけでもどんな指導者よりも優れていると言わざるを得ない。
 政治力や武力の問題ではない、いやまあ保有する武力も過去最高だが。
 メンヘラーズと言う狂犬とかそう言うレベルじゃないのを飼ってるわけだし。

「そんな男の記憶に刻まれる、何よりもの誉れで何よりもの生きた証であろ?」

 ある意味で晴明も永遠となるのだ。紫苑の思い出の中で眠りに着くのだから。
 女である彼女にとっては無上の喜びだった。

「(俺ちょっと誤解してた。狐ババア良い奴だな!)お前がそれで良いなら……分かった」
「とは言え、欲を言うて良いのならば……」

 ニヤリと、艶やかさと少々の邪気を滲ませた笑みを浮かべる。
 記録云々に関しては紫苑の思い出の中にと言うことで納得はした。

「何だ?」
「現世での心残りを無くしておきたくてのう。そなたが協力してくれればありがたいのだが」
「俺に出来ることならば何でも言ってくれ」
『ん? 今何でもするって言ったよね?』

 カス蛇の言葉は黙殺した。ちょいちょい茶々を入れて来るこの蛇、ひょっとして構ってちゃん?
 と言うのはさておき、紫苑にしては珍しく少しぐらいは協力してやっても良いと思っている。
 無論、晴明が良い具合にヨイショしたおかげだ。
 彼女自身はそんなつもりでなく事実を述べただけだろうが、実像を知っていればヨイショにしか見えない。

「本当かえ?」
「ああ」
「なら」

 すっ、と紫苑の手を取り自身の胸に手を当てる晴明――その胸は平坦であった。
 まあ天魔ほどではないが身長やら他の要素を鑑みれば小さい方である。

「わらわに女としての思い出をくりゃれ? そなたを――――刻み付けて」

 潤んだ瞳で紫苑に縋りつく晴明からは匂い立つような色気が滲み出ていた。

「……分かった」
『え――ェぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?』

 カス蛇の長い人生の中でも一番の驚きだった。
 この紫苑が女とヤることを承知した……だと……? 驚天動地である。

「(酔って若干ムラムラしてるし、好みじゃないが性欲を処理するついでに……な?)」
『ああ良かった! やっぱり紫苑さんだ!』

 これで安心を覚えるのは如何なものだろうか? とんだ畜生じゃないか。
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