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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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山奥でロリと戯れた後

 紫苑達は川縁にある巨岩に腰掛けて釣り糸を垂らしていた。
 昨夜色々とあったものの、
宿泊日数はまだ残っているので存分にレジャーを楽しむことにしたのだ。

「ふぅ……しかし、卿がアリスから聞いたと言う他校との戦い」
「加えてアリス以外の――あのトラック事故に見せかけて紫苑くんを襲った顔の見えない暗殺者」
「厄介なことばかりではないか。と言うか、事故の件も我らにもっと早く教えて欲しかったのだがな」
「(お前らやかましいんだよ……釣れねえだろうがバーカ)それはすまんな」

 両サイドに座るルドルフと天魔が鬱陶しくて仕方ない紫苑だった。
 まあ確かに釣りをする以上、静かにすると言うのは当然なのだが。

「で、紫苑よ。卿はアリスをどうするつもりなのだ?」
「どう、とは?」
「敵として対峙した。だが単純に倒すだけでは終わらんのだろう?」
「(それ以外の終わりなんてねーよ。つーか殺したいんだけど、あのクソロリ)」

 倫理や道徳、人が持っていて然るべきな初期装備がアリスには無い。
 そんな危険な輩を排除する以外にどうすると言うのか。
 少なくとも紫苑はそれ以外の方法など選ぶつもりはない。
 口では色々と言ったが実行する気は零だ。

「卿がどのような終着点を見定めているのか、アリスは待っているぞ……卿を、卿だけを」
「(けいけいうるせえんだよ。前から言いたかったがその気障ったらしい二人称止めろボケが)
待っている、か。ルドルフ、不思議の国のアリス、鏡の国のアリスを知っているか?」

 ぶっちゃけると、紫苑は可能ならば他校との戦いを辞退したいと思っている。
 現状戦う以外の道が無いから、
戦ってアリスを排除することだけを考えているが出来るならば戦いたくなんてない。
 危ない奴と好き好んで関わるような性癖は持っていないから。
 逃げ出したのならばあちらも興味を失くすだろうし、どうにかして辞退したい。

「名前ぐらいは、な。私は童話より英雄譚が好きでな。とんと疎いのだ」
「簡潔に言おう――その二つの物語の結末は同じ、アリスが夢から醒めると言うこと」

 アリス・ミラーの妄想ゆめは不安定な癖に頑なだ。
 強者至高の弱者蔑視、彼女自身が抱える孤独、どちらも捨てられない。
 捨てられないがゆえに矛盾は大きく膨らんでいく。
 強者至高を謳うならば永劫孤独の道を歩く決心を着ければ良い。
 だけど独りは嫌だから割り切れない。
 独りが苦痛ならば誰かに寄り添えば良い。
 だけど自分より劣る者は認めたくない。
 並び立たない論理、矛盾、アリスはそれらに雁字搦めにされているのだ。
 縛られていることに気付かなければ良かったかもしれない。
 だが、紫苑が調子に乗って煽り立てたことで気付いてしまった。

「俺に彼女を朝に連れて行く役割が担えるのか、
白の騎士が如く本当に彼女のためだけに心を砕いてやれるのか……自信が無い」

 そしてそこまでする道理もない。

「俺には足りないものが多過ぎる」
「ほう、卿の不足とは何だ?」

 ルドルフが興味深そうに問いを投げる。不足と言うのならば誰もがそうだ。
 皆が皆、足りぬ足りぬとそれを埋めようと足掻いている。
 そしてそれが人生なのだろう。
 彼とて紫苑が無欠無謬ではないと理解している。
 だが当人の口から何が足りぬのか聞いてみたいのだ。

「無理矢理にでも闇より引き摺りだせるような綺羅星が如き才が無い」

 何処まで行っても常人だ。

「迷いを打ち捨てられるほどの信念も無い」

 意志薄弱で自分のことしか考えられない。

「ただ彼女だけを愛してやれるほどの器も無い」

 自分のことしか愛せない自己愛の権化だから。

「(相変わらず俺ってカッコいいこと言うわぁ……)だからな、そんな俺が相対して良いのかと迷いがある」

 そこから他校との戦いを辞退することに持っていけないだろうか?
 紫苑はそう考えて本気でペラを回している。

「ルドルフ……手を伸ばす、救おうとする。それはね、殺すよりも遙かに難しいことだ」
「死ねばそこまで、救うのならば救った後にこそ重い責任があると言うことか」
「その通り。だからこそ軽々しく彼女の前に立って良いのか――――今更ながらに迷っている」

 浮きは揺れない、未だに坊主なのが寂しくてしょうがない。
 紫苑はどうしてもヤマメを食べたかったのだ。
 とっととこのくだらない会話を終わらせて早く釣りに専念せねばと気合を入れ直す。

「残酷だぞ、差し伸べられた手がすぐにも崩れる砂のような有様だったらな。
(ヤマメのバター焼き……天ぷらとかも素敵。ああでも、シンプルに塩焼きも良いか)」

 頭の中はヤマメでいっぱいだった。

「今度こそ彼女、アリスは――――堕ちるところまで堕ちていく(崖から落ちて死ねばと思うがな)」
「ふむ……」

 昨夜ルドルフはアリスがどんな人間であるかを聞いた。
 紫苑は自分の私見ゆえに正しいかどうかは分からないと前置きした上で答えてくれた。
 だがルドルフからすればその私見は正しいもののように思える。
 会話の内容を聞くところでもそう思ったし、
何より春風紫苑と言う男の眼力を信じているから誤りとは思えないのだ。
 その上で出した結論は、

「それでも私は、やはり春風紫苑にしか彼女は救えないと思うよ」

 それだった。
 他を導くのは貴き血筋に生まれた人間の義務だろう。
 しかしルドルフは自覚している。自分は求道しか往けぬ人間であると。
 自己を磨き、より高い場所へと登ることならば大得意。
 だが他人を引っ張り上げるなんてことは大の不得意。
 だからこそ他者に影響を与えながらも強制はせずに"こんな道もあるんだよ?"
と可能性を指し示してくれる紫苑ならばアリスにも道を示してやれると信じている。

「(救う気なんてサラッサラねーよ。サラッサラのサラサー●ィンだっつの)」
「卿は先ほど己の不足を嘆いたな。しかしそれは誤りだ」
「それは何故?」
「確かに卿は欠けているだろう」
「(は? 自分は満ちてますアピールか死ねコラ。川で溺れて海まで流されて死ね)」
「――――だがそれがどうしたのだ?」

 何時も励まされたり勇気付けられたりしてばかりだった。
 思い返せば出会ってから何時もそうだ。
 だから、ここらで恩返しをするのも悪くないとルドルフは笑う。

「卿は"俺が相対して良いのかと迷いがある"とも言った。それは誤りだ」

 自分達が何なのか忘れてもらっては困る。
 苦労を背負い込みすぎるこの頑張り屋にそれを教えねばならない。

「卿の不足を補う存在が居る、我らが居るではないか。一人では無理でも五人居る。
綺羅星が如き才が無いならば才ある我らが補おう。
迷いを打ち捨てられないならばそのままでも進めるよう支えよう。
彼女だけを愛せないからそれがどうだと言う? アリスだけを見つめていれば救えると言う話でもあるまい」

 だから胸を張って己が正道を往けとエールを送る――――紫苑には傍迷惑極まりないがな。

「それに、随分"靴紐の紫苑"らしからぬ弱気だぞ。卿が言ったことではないか。
固く結んだ靴紐、生半なことでは解けない、それでも歩き続けていれば解けると。
それだけの距離を歩いたのだと思える時が来ると。だから自分は我武者羅に進むのだと。
卿はそう言っていたではないか。ならば是非も無し、そうすれば良い」

 最近は少し色んなことが起き過ぎた。
 だからこそ少し疲れていたのだろうとルドルフは優しく語り掛ける。

「ここでしっかり心と身体を休めて備えれば良い。そして初心に立ち返ってもう一度進め!
何、その道行きには我らも同道している。恐れることはない、脇目も振らずに進み続けろ」

 そうすればきっと、アリスだって救えるはずだ。
 ルドルフの言葉はとても力強いものだった。

「(だからその名で俺を呼ぶな! つーか……え? これもう拒否れない流れ?)」

 はい、そんな流れです。

「(嘘だろマジかよあり得ねえだろ。何でこんな方向に進んでしまったんだ!? 舵どうなってる!?)」

 自然に辞退出来るよう舵を取っていたのにこれである。
 一体何が起きたのか紫苑にはまるで分からなかった。

「そうそう、紫苑くんは真っ直ぐ進めば良いよー」

 ふと、これまで黙っていた天魔が口を開いた。
 何時ものニヤニヤ顔だが、昨夜のこともあり男二人は軽く警戒をしている。

「結果――――アリスが死んだとしても仕方のないことだしぃ?」

 ケタケタと哂う彼女から発せられるドロリとした濃厚な邪気。
 清浄な山の空気が侵されているような錯覚を覚える。

「神様じゃないんだ、取り零すこともある。それで良いじゃないか」
「(怖くはあるが、お前の言う通りだキチガ●! やるなら殺す、それが一番だ!)」

 取り零した末に死んだ、その時に涙でも流してやれば体裁は繕えるだろう。
 紫苑は次善のプランを練り始めていた。

「そもそもぉ? 伸ばされた手を払い除けた方が悪いと僕は思うんだよね。
つかさぁ、あんな生意気なクソガキは放って置いて良いんじゃないかな?
良いじゃん、独り寂しく死ぬまでお人形遊びさせてればさぁ」

 全く以って同感です! 紫苑はかつてないほど天魔に同調している。

「人の好意を踏み躙って傷付けるような奴はぶっちゃけ死んでも良いだろ。
紫苑くんが必死で言葉をかけ続けたってのに……その傷、酷いよねえ?」

 うんうん、最悪だあのクソガキ! 内心でこれでもかと言うくらい同意を示す紫苑。

「個人的に僕嫌いだし相容れないって言うかー……何かもう見てるだけで虫唾が走る。
ぶっちゃけ次あの顔見た時に自制する自信が無いって言うかする気も無いみたいなー?」

 何でちょっと馬鹿っぽい口調なのかはともかくとして、
天魔の言葉に紫苑はこれでもかと言うくらい勇気付けられていた。
 ルドルフの熱い言葉よりも何よりも殺意と悪意が混じった彼女の台詞の方がずっと響いているようだ。

「あ、駄目――――思い出すだけで殺意が止まらない」

 ペンションに戻り、傷付いた紫苑を見た時に沸いて来た途方も無い殺意。
 自分の唯一を傷付けられた……これがモンスターや他の人間ならばまだ良かった。
 ここまで悪意を掻き立てられるのは下手人がアリスだから。
 似通っている癖にこんなことをする愚か者で邪魔者。
 もしもアリスが絆された場合、紫苑はきっと彼女を気にかけるだろう。
 それが嫌で嫌でしょうがない。アリスは邪魔者だ。
 天魔の独占欲を源泉に湧き出す負の感情は、

「ま、まあ落ち着け天魔」
「やれやれ……ルドルフの言う通りだ天魔(ひぇええええ……怖いよー……このキチガ●)」

 男二人に冷や汗を流させるには十分な迫力を持っていた。
 まあ片方はあくまで鉄面皮を崩してはいないので傍目には一人だが。
 それはさておき、先ほどまで天魔に同調していた紫苑すら内心はこれである。
 ああいや、奴の場合はビビリだから別に不思議でも何でもないか、むしろ当然。

「アハハ、やだなぁ。別に僕ぁ取り乱してなんかいないよ?」
「う、うむ……そうだな。よし、話題を変えようか紫苑」
「(俺に振るなよ! 自分で考えろよ金メッキが!)そうだな」

 メッキと言うならそれはお前じゃねえか。

「皆から話を聞いてビックリしたんだが……天魔、お前本当に女なのか?」

 昨夜、寝る前にラウンジでココアを飲んでいる時のことだった。
 話し忘れていたことがあるとルドルフらが近寄って来て、
外道天魔が女であることを知ったのだが……紫苑は未だに信じられない。

「嘘吐いてどーすんのさ? と言うか僕一度でも男だと言ってないよ?」
「だが女だとも言ってないよな?(こう言うのなんつーんだっけ……オカマの逆……オナベ?)
「うん。でも聞かれたら普通に答えるよ?」
「そ、そうか……でも男装してたってことは隠していたんじゃないのか?(気持ち悪い奴だぜ)」

 男が女装するのは気持ち悪い、だが女が男装するのも気持ち悪い。
 どちらも平等に気持ち悪いと思えるのが春風紫苑である。
 宝●の人達ディスってんのかよとツッコミたくてしょうがない。

「いや男装とか言う意図は無いよ?」
「だが卿、男子の制服を着ていたではないか」
「うち、私服可だよね? だから別に女子が男子の制服着ても問題ないじゃん」

 ぐうの音も出ない正論だ、定められた服装が無い以上何を着たって自由なのだから。

「それにさ、考えても見てよ。男子の制服と女子の制服……
共に最低限防具としての機能は備えてるけど――――面積少なくない?
女子とか下半身殆ど無防備じゃん。コストで言ったら絶対女子のが安いよ?
男子ズボンで女子スカート、スカートの布地少ないだろどう考えても。
太もも出ちゃうじゃん? 守れてないじゃん? 男子のが便利だし御得じゃないか」

 思わず紫苑も納得してしまう反論だった。
 確かにその通りだ、すっぽりと足が覆われている男子制服の方が良い。
 女子の場合はスカートで、最低でも膝より下は無防備になってしまうのだから。
 防具としての機能をソックスでも穿けば補えるが、
そんなことに金をかけるくらいならば最初から男子のズボンを穿いた方が良いに決まってる。

「まあ、確かにその通りだが……(それでも女かどうかはまた別だよな)」

 どうにも天魔からは女と言うものを感じられない。
 かと言って女だと教えられてからは男と言うものも感じない。
 いや、それ以前からそうだったかもしれない。
 どうにも不思議なことに外道天魔と言う人間を見ていると性別が希薄な気がして仕方ないのだ。

「うーん……これならどう?」

 天魔は紫苑の左手を取って自分の胸に触れさせる。
 言われてみればほんのり膨らんでいて、男のそれではない。
 それでも栞や麻衣のように服の上からでも分かると言うほどではないが。

「別に気にしちゃいないけど、こうも不思議な顔されると何か変な気分だなぁ」

 胸に触れさせてもリアクションが薄い、
普通の男の子ならば顔を赤くするなり何なりすると思っていたのだ。
 それがどうにも……悔しかった。
 女に見られてないような気がして面白くないので天魔は更なる行動に移る。

「――――これならどう?」
「ブッ……!!」

 思わず紫苑が噴出してしまったのも無理は無い。
 あろうことか天魔は胸に当てていた手をズボンの中に突っ込んだのだ。
 確かに――――存在しない。男が持っている自分だけの魔剣が何処にも無い。
 これで女だとは分かった。
 だが、手触りの良い布地の上に当てられた手がほんのり熱い。
 別に紫苑が照れて体温を上昇させているわけではない。
 触っている何かが熱を帯びているのだ。

「……分かった?」

 羞恥とそれ以外の感情が浮かぶ潤んだ瞳でそう言われれば頷くしか出来ないだろう。
 紫苑はすぐに手を引き抜き、頭を下げる。

「何か、すまん(グエェエエエエエエエ! 気持ち悪ッ! 何コイツ痴女!?)」

 女の子にそこまでされてお前はそんな感想しか出て来ないのか。
 もうこのシチュエーションならばそのまま押し倒したって不思議じゃないだろうに。
 ボーイッシュだが控えめに言っても美少女な天魔、
普通の男がこんなことをされていればどうにかなって居てもおかしくはない。

「ううん、良いよ。でも勘違いしないでね――――誰にでもこんなことするわけじゃ、ないよ?」

 耳元で囁かれた言葉、熱を帯びた吐息が紫苑の耳朶を焼く。
 どうでも良いが天魔はこの場にルドルフが居ることを忘れていないだろうか?
 そして少し離れた場所で飯盒炊爨の準備を整えている女二人が居ることも。

「そう言えば……あのクソガキと一緒にお風呂に入ったんだよね?」

 次いで紡がれた言葉、絶対零度の吐息が紫苑の耳朶を凍てつかせる。
 友情か、恋か、愛か、天魔が紫苑に抱く感情はどれでもありどれでも無いしよく分からない。
 ただ、アリスとの邂逅で気付いたのは――――仄暗い独占欲。
 命をチップにして遊ぶよりも何よりも、
何もしていなくてもただただ紫苑の存在を独り占めしていたいのだ。
 彼女はこの感情が――――歓喜こたえなのかもと思っている。

「(オイオイオイオイオイオイオォオオオオオオイ! 確かに俺は万夫不当のイケメンだ。
しかし、しかしだなお前見てえな女まるで好みじゃないしスタンダップしねえんだよ!
俺の好きなタイプは俺より劣っていて、それでも容姿と性格が良くて俺を立ててくれる女なんだ!)」

 そんな都合の良い女居るわけねえだろ。
 世界平和と同じレベルであり得ない妄想、あまりにも都合が良すぎると言うものだ。
 そもそもそんな女性が居るならばお前なんかに靡かないだろうよ。

「良いなぁ……」

 ルドルフに助けを求めようと紫苑が視線を向ければ、
奴は一瞬で目を逸らし川の中に飛び込んでしまった。

「(裏切り者ぉおおおおおお! 俺達、仲間じゃねえのかよ!?)」

 都合の良い時だけ仲間扱いとか失笑ものだ。

「僕、羨ましい」

 真っ当な類ではない妖気いろけを放つ天魔。
 名の通りに堕落へと誘う彼女の秋波は毒のように紫苑を侵していく。

「本当に、羨ましい」

 かつて紫苑は天魔を偏執狂モノマニアだと評した。
 確かにその通りだ。これまでは命を賭けた遊びに彼女は偏執していたのだから。
 しかし今は対象が変わった、
存在そのものを抱き締められたことで偏執の対象は紫苑へと移っていた。
 アリスに出会わなければ自覚しないか、しても軽度だっただろうが……
 過ぎた時間は戻せない。外道天魔はアリス・ミラーと出会ってしまった。

「僕も、一緒に入りたいなぁ。ねえ、ダメかな?」
「……男女七歳にしてと言うし、風呂など以ての外だと思わないか?」
「アリスも僕らとタメだよ? 背中、流すよ? 勿論それだけじゃ――――」
「! お、おい天魔。お前、首から血が流れてないか?」

 天魔の首には、すぅっと首輪のように赤い線が引かれていた。

「――――おほほ、日も高いうちからはしたないですよ?」

 底冷えするような声は背後から聞こえて来た。
 振り向けば栞が火の具合を見ながら左手を伸ばしている。
 視認することは出来ないが恐らくは彼女からは糸が伸びているはずだ。
 その糸が天魔の首筋に巻き付いていて薄皮を切り裂いた。

「――――へえ、じゃあ日が沈んでからなら良いのかな?」

 挑発的な天魔の言葉、修羅場だ。紛うことなき修羅場である。
 まあ、パーティ内でこんなことが起これば普通はヤバイ。
 しかし両者共いざ探索、戦いとなれば思考を切り替えられるだけの能力はある。
 それが唯一の救いと言えば救いだろう。

「学生ですよ? 節度を持った振る舞いをしなければ」
「生憎と僕は君みたいに育ちが良くなくてね。節度ええかっこしいなんて知らないんだ」
「うふふ、お上手ですね。獣のようなのに諧謔を嗜むとは」
「あはは、君ほどじゃないよ。その歳で厚化粧が随分と板についてるじゃないか」

 胃もたれするほど重い空気を打ち破ったのは、べち……と言う気の抜けた音だった。
 三人が音の聞こえた方向に視線をやると……

「魚、かな?」
「魚……ですね」
「や、ヤマメだ!!(え? 何これ? 天からの恵み!? 日頃頑張ってる俺への御褒美!?)」

 べち、べち、べち、と何匹ものヤマメが降って来る。
 無論のこと紫苑への御褒美でも天の恵みでもない。

「プハァ! 大漁だぞ!!」

 川に潜ったルドルフが手掴みで魚を確保して川岸へ放り投げていたのだ。
 修羅場の近くに居たくないし魚も中々釣れないしで川に飛び込んだ彼は、
水中で直接魚を捕獲する方向に切り替えたらしい。

「そろそろご飯も炊けるでー!!」
「……ま、一時休戦ってことにしとくよ」
「……ええ、そんな空気ですしね」
「(ヤマメさんありがとうございます!!)」

 礼を言うならルドルフにではなかろうか?

「ひぃ、ふぅ、みぃ……十五匹かな? これやったら一人三匹ずつやな」
「うむ! これで昼食に出来るな。で、何を作るのだ? 私は料理など出来んぞ」
「僕も同じく。料理なんかしたことないからねえ」
「俺も同じだが……まあ、魚を焼くぐらいは習ったことがあるので出来る」

 この場で料理が上手な人間は麻衣と栞のみだ。
 それでも紫苑だって魚の内臓を取り出して枝に刺して焼くことくらいは出来る。

「うーん、せやったら十匹は天ぷらにして五匹は焼こか。紫苑くん、御願い出来る?」
「ああ、任せてくれ(ヤマメ! ヤマメ! イヤッホォオオオオオ!!)」

 ヤマメが食べられることがとても嬉しいようだ。

「ならば私も教えてくれ。ためになるだろうしな」
「僕も良い経験だしやらせてよ」
「ああ、分かった。ならば軽くレクチャーしよう」

 五匹のヤマメを手に取りまな板の上に乗せる紫苑。

「まずは水洗いでぬめりを取る。ここの川の水なら大丈夫だろうが……
まあ、一応ペンションで水は貰って来てある。これで洗ってくれ。
ぬめりがキツイようなら塩を振り掛けてよーく擦ると良いぞ」

 ほうほうと頷く二人を見て紫苑はご満悦だった。
 何だ偉くなった気分がして嬉しいからだ。

「洗えたな? それならうろこ取りだ。
小さいから気にならんかもしれないが……女の子も居るからな」

 包丁で魚のうろこを撫ぜるとポロポロとうろこが取れていく。
 ルドルフと天魔もそれに倣ってうろこを削いで次の段階に移る。

「次はこんな風に切り開いて内臓を取り出してくれ」

 肛門からえらまでを開いて内臓を取り出し、背骨沿いにある血合いも綺麗に取り除く。

「どうだ紫苑? 卿ほどではないが割と綺麗に取れただろう?」
「ああ、そうだな(そのドヤ顔止めろ鬱陶しい)」

 キラキラと目を輝かせるルドルフが心底うざい紫苑だった。
 さて、天魔の方はと言うと……少しばかり梃子摺っているようだ。

「ほら、こうだ」
「こ、こう?」

 後ろから手を掴んで捌き方をレクチャーする紫苑だが――それは良くない。
 さっきまで強烈なアプローチを受けていたのだから急接近するなよ。
 いや、別に好かれても良いと思っているなら良いけどさ。
 それでも好かれても嬉しくないならばこの行動は軽率過ぎる。

「そう、そうだ。良いぞ(ギャハハハハwwwwへったくそだなコイツ! 女子力俺以下!!)」

 紫苑は自分の行動に気付かないまま天魔の女子力を馬鹿にしていた。
 救えないのはアリスよりもコイツの方かもしれない。

「(まあでもそう悲観するなよ!
俺は顔が顔も良くて性格も良くて女子力も高いパーフェクトイケメンなだけだからな!)」

 微かに笑む紫苑、それは内心での大爆笑が漏れただけだが……シチュエーションが良くない。
 天魔の視点からすれば褒められたようにしか見えないのだから。

「えへへ、ありがとね紫苑くん」
「どういたしまして。よし、じゃあ串に刺すからよく見ててくれ」

 持ち込んでいた竹串を口から刺し込み、エラ蓋からほんの少し串先を出す。

「このまま縫うように側面に串を刺し込み……っと、完成だ。簡単だろ?」
「おお……しかし、詳しいな紫苑。どこで習ったのだ?」
「ん? 何処でって……」

 そう言えば何故こんなことが出来るのだろうか?
 自分でも不思議になった紫苑は記憶を辿って答えを見つけ出す。

「ああ……父方の爺さんに教えて貰ったんだったか」
「卿の祖父か?」
「そうだ。父さんは田舎の生まれでな、小さい時によく連れて行ってもらったんだ」

 尚、内心ではド田舎に連れて来やがって! と罵っていた模様。

「そこで爺さんとよくキャンプをしてな。その時に色々教えてもらったんだ」

 何でこんなことをと不満に思いながらも、
孫に何かを教えるのが楽しそうな祖父に付き合っていた紫苑(小)。
 一言で言うならばすっごい嫌な子供である。

「懐かしいな、その時にヤマメを初めて食べたんだよ。はは、美味しかったなぁ」

 不満も何処へやら、美味しいヤマメのおかげでルンルン気分になった紫苑(小)。
 何とも安上がりな子供だが、それでも祖父からすれば嬉しかっただろう。
 余り表情を変えない孫が美味しそうに魚を頬張っていたのだから。

「……また、行きたいなぁ。蛍も綺麗だったんだよ」
「なら、夏休みにでも皆で行ってみようではないか」
「(え? それは嫌だよ何でお前らなんかと行かにゃならんのだ)はは、そうだな」

 ふと、串を持ったまま天魔がボーっとしていることに気付く。

「どうしたんだ? 体調でも悪いのか?(おい見ろよカス、今の間抜け面最高じゃね?)」
『それより腹減ったよ俺様』
「う、ううん。何でもないよ」

 そうして再び作業に戻る天魔。

「……やっぱり、良い匂いだったな紫苑くん」

 トロンとした瞳はとってもデンジャーで、
それを見た紫苑のルンルン気分は一瞬で醒めた。
 良い気分でアゲアゲだったのにすぐ何かあってダウン――――何とも愉快な男である。
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