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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

188/204

綺麗な月ですね

 逆鬼家について掃除やら買出しを済ませているとあっという間に夜になってしまった。
 その日は出前で寿司を取り食事を済ませ、早くに就寝する運びとなったのだが……。

『綺麗な月ですね』
「(死ね)」

 眠れない紫苑は割り当てられた部屋の縁側に出て月を眺めていた。
 空に浮かぶ蒼い月と庭先を飛ぶ蛍が何とも言えない風情を醸し出している。
 ゆえにカッスも気の利いたことを言ってみたいのだが紫苑には不評だったようだ。

『ひでえ……愛してるの一言も言えないこんな世の中じゃ!』

 思わずポイズンな気持ちを吐露するカッスだが紫苑のリアクションは冷ややかだ。

「(つーかさぁ……I LOVE YOUが何で月が綺麗ですね、になるわけ?)」
『漱石さんは洒落た人だよな!』
「(洒落てるもんか、気障ったらしいだだけだっつの)」

 息を吸うように偉人をディスる紫苑。と言うか気障云々をお前が言うな。
 毎度毎度ブーメランを投げなければ気が済まないのかこの男は。

「(日本人は慎み深いから月が綺麗ですね、ぐらいにしとけって何だそりゃ?
スカしてんじゃねえよ。オッサンがそんな臭い台詞抜かすな気持ち悪いんだよ。
漱石さぁ、千円札になったからって調子に乗ってない? 俺だって将来一万円札になるわ!!)」

 夏目漱石が千円札の肖像に使われたのは言うまでもなく彼の死後である。
 生前の逸話に絡めてイチャもんつけるのはどう考えてもお門違いだろう。
 それはさておき、確かに紫苑がお札の肖像に使われる可能性はかなり高い。
 それも日本だけではなく、世界各地で――それほどまでの功績は今の時点でも十分ある。
 が、どうにも納得し難いのはその人柄のせいだろう。

『銅像とかも建てられそうだよな』
「(建てられる建てられる。渋谷の犬畜生の代わりに俺を置けば良いと思うよ)」

 待ち合わせがハチ公から屑公に変わるのか――可愛らしいワンちゃんの方が良い気もする。

「(後、池梟も俺にすれば良いと思う)」
『あちこちにあったら分かり難くね?』
「(後、俺を讃える賛美歌とかも作られて良いと思う。いや、作られるべきだ)」

 本当に偉大な人間と言うのは自分からこんなことを言い出さない。
 あくまで余人が勝手に銅像や歌を作るだけだ。

『って、どうした?』

 急に腹を押さえて顔を顰め出した紫苑、一体何があったのか。

「(いや、妙に腹の傷が疼くんだ……)」
『あー……そら、ダメンギヌスにとっちゃ思い出の地だからな、此処って』

 聖槍ロンギヌスにとってこの地は個人的に……個人的? に縁が深い。
 初めて見つけた真の主の血を浴びた場所なのだから。
 もうダメンギヌス的にはエンゲージを交わしたようなものである。
 ゆえにこうやって、アピールしているのだ――――面倒臭い彼女の如くに。

「(い、いよいよ以ってこの槍ロクでもねえ……!)」

 使えると言うのならば確かに使える。
 が、紫苑は決意した。総てが終わったらロンギヌスはバチカンにでも売り払おうと。
 こんな呪いの器物に未来永劫付き纏われるなど悪夢以外の何ものでもない。

「――――紫苑ちゃん?」

 ふと、耳を擽る甘い声が夜に響く。
 振り返れば何時かと同じように白い襦袢を身に纏った雲母が立っていた。
 かつてと違うのはちゃんと着ていると言う点と見た目だけだ。

「……ど、どうも」

 去年は雷雨の中、このまま拉致られたのだ。
 あの時のことを思い返すだけで冷や汗が止まらない紫苑だった。

「そ、それより大丈夫? お腹が痛いの?」

 冷や汗を浮かべて腹部を押さえる紫苑を見てオロオロとする雲母。
 まあ、冷や汗を浮かべている原因は雲母なのだが。

「いえ……少し、古傷が疼くだけですから」
「あ」

 紫苑の腹にある古傷、それは雲母の愚かさを象徴するものだった。
 彼女の狂態を止めるために紫苑が身を削った証。
 睦言の際にも雲母はどうしてもそこに目が行ってしまう。

「あの時は知らなかったけど、槍は特別なものだったし……こう言うこともあるんでしょう」
「……ごめんなさい」

 シュンと項垂れる雲母を見て幾分か溜飲が下がった。
 なので何時もの良い子ちゃんムーブをするべく痛みが滲んだ笑顔を浮かべる。

「気にしないで、って言っても無理でしょう。でも、あの時の雲母さんと今の雲母さんは別人だ。
悲しみを乗り越えて生きることを選び、今だって立派に戦っている。
自惚れかもしれないけどこの傷が今の雲母さんを形作っているのならばとても嬉しい」
「……自惚れなんかじゃないわ。紫苑ちゃんの献身のおかげで、私は変わることが出来たんだもの」

 それは揺ぎ無い事実だ。あの日、この町で紫苑と出会うことが無ければ自分の人生は無残なまま。
 子の魂を悲哀の鎖で縛り付け、何も生まずただただ非生産的な自慰を繰り返していただろう。
 今振り返って見ても雲母自身ですら己をおぞましいと思ってしまうほどに一年前の彼女は酷い。

「ならば、悔やむ必要はありませんよ。俺がこの傷を誇ってるんだから、雲母さんは雲母さんの生き方を誇って下さい」

 迷い道回り道、遠回りをして正しいことばかりじゃなかったけれどそれでもその人生には価値がある。
 過去の後悔が残した深い傷跡から流れる血の海を泳ぎきったのだ。
 そうして、明日へ――未来へ歩き出すことが出来たことは何にも勝る宝だろう。

「紫苑ちゃん……」

 込み上げて来る感情の波に堪え切れず、雲母は紫苑の胸に顔を埋める。
 耳に届く優しい鼓動が愛しい人の生を伝えてくれる、優しい温もりが包んでくれる――幸せだ。
 私が幸せになって良いのだろうか? そんな考えが頭をよぎる時もあるけれど……。
 それでも雲母は苦難に満ちた旅路の中で見つけたこの宝だけは手放すまいと改めて想いを強くした。

「ありがとう、紫苑ちゃん……生きていてくれて」

 愛しい人が生きていてくれる、それがどれだけ素晴らしいことか。

「――――愛しているわ」

 百万回口にしても足りないほどに、愛している。
 短い言葉で、何の飾りも無い、だからこそ真っ直ぐだ。
 愛しているの一言に込められた万感の想いは息を呑むほどに美しい。

「(三十路女の情念が重い……最終決戦で死んでくれねえかなぁ……勝利はしたけど俺以外全滅みたいな形がベスト)」

 真にベストなのは紫苑が死ぬことだが、世界を救えるのがコイツ以外に居ないのだからやってられない。

「ありがとうございます」
「もう……」

 上目遣いで顔を見れば、少し困ったような笑顔。
 どれだけ身体を重ねてもそうだ。紫苑はやはり男女の愛がピンと来ていない。
 しかし、雲母も他のメンヘラーズも分かっている(つもりになっている)
 紫苑の愛は本質的には親が子に注ぐものに似ている。そしてその対象が人類全体。
 加えて愛の深度が並ではなく、男女の小さい視点の愛を超越してしまっているのだ。

 その愛で世界すら改変してしまえるほどだ、無理もない。
 だが、雲母もメンヘラーズもそれを不満に思ったことはなかった。
 総てが終われば腐るほど時間はあるのだ。ゆっくりとゆっくりと、自分達の長い命が尽きるまでに教えられれば良いと思っている。
 兎にも角にも未来だ。未来を見据えて希望を見据えて戦う――それが最善の解だ。

「ねえ、月も綺麗だしもうちょっとこのままでも……良い?」
「喜んで(こいつも漱石リスペ――いや、教養無いから素か。だってコイツ馬鹿だし)」

 そうして、二人は寄り添い続け気付けば眠ってしまう。
 翌朝、そんな二人を発見したモジョが起こすのを躊躇うほどに幸せそうな表情だった。
 大事な友人がこんな顔が出来ることが嬉しくて、同時に生徒のタラシっぷりを心配するモジョ。
 だが、同時に女ならばこれほど良い男に惚れるのも已む無しかと苦笑が浮かんでしまう。

 さて、目を覚まして身支度を整えた三人は墓に行く前に駅へと向かった。
 アリスを迎えに行くためだ。無人駅の前には既に到着したアリスがキャリーケースの上に座ってアイスを食べていた。
 白いワンピースに麦藁帽子を被った金髪碧眼の美少女。絵になるとかそう言うレベルではない。
 地元の小学生らしき男子達も遠巻きにアリスを見て顔を赤くしているが本人はまるで眼中に無い。

「お疲れ、アリス」

 胸の中に飛び込んで来たアリスをあやしつつ労を労う。

「えへへ、平気よ。シェルターを作るの自体は簡単だし。むしろ移動時間の方が疲れるくらいだもの」
「そうか……ルークは?」
「デカブツルークはそのまま家に帰したわ。何か良く落ちる洗剤だか何だかを外国で買ったから試したいんだって」

 まあ、去年居なかった自分が行ってもと気を遣ったのだろう。ルークのことだからきっとそうだ。

「アリスちゃん、一旦荷物を置きに行く?」
「ううん。お姉さんもお墓参りの準備してるみたいだしこのまま行くわ」

 基本的に邪悪なロリではあるが、今回の墓参りのために呼び出されたことについて不満は無い。
 アリスにとっても去年の事件はそれなりに影響を齎したようだ。

「桃鞍先生も、お久しぶりね」
「ああ……息災のようで何よりだよミラー」

 その姿を画面越しか何かに見ることは多かったが、直に見るのは久しぶりだ。
 相も変わらず少女性を凝縮したような愛らしさを持つアリスにモジョは少々気後れする。
 自分が子供の頃はこんなんじゃなかったな、と。

「それじゃ、行きましょうか」

 四人で連れ立って子が眠る墓所に向けて歩き出す。
 元々は雲母が流産した時に居た土地で子を弔ったのだが、彼女が田舎に戻る際に墓を移した。
 お祖父ちゃんお祖母ちゃん達と一緒なら寂しくないかもしれないと思ったのだ。

「はぁ……にしても、暑いわね」

 じりじりとアスファルトを焦がす太陽。
 ジメっとした暑さではないのでまだマシだが、ゲンナリしてしまうのも無理はない。

「ふふ、じゃあお墓参りが終わったら駄菓子屋さんでかき氷でも食べましょうか」
「ん? そう言えばあそこってまだやってたのか?」
「ええ。昔から変わらず猫を抱いたお婆ちゃんが店主さんやってるわよ」
「……ちょっと待て。私らが子供の頃から婆さんは婆さんじゃなかったか?」
「長生きの時代だもの。不思議じゃないわよー」

 確かにダンジョンから得られる恩恵で平均寿命は延びた。
 が、地方の病院にまでそれが行渡っては居ない。教師であるモジョはそこらについても詳しいのだ。
 なので田舎ではそこまで寿命が長いわけではないのだが……。

「そ、そうか……まあ色々気になるが真相を究明しても意味は無いしスルーしよう。
っと、そう言えば春風やミラーの世代はどうだ? 駄菓子屋とかあったのか?」

 何十年か前に駄菓子ブームが再来したものの、モジョらが子供の頃には既に下火だった。
 それでも田舎だから昭和テイストで復刻した駄菓子屋なども残っていたのだが……。

「私は大阪に来る前は長崎だったけど……近所にそう言うのは無かったわね」

 すっかり忘れているかもしれないがこのロリは長崎出身である。
 見た目は英国か米国辺りの人間なのだが生まれ育ちもジャパンは長崎だ。

「紫苑お兄さんは? 紫苑お兄さんの田舎は結構オリエンタルな感じだったけどそう言うのはあった?」
「ああ。アリスらも行っただろ? 俺の母校。そこの近くに一軒だけあったよ。
学校の帰りに買い食いするには丁度良いんだ。ま、先生は良い顔しないがな。
それでもあんな場所にあるんだし子供に我慢しろと言う方が酷だろうと見逃されていたっけか」

 紫苑の場合は家が近かったので一旦帰ることも出来たが付き合いと言うものがあるのだ。
 小学生の時点で周りに合わせてあれこれ考えるなんて実に可愛くない子供である。

「駄菓子で腹を満たしてからグラウンドに行って野球だったりサッカーだったりドッヂをやったなぁ……」
「ほう、春風の場合は私達とも割りと近いな」
「そうねえ。じぇねれーしょんぎゃっぷもあんまり無い感じだわ」

 幼少期の思い出話に花を咲かせていると寺に到着するのもすぐだった。
 お盆の時期ならばともかく今は閑散としており寺の人間以外には紫苑達しか居ない。
 人目があるよりは無い方がありがたいと四人は水を汲んで逆鬼家の墓前へと向かう。

「……手入れは、されているようだな」
「ええ、そうねえ」

 大阪に出る前に墓の世話を頼んだ近所のおばさんが手入れしてくれていたのだろう。
 掃除の必要は殆ど無かったが一応軽くではあるが墓を掃除し花を供える。
 そして四人揃って静かに手を合わせ祈りを捧げる。

「……久しぶりね。お母さん、しばらくの間此処に来れなかったけど寂しくなかった?」

 名前もあげられなかった我が子に語り掛ける雲母。
 だが、その顔にかつてのような翳りは無く、ただただ慈愛だけが満ちていた。

「最後にここに来た時から本当に色々あってね? お母さん、今は結構頑張ってるのよ?
あなたが生きられなかった世界、生きたかったであろう世界。そしてお母さんがあなたの分まで生きている世界。
それを護るために戦っているの。頼りになる仲間や、世界で一番大好きな人と一緒にね」

 当然、返事なんて返って来ない。とうの昔に死んでいるのだから。
 これはただの自己満足だ、そう言われれば反論のしようがない。
 それでも雲母は息子との語らいを止めることは出来なかった。

「勝手かもしれないけれど――御願い、お母さんに勇気をちょうだい」

 そう言い切って、自嘲を滲ませた笑みを漏らす。

「私、何言ってるのかしらねえ……何もしてあげられなかった駄目な母親のくせに」

 愛してはいても愛されているわけがない。
 我が子が己に勇気をくれるなど道理など何処にもありはしないと言う雲母だが、

『――――そんなことはないわよ』
「蛭子命ちゃん?」

 意外なことに口を開いたのは蛭子命だった。
 水子とも縁が深い蛭子命だけに、彼女には見えているものが違うようだ。

『我は死者の国の神……とうに過ぎ去った死者の魂魄はともかくとして、残留思念がぐらいは分かる。
我の目にはこの墓から満ちる気は温かな――陽だまりのようなものを感じる。蛭子命ならば更に踏み込んだものが見えるだろう』
『ええ……他の祖霊はともかく、子供ならば私にはよーく分かるわ』
「……あの子のことが?」
『うん。赤子だったからか意思すら曖昧だったようだけど、それでも此処に眠る子には分かっていたわ』

 蛭子命は優しい声色で静かに自身が知ったことを雲母に伝えてゆく。

『母がずっと己を喪ったことで泣き濡れて嘆きの海に沈んで居たことを。
この子は、ずっとずっと悲しい思いをしていたわ。
自分が死んだことじゃなくて母である雲母お姉さんが辛い思いをしていたことに』

 雲母の死者に対する想いはあまり良いものではなかった。
 だがそこには確かな愛があって、それは確かに赤子にも届いていたのだ。

『それでも紫苑お兄さんやアリス、そしてお友達が雲母お姉さんを救ってくれた。
再び墓前に現れた時の雲母お姉さんは痛みを抱えながらも、前を向き始めていた。
もう大丈夫だ、安心した……そう笑顔を浮かべてこの子は去って行ったのよ』

 もうお母さんは大丈夫、自分に囚われて苦しいだけの生を送らなくて住む。
 赤子ゆえに言語化出来るほどにしっかりしたものではなかったが、それでも確かにその子は満たされていた。
 その陽だまりのように温かな思念がこの墓前には満ちている。
 イザナミや蛭子命はその残留思念を正確に読み取ることが出来た。

『お前が愛していたように、お前の子も母を愛しておったのだ』
『だから卑下しちゃ駄目よ。また、この子に心配をさせるつもり?』

 二人の言葉に嘘は無い。真の言葉を伝えている。
 ならば雲母としても湿っぽい顔なんてするわけにはいかぬと自嘲を追い出し心からの笑みを作った。

「そう……駄目なお母さんで随分心配をかけたみたいだけど、もう大丈夫よ。
ありがとうね、愛してくれて、私も愛しているわ。もしも生まれ変わりがあるなら……今度こそ幸せになって。
お母さんはあなたが生まれて来る世界をきっと護ってみせるから」

 もう一度全員で祈りを捧げ、晴れやかな気持ちで墓所を後にする。
 燦々と輝く太陽が浮かぶ夏空は総ての悲哀を洗い流した後のように透き通っていた。
 事前の約束通りに駄菓子屋でカキ氷を食べた後は逆鬼家に戻って夕方までまったりとした時間を過ごす。
 田舎で過ごす夏の一日と言うのはこの上なく風情があって、美男美女ばかりなので絵にもなる。

 その内の一人は顔と口だけの下衆い男なのだが野暮を言ってもしょうがない。
 さて、空が茜色に染まり始めた辺りで四人は持参した浴衣に着替えることに。
 夏祭りに参加するためだ。田舎の祭りとは言え、それなりに栄えているので夕飯は屋台で済ますことになった。
 紫苑は黒を基調としたシンプルな浴衣に身を包み玄関先で女達を待つ。

「(ふぅ――――存在そのものが粋だよな、俺って)」
『確かに決まってるけどさぁ……』

 この自画自賛が無ければ良いのに、どうして何時も無駄な自信に溢れているのだろうか。

「(決まってるだろ? 知ってるよ! つーか……浴衣つっても、案外涼しくねえなぁ)」

 日が沈んで幾らかマシになったとは言え暑いことは暑い。
 腰帯に差していた団扇を引き抜いて仰いでみても気休めにもならないレベルだ。

『じゃあ甚平でも着れば良かったじゃん』
「(あれ着て夏祭り行くとかヤンキーとかDQNじゃん。ド高貴な俺の評判を落とすつもりか)」

 今すぐ夏祭りで甚平を着用している人間に謝罪するべきだ。
 あまりにも偏見に満ち過ぎている。どんだけ穿った視線でこの世を見ているのか。

「紫苑お兄さん、お待たせ♪」

 カランコロンと小気味良い下駄の音を響かせながらアリスが紫苑の腰に抱き着く。
 明るい青を基調として黄色の花があしらわれた涼やかな浴衣に身を包む彼女は何とも魅力的だ。
 異人の娘と言うアンバランスさもプラスに働いており世のロリコン大歓喜である。

「しかし……私まで浴衣を着る必要は無かったんじゃないか? 動き難いぞこれ」

 モジョの浴衣は紫苑と同じく黒を基調としたシンプルなもの。
 飾りっ気は無いがジャージ眼鏡からすれば見違えるほど見事だ。

「もう、駄目よ女威ちゃんったら。折角のお祭りなんだから」

 深い紫に白の花弁を散らした浴衣、地味ではあるが雲母には良く似合っている。
 大人二人は全体的に落ち着きがある色調だが華が無いわけではない。

「全員揃ったし行きましょうか。雲母さん、先生、案内御願いします」
「ああ……と言っても、こっちの夏祭りなんて何年ぶりだったかな」
「中学生の時以来じゃない?」

 下駄を鳴らしながら日暮れの町を往く花四つ――尚、一つはとんでもない毒花の模様。
 さて、下駄を履いているので多少は歩き難いが此処に居るのは健脚四人だ。
 それほど時間もかからずに夏祭りの会場へと辿り着く。
 町を流れる大きな川の河川敷には沢山の屋台がひしめいており、田舎ながらに中々賑わいを見せている。

「じゃあ紫苑ちゃん、私達はちょっと顔を出すところがあるから……また後で会いましょ」
「はい、それじゃあまた後で」

 地元と言うことで色々挨拶回りに向かわねばならない雲母達と別れアリスと二人きりに。
 彼女はご機嫌だが紫苑は言うまでもなく不機嫌だった。

「さて……アリス、花火までは時間があるし何処から回る?」
「そうねえ……あ、お面売ってるわ! あれ買いましょ、紫苑お兄さん!」

 キャッキャとはしゃぐアリスに袖を引かれて御面屋に。
 こう言う無駄金を使いたくはない紫苑だがケチと思われるのも嫌だ――面倒臭い男である。

「アリス、どれが良い?」
「んー、じゃあ狐の御面にするわ」

 アリスが指差したのは祭りで売っているにしては中々見事な造形をした狐面だった。
 紫苑はそれと自分用に復刻された少年時代のヒーローの御面を買うことに。
 二人して顔の横に御面をつけ、手を繋いで歩く姿は仲の良い兄妹にしか見えない。
 一体誰がこの二人が肉体関係にあると予想出来ようか。

「何でその御面を買ったの?」
「ん? 子供の時に見ていた特撮番組のヒーローでな……ついつい昔を思い出したんだ。
爺さんに連れて行ってもらった祭りでも、これと同じ御面を買ったりしたもんだよ」
「へえ……私はお祭りなんてよくよく考えてみれば初めて来たからそう言う思い出は無いわね」

 少しだけ羨ましそうなアリス、だが同時にその瞳には期待の色が滲んでいた。
 紫苑はそれを察せぬほど愚鈍ではない、ゆえに期待通りの言葉をかけられる――心底嫌ではあるが。

「なら、今日沢山思い出を作れば良い……俺とじゃ不満か?」
「ううん、紫苑お兄さんとなら絶対に素敵な思い出になるわ!」
「それは重畳。さて、腹も減ったし何か軽く食べようか」

 アリスの手を引き飲食系の屋台へを回ってゆく。
 繋がれた手とは逆の手で綿菓子を食べるアリスの姿は幼い少女そのものである。
 今この一時だけは総ての憂いを忘れて大事な一瞬一瞬を思い出として心に刻んでいるのだ。

「っと……確かここら辺だったかな?」

 ある程度食べ物と飲み物を買い込んだ二人は穴場だと言う場所にやって来る。
 此処で一緒に花火を見ようと約束したのだが雲母とモジョはまだ来ていない。
 アリスとしては二人っきりの時間を楽しめるので何の問題もないのだが。

「紫苑お兄さん、あーん♪」

 対面座位めいた犯罪チックな体勢のままアリスがたこ焼きを差し出す。
 事前にふーふーされているので熱さも良い按配になっているだろう。
 幼女の吐息がかかったたこ焼きを手ずから食べさせてもらうと言うロリコン大歓喜のシチュエーションである。
 金を払ってでも代わってもらいたいであろう幸せ空間だが勿論紫苑は絆されない。

「……恥ずかしいんだが」
「良いじゃない、だーれも居ないんだし……ね?」

 演技でほんのり頬を染めつつアリスが差し出したたこ焼きを口の中へ。
 もう今この瞬間にでも吐き出して彼女の顔面にぶち撒けてやりたい紫苑だった。

「美味しい?」
「ああ」
「じゃあ次はアリスにも食べさせて」

 たこ焼きのパックを紫苑に手渡し、可愛らしく口を開けるアリス。
 拳銃があれば銃口を突っ込んでやりたいほどに苛立つ紫苑。
 この小さな世界で綺麗に好悪が分かれていると言うのは実に面白い。

「分かった分かった。あーん」
「あーん♪」

 一パック四百円程度の何の変哲もない、むしろグレード的には低いであろう屋台のたこ焼き。
 だと言うのに好いた男に食べさせて貰うだけで天上の美味に早変わりする。
 幸せそうにたこ焼きを頬張るアリスは何処までも無垢だった。

「(ケッ……反吐が出るぞ)」

 微笑ましげな表情を作りつつラムネで喉を潤す。
 シュワシュワとした炭酸と清涼感が火照った身体に染み渡る。
 このままアリスも消えてくれれば嬉しいのだがと嘆きつつ空を見上げれば、

「始まったみたいだな」

 多種多様な花火が夏の夜空を彩っていた。
 アリスも体勢を少しだけ変えて紫苑の膝の上で火薬のカレイドスコープを楽しむ。

『たーまーやー! いやぁ、日本って夏って感じですね紫苑さん!』
「(何でテンションアゲてんの? 花火の何が良いの? うるさいだけじゃん、すぐに終わるじゃん)」

 風情と言うもの解さない男はこれだから……。

「(見ろよ、花火が消えた後の煙を。綺麗なのは一瞬だけだぜ?)綺麗だな」
「うん、とっても素敵だわ。でも、これも紫苑お兄さんと一緒に見ているからでしょうね」

 紫苑の胸に背を預けほう、と容姿に似合わぬ色っぽい吐息を漏らす。
 その蒼い瞳は何処までも透き通っていて、吸い込まれてしまいそうだ。

「ねえ、紫苑お兄さん」
「ん?」
「今朝方の……雲母お姉さん、良かったわね」

 婉曲的な物言いだが、内容は十分に伝わった。
 雲母とその子の和解――と言うのも変な話だが、胸に刺さっていた茨の棘が抜けたことを言っているのだろう。

「(ははぁん……そうだよなそうだよな。羨ましいよなぁ、テメェからすりゃ)ああ、そうだな」

 ぼかしたような言い方をしたアリスの心境を紫苑は正確に捉えていた。
 彼女からすれば酷く羨ましい光景だっただろう。
 親が子を想い、子が親を想う――当たり前のことだが、アリスにはついぞ手に入れることが出来なかったものだから。
 アリスは親を疎んで殺してしまったし、親もアリスを愛さなかったばかりに殺されてしまった。
 不幸な話だとは思うが紫苑からすれば格好の肴である。趣味が悪いことこの上ない。

「少し……ほんの少しなんだけどね? 羨ましいって思ったわ」

 蛭子命とイザナミの和解の時も今回の時もそう。
 深く想い合う親子と言うもの、知らぬがゆえに理解は出来ないが、美しいと感じた。
 そして夢想したのだ。もしも自分もこうだったらどうなっていたのだろう……と。
 だがそれはあり得ない"もしも"だと理解している。

「……(ちょっとカッス! お酒持って来て!)」
『おいおい、外で飲酒はマズイだろ。世間体的に』

 表面上は痛ましそうな表情をしている紫苑。
 あ、と小さな声を漏らしアリスは自分の失言に気付く。
 今までの会話ではどうにも言葉足らずで気を遣わせてしまうではないか。

「そんな顔はしないものよ、紫苑お兄さん」

 羨望を抱いたことは嘘じゃない。
 だが、もし過去に戻って普通の親子にやり直せたとしてもそれは絶対に選ばない。
 アリスはそう断言する。だって、ロクでもない過去があるからこそ紫苑と出会えたのだから。
 もしも普通に育って居たのならば紫苑と面識を持てたかすら怪しい。
 秤にかければどちらが傾くかなど明白だ。親の愛よりも紫苑の方が重い。

「だって、私には紫苑お兄さんが居るもの。それだけでアリスは幸せよ?」
「アリス……」
「普通の親子、それも一つの幸せの形だとは思うわ。でも、幸せの形は千差万別。
万華鏡のようにそれぞれ違うものだと思うの。私の幸せは紫苑お兄さんと共に居られることだから。
私のために泣いてくれて、私に惜しみない愛を注いでくれた掛け替えのないあなた」

 それに比べれば真っ当な親子関係なんて塵屑程度の価値しかない。
 親以外にも愛してくれる人は居る、親に愛されずとも幸せになれる――アリスはその考えを曲げる気は無い。
 だって今の自分が幸せなのだから。愛してくれるのは血の繋がりも何も無い人。
 それでも身体を重ね、心を重ねて、共に歩んで来た大切な人。
 これ以上の幸せが何処にあると言うのか。アリス・ミラーにとっての至上の幸福は此処にあるのだ。

「私に愛と幸せをくれて本当にありがとう――――大好きよ、紫苑お兄さん」

 それは夜空に咲く花よりも美しくしなやかな笑顔だった。

「……そうか、なら、安心した」

 慈愛溢れる笑みを浮かべ、紫苑は再び空へと視線を移す。
 アリスは打ち上がる花火を余所目にその顔をじっと見つめていた。
 きっと、この人に自分の好きは総て伝わっていない。
 両手で抱えきれないくらいの好きは総てを言葉にすることも出来ないほどだ。

 此処まで自分を捕らえて離さないなんて、本当に罪な男。
 こう言う時だって、もう少しぐらい甘い言葉をかけてくれても良いのに。
 紫苑は子供にそうするように優しく頭を撫でるだけ。
 それはそれで嬉しいけれど、もうちょっとレディに相応しい扱いがあるんじゃない? 唇を尖らせながらも、

「――――でも、大好き」

 結局のところ赦せてしまう――恋だとか愛だとか言うものは夏風邪よりも性質が悪い。
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