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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

179/204

葛西二葉 参

 酒呑童子との戦いの直後にやって来た揺り返しは、常識的な範囲に止まるものだった。
 しかし、今回の揺り返しは痛みも何も無く、ただ肉体と魂が砕けてゆくだけ。
 頭髪の白い部分が徐々に黒く染まるにつれてあちこちが罅割れていく。
 死が近付いている、そして、どうにもならない――――誰の目にもそれは明らかだった。

「もう、もう十分だ……俺達、人間は……もう、十分過ぎるほどに間違えたんだ……」

 穏やかな語り口。目前に迫る死を前にしても春風紫苑は何処までも凪いでいた。
 己に出来る限りのことをやった、精一杯人類の未来に繋がることが出来た――その達成感があるからだろう。
 此処で死ぬのは悔やまれるが、それでも確かにあらん限りを遺せたから。
 多くの人間が脳裏に映る紫苑の優しい表情を見てそんな意思を汲み取った。

 別の感想を抱いているのは事前に策を明かされて協力したギルドの長達だ。
 彼らはカニ攻略が成った瞬間に幻術が解除され、総てを思い出した。
 だからこそ、今、紫苑が必死で己を殺し取り繕っていることが分かる。
 何もかもを踏み躙った末の勝利、断罪を望めどもそれは赦されない。

 総てを完璧に終わらせるためには、春風紫苑は綺麗なまま死ななければいけないから。
 どれだけ望んでも罰は与えられず、総てを踏み躙った罪咎を抱いて逝くしかない。
 あれほど真っ直ぐで誠実な紫苑にとっては地獄のような最期だ。
 それでも、そうしなければいけない――長達は静かに、祈りを捧げた。

 死後があるのならば、誰よりも高潔な彼が自分を赦せますように……と。
 今のところ、一から十まで見事に紫苑の思惑通りだ。
 真実を知らぬ人間にはただただ美しく、知る人間にとっても悲壮な美を遺せるのだから。
 紫苑は最高の最期に思いを巡らせながら、舌を回し続ける。

「未来を望むのならば、生きたいと願うのならば……これからは、少しでも正しく在らねばならない」

 もう立って居るのも限界なのだろう。瓦礫に背を預け、紫苑は空を仰ぐ。
 霞んだ視界ではもうよく見えないけれど――演出なので何の問題も無い。

「これまでの過ちは、今、皆が抱えている暗いもの……怒りも憎しみも総て俺にぶつけてくれ。
俺が……全部、抱えて持って逝くから……そう言うことで、納得して欲しい……」

 そして、これからの未来を託したい。

「俺は、道半ばで終わるが、皆の道はこれからも続いていく。険しく、終わりも見えない……厳しい道のりだ。
それでも未来が欲しいのならば、生きると決めたのならば……どうか、どうか挫けずに頑張って欲しい」

 もうここらが潮だ。亀裂もいい加減にヤバイレベルになっている。
 つっつけば今にも砕け散ってしまいそうなほどだ。

「ああそうだ……忘れてた。序盤で、龍に喰われた人達は無事だ。
龍の中に入れたまま、安全な場所に転移させておいたから。
知り合いが突然居なくなって不安になった人も居るだろうが安心して欲しい」

 肉盾を呑み込みカニにやられあっさりやられたように見えたのはフェイクである。
 自分の評判を落とす要素は何一つとして遺すつもりは無い紫苑だった。

「ハハこれでもう思い残すことはない……俺にはもう見ることは出来ないけれど――――未来を、頼む。
(いよし! さらば現世! 諸々から逃げて美しく死なせてもらうぜぇええええええええあ!!!!)」

 音も無く左腕の義肢が砕け散った。
 そしてそこから更に大きな亀裂が入り全身を侵食し遂には限界を迎え――――

「ちょっと待ったぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 男女混合、九つの声が重なる。
 弾かれたように紫苑とカニは空を見上げ、前者にとっては見たくないツラを見つけてしまう。

「皆……」

 仲間達が勢ぞろいで空から降って来る。
 彼らは紫苑の言葉に反応することもなく急いで駆け寄り、

「麻衣ちゃん、いけるって……信じるよ?」
「うん、大丈夫。来て欲しくは無かったけど……今なら、使える」

 麻衣は両手で祈るように紫苑の右手を包み込み、魔力を流し始める。

「……麻衣、無理だ。これはもうどうにもならん(テメェ如きパッとしねえ奴にどうにか出来るわけねえだろ!)」
「だまっとき!!」

 麻衣は静かに回帰する、初めて目の前で命の火が消えた瞬間にまで。
 あれは祖母だった、優しい優しいおばあちゃん。
 不安で涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらずっと手を握り続けていた幼い己。
 それでも死への道行きは止まらず、徐々に冷たくなっていく手が恐ろしくてしょうがなかった。

 あの恐怖があったからこそ、後に回復魔法に目覚めることが出来たのだ。
 初恋の男の子、傍から見れば滑稽としか言えない状況だが、あの時麻衣は命を奪いかけた。
 フランケンシュタイナーもどきで初恋の彼を大地に叩き付け、死なせかけた。
 リアルに感じる死をどうにかするために己は回復魔法に目覚めたのだ。

「全部の命を掬い取るなんて、どだい無理な話や。
せやけど、せめてこの手に触れて感じた温かい命……大切な人の命ぐらいは――――」

 この瞬間、麻衣はたった一つの祈りを除き総てを捨て去った。
 迸る魔力は天を貫き、大地を鳴動させる。

「道理を蹴飛ばしてでも助けるッッッ!!!!!!」

 この手に触れて感じた命だけは何が何でも死なせない。
 たった一つの祈りが紫苑の総てを満たす。
 そうして、皹割れ、今にも砕け散る寸前だった無残な肉体が修復されてゆく。
 亀裂が塞がり、血色が戻り、消えかかっていた命の炎が再び燃え始める。

 魂と肉体は不可分だ。魂が壊れれば肉体も連座で壊れてしまう。
 が、上位はあくまで魂。魂の影響による肉体の崩壊はどうやっても止められない。
 かつて酒呑童子戦後の紫苑に回復魔法をかけても通じなかったように。
 だが、麻衣の純化それを可能にする。

 紫苑が持つ桁違いの魂に干渉は出来ずとも、肉体には届いた。
 肉体を無理矢理修復することで魂と肉体の関係を逆転させたのだ。
 肉体が壊れないのならば魂も砕けない――誰一人として辿り着けなかった回復魔法の新たな境地。
 もし、使用するのが紫苑でなければ条件付とは言え死者ですら蘇らせていただろう。

「(え…………え……え、え……えぇえええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!)」

 何てことを、何てことをしてくれたのか。
 紫苑は目の前が真っ暗になった。この策の肝を潰すとは馬鹿なのか!?

「(ば、ば、馬鹿野郎! 俺は楽になりたかったんだよ!
第一、俺が死ななきゃ次に繋がらない、もっと酷い状況になるし、それで苦労するのは俺だぞ!?)」

 善性の象徴となり、人心をまとめた上で死ぬことで期待出来る効果がある。
 幻想側からのアクションに対応出来るのだ。
 仮に幻想側が紫苑の策をひっくり返そうとカニが味方であると言って来たとしよう。
 その場合、人類に疑念は生まれるだろうが問題は無い。

 紫苑は己が人類にとって精神的な支柱であることを理解している。
 これまで積み重ねた多くの実績で、人々が希望を幻視していることを知っている。
 しかし、その彼が死んだならば? 当然、揺れるだろう。
 ゆえに疑念はあれども紫苑との戦いで出鱈目な力を見せたカニを受け容れざるを得ない。

 すぐに詰みにかからず敢えて戦闘行為をしたのは、彼女の力を見せ付けるためでもあったのだ。
 紫苑亡き後であれば疑念はあれども、喉から手が出るほどに欲しい戦力だから。
 が、紫苑が生かされてしまえば受け容れ難いかもしれないし、何よりもカニが幻想側のリアクションに追従する可能性がある。
 先の勝利なんてものを捨てて、紫苑を追い込み勝利を得ようと思うかもしれない。

 ハッキリ言って今の状況は葛西二葉が予期しない状況を作り出して無理に押し通したものだ。
 勢いで押して動揺を誘い、こちらが用意した二択を選ばせ型に嵌めただけなのだから。
 もしも紫苑が生き残ってしまえばおじゃんだ。
 彼が死ぬことでカニが紫苑に勝利出来る可能性を人類救済のみに設定した。

 しかし、生き残ってしまえば人類救済以外の選択が生まれる。
 死んで勝ち逃げ作戦こそが最後のピースだった。
 だが、それが覆されてしまった今、状況は最悪と言って良い。
 カニだって今度は先の勝利を得ようなんて思わないかもしれないのだから。

 此処まで自分を追い詰めた相手、幻想に勝利するよりもよっぽど価値がある。
 幻想に勝利出来ず敗北する未来すら受け容れてしまうかもしれない。
 改めて述べよう、状況は最悪だ。丹念に積み上げたものがぶち壊されてしまった。
 この先のビジョンは無い。紫苑は此処で美しく死んで、何もかもから逃げるつもりだったのだから。

「はぁ……はぁ……ど、どや? うちも、やるもんやろ……?」

 亀裂が完全に消えて、傍目には持ち直した状態の紫苑を見て仲間達が安堵する。
 が、紫苑からすればそびえ立つクソの如き大きな御世話を焼かれただけだ。

「! おい、空を見ろ!!」

 ルークの言葉で全員が弾かれたように空を見る。
 大空のスクリーンに映し出されたのはルドルフやロキ、カニが良く知るオーディンの姿だった。
 遂に紫苑が恐れていた展開がやって来たのだ。

"二葉"

 短く名を呼ぶオーディン、全員がカニに視線を向ける。
 彼女は閉じていた瞳を見開き皮肉げな笑みで予想外のことを言い放つ。

「よう、オーディン……悪いな、散々利用させてもらって。お前も見てただろ?
ま、そう言うことだよ。アレクのオッサンと必死こいて考えたんだが看破されちまった」

 オーディンが何かを言うよりも早くに紫苑の策に乗ったのだ。
 それはこれからオーディンが何をどう言おうとも総てを否定して人類の味方であると言うスタンスを貫くと言う意思表示である。

「(え……)」

 が、紫苑にとってもカニにとっても予想外のことはまだまだ続く。

"知っていたよ、君が我らに牙を剥くことも。
具体的な方策は知らなかったし、行動一つも看破出来ていなかったがそうなることは承知の上だ"

 オーディンが茶番であることを明かさなかったのだ。
 今回の戦いが盛大なやらせであると言えばそれだけで良いのに。
 証拠が無くてもそれだけ言えば火種をばら撒けるのにそうしなかった。
 当然来ると思っていただけに、二人は唖然とした。そして同時に理解する。

「(テメェ――――俺を舐めてんのか!?)」
「(テメェ――――私を舐めてんのか!?)」

 つまりはそう言うことだ。
 今回必死こいて描いた紫苑の絵や、カニが水面下で描いていた絵図。
 それら総て、幻想陣営にとっては取るに足りぬと言う認識なのだ。
 別に裏切ろうともどうでも良い、混乱の火種を撒く必要すら無い。

 所詮は時間と共に流され潰えるだけと言うのが幻想側の認識。
 確かに春風紫苑、葛西二葉、アレクサンダー・クセキナスは脅威だとも認識している。
 しかし、人類全体で見ればどれだけ三者が厄介であろうとも結末は覆せない。
 しかも、アレクは既に死に、紫苑も一先ずは一命を取り留めたがその実、余命幾許もないのだ。

 それでも神魔を宿した人間とカニは残るし、それも厄介ではある。
 が、脅威だと言うほどではない。紫苑に敗北したことで、カニの恐ろしさが消えたことを看破しているから。
 それでもカニは現時点でアレクを超える力を所持しているし、幻想側の内情にも詳しいが問題は無い。
 彼女と紫苑の仲間達が組んだとしても時間は幻想の味方、いずれは多勢に無勢になる。

 ゆえに後は放置でも構わない。組まれて厄介だと思える紫苑の寿命も削ってくれたのだから戦果としては十分。
 幻想が真に警戒しているのは聖書の蛇と組んでいる春風紫苑。
 彼がアレクやカニのような甚大な戦力と組んでこれからの絵を描くことこそが恐ろしかった。
 しかし、アレクは死に、カニは生きているが紫苑の寿命はもう尽きかけ。見立てでは一年も保たない。

 十年と言う時間は警戒に値するが、一年と言う時間は警戒に値せず。
 最早憂慮すべき要因は消え去った――それが幻想側の認識だ。
 紫苑とカニは同時にそれを理解し、同時にキレた。
 舐めてんじゃねえぞ塵屑共が! 赦さん、絶対に赦さんと腹の中で赫怒を燃やす。

「……ハ、そうかい。私は踊らされてたわけか。苦肉の策、必死の足掻きもお前らにとっちゃその程度か」

 それでもカニは怒りを面には出さなかった。
 そうすることよりも、この場のやり取りを見ている人類の自身への印象を良くすることを選んだ。
 舐めているならそれでも良い、必ず後悔させてやる……と。

「(ふひ、ふは……ふひひひひ! ぁああああああああああああああああああ!!!
赦さん赦さん赦さん赦さん! こ、此処まで虚仮にしてくれるとはなぁああああああああ!!!!)
嘲笑っていたのか、必死で足掻く俺達を……ああ、良いさ。精々、胡坐を掻いていろ。後悔させてやる」

 宇宙一自尊心が高い紫苑にとっては耐え難い屈辱だった。

"ほう、十月ほどしか保たぬその命でか?"

 その言葉に仲間達が目を剥く。どうして? 助かったのではなかったのか?
 が、その希望を打ち砕くように紫苑の左頬に小さな亀裂が奔る。
 麻衣が定期的に純化で紫苑を治癒しようとも一年と経たずに通用しなくなるのだ。

「例え十ヶ月の命であったとしても、出来る限りをやる、俺は、諦めない。
……総ての人間に謝らなきゃな、全部持って逝くとは言ったが、どうやらもう少し生きられるらしい。
生きられるのならば、俺は最後の瞬間まで戦わねばならない。
だから頼む、俺に力を貸してくれ……皆の力が、必要なんだ……未来を掴むために」

 これまで紫苑が見せた綺麗なものは決して無駄ではない。
 その愛に、勇気に、誰もが胸を打たれた。生きること、未来に繋げること、その意味を教えられた。
 紫苑の呼びかけに多くの人間が今、世界中で応えている。
 残る少数とて、いずれは周りに流されるのが目に見えている、大多数に流されてしまうのが人間なのだから。

"そんなか細い力で何が出来るのか……"

 呆れたように笑い、空に映し出されたオーディンが消える。
 同時に、カス蛇も中継を止めて待機状態に入った。
 もうこれ以上は蛇足になるだろうと判断したからだ。
 後は残された熱で各々が勝手に酔い痴れれば良いのだから。

「(さて、後はこの屑共だな……俺の足を引っ張りやがって……!
寿命は一年以内に縮むし、面倒ごとは避けられないしで……最悪だ!)あー……その、皆……」
「とりあえず、色々言いたいことはありますがまずは……」

 栞が他の仲間達にアイコンタクトを送ると全員が頷く。

「ではまず私から行くか――――歯を食い縛れ」
「(へ――――ぶぅ!?)」

 本気で殴ればガチで死んでしまうので、軽く、それでも痛みを感じるようルドルフは紫苑を殴りつけた。

「次は自分だ」

 ルークも一発。

「私は……怒っているのは確かですが、それでも好きな人を殴るのは嫌なので平手でいきますね?」

 そして女達は平手で一発ずつ紫苑の頬をぶっていく。
 全員がやり終える頃には頬が真っ赤に染まった屑が一人。

「手紙、読んだよ。全部、知った……君は、君はここぞと言う時は何時だって一人で背負い込む」
「紫苑ちゃんにしか出来ないことで、私達にはどうしようもなかったけど……」
「それでも、納得は出来んよ。卿が私達を愛してくれているように、私達も卿を愛しているのだ」
「だから今のは紫苑お兄さんへの罰。私達の力不足も原因だからこれでチャラにしてあげる」

 全員が静かに涙を流していた。
 紫苑が死ぬ前に間に合って良かった、寿命は減ったけれど助かった。
 同時に、ここまで一人でさせてしまったことで己に感じる不甲斐無さ。
 雑多な感情は熱い涙となって発露された、美しい絆である――――まあ一方通行なわけだが。

「(黙れ役立たず! お前ら、俺のご尊顔に何つーことしてくれやがる!?
宇宙一のイケメンたるこの俺の顔を殴るなぞ世界が滅びても赦されんことだ!)……すまなかった」

 自分でご尊顔とか言うのはどうなのだろう?
 そしてコズミック基準で言うならば紫苑はイケメンなのだろうか?

「とりあえず何時までも此処に居るわけにもいきません。晴明さんから転移符を貰ってますので帰りましょう」
「ああ……葛西二葉、お前にも来てもらうぞ」
「分かってる」
「が、その前に一つだけ聞かせてくれ。何故、何もしなかった?」

 紫苑としてもそこが腑に落ちない。
 あのまま死んでいたのならばともかく、結果的には死ななかった。
 そして、死ななかったと言うことは他にも道は出来たはずだ。
 幻想側に戻れずとも、紫苑を倒すと言うだけならば十分に可能だったはずなのに。

「……私は、お前がどんな手を使ってでも私を排除すると思っていた」

 春にギルドの選別が行われていた際に一般人を利用した挙句その一般人を殺したこと。
 一国を滅ぼし、残虐な手段でアレクを殺したこと――善性を持つ人間ならば決して赦せないだろう。
 実際に、アレク戦直後に会った時も、紫苑は怒りに震えていた。
 ここまでやればどう足掻いても殺すか殺されるか以外の選択肢はあり得ない。

「なのに結果はこれだ。私は、お前が振り切れれば私と同じになると思っていた。
勝つためならば何でもやる。実際その通りだが、私はお前の勝利を誤認していた。
人類の障害となる私を排除するのではなく、人類のために利用する。
そのために生者を欺き死者を歪め、自身の死すらも利用した――総ては人類の未来のために。
振り切れることもなく、真っ当な善性を持ったまま真実を話せず、断罪すら赦されないまま黙って死ぬ。
お前自身にとってもっとも反吐が出るような選択をしたのは何のためだ? そう、勝つためだ」

 勝つためならば何でもやるとは言うがカニは自分自身を使ったことはない。
 いや、いざ戦うと言う時は勿論命を懸けているがそう言うことではない。
 自身の信条や自身が最も忌避する選択肢が思い浮かぶことすらないのだ。
 まあそれは紫苑も同じだが、他の者らは表層部分しか見ていないので苦渋の決断にしか見えないのが厭らしい。

「二度読み違えた。まず第一に、お前が総てを振り切り覚醒して手ずから殺しに来たと。
次に、私の企みを暴露し両陣営から排除、あわよくば幻想の力を利用し私を排除するとな。
その上でお前の意図を完全に把握した瞬間、頭の中が真っ白になった。
完全なる隙だ、あの段階で殺そうと思えば殺せたはずだ」

 勝利を渇望し、それを至上と掲げるカニが敵手の勝利を理解していなかったなどお笑いだ。

「突付けられた二択――私はお前の思い通りに隕石を破壊させられた。
つまるところ、負けだよ。あの段階で、私は敗北したんだ。
思いつかなかった、打開方法が。お前が提示した、お前が望む選択をした時点でどう足掻いても負けは負け。
あのまま死に逃げされてそれで終わりだったんだ……まあ、イレギュラーが起きたようだが」

 チラリと紫苑の仲間達を見やる、彼らのカニを見る目は険しい。
 紫苑に甚大な心労を与えて余命ゲージをガリガリ削った相手なのだから当然のリアクションだ。
 まあ、心労と言う意味では彼らも十二分に心労を与えているのだが――グッジョブ!

「現実的な手段として負けの状況に追い込まれ、精神的にも敗北を認めてしまったのならばそこで終わりだ。
私は認めちまった。もし、もしも何処かで読めていたのならば別だったが……結果はこの有様だ」

 話を聞いて絵の全容が見えるようになった時点で詰み。
 そして、話を聞いて読めるようになるまで読めなかったと言うのが結論だ。
 振り返ってみれば持ち味を活かせないまま、相手の土俵で嵌め殺されてしまったとしか言えない。

「イレギュラーこそあったが、私はそれよりも早くに負けを認めていた。
誰を騙そうとも自分にだけは嘘を吐けない……そう言う意味でもお前に負けているのかもな。
他者を騙し、自分を騙し、そうして私の総てを詰ませた――――完敗だ」

 同時に、カニは何時かの邂逅を思い出していた。
 ラプラスはこう言った、春風紫苑と葛西二葉どの世界においても敵対している――と。
 陣営も勝敗もその時によって様々だが必ず敵対はしている。
 そして、語るまでもないと思って挙げなかったのだろうが共通項はまだあるはずだ。

 それは敵対し、その結果として必ずどちらかが死んでいたと言うこと。
 決して交わることなくどちらかがその命を散らしていたのだろう。
 それは当然だ、カニが勝つ場合は確実に紫苑を殺しているだろうし逆も然り。
 この場の紫苑は自身が基本的には非力であるがゆえにこのような結果となったが、これはどの世界にもあり得なかった可能性だ。

 聖書の蛇が人間と組んだこと、最強二人がぶつかりながらも最終的に二人が共に生き残る。
 これで二つ、どの世界でも可能性が揃ったことになる――そして、そこに意味はあるはずだ。
 今はまだ確固たる形が見えないが、決して無駄ではない。
 ラプラスの言ったように、人類か幻想どちらかの完全な滅びを齎す可能性だって十二分に有り得る。

「(にしても……世界がどうのじゃないと啖呵を切っておいてこのザマかよ)」

 それもラプラスに言ったことだ。
 世界どうこうよりも紫苑――そう言った癖にこの有様。
 己を嘲笑うカニだが、それは仕方の無いことでもあった。
 例え至上の勝利を手にしたとて彼女にとっては生きることそれそのものが勝つことなのだ。

 紫苑のように場を整えれば何時でも完結出来る構造ではない。
 もしも、そんな構造であったのならば葛西二葉と言う人間はここまで強大な力を持たなかっただろう。
 ブレーキの無い特急列車なのだ、彼女と言う人間は。
 止めようと思えば殺すしかないし、自身もそれを理解している。

 だからこそ、アレクに敗北した際に心は折れていなくても負けを認め自身を殺すように進言した。
 だがアレクは殺さず、それが後の惨劇へと繋がった。
 生きている限り勝利を求めずには居られないから。
 では今回の敗北はどうだろう? 不思議と、リベンジする気持ちが沸かないのだ。

 アレクの時のように命を奪える状況を作られただけなら話は別だろうが、今回は違う。
 現実的に命を奪える状況を作られた挙句に精神的な意味でも負けを認めてしまった。
 生まれて初めて、心が折られたと言っても良い。
 だからなのかもしれない、静かに敗北を受け止めることが出来たのは。

「成るほど、それが何もしなかった理由か(つまりは流石俺ェ! ってことだな)」

 そうかもしれないが何か違う気がしないでもない。

「ああ」
「一先ずは納得しておこう。皆、帰ろう」

 カニも含めて全員で大阪の拠点へと帰還する。食堂に出た一同を出迎えたのは、

「おかえりなさい紫苑さん」

 寛厳だった。どうやら拠点から全員居なくなってから来たらしく、他の者も驚いている。

「寛野さんか……記憶は滞りなく戻ったか?」
「ええ、お陰様で」
「最後の最後で躓きはしたが、策は成功したと言っても良い。また今度、皆にも礼を言わせて欲しい」
「いえいえ。絵を描いたのも身体を削ったのもあなたでしょう」

 そりゃ他の連中も人質作戦のために政治家へ働きかけるなどもしたし、汚名も被ったがそれだけだ。
 生きているし、これから先も生き続けてゆく。
 であれば一番の功労者は紫苑だ――それが寛野を含む長達の総意だった。

「それでも皆の協力無しには出来なかった。して、何故此処に?」
「オーディンとのやり取りを聞きながら通信越しに皆と話し合いをしましてね。その結果をお伝えに来たんですよ」
「話し合い……とは?」
「生きている以上、改めてあなたにギルドのトップに立って頂きたいのですよ」

 寛厳の発言に顔を顰めたのはメンヘラーズだった。
 賛成派であったさしおりでさえ、苦い顔をしている。
 もう十分頑張って、余命も僅か十ヶ月――ならばもう休ませてやれと言うのが本音なのだろう。

「そうは言うが……俺は多くを欺いた、更に言えば寿命も余り残っちゃいない。
十年あるならば話は別だが、十ヶ月ならば要らぬ混乱を招くだけだろう」
「確かにその通りだ。あなたは人類の未来のために多くを欺き一人で抱えて死のうとした。
それが罰だと言わんばかりに……が、本当に罰をと言うのならば真実を秘して尚、生き続けることでは?」

 死ぬと言うのも結果的にそうなると言う話で、今、紫苑は生きている。
 生きているのならば彼ほどのリーダーは居ないと言うのが長達の総意だ。

「それは……(おい止めろよ、正論じゃん。俺のキャラ的に受けざるを得ないじゃん!)」
「少ない余命を穏やかに過ごすと言うのならば話は別ですが、あなたはそうじゃないでしょう?
ギルドの長と言う立場ではなくても戦い続ける――ならば、同じことです」

 楽な方向に流れるなんて紫苑には出来ないと苦笑する寛厳。
 ホントは何時だって楽な方向に流れたがっているのだが、現実問題としてそれが出来ないだけである。

「それに余命の件も問題ありません。皆が、あなたの余命を知ったのです。
その上で、ギルド職員や多くの人間があなたが指導者になることを望んでいる」

 ならば混乱も何も無い。承知の上で望んでいるのだから。
 膨れ上がった虚像、植え付けられた夢、何時もの如く紫苑の自業自得だ。

「受けて頂けますね?」
「(この状況で断れねえだろうがクソ爺!)分かった、微力を尽くそう」

 紫苑の言葉を聞き、寛厳は心からの笑みを浮かべ頭を下げた。

「ありがとうございます。詳しい話はまた後日にしましょう。お疲れのようですしね」
「分かった」
「では、私はこれで。仕事を抜け出して来たものでして……いやはや」

 困ったように笑いながら食堂を出て行く寛厳。
 残されたのは苦い顔をしているメンヘラーズと素知らぬ顔のカニ、
そして男の選択を尊重すると言った悟り顔のルドルフとルークだった。

「……その、さぁ。紫苑くん、もうこれでもかってぐらいに君は頑張ったと思うんだ」

 思惑はどうであれ、事実として紫苑は過労死レベルまで頑張っている。

「紫苑ちゃんの頑張りを否定する人間は何処にも居ないわ」

 そしてそれを認めない人間も居ないだろう。居れば大バッシング間違いなしだ。
 じゃあテメェも同じことやってみろやアァン!? と言われること請け合いである。

「居たら殺す」

 それは少々過激なのではなかろうか?

「だからもう、せめて……残り少ない命を安らかに過ごされては如何でしょうか?」

 全人類が賛成するとは言わないが、多くの人間は同情と共にその選択を推すだろう。

「紫苑さんが望むことならば私達も全力でバックアップしますし……」
「それか、その身体をどうにかする方法を探すとかの方がええと思うんよ」
「紫苑お兄さん、もう休んで良いんじゃない?」
「(俺 だ っ て そ う し た い よ !)」

 本当ならば死んで総てから逃げられるはずだったのだ。
 それがこのザマ、腹筋が捻れるほどに笑える展開である。
 と言うか後悔させてやる発言は何処に行ったのか。

「(だってのに普段パッとしねえ奴がさぁ……余計なことしてさぁ……!
無理じゃん、もうこっから楽な方向に舵を取るとか不可能じゃん!)」

 少なくとも見栄を気にする紫苑に逃げると言う選択肢は無い。
 命尽きるその瞬間まで、戦い続けることを決定付けられてしまっているのだ。

「確かに人並みの幸せを送って欲しいと言う卿らの気持ちも分かるが、選ぶのは紫苑だろう」
「自分達に出来るのはそれを支えることではないか?」
「あぁん? デカブツルーク、何を御主人様に逆らってるのかしら愉快な改造施すわよ!?」

 と、一触即発の空気が流れ出したところで更に爆弾が放り込まれる。

『紫苑の余命――――何とかなるかもよ?』
+注意+
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