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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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差し引きトントンじゃないっすか!

 日付が変わっても雨は降り止まず、会談は今も尚進行していた。
 会談場所の此処大阪城の天守では伯父と姪が涙雨を肴に酒を呷っている。

「しかし、良いもんだな……今の世は。酒も随分と洗練されておる」

 紅い紅いワインが注がれたグラスを傾け、信長は笑う。
 城の中で、それも戦国武将が飲むのがワインと言うのはあまりにミスマッチ。
 とは言え、そこは傾き者であり新しもの好きの信長――よく似合っている。

「ツマミも美味い。いやぁ、侮れんぞ宅配ピザ。とは言えこれにはワインよりもビールだな」
「……」

 カラカラと笑いながらシーフードピザを口に放り込む信長とは裏腹に茶々はムスっとしていた。
 別に伯父と飲むのが嫌なわけではない。そこらの確執はとうに乗り越えている。
 不機嫌の理由は、

「何だ茶々。御大将らの話が聞けんのがそんなに嫌か」

 紫苑は会談を始める前にロキとルシファー、晴明の三者に会談場所を完全な密室にしてくれと頼んだ。
 例えこの城の主である茶々にも会話が漏れぬようにと。

「私は紫苑が心配なだけじゃ。なのに……」
「別にお前を信用してないわけじゃねーよ。御大将の人柄を見ればそりゃ分かるだろ」

 偽りの人柄を見ればよーく分かる。
 真の人柄を見て全幅の信が置けるのは三千大千世界で唯一真の人柄を知るカス蛇ぐらいだろう。

「大陸での戦を仕掛けたあの女……葛西、二葉だったか?
何ともまあ、特別変わった名でもねえし容姿だってそう。整ってて、とても殺し合いをするような人相じゃない。
まあ、その辺は御大将も同じだわな。鋭さを感じさせるが基本的に優しい。
だってのに両方共に想念の怪物だ。御大将はまあ、自制をしちゃ居るがな」

 それでもカニは自制心ゼロ、ただただ勝利のみを求めて無尽荒野を往く餓えた怪物だ。

「そんな女を相手取る、相手取らなきゃならねえ」
「……そのための話をしておるのだから防諜は当然のことじゃと?」
「念には念を、石橋を叩いて渡る――それぐらいの相手だろうがい」

 そう語りながら信長は紫苑が描くであろう策に思考を巡らせていた。
 一体何を考えているかは分からない、だが一つだけ分かることもある。
 紫苑は初めて、生まれて初めて犠牲を許容するであろうと言うこと。

「伯父上?」
「ん? ああいや……何でもない」

 春風紫苑は甘い、甘きに傾き過ぎていると言っても過言ではない。
 自身にはどれだけの責め苦をも課してのけるが他人にはそれが出来ない。
 それが信を得た理由の一つでもあるのだろうが、同時にそれは弱点でもある。
 それが春風紫苑と言う人間の本来発揮するべき力を阻害しているのだ。

 さあ、それを取っ払えばどうなる? 甘さを捨てた春風紫苑。
 単純な戦闘能力の話ではない。持てる力の総てを一個人の排除に向ける。
 それはとてもとても恐ろしいことだ。少なくとも、敵意を向けられる者にとっては。
 しかし、それをこそ葛西二葉は望んでいたのだろう。

「……奇矯な奴だ」

 そして、奇矯と言う意味で語るならば紫苑も同じだ。
 春風紫苑と言う人間を形成するものはどれも当たり前のものばかり。
 だが、その当たり前が常軌を逸している。
 誰かに幸せになって欲しいと言う願いだけで世界改変すら起こしてのける力を発現するなど狂っているだろう。

 真に総てが幸福を享受するとしたら完全なゆめの中だけ。
 だったらその幻を見せられるようにしてやろうじゃないかなんて正気の沙汰ではない。
 神の御業にも匹敵する力、そしてそれらを断罪し自ら封印する狂気の自制。
 完全な幻を見せるなんて力、それを使えば富も名声も女も思うがままなことぐらい馬鹿でも分かる。

 およそ考えられるだけの普遍的な欲望は満たせるだろう。
 なのにそれを認めず、何時だって血反吐を吐きながらその手に多くを掴んで来た。
 信長は一人の人間としてそんな春風紫苑に敬意を抱いている。
 彼の傍に居る方が勝率が高いと言う打算もあるが、紛れも無い真実の敬意がそこにはあった。

「茶々よ、まあ我らはじっくり見守ろうではないか。力が必要になった時に貸せば良いだけよ」
「……分かった。しかし、伯父上は蚊帳の外であることを何とも思わんのだな」

 似た気性でありながら同じく蚊帳の外である伯父はケロっとしている。
 そこが姪の茶々には疑問だった――もうちょっと何かリアクションあるだろうと。

「そりゃお前がガキだからよ。分からぬからこそ楽しいものもある」

 相手が予想出来ないことをする、それが信長の好みだ。
 同時に、相手がどんなことをするか分からない状態も好んでいる。

「考えるってのは楽しいぞ? ああでもないこうでもないと頭を回してなぁ。
読み合い――――国を治めてる時は純粋に楽しめなかったが、今は背負うもんも無い。
存分に考える楽しみを味わえるってもんだ。簡単に答えを教えられちゃ興醒めよ」

 だから今も絶えず、紫苑がどんな景色を見ているのかを考え続けている。
 彼が見ているものの中にはきっと、答えに繋がる何かがあるはずだ。
 それを見つけ出して完全な像にすることが楽しくて楽しくてしょうがない。

「むぅ……よう分からん」
「ま、血縁にあるとは言っても同一人物じゃねえ。理解し切れんでも当然だろうよ」

 気性が似ているからと言って何から何まで同じな人間はこの世に存在しない。
 信長は楽しそうに最後のピザを平らげる。

「あ、私まだ食べておらぬぞ伯父上!」
「あん? まだ追加頼んであるからガタガタ言うなよ」
「それでも今と同じものではなかろ!?」
「だったらまた今度頼めば良いだろうがよ……っと、来たぜ来たぜ」

 部屋の中に入って来たのは光秀で、両の手にはデリバリーピザの箱がある。
 パシリに使われているミッチーだが、本人的には何の不満も無いらしい。

「信長様、こちらがキノコピザ、もう片方がミックスピザに御座います」
「うむ、ソースは勿論別々なんだろうな?」
「ハ! 前者はホワイトソース、後者はトマトソースに御座います。そして、コーラなる飲料もお持ちしました」
「ビールが良かったが……まあ、ビールはもう味わっておるからな。コーラとやらを試してみようではないか」

 手早く準備を整えて光秀は去って行った。
 その様子を茶々はジト目で見つめている――織田家の重鎮をパシリに使ってんのかお前と言いたいようだ。

「……重臣であろ?」
「アイツこう言う仕事させとかねえと欝になって面倒くせえんだよ……何時まで本能寺引き摺ってんだか」

 被害者である信長がもう良いと言ってるのにミッチーは今もトラウマを抱えている。
 本能寺の変――信長を敬愛していたからこそ、キツかったのだろう。

「伯父上、今度は私も食べさせてもらうぞ」
「わーってるわーってる。ほれ、紙皿もあるし不安なら先に取っておけよ」

 そうして伯父と姪はもっちゃもっちゃとピザを食べ始める。
 戦国時代の覇王と姫が美味しそうにピザを食べている光景と言うのもおかしなものだ。

「味が濃い……いや、味が多いのか。うぬぬ、侮れぬのう現代」

 生前のシンプルな食事とは比べ物にならないほどピザは味が多い。
 使われている調味料もかつてと現代では語るまでもなく多種多様だ。
 ともすれば適応し難いものだが、茶々は何なく適応したらしい。

「そう言えばお前、現代のものを食べるのは初めてなのか?」
「うむ」
「そりゃ何だって……お前の場合は俺よりも現世に近いんだから幾らでも食えるし飲めるだろう」

 紫苑越しとは言えギルドと繋がっているのだ、金銭面についても問題は無い。
 ギルドとしても大阪の防備を担う豊臣の主が望めば幾らでも持って来るはずだ。

「家臣、特に信――いや、幸村と呼べと言っておたな。
幸村などはちょこちょこと食べ歩きなどもしておるし、他の者らも同じよ。
かと言って私までもがそのような真似をするのはちと品がなかろう?」
「品ねえ……俺なら気にせんがね。お前、俺の姪って割りにゃ結構真面目よな」
「伯父上が奔放過ぎるのじゃ。まあ、そのおかげで今相伴に預かれておるわけだが」

 頬を綻ばせて楽しそうにピザをほうばる茶々を見て信長は温かい気持ちになった。
 市と瓜二つの容姿だからか、昔日の兄妹関係を思い出すのだ。
 今信長は、ほんの少しだけ兄だった己に回帰している。

「にしても伯父上は、こう言うものを結構食べておるのか?」
「まあな。時折こっちに来てギルドの人間にあれこれと頼んでおる。ハンバーガーとやらも中々美味であったぞ」

 ピザにバーガー、どうやら信長はジャンクフードが御好みのようだ
 信長らしいと言えばらしいチョイスと言えよう。

「後はたこ焼き、お好み焼き、飲料で言えばビールにウィスキー、オレンジジュースなども良かった」
「すっかり満喫しておるのう……」
「俺達は夢幻のような存在よ、であればこの巷を楽しまねば損であろうが」

 一度死した自分達がこうやって再び意思を持って日ノ本の大地に立っている。
 それは望外の幸運であり、夢のようなものだ。
 であればその夢を大いに楽しもう――それが織田信長の生き方である。

「だからお前も御大将に抱いてもらったらどうだ?」

 ニヤニヤとセクハラ親父のツラで茶々を見つめる今の信長に兄の面影は皆無である。

「……………………は?」
「気付いてないとでも思ってたのか? アホだなぁ、気付いてないのは面識の無い女達と御大将本人ぐらいだろうぜ」
「き、きききき貴様ァ! な、何たる下世話な男か!!」
「下世話も何もバレバレだって言ってるだろうに。感情が顔に出やすいんだよ」
「黙れ黙れ黙れぃ!」

 誰にもバレていない忍ぶ恋だと思っていただけに動揺は大きかった。

「おいおい、可愛い姪っ子を心配しているだけだろうに」
「だまりゃ!」
「だが正直な話、良いのかよ? 御大将の寿命は長くても十年だぜ?」

 その間に出来ることは幾らでもある――そう、男女の関係になることだって。

「要らぬ世話。それに、私はこの想いを伝える気は無い」

 だが、茶々は毅然と甘い誘惑を跳ね除けた。
 信長には信長の考えがあるように、茶々には茶々の考えがあるのだ。

「これ以上、紫苑の背に要らぬものを背負わせとうない。
伯父上、先にあなたも言ったように私達は夢幻のような存在じゃ。
そのようなものに心煩わせるなど、馬鹿らしいではないか。ただでさえあの者は多くを背負っておるのに」

 自分が想いを伝えて抱いてくれと言えば紫苑は拒まないだろう。
 自身の魅力云々ではなく、死んでから本当の恋をしている己を哀れんで。
 だが、そのような理由で抱けば紫苑の心に良くないものを残してしまうかもしれない。
 哀れみでも抱かれれば自分は幸せ、それでも相手が幸せになれるのであればそれはいけないことだ。
 ゆえに茶々は自身の想いを永劫に秘めておくことに決めた。

「そうか……まあ、お前がそう決めておるのなら余計なことは言わんよ」

 茶々の強い想いは信長にも伝わっていた。ならばこれ以上の問答は不要だ。

「ところで、アイリーンと麻衣は無事かのう?」

 話題転換がてら茶々がアイリーンと麻衣について言及する。
 二人が消息を絶ったことは城主である茶々も当然、知っていた。
 他の仲間達が定期連絡をした際に通じないことで発覚し、茶々にも報告が上がって来たのだ。
 とは言え、紫苑にはそれを知らせていない。今は大事な話し合いをしているのだし余計な問題を持ち込むことを嫌ったのだ。

「大丈夫であろうよ。ロキの言を信じるのならば下手人はスカアハ」

 そして、スカアハについては紫苑が話題に上げたこともあって知っている。
 彼女の目的は良い素材を見つけて弟子にすること。
 その点で言えばアイリーンは極上の素材だ。
 何もこんな時に来なくてもと思わなくもないが、それはあくまでこちらの都合である。

「上手いことやって戻って来るだろう。アイリーンと言う娘は安定しておるし単独でも何とか出来るはずだ」

 紫苑の仲間は大体が心に疵や闇を抱えていた。
 天魔ならば背反の性。醍醐姉妹であれば互いに対する確執と正しいものへの過剰な憧れ。
 アリスは孤独、雲母は子や友を喪ったことに対する絶望。
 ルドルフならば紫苑への嫉妬、オーディンに対する憧れの本当の意味。麻衣は最近のアレ。

 それぞれ克服したり別の病みに変わったりとしているが、アイリーンにはそれが一切無い。
 紫苑に惚れた理由も素敵な敗北をプレゼントされたことが切っ掛けだし、醍醐姉妹のように面倒ごとも起こしていない。
 信長が評価したように安定しているのだ、何処までも。
 安定して力を出せるし、感情によって強くなることはあっても弱くなることが無いのだ。

「と、噂をすれば影よな……メールが来た」

 懐から携帯電話を取り出す信長、茶々はこんなものまで扱っているのかと頬を引き攣らせている。

「ふむふむ……うむ、やはり無事だったらしい。スカアハと同化して麻衣と共に帰還したようだ」

 これでまた戦力が増え、紫苑の希少性が下がったわけだ。
 パーティの中で神魔を宿していないのはルークと麻衣だけになってしまった。
 まあ、ルークに関してはアリスの恩恵を受けるので特に問題は無いし、麻衣もその回復魔法だけで十分なのだが。

「それより見てみい茶々……雨が、上がったようだ」

 天守から空を仰ぎ見れば、雨が止んでいた。
 黒雲はゆっくりと散り始め、雲間から優しい月が顔を見せる。
 ある種の予感を感じさせるような満月を瞳に収め信長は不敵に笑う。
 その予感は正しく、長かった会談はようやく終わりを迎えようとしていた――ある一つの結論の下に。

「――――と、此処までが俺の推測であり、それに対する俺なりの策だ」

 水を打ったように静まり返る大広間。
 上座に座る紫苑以外の面子は皆が皆、それぞれの感情を表情に浮かべていた。
 驚愕、困惑、恐怖、疑心、雑多な感情は決してポジティブなものではなく総てネガティブなものだ。

「信じられない……と言うより、信じたくは無いな……あまりにも身勝手が過ぎる。
ミスタ、本当に彼女はそこまでの輩なのか? 何と言うか……恥、そう恥だ。恥知らずなのか?」

 血の気が引いてすっかり蒼白となったアシュトンが恐る恐る問い返す。

「十数億を磨り潰してアレクさんを削り、詰みに持って行くために更に万単位の人間を使い捨てるような女だ」

 真っ当だと思う方が間違えている。
 改めて認識を正せ、自分達が相手にしなければならないのは理外の怪物だ。紫苑の瞳はそう語っていた。

「その上、あの一日の総てを統括して俺への恋文だなんてほざくんだぞ?」

 心底反吐が出ると言わんばかりの紫苑、他の面子もその気持ちは分からないでもない。
 あの日の犠牲は総てお前のためにあったのだと言われて良い気分になれるのは狂人ぐらいのものだ。

「まず正攻法じゃ敵わない……例えばそう、俺が人である矜持を捨てて振り切れ、
その上で仲間達と袋叩きにする――――これが尤も最悪なパターンだ」
「それは何故デスカ?」
「(うるせーカレー食ってトリップしてろや、一々説明させるなお前らは頷くだけで良いんだよ)」

 インド代表の発言だからとてカレーを絡めるのは浅薄極まりない件について。
 と言うかカレー食ってトリップって、この男はカレーを何だと思っているのか。

「酒呑童子戦――ネットにも映像が流れているらしいが、あなた達は見たことがあるか?」

 その問いに全員が頷く。
 今でこそ珍しい事態でもないが、京都大虐殺は幻想回帰以前のこと。
 日本の一都市であれだけの殺戮が行われたのだ。ギルドの要職に居る人間が見ていないわけがない。

「あの頃の葛西二葉と、アレクさんと戦っていた葛西二葉……段違いだったろう?」

 紫苑と共に酒呑童子を制した頃のカニならば初撃でやられていただろう。
 少しの間とは言え蹴りをかち合わせて拮抗させるなど出来なかったはずだ。
 目に見えて分かる身体能力は当然として、元はバリバリの冒険者だったのならば感覚でも察知出来る。
 存在としての厚みが格段に増していることに。

「酒呑童子と戦ったのが九月、そして今は四月だ。一年も経ってない、鍛えてどうこうなる次元か?」
「……どれだけ才に溢れていようとも、無理ですわね」

 神やら魔王やらと同化していたのならば急激な強化にも納得がいく。
 が、葛西二葉はそれらと同化したことなど一度も無い。と言うよりも、する必要が無いのだ。

「どうにもならないほど隔たった差を、どうにかすれば埋められる程度にまで強化出来るんだ、アイツは」

 その前提で袋叩きにした場合のことを考えれば悪夢だ。

『振り切れた紫苑を百として、他の幻想と同化してる連中……ルドルフの女も含めて七人を八十。
合算すりゃあ六百六十になるわけだ、今のカニが百だとすれば――――六百二十くらいにはなるんじゃねえの?』

 連携して戦えばどうにかなる? 楽観が過ぎると言うものだ。
 もしも一つでも落ちてしまえば後はカモ。総量で勝るカニが圧殺して紫苑らが敗北するだけだろう。

「これがまだ幻想陣営のように数が多ければ良かった」

 千でも万でも居るのならばやりようは幾らでもある。
 しかしこちらで使える戦力は十にも満たない。
 何せ今のカニはアレクよりも少しばかり弱い程度の位置に居るのだから。
 戦力に数えられるのは最低でもそのラインに手が届く者だけで、残念ながら今の世界にそんなチートキャラは百も存在していない。

「だが、俺を含めたって八人……一人二人増えても誤差の範囲だ」

 ゆえに袋叩きは不可能、良くない結果を生むだけだから。

「……成るほど、確かに正攻法ではどうにもなりませんなぁ」

 流石の寛厳も何時もの薄ら笑いが消えている。
 それだけ、追い詰められているのだ。誰も彼もがたった一人の小娘に良いように弄ばれている。
 いやまあ、紫苑も含めれば二人になるのだが。

「そう、どうにもならない。相手の土俵で勝負するのがまず間違いなんだ」

 相手の土俵に踏み込んだように見せかけて、実はこちらの土俵――それが理想だ。
 そして、その理想を作るために紫苑は策を打ち出した。
 しかしそれは、そう簡単に決められるものではない。

「……ミスタ、策云々はともかくとして私達はあなたがトップに立つことを望んでいます」

 アンネリエの言葉はこの場に居る面子の総意だった。
 それは紫苑にイジメられた後、彼が言うように己を見つめ、これからに思いを巡らせて出した結論だ。
 アレクサンダー・クセキナスの後任は春風紫苑以外にはあり得ない。
 当たり前だ、誰一人としてあの場で覚悟を示せずに赦しを乞うたのだから。
 常識的な問題をも凌駕するほどに極まった紫苑の覚悟に誰一人として及んでいない。
 であれば答えは分かり切っている。面子だどうだのよりも人類の未来。
 それを掴むための最善、それは春風紫苑を旗頭にすること以外にはあり得ない。

「ゆえに最大限の助力は惜しまないつもりですが……」

 紫苑の策は起死回生、誰にとっても予想外のものだった。
 しかも確たる論理と共に説明されたものだから説得力もある。
 確かに成功するかもしれない、打開の一手になるかもしれない。
 が、感情的な面で言うのならば正直、誰に取っても受け容れたくないものだった。

「私達は、正直な話、犠牲と言うものは許容しているし泥を被ることだって構わない」

 だけど……仮に総てが上手くいったとして、まったく報われない者が出て来る。
 彼にとっては一番したくないことで、そして裁きすら受けられず虚飾の中に消えてしまう。

「ムッシュ、ムッシュはそれでよろしいのですか?」

 その誠実な人柄と、真っ直ぐに人を愛し、その未来のために戦っていることを知っている。
 常に正道を往き、道から外れず胸を張って前に進んでいることを知っている。
 その善良さ、自身の過ちすらも素直に受け止めて改めることが出来ることを知っている。
 そんな彼が一番したくないことのはずなのに――アネットは暗に他の策を考えようと提案するが……。

『(紫苑さん、皆気持ち良く踊ってますね!)』
「(ったりめえだろ、俺が絵ぇ描いたんだぞメーン?)……」

 怖気が走るほどに薄汚い。

「……多くを踏み躙らなければならない。
生者に嘘を吐き、死んで逝った者達の最期を捻じ曲げることになる。犠牲だって必要だ。
我ながら反吐が出る策だと思うよ。こんなことを実行したのならば罰せられねばならない。
だが、それは赦されない。総てを抱え、嘘を吐いたまま俺は死なければならない――最悪だよ」

 ようは何時も通りってことじゃねえか。
 まあ、カス蛇を除く者らにとっては苦渋の決断にしか見えないのだろうが。

「父母に、仲間に、そして何よりも己に恥じない生き方をしたいと願っている。
だがな、それはあくまで俺の矜持でしかない。多くの人間にとっては関係のないことだ。
でも……俺がそれを捨てることで多くを救えるのならば俺は喜んで捨てる。
きっと、無念と後悔のうちに死ぬだろう。それでも、未来のために何かが出来たとすればそれはきっと、救いのある最期だ」

 最善の終わりとは言えない、春風紫苑にとっては最悪の部類に入る最期だろう。
 それでもほんの僅かな救いがあるのならばそれで良い――今日も絶好調だぜ春風紫苑!

「とは言え、あなた達にも負担は大きい。
泥を被ることになるし、総てが上手くいっても誰にも話せぬ真実を秘めて生きていかなきゃいけない。
生き続けることの方が辛いだろう……ほら、そう考えたら俺の問題なんて些細なことだろう?」

 それが虚言だと言うのは明白だった。
 平気なわけがない、些細だと言うのならばどうしてそんな無理に作った笑顔を浮かべているのか。
 誰もが何かを言おうと口を開きかけるが、言葉は言葉にならずに舌先で解れてゆく。

「春風さんは……本当にそれでよろしいのですかな?」
「逆に聞くが、じゃあ他に何か良案はあるのか? そして勝算があると言うのならば俺もそれに賭けよう」

 現実と言うのは何時だってそうだ。八方丸く収まるような答えなんて滅多に無い。

「それは……」
「無い、のだろう? 早い段階で葛西二葉をどうにかしなければいけないのに打開策は未だ見えず」

 覚悟の決め時だ。迅速な決断こそが今、最も必要とされている。
 後手に後手にではどう足掻いても勝てない。それは大陸での戦いで証明済みである。

「伸るか反るか、聞かせて欲しい――――それとも考える時間が必要か?」

 考える時間など必要無いだろう。
 紫苑の立てた策が有用なのは認めているのだから。
 後は感情の問題。そして、感情の問題は時間をかけたところでどうにもならない。
 どちらを選んでも苦いものが残るのだから。

「採決を取る、十分待つ。反対ならば退室して欲しい」

 一日二日、考える時間が欲しいとは言わなかったので十分のシンキングタイムを設定。
 長達も異存は無いようでそれぞれの腕に巻いた時計を見る。
 チックタックと時計の針が歌う。秒針が十週してしまえば総てが決す。

「(まあ……結果は決まりきってるがな。アホでなければ何が重要かくらいは分かる)」

 結論から言って、退室者は出なかった。
 全員が全員、苦い顔をしているが先のことを思えば正しい選択だから。

「ミスタ、決まりのようですね。とは言え、幾らか懸念があります」
「何だ?」

 今更ではあるが紫苑はもう敬語を使っていない。
 そして、大人達もそれを咎めることはなかった。
 自分達が認めた頭だし、何よりも一昨日の一件で自分達の愚かさを自覚したからだ。

「この場の誰一人、真実を漏らすことは無いでしょう……が、ミスタは心を読む敵とも戦ったと聞きます」
「あなたは規格外の魂でそれを防いだと言うけれど、私達にはそんなこと出来ないわ」

 心を読まれることで策が漏洩してしまえば瓦解する可能性は高い。
 絵の全容を事前に知らせてしまえばまず成功は不可能だろう。

「ゆえにミスタ、あなたの幻術で我らの記憶と行動を弄って欲しい。
我が祖国アメリカ、ロシア、イギリス――この三国ならばあなたの策を実行するにしてもそう不自然ではない。
あなたの就任に反対し、これからのアドバンテージを握るために行動に出るのだと騙してくれないか? 敵を、我らを」
「そして可能ならば策が成就した後、真実の記憶が蘇るようにして欲しいですね。でなくば後々動き難くなる」

 彼らは皆、自発的にその提案をしたと疑ってすらいない。
 だが、これも紫苑の読み通りだ。一昨日、己の幻術の完璧さを露骨にアピったことで記憶に刻まれている。
 その上で今回の話をして賛同を得られれば、当然こう来るはずだと紫苑は予想していた。

「(釈迦の掌に乗っかってる猿と同じだぜ!)……分かった」

 重々しく頷き、紫苑はバッグから取り出した神便鬼毒酒を一気飲みする。
 アルコールが冷えた身体を熱くするが、この酒の本領はそこではない。
 ただでさえ厄介な春風紫苑を更に厄介にすることこそが本領だ。

「確認しておく、全員……良いんだな?」
「全員にかけねば意味はありませんからなぁ」
「ムッシュ、やるのならば徹底的に、念には念を入れねば勝てない相手なのでしょう?」

 全員が頷くのを確認し、紫苑は幻術を行使する。
 彼らは偽りの会談内容と行動様式を刷り込まれることと相成った。
 これで会談は終わり、紫苑を除く全員が大広間を出て行き、入れ替わりで警護組が入室する。

「紫苑さん、話はまとまりましたか?」
「ああ……俺がアレクさんの後任を引き継ぐことになった」
「……まあ、お兄さんが納得して受けたのなら何も言わないわ」
「ありがとう。とは言っても、政府の承認も必要だし直ぐにと言うわけではないがな」
「これからの方針としてはどうなんだい?」
「一先ず、俺達は引き続き英気を養ってくれとのことだ。動く時に備えてな」

 現状ではやれることが無いので当然である。
 こんな時に何もしないと言うのは逆にキツイかもしれないが、それも仕方の無いことだ。

「そう……ところで紫苑ちゃん、事後報告になるのだけど……」
「実はハーンさんと桝谷さんが少しの間行方不明になってました」
「まあほら、紫苑くんも大事な話をしてるわけだし邪魔しちゃ悪いかなと思って黙ってたんだ。ごめんね」
「いや、俺が逆の立場でも同じような配慮をしていただろう……それで、二人は無事なのか?」
「安心しろ。卿が心配するようなことは何も無い」

 そう言って仲間達は入り口に視線を向ける。紫苑もつられて入り口を見ると……。

「アイリーン?(何あれコスプレ?)」

 真っ黒な外套と三角帽子を被った魔女ルックのアイリーンが入って来た。
 後ろに居る麻衣は疲れた顔で溜息を吐いている。

「スカアハのところで修行して来た。強くなった、槍を手に入れた、スカアハも手に入れた」

 褒めて褒めてと言わんばかりに饒舌だ、普段は短文会話の癖に。

「(グギギギギ……! またしても、またしても希少価値が薄れた!)そうか……何にしても二人が無事で何よりだ」
『(まあまあ落ち着いてくださいよ紫苑さん。アレク死んだし差し引きトントンじゃないっすか!)』

 慰めの言葉が最低だ、差し引きトントンって……。

「(まあ、それもそうだな……)」

 そしてこれで説得される方も最低である。
十七時、十八時、十九時の予約投稿となります。
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