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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

170/204

良い、良いぞ! 朕は酷く愉快な気分だZOY!

 紫苑が目を覚ましたのはお昼の一時半を少し過ぎた頃だった。
 もそもそと着替えを済ませて食堂に行くと予想通りに誰も居らず紫苑オンリー。
 戦闘組は前日の疲労から、麻衣は朝方までしていたアレコレの疲労で眠っているらしい。

「(あー……だるい……)」

 正直何もしたくなかったが、こんな時でも腹は減る。
 紫苑は気怠るい身体を引き摺って厨房に入り棚からインスタントのカップ焼きそばを二つ取り出しポットから湯を注ぐ。
 寝起きにそれはどうなのよと思わなくもないがトーストを焼いてベーコンを焼くのも面倒臭かったらしい。
 湯を注いでちょっと待てば出来上がる――インスタント食品は人類の叡智だ。

『腰は大丈夫か?』
「(うるせえ……問題ねえよ。だって他の馬鹿ほど身体能力高くねえしな)」

 前衛組のメンヘラーズはそれはもう酷い。
 褥を共にする度に命懸けで頑張らねば枯死しそうな勢いなのだから。
 その点麻衣はあくまで常識的な範囲に止まっているからそこまで酷くはなかった。

『そいつは重畳。しかし、久しぶりだなこう言うジャンクも』
「(ああ、幸せだったあの頃を思い出すぜ……)」

 ドボドボと流しに湯を捨てソースを投入してかき混ぜる。
 立ち上る湯気にソースの香りが加わり何とも食欲がそそられて来た。
 紫苑は若干機嫌を良くしつつカップ焼きそば二つとお茶をお盆に乗せてテーブルへと向かう。
 何時もは大抵誰かが居る食堂も今は一人で貸しきり状態のようなもの。

「(ふふふ、何か贅沢な気分)」
『貸し切って喰うのがカップ焼きそばってのが哀れ過ぎて泣けるぜ……』
「(馬鹿! 特大サイズ二つだぞ!? 超リッチじゃねえか!)」

 小市民的にはこれでも贅沢の内に入るようだ。ほんに安上がりな男である。

『そうだねー……あ、テレビつけてくれよテレビ。昨日のがどんな風に報道されてるか気になるし』
「(チッ……しゃあねえなぁ……)」

 紫苑としては現実を直視するようで嫌だったが、先々のためには情勢を把握しておかねばならない。
 嫌々ながらもテレビをつけると……。

『あん? 何だこれ……どの局も休止中? 報道規制か? いやいや、バレてるだろ国一つ滅んだんだぜ?』
「(そう言う意図じゃねえと思うぞ。被害の規模が大き過ぎて誰も正確に把握出来てねえんだよ。
普通の大災害とかならそれでも報道はするだろうが、今回のは規模が規模だ。
下手に錯綜した情報を出回らせて混乱を招くようなこたぁしたく無かったんだろうよ)」
『つってもまったく報道しないのも不信に繋がらねえか?』
「(それを差し引いてでも今は報道しないことを選んだんじゃねえの?)」
『まあ、確かに問題が問題だからなぁ……下手なことは出来んか』
「(ああ。この状況での最善を見つける時間は無いし、下策でもそれなりに良い手を選んだのかもな)」

 まあ実際のところは知らんがと言って話題を打ち切り焼きそばを啜る。
 紫苑はこれからのことを考えようとして、すぐに思考を停止した。
 飯食ってる最中くらいは煩いから離れたかったのだ。
 どうせ直に動かされるのを目に見えているのだから。

『ふぅん……それより、まだカニは動かねえな。ホントにやるのか?』
「(んー……今が五十分だろう? 十四時半ぐらい、かな?)」
『その心は?』
「(昨日の昼にあんなことが起きた。心の何処かで今日もまた……なんて思う人間は多いだろ。
一時間過ぎた、今日は来ないのか? いやでも……二時間過ぎた、そこらで緩みが出て来る。
もう今日は何も起こらないってな。そんな時に爆弾を投下してやった方が効果的だろう)」

 二つの特大焼きそばを空にして一息。

「(よーし、次はデザート食~べよっと♪)」

 ゴミ箱に容器を捨てて冷蔵庫から取り出したのは大きめのカップアイス二つ。
 味はストロベリーとチョコチップで紫苑の好物だ。
 カロリーは大丈夫なのかと思ったカス蛇だが突っ込めば愚痴愚痴言われるのは目に見えていたので御口をチャックした。

『そういやさぁ、メロンを象った容器に入ったメロン味のシャーベットあるじゃん?』
「(ああ。あの安っぽいのな。あれがどうしたのよ?)」
『あれの林檎バージョンってねえのかなぁ……あったら俺様食べてみたい』
「(あるんじゃねえの? いや、知らんけど)」

 至福の表情でスプーンを口に運ぶその姿は歳相応の子供にしか見えない。
 まあ、この後に起こる大惨事を前にしてアイス食ってるのは子供らしくないが。

「(ふぅ……ごっそさん。なぁ、致命シリトリしようぜ)」
『地名じゃなくて致命?』
「(そう。致命になる原因を続けてくの。喉を一突きとか)」
『クッソくだらねえ……』

 アイスを食べ終えてペチャクチャと中身の無い会話をしていると遂にその時はやって来た。

"――――気怠るい時間帯に失礼"

 脳裏に浮かぶのは何処かの宮殿でティーカップを傾けているカニの姿。
 遂にこの時が来たかと嘆息する紫苑。
 予想をしていなかった多くの人間は悪い意味で一躍時の人となったカニを見て大混乱に陥っている。
 どうしても昨日の惨劇を想起してしまうので仕方ないと言えば仕方ない。

"報道はされてないようだが、とうに御存知のように昨日、一つの国が滅び世界最強が死んだ。
詳しい説明は省くが、昨日な、ことが起きる前に中国で結構な数の人間が行方不明になったんだな。
まあそこらはギルドの連中は知ってるだろうが……その行方不明になった人間なんだがな、何をしてたと思う?"
「(そーら来た……)」

 そこから先は紫苑が予想していた通りの展開となった。
 滅びに協力した人間に印を付けてこれから各国に振り撒く。
 仙道の力は既に奪ってあるので後は煮るなり焼くなり御自由に。
 それだけ告げてカニは強制放送を打ち切った。

『日本にも放り出されるかな?』
「(されねえだろ。日本にもばら撒いて治安を悪化させるより、敢えて放逐せずに安定させたままにする。
そうすることで後々他所との格差が出来て軋轢が生じるからな。俺ならそうする、奴ならそうする)」

 そうこうしていると食堂の中に紫苑を除く全員が飛び込んで来る。
 皆、疲労が色濃いものの寝ている場合ではないと判断したのだろう。

「紫苑! 卿も見ただろう!? おい……マズイことになったぞ!」
「……ああ、分かっている。最悪のタイミングで最悪なことを仕出かしてくれたよあの女」
「だとしても……僕らはどう動けば良いんだ? こりゃ何と言うか……」

 各国に散って暴徒と化した民衆を鎮圧して放逐された人間を救う?
 そりゃ下策中の下策だし、何より何処の国のどの地域に放り出されたのかすら分からない現状だ。
 動きようが無いだろう、どう考えても。

「……ハッキリ言って、今、俺も含めてこの場に居る全員に出来ることは無い」
「せやね。やったら、うちらはどうすればええんかな?」

 女というのは聡い。麻衣から感じる以前とは違う雰囲気にメンヘラーズの視線が集中する。
 そして何が起きたかを察して鋭い目つきになるも、麻衣は何処吹く風だ。
 こんな状況でコイツらは一体何をやっているのだろうか? いや、ある意味凄いけど。

「その前にカニが打った一手が齎すものにについて俺から見解を述べたい」

 メンヘラーズを無視して昨夜カス蛇に語ったことをそのまま話して聞かせる。
 あまりにもえげつない手に全員の顔が引き攣るが無理もない。
 カニの外道策もそうだが、それをこの短時間で読み切った紫苑が恐ろしい。
 昨日の大殺戮が意識の変遷を齎したのだと想像するには十分だった――あくまで仲間達の視点では、だが。

「……本当に何も出来ることが無いわね」

 アリスは一瞬、暴徒と化した民衆に先んじて放逐された人間を殺すことを考えた。
 そうすることでこの先訪れる大混乱を収束させようとしたのだ。
 が、それをするためには放逐された人間が何処に居るかを知らなければ動けない。
 動けたとしても辿り着くまでに既に私刑は始まってしまうだろう。
 私刑が始まって人類の裏切り者を殺してしまえば暴力の箍は外れてしまう。そうなれば動く意味は無い。

「今、皆に出来ることは休むことだけだ」
「しかし紫苑よ! この状況で何もするなと言うのは……」
「ですがルドルフさん、じゃあ何が出来るんですか?」
「栞の言う通りですわ。そもそも、アレクさんが居ない今、有事に動かなければいけないのは私達ですよ」

 完全に絞り尽くされた力が回復するのにはまだ時間がかかる。
 今だって個人差はあるだろうが、神魔を宿した六人は多くても三割程度しか回復していないだろう。
 そんな状況で無為に体力を消耗するのは下策だ。
 それならば先を見据えて身体を休めるのが最善である。

『彼女らの言う通りだ。勿論、ルドルフ、君の個人的な感情も分かるがね』
「ロキ……いや、そうか……そうだな」

 感情に振り回されて多くの犠牲を出し、無残な死を与えられた男を昨日見せ付けられた。
 それを見て、尚且つカニの恐ろしさを肌で知った自分達が感情に流されてはいけない。
 ルドルフは大きく深呼吸をして席に着く。

「すまない、取り乱した」
「いや、良い。俺も……一瞬でも気を抜けばどうにかなってしまいそうだからな」
「休んだ?」
「アイリーン……ああ、大丈夫だ。俺は皆よりも疲れてないし、睡眠も取ったし昼食も既に摂っていたからな」

 その上デザートまで食べているのだ、エネルギー補給は万全である。
 いやまあ万全だからと言ってこの男が役に立つかどうかは別なのだが。

「とりあえず皆も御飯を食べてからゆっくりと眠ってくれ……っと、電話か。はい、もしもし」
『紫苑くんか? 僕だ、鎌田だ。今から大阪城に向かって欲しい』
「大阪城に? そりゃまた何で……」
『詳しいことはあっちで支部長に聞いてくれ。既に迎えは送ったから……じゃあ、失礼するよ』

 それだけ言って電話は切れた。カマキリもかなり忙しいのだろう。
 しかし、日本支部の長――寛野厳がわざわざ大阪に来ると言うのは……。

「聞こえていたと思うが……すまない、アイリーン、ルーク。一緒に来てくれるか?」
「分かった」
「了解した」

 アイリーンとルークのみを護衛に就けた理由は皆も察していた。
 この中では神も魔も宿していないため優先度が低く、尚且つそれでも戦闘能力が高いからだ。

「アイリーンお姉さん、何かあったら何を置いてでも紫苑お兄さんだけは連れて逃げるのよ」
「分かってる」
「既に迎えはこっちに向かってるらしいからアイリーン、着替えたら外に来てくれ。俺とルークは先に出てるから」
「分かった」

 ルークを伴い拠点を出て、地下駐車場で迎えを待つ二人。

「……電光石火の攻勢だな」
「ああ。あれほどの大勝の後でも情け容赦が微塵も感じられない……厄介な女だよ」
「勝てるか?」
「勝たねばならんだろう。でなくばもっと酷いことになってしまう」

 とは言っても未だビジョンも何も無いまま。
 無策でカニ向かって行くことほど愚かなこともない。あっさりやられるのがオチだ。

「とは言え、無策で挑むにはあまりにも大きい敵だ。
そんなことをしたら相手の土俵に引きずり込まれてその手で転がされて終わりだ。
相手の土俵を知り、相手の土俵に乗らず、それが最低限で……ん?」
「どうした紫苑?」
「いや、少しな……(奴の土俵、俺の土俵……)」

 決して重ならない二つ。紫苑とて勝利を最終目標に設定することも多いが、執着は無い。
 勝てないと思えば綺麗に散ることを考えるような男だ。
 勝利なんてものも自分を飾り付ける雑多なアクセサリーの一つという認識でしかない。

「お待たせ」

 ホットパンツに特殊素材のインナーという動き易い格好の上にコートを羽織ったアイリーン。
 荒事があるとは限らないものの、いざその時にすぐに動けるようにとのことだろう。

「(チィッ! 考えごとしてたのに邪魔しやがってクソが死ね!)いや、迎えはまだ来てないし気にするな」
「ん」

 丁度やって来たギルドの車――ではなくパトカーに乗り込みそのまま大阪城へと。
 どうやら緊急を要する事態のようで信号ガン無視、速度超過の違反オンパレードだ。

「……」
「……」
「……(会話も何も無しかよ……)」

 運転手は勿論、アイリーンとルークもだんまりだ。
 アイリーンは恐らく今の自分がどの程度やれるかを考えているのだろう。
 そしてルークは元々寡黙、会話も何も無い車内がどうしようもなく居辛い。
 別に紫苑も好んで会話をしたいわけではないが静か過ぎるとそれはそれで不安になる、特に今のような状況だと。

「着きました」

 大阪城の大手門前には日本支部の長である寛野厳と――フランス支部のアネット・エルバインまでもが紫苑を待っていた。
 紫苑はアイリーンとルークを伴い彼らに近付きことの次第を問い質す。

「一体何ごとですか?(この俺を呼び付けといてくだらねえ用だったらマジ覚えとけよ)」

 くだらない用事で日本とフランスのギルドの長がこんなところに来るわけがない。

「それを説明する前に私と、これからやって来る客人の入城許可を取って頂けますかな?」

 大手門より中に入れていないのは彼らが信に足る存在であるか不明と城主が判断したからに違いない。
 ゆえに幸村が門番として大手門の前に陣取っているのだろう。

「客人とは?」
「総てではありませんが主要国家に設置されているギルドの長ですよ」

 紫苑は寛厳のその一言で大体の意図は察した。そして、大阪城が選ばれた理由も。
 下手なところでやると敵の介入があるかもしれない。
 ならば味方の、それでも幻想に寄り過ぎない現世の会談場所として大阪城は適任だ。

「成るほど……今、しかない無いですからね。言いたくはありませんが」
「ええ。今はまだ冒険者を統括して大規模な動きをする時ではありません、ここを逃すと主要メンバーを集められるかも分かりませんので」

 未だにニコニコと笑顔を崩さない寛厳。
 小柄な好々爺然とした見た目ながら腹の中はとても厳しい男だ。
 冷静に現状を見つめ、感情を殺して必要なことをしている。
 アレクにもこの安定感があれば――いや、あったとしてもカニの初見殺しは防げないか。

「分かりました。幸村、この二人については信頼出来る。
他の面子に関してはお前が何時でも首を獲れるように目を光らせながら連れて来てくれ」
「あいよ。しーちゃんがそう言うなら拙者に異存はねえさ。茶々様も同じだろうよ」

 排他的と言うほどでもないが茶々は中々胸襟を開くような女ではない。
 が、その反面信が置けると思ったら駄々甘だ。それが好意を抱く男ならば尚更である。

「寛野さんは後から来る面子に事情を説明してくれますか?」
「その辺が妥当でしょうな。豊臣方にも面子はあるでしょうし、相分かりました」
「幸村、大広間を借りるぞ。アネットさん、俺に着いて来てください」
「分かりましたわ」

 勝手知ったる他人の家――というほどでもないが大阪城の地理については紫苑も理解している。
 アネット、アイリーン、ルークの三人を引き連れて大人数で話が出来る大広間へと一直線に向かう。

「アイリーンとルークは部屋の外で待機しててくれ……一応、此方さんの面子も立てねばならんからな」

 各国のトップ会談で、アイリーンやルークが同席するのはあまり良い顔はされないだろうという配慮だ。

「……何というか申し訳ありません、ムッシュ」

 アネット本人は気にしていないが、そういう大人が居ないことは否定出来ず小さく謝意を述べる。
 子供に気を遣わせる大人というのも中々情けないものだ。

「いえ、では入りましょうか」
「ええ」

 二人が中に入ると石田三成が頭を下げて紫苑を迎える。

「紫苑殿、茶と菓子はどれだけ用意すればよろしいでしょうか?」
「すまない。場所を貸してもらうだけでも申し訳ないのに……気遣い、感謝する。
(そういやコイツ元は茶坊主だったか。負けたとは言えよう出世したもんだ……腹立つ)」

 たまには素直に褒めても罰が当たらないだろうに。

「いえ、茶々様からも紫苑殿には最大限の協力をするよう申し付けられていますので」
「ありがとう。アネットさん、何人ぐらいが来るんでしょうか?」
「私、寛野、ムッシュを加えて十一人ですわ」
「と言うことだ。全員が集まったところで頼む」
「かしこまりました。異国の方も居られるようなので、それに合わせます」

 そう言って三成は去って行った。
 茶に関する気遣いのエピソードが残っているだけあって実に細やかな気配りが出来る男である。

「アネットさん、席次はどうしましょうか?」
「ムッシュが上座でよろしいかと。会談場所である大阪城の城主は別ですが、その城主はムッシュに全幅の信頼を置いてますし……」
「どうしました?」

 言い淀んだアネットに続きを促す。

「いえ何も」
「それより、一応確認をしておきますが……会談の目的はアレクさんの後任について、もしくはこれからのギルドについてで相違ありませんか?」
「前者ですね」
「アレクさんの後任について、ですか」
「早期に次の長を立てねばなりません。ムッシュにもそれは分かるでしょう?」

 裏切り者のリンチに衆愚が血眼になっている今しか機は無い。
 人の争いは官憲にでも任せていれば良いのだ。
 ギルド――冒険者の戦いとはあくまでも幻想とのそれなのだから。

「ええ。とは言え、選出は中々厄介だとも思いますがね。しかし、何故俺が?」

 と言いつつも紫苑は大体の予想は出来ていた。
 こんな状況でなければ喜んでいたが、こんな状況なので素直に喜べない。

「まあ、そこは追々。それよりムッシュ、申し訳ありません。昨日の疲れも残っているでしょうに……」

 気遣わしげな視線を送るアネット。
 基本的に情報はギルド間で共有されているので当然彼女も紫苑とその仲間達が中国で奮闘したことを知っている。

「……大丈夫、ですか?」

 現場を直接目撃していないものの伝え聞く情報だけでも昨日の中国が地獄だったことが窺える。
 そんな場所に多感な時期の少年が――それも、他人の痛みを我がことのように感じてしまうような優しい紫苑が行って平気なはずがない。
 アネットは心底から紫苑を気遣っている、実に真っ当な大人だ。
 こんな人間こそがド屑のカモになってしまうのだから皮肉である。

「大丈夫……だとは言えませんが、何かをしていると気が紛れますから。
それに、俺に退路はありません。アレクさんから託されたものがありますからね。
それに、あの女――葛西二葉は俺がどうにかしなきゃいけない」
「ムッシュに比べれば私達がこの四ヶ月で出来たことはあまりにも小さい。
役に立てるかは分かりません。それでも私達は大人で、辛い時はどうか御頼りになられてくださいまし」

 アネットの言葉は普段紫苑が口にする虚言などではなく真実の気遣いだ。
 彼女は三ヶ月前にパリで見た紫苑の誇り高い姿に憧れを抱き、今でもその背を追い続けている。
 紫苑が助けを乞えばアネットは全力で彼をバックアップするつもりだ。
 それを私情と笑うなかれ。大なり小なりフランスの人間は同じような考えなのだから。

 紫苑とジャンヌのやり取りを見た冒険者達はその様子を身近な人々に伝え聞かせたし、
監視カメラの映像などもネットに流されフランス国民の多くがあの日の出来事を知った。
 自国の英雄であるジャンヌ・ダルクの深い闇と、それを愛の力で祓った紫苑の姿に多くの人間が感銘を受けた。
 他国の人間でありながら春風紫苑はフランス内において強く英雄視されている。

 そんな紫苑と共に戦いたいという人間ならば腐るほど存在しているのだ。
 だからこそ、今回の会談においてもアネットはフランス代表として紫苑を支持するつもりで居る。
 余命が少ないとはいえ十年――短く見積もっても九年は生きられるのだ。
 それだけの時間があれば紫苑はもっと大きなことを成していると大きな期待を抱いている。

「ありがとうございます……でも、ちょっと持ち上げ過ぎですよ。
(そうそう、それで良いんだよ。最近は俺を讃える声を聞く機会が無かったけど俺は何よりも偉大なんだよ)」
「何を仰いますの。ムッシュ、あなたがこの数ヶ月で成したことは他の誰にも真似出来ない歴史に残る偉業なのですよ?」

 それは偽らざる本音だった。
 アネットは紫苑の活躍を聞く度に喜びと同時に不甲斐無さを感じていたものだ。
 どれもこれも十六歳の少年が背負うには重過ぎることだと。

「酒呑童子の討伐、幻想への宣戦、祖国の英雄ジャンヌ・ダルクの救済。東京を占拠した徳川の打倒。
日本人という種の未来を掴んだこと……どれもムッシュだったからこそ成せたのです。
その結果が今の日本ではないですか。他の国よりも平和が満ちているのはムッシュの奮闘あればこそ。
ムッシュの下に集った力持つ者達も春風紫苑と言う人間だからこそ力を発揮出来るのです」

 ルドルフはともかく他の面子は正にその通りだ。
 もしも紫苑がとっととおっ死んでいれば速攻で後を追っていただろう。
 それほどまでにメンヘラーズは世界というものに対して興味が無い。
 いや、興味が無いと言うより彼女らにとっては世界イコール春風紫苑なのだ。

「(良い、良いぞ! 朕は酷く愉快な気分だZOY!)
それでも俺は……昨日、何も出来なかった……。国が滅び十数億の命が散った。
そして……アレクさんもまた……あの人は偉大でした、本当に」
「ムッシュ……」

 手で目を覆い隠しているが、その隙間から光るものが流れ出す。
 嘘泣きは紫苑の十八番である。世界で一番涙腺操作が上手い男とはコイツのことだ。

「信じられますか? 一度、完全に死んだんですよ?
ヒドラの毒で脳や臓腑を破壊され、心臓を握り潰されて……死んだんです。
それでも、あの人は気力で蘇り、俺に力を託すために最後の力を振り絞ってくれた。
筆舌に尽くしがたい苦痛の中でも、次代に……次代のために戦ってくれたんです。
そして、塵一つ無く消えてしまった。髪の毛一本遺さず、この世から消えてしまった……」

 ただただ人類のためにと身を削り、報われずに散ってしまった。
 無念だったろう。それでも、アレクサンダー・クセキナスは笑顔でこの世を去ったのだ。
 それがどうしようもなく悲しいと紫苑は哭く。

「アネットさん、俺もあなたも……今、生きている総ての命は未来を託されたんです。
広い宇宙にある数ある一つ、広い世界のちっぽけな存在――人間が刻み続けて来た歴史を絶やさないでくれって。
あの偉大な背を見せてくれた尊敬すべき男の祈りに応えられるのか、不安で不安でしょうがない」
「……」

 アネットは何も言えなかった。
 二十年も生きていない子供なのに、それでも紫苑は大きな視点でものを見ている。
 かと言って目の前のことを疎かにしているわけでもない。
 その在り方は大人顔負けで――いや、大人でもどれだけの人間が同じことを考えているだろうか?

 ただただ不安に押し潰されそうで震えているだけなのでは?
 アネットは自分を恥じた。彼女自身も目の前の問題に必死で託されたものの重さを理解していなかった。
 人類が刻んだ歴史、命の営み、未来、それらについて考えていなかったわけではない。
 だが、どうしても目の前のことだけに目が行きがちで深く問うこともなかった。

 だと言うのに春風紫苑は過去現在未来を深く見つめ、その命の炎を燃やしている。
 余命を宣告され、長くは生きられぬ己を悲観することもなく。
 限られた短い命の中で己に出来ることを必死に考えている。
 そして、だからこそやはり彼以外には居ないとアネットは改めて確信した。

『奇麗ごと絶好調ですね紫苑さん!』

 煽てられて調子に乗ったからだろう。
 紫苑にとって賛辞とは舌を回す潤滑油で、注げば注ぐほど調子に乗れる。
 豚だって煽てれば木に登るのだ、人間で、しかも最高の見栄っぱりならばどうなるのか。
 そのまま成層圏を貫いて宇宙に飛び出し太陽に突っ込んでしまうかもしれない――炎に突っ込む蛾の如くに。

「(フハハハハハハハ! 今なら何でも出来る気がするぜ!!)」
『カニにも勝てるっすか!?』
「(いや、それはちょっと……)」

 セイギノミカタとアクトウでは選択肢の幅が違い過ぎる。
 紫苑はどちらかと言えば性根は後者だが外ヅラは前者なのであまり無茶も出来ない。

『ああそう……にしても甲殻類も運が良いんだか悪いんだか分からん奴だよな』

 このまま下手に突っ込んで行けばブチブチ文句を言われるのは目に見えている。
 ゆえにカッスは話題の転換を図った。
 名付けて相対的にカニを不幸だと思わせて紫苑にご機嫌になってもらおう作戦だ。

「(何でよ?)」
『いや、お前って言う最高の勝利を得られる敵とこんな早くに出会っちまったんだぜ?
負けたらまあ、そこで終わりじゃん? だけど勝てばどうするよ、一回極上を味わったら他で満足出来るか?
紫苑に勝った後どうすんだよ? 定年退職したお父さんの如く抜け殻になっていきなりカメラとか始めるの?』

 何でそんな定年退職をした仕事人間のお父さんの生態について詳しいのか。
 確かにカメラとか始めてみるけど結局合わなくて最終的に家庭菜園とかに落ち着きそうだけど。

『ほら、そう考えると不幸じゃね? 紫苑の場合はある意味永久機関じゃん?』

 自分に酔い続けているので紫苑はある意味で永久に幸福とも言えるだろう。
 まあ、外的要因があれば一気に不幸になるのだが――メンヘラーズとか。
 それでも小さいことで――それこそアネットの賛辞などでもご機嫌になれるくらい紫苑は安い男だ。
 不幸は消えないが些細なことでも幸せを感じられる。

『その点カニは自分で至上を設定しちゃったわけだし、
後から認識を変えられるようならばそもそも至上には置かないじゃん?
ほら、そう考えると紫苑さんってあの甲殻類より半端なく幸せじゃね?』
「(……)」

 沈黙の紫苑。ご機嫌取りに失敗したか!? と慄くカス蛇だが……。

『紫苑?』

 どうもこの沈黙は違う。不機嫌とかそういう感じの沈黙ではない。
 そう、これは時たま見せる頭をフル回転させている春風紫苑だ。

「(その後、か……いや、確かに……大き過ぎて思考の陥穽に……)」

 紫苑の頭の中で急速に何かが組み上がってゆく。
 思い描くのは勿論、自分にとって都合の良い絵だ。それ以外には無い。

「ムッシュ」
「え、あ……はい」

 思考を打ち切られたが大まかな絵は描けたので問題はなかった。

「他の方々も全員来られたようですよ」

 入り口が開いてずらずらと人種、性別、年齢も様々の大人達が入って来る。
 ニコニコしているのは寛厳だけで、他は大体険しい顔だ。

「皆さん、とりあえず自由にお座りなさいな」

 寛厳は恐らくは英語で告げているのだろうが自動翻訳機カッスが居るので紫苑には関係が無かった。
 寛厳の言葉で各々が着席したところでようやく会談が始まる。

「では、私、日本支部支部長寛野厳が司会をさせて頂きましょうか。ホームですしね」

 最初に口火を切ったのは寛厳で、他の面子もそれに異存は無いらしい。

「既に御存知かと思いますが今回の議題は――――アレクサンダー・クセキナス氏の遺言についてです」
「(知らんのだけど)」

 御存知じゃない奴が居る件について。
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