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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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三月の悪夢 終

「さて、グングニルをどうするんだロキよ」

 ベアトリクスの氷を再生した両手で強化しつつルドルフが問う。
 神の力を得たことで力は漲っているものの、グングニルをどうにか出来るほどではない。
 まともに喰らえば一撃死は免れても戦線離脱は免れない。
 それはそれで御の字と言えば御の字なのだが、ロキはどうにかすることが出来ると言ったのだ。

『左手だけ借りるよ』

 左腕の制御がロキに委譲され、その指が空に踊り幾何学模様を描く。
 召喚陣――ということは分かったが一体何を召喚するのだろうか?
 首を傾げるルドルフらの前に飛び出したのは赤ん坊――のような人形だった。
 目鼻は存在せず、手足も短いそれは畸形児のようでもあるが……。

『これを使うのさ』
「……何を企んでいるかは知らぬが、愚かなる弟よ。グングニルは違わずお前達を穿つぞ」

 総てを知るオーディンですら不可解だという表情で人形を見つめている。
 彼にとってもまったく未知の道具。オーディンですら知らぬのだからルドルフらに分かるわけがない。

『まあ見てなよお義兄ちゃん。私が――否、私達が必中の槍グングニルを攻略する様をね。
ああでも、怖いってんなら邪魔して良いよ。それぐらいは義弟として赦そうじゃないか』
「下手に刺激するな」
『大丈夫大丈夫。お義兄ちゃんはこれぐらいじゃ怒らないさ。何せこの私と何だかんだで付き合って来たんだからね』

 説得力があり過ぎて困る。そしてオーディンって実は良い奴なんじゃない?
 そんな考えが頭をよぎるルドルフだったが、すぐにそれどころではなくなる。
 畸形児のような人形がうねうねと姿を変えてルドルフ・フォン・ジンネマンの姿を取ったのだから。

「……おい、ロキ。卿、あれか。これをダミーにしてとかいうそれか?」
『そうだよ』
「その割には未だに槍の矛先は私に向いているんだが……ガリガリ氷が削れてるぞ」

 不毛な鬩ぎ合いは継続中で、グングニルは未だにルドルフを狙っている。

『まあ、見てなよ』

 貸してやっている左手で再び魔方陣を描き、ルドルフ(偽)が姿を消す。
 一体何がしたいんだと困惑するルドルフとオーディンだったが、

「!?」

 どういうわけか氷を削っていた槍が軌道を変えて遥か上空へ向かって行くではないか。
 どんなカラクリが? 敵味方が動揺している中、ことを成した当事者だけは平然としている。

『さあルドルフ、奴の最強の得物が無くなった今がチャンスだよ』

 どういう過程を経てそうなったのかは非常に気になるがロキの言う通りだ。
 ルドルフは自身の槍を再召喚してオーディンへと突っ込む。
 純化による強化とロキを身体に入れたことによる恩恵が合わさりスペックが跳ね上がっている今ならば……。

「……」

 何も無い空間から引き抜かれて出現した大剣グラムの腹で受け止められてしまう。
 心臓を狙った渾身の突きを剣の腹で受け止められるとは思っていなかったルドルフ。
 少しばかり動揺するがすぐに押し切らんと力を込め始める。

『お義兄ちゃん、何ダンマリ決め込んでるのさ。そんなにグングニルを防がれたことが気になるかい?
その知的好奇心は最早病気だね……まあ、知識が欲しくて首吊るような奴だし今更か』

 ロキは伊達にオーディンの義弟をやっていない。
 義兄は例え死闘の最中であろうと本当に興味をそそることならばその事柄について考え込んでしまうことを知っているのだ。
 そうして集中力を分散させることで、どうにかオーディンをスペックダウンさせるのがロキの狙いだった。

「オーディン、卿は私の憧れだったが……此処で超えさせてもらうぞ!!」

 不謹慎ながら、余裕が出来たことでルドルフは気分が昂ぶっていた。
 かつての憧れ、それを踏破出来るかもしれないという高揚感が胸を満たし、自然と頬が釣り上がるのだが……。

「……ふむ、ロキよ」

 オーディンはルドルフなど眼中にすら入れてなかった。
 目の前の勇者も嫌いではないが、それ以上にグングニルを攻略した一手が気になってしょうがない。
 今を以ってこの手に戻って来ていない理由は分かる。
 転移を繰り返しながら逃げているからだろう。貫くまで戻って来ないというグングニルの特性を逆手に取ったのだろう。
 だが、問題はどうやってターゲットを誤認させたかだ。

「ドヴェルグか?」

 グングニルを鍛えたのはドヴェルグと呼ばれる種族の者らだ。
 ゆえに、彼らを使ってアンチグングニルとも言うべき道具を造らせたのでは?
 ロキは元々そういうことに長けているので不思議ではない。
 答え合わせを求める子供のような目でオーディンはルドルフの裡に居るロキに問いかける。

『さあ、どうだろう?』

 と、此処でロキにとっての予想外が発生する。

「退くか」

 オーディンが上海にやって来たのはあくまでお義理。
 義理よりも興味をそそるものがあれば当然、そっちに集中したくなる。
 オーディンは己の領域に帰ってゆっくり思索に耽ることを選んだのだ。
 それほどまでにロキが見せた攻略法は面白いものだった。
 一体如何なる理論が働いているのか、それを解き明かしたくてしょうがないのだ。

『ちょ……!』

 何処か詰めが甘いというか間抜けなとこも如何にもロキらしい。
 そんなだからちょこちょこ出し抜かれたりするのだ。

「……おい、ロキ」

 オーディンはもう振り返ることすらせずに撤退して行った。
 ロキからすればここまで知識欲に餓えているとは思っていなかったのだ。

『……虚無に追いやられてから真新しいこともなかったから、予想以上に刺激されたのかな?』
「されたのかな? ではないぞ貴様。おい、大丈夫なんだろうな? グングニルがあの人形を射抜けば……」
『いや、その点は大丈夫。あれを射抜いた時点でターゲットが君に移ることはない。
普通にオーディンの下に戻って終わりだよ。まあ、また槍を投げられたら別だけど……』

 流石に恥ずかしくなったのか声が少々上擦っている。

『そ、それよりだ……お義兄ちゃんが退いたのはラッキーだ。このまま雑魚の掃討に移ろうじゃないか。
我が娘ヘル、そしてヘルを宿す少女ベアトリクス――君らも当然協力してくれるんだろう?』
「ヘルを宿すって言うか、あなたが、宿したんでしょう。別に、自分の意思じゃ、ないです」
『そして私の意思も介在していませんわ』

 毒親とは正にこのことである。

「……まあ良い。消化不良だし、災厄を此処で詰めなかったのは不運だが戦力が増えたことは喜ばしい。行くぞベアトリクス!」

 彼方の勝利が見えるとかほざいた手前、ルドルフはすっごい恥ずかしい思いをしていた。
 とはいえ今は恥ずかしがっている暇すらないのだ。

「お供します!」

 そう言って二人と二柱は地上に降りて蔓延る敵の殲滅を開始する。
 ルドルフもそうだが天魔、信長、アイリーン、他の者らも眼前の敵はどうにか出来るのだ。
 相対した敵が辿るのは撤退か死かのどちらか。
 しかし、大局でものを見るならば誤差のようなものだ。決定的な勝利は何一つ得られていない。

 何一つ得られないままに半ば惰性のような形で戦い続けて時間は流れてゆく。
 空が茜色に染まっても、日が沈み夜がやって来ても戦いは続き、終わったのは十時間以上も後だった。
 背負った疲労に見合わぬ成果。完全なる敗北。
 そして、その敗北から立ち上がる暇もなく襲来したカニ。

 今もボコられ続けているアレクを脳内に映しながら紫苑は未だ現実逃避を続けていた。
 これは夢、今頃自分は温かいベッドの中で眠っている。
 いいや、そもそも幻想回帰なんてものすら夢だったのだ。
 今頃自分は望むだけのものを手に入れているのだ――此処まで来ると半端ない逃げっぷりである。

「(そう、メンヘラとも出会わずに俺より劣っててそこそこ可愛い俺を立てる都合の良い女と付き合って……)」
『何時までブツブツ言ってんだテメェはよぉ。夢じゃねえよ現実だってばさ』
「(黙れ俺の心の闇ィ!!)」
『遂に俺様まで妄想の産物に!?』

 というか心に闇しかない男が何を言っているのか。

『逃げちゃ駄目よシオンくん! 現実から、自分から!』
「(現実逃避も赦してくれんとはいい加減マジで何なのお前!?)」
『つーか俺様居なくても直接脳内に見たくもないもん見せられてんだからどの道無駄じゃん』
「(うぎぎぎぎぎ……!)」

 紫苑の冷静な部分はアレクの敗北は避けられないと結論を出していた。
 今でこそようやく人を見捨てて戦い始めているがそれでも動きはギコちないし精神はガリガリと削られている。
 圧倒的に不利だし、何より――――既に終わっているのだ。
 肉盾を破壊した直後にカニから喰らわされた鋏による一撃。恐らくはあの時点で詰んでいる。
 そう予想しているのに紫苑はアレクの勝利を諦められない。

「(勝てよ! 殺せよ! 最悪自爆でその甲殻類を道連れにしろやぁああああああああああ!!)」

 アレクが死んでしまえば最早遮るものは何も無い。
 己がカニとぶつからねばならないことは明白だ。
 そして、そのような展開を紫苑は望んでいない。だから願ってしまう。自爆してでもカニを殺してくれ、と。
 身勝手と他力本願を汚水で煮詰めたような男である。

 さて、そんなクソ野郎に勝手な期待をかけられているアレクだが、彼自身も己の敗北を予期していた。
 覚悟のほどが違ったのだ。敵を倒すために同族を十数億磨り潰し、力なき一般人すら使い捨てる覚悟と非道さ。
 勝利というものを掴むためにはそこまでしなくてはならないのだ。
 なのに、己はそこまで非情になり切れない。自身が死ねばどうなるかを分かっていても。

「……情け無いな」

 空から降り注ぐ人の雨。阿鼻叫喚の風が吹き荒び、肉片と血液の水溜りが出来る。
 どうにも出来ないことだというのに、こんなにも心を揺らされている。
 敵の術中にド嵌まりしてしまっている、ただただ不甲斐無い。
 しかし、こんな光景の中で正気で居られる者がどれだけ居るというのか。

 そしてそもそも、救おうとする素振りを見せないというのもそれはそれで問題なのだ。
 一般人の中に自分達は見捨てられるという先入観を刷り込んでしまうから。
 かと言ってカニを放置すればもっと人が死んでそれどころではない。
 優先順位としてはカニを討つことが最上なのだがそのチャンスはとうに過ぎてしまった。

 やるのならば姿を見せた瞬間に最大火力で葬るべきだった。
 だが、それをさせないように心を揺さぶりに来たのは敵ながら見事という他無い。
 ことここに至ってカニを討つことが出来るとしたらそれは自爆。
 奇しくも紫苑が望む展開をアレク自身も思い描いていた。

「(まあ、結果的にとはいえ……一般人を見捨てないというスタンスは見せられた。
俺が死ねば影響も大きいだろうが、せめてこの女を道連れに出来るのならば最低限の結果は残せる)」

 そう決意し、カニに抱き着き溜めていた力を解放しようとしたその瞬間、

「――――バァカ。お前はもう詰んでたのさ」

 眩暈、吐き気、頭痛、寒気、臓腑が腐るような痛み、穴という穴からの出血、ありとあらゆる苦痛がアレクを襲う。
 溜めていた力が霧散し、自爆に失敗し、膝から崩れ落ちる。
 立っていることすらままならない状態で思考もまとまらず、考えを巡らせた瞬間から散らばってゆく。

『……! 遅効性の毒か!』

 同時に、自身が気付けなかったことから並みの毒ではないことを看破する。
 プロメテウスはアレクに力を与えるのみならず、その健康状態をも管理していた。
 そのプロメテウスをして発動するまで気付かず、
尚且つアレクほど頑強な肉体を持つ男を一瞬で此処まで弱らせる毒――並大抵のものではない。

「あ、う……が……ぁあ……」

 ブクブクと泡を吹くパートナー。プロメテウスは必死で自浄作用を働かせるがまるで効果が無い。

『ヒドラの毒……それも、かなり改良された……!』

 無敵の男ヘラクレスすらも死を選ぶほどの苦痛を与える猛毒。
 ただのヒドラの毒であればプロメテウスも看破出来ていただろう。
 だが、発症するまで存在すら気付かないということは相当に弄られていると見て良い。
 その弊害か、多少毒の効力は弱くなっているようだが人間であるアレクには気休めにすらなっていない。

「御名答。何せこっちは幻想陣営だ。協力者は幾らでも居るんでな」

 もう詰んでいた、プロメテウスはようやくカニが描いた絵を理解した。
 勝つためには何でもすると言いながら赤ん坊を放り投げた後の戦い方がそもそもからしておかしかった。
 嬲るような攻め、戦っている最中はかつての屈辱を晴らすためと思っていたが今ならばそれは誤解であると分かる。
 仮に、赤ん坊の時点で命を奪いに来るような一撃が放たれていたとしよう。

 そうなればアレクの危機感は一気に跳ね上がっていたはずだ。
 そうなるとそこから先の展開はカニにとって少々危ないものになる。
 危機感のままに即座に自爆なんてされたらどうなるか分からない。
 それ以前の毒を仕込んだ一撃もそう。もしあれが即効性だったのならば同じようにアレクは痛みの中で死は避けられぬと自爆を選んでいただろう。

 カニは分かり易い形で敵を追い詰めることを嫌ったのだ。
 手負いの獣ほど恐ろしいと知っているから。ゆえに遅効性の毒を選んだ。
 最高のタイミングでまったく予期しない方向からアレクを突き刺す必勝の剣として。
 カニは絶妙の匙加減でアレクを嬲り、毒が発動するまでの時間を稼いだ。

 毒の発動までは自爆なんて選択肢を選ばないように、上手く戦いの天秤を調整しながら時を稼ぐ。
 そうして、アレクにとっては最悪の、カニにとっては予定通りに最高のタイミングで毒が発動した。
 弦が最高に張り詰めた瞬間に引き千切られたことで溜めていた力は霧散し、自爆どころか思考すらままならない状態のアレク。
 此処まで追い詰めてようやく、確実な勝利を得られるのだ。

『……此処まで、此処までするか』

 プロメテウスは葛西二葉が抱く勝利への執着に恐れを抱いた。
 絶対に相手を詰ませるために幾重にも策を巡らせる。
 それは頭を用いて戦う者には当然のことだ。しかし、その規模が狂っている。
 味方や同族の命を躊躇いなく磨り潰し、大きな犠牲で必勝の刃を隠す。

 言うは易し、行うは難し。同じ真似を出来る人間がこの世に存在するだろうか?
 いいやそもそも、一個人のために、たった一度の大儀も何もない勝利のために十数億の人間の命を平然と使い捨てるような発想が浮かぶだろうか?
 ほんの僅かでも善性を持つ者ならば不可能だ。そしてどうしようもない悪性を持っていたとしても不可能だろう。
 同じ真似が出来るのは善悪の彼岸を超えて純粋に、無垢に勝利だけを渇望出来る者だけである。

「勝つためなら何でもするって言っただろうが」

 勝つためならば何でもする、陳腐な文句だ。
 そんな陳腐な文句を全霊で体現しているのが葛西二葉という少女なのだ。

「そして、逆に言えば此処まで面倒な手順を整えなきゃ勝てないのがこの男なんだよ」

 世界最強、これまた陳腐な称号だ。
 しかし、その陳腐を打倒するためにはこれだけの犠牲が必要だった。
 今口にしたことはカニなりの賛辞だったのかもしれない。

「さて……じゃあ、シメと行こうか」

 全人類が見守っている。幻想に着いた冒険者を除く力無き人々は今、絶望の闇に叩き込まれようとしていた。
 人類側の武力を体現する存在アレクサンダー・クセキナス。
 どんな不利な戦況であろうとも彼が来れば事態は好転して自分達は救われる、実際に救われた者も居る。
 そんな切り札が今、おぞましい炎で灰にされようとしているのだ。
 止めろ、止めてくれ。彼が居なくなれば世界はどうなってしまうんだ。
 そんな悲鳴にも似た多くの嘆願が届くことはなく……。

「よっと」

 胸倉を掴んでアレクを立たせその心臓を抉り出し、

「――――わきゃきゃきゃきゃ! あばよ最強ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」

 渾 身 の 力 を 以 っ て 握 り 潰 す。
 日付が変わると同時に糸が切れたように崩れ落ちるアレク。
 この瞬間、アレクサンダー・クセキナスという人間は確実に絶命した。
 世界最強、人界の護り手、多くの希望を背負った男は死んだのだ。
 この瞬間、多くの名も無き大多数が絶望の闇に沈む。眼前からか細い光は消え失せ後に残るは無明の闇だけ。

「……ふぅ」

 アレクが絶命した瞬間を見せ終えたことで幻想側は脳内への投射を止める。
 最初はカニにアレクを仕留めた後で演説をぶって更に人に追い詰めることを打診したのだが彼女はそれを拒否した。
 絶対の事実だけを突き付けて後は放置することが効果的だと判断したからだ。

「あー……疲れた」

 アレクに勝った充実感は確かにある、このまま高笑いして気が済むまで勝利を喜びたかった。
 しかしそれをするには疲れ過ぎた。傍目には圧勝だったが、カニとて余裕があったわけではないのだ。
 自身の目論見がどれか一つでも失敗していたらやられていたかもしれない。
 ゆえに一つとて踏み外すことは出来ず絶対の成功のみを課していた。

 プレッシャーをプラスに働かせることが出来る性質のカニだが、疲労が無いわけではないのだ。
 肉体的にも精神的にも随分と消耗してしまった。
 幻想の視点で語るならば最後の最後に美味しいとこ持っていった感が強いが、当然の報酬である。
 多くの協力の下に成り立っているとはいえこの絵を描いたのは彼女なのだから。

「……ククク」

 アレクの殺害は成った。
 これで紫苑もようやく重い腰を上げざるを得ないだろう。
 これからに思いを馳せ、笑みを漏らすカニだがすぐにその笑みは掻き消えることになる。

「――――あ゛ぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 信じられないことが起きた。
 確実に絶命したはずのアレクサンダー・クセキナスが吼えたのだ。
 プロメテウスが操っているわけではない、この感じは確実にアレクのもの。
 比喩でも何でもなしに死んで、生き返ったのだ、神を宿しているとは言えただの人間が。

「馬鹿な……」

 心臓を抉り取られ、ヒドラの毒で全身――脳に至るまでを破壊されて死んだはずのアレクがどうして立ち上がれる?
 どれだけ幻想に近付こうとも人は人。一度死んだ人間は蘇らない、それが絶対の真理だろう。
 その真理を捻じ曲げてもう一度、現世に立つとは如何なる不条理だ。

「……ぶろ゛め゛でう゛ず……! 最後に、力を貸してくれ!!」

 気力で息を吹き返すのは珍しいことでもないがアレクの場合はその度合いが狂っている。
 一度完全に死んだのだ。脳も主要臓器も破壊されて、息を吹き返す土壌すら消えていたのだ。
 なのに蘇った、蘇ったどころか思考すら出来ないはずなのにしかりと言葉を発している。
 道理も条理も何もかもをも蹴飛ばして現世に帰還するなど有史以来二人目だ。
 そして、そんな奇跡を起こせるからこそアレクサンダー・クセキナスは世界最強の名を背負うことが出来たのだ。

『ッッ……! ああ、ああ! 私は最後までお前と共に在るよ!!』

 幻想のプロメテウスにとっても、アレクと出会ってからの数十年は掛け替えのないものだった。
 共に怒り、共に泣き、共に笑った宝石のような時間。
 とうに肉体を喪っているプロメテウスだが彼は心で涙を流していた。
 ありがとう、ありがとう、最後まで人の輝きを見せてくれてありがとう。最高の相棒よ。

「来るかよ……!」

 身構えるカニだったが、それは無意味なことだった。
 アレクは彼女に一瞥もくれることなく、炎の翼で飛び立ってしまった。
 そう、アレクサンダー・クセキナスは一矢報いるなどという自己満足よりも、もっと大切なことを選んだのだ。
 自身が操る炎すらも今では肉体を苛む刃となりながらも彼は飛ぶ。

 身体が焼け焦げ、腐り落ちてゆくことも気にせず彼は最期の戦場へと向かう。
 人間という種が果たすべき当たり前の戦いを完遂するために。
 流れ出た血は既に致死量、破壊された臓器は機能を成していない。
 それでも死なず。最後の一線で力強く踏み止まり続け、アレクは遂に辿り着く。

「アレク、さん……?(ギャァアアアアアアアアアアアアアア! ゾンビぃいいいいいいいいいい!!)」

 アレクが力を振り絞って向かったのがコイツんとこなのだから救われない。
 というかゾンビは酷い、ゾンビは。確かに一回確実に死んだけどゾンビは無いだろゾンビは。

「う……ぇ……!」

 毒血を飲み込み、歪む視界で紫苑とその仲間達を捉える。
 この場には春風紫苑とその仲間が全員揃っていた。
 そう、動けずに居た天魔達だがアレクとカニの戦いが始まった段階で紫苑の下へ向かっていたのだ。
 カニ、あの女が出張っているのならば紫苑の身も危ないかもしれぬと、身体に鞭を打って。

「か、回復を……い、今身体を治します!」

 ボロボロの精神状態とはいえ、麻衣は目の前で死に掛けている人間を放って置くことが出来ない。
 駆け寄ろうとするが、アレクは静かに手でそれを制した。
 魔力も尽きた状態で回復など不可能だし、何よりそのように戦いが進められたのだから。
 規格外の治癒を齎す麻衣の回復魔法と紫苑とその仲間達が所持するアムリタ。

 カニはそれら総てを使い切るようにも仕向けたのだから回復など望めるわけがない。
 それにアレクは助かるために此処へ来たわけではないのだ。
 もうどうやっても助からぬことぐらい、他ならぬ己が理解している。
 そんなことよりも大切な仕事を成すために、アレクは命からがら此処にやって来たのだ。

「紫苑、くん……や、槍を……!」
「(あー……そういうことね。つーかそれするぐらいならカニ道連れにしろやクソが!)」

 言われるがままに槍を召喚する紫苑。
 アレクは槍を握る紫苑の手に、そっと己が手を重ね、最後の炎を灯し始める。
 これまでならば不可能だっただろう。
 だが今ならば、一度完全に死して蘇った今のアレクならば最後の一色を足すことが出来る。
 本能でそれを理解したからこそ、彼は此処にやって来たのだ。

「きみ、たち……には、随分と……重い、荷物を残してしまうことになる……」
「(ホントにな。迷惑ばっかりかけて情けないと思わないのかしらホントにこのド屑は!)」

 次代に繋げる、繋げてゆく、それは命が果たすべき聖なる義務だ。
 アレクはその義務を果たすべく最後の力を振り絞った。
 そして(紫苑を除く)皆もそれが分かっているからこそ、静かに先達の言葉に耳を傾けている。
 傾けているというのに春風紫苑と書いてクズと読むこの男。情け無いのはどっちだ。

「非情になり切れず、良いように翻弄されてしまった……」

 その結果が今の無様な己だ。
 情けなさで死んでしまいたくなる、ハラハラと涙を流すアレク。

「(ホントにな。間抜けの極みだよ。それで人類を救おうとしてただなんて笑えもしねえ)」

 人類の未来という大儀を掲げて戦っているのならば目の前で何があろうとも動じるな。
 紫苑はそう罵るが、人間というものは大した生き物ではないのだ。
 非情に徹するべきだからそうする、そんな簡単に出来るほど人は賢くは無い。
 心持つ生物の強みであり弱み、感情というものを捨てた機械ならまだしもアレクは人間なのだ。

 当たり前のように喜び、怒り、哀しみ、楽しんでこれまで生きて来た。
 人類の未来のためならば割り切れなんてほざけるのは、
自分が同じ場面に立つことすらリアルに思い描けない想像力の欠如した無責任な第三者の戯言でしかない。
 そんな輩がアレクと同じ境遇に立たされたのならば成す術もなく殺される、どころかカニは策すら弄せず殺せるだろう。

 紫苑とてそうだ。いざいきなりアレクと同じ立場に立たされたとしたら完璧な対応なんて出来やしない。
 倫理道徳という面ではなく、己の性が足を引っ張るのだ。
 それも結局は感情に振り回されているとしか言いようが無い。
 人は大した生き物ではないと紫苑自身も常日頃から言っているのに、どうしてこんな戯言が吐けるのだろうか。

「本当に、すまないと思っている……大きな負債を残して逝くなんて……無責任の極みだ」

 無我夢中で走り続け、気付けばこんな場所に居た。
 けれども自分は人の上に立つような器ではなかったのだ。
 だから、子供達に大きな負債を残す羽目になった。そのことがどうしようもなく辛い。
 もっと何かが出来たのでは、死の間際になっても拭えぬ後悔だけがアレクを苛む。

「それでも、それでも――――あなたは精一杯立派に生きた」

 こんな時でも空気に合わせた台詞を吐くのは忘れない。
 静かに涙を流しながら真摯に自分を見つめる紫苑を見てアレクは言葉に詰まった。

「どれだけ無様でも、どれだけ愚かでも、それでもあなたは必死に歩き続けた。
己の戦いから逃げずに、向き合い続けて己の生をまっとうした――それは厳然たる事実だ。
そこは誰にも否定させやしない……結果だけで総てが失敗だったと論ずるほどあなたの生き様は矮小ではない!!」

 結果だけで総てが失敗だと論ずる矮小な紫苑は言うことが違う。

「お、俺は……誇りに、思います……! あなたと共に戦えたことを……あなたに出会えた、ことを……!!」

 涙で言葉にならない、つっかえつっかえにながらもアレクを讃える紫苑。

「う、うぅ……ひっく……おれは……おれは……!」

 最早目を見ることも出来ず、俯き、堰を切ったように泣き続ける。
 本気でアレクがこれから迎える最期が悲しくてしょうがないと思っている――ようにしか見えない。
 屑であるということに変わりはないが、そのおかげで救われる誰かも居るのだから世の中皮肉が利き過ぎている。

「嗚呼……俺は、幸せ者だなぁ……」

 死を目前にした男とは思えないほどに穏やかな表情で紫苑の頭にそっと手を乗せる。

「思えば、失敗ばかりの人生だった……ああしていれば、こうしていれば……。
そんなことの繰り返しだ。自分の人生なのになぁ……肯定してやることが出来なかった……」

 昔日に恋人や仲間を亡くしてから諦めてしまった人並みの幸せ。
 夫になり、父になり、子に何かを託して死ぬ。
 だけど、我が子のような少年に出会えてこうやって何かを託すことが出来る。
 それだけでも幸せなのに、こうして自分よりも立派な彼が自分の人生を肯定してくれている――この上ない幸せだ。

「でも、最後の最期に救われたよ。紫苑くん、君のおかげだ……」

 失敗だらけの人生で今もこうやって負債を残して死のうとしている。
 それでも立派に生きたと言ってくれた――己の人生は決して無意味なものではなかったのだ。

「――――俺の人生を肯定してくれてありがとう」

 白黒翠黄の光が渦巻く聖槍に最後の赤が加えられる。
 同時に、総てを絞り尽くしたアレクの身体が灰化して崩れ落ちてゆく。
 かつてないほどに鳴動する槍。天を貫く五色の光は歓喜するように混ざり合う。
 そうして混ざり合い――――遂には黄金へと至り、聖槍ロンギヌスは再誕を果たす。

「これで……俺も、少しは何かを遺せただろうか……?」
『遺せたさ……君が遺したものは、これから先、きっと彼らを助けてくれる』

 カス蛇がどんな絵を描いているかは分からない。
 それでもアレクの行動がその絵を完成に近付けたことは疑う余地も無い。

「はは、そっか……ありがとう、プロメテウス……お前にも……随分、世話になった……。
恩返しが出来ないのは心苦しいが……さきに、逝かせて……もらう……よ……」
『ああ――――お疲れ様、アレク』

 ロンギヌスの新生を見届け、アレクサンダー・クセキナスは波乱に満ちたその生涯に幕を降ろした。
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