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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

161/204

神代愛憎模様 終

 高天原を覆っていた黒雲が晴れ、柔らかな月が顔を見せる。
 意識の変革を経たことにより、これまでアリスと雲母にしか見えていなかった子供達が他の者にも視認出来るようになった。
 月光に照らされる子供達は泣いてはいたが、それでも眩い笑顔を浮かべていた。

「……もうあなた達は死んでしまったんでしょう?」

 死して魂と化し、蛭子命と合一することを選んだ子供達。
 蛭子命は例え今から死んでも遠い未来で再び蘇るが、子供達に未来は無い。
 そのことが少しだけ寂しいアリスだったが、湿っぽく送るのは性に合わぬと微笑を浮かべる。

「今この世界で魂が何処へ往くかは誰にも分からないわ。
それでも、祈ってあげる。何時か何処かで生まれ変わって、今度こそシャンと生きられるようにね」

 素っ気無くも温かいアリスの言葉に子供達は揃って頭を下げる。
 ありがとう、僕を、私を、俺を、愛してくれて。
 何度も何度もアリスや紫苑達に頭を下げ、徐々に光となって夜に溶けてゆく。

「……ごめんなさい、あなた達を巻き込んでしまった」

 蛭子命は消え往く子供達に向け、心からの謝罪を口にする。
 彼女は今、子供達を殺した自覚を得て罪悪感に苛まれていた。
 応えたのは彼らだけど、誘ったのは自分だから。
 辛いだけの世界に復讐をしよう、皆で総てを壊してやろうと……。

 そんな蛭子命の謝罪に子供達は気にするなと笑った。
 誘ったのは蛭子命だが、選んだのは自分達だと。
 これは選択の結果。幸せになれるかもしれない選択肢を放棄したのは己で、その責から目を逸らしはしない。
 アリスに教えられたのだ。イジケていても何も変わらないと。

 だから子供達は例え自分達に先が無くても、これ以上腐らぬと決めたのだ。
 この上ない愛情を受けたのだ、もう十二分に報われた。
 笑って逝くことがせめてもの報恩、出来る限りの精一杯。
 一人、また一人と完全に夜に溶けて消えて逝く。

「(お涙頂戴話ですねー、アホらし)祈ろう、彼らが安らかに眠れるよう」

 紫苑の言葉に頷き、皆がそれぞれの形で祈りを捧げる。
 ありがとう、ありがとう、子供達から降り注ぐ温かな感謝の気持ち。

「蛭子命、最期なんだから……ごめんなさいじゃなくて、他に言うこともあるんじゃない?」
「アリス……」

 子供達の感謝が苦しくて俯いていた蛭子命だったが、アリスの言葉でようやっと顔を上げる。
 何を言えば良いか分からない、何かを言う資格があるのか?
 グルグルと胸を渦巻く不安。それでも彼女は搾り出すようにその一言を口にする。

「――――ありがとう!!」

 赦してくれてありがとう。自分の馬鹿に付き合ってくれてありがとう。
 謝罪が要らぬというのなら、感謝だけでもさせて欲しい。
 蛭子命は精一杯の感謝を夜空に向けて叫んだ。

「……(あー、腹減った、夕飯まだだからすんげえ空腹だわ)」

 子供達が完全に消え去り、誰もが切なさに浸っている中で紫苑だけはこのザマである。

「ッッ!!」

 胸を締め付ける沈黙を打ち破ったのは苦悶の声だった。
 これまで必死に耐えていたイザナミだが、もう限界が来てしまったらしい。

「母上!」
「お母さん!」
「お母様!」

 雲母に支えられているイザナミに駆け寄る三貴子。

「……騒ぐな。我らの死は完全なる死ではないのだから」

 冷たい肌に染み渡る人の温もりがまどろみへと誘う。
 自分は情けない母で、蛭子命に対しては結局何もしてやれなかった。
 それでも蛭子命は救われた、それを見届けることが出来た。
 何も感じず、何も考えられないまま万年の時を過すことになっても後悔は無い。

「……」

 皆がイザナミに駆け寄る中、蛭子命だけは動けずに居た。
 母を死地へ追いやった負い目があるからだ。

「ほら、何してるのよ。ここで何か言わなきゃ、次に会うのはずっとずっと先になるわよ?」

 俯く蛭子命の隣でアリスが大きな溜息を吐く。
 自分と同じ顔をしていながら何処までうじうじしているのかと。

「暗い気分で万年の時間を過したくないんなら……とっと行け!!」

 蛭子命の尻を割りと本気で蹴り飛ばす。

「きゃん!?」

 蹴られた蛭子命は丁度イザナミのまん前へと墜落する。
 お尻を押さえつつ顔を上げると、母が己を見つめていた。言葉を失う蛭子命、何を言えば良いか分からない。

「……随分、辛い想いをさせてしもうたな」

 イザナミはまた俯いてしまった蛭子命の頭にそっと手を置き、優しくその髪を撫ぜる。

「……うん」
「(うんじゃねーよ)」

 紫苑はこういう生温い展開が大嫌いだ。
 折角、良い感じに無様だったのに何で丸く収まろうとしているのか。
 幸せな奴は不幸になれば良いし、不幸な奴はそのままずっと不幸で居ろ。
 それが春風紫苑の人生哲学だから。

「でも、私も……いっぱい、色んな人や神に辛い想いさせたから……」
「そうだな。母子揃って馬鹿をやった。だが、我もお前も省みることが出来た」

 だったら今はそれで良しとすべきだ。イザナミはそう説いた。
 過ぎた時間は戻せない、大事なのはこれから。
 自身も蛭子命もこれからはこれまでとは違った生き方が出来る。
 ならばそれはせめてもの幸いだ、イザナミは小さく笑った。

「さて……このまま死しても良いが……ここまでしてもらって、人間に何も返さぬのも不義理よな……」

 紫苑、アリス、雲母と視線を彷徨わせる。
 紫苑には既に聖書の蛇が居るしこれ以上増えればいい加減迷惑だろう。
 アリスの場合は単純に合わない、性格的にではなく魂の相性が。
 であれば選択肢は一つしか無い。自身に母であれと、自分のように後悔はするなと言ってくれた女。
 イザナミは真っ直ぐ雲母を見つめる。

「雲母、我が手を取れ」
「? こ、これで良いの?」

 死に際なんだしもうちょっと子供達と何か話した方が良いのでは?
 雲母はそう思ったものの死に逝くイザナミの頼みを無下にも出来ず、言われる通りにその手を取る。

「これより我はお前と共に在ろう。散々無様を晒しはしたが、単純な暴力という意味では役に立とうて」
「それは……良いの?」

 イザナミの発言の意図は雲母も汲み取れた。
 だが、一人間である自分のために肉体を捨て融合するなどと……。

「良いのだ。どの道、根の国も開店休業状態であるし……高天原も子らが居れば十分だろう」

 イザナミやイザナギは大物ではあったが、それだけ、特に何もしていなかった。
 いわば役員報酬だけ貰う重役、あるいは良く後輩達の前に顔を出しに来るだけの伝説的先輩。
 ぶっちゃけ居ても居なくても大差無いのだ。

「無粋を承知で聞かせてもらうが、イザナミ、大丈夫なのか?
ヘルと合一を果たした知り合いは死者の国の女王と混ざったことで生者の世界に馴染めないらしいが……」

 難しい顔の紫苑。この発言の意図は当然ながら雲母を心配してのことではない。
 単純に駒の使い勝手が悪くなるのを嫌ったからだ。

「ヘル……北欧の死神女王か……大丈夫だ。あれは初めから死者だった。
生者としての側面を有していなかったが我は違う。現世でも問題は無いだろう……」

 徐々にイザナミの肉体が闇に喰われ始める。
 だがその魂は握った手を通して雲母の中に流れ込み、その魂と混ざり合ってゆく。

「雲母」
「はい」
「お前の諫言、実に効いたぞ……おかげで消えない疵を背負い込まずに済んだ」

 イザナミは万感の想いを込めて感謝を伝える。

「……そう煽てないで。私は大したことはやってない。それに、あなた以上に失敗の多いお母さんだったから」

 同じような想いをして欲しくなかっただけ。
 いわば総てが総てイザナミのためではないのだと雲母は苦笑する。

「それでも、ありがとうだ」
「なら、どういたしまして……かしら?」

 その様子を三貴子と蛭子命、特に素戔男尊と蛭子命は複雑な顔で眺めていた。
 片や筋金入りのマザコン。片や愛を知ったばかりの幼子。母と離れるのは辛いのだろう。

「天照、お前は高天原の長としてこれからも神々をまとめてゆけ」
「分かっていますわお母様」
「月夜見、姉を良く支え、弟をしっかり見てやれ」
「うん。お姉ちゃんのことも素戔男尊のことも任せて」
「素戔男尊、姉二人の言うことを聞いて正しく暮らせ」
「おう。有事の際にゃ何時でも呼んでくれよな母上」
「そして……蛭子命」
「……はい、ママ」

 目に見えて消沈している蛭子命。少しでも元気付けてやらねばとイザナミは口を開く。

「高天原で暮らすならば弟妹が良くしてくれるだろう。
母は離れてしまうが……それでも、寂しい想いをすることは少なかろうて。
何にせよこれからは好きにすれば良い。選ぶのはお前だ。道を外れぬ限りは我も何も言わん」

 とはいえ、やはりイザナミは不器用だった。
 この発言では幼い蛭子命が母の意図を汲み取ることは難しいだろう。

「(ようはお前も人間……っつか、クソガキにくっついて一緒に来ても良いよってことだろ?
まわりくどいんだよ、不器用な母親の愛情とか何それ鳥肌が立つんですけどー? つかマジ腹減った)」

 一刻も早く高天原を離れて拠点に戻り夕飯を食べたい紫苑だった。

「では、これから世話になるぞ雲母」
「ええ、住み易さは保障出来ないけどね」

 イザナミの肉体が完全に闇へと消え、その魂が総て雲母のそれと合一する。
 五体に漲る万能感は正に神のそれだ。
 程度の差はあれ、これまでこんなものと殺り合っていたのかと雲母は頬を引き攣らせる。

『うむ……温かいな、お前は。存外、人の裡というのも悪くはない』
「! び、びっくりしたわぁ。紫苑ちゃんとカスちゃんのも見てたから知ってたのに……それでもいきなり声が聞こえると驚くわ」

 姿形は見えねども声だけは聞こえる。
 しかもそれが自分の裡から響いて来るのだ。真っ当な感性を持つ人間ならば普通にビビる。

「って……皆、どうしたの? 何か微妙な顔をしてるけど……」

 何故か自分を見る皆の視線がおかしい、困惑顔の雲母だが鏡があればすぐに分かっただろう。

「雲母お姉さん、目が死んでるわ」
「はい?」
「……まあ、百聞は一見にしかずってことで、はい」

 懐から手鏡を取り出し雲母に手渡すアリス。
 雲母は困惑しつつも鏡を覗き込み――――あー、と納得顔に変わる。
 死んでいるのだ、目が死んでいた。紫苑と同じヘーゼルの瞳は漆黒に変わり、ハイライトが完全に失せている。
 雲母自身の顔つきが柔和なだけに、アンバランスでホラー風味が酷い。
 ぶっちゃけてヤンデレのそれだ。いや、雲母もヤンデレの部類なので間違ってはいないが。

「……俺やアレクさんは刺青だったが、こういう形の特徴も出るんだな」
「うむ。報告によるとヘルと同化した少女も似たような感じで身体的特徴が出ていたし不思議ではないが……」

 何というか普通に怖い。ヤマタノオロチすら一蹴する世界最強ですら引き気味だ。

「まあ別に不利益があるわけでもないし別に良いわよね」
「(いや、あるだろ不利益。人間は見た目八割だぞ。つーか笑うな怖い)」

 さて、これでやるべきこともやり終えたし帰るかぁ……という空気に一瞬なりかけるが、すぐに思い出す。
 そもそも自分達はどうして此処へ来たのか。
 高天原の変事を知ったからではあるが、それ以前に聞くべきことがあった。

「すまない、天照、月夜見、少し聞きたいことがあるんだが良いだろうか?」
「はい? あたし達で良ければ何でも答えますが……」
「そう言えば用事があって此処に来たって言ってたよね。何かあったの?」
「実は――――」

 軽く事情を説明してみるが、天照と月夜見のリアクションはあまり良くない。

「栞さんと紗織さんに神が……確かにあたしは高天原の主ですけど……」
「総ての神が此処に居るわけじゃないしね。実際、直に見てみなきゃ分からないかも」

 そもそも高天原に住まう神の線は薄いと二柱は否定する。
 何せ今の今まで忙しくかったのだから。人間にちょっかいをかける暇など無い。

「そうか。とりあえず、一旦向こうに連絡を取ってみる。何か進展があるかもしれんしな」

 そう言って晴明謹製の符、通称オカルト通信機で留守番組に連絡を入れると……。

『はいもしもし僕だけど』
「ああ、天魔か。事情の説明は後にするがこっちは落ち着いた。栞と紗織はどうだ?」
『大丈夫大丈夫、ついさっき起きたしパワーアップまでしてるから』
「パワーアップ?」
『直接本人から話を聞いた方が良いかもね。ちょっと代わるよ。おーい、さしおりちゃん』

 だからそのあんまりなネーミングは止めろ! と向こう側で一悶着が起きるが今は関係ない。

『お電話代わりました栞です……いや、これ電話ですかね?』
「さあ? それより、目が覚めたんだな。良かったよ……」
『そちらも御無事で何よりです。私も姉様もピンピンしてますので御心配なく』
「一体何があったんだ?」
『ちょっと木花之佐久夜毘売と石長比売に絡まれまして……紆余曲折あって和解し、同化を果たしました』

 今日という日は人神合一のバーゲンセールのようだ。
 女神姉妹と合一を果たした醍醐姉妹に、イザナミと合一した雲母。

「(グギギギギ……! 特別な立場を脅かしに来やがった……!!)」

 とんだ被害妄想である。
 これまで世界で四人しか居なかったのに六人に増えた。
 四人ならば四天王的なサムシングだと落ち着くことも出来る。
 しかし六人、これでは特別だなどと自分を誤魔化すことも出来ない。悲しみに沈む紫苑――そのまま溺れ死ねば良い。

「まあ、木花之佐久夜毘売と石長比売ですか……」

 話を聞いていた天照が驚きを露にする。

「あの子達はかなり鬱屈としていましたが……そうですか、栞さんと紗織が救ってくれたんですね」
「そういえば以前、山の女神達に言及していたがあれはどういうことなんだ?」
「彼女らの力とあたしと月夜見の力を合わさればそれなりのことが出来るんです」
「お姉ちゃん、それを今回のお礼にしたらどうかな?」
「ああ、それは良いですね。まあ、前の件もありますからまだまだ返し切れませんけど。紫苑さん、少し代わって頂けますか?」
「? どうぞ」

 言われるがままに符を手渡す紫苑。

「ありがとうございます。栞さん、紗織さん、聞こえますか?」
『ええ。天照ですよね? 私達に何用ですか?』
「山の女神達と同化を果たしたと聞きましたが、調子はどうですか?」
『私も妹も問題ありませんよ。多少の疲労はありますがね』
「ふむ、今から此方へ来ることは可能でしょうか?」
『ええ、まあ……大丈夫ですけど……』
「なら、ご足労願えますか? 手間の分の返礼はさせて頂きますよ」
『はぁ……分かりました。夕飯を作り終えてからそっちに向かいます。それでは』

 通信を終えて符を紫苑に返し頭を下げる。
 天照と月夜見も疲労はあるものの、やるならば早い方が良いと気合い入れ直す。

「栞ちゃんら来るんなら、うちらもまだこっちに居った方がええよね?」
「(お腹空いたー!)そうだな。こっちで合流して一緒に帰る方が良いだろう。アレクさんは大丈夫ですか?」

 この面子で一番忙しいのは満場一致でアレクだ。
 ギルドの長、現世の最高戦力である彼にはまだまだ予定があるだろう。

「何、今日一日ぐらいは大丈夫だ。出掛けに時間を取って来たからね」

 そう言って微笑むアレクから漂うダンディー臭。
 すかしてんじゃねえよと紫苑のヘイトが爆上げされる。
 ヤマタノオロチ相手に無双したりと色々鼻につく場面が多かったアレクは今日だけで更に嫌われてしまった。

「それで蛭子命、あなたは結局これからどうするの?」

 アリスとしてはそこまで聞いてようやく肩の荷を降ろせるのだ。
 元々蛭子命は定まった領域を持たぬ神。
 流転しながら生きて来た彼女ならば他所の領域で暮らすことも出来るだろう。
 高天原で弟妹らと暮らすのか、それとも他の領域に行くのか。
 もし後者ならばアリスは信長やジャンヌ、晴明などの領域に行けるよう紫苑に頼むつもりだった。

「それは……分からないわよ……」
「うじうじしちゃってホントもうやってられないわよ」

 いや、そんなすぐに決めろという方が酷だろう。
 アリスのように紫苑をターゲットに定めてそのまま家ごと囲い込みに来るなんてアグレッシブさを見せる方が稀だ。

「ねえ、蛭子命ちゃん」

 悩む蛭子命を見かねて雲母が助け舟を出すことにする。
 彼女は根の国でどうしてイザナミが蛭子命を捨てたのかを聞いた。
 それを話せば一つの指針になるかもしれないと考えたのだ。

「なぁに?」
「根の国にイザナミを迎えに行った時にね、どうして葦の舟にあなたを乗せて捨てたのかを聞いたのよ」
『……おい、雲母』

 どんな理由があっても子供を捨てたことに変わりは無い。
 それは雲母もそう言っていたはずなのに蛭子命に話そうとするとは何ごとか。
 イザナミが若干不機嫌そうに抗議の声を上げるも……。

「素直じゃないあなたの御手伝いよ。こうなったからには一心同体の相棒のようなものなんだし」

 目を細めて楽しそうにカラカラと笑う雲母だが……。
 何というか、目がアレなのでひっじょーに怖い。

「話を戻すわよ。当時のあなたは意思すらも模糊として曖昧。纏まった思考も出来ない。
だからあなたが要らなくなった――――というわけではないのよ。
ただ目の前にあるものを、在るがままに感じるしか出来ないあなたを自分達の手元に置いていても、
見るものも感じるものも何も変わることはない、それではあまりにも不憫。
だから、移り変わる万象の中を流れながら多くを感じて生きていて欲しいとあなたを船旅に出させたの」

 キョトンとする蛭子命。
 今のイザナミは別だが、過去のイザナミは自分を愛していなかったと思っていたのだ。
 過去を省みて、今日、この日に初めて愛を注いでくれたものだとばかり……。
 だからこそ雲母の言葉は意外であり、やはり悲しかった。
 例え当時の自分がそんなであったとしても父母の下に居たかったのだ。

「こうして自我を持っているし、見切りをつけるのが早過ぎたし、
子供を捨てた理由にはならないと私も思うけど……それでも、参考にならない?」

 しゃがみ込み、蛭子命と目線を合わせて微笑む。
 が、蛭子命は若干引いた。だってその目が怖いから。
 イザナミは表情に乏しいし、死の気配を纏っていたからハイライトが消えていても平気だった。
 が、雲母は生者だし、表情が豊かで柔らかい。ギャップが生む恐怖が幼い蛭子命には恐怖の対象だった。

「さ、参考って……?」
「お母さんの言う通りに生きろなんて言わないわ。
でも、お母さんが何を想っていたかを知っていればこれからの指針の一つぐらいにはならない?」

 此処高天原は不変だ。というか、幻想の領域は得てして不変。
 変わる必要が無いから。だから、此処に留まっていても見るべきものはいずれ尽きるだろう。

「私達の世界は目まぐるしく変わって行くわ。
そして紫苑ちゃんとそれに寄り添う私達は大きな変化の渦の中に在る」

 だからきっと色々なものが見れるだろう。
 綺麗なものだけではなく、痛みや悲しみだって目に映すことになるかもしれない。
 だが、それらも含めて真っ直ぐ受け止め、多くを考えれば良いのだ。

「あ……」

 幼い蛭子命でも、ようやく気付けた。
 雲母の言葉は額面通りではない。裏にも別の意味を秘めているのだ。
 自分達のところへ来れば母親の傍にも居られると。

「……ま、ママ」

 期待するような眼差しを向ける蛭子命。

『……我は言うたぞ。好きにせいと』
「他の子と違ってまだまだ幼いから親離れさせたくないって言えば良いのにねえ」

 素直じゃない、不器用だ。雲母がクスクスと笑う。
 さて、母の了解を得られたことは嬉しい。だが、問題は誰の身体に住まわせてもらうかで……。

「……」

 この場に居る人間達を見る。
 麻衣、コンプレックスも多少は拭えたがそれでも普通に愛され育った人間はまだちょっと……。
 雲母、母の傍という点では彼女が一番だが二神を宿すにはキャパが足りない。
 アレク、論外。そもそもこのオッサンはあちこち飛び回っているので母の傍には居られない。

 では、二神どころかまだまだ幻想を受け容れられる容量を持つ紫苑か。
 いや、無理だ。人たる矜持を胸に生きる彼にとっては蛇を宿している現状すら不本意だろうし何より怖い。
 人柄はともかくその魂の熱量が恐ろしいのだ。それなりの格を持たねば自我すら保てまい。
 折角、今のようになったのに呑まれてしまうのは嫌だ。

「……」

 最初から答えは一つしかなかった。
 似た境遇でありながら自分より強く、そして真っ直ぐぶつかって来てくれた初めての他者。
 消去法という意味ではなく、そうしたいと思えるのはたった一人だ。

「そんな期待を込めた目で見られても私は何も言わないわよ。私が言ったこと、忘れた?」

 手を掴んで欲しいならば伸ばせ、つまりはそういうことだ。何というツンデレムーブ……。

「わ、私の力を貸すわ! だ、だから……住まわせてもらって、良い……?」
「良いわよ。私にも利があるんだし」
「~~~ッッ! あ、ありがとう!!」

 そうとなれば行動は早かった。元々確たる形を持たぬ蛭子命だ、肉体もさして意味を成さない。
 即座に魂だけの存在となりアリスの中に溶けてゆく。

「……ふむ、悪くないわね」

 左の手の甲には葦の葉を二つ重ねたタトゥーが浮かび上がる。
 総身を満たす力は役に立ちそうだ。
 子供達の力が無くなった今でも、天照と月夜見の二柱ぐらいならまとめて相手取れる程度には蛭子命も強い。
 格という意味では申し分無し。扱う己がしっかりすれば良い武器となるアリスはそう確信した。

『嗚呼……ママの言う通りだわ……とっても温かい……』

 思わずまどろんでしまいそうなほど、アリスの魂は心地が良かった。
 蛭子命はこれからのことに想いを馳せ、静かに眠りにつく。
 子供の彼女にとって、今日はあまりにも色々あり過ぎたから疲れたのだろう。

『綺麗に話がまとまったみてえだなぁ。後は醍醐姉妹が到着するのを待つだけか?
(紫苑さん紫苑さん、希少価値が更に無くなったけど俺様って聖書の蛇だから格としては凄いよ!)』
「(うるせえバーカ死ね)」

 腹は減るし機嫌は悪くなるしで紫苑はもう総てが嫌になった。
 割と結構な頻度で総てが嫌になっているが、コイツはこんなもんである。

「その彼女達も丁度来たようだね」

 アレクの視線を辿れば、此方に向かっている影二つ。
 今は制服ではなく私服の和装に身を包んだ醍醐姉妹だ。

「お待たせしました」
「というか……逆鬼さんにミラーさん、ひょっとして……」

 同じ日ノ本の神を宿した影響だろう。
 何となく分かるのだ。雲母とアリスも神を宿していることが。

「ええ、私はイザナミを」
「私は蛭子命を宿すことになったわ」
「それはまた……まあ、詳しい話は後で聞かせてくださいな」
「それで、天照。私と姉様に何用でしょうか?」
「以前、木花之佐久夜毘売と石長比売についてお話したでしょう? 味方にするならば、と。それですよ」

 言って天照は柔らかな笑みを浮かべる。

「あなた達も、闇が晴れたようですね」
『……お久しぶりです天照様。おかげさまで』
『栞と紗織のおかげで変わることが出来ましたわ』
「それは重畳。さて、早速ですがあなた達の力を御借りしたいのです」
『私と姉様の力、ですか……?』
『……まあ、構いませんが一体何を?』

 女神姉妹にも天照の考えていることは分からないらしい。

「かつて大山祇神は我が不肖の孫にあなた達二人を娶らせようとした。
岩のような永遠と花のような繁栄を与えるために……まあ、あの子はそれを断りましたが」
『……私とサクヤの加護を春風紫苑に与えれば良いのですか?』
『確か寿命がそんなに無いって聞きましたけど……でも、私達じゃ干渉出来ないんじゃないでしょうか』

 姉妹が思い当たるのはそれぐらいだった。
 勿論、それならそれで構わない。全力を尽くすつもりだ。
 何せ栞と紗織には恩があるのだから。だが現実問題として通用するかどうか……。

「違いますよ。彼の者も永遠は望まないでしょうし。
あなた達の加護の力をあたしと月夜見で拡大させるのです」
「すまない、それはどういうことだ?(何勝手に断ってんだよクソババア)」

 紫苑が永遠に若いまま生き続けることを誰よりも望んでいる浅ましい俗物なのだ。

「山の姉妹の加護は個人に、ですがあたしと月夜見でそれを人の営みへと拡大するのです。
勿論、人間に永遠の命を……なんてことではありませんよ?
あくまで人の営みが花のように繁栄し、永く続くようにです。
食料問題などで語るならば農耕神に頼んだ方が良いかもしれませんが、食べるだけが人ではないでしょう?」

 そのような時代がとうの昔に終わったことは天照も承知している。
 時を重ねるごとに多様化してゆく人の営み、それらが満ちて初めて幸福足り得るのだ。

「多様化した人の営み。食だけを満たしても幸福は訪れない。だからこそ、もっと広義の加護を与えるのです。
と言ってもあくまで我々はこの国の神。加護が及ぶ範囲は国土を超えることは無いでしょう。
更に言えば世界全体で見れば負の空気が蔓延していますから、それに圧されて幾らか弱まることも予想出来ます。
精々が今よりも、もう少し暮らしが楽になり、心にも余裕が出来てその状態が長く続く程度でしょうが」

 それだけでも十分に過ぎるだろう。
 今よりも更に楽になれば、人々はもっと貪欲に良い状態になれるよう努力する。
 神のバックアップを受けてだから時間が経てば経つほどに良くなるはずだ。

『そういうことであれば私も姉様も否はありません』
『……栞や紗織への恩返しにもなるでしょうし」
「では早速儀式を執り行いましょう。栞さん、紗織さん、協力して頂けますね?」
「分かりました。と言っても、何をすれば良いんですか?」
「私も栞も同化を果たしたばかりで力の使い方などもまだよく分かっていないのですが……」
「そこは問題ありません。とりあえずまあ、着いて来てください。他の皆さんもよろしければ」

 言われるがままに天照が作った孔を潜る醍醐姉妹と、同行者達。
 孔を抜けるとそこは、

「……出雲大社、だよな?」

 出雲大社の神楽殿だった。
 馬鹿でかい注連縄に見覚えがあった紫苑が真っ先に口を開き、醍醐姉妹が同意する。
 彼女らも一度は此処を訪れたことがあるのだ。

「というか天照お姉さん、月夜見お姉さん、あなた達、こっちに来て大丈夫なの?」

 平然と立っている天照と月夜見――と、オマケの素戔男尊。
 現世の空気は毒であるはずなのに大丈夫なのだろうか?

「出雲という地で、この場所に限っては……まあ、キツイのは確かですが多少は留まっていられます」
「儀式をするには高天原からじゃ届かないからね」

 人気の無い神楽殿だったが、神が降臨したことで宮司らも流石に気付いたのだろう。
 慌しく人が集まって来るが、皆が皆、跪いて遠巻きに眺めることしか出来ない。

「天照様に月夜見様、それにあの少年は春風紫苑、ギルドの長まで……一体何ごとなんだ?」

 困惑があちこちから漏れ出る。
 裁定の際に天照らの顔も割れているのだが、実際に対面すると神々しいとかそういうレベルじゃない。

「騒がせますね。少々この場を御借りします。大国主大神にも許可は取ってありますので御心配なく」
「今からこの国に更なる実りがあるよう儀式を行うの。あなた達に悪いことはしないから大丈夫だよ」

 神職に携わる者からすれば卒倒ものだろう。直接神に言葉をかけてもらえるなど。
 年配の宮司などはありがたやありがたやと涙を流している。

「では、栞さんと紗織さん以外の皆さんは少々離れていてください」
「私達はどうすれば良いので?」
「私とお姉ちゃんに合わせて舞って。栞はお姉ちゃんに、紗織は私に合わせて」
「木花之佐久夜毘売と石長比売は加護を発動する準備をしてくださいな」
「分かりましたが、外でやるんですか?」
「ええ。敷地内ならば何処でも問題ないので中に入る必要はありません」

 それぞれの役割を確認し、儀式が始まる。
 太陽と月の姉妹が軽やかに舞い踊る。ひらひらとたなびく衣から陽光と月光が漏れ出て夜を照らす。

「姉様」
「ええ」

 それに合わせて醍醐姉妹もそれぞれ天照と月夜見の動きをなぞる。
 神々しさという面では劣るものの、美しさでは決して引けを取らぬ栞と紗織。
 あまりにも幻想的な光景にギャラリーが息を呑む。

「(グギギギギギ……! 目立ちやがって目立ちやがってぇえええええええええええ!!!!)」

 醍醐姉妹の周囲を舞い吹雪く岩色の花弁。
 これこそが正しい加護の形。花のような繁栄を岩のように永久に……。

『(落ち着きなさいよ紫苑さん)』

 四方で舞う女達の中心に、光の球が形成される。
 それは女達の舞に合わせて徐々に徐々に膨れ上がっていく。

「(落ち着けるか! クソ、クソクソったれぇええええええええええええええええええええええ!!!!)」

 膨張と同時に浮遊していく球体はやがて、出雲大社を覆い尽くすほどの大きさへと変わる。

「……まるで天体だな」
『山の姉妹の加護に月と太陽の属性を混ぜているからな、新たな天体というのは的を射ているよ』

 アレクとプロメテウスが感心したように頷く。

「そろそろだねお姉ちゃん」
「ええ」

 そうして儀式は最高潮を迎える。

「――――愛し児達に祝福を!!!!」

 天体が爆ぜ、愛の光が日本全土に降り注ぐ。
 誰もが空を眺め、誰もが胸を打たれているのに……。

「(畜生……最悪の一日だ! 反吐が出る!
バーゲンセールのように神を宿して俺の希少価値が薄れるわ、
よー分からん加護とやらで俺以外の連中まで幸せになるわ……俺もう帰ってクソして寝る!!)」
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