挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

158/204

神代愛憎模様 陸

 逆鬼雲母は今、根の国に居た。
 最深部で身体を休めるイザナミの下へ向かって疾走する彼女の表情は使命感に満ちている。

「私に出来るかしら……いや、違うわ。私がやるしかない」

 キュっと唇を噛んで、更に速度を上げる。
 以前紫苑が根の国を訪れた際、彼は最深部にまで辿り着いたわけではない。
 途中で紫苑をある程度認めたイザナミが姿を見せてくれただけ。
 しかし今彼女は動けず、雲母は自分で最深部に向かうしかない。

 かなりの距離があるものの、あの時の紫苑よりはかなりマシだ。
 純化も使用しているし、そこまで長い時間はかからないだろう。
 だが問題は辿り着いた後にあった。
 雲母は紫苑から言い渡された己の使命を振り返る。

"雲母さん、あなたには根の国へ行ってもらいます"
"根の国って……イザナミさんが居る場所よね? どうして私がそこへ?"

 ハッキリ言って意味が分からない。
 自分がイザナミの下に行くことが子供達の救いとなるのか? どうにも繋がらない。
 雲母は紫苑の描いているものがイマイチ見えなかった。

"子供に、せめて、ほんの僅かでも救いを……って言うんだろ?
だったら忘れちゃいけない。蛭子命や火之迦具土神だって子供なんだ。
そしてあの子達の親は誰だ? 既に殺されたイザナギはともかくとしてイザナミはまだ生きている"

 であれば彼女を欠いてことが成るはずがない。
 役者が全員舞台に上らねば何も始まらない、何処にも進めない。

"彼女が何をするべきなのか、どうしなければいけないのか、あなたの言葉で伝えてあげて欲しい"
"……私の、言葉で?"

 正直なところ自分は弁が立つとは思っていない。
 なので適任者が居るとすればイザナミからの信も厚い紫苑では?
 雲母はそう意見してみたが、彼は静かに首を横に振るだけだった。

"同じ母としての目線で語れるのは雲母さんだけだよ。
母では――ましてや親ですらない俺の言葉に重みは加わらない、そんな言葉じゃ意味が無い"

 とはいうが、これは失敗した場合の責任を雲母に押し付けるためだ。
 なので紫苑自身は大まかな案を示すだけで細部を詰めようとしない。

"でも、私は……"

 厳密に言えば母親になれたわけではないのだ。
 よしんば母親であったとしても子供を殺すような母親が何かを語れるわけがない。
 雲母はそこまで言って肩を落とすが、

"大きな過ちを犯した。それでもやっぱり、雲母さんは母親だ。
でなくば、あそこまで愛せるわけがない。かつてのあなたは壊れて狂うほどに子を想っていた。
そして、そんな深い愛情を持つ雲母さんだからこそ、蛭子命達に纏わり付いた子供達の嘆きが見えたんだ。
痛みを知るあなたにこそ、痛みを語る権利がある。自分の言葉で、衒わず、真摯に向かい合ってくれ"

 そんな雲母の肩を両手で掴み、真っ直ぐ目を見つめて出来ると言った。
 同じ母であるイザナミが今からでも何かを取り返す機会はあるのならばそれは雲母の助け無しには不可能だ。
 紫苑はそう断言し、彼女を根の国へと送り込んだ。

「……私がやらなきゃ」

 今こうしている瞬間にも、高天原は再び襲撃を受けているかもしれない。
 だからこそ、自分が成すべきことから逃げるわけにはいかない。

「何を言えば良いかなんて分からないけれど……」

 それでも紫苑が信じてくれた。そして自分もイザナミに対して何かを言わなければと思っている。
 内容は今も思いついちゃいないけど、それでも足を止めるわけにはいかない。
 雲母は使命感を胸に深奥を目指す。
 黄泉路の空気はハッキリ言って辛い。命ある者にとっては毒なのだ。

 息をする度に臓腑が煮え立つような痛みを発する。
 この場に置いて命こそが異物なのだ。
 それでも雲母は足を止めない。何せ自分よりもキツイ道のりを踏破した男を知っているから。
 想い人である紫苑、彼は全身を腐らせながらも這ってでも前に進んで居た。

 紫苑に追い付きたい、その一身で自分は変わったのだ。
 であればこの程度の痛みが何するものか。
 彼よりも楽な状況でギブアップするようなら億年経とうとも追い付けはしない。
 雲母は弾丸の如く闇を駆け抜け、遂には深奥へと辿り着く。

「一体何処に……」

 眼前には大きな湖が広がっていた。
 とはいえ、これは生命を育む水ではない。真逆の性質を持つものだ。

「……お前は、確か、雲母だったか……?」

 キョロキョロと視線を彷徨わせていると、湖の中から裸身のイザナミが浮かび上がる。
 美しい裸身は酷い火傷と裂傷で見るも無残な姿だ。
 顔色が悪いのはデフォルトだが、明らかに弱っている。

「変事に駆け付けてくれたようだが……我に何用だ……?」

 喋るのも辛そうで、そっとしておきたくなる衝動に駆られるがそうはいかない。
 イザナミは母親で、子供が泣いているのだから。
 母親というのはどれだけ辛かろうとも母親としての責務を果たさねばならない。

「何故、蛭子命を捨てたの?」

 何を言うべきか定まっていない雲母の口から飛び出したのはそんな疑問だった。
 やはり何を話すにしてもまず、そこからでなければならないと思ったのだろう。
 親が子を捨てる、それはどれだけ無責任なことだろうか?
 子供を作ったのは親で、言ってしまえばエゴだ。エゴで産んでエゴで捨てる。そんな道理が罷り通って良いわけがない。

 そりゃ世の中にはのっぴきならない事情を持つ親も居るだろう。
 だが、そんな親ならば初めから子供を作るべきではない。
 雲母自身もそんな親の一人だから痛いほどに分かっている。
 彼女は子供を作る責任を取れない親だったのだ。

「……」
「答えてください」

 自分にこんなことを言う資格は無い。
 そんな考えが顔を出すが、すぐに自分だからと思い直す。
 イザナミにはまだ子供が居て、母親をやり直せるチャンスがあるのだ――己と違って。
 だったらやり直させてあげるべきだろう。でないと、一生後悔する。

「……雲母、お前は私達についての知識はあるか?」
「う……ご、ごめんなさい……日本の神様だし、勉強しなきゃと思ってるんだけど……」

 まず何処から手をつければ良いか分からないのだ。
 日本書紀、古事記、その他色々過ぎる上に現代語に翻訳されていても難解が過ぎる。
 正直に言って、あれらに一々目を通して記憶出来るかといえば雲母には無理だった。

「蛭子命は、我とイザナギの間に産まれた最初の子だ」
「最初の……それなら余計に……」

 特別なはずだと雲母は思った。
 彼女も妊娠を知り、不安と希望が綯い交ぜになった時のことを今でも覚えている。
 そして一生忘れることはないだろう。死産したこともそうだが、初めて母親になろうとしたあの時を……。
 第一子というのはそれだけ特別なものなのだ。自分は愚かにも殺してしまったが、何故イザナミは蛭子命を捨てたのか。
 初めて生まれた子供が可愛くないわけがないのに……雲母は困惑を深める。

「ただ、我らは子作りの段階から誤ってしもうた」
「……はい?」

 子作りの段階で失敗するとはどういうことなのかまるで意味が分からない。
 ゴムを着けなかった? いやさ、子供を作るのだからゴムは要らないだろう。
 互いに初めてで無作法があった? グルグルと大真面目にアホなことを考える雲母だがそうではない。

「天の御柱を互いに逆廻りし、出会ったところで声をかける」
「……?」
「我から声をかけて男女の交わりをしたがゆえに、蛭子命は不具の子として産まれてしまった」

 男性上位を示唆しているのかもしれないが、そんなもの分かるわけがない。
 だが神様の子作りなんて今は関係無いので詳しく聞くことは止めて後で紫苑辺りに聞こうと雲母は決意する。
 気になったことは放って置けない性質なのだ。

「いや、不具以前の問題か」

 確かに蛭子命には手足が無いが――それ以前に定まった形が無いのだ。

「確たる形すら持たぬのだから手足がどうこうの話ではない」
「……だから、捨てたの?」

 雲母の目は険しいがそれも無理はない。
 人の価値観で言えば生まれた子供が障害児だったから捨てたと言ってるようなものなのだから。
 善良な人間であればあるほど、イザナギとイザナミの行為に嫌悪感を抱いてしまう。

「例えどんな子であっても、自分がお腹を痛めて産んだ子でしょう?
幸せにしてあげなきゃいけないじゃない……それが、お母さんの義務よ」

 我が子を幸せにしてやるどころか殺してしまったことは永劫消えぬ罪だ。
 それに足を取られて狂うことはなくなったし、今は前を向いて歩いているが片時も忘れたことはない。

「神の愛と人の愛は異なるものよ」

 手元に置いて愛を注ぐのが人間だ。
 やがては巣立って行くが、それまで子供は親に護られて生きる。
 だが、総ての命が人と同じような愛の形をしているとは限らない。
 獅子は千尋の谷に子を突き落とすというように、愛の形は千差万別。

「でも……!」
「そも、蛭子命がああなったのは完全なる予想外よ」

 捨てられた子の怨み――それ自体は分かる。
 例えばそう、もしこれが蛭子命以外の子供だったのならばこういうこともあり得たかもしれない。
 だが、蛭子命に限ってはあり得ない可能性だったのだ。

「確たる形を持たんと言うのは何も外見だけに限った話ではないのだ」
「……それは、どういうこと?」
「意思すらも模糊として曖昧。自我と呼べるものは蛭子命には存在していなかった」

 自我が無いならば怨みもクソも無い。そんな感情を抱ける頭も心も無いのだから。
 ゆえに蛭子命が中心となって、火之迦具土神や人間の子供まで巻き込んだ騒乱を起こすなど誰にとっても予想外だった。
 予想外だったからこそ、高天原の神達も大打撃を受けたのだ。

「哀れだろう?」
「でも、だからって捨てるなんて……」
「……」

 雲母の真っ直ぐな目に射抜かれて、イザナミは一瞬押し黙る。
 だが、真摯な態度で向かい合う雲母の言葉に答えないのは不誠実というもの。
 イザナミは静かに蛭子命を捨てた理由を語り始める。

「……あの子は、蛭子命は纏まった思考も出来ん。
ただ目の前にあるものを、在るがままに感じているだけだ。
しかし、我とナギの下に居れば何も変化は無い。
ならばせめて、移り変わる万象の中をた流れて往けばと……当時の我らは考えた。
だからこそ葦の舟に乗せて淤能碁呂島より巣立たせた」

 水の流れは決して途絶えない。一所に留まることなく流れ続ける。
 そうして、色んなものを感じながら生きていって欲しい……せめてもの親心だった。
 だがそれも親のエゴと言えば親のエゴなのだろう。
 こうして面と向かって捨てられたと言われて否定出来ないのがその証左だ。

「それが……あの子を捨てた理由なのね……」

 理由を話しても雲母は捨てたという言葉を曲げない。
 だがそれは頑固なだけではなく、ちゃんとした理由もあってのことだ。

「でも、私は間違いだと思う。産まれてすぐにって言うのじゃ見切りが早過ぎる。
子供の幸せを考えるのならば時間をかけるべきだったんじゃないかしら?
思考も出来ず、己すら模糊として曖昧なんだとしても……一生そうだと決め付けるのは早計だった。
結果論かもしれないけど、今こうやって確固たる憎しみを抱いて攻めて来ているんだし」

 まずは手元に置いて、それこそ百年でも二百年でも待つべきだった。
 花火のように儚い人とは違って神には寿命が無いのだから。
 長い時間をかけてゆっくり見極めて、そこからどうするべきかを考えるのが最善だ。
 見切りが早過ぎる、一日二日も待たずに生まれてすぐなのだからそう言われても仕方のないことだろう。

「……お前は我にどうしろと言うのだ?」
「どうしろなんて、具体的には私にも分からないわ。無責任だけど」

 それでも一つ、確かなことがある。

「あなたは戦いはしたけど、語らいはしてないでしょう?」

 イザナミも蛭子命を核とした合成神と戦ったと聞いた。
 だが、それだけだ。戦う以外のことは何もしていない。

「――――此処で向き合わなきゃ、消えない疵になるわ」

 どんな結果になるかは分からない。あるいはもう、手遅れなのかもしれない。
 だが、せめて動かなければいけないだろう。
 でなくば本当に母親では無くなってしまう、決して拭えない後悔を背負う羽目になる。
 失敗した雲母だからこそ分かるのだ。精一杯を尽くせないことの後悔が。

「蛭子命のことを語るあなたの顔には後悔が滲んでいた。
自分でも分かっているんでしょう? ただ、今更どのツラを下げて……。
そんな自嘲が足を止めている。でも、駄目よ。どれだけ恥知らずでも母親としての責務を果たさなきゃ。
憎んでいるのならそれでも良い。真正面からその憎悪を受け止めなきゃ駄目」

 だがそれは黙って殺されろという意味ではない。
 最期まで我が子に明るい道を歩んで欲しいという想いを忘れずに立ち続けることこそが母の責務だ。
 その結果、殺されたとしても最期の最後まで諦めずに向き合えば――僅かだが光明が見えるかもしれない。

「蛭子命だけじゃない、火之迦具土神にもあなたは母親として向き合わねばならないわ」
「……火之迦具土神もか?」

 イザナミは別に火之迦具土神を怨んではいない。
 自分の死因となったが、だからと言って仕返しをしようなんて気持ちはまるで無い。

「そう。ここからは紫苑ちゃんの受け売りだからそのまま伝えるわ」

 紫苑は蛭子命についてイザナミと語る役目こそ雲母に任せはしたが火之迦具土神は別だ。
 火之迦具土神に関しては親であることなど関係無い。

「"火之迦具土神は生まれながらに縛られている。
親殺しの罪に対する後悔、そして親に殺されたという悲哀と憎悪だ。
今回火之迦具土神は悲哀と憎悪のままにイザナギを殺したが……。
それは同時にもう一つ親殺しを犯してしまったということでもある"」

 自分を殺したクソ親をぶっ殺してやったぜヒャッハー! と割り切れるのならそれで良い。
 だが、割り切れないのならば? 当然、イザナギ殺しも後悔の一つに並べられることになる。
 もう止まるわけにはいかない、どうすれば良い? このまま狂ってしまうしかないだろう。
 その狂乱を止められるのはイザナギ亡き今、イザナミだけだ。

「"きっと、どうすれば良いか分からないだろうな……。
例え自分を殺した張本人であろうとも、親は親だ。絶対に割り切れるわけがない。
だが、殺してしまったらもう止まれなくなる。今も蛭子命と混ざり合って憎悪を振り撒いているのはそのせいだ。
訳が分からなくなってしまったんだろうよ。イザナギが語らいをしていれば話は別だったかもしれないが……。
だがイザナギはもう居ない。だから、イザナミがやらなきゃいけないんだ。親として火之迦具土神に素直な気持ちを伝えてやれ"」

 断罪の白刃か、赦しの手か、どちらでも構わない。
 火之迦具土神はただ、自分と向かい合って欲しいのだろうと紫苑は予想している。
 そしてその推測は誤りではない。彼は意思持つ者の天敵。
 その者が心の底から欲しているものを敏感に嗅ぎ取ることが出来るのだ。

 春風紫苑は己の目で合成神を見て、小賢しい頭で考えた。
 その上で必要なピースがイザナミ。
 彼女は蛭子命を直接どうにか出来ずとも火之迦具土神は何とか出来ると考えている。
 蛭子命に関してはあくまで亀裂を刻むだけ、トドメに当てるのキャスティングはまた別だ。

「……とのことよ。イザナミ私はただ、失敗してしまった母親としてあなたに同じ後悔は抱いて欲しくないから此処へ来たの」

 長々と話をしたが、結局のところ選ぶのはイザナミだ。
 今にも死にそうな身体を引き摺ってでも足掻くか、先を見据えて此処で身体を癒すか。
 雲母が提示した選択肢に、

「……分かった。私に何が出来るかは分からないが、逃げるわけにもいくまいよ」

 戦いはしたが語らいはしなかった――痛い言葉だ。
 ああ、確かにその通り。語らうことをしなかったのは己の愚かさを認めているからに他ならない。
 そこから目を逸らすような神に存在価値などは無い。
 あれだけ偉そうに人間に対して説教をしたのだから、動かねばならんだろう。

「体力を消耗したくない、おぶってくれるか?」

 転移も出来なくはないが、今の状態で転移をするならば消耗が響き過ぎる。
 ゆえに人力で根の国を出るしかなく、それをするには雲母の手を借りるのが一番だ。

「ええ、それぐらいなら任せてちょうだい」

 湖に入り、イザナミの身体を背にしょい込む。

「急ぐぞ、既に高天原では戦いが始まっているようだ」
「! 分かった、全速力で行くからしっかり掴まっててちょうだいね」

 気を引き締め、来た道を逆走する雲母。
 合成神らが撤退してからそんなに時間も経っていないわけだが、
彼は自分が手出しされ難い立場にあると看破したがゆえに短時間での再侵攻に踏み切ったのだろう。
 自分の傷も完全には癒えていないだろうが、それ以上に三貴子ら主力の傷も癒えていないのだから悪手ではない。

 さて、所変わって地上では再び合成神と彼と手を組んだヤマタノオロチの侵攻を受けているわけだが初回とは違って更にその戦力が増えていた。
 他にも多くの魑魅魍魎を引き連れて攻め入って来たのだ。
 恐らくは保険程度に用意していた戦力なのだろうが、人間の介入もあったことで投入に踏み切ったのだろう。
 そんな魑魅魍魎を迎え撃つのはアレクサンダー・クセキナスだった。

 彼は一直線で三貴子らの下へ向かった合成神をスルーし、
ヤマタノオロチを初めとする邪悪なる怪物を迎え撃つべく遥か上空から炎の雨を撃ち出した。
 一つ一つに凄まじい威力が秘められているそれは雑魚の群れをあっさりと消滅させる。
 それでもヤマタノオロチを初めとする幾らかの大物は残ってしまったがそれでも数は少ない方だ。

「信長公、ジャンヌ・ダルク、ヤマタノオロチ以外は任せたよ」
「言われるまでもねえ」
「つーかおらの主は紫苑さなんだけど……まあ、今だけは赦してやるだよ」

 二人はアレクの言葉通りにヤマタノオロチ以外の化け物に向けて攻撃を始める。
 何故彼らがアレクの側に居るかというと紫苑から事前に手伝うように言われていたからだ。
 どうせ次の襲撃時には更なる戦力を以って襲って来るだろうから、と。

「さぁてプロメテウス……私達は不機嫌な客の歓待をせねばな」
『ああ。客人はどうやら待ち人来たらずで御機嫌ナナメらしい』

 山何個分だよとツッコミたくなるほどの巨体が天空を占有している。
 八つの頭と八つの尾を持つ化け物はその殺気を隠すこともなくアレクへとぶつけていた。

「――――素戔男尊は何処だ?」

 ヤマタノオロチの声は最早声というよりは地響のようだ。
 いきなり仕掛けないのはヤマタノオロチ自身がアレクを警戒しているからだろう。
 身体の大きさこそ豆粒のようなものだが、裡から迸る力は尋常ではないと看破している。

「家庭内不和を何とかするために頑張っているので代理で私がやって来た。ゆえ、歓迎しよう、私なりの流儀でな」

 背なから伸びる炎の翼が強くうねる。
 アレク自身にとって、今回の紫苑からの誘いは渡りに舟だった。
 これまで雑魚ばかりを相手にして来たから、
対等ならずともそれなりの力を持つ相手との戦いは気を引き締めるという意味ではありがたいものだ。

「小賢しい人間がほざくか……!!!!」

 八つの頭から雷、炎、毒煙、様々な悪意が放たれた。
 それはアレクを飲み込んで余りあるものだったが……。

「せっかちは嫌われるぞ、ヤマタノオロチ」

 腕の一薙ぎで総てが灰燼に帰した。
 この時点でどちらが上でどちらが下かは明々白々。彼は強い、強過ぎるほとに強い。
 アレクは涼やかな顔で煙草を取り出しそれを口に咥える。

『アレク、カッコつけているところ悪いが……春風紫苑の指令は覚えているだろうな?』
「ああ、なるたけ時間をかけて倒すよ、分かってる。大丈夫だ」

 アレクはその気になれば短時間でヤマタノオロチを滅ぼすことが出来る。
 が、早期にヤマタノオロチを滅ぼせば問題が出て来てしまう。
 頼りになる戦力を失った合成神がどう動くか分からないのだ。
 ゆえに、根の国から雲母とイザナミが出て来るまで時間を稼がねばならない。

 イザナミが参戦すればヤマタノオロチを滅ぼしても関係はなくなる。
 合成神の怨念の矛先が見つかるからだ。
 矛先が見つかればそこ以外には目がいかず、行動が単純化される。
 そうなれば後は彼女ら任せて信じれば良い――少しでも善い結果を。

「くぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???」

 アレクの蹴りがヤマタノオロチの胴体に突き刺さる。
 衝撃は貫通し背中までを貫く大穴を穿ち、その巨体が遥か先へと吹き飛ばされた。
 山を蹴り飛ばす人間――常軌を逸した光景だ。
 けたたましい悲鳴を上げて吹っ飛んで行ったヤマタノオロチを紫煙越しに眺めつつアレクは指を鳴らす。

「なあプロメテウス、頭は八つも必要無いと思わないか?」
『確かに。考えごとをするなら一つだけで十分だ』
「だよな。無駄の削減は大事だ」

 手の平から噴き出した炎が細く螺旋を描き、剣を形成する。
 これは断ち切るためのものではなく、焼き切る類のものだ。
 重さも無いし伸縮自在、アレクはこの炎剣を好んで使っていた。

「じゃあ――む、あれは何だ?」

 ヤマタノオロチが吹き飛んで行った方向から無数の弾幕が飛来する。
 岩にも見えるし、鉄にも見えるし……。

『鱗だな。どうやら鱗を砲弾のように飛ばせるらしい――ま、無意味だがな』

 プロメテウスが言うように鱗の弾幕は総て無意味だった。
 アレクに被弾する前に炎に包まれて消し炭となり、灰が地に降り注ぐ。

「ああ、この程度で私をどうこう出来るなど酷い侮りだ」
『いやいや、牽制程度にはなると思っていたんじゃないか?』

 嘲るような物言いも、実力が伴っていれば嫌味にすら聞こえない。
 第一陣の弾幕を消し飛ばしても尚、飛来し続ける鱗の弾幕を突っ切りヤマタノオロチへ接近。
 八つの頭がアレクを喰らわんと顎を広げ迫り来るが……。

「――――どれ、一本残しておけば十分だろう」

 瞬く間に七つの首が焼き切られて地に落ちる。
 これで少しは弱ったかと思えば、そこは伝説に謳われるヤマタノオロチ。
 素戔男尊ですら真正面からは敵わない強大な敵なのだ。この程度で弱ろうわけがない。
 焼き切られて地に落ちた首はすぐに息を吹き返し地上からアレクを襲う。

「!」

 少しばかり虚を突かれたアレクはその攻撃を回避することしか出来なかった。
 彼にダメージを与えられなかった首はそのまま切断面と癒着し、再び八つの頭に戻ってしまう。

「存外、面倒だな」
『ああ。修復もままならぬほどに焼いてやれば良いのだろうがそれも……なあ?』

 まだ雲母とイザナミの気配は感じられない。つまりまだ終わらせるわけにはいかないということだ。
 戦えば即殲滅が基本のアレクからすればこのような戦いはあまり得手ではないらしい。

「愚弄しおってからに……!!!!」

 ヤマタノオロチの蛇体より無数の剣群が放たれる。
 溶かして防ぐことも出来るが、アレクは敢えて普通に回避することを選んだ。
 当たれば重傷を負うだろうという緊張感を味わうためである。

『そら、脇腹の辺りが甘いぞ。大袈裟に避けるな、皮一枚で回避せねば練習にもならん』
「やれやれ……厳しい教師だよ、本当に」

 嘆息しつつ嵐のような剣群を皮一枚で縫うように回避していく。
 あまりにも卓越した技量は見事というしかない。

「ぐぅううううううううううううううううううう……!!!!」

 ヤマタノオロチは怒っていた。
 蛭子命らの誘いに乗ったのは卑怯な手を使い己を殺した素戔男尊に復讐するためだったのに、これは何だ?
 まったく関係無い――それも神ですらない人間に良いようにあしらわれるなど屈辱の極み。
 何も出来ない己が憎くて憎くてしょうがない。目の前に居る小さな人間一人を殺せぬ無能に怒りが止まぬ。
 完全に冷静さを欠いているヤマタノオロチだが、それに反比例してその力は更に膨れ上がっていく。

『これが人と化け物の違いだな』
「ああ、怒ってどれだけ強くなろうとも考える頭が無ければ弱くなるのが人の道理。しかしコイツらは……」

 怒れば怒るほどに強くなるのだ。ある意味で純粋と言える。
 人は雑多な感情が多過ぎて、そのせいで糸が縺れ合い足を引っ張られてしまうのに。

『ところでアレク、君は今回の作戦……どう考えている? 成功すると思うか?』
「さて……彼が言うように、私も彼も母どころか親ですらない。
子供らの悲しみを祓ってやれるかどうかは結局のところ、イザナミやアリスさん次第だ」
『出来れば良い形に実が結べば良いと私は祈っているよ』
「私もさ」

 迫り来る蛇頭の目をすれ違いざまに潰す。
 拳に伝わる嫌な感触に一瞬顔を顰めるがすぐに何時ものすまし顔に戻る。

「なあプロメテウス。アリスさんや雲母さんに見えていた子供達が居るだろう?」
『ああ、それがどうした?』
「……私は、愛されて育ったと思っていたんだな」

 母性が強い雲母が子供の嘆きを感じ取って視認出来たのはともかくとして、アリスだ。
 アリスは愛されていなかったからこそ、子供らを見ることが出来た。
 つまり、見えない者は自分が親に愛されて育ったという自負があるわけだ。
 アレクにとってはその事実が意外だった。

「娼婦の子として生まれ、そんな母を軽蔑して荒くれ者になり家を飛び出した。
少しは真っ当になった頃、母にもう一度会おうと思えば死んでいて……」

 墓を作ってそれで終わり、以降は一度も故郷にある母の墓前へと行っていない。
 手入れなども業者に任せきりで戻ろうとすら思わなかった。
 アレクにとって母はその程度の存在でしかなかったのに……。

『気付けて良かったな』
「……ああ。もし時間が出来たら、改めて母さんの墓前に行こう。付き合ってくれよ」
『一心同体なのだ。付き合うしかなかろう』

 戦闘の最中とは思えないほどに穏やかな声色。
 過去へ回帰し気が緩んでいるアレクを見てヤマタノオロチは好機と受け取った。

「隙ありぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 アレクの背後から迫った蛇の顎が彼を飲み込む。

「……く、クハハハハ! 人間風情が儂を舐めるからこうなったのだ!」

 哄笑をあげるヤマタノオロチ、余りにも素直が過ぎる。
 どうしてあっさり喰われたことを疑問に思わないのだろうか。

「どれ、次はあ奴だ。あの素戔男尊を喰らうて――――」

 瞬間、ヤマタノオロチが爆ぜた。
 内側から生じた莫大な熱量に焼き尽くされた彼の蛇は跡形も無く消え去り何が起きたかも分からぬまま死んだ。

『百年二百年では復活することもないだろうな。これほどの幻想であれば永き時を要するだろう。
何にせよ、我らの仕事はここまでだ。逆鬼雲母とイザナミが戻って来たようだし……ってどうした?』

 時間稼ぎを終えたからヤマタノオロチを滅ぼした。
 任された仕事をこなしたというのにアレクの顔色は優れない。
 一体どうしたのだとプロメテウスが問うと……。

「――――スーツが体液で汚れた。これ、クリーニング受け付けてくれるかな?」
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ