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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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神代愛憎模様 弐

 基本的に紫苑達は朝になれば誰に言われるでもなく、勝手に起き出す。
 身体がそう出来ているのだ。なのでよっぽど疲れているとかそういう日でも無い限り八時には全員が目を覚まして食堂に集まって来る。
 朝食当番の者ならば七時には厨房に入って居るのだが……。

「あらおはよう麻衣ちゃん」

 今日の当番である雲母は既に食事を作り終えて、出勤の準備をしていた。
 他の面子はまだ寝ているのか、あるいは朝の身支度を整えているのだろうが居るはずの人間が居ない。

「おはようございます……あの、栞ちゃんと紗織ちゃんは?」

 今日の朝食当番だったはずなのだが、その姿が見えない。
 どうやら今日の朝食は雲母が一人で作ったようだ。

「まだ寝てるんじゃないかしら? お家のお仕事もあるみたいだし寝かせてあげましょ」
「あー……そですね」
「それじゃあ私はお仕事行って来るから食べる時は温めてちょうだいな」
「はい、いってらっしゃい!」

 というやり取りがあったのが七時半。
 それから普通に朝食を摂って昼食を摂って順調に時間が流れていったのだが……。

「栞と紗織はどうしたのだ? この時間まで姿を見せないというのは少々気になるぞ」

 時刻は午後十四時。この時間になっても醍醐姉妹は姿を見せない。
 流石に少し心配になって来たのかルドルフが不安げな顔をしている。
 ちなみに紫苑も顔を曇らせているが単にルドルフに合わせて演技をしているだけだ。

「天魔、麻衣、流石に女性の寝室に男が入るわけにもいかない。少し見て来てくれないか?」
「やー、紫苑くんなら今更な気もするけどねえ」

 ぐうの音も出ない正論である。
 あれこれヤっておいて今更寝室云々もクソもないだろう。

「でも分かった。じゃあ行こうか麻衣ちゃん」
「うん」

 というわけで女二人は醍醐姉妹の部屋の前に行き何度か扉を叩くのだがまるで反応は無い。
 借金取りレベルのノックをしてもリアクションは返って来ない。
 さてこれは何ごとかと天魔と麻衣は顔を見合わせる。

「朝早くにどっか行ったんやろか?」

 だとすれば顔を見ないのも納得が出来る。
 とはいえ、それならそれで連絡やら何やらがあっても良いはずだ。

「いんや。中から人の気配はするし居るはずだよ」
「……まさか、何か病気とか!?」
「かもしれないね。鍵は……開いてるみたいだし勝手に入らせてもらおうか」
「緊急事態やしな」

 若干顔を強張らせつつ二人が姉妹の部屋に入ると……。

「すぅ……すぅ……」
「んん……くー……」

 姉妹は抱き合って穏やかな寝息を立てていた。
 顔色が悪いとかそういうことも一切なく、本当にただ寝ているだけ。
 天魔と麻衣は若干、頬をヒクつかせたものの何ごとも無くて何よりだと思い直す。

「おーい、栞ちゃん、紗織ちゃん、朝だよー。ぐーたらな女は見苦しいよー」
「いや、それ天魔ちゃんが言うん?」
「僕はだらしなくても良いけど二人って御嬢様じゃん? まあ片方はアウトサイドな道に居た方が長いけど」

 ゆさゆさと身体を揺すったり、頬を抓ってみても反応は無し。
 これは流石におかしいと思ったのか二人の顔が見る見る真剣なものに変わっていく。

「……麻衣ちゃん、これちょっと変じゃない? 幾ら何でもノーリアクションなのは絶対変だ」

 優れた前衛の人間というのは寝ていても何かあればすぐに目を覚ませるようになっている。
 天魔だってイビキをかいてグースカ眠っていても誰かの気配が自分の領域に踏み入ってくればすぐ目を覚ます。
 そしてそれは栞と紗織も同じだ。なのに目を覚まさず寝入っている……。

「麻衣ちゃん、二人を医務室に運ぶから皆を呼んで来て」
「分かった……でもその前にちょっと着替えさせた方がええんちゃう?」

 辛うじて下は穿いているようだが上はノーガード。
 浴衣の合わせ目から覗く豊満なバストが色々な意味で危ない。
 天魔はワシワシと二人の胸を揉み、悲しげに自分の胸に目を落とす。

「……遺伝かぁ」
「やっとる場合か! ほら、天魔ちゃんも手伝って!」

 浴衣を脱がせブラを装備させ、私服に――は着替えさせられなかった。
 よくよく考えなくても天魔も栞も和服の着付けなどは出来ないのだ。
 なので仕舞われていた学校の制服を緊急措置で着せて、天魔は二人を担いで医務室へと向かう。
 着替えさせている最中も運んでいる最中も、やっぱり醍醐姉妹は目を覚まさなかった。

「眠り姫、か」
「(すかしてんじゃねえぞ腐れパッキンが)」

 医務室に全員が集まり、事情を聞いた後でルドルフがそう切り出した。
 そして紫苑のヘイトが三十ぐらい上がった。

「紫苑のキス?」
「……まあ確かに眠り姫ならキスで目を覚ますだろうし、それで目覚めるなら俺が幾らでもやるが違うだろ」

 言葉足らずのアイリーンの発言を訳しつつ心にもないことをほざく紫苑。

「カス蛇、ルシファー、この二人を見て何か分からないか?」
『分かるわ』
『分かるわ』

 じゃあとっとと言えよ。何今までダンマリ決め込んでたんだよと全員の額に青筋が走る。

『だって今まで聞かなかったじゃん』

 カス蛇とルシファーが口を揃えて舐めたことをほざく。
 とはいえ、ここで奴らを責めても何の解決にもならないのは明白。

「一体何が起こっているんだ?(正直どうでも良いけどね)」
『どう言ったものかな? しっくり来る説明が浮かばないんだよねえ』
『ああ、何と説明したものか……俺様達は分かってるが、それを理解させようとするとなぁ』

 とはいえ、何か説明しなければ始まらない。
 ルシファーはそうだな……と慎重に言葉を選びながら説明を始める。

『例えば紫苑くん。君は夢を見ている時、他に夢を見ている誰かの夢を見ることは出来るかい?』
「無理だろう。俺の夢は俺の夢で、他人の夢を見ることは出来ない。集合無意識とかそういう話になるなら別だがな」
『いや、そこまで踏み込んで語らなくても大丈夫。良いかい?
彼女らは今、他の誰かの夢を見ている状態なのさ。それだけ理解出来れば原理なんかはどうでも良い』

 己以外の第三者と夢を共有している、分かるような分からないような説明だ。
 そもそもそれならば何故目覚めないという話になる。
 他人の夢を見ていようとも夢は夢。現実で引っ叩いてやれば目が覚めるはずだ。

「……いや、そうか。他人の夢だから目覚められないのか。主体が自分じゃないから」
『その通り。この二人の身体がリモコンだとして夢がテレビだとしよう。
幾らリモコンをプッシュしてもテレビの機種が違うから通じるわけがないんだよ』

 これで醍醐姉妹が置かれている現状は把握出来た。
 そうなると次は解決方法だ。紫苑としては放置推奨なのだがキャラと立場上そういうわけにもいかない。

「目覚めさせる方法は?」
『僕か……晴明だったかな? 彼女ならば無理矢理接続を断ち切ることも出来なくはないが……』
「何か問題があるのね?」

 言い淀んだ時点で大体のことは察せる。
 アリスの言葉に苦笑混じりの肯定を返すルシファー。

『無理矢理やっちゃうと頭がパーになる可能性もあるからねえ』
「こっち側から解決出来ないとなると、二人が自分でどうにかするしかないってわけか
(わぁ! それは素敵だね! 頭パーになったら少しは好きになれるかもしれん)」

 相も変わらず好意の基準が狂った男である。

『御名答』
「僕からも質問ってか確認。これは偶発的なもの? それとも……」
『誰かの仕業に決まってんだろ。こんな珍しいことがそうそう起こるもんかよ。宝くじのがまだ可能性あるぜ』
「誰が、何の意図でこのようなことをしたのか卿らには見当がついているのか?」

 此方から直接的に醍醐姉妹をどうこう出来ないとはいえ、犯人を知っておく意味が無いわけではない。
 紫苑は先ほど二人が自分でどうにかするしかないと言ったが犯人が分かるならば選択肢も増えてくる。
 例えば犯人の下に殴り込んで二人を解放させるなどがそうだ。

『名前までは分からん』
『ただ、何か畳臭いから日本の神々なんじゃないかな?』
「日本の神様って畳の臭いするん!?」

 だとしたら西洋のコイツらは一体何の臭いがするというのか。

『ま、それは冗談だが日本の神々ってのは間違いねえと思うぜ。そんな気配がするからな』
「となると、高天原の連中に聞いた方が話は早いな」

 懐をまさぐり紫苑が取り出したのは手の平に収まるサイズの勾玉だった。
 これは高天原を出る際に渡されたものでオカルト的な通信機だ。
 念じれば三貴子の誰か、あるいはイザナミに通じる優れものである。

「……」

 額に勾玉を押し当てて念じてみるが……。
 全員の視線が紫苑に集まるが勾玉はピクリとも反応しない。

「留守電」
「いやアイリーンお姉さん、そんな電話みたいな機能無いから」
「出ないのか紫苑?」
「ああ……故障とかそういうことは無いと思うんだが……」

 あるいは全員が何らかの事情で手が離せない状況にあるのか。
 だとすれば面倒なことがあっちでも起きているということになって非常によろしくない。
 だがそれを確かめる術は無いし下手に詮索して巻き込まれるのはノーサンキュー。

「(放置推奨だな)」

 向こうの状況を知る術も無いし、消去法的にそうするしかないラッキー! などと思っている紫苑だが……。

『天魔、その勾玉に手を当てて御覧』
「あん? 何かするのかい?」
『良いから』
「(おい! 余計なことをするな!)」

 と言うわけにもいかず黙って天魔に勾玉を手渡す紫苑。
 彼女が手を当てた瞬間、澄んだ緑の勾玉が真紅に染まり禍々しい輝きを放ち始めた。

「ちょっとルシファー、あなた何したのよ?」
『これはあっちと繋がってるんだろ?
念で双方向の道を開くらしいが、無理矢理こじ開けさせてもらった。これで向こうの様子が分かるよ』

 勾玉が映写機のように映し出したのは燃える高天原だった。
 紫苑を襲う眩暈は最高潮に達し、何もかもが嫌になる。

「あっちはあっちで緊急事態……どうする、紫苑?」
「(呪われた座敷童シスターズを理由にここに留まるという選択肢は……駄目だ、使えん!
戦力的な意味ならルシファーの力を有して晴明を召喚出来る天魔と後、何人か置いてけばそれで済む……!
というかどうする? とか言ってるけど行けって言ってるようなものだよねふざけるなァ!!)」

 高天原行きを避けられはしない。
 ではどうすれば一番安全か。紫苑の思考は既にそこに移っていた。

「(そうだ……まだアイツ、日本に居るよな? そうだよ、アイツに手伝わせよう)」

 すぐさま携帯を取り出してある人物に連絡を取る。
 ワンコールで繋がったことは僥倖だった。紫苑はすぐさま事情を説明し……。

「そうですか、ではギルドで合流ということで」

 手早く話をまとめた紫苑は内心でガッツポーズをかます。

「紫苑くん?」
「すまない、高天原に連れて行こうと思っている人に連絡を取っていた」
「誰なん雲母さん?」
「いや、アレクさんだよ。まだ日本に滞在してるからな。神々の領域で変事があった以上、万全を期すべきだ」

 その上でこの中に居る面子から誰を連れて行くかを決めねばならない。
 天魔を連れて行きたいが現状最高戦力である彼女を連れて行くのは不可。
 雲母はアレクと共に参加が決定しているので残る面子は後二人で麻衣は鉄板なので実質後一人。
 次点の戦力であるアイリーンも連れて行きたいが……それはそれで問題が出て来る。

「アリス、麻衣、二人は俺と一緒に来てくれ」
「私は?」

 自分を連れて行くと思っていたアイリーンが唇を尖らせる。
 ここ最近、一緒に行動出来ていないことが悔しいようだ。

「すまない。能力の相性という面でアリスにさせてもらった。
アリスが居れば即席の城壁やら騎馬が生み出せる。信長の軍勢と合わせて使えばかなり便利だ」

 軍隊というものと合わせるのならばアリスの純化は強力無比だ。
 アイリーンも紫苑の言わんとしていることが分かったのか渋々頷く。

「……分かった」
「天魔、ルドルフ、ルーク、アイリーンの残留組は変事に備えて警戒していて欲しい。
場合によっては増援を頼むかもしれないがその場合はよろしく頼む」

 とは言ってもアレクが居る以上、戦力的に不利になることは無いだろう。
 伊達に世界最強などと謳われていない。
 もしこれで役に立たなかったら力いっぱい(心で)罵倒してやろうと紫苑はほくそ笑む。

「栞と紗織に何かあった場合も連絡を頼む」

 オカルト的な通信手段は勾玉とは別にもう一つ存在している。
 晴明が拵えてくれた通信符だ。
 符には全員の血が滲んでおり、パーティの面子とならば距離も空間も超越して通信出来る優れものである。

「分かった。此方のことは任せてくれ。そちらも気を付けてな」
「安全祈願」
「つっても戦力的には充実してるし大丈夫だろうけどね。おいアリス、いざとなれば身を盾にしてでも紫苑くんを護れよ」
「言われるまでもないわ」

 こうして現実の世界に一つの大きな動きがあったわけだが、夢の中の二人には知る由も無い。
 醍醐姉妹は未だに夢の中で木花之佐久夜毘売と石長比売の道を追体験していた。
 ベタな登場を果たした邇邇藝命は、石長比売に治療を施した後で立ち去ろうとしたのだが姉妹がそれを赦さない。
 どうしても礼をということで父親である大山祇神の下へ半ば強引に連行。

 邇邇藝命も大山祇神に会うつもりだったのでそれは良いのだが……。
 大山祇神、やっぱりというか予想通り親馬鹿だった。
 娘を助けてくれた礼にとしばらく滞在していってくれと懇願。
 邇邇藝命はやっぱり強引な誘いを断れず、大山祇神の治める地に滞在することに。

『はぁ……姉様と別れてしまうのは困りますね』

 大きな溜息が漏れる。
 木花之佐久夜毘売と石長比売の姉妹も四六時中一緒に行動しているわけではない。
 彼女らが離れてしまえば連座で醍醐姉妹も引き離されてしまう。
 こんな状況で紗織と離れるのは栞としても辛かった。

『にしても、当然ではありますがこの時代……すっごく暇です』

 現代の価値観に馴染んでいる栞からすれば神代の生活は苦痛でしかない。
 彼女が宿っている木花之佐久夜毘売は日がな一日花摘みやら水遊びやら木登りで楽しんでいるが現代っ子にはちょっと……。

『しかし、意外と器用ですねこの方』

 木花之佐久夜毘売は色とりどりの花を掛け合わせて美しい花冠を作っていた。
 不思議なことに摘み取られた花々はそこで命を失ったはずなのにとても瑞々しい。
 摘んだばかりだからというわけではなさそうだ。恐らくは木花之佐久夜毘売の力によるものだろう。

「はぁ……邇邇藝命様、受け取ってくれるかしら?」
『いやぁ……殿方に花冠というのはどうでしょう?』

 と、一応ツッコんではみるが当然彼女には届かない。
 栞は現状を打開する術が何一つ見つからないことに軽く焦れていた。
 焦れてはいても何をすることも出来ないのでそれが余計に辛い。
 無力感ばかりが募っていく。

「これでよしっと。邇邇藝命様のところにい~こうっと♪」

 ルンルンと軽い足取りで邇邇藝命の下へ向かう木花之佐久夜毘売。
 彼が何処に居るかなど分からないが、木々や鳥に聞けばすぐに分かる。
 木花之佐久夜毘売は自然の助けを借りつつ愛しの彼が居る沢へと辿り着く。

「……」

 邇邇藝命は岩に腰掛けて水に足を浸し、涼を取っていた。
 瞳を閉じ、自然の声に耳を傾けるその姿は眩暈がするほど神々しい。

『伊達に天照の孫ではない……ということでしょうか』

 とはいえ石長比売をブスだからとクーリングオフしたり、
その後の逸話でもヘタレというかふざけたことをやらかしているのが邇邇藝命だ。
 どうにも先入観が拭えず栞は彼に対して良い印象を抱けない。

『というか、石長比売は暗くはありますが美人ですし……』

 自分の知っている話が間違いなのかとも思ってしまう。
 ここで真実を知った後で、自分なりの言葉で天孫降臨の一部を書き留めてみるのも良いかもしれない。
 そんなことを考えつつ栞はことの成り行きを見守る。

「サクヤ姫か……どうした?」

 邇邇藝命はぼんやりと空を仰いだまま、視線も寄越さずに語りかけて来た。
 無礼な態度だと栞的にはカチンと来たが木花之佐久夜毘売はそうではないらしい。
 むしろ好ましいと思っている男と目を合わせる勇気が無いのでありがたいと思っているようだ。

「えと……その、邇邇藝命様に御会いしたくて……」
「私に?」
「はい……そ、そのぅ……こ、これを受け取ってくださいまし!」

 ここでようやく邇邇藝命は木花之佐久夜毘売に視線を向ける。
 差し出されたのは先ほど作っていた花冠。
 邇邇藝命はパチパチと目を瞬かせて、少し困ったような顔でそれを受け取り自分の頭に乗せる。

「……似合っているだろうか?」
「はい! とても素敵で御座います!」

 などと言っているがぶっちゃけ似合っていない――というよりは滑稽だ。
 恋する乙女フィルターが無ければシュールな絵面でしかない。

「……あ、あの」
「まだ何か?」
『女心の分からない人ですねえ』

 やれやれと肩を竦める栞だが、そんな彼女の惚れている男も女心を知らない馬鹿だ。
 いや、好意や何を考えているかは読み切っているのである意味知っているとも言えるか。
 いやいや、その上で無視しているのでやっぱり女心を知らない馬鹿とも言える。

「その……邇邇藝命様は、どんな食べ物が好きですか?」
『いじましいですね。応援したくもありますが……この二人、くっつくの分かってますし……』

 気掛かりなのは石長比売だ。
 ブスだから、ブスだからという理由でクーリングオフされてしまう石長比売。
 女としては噴飯もので、助走をつけてぶん殴っても良いレベルである。
 だが、ここの邇邇藝命がそんな理由で? と思わなくもない。
 栞はもう訳が分からなかった。

「私に好き嫌いは無い。食べられるものならば何でもありがたう頂くつもりだ」
『食べ物は雑食、じゃあ女性はどうなんでしょうね』
「……そ、そうですか」

 残念そうな木花之佐久夜毘売を見て邇邇藝命の困り顔が更に深まる。

「……が、強いて言うならばアケビが好きだ」
「アケビですか!」
「あ、ああ」
「私もアケビ好きです!」
「そ、そうか……」

 その後も押し気味の木花之佐久夜毘売と引き気味の邇邇藝命の会話が延々と続く。
 もしも大山祇神の使いが彼女を呼びに来なければずっと続いていただろう。

「……ふぅ」

 一人になった邇邇藝命は大きな溜息を吐く。
 木花之佐久夜毘売が悪い子ではないと分かっている。
 分かっているのだが彼は騒がしい女性が少々苦手だった。

「中つ国を治めろ……そうは言うが……これは必要なことなのだろうか……」

 やれと言われたから地上に降りた。
 だが、邇邇藝命はイマイチ中つ国を治めることの意義を見出せないで居る。

「(人間……人間か……)」

 人間は未熟な生き物――それが邇邇藝命の感想だった。
 だが、未熟であるということは伸び代がある、先があるということだ。
 勿論、腐るという可能性もあるがしっかり実るということも有り得る。
 そんな不安定な生き物が誤った方向に育たないようにするのが自分達の役目。

 まあ、それも分からないでもない。
 しかしその役目とて未来永劫続くとは邇邇藝命にはどうしても思えなかった。
 やがて、人間からすれば気が遠くなるほどの未来において自分達神々の居場所は無くなる。
 何故だかそう思うのだ――邇邇藝命は神代においては異例とも言える先進的な思考をする男だった。

「……邇邇藝命様」

 木花之佐久夜毘売のそれとは違う、少しくぐもった声が耳朶を擽る。
 邇邇藝命は先ほどまでの困った顔から一変、穏やかな表情に。

「石長比売か」
「……サクヤが何かを御迷惑をおかけしませんでしたか?」

 己とは違う香しい花の香りがこの場に満ちている。
 それはつい先ほどまでこの場所に木花之佐久夜毘売が居たことの証明だ。

「……あの子は良い子なのですが、少し空気が読めないところもありますので」
「いや、そんなことはない」

 実際迷惑というわけではないのだ。

「ただ、私は生来根暗な性質だからか……少し戸惑うだけだ」
「……根暗って、そんなことありませんわ。邇邇藝命様は堂々としていらっしゃるし」

 根暗というのならば自分だと自嘲する石長比売。
 華やかな妹に対するコンプレックスがあるのだろう。
 気になっている邇邇藝命に対する積極性なども羨ましくてしょうがないようだ。

「……私は、妹に比べて容姿も悪いし性格も暗いしで……姉なのに情けない限りです」
『妹が憎いとかそういうんじゃないだけマシですが……』

 卑屈な態度はどうにも良くない。
 紗織的に石長比売はあまり仲良くなりたいとは思えない類の相手だった。

「そう卑下するものじゃない。自分が誰それより劣っているなどと考えるのは時間の無駄だ」

 慰めているのか微妙なラインだが、それでも邇邇藝命の言葉は正論だ。
 時間の無駄なのだ、自分と誰かを比べて落ち込むなんて。
 そこから奮起すれば話は別だが、ただ落ち込んでいるだけならば本当に時間の無駄。

「……」
「私は、あなたにしか無い良いところもあると思う」
「え」
「派手さは無いが、共に居て落ち着くというのは立派な長所だと思う」
『女誑しですねこの方』

 女誑し具合で言えば紫苑の方がもっと酷いし性質が悪い。

「こうやってあなたが隣に居てくれるだけで不思議と心が安らぐよ」
『臭い、臭いですこの人!』

 ひぃいいいい! と悲鳴を上げてドン引きする紗織。
 何度も比較するようであれだが、臭い台詞の連発具合でも紫苑の方が百倍酷い。

『というか……ちょっと良い雰囲気ですけど、これってどうなんでしょう?』

 邇邇藝命と結ばれるのは木花之佐久夜毘売。
 石長比売は不細工だからとクーリングオフされてしまう。
 だが、今の邇邇藝命と石長比売を見る限りでは妹よりも姉の方が優勢っぽい。

『そもそも木花之佐久夜毘売との婚姻も邇邇藝命から言い出したものだけど……』

 この邇邇藝命が娘さんをくださいパッパ! などという場面が想像出来ない。
 二人から迫られて婚姻を結ぶ? そして石長比売を実家に送り返す?
 栞も紗織も木花之佐久夜毘売と石長比売姫の姉妹について思い入れがあるので気になってしょうがない。

「……あ、ありがとうございます」
「いや、礼を言われることじゃない」
「……あの、サクヤが来るまで物思いに耽っていたと聞きますが、何か気掛かりが?」

 邇邇藝命に褒められたことでほんの少し自信がついたのだろう。
 だからこそ、こうやって踏み込んだ質問を出来る。

「誰に聞いたんだ?」
「……邇邇藝命様が腰掛けておられる岩です」
「ああ……そうか、あなた達姉妹は山の声を聞こえるのか」

 邇邇藝命もやろうと思えば出来ないこともないが、明確な意思疎通は出来ないだろう。

「少し、人間について考えていたのだ。石長比売姫、あなたは人間をどう思う?」

 木花之佐久夜毘売が来たことで中断されて、
去った後で再び考え始めたのが今度は石長比売に邪魔をされてしまった。
 とはいえ他の神の考えを聞くのも悪いことではないと意見を求める邇邇藝命。

「……人間、ですか」

 話題を振られた石長比売は困惑していた。
 正直、彼女は広い視点でものを見ない。基本的に近視眼なのだ。
 ゆえに脆く小さく短い人間について深く考えたことなどなかった。

「……我らが導いてあげねばならぬ不安定な存在、でしょうか?」

 返って来た答えは良く言えば神として模範的な――悪く言えばありきたりなものだった。
 そのことにガッカリしつつも邇邇藝命は表情には出さず、成るほどと小さく頷く。

「……何故、そのようなことを?」
「私はどうも、人間について簡単に割り切れないらしい――ん? 簡単に、割り切れない」

 自分の言葉に引っ掛かりを覚えた邇邇藝命は顎に手を当てて考え込む。
 石長比売からすれば意味が分からないものの、邪魔はしてはならぬと口を噤んでいる。
 もしも木花之佐久夜毘売ならば割って入っていただろう。

「簡単に割り切れずに思い悩む、それはつまり想いの深度……嗚呼、そうか……」

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。
 邇邇藝命は頭の巡りが悪い己に苦笑しつつ、ようやく得られた答えを言葉にする。

「私は人間が好きなんだ。間違いだらけで、痛い目を見なければ過ちを正せない。
愚かで自分を罰することも出来ない矮小で卑小で、そんな人間が――――大好きなんだ」

 晴れ晴れとしたその横顔。石長比売は息をするのも忘れて魅入っていた。
 紗織は魅入ることは無かったが、邇邇藝命の異質さに目を丸くしていた。

「私の役目はそれだ、肯定。"そのままで良いのだ"と言葉にせず、ただ在ることで肯定すれば良い。
ならば神とは何だ? そう、実像すら必要無い。ただ人の心に在れば良い――――偶像として」

 神代に置いて邇邇藝命の思想は異端の一言に尽きる。
 数千年先を見据えているとしか思えない発言を一体誰が理解出来ようか?
 神――つまり自分達の存在否定。言葉の上っ面だけすら石長比売は分かっていない。
 彼女からすれば邇邇藝命は本当に意味の通じない異次元の言葉を喋っているようなものだ。
 反発も危惧も何一つ起きることはない。

『何とまあ、人好きなところは春風さんにも似ていますが……』

 何処か安定感が無い。
 人間特有の不必要なまでの臆病さや思慮深さが欠けているのだ。
 これが人と神の視点の違い。紗織は神妙な表情で邇邇藝命を見つめる。

「ハハハハハハ! 開けた、開けたぞ! 我が視界が完全に開けた!」

 立ち上がり、両手を広げて空を抱き締める邇邇藝命。
 彼はこれまで言われるがままに生きて来た。
 命じられるがままに中つ国へと降り、治めよというからそのために動いて来た。
 だがそこに確たるものが無かったのだ。しかしこの瞬間、邇邇藝命の核が生まれた。
 だからこそ、彼は今、かつてないほどに輝いている。

「……邇邇藝命様は人を、愛していらっしゃるのですね」

 大笑する邇邇藝命の耳に石長比売の言葉は届いていない。
 そして彼女自身も聞かせるつもりで言ったわけではない。

「……邇邇藝命様の御言葉の意味は分かりませんが、それだけは分かります」

 石長比売の心にほんの少し、ほんの少しの自信が生まれる。
 華やかな妹より先んじて想い人の心を掴めるかもしれないという自信が。

「……岩のように永く、永く。あなたと、あなたの愛する者が永く、永く」

 呪文のように永く、永くと繰り返す石長比売。
 気付いていない、彼女は気付いていない。目が見えていないのだ。

『――――ズレてますよ、それ』

 声が届かない歯痒さに紗織の顔が歪む。
 そして同時に確信する――――やはり石長比売は邇邇藝命と結ばれることはない。
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