挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

149/204

明星 弐

「は……あ、え……ま、おう……?」

 意味が分からない、頭が真っ白になる。
 一体この蛇は何を言っているんだ? 混乱を隠せないダンテにカス蛇は無慈悲に事実を突きつける。

『魔王だよ魔王。元は天使長様で堕ちて穢れた明星――――ルシファー』

 黙っていたルキアの頬が吊り上がる。
 口が裂けたかのような笑みは正に悪魔のそれだ。
 カス蛇はそもそもからして疑問に思っていた。何だって急に聖槍が反応するのかと。
 聖なる槍が反応するということは闇が存在するからに他ならない、それも特級の闇だ。

 持ち主の選考基準こそアレだが、本質としてロンギヌスは聖なる槍。
 魔王が近くに居るのに反応一つしなければただの鉄屑だ。
 そしてロンギヌスに気付いていたからこそ、ルシファーも一度姿を隠したのだろう。
 話がまとまったタイミングで出て来たところを見るにダンテの邪魔をするつもりはなかったらしい。

「――――」

 ダンテは最早言葉も無かった。
 秘書であるはずのルキアが明けの明星――堕ちた天使ルシファーなどと誰が思う?
 いや待て、秘書? ルキア・ファーゼルなどという秘書は存在していたか?
 そもそもからして信頼出来る側近ならばバチカンに置いて来るはずだろう?
 乱れる思考、何もかもがチグハグになっていく。

『ルキア・ファーゼル、名前を捩ったんだろうがよくもまあ"光"だなんて名乗れるもんだ』

 呆れたようなカス蛇の言葉にルキア――否、ルシファーも皮肉げな笑顔を返す。

「何を言いますか、親愛なる君よ。私はそもそもの名前からして光を齎す者じゃないですか」

 照明に照らされて床に滲み出た影が不気味に蠢く。
 それは目の錯覚でも何でもない、人ならざる異形そのものの影だ。

「! 何故邪魔をする天魔!?」

 復帰したダンテが召喚した長剣でルシファーに斬り掛かろうとしたのだが、
天魔が蹴りで剣を蹴り上げたことで出鼻を挫かれてしまう。

「よく分からないけどさ、落ち着くべきだよね、一度」
「天魔の言う通りだダンテさん。まずは冷静に現状を把握するべきじゃないか?
神すらも人の味方と言い切れない状況、悪魔もそうだとは思わないか?
よしんば味方ではないとしてもすぐにアクションを起こさない時点で敵対の意思が無いと見るべきでは?」

 自分の子供ほどの少年少女から冷静に誤りを指摘される。
 大人にとっては耐え難い屈辱かもしれないが、ダンテは賢明な大人だった。
 二人の言い分に理があるのは確かだと深く息を吸い込んで力いっぱい吐き出す。

「すまない、冷静さを欠いていたようだ」

 天魔に蹴り飛ばされて天井に刺さった得物を呼び戻し、改めて送還する。
 カトリック的にルシファーが怨敵であろうとも今は関係が無い。
 先ほど己の悟りを見出したのだから信仰に引き摺られてはいけないのだと己を戒める。
 ダンテに限らず有能な人間はこうやって自戒がしっかり出来るのだ。
 そしてそれが出来ない紫苑は……言わぬが花か。

「フフフ……ボスの惑いが振り切れたようで何よりですよ」

 馬鹿にしているのか! 思わずそう叫びそうになり口を閉じるダンテ。
 彼生来の気質もあるが本質的に悪魔という存在が毒であると本能が忌避してしまうのだ。
 光も闇も一緒くたで自身を見つめる天魔や、己以外を等しく屑と見定めている紫苑のようには平然としていられない。

「……私の記憶を弄ったのか?」

 チグハグな記憶、何処までが本当で何処からが嘘なのかを知ることが先決。
 そう判断したダンテが慎重に問いを投げた。

「割り込んだだけですよ。この身体の持ち主、
勿論ルキアなんて名前じゃない何処かの誰かは確かにボスの秘書ですからねえ」

 ちゃんとした秘書が居る――その言葉で一つの認識が確かになる。
 そう、己の秘書は確かに存在していた。
 名前はルキアなどではないが存在していて、良く職務を支えてくれた。
 一つの解が出れば二つ目の疑問が沸きあがる。では何時から憑依していた?

「バチカン襲撃の時にボスが目についたもので、この方の身体に憑依したんですよ。
心の隙間に入り込むのは悪魔の専売特許であるからして、不思議なことじゃないでしょう?」
「……何故、ダンテさんに付き従っていた?」

 目的が定かでない、それは紫苑が嫌うことの一つだ。
 目的が定まっているからこそ、相手の思考を辿ることも出来るからだ。
 特に人柄を知らない場合は相手の目的を取っ掛かりにしなければ本質を掴めない。
 何というか本当に悪魔のような男である。

「目についた、具体的にはどういう意味だ?(おいカッス、お前アレと知り合いか? ある意味同輩っぽいけど)」

 知っているならば詳しい情報を寄越せ、みなまで言わずともカッスは理解していたが、

『(生憎と、互いの存在は知っちゃいるがどういう性格かまでは知らん)』
「(ガチで役立たずだな)」

 そうなると先の問いを取っ掛かりにして一歩ずつ進んで行くしかない。
 前提として魔王、馬鹿には勤まらないだろうどう考えても。
 だから、自分の問いに込められた意図をルシファーも読んでいると紫苑は仮定した。
 その上で真実を答えるか嘘を答えるか虚実入り混じった答えを出すか。
 返って来た答えで性格を暴いていくつもりだ。

「魔王を暴こうとするとは剛胆な人間ですね、本当に」

 ニヤニヤと笑うルシファーに天魔の顔が重なる。

「(やっぱり読んで来たな、馬鹿じゃなくて何より)知らねば歩み寄れんだろう」
「ずかずかと踏み入って来るのは失礼ではなくて?」
「それすらもある程度人柄が分からねば判断出来まい。嫌う者、好む者、それぞれだ」

 そして失礼じゃないか? なんて笑いながら言う奴は嫌う者のカテゴリーには入らない。
 その指摘にルシファーの笑みが濃くなる。蠢く影はご機嫌状態を表しているかのように激しく流動している。

「まず向き合う。敵でも味方でも我と彼、裸で見つめ合わねば何も始まらない。
そのスタンスには敬意を表しますよ。ただまあ、その善心が足を引っ張っていますね。
相手を知り利用するならばともかく、心を重ねようとする。
そのせいで敵の痛みまで知ってしまい、そのせいで苦痛と後悔を味わうことになる。
どうです? 私と契約すれば常に痛みの元凶となる善心を跡形も無く消し去ることが出来ますよ?」

 ズレている、滑稽なまでにズレている。
 悪魔王ルシファーであろうとも紫苑が積み重ねた事実うそに目が眩んで誤認している。
 だがそれも無理からぬこと。判断材料となるものからして嘘しか無いのだから。
 そんな状態で真実に辿り着けという方が酷だ。

 むしろここで異常とすべきはカス蛇である。
 幻想回帰が起こる前で、危機が無くて半ば眠りっぱなしで十全に能力を発揮出来ていなかったとはいえ紫苑は紫苑だった。
 だというのに彼はカス蛇を前にしてハジメテ本音というものを晒した。
 "嫌だ無理だ絶対不可能。弱ってる化け物の命乞いなんざ誰が聞くか戯け"――それは剥き出しの本音だ。

 そこを取っ掛かりに材料を得られたとはいえ、やはりおかしい。
 カス蛇自身もこれまで幾度も疑問に思っていた。
 何故、あの場面で紫苑の本音が曝け出されたのか。無論彼やカス蛇の意図したものではない。完全なる偶然。
 完全に閉ざされた己の領域にやって来たこともそうだが、どうにも引っ掛かる。

『(何故、俺様達は出会えたんだろうか……?)』

 カス蛇とて並行世界の概念については分かっている。
 その上で、自分の策が成れば再統合が起こるはずだ。
 だがそれは成っていない。平和を掴み取るか、あるいは諸共に総て滅びてしまうか。
 カス蛇は自身の策の結果はそのどちらかであろうと思っている。

 そして、どちらであろうともことが成ればそこが基点世界となり総ての可能性は引き摺られて再統合が起きる。
 今この世界だってその影響を受けるはずなのだ。
 だがそうなってはいない、依然として人間と幻想の戦いは終わっていない。
 つまるところ時が流れても自身の策は成っていないということになる。

 失敗した? いいや、あり得ない。一つぐらいは成功する世界があるのだ。
 なので成否で語るのではなく――――そもそも鍵である紫苑と出会っていない可能性が高い。
 並行世界において春風紫苑と聖書の蛇は出会うことがないのだ。
 だが、この世界においては出会っている。そのことにも何か意味があるはずだ。

『(まあ、考えても詮無いことか)』

 何処か愉快なものが見えた気もするが考えても結論は出ない。
 それよりも今は道化の座に引き摺り下ろされてしまった魔王殿を見てニヤニヤしなければ。
 カス蛇は使命感と共に邪悪な顔で紫苑に契約を持ちかけているルシファーを見る。

「黒でなし、白でなし、それが人間、それが俺の答えだ」
「フフフ……まあ、そう答えるだろうとは思ってたので別段本気じゃありませんでしたよ」

 さぞ愉快そうに笑っている魔王様だが笑えるのはコイツである。
 心せよ、春風紫苑に関わる者は皆悉く道化に成り下がるのだ。
 道化になりたくなければ遠くから眺めているだけに留めろ。

「さて、目についた理由でしたっけ? あの場の誰よりも足掻いていたからですよ。
愚かしく、貴く、滑稽で、だからこそ手伝ってあげようと思ったんです」

 意味深にダンテを見つめるルシファー。
 一体どういうことかと紫苑と天魔の視線がダンテに注がれる。
 彼本人は一瞬何を言っているか分からなかったが、すぐに気付く。

「……そうだ。日本行きを勧めたのはお前だ」

 そして長期休暇をねじ込んだのも彼女だ。

「お礼は良いですよ? 私としても正攻法で此処に来るには大物過ぎましてね。
こうやって人間の身体に憑依しなければ現世で活動することもままならない」
「つまりお前の目的も俺達に会いに来ることだったと?」
「ええまあ、そう受け取って頂いて構いませんよハイ」
「(まんまと爆弾を連れて来たアホ二人は死ね)」

 アホ二人とは言うまでもなくダンテと天魔である。
 だが罵ったところで何かが判明するわけでもない。
 この場でまず知るべきはどうしてルシファーが此処に来たかということだ。

「(カス)」
『(あいよ)』

 核心のみを求めてそれに関連する問いばかりを投げるのは下策だ。
 雑談というのも大事で、そこから見えて来るものも多い。
 かといってこの場で紫苑が雑談に切り替えるのは良くない。
 あくまでルシファーの目的を知ろうとする紫苑と、お構いなしに関係の無い雑談を振るカス蛇という構図が肝なのだ。
 そうすることによって彼女のリアクションを観察することが出来る。

『ところでルシファーよ。
無理矢理憑依することも出来るだろうが、そういうのは趣味じゃねえだろ? 仮にも魔王なんだし。
つーことは何某かの望みを叶えた、叶える予定があると思うんだがそこんとこどうなんだ?』
「おいカス、口を挟むな」
『まあ良いじゃん。俺様にだってお喋りさせろよ、同郷のダチみたなもんなんだし。で、どうよ?』
「んー? そんなの君に関係ないのでは?」
『親愛なる君とか言っといて冷たい野郎だぜ……いや、女だったか、少なくとも憑依先は』
「まあね」
「(ニヤケ面ではあるが乗らなかった、か)」
『(こちらの意図を読んでってわけじゃなさそうだ。つまり……)』
「(ああ――――割かし面倒な奴だ)」

 雑談に乗らなかった、つまりそれは本題に入りたいというわけだ。
 だが、先ほどまでの会話を振り返るとルシファーは所々で煙に巻くというか、本筋を逸れる物言いをしていた。
 それは何故か、相手に会話のペースを渡したくないからだ。
 面倒な奴、紫苑の評価は端的だが実に的を射ているものだった。

「(さぁてどう崩していくか……)」

 紫苑もルシファーと同じだ。舌戦においてペースを相手に握られるのを嫌う。
 まず己が場を作り出して相手をその中で踊らせることを好む――何だコイツ悪魔か?
 それはさておき。攻めあぐねている紫苑だが、状況を打開したのは意外な人物だった。

「――――君は僕に会いに来たんだろう?」

 突然の発言にキョトンとする紫苑とダンテ。
 この場において天魔だけが一番最初にルシファーという魔王を知ることが出来た。
 紫苑のように心の動きを掴んでパズルを組み立てるように彼の魔王を解体したわけではない。
 論理なんて零。"同輩の匂いがする"――そんな感覚的なもので天魔はルシファーの目的を看破したのだ。

「……」

 ルシファーはほんの少しだけ悔しそうに笑った。
 彼女にも予想はついていた、一番最初に気付くのは天魔であろうと。
 自分の思う流れで本題を切り出すことが出来なかったのは単純に悔しいが仕方ない。
 暴かれてしまったのならばこれ以上意味の無い会話をするつもりはない。

「――――ええ、私は外道天魔さんに会いに来たのです」

 天魔がルシファーを看破したことで紫苑のヘイトが爆上がりする。
 自分が見抜けなかったことが気に入らないのだ。ほんに器の小さい男である。

『おいおい、何時ものパターンからして紫苑が拉致られると思ったがそっちかよ』
「……パターン化されるくらい拉致られてるんですか?」

 パターン化されるくらいに拉致られてるんです。
 ルシファーは気の毒なものを見るような目で紫苑に視線を注いでいる。

『紗織に雲母に幸村にロキで……あれ? 数えてみるとそう多い数でもねえな』
「四回誘拐されれば十分でしょう」
『五回目だと思ったんだがなぁ』
「まあ、彼は好ましく思いますよ? ですが、拉致とかするつもりはありませんのであしからず」

 記 録 更 新 な ら ず。

「(まあこの馬鹿に用があるってんなら別に良いけどさ。
何かもう俺、頭使う必要無いんだろ? お好きにどうぞ、煮るなり焼くなり殺すなり勝手にしろよ)」

 本音が態度に表れていれば鼻をほじりながら白けた目をしていただろう。
 自分に関係が無いと分かった途端、灰色の脳細胞は活動を止めてしまった。

『(お前はホント紫苑だなぁ……)』

 最低、とか屑、とかそんなものよりもこの上なく的確な表現だった。
 お前紫苑だなぁ、という形容詞にはおよそ想像出来る限りのネガティブなイメージが詰まっている。

『よう、天魔。俺様が言うのもアレだが、悪魔が個人を名指して会いに来たってのはロクなことじゃねえぞ』

 悪魔でも明確な敵意を持っているのならば対処はし易い。
 ぶん殴って来るなら殴られる前にぶん殴って殺せば良いのだから。
 だが、ルシファーが敵意を持って目の前に居るわけではないことは明白である。
 となると悪魔の本業を考えれば厄介なことになるのは想像に難くない。
 そんなカス蛇の忠告に天魔は、

「だろうね」

 むしろ楽しげだった。
 だが、その笑顔もすぐに曇る。申し訳なさそうな、後ろめたそうな表情で紫苑を見つめる天魔。

「あー……その、あれだよ。紫苑くんは知っているだろうけど、僕は僕でやっぱり僕だ」

 その性を捨てられない――天魔は暗にそう言っている。
 純化の形からして背反の棘に苛まれながら生きる、なのだ。
 そんなことは今更語るまでもないだろう。

「だから多分、僕は……乗っちゃう、どんなものでも」

 不安そうに上目遣いで紫苑の顔色を窺う。
 その当人はすっかりダレてしまって話半分にしか聞いていないのがまた泣ける。

「多くは言わん――――信じてる、それがあの日お前の背を押した俺の責任だろう」

 何かそれっぽいこと言っときゃ良いやぁ、という態度が透けて見える。
 カス蛇は何か知らぬとこで爆弾を抱えるんじゃないかなぁと首を傾げるが進言することはない。
 言っても疎まれるだけだろうし、言わない方が楽しいような気もするからだ。

「……ホント、卑怯だよね、そういうとこ。こっちばっかドンドン好きになってく」

 唇を尖らせて拗ねたような表情を見せる天魔は年齢相応の少女にしか見えない。

「よろしいのですか? 私、悪魔ですよ?」

 天魔やカス蛇は詳細な内容はともかく、ルシファーがやろうとしていることは大体見当がついている。
 そしてルシファー自身も相手側が理解していることをちゃんと分かっている、その上での確認だ。

「勿論」

 命を賭けた遊びで得られるものは満足感。
 だが、ゲームの相手が悪魔だ。高額のリターンが来るのは容易く想像出来る。
 趣味と実益を兼ねた遊びの相手としてルシファーという魔王は極上だ。
 格と実力差で語るならばルシファーは天上の存在で真っ向切って殺り合えば天魔など塵芥を払うように殺される。
 だがそうはしない。悪魔なのだ、悪魔という奴は喰らいつける高さに餌を置く。

「ま、待ってくれ。君達は何を言っているんだ?」

 ダンテが一人置いてけぼりなのはしょうがない。
 表面上の見える部分があまりにも繋がらなさ過ぎてよく分からないのだ。
 彼自身は聡明な人物なのだが、これは天魔の内面にも通じる問題であり今日会ったばかりのダンテが分からずとも無理はない。

「素敵なプレゼントをくれてありがとうダンテさんってことだよ」
「おや、もう獲った気で居ますか。魔王を前にして大胆なことです」

 天魔が差し出した手にルシファーの手が重なる。
 ともすればこのままダンスでも始めそうな体勢のまま二人は拠点から姿を消す。

「な!?」

 絶句するダンテ、しかし紫苑は平然と菓子を摘んでいる。
 仲間想いの彼がどうしてこんな態度で居るのか。ダンテにはそれが理解出来なかった。

「何故、そんなに落ち着いているのだね!? 闇の明け星に仲間が攫われたのだぞ!?」

 シチューションを見る限り誘いに乗ってホイホイ着いて行ったようにしか見えねえだろ馬鹿。
 紫苑はぐっと本音を堪えて静かに微笑を浮かべて薄ら寒い偽りを口にする。

「――――俺は天魔を、天魔は俺を信じている、それが総てですよ」

 穏やかでありながら、力強さを感じさせる言葉にダンテは何も言えなくなった。
 そもそもからしてルシファーを招いた自分が意を挟むのはお門違いでもある。
 そう考えて口を噤むダンテに出来ることは天魔の無事を祈ることだけだった。
 さて、その天魔だが、

「わぁ……こりゃまた、凄いね」

 手を繋いだまま不可思議な空間を真っ逆さまに落ち続けていた。
 勿論彼女に恐怖は無い、外道天魔が恐れるとしたらそれは紫苑の喪失だけだろう。

「何だいこれ? ダンジョン潜る時の感覚と似てるけど、こんなの見たことないよ」

 落ち続ける空間に映し出されているのは人の営みだった。
 一番上が現代で、下に行くほどに時間が遡っていく。
 平成の始まりを見たかと思えば今度は真珠湾攻撃。
 次々と移り変わる映像には流石の天魔の感心させられた。

「いいえ、見ているはずですよ。ただ、何時もならば圧縮されていて認識出来ませんが」
「……するってえと、何時ものあの感覚はこれを見ているからなのかい?」
「ええ、とはいえ普段は圧縮されているので認識出来ませんがね」

 孔は境界だ。現実と幻想を隔てる境界。
 そこを超える際に人は識るのだ、自分達が歩んで来た歴史を。
 幻想が現実だった頃にまで意識が旅をしてようやく幻想の領域へと辿り着く。
 ただ莫大な歴史を受け止められるだけのキャパシティが人間には無い。
 ゆえに普段は圧縮されて不可思議な感覚を味わったとしか認識が出来ない。

「じゃあ何で今は?」
「誘いを受けてくれたお礼ですよ。ともすれば人生最後になるのだから」

 走馬灯で自分の過去を振り返るのはよくあることだが、人の歴史を振り返るなんて絶無だろう。

「ハハハ、こりゃ随分高価な走馬灯だねえ。流石は魔王様だ」
「よしてください。魔王と言っても大昔ならばともかく今は随分とチンケな言葉でしょうに」

 魔王、読んで字の如くに魔の王。
 だがその言葉も人が彼らを幻想へと追いやる過程でショボイものにしてしまった。
 残虐なことをすればそれだけで魔王だなんて形容が使われるのが良い証拠である。
 魔王とはそんな軽い称号ではない。闇を煮詰めた悪性そのものを表す称号なのに。

「卑下するね」
「事実ですよ。今の世を正確に把握していると言ってください」
「そりゃ失敬。ところでその身体は置いて来なくて良かったのかい?」

 その身体というのはルシファーが借りている秘書の身体である。

「生憎とあるラインを超えるまでは無理ですね。
あちら側から私の本体があなたを招き寄せようとするよりこっちから誘導して向かう方が楽なんですよ。
まあ、その分、持ち主の口調に合わせたりと守るべきルールも多いので面倒ではありますが」

 ロキが人の皮を貼り付けて大阪にやって来た際も現世に馴染めるようにその土地の言語に合わせて関西弁を話していた。
 それと同じように、ルシファーも宿主の口調に合わせねばならない。
 少しでも齟齬を失くすためだ。齟齬があれば幻想は弾かれてしまう。
 それでも名前を変える辺り自己顕示欲は強いらしい。
 まあともかく魔王クラスの者が現世に干渉するのはとても面倒なのだ。
 だが、その面倒を押してでもルシファーは天魔に会いたかった。

「大変なんだね」
「ええ、ホントに」

 笑い合う二人はまるで十年来の友人のようだ。

「なあルシファー、ただ歴史を眺めてるだけ飽きるし……話しておくれよ、君の背反を。
僕のことについては調べがついてるんだろう? 僕だけ君を知らないのはアンフェアだ」
「悪魔に向かって不公平とは、また面白い物言いをしますね。ですが良いでしょう」
「やったね」
「天魔、あなたはルシファーという存在についてどの程度知っていますか?」
「何かすんごい魔王」

 そんな小学生みたいな感想を漏らされても……。

「……割と名は売れてると思ってたんですけど、来歴とかは御存知ではない?」
「何かぁ、漫画とかゲームとかで割りと名前は聞くけどじゃあ何やった? って言われればまったく知らない」

 もしも紫苑が居れば誰でも自分のこと知ってるなんて思い上がってんじゃねえぞバーカ! と心の中で罵倒していただろう。

「そういうの詳しいの他に居るしぃ? 紫苑くんとかルドルフくんとかアイリーンとか?
そりゃ今の情勢だとそういう知識も必要なんだろうけど、神話とか聖書とかかったるくない?
表現硬いし分厚いしで眠気を誘発されるんだよね。いっそ分かり易く漫画とかで良いと思うんだ」
「……」

 何かとっても馬鹿っぽい、だが十代の少女が神話フリークというのも妙な感じがする。
 そう考えたルシファーは余計なことを言わずに口を噤んだ。
 悪魔のくせに空気が読めるじゃないか。

「ならば軽く来歴を説明しましょう。でなくば、語れませんからね」
「そう? じゃあ分かり易く頼むよ」
「私は元々天使達の長でした」
「え? じゃあバチカンに出現したとかいう連中も部下だったわけ?」
「部下と――ミカエルに関しては弟であり妹でもありました」
「は?」

 思わずルシファーの股間に目をやる天魔だが、すぐに身体は人間のものだったと思い出して視線を外す。
 どうでも良いが同性とはいえいきなり股間を見るのは如何なものだろうか。

「天使に性別は無いんですよ、数少ない例を除いて。私も女であり男であり、どちらでも無い存在ですから」

 人の常識で測るのは間違いなんだと天魔は認識を改める。
 なまじこれまで出会った神やらに雌雄があったから勘違いしてしまったのだろう。

「私は天使の長として、自分で言うのもアレですが精勤に努めていました」
「そんな奴が何だって魔王だなんて呼ばれてるのさ」
「それは単純、私が父なる神に弓を引いたからです」

 神、今この時代には多くの神が存在しているがダンテが信仰する神であることは天魔にも分かっている。
 だが解せないのは精勤に努めていたなどという輩が何故反乱を起こしたのか。

「それは何故?」
「――――愛していたからですよ」

 そう語る魔王の顔は誇らしげで、負い目など一切無かった。
 もしも他の大天使や熱心な信徒がこの言葉を聞いていれば下手をすれば憤死していただろう。
 それほどまでにルシファーの言葉はふざけたものだった。

「私ほど父なる神を愛している者は、現在過去未来存在しておりません」

 自負に満ち満ちた言葉だった。
 自分が一番神を愛しているのだと本気で思っている。

「神の御前に傅いて白痴のように主を讃える歌を歌い続けることが愛ですか?
嫌だ、違う、私の愛はそんな程度じゃ足りません。無限に湧き続ける愛を余すことなく伝えたいのに!」

 初めて語気が強くなる。
 つまり、ルシファーにとって神への愛はそれだけ特別なものなのだ。

「尽くすだけの愛はもう搾り尽くしてしまった、でも私はもっと愛を伝えたいのです!」

 狂おしいまでに愛を謳うルシファー。
 それは万人がイメージする普遍の愛では決して無い。
 ルシファーの愛は唯一無二だ。彼女の愛は誰も真の意味で理解は出来ないだろう。

「そんな熱情に魘されながら私は一つの悟りを得ました」

 元天使で現魔王のルシファーが悟りなどと口にするのは色々な意味で皮肉だ。

「我と彼、向き合う二人の間にある愛とは何でしょうか?
相手を想い、相手に尽くす、成るほど、それは愛です。だけどそれだけじゃない。
憤怒も憎悪も嫉妬も悲哀も我が彼に向ける情は総て愛なのです!!」

 どんな異次元跳躍理論なのか。

「――――無関心を除く総てが愛、悪意ですらも愛なのですよ天魔」

 それが明けの明星、輝く者、ルシファーが啓いた悟りだった。
 ネガティブな感情も愛? 一見すれば首を傾げてしまうだろう。
 だがそこにはある種の真実も含まれている。
 負の感情というのはそれを抱く本人の心すら蝕むものだ。

 アイツむかつく……と言ってストレスから煙草が増えた会社員が居たとしよう。
 心身共に蝕まれていると言っても良いだろう。
 なのにネガティブな感情を捨てられずに相手を忌々しいと想い続ける。
 己すらも傷付けながら相手から目が離せない――――それが愛ではなくて何だというのか。
 それがルシファーの主張だった。

「だから君は反乱という名のラブソングを歌ったのか」

 何て物騒で、何て迷惑なラブソングだろう。
 こんなラブソングはヒットチャートに載るどころか速攻で発禁処分になること間違いなしである。

「ええ。かつての同僚達の翼を引き千切り、臓腑を引き摺りだして神の国にばら撒いた。
首を捻じ切って流れ出す紅い血で喉を潤した。骸で築いた十字で神を讃えた。
およそ思いつく限りのあくいを振り撒き、力の限りに悪意あいを謳い上げましたよ」

 だが話はそこでは終わらない。天魔とルシファーは同類なのだ。

「賛美歌を歌いながらも私は苛まれていた。これで良いのか、本当にこれで良いのか?
愛するのにこんなことをして良いのか? だが止められない、だが苦しい!
愛を謳いながら愛を穢し尽くすような己に対する興奮、絶望、綯い交ぜになった相反する感情が私を蝕む」

 感極まったルシファーの背から一対の翼が出現する。
 黒と白に分けられたそれは背反の証。

「そうして背反の棘に貫かれながら愛を謳って、
結局は大天使に数の暴力で袋にされて地獄へ叩き落されたんですがね」

 大天使が束になっても殺せない辺りが恐ろしい。
 それほどまでに明けの明星は別格なのだ。

「ちなみに神様は君の愛にどう応えたんだい?」
「我らが神はあなたの想い人のように言葉を尽くしてくれませんので……真実は闇の中です」

 肩を竦めるルシファーに天魔も苦笑が漏れる。

「――――そろそろ着きますね」
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ