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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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明星

 紫苑は豊臣軍の巡回警備やら何やらの打ち合わせのため大阪城に居た。
 本来なら政府の人間やギルドの人間が行うべきなのだが、城主である茶々はそれら一切を跳ね付けている。
 曰く、自分達はあくまで春風紫苑に協力しているとのこと。
 紫苑からすればそういう敵を増やすようなというか危険視されるような発言はして欲しくない。

 春風紫苑が個人で有している兵力は日本をそのまま滅ぼしてしまえるほどだ。
 彼には及ばぬが保身に長けた臆病な油狸からすれば面白くはないだろう。
 とはいえ紫苑を除くことも出来ない。それをするにはあまりにその存在は大き過ぎた。
 そういう面で安全は確保されていると言って良いが積極的に敵を増やす趣味が無いのも確かだ。

 紫苑は豊臣――というより茶々のワガママに唾を吐きたい気分だった。
 とはいえ大阪の治安維持と人心安定のために豊臣の機嫌を損ねるのは良くない。
 ゆえに我慢して大阪城に足を運び三成や両兵衛、幸村らと詳しい打ち合わせを行っていた。

「にしてもさぁ、拙者らが今の時代で受け容れられてるってのも悪くない気分だよね」

 仕事を終えて大阪城の茶室で茶をしばいていると、幸村がいきなりそんなことを口にする。

「どうした急に?」
「拙者も手勢を率いて市中の巡回なんぞしとるわけですよハイ。
したらまあ、警察だったか? やら民草から感謝の気持ちを伝えられたりとかね? そういうのあるのよ」

 紫苑も戦国時代の人間と何人も縁を持っているが、その中でも幸村は付き合い易い部類に入る。
 彼や型破りな信長らは今の時代にもキッチリ適応しているからだ。
 戦国時代は明確な身分差があった。
 今の世は違うと分かっていても他の武将らはどうしても威圧的になってしまう部分がある。
 だが幸村らにはそれが無く、だからこそ一般人でも親しみやすいのだろう。

「菓子なんかを貰ったり、何時も御苦労様です! とか言われるとこそばゆいと言うか……。
拙者らは過去の人間で、既に死んでいる。
今こうやって話をしちゃいるが生きているかと言われると何か違う気しない?
それにさ、拙者は敗北した側の人間であるからして好意的な態度は嬉しくも恥ずかしいのですよ」

 そう語る幸村は嬉しそうだが、何処か悲しそうでもある。
 既に死した身、今この幸福は一時の夢のようなもの。
 いずれは夢から覚めるかもしれない。とはいえじたばた足掻くのもみっともない。
 だからこそ、静かに覚悟を決めているのだが、それでも寂しいものは寂しいのだろう。

「あの日、牢番してしーちゃんに口説かれてなきゃこんな想いをすることもなかった。ありがとね」
「そうか(センチメンタルな野郎とか気持ち悪いだけなんですけど?)」

 じゃあセンチメンタルな女は? そう聞かれたらそれもウザイと答えるのが紫苑だ。
 本当に本当に面倒臭い男である。

「うん」
「それにしても、城主ではないお前が勝手に茶室使って良いのか?
いや、俺も誘われるがままに此処で茶ぁ飲んで菓子食ってるわけだが」
「良いの良いの。茶々様は気にしないし、しーちゃんをもてなすためだったら喜んで許可を出すよ」

 茶々は戦国時代の姫君だ。当然自由恋愛なんてしたことはない。
 が、秀吉と離縁したことや現代に触れたことで意識の改革が起こっていた。
 紫苑を異性として好んでいる――それが幸村の見立てでそれは間違っていない。
 とはいえ懇ろになるつもりもないだろう。気性は荒いが茶々も自分が死人であることを自覚している。
 彼女の恋は忍ぶ恋。報われずとも何かをしたいといういじましい乙女心だ。

「そうかな?」
「そうだよ。しーちゃんは大恩人だからさぁ……その恩恵に預かって拙者も茶ぁ飲めるんだけど」

 目に痛い黄金の茶室。毎日利用したくはないがたまにならば悪くはない。
 そういって幸村はカラカラと笑った。

「つっても普通にジュースとかのが美味いよね。何でこんなもんが流行ってたんだろうね拙者らの時代。
茶器一つで城と同等の価値とか馬鹿じゃね? とんでもない馬鹿じゃね?」
「今の価値観で当時のことを語るのはどうかと思うぞ……まあ、俺も茶器で城がというのはどうかと思うが」
「苦い緑の飲み物入れる器がそんなに偉いかね? 拙者にはよー分からんわ」

 もしも信長がこの場に居れば軽くキレていたかもしれない。
 何せ織田信長も当時の人間の例に漏れず茶器を愛好していたのだから。

「ちなみに現代でもそういう意味が分からんのに価値の高い物とかあったりする?」
「むしろ今の方が多いんじゃないか?」

 ダラダラと益体も無い話をしていると気付けばそれなりの時間が流れていた。
 何時までも大阪城に居ても仕方ないのでそろそろ帰ることを告げて大阪城を後にする。
 そのまま大阪ギルドへ向かったのだが道中では色々と騒がれてしまった。
 勿論、狙い通りだ。チヤホヤされたくてわざわざ徒歩でギルドまで向かったのだから。

「お疲れ様、紫苑くん。今車出すからちょっと待っててくれ」

 ギルドでカマキリに報告をし、これで今日の仕事は終わり。
 彼が用意させた車に乗り込んで帰路につく。

「(戻ったらおやつ食べて昼寝しようかなぁ……)」
『今寝たら起きた時、九時とか十時になっちまうぞ』
「(良いんだよ。明日は特に予定ねえし。やることある時は忙しいけど無い時はガチニートだし)」

 うとうとしていると、気付けば車は地下駐車場に入っていた。
 此処は拠点に通じる道があるギルド所有の駐車場だ。

「ありがとうございます」

 運転手に礼を告げて秘密通路に入り拠点を目指していると……。

「ん?」

 どういうわけか召喚したわけでもないのにダメンギヌスの槍がやって来た。

『槍が鳴いてるな……何かあったのかねえ』
「(拠点襲撃で俺以外の全員が死んでるとか?)」
『天魔以外居ないだろ、出かけてるし。つーかその場合、お前もアジトに入った瞬間死ぬんじゃね?』
「(バッカ、俺は何だかんだで助かる役どころなんだよ)」

 槍を送還し拠点の中に入るが荒らされた様子や血の臭いはしない。
 ロンギヌスが不具合を起こしたのだろうか?
 少しばかり考え込むがすぐに思考を放棄しておやつを食べるべく食堂へ。

「やあ、おかえり紫苑くん」

 紫苑を迎えたのは天魔と、彼からすれば見知らぬ男――ダンテだ。

「ああ、ただいま天魔。ところでそちらの方は……いや待て、どっかで見たことあるぞ」
「あれ? ダンテさんのこと知ってるの?」
「面識は無いが……何処かで……」

 宗教に興味があるわけではないがニュースなどはとりあえずチェックしている紫苑。
 目を閉じて記憶を辿ればすぐにダンテの正体が分かった。

「バチカンの枢機卿、ですよね? 確か名前はダンテ・アルファーノ」
「……知っていたのかね。ああ、そうだ。君の知るダンテで相違無い」

 改まり、頭を下げるダンテに紫苑も礼を返す。
 一体全体、何だってバチカンのお偉いさんが此処に居るのか。
 紫苑は考えて考えてある結論を導き出した。

「(……槍を引き取ってくれるのだろうか? だとしてもタダじゃ渡せねえよなぁ!)」
『うっれしそうだなぁオイ』

 どうして自分に都合の良いことしか考えられないのだろうか。
 というか紫苑の槍がロンギヌスであることは隠しているわけではないが公表もしていないのでダンテが知るわけない。

「バチカンって世界で一番小さい国だよね? 枢機卿っていうのは偉いのかい?」
「大雑把に言うと法皇様のサポートをする大事な役職なんだが……」
「ああ、彼が此処に居る理由? 何か紫苑くんに人生相談があるみたいでさ。
学校の前に居たのを僕が連れて来たんだ。もう一人居るけど……さっきトイレ行ってねえ。
いやぁ、僕が運動後だったから冷たいお茶出したんだけどお腹冷えちゃったのかな?」
「(何勝手に連れ込んでんだよ馬鹿野郎!!)」

 軽率な行動に内心で唾を吐き、ダンテに向き直る。
 自分ではないとはいえ対外的には仲間である天魔が招いた以上無碍な扱いをするわけにはいかないのだ。

「改めて――春風紫苑です」
「ダンテ・アルファーノだ。君に会いに来たのは私事だから私の立場は忘れて欲しい」
「私事、ですか。相談と聞きましたが、何故、俺に?」
「君という人間ならばと思ったからだよ。構わないだろうか?」

 真剣な顔で紫苑を見つめるダンテ。
 この空気で嫌だバーカ、帰れ宗教キ●ガイと罵れるわけがない。

「力になれるかは分かりませんが、御聞きします」
「ありがとう」

 深々と頭を下げるダンテ。彼がどんな相談を持ちかけるのか。
 紫苑はあり得そうな可能性を脳内で列挙していく。

「(……信仰について、かな? 私事って辺りバチカンの現状がどうたらってのはあり得んだろうし。
天使の襲撃なんてものがあったし、それでグラついてんのかねえ……くっだらない)」

 吐き捨てるように哂う紫苑だが宗教自体の有用性は認めている。
 共同体を作る上で民衆を躾けるのにあれほど有用なシステムもそうは無い。
 現代では有用というほどでもないが、人類が未熟だった時期ならば覿面だ。
 共同体を作る上で有能なリーダーが規範を作る。成るほど、それは素晴らしい。

 しかし、有能なリーダーだって何時かは死んでしまう。
 次代のリーダーが有能ならば先代の作った規範も問題なく運用出来る。
 だが、無能ならば? 扱いきれない規範が足を引っ張り重荷になってしまう。
 さあ、そんな無能に御紹介したいのが宗教で御座います。

 人間よりも遥か高次の存在をでっち上げてそれが命ずる規範だから守りましょう。
 今を生きる人間からすれば鼻で笑うようなことかもしれないが、未熟な時期の人類ならばどうだろう?
 嵐や雷といった解明出来ていない人知及ばぬ現象。
 そんなものがある時代ならばすんなり神の存在を刷り込み都合の良い規範を作ることが出来る。

 例え次代のリーダーが無能であろうとも関係は無い。何せ神様の作った法なのだから。
 とはいえ、宗教は便利なだけのシステムではないことも歴史が証明している。
 薬にも毒にもなる、それが宗教。
 そういう意味で紫苑は宗教は認めているのだが信者からすれば噴飯ものだろう。

「君も知っていると思うが、バチカンは天使の襲撃を受けた」
「……」

 変に痛ましい事件でしたなどとは言わずに神妙に頷く。
 言葉が軽くなるようなタイミングでは決して口を開かないのがこの男のやり口である。

「これは緘口令が敷かれているため知らぬ事実だろうが……奇襲を受けたわけではない」
「ん? ちょっと待ってよダンテさん。襲撃のタイミングが分かってたのかい?」

 大抵の場合――というか殆どそうだが、モンスターの大規模襲撃は突然だ。
 突然孔が出現してそこから雪崩のように攻めて来る。

「いや、正確にはこれから襲撃しますと言ってから攻撃を仕掛けて来たのだよ」
「その襲撃の宣告をしたのは一体誰なんです?」

 そう口にしながらもダンテの訪問と合わせれば予想は着く。
 信仰の揺らぎが相談内容と仮定した上で、何故バチカン襲撃について話し始めたのか。
 しっくり来る繋げ方をするならば答えは一つしかない。

「君ならば、分かるんじゃないか?」
「……ええ、まあ、予想はつきますが」

 言い淀む紫苑にダンテは苦笑する。

「気を遣わせてしまったか。その予想が間違いならば我々への侮辱になるかもと」

 ダンテは天魔との語らいを思い出す。
 葛藤を捨てて効率的な手ばかりを打つかもしれない紫苑の片鱗をここに見た。
 彼は宣告者の正体を看破している。
 バチカンを襲撃する上で奇襲するよりも効果的な打撃を与えられる存在に思い至っている。
 心を圧し折り殲滅をスムーズにするにはどうすれば良いかが分かっているのだ。
 そのことに少しばかりの恐ろしさと、
葛藤を捨てられないがゆえに自己嫌悪を抱いているであろう紫苑に哀れみを覚える。

「私の口から言うのが筋だな。宣告をして来たのはアークエンジェル――――大天使だよ」
「となると四……いや、三ですか? そちら的には」

 大天使とは大雑把に言えば雑魚天使達の上に立つ偉い天使だ。
 宗派によってその括りが異なり非常にややこしいが、カトリックにおいて大天使と呼ばれる者は三名。
 紫苑も特別詳しいわけではないが触りくらいならば知っている。

「ああ。ミカエル様、ガブリエル様、ラファエル様の御三方だよ」

 未だに"様"とつけてしまう己に自嘲しているのか、ダンテの口元は皮肉げに歪められている。
 やはり自分の見立ては間違っていないらしいと紫苑は確信を得た。

「我々が仰ぐのは神の子、そして父なる神だが……彼の大天使らに畏敬を抱いていないわけではない。
彼の三者から直々にお前達を滅ぼすと言われた。ハッキリ言って、多くの信徒の心が折れた。
私はそれでも皆を護らんとあの時は必死で応戦の準備を整えたが……内心はボロボロだったよ」

 そう語るダンテの声には力が無い。
 熱心な信徒であればあるほどに大天使らの裁定にショックを受けてしまう。

「……それ、今更じゃないの? 元旦の時だってすんごいビジュアルの偉そうな天使が敵対宣言してたじゃん」

 自分が信仰する宗教の偉い奴がお前ら全員ぶっ殺すと言った。
 確かにそれはショックだろう、だが元旦のことを考えるに今更では? 天魔の疑問も尤もである。

『そりゃちょいと違うぜ天魔』

 疑問に答えたのはカス蛇だった。
 カトリック、ひいては神や天使に縁の深いカッスだからこそ分かり易く説明してくれるだろう。

「何が違うの?」
『俺様らからすりゃあ、天使は天使でそのまんま全員同じなんだが人の宗教は複雑でな。
メタトロンは俺様が出演してる旧約聖書でも直接の記述はなく、曖昧なんだよ』

 出演しているという言い方は如何なものだろうか?

『分派の中には認めてるとこもあるが、
このダンテが所属するカトリックにおいて奴は大天使に数えられてはいない。
だから人間は言い訳が出来る、自分にな。我らが信仰の対象ではないからぁ……ってなぁ』

 ケラケラと笑うカス蛇に対するリアクションはそれぞれ違った。
 ちょっとお前それどうなんだ? という嘘の表情を作る紫苑。
 へえ、成るほどねえと感心顔の天魔。
 そして色々な意味でカス蛇に対して複雑な感情を抱いているダンテ。

「……知ってはいたが、改めて目に……いや、耳にすると戸惑うな」

 紫苑の右手を見つめるダンテ。
 手の甲に刻印されている蛇の顔は何処か哂っているようで、それがまたとても不快だった。

「すいませんダンテさん。どうにもこの蛇は口が悪くて……(煽りおるわw良いぞ、もっとやれ!)」
『(煽ってるつもりは無いんだがなぁ)』
「いや、気にしないでくれ。寄生されているだけの君にあれこれ言うのはお門違いだ」

 カス蛇――聖書の蛇。人間に原罪を背負わせた悪しき存在。
 人類が親殺しをする羽目になったのも、ある意味彼のせいだと言える。
 だが同時に、幻想回帰を起こす以前の発展はこの蛇無くしてはあり得ない。
 それもまた純然たる事実なのだが、信徒的には肯定し難い存在でもある。

「聖書の蛇、君の言う通りだ。我らは心に棚を作っていたのだろう」
『おや存外素直じゃねえか。十字軍ヒャッハーしてたとこの所属とは思えんな』
「(宗教戦争大好きー!!)」

 右の頬を殴られても左の頬を差し出さない屑コンビは煽りからして違う。

「カス蛇、話の腰を折るな。ダンテさんに失礼だろう
(面白いけどとっとと帰って欲しいから話進めなきゃいけねーんだよ)」
『あいあい。わーったよ。っとに真面目ちゃんだねえ』
「ダンテさん、続きを」
「ああ」

 すぅ、と息を吸い込み長い時間をかけてそれを吐き出す。
 言葉にするだけでもダンテにとっては辛いのだろう。

「大天使様達はこう仰られた――――"これは試練でも何でもない、悪しき者を殲滅する我らにとっての聖戦だ"と」

 信徒にとってその言葉はさぞやキツイものだったはずだ。
 試練というのならば耐えられた。神が課せられた聖なる試練ならば。
 その結果、死したとしてもそれは殉教。納得出来る終わり方になった。
 だが試練でも何でもない、人間にとっては一方的な殺戮宣言でしかない。

「信仰に殉ずることすら出来ない、目の前が真っ暗になった。
多くの者が膝を折ったよ。それでも、私は目の前で失われる命を放って置けないと思った。
だから一旦総てを棚上げにして目の前の戦いに全霊を尽くしたんだ」

 バチカンには信徒だけではなくギルドの職員が居たからこそアレクを呼べて、小細工まですることが出来た。
 しかし、それらが無ければ間違いなくバチカンは陥落していたはずだ。
 それほどまでにバチカン側の士気は落ち込んでいた。
 その中で奮闘したダンテの苦労は如何ほどのものか。
 自身もまた敬虔な信徒である彼にとっては筆舌に尽くせぬ激闘だったはずだ。

「終わった後、私は部下を率いて怪我人の手当てに当たった。
外からも増援は来てくれたが、負傷者は多く人手が足りなかったのでね」

 まだそんなに時間が経っていないこともあるが、この先何十年と生きても忘れることはないだろう。
 負傷者の手当てをして街を駆け回っている時に見た人々の目。
 絶望――その一言だけでこと足りる。
 信じていたものに見捨てられ、寄る辺を無くした哀れな子羊。

「誰もが、誰もが悲しい目をしていた……ああ、もしかしたら私も同じ目をしていたのかもしれない」

 縋るものが無くなれば人間というのは容易く折れてしまう。
 何かに縋らずに生きていける強い人間も居るだろうが、それは少数派だ。
 多くの者は何かしら心の中に柱となるものを持っている。
 バチカン襲撃は信仰を寄る辺とする者らから総てを奪った。

「――――私は己のアイデンティティーを見失った」

 何を寄る辺に立てば良いのか分からない。
 何も分からなくて、呼吸をすることすら厳しい。
 世界がこんなにも重くて苦しいものだなんて思いもしなかった。
 ダンテの苦悩が滲み出し、場の空気が重量を増していく。

「私の父母も敬虔な信徒で、私は幼い頃から疑いもせずに神の教えを信じ、遵守して生きて来た。
だが……信じる者は救われる、だが、救いを齎す立場の方々に手を払われてしまった」

 その悩みを抱えているのは何もダンテだけではない。
 同じ信徒や、別の宗教を信じている者らもそれぞれ同じ苦しみを抱いているはずだ。
 彼もそれは分かっている。だが、他人が苦しんでいるとしても何も出来ない。
 何せ自身も苦しんでいてどうすれば良いか分からないのだから。

「何というか、重い悩みだねえ……」

 だが共感出来るかといえばそれはまた別の話だ。
 日本人は宗教観が薄い。夏にはお盆をするし、冬にはクリスマスを祝って初詣にも行く。
 信仰を持つ者が居ないわけでもないが、大多数の人間は今の天魔と同じくダンテの悩みを共有出来ない。

「分からない、分からないんだ。どうすれば良い……?」

 自殺はカトリック的にアウト。出来るわけがない。
 信仰を捨てる? 簡単に捨てられるぐらいならばここまで悩むものか。

「悩んでいても時間は止まらない。私は私の職責を果たしていた。
だが、心の闇は拭えない。不安になった私は敬愛する父母を訪ねたよ」

 縋るような思いだった。自分を立派に育て上げてくれた年老いた父母。
 優しさと厳しさを併せ持つ立派な大人。
 父母ように在りたいと日頃から努力していたダンテだからこそ、両親に救いを求めた。
 だが、

「……両親は壊れていた。震える手で自らの喉元に刃を突き立てようとしていた。
正しくない自分達が生きていること、それ自体が罪なのだと言ってね」

 自殺を試みようとしている両親を見て、ダンテはわけも分からず叫びたかった。
 だが彼の克己心はそれを赦さない。ダンテは両親を落ち着かせて精神病院への入院の手配を取った。
 結局、彼の悩みは宙ぶらりんになったまま。

「私はバチカンにおいて枢機卿の役目を担うと同時に、騎士達を束ねる立場でもある。
だが、このままでは真っ当に職責を果たせるとも思えない。
己の立ち位置すら定かではなく、フワフワと宙に浮いているような男がどうして他人の命を預かれる?
……だから、無理を言って休暇を取り、君に会いに来たのだ」
「(来 る な よ)」

 冷たい感想だが、それも已む無しだ。
 何だって面識の一つも無い赤の他人の悩みに答えてやらねばならないのか。
 相談を受けてこちらに何か得があるのか? 醒めた人間である紫苑からすれば今の状況には嫌悪しか浮かんで来ない。

「(大の大人が子供に縋りつくなよ駆け込み寺じゃねえんだぞ俺は?
つーか悩みごとを聞くのはテメェらの役目だろうが、そんなだから信仰なんぞに縋らなきゃ生きてけねえんだ。
こんな軟弱者のために俺の貴重な時間を割くなんて考えるだけで眩暈がするわ塩を撒け!!)」

 おやつ食って昼寝するぐらいしか予定なかっただろうが。

「何故、君はそんなにも強く居られるんだ?」

 メタトロンとの対峙からずっとそう思っていた。
 あそこまで堂々と人であることを誇り、己の矜持がために命を懸けられるその姿から見える絶対的な強さ。
 それは一体何を寄る辺にしているのか。

「希望を信じていたい、明日は明るいと信じていたい――――君はそう言った、何故、信じられるんだ?」

 神にすら見捨てられた人間にどうして希望があると謳えるのか。

「……まず、俺は日本人で、宗教観が薄い。だからダンテさんの苦しみを完全に理解することは出来ない」

 その上で自分なりの言葉を述べさせてもらう――紫苑の言葉にダンテは重い頷きを返した。

「俺の周りに居る仲間達は……そりゃ無欠の善人ってわけじゃあない。
それでも良いところを沢山知っている。素晴らしい人間だと知っている。
メタトロンにも言ったけど、俺は一部分だけを見て人間に見切りをつけられない。
そんな人達と時間を共有し、共に笑い合えることが出来る……幸せじゃないですか」

 紫苑は天魔らと出会ったことを不幸だと思っているし、糞みたいな奴らだと常時唾を吐いている。
 それでもこんな風に情感たっぷりに言葉にされてしまったら嘘を見破れるわけがない。

「腐った人間は多い、だけどそれだけじゃない。悪い部分が目に付き易いだけなんだ。
そこばかりに目を取られて絶望するのは違うでしょう?
汚泥の中に輝くものがあって、それも人間ならば他の人間にも希望が持てる。
間違え続けながらも少しずつ過ちを正して何時の日か本当の意味で自分以外の誰かに優しくなれる日が来る。
青臭い希望論だけど、希望がなきゃ人は生きていけない。希望が俺達の足を動かす原動力なんだ」

 だから信じる。信じることを止めてしまえば本当に可能性を潰えてしまう。
 例えか細くても信じている限り可能性は消えない。
 だったらそれに向けて足掻けば良いじゃないか――言葉の綺麗さだけは本当に凄い。
 言葉と同じくその心根も綺麗になれば良いのだが、そんな日は永劫やって来ないだろう。

「希望こそが、原動力」

 無明だからと目を閉じてしまえば本当の真っ暗闇になってしまう。
 目を開けていれば微かな光を掴めるかもしれないのに。
 ダンテは紫苑の言葉を噛み締めるようになぞっていく。

「(つーか、コイツ……結局自分の中で答え出てるんだろ?
誰かに言って欲しいだけだろ、それは俺じゃなくても良いだろうに面倒な奴だよ死ねば良い)」

 紫苑よりも歳を重ねていて、尚且つ強い心の持ち主なのだ。
 結局のところどうしたいかという答えは自分の中に持っているはず。
 ただ、誰かに背中を押してもらいたいからダンテは紫苑に会いに来た。
 だが、性質の悪いことにダンテ自身は気付いていない。無自覚ほど厄介なものはない。

「あなたはこう言った――――"私は目の前で失われる命を放って置けないと思った"ってね。
同時に、救うために全霊で戦ったとも。自身の根幹を成す信仰。
それを薙ぎ払われても尚、残ったものがある。それは当たり前の善性」
「それは……」
「俺はその善性が信仰に劣るものだとは決して思わない」

 戸惑うダンテ、だが紫苑は口を休めない。
 既に言葉の魔弾はリロードされており何時でも発射出来る状態になっている。

「なあダンテさん、例えばそうだな……」

 例え話は既に思いついている、わざとタメを作る辺りが鬱陶しい。

「攻めて来るモンスターから一人で街を護った男が居る。
そしてその街の中には幼い妹をイジメッ子から護るためにボロボロになった男の子が居る。
あなたはその二人に優劣をつけるのか? 君は偉いけど彼には劣るねと哂うのか?」

 多くの命を救った前者、たった一人の女の子の心と身体を護った後者。
 成したことの大小はあるだろう。
 だがその想いに優劣をつけられるか? つけて良いものなのか?

「――――どちらも等しく貴いんだ」

 どちらも等しくくだらない、馬鹿の所業だと例え話を作った本人は思っている。

「想いに貴賎をつけるのは何時だって自分だ。
自分の想いに自信が無くて、誰かと比べて劣るだとかそう決め付けてしまう。
胸を張れなくなって、何時の日か大事だったものを捨てちまうんだ」

 それは宝石に泥を塗って価値を貶めるようなものだ。
 ダンテ・アルファーノはそんな人間なのか? 紫苑の目はそう問い掛けていた。

「……そうだな。ああ、分かっていた。ただ、誰かに背を押してもらいたかったのかもしれない」
「(だろうな! 知ってるよ、そういうリアクションも予想済みだよマジウゼエ!)」
「ありがとう春風紫苑くん、やはり日本に来て良かった」

 ダンテの顔にもう憂いは無い。
 茨と薊の道を歩み続けて行こうという決意だけが満ちている。

「信仰は死んだ、だが教えを護る中で得たものはまだ生きている。
友や家族、人生という巡礼の旅の中で得た宝はまだこの手にあるのだ。
嗚呼――――私は私に出来る精一杯を尽くして、これからも生きていこう」

 Dum spiro,spero――息をする限り希望を持つ。
 生きている限り希望は死なず、ダンテは一つの悟りを得た。
 ありきたりな言葉かもしれないが真の意味でそれを得るのは容易くは無い。

「ありがとう、本当にありがとう」
「いや、力になれたのならば幸いです」
「……なあ、これを受け取ってくれないか?」

 首から下げていたロザリオを外し、紫苑に手渡す。
 かなり上等な一品で、屑はそこに金の臭いを嗅ぎ取った。

「一つの決意の証として、君にこれを貰って欲しい」
「……分かりました。ありがたく受け取ります」

 首にかけるアクセサリーという意味ではチェーンに通した指輪が既にあるので着けることはないだろう。
 紫苑はダンテが死んでから上手いこと売り出そうと決めてロザリオを懐に仕舞う。

「君にも礼を言わせてくれ天魔。私と彼を引き合わせてくれてありがとう」
「良いさ、別に。すっきりして何よりだよ。それよりルキアさんは大丈夫なのかな?」
「む、そういえば……お腹を壊したのだろうか?」
「(ルキア……? ああ、もう一人の同行者か)」

 と、噂をすれば影。ルキアが食堂に戻って来る。

「おやボス、晴れやかな顔ですね。悩みは取れましたか?」
「ああ、それより調子は大丈夫か?」
「ええ、私は私でスッキリしました」
「女性が下品なことを言うものじゃない。ああ、そうだ。紫苑、彼女は私の部下のルキア・ファーゼルだ」
「どうも、ルキアです」

 ペコリと頭を下げたルキアに紫苑もお辞儀を返すのだが……。

「! またか。一体どうしたんだ?」

 再び聖槍が呼んでもいないのに召喚されて紫苑の手に収まる。
 槍はどういうわけか激しく発光しており四色の光がうねりを上げていた。

『……なあオイ、カーディナル。ちょっと質問良いか?』
「何だね?」

 誰よりも早く気付いたのはカス蛇だった。
 次いで彼の口から飛び出した発言にダンテは甚大なる衝撃を受けることになる。

『――――何だっておたくの教義的にアウトな魔王を部下にしてんの?』
+注意+
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