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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

146/204

逆鬼雲母 終

「……何もかもあの時のままねえ

 少しくたびれたセーラー服に卸し立ての黒のニーハイソックスにお気に入りのブーツ。
 胸元を摘み上げて見ればグレイのスポーツブラ、下も揃いのものだろう。
 後は旅行鞄があれば故郷を飛び出した時の格好そのままだ。
 旅行鞄には何を詰めていたか? ああそうそう。
 預金通帳と印鑑、しばらくの着替えにお気に入りの少女漫画だ。

 駆け落ちして故郷を飛び出すのにどうして少女漫画なんかを持って行ったのか。
 当時の己を思い出して雲母の顔に苦笑が浮かぶ。
 そういえばもう一つ欠けているものがあった。
 今はもう名前も顔もあやふやだけどかつて好きになった男の子の姿も無い。

 恋をして子供まで宿したのに今では記憶すら定かではない。
 やはりあれは麻疹のようなものだったのだろう。
 本当に好きではなかったのだ、お互いに。シチュエーションに浮かされて踊り狂っただけ。
 だから彼は逃げたし自分は置いて行かれた。

 雲母はかつての恋人に対して怨みを抱いていない。
 何度も言うようにお互いに子供だったからだ。一方を責めるのは酷だろう。
 今何処で何をしているのか、ひょっとしたら元旦のあれか別の事件で死んでいるかも。
 どちらにしろ未来永劫交わることのない人物だ。考えてもしょうがない。

 ただ、こんな格好をしているとどうしても昔のことを思い出してしまう。
 まあそこから一歩踏み出すための戦いなのでしょうがないといえばしょうがないのだが。
 雲母は戦闘に集中することもなく、つらつらと考えごとをしながらも――――鬼子母神を圧倒していた。
 若返ったとはいえ戦闘経験はそのままに肉体のスペックは倍以上。
 気力体力共に充実した状態なのだ、こうなるも当然である。

「ヒュー! すんごいじゃん雲母さん」
「あの時よりも強い、かも? まあやれば今度こそ私が勝つけど」

 そんな暢気な感想を漏らす二人にルドルフと麻衣が同時に頬をヒクつかせる。

「いや、そこか? まずツッコムべきところがあると私は思うのだが……」
「せや! いきなり若返ったんやで!?」

 実に常識的はリアクションである。
 アンチエイジングしやがった! とかすごいねーなんて小学生並の感想とは大違いの真っ当さ。

「今更でしょ。このクソガキなんて泥の塊で凶悪なドラゴン造ったりするんだよ?」
「そうね。ここの天魔お姉さんなんて触れられただけで機能が消失するような意味の分からない能力持ってるんだし」
「あ?」
「やるのかしら?」

 鬼子母神と雲母の戦いには紫苑の命が懸かっている。
 それでも天魔とアリスはこんな風にメンチを切り合える余裕があるのは何故か。
 単純に雲母を信じているからに他ならない。
 薄々そうじゃないかとは思っていたが、先ほどの若返りで確信した。
 ああこの人紫苑のことを女として求めているんだ――と。

 それ自体はライバルというか邪魔者が増えるので嬉しくはない。
 だが、同じ男に心底惚れ込んでいる女が神如きに負けるわけがないとも思っている。
 だからこそこうやって暢気に観戦していられるのだ。
 ここら辺はメンヘラーズで無ければ理解し難い思考だろう。

『にしても、つくづくお前の周りに居る人間は面白いなぁオイ』

 喪失への恐怖がほんの少し前までの雲母を純化へと至らせていた。
 だが今は違う、自分の立ち位置を正確に把握している。
 逆鬼雲母という人間は馬鹿なのだとしっかり理解している、理解した上で――――開き直った。
 自分は馬鹿なのにあれこれ考えるからドツボに嵌まるのだと。

 本当に大切な紫苑だけを見て一直線に駆け続ければ良いんだ! 開き直った馬鹿は強い。
 馬鹿は馬鹿だが本当の馬鹿は何を取り零しても本当に大切な一つだけはガンとして離さないのだから。
 喪失の恐怖は既に無く――というより考えられず、あるのは惚れた男だけを見つめてひたむきに駆け続ける意思のみ。
 それが新たな純化の形となったのだ。若返ったのは副次効果のようなもの。
 スタート地点からやり直して走るという意思に呼応して一番愚かだった頃に回帰しただけで二度と若返ることは無いだろう。

「(ぐぬぬ……! 何だか晴れ晴れとした顔しやがって気に入らねえ……!!)」

 何時も通りに舌で嬲ってフォローをして吹っ切れただけだ。
 何度繰り返しても反省しないとはまるで鳥頭である。

「(何でさぁ、打ちのめされてから甘い言葉を吐けば更に強くなるわけ!?)」

 漫画やアニメじゃあるまいし人の心は強くないし醜いのだ。
 正論が人を傷付けた後でどれだけ優しい言葉をかけても本質的に意味は無いというのが紫苑の持論だった。

『そりゃお前が打ちのめす相手が優れた人間だからだろうよ』

 紫苑の持論もあながち間違いではない。
 凡愚ならば紫苑の優しい言葉で表面上は持ち直すが心の澱消えないだろう。
 そうして鬱々と自己嫌悪を抱えたまま生きて行く。
 が、優れた人間であれば立ち直って先へ往ける――そういう人間をこそ英雄と呼ぶ。

 そして紫苑は凡愚には好感を抱くが優れた人間には嫌悪を抱く。
 抱くがゆえに正論責めでイジメたりするのだが、それが結果として覚醒を招いてしまう。
 言うなれば自縄自縛。紫苑は本当にもう救いようのない馬鹿なのだ。
 それも雲母のように認めて開き直ることが出来ず、何が何でも認めない頑固な糞馬鹿である。

「嗚呼、身体が軽い」

 紫苑がメラメラ不満を燃やしているのを他所に戦いは加速する。
 鬼子母神が繰り出す炎、風、水などの自然に基づく力の奔流を刃一本で切り裂きながら踊る雲母。

「ぐぅぅうううううううううう……!!」

 接近戦に持ち込まれた鬼子母神は両手のニ剣で対応するがまったく追い付かない。
 一刀しか持っていない雲母の斬撃の方が速いのだ。
 残像を残しながら四方八方から斬り付ける彼女の速度域は尋常ではない。
 手数で追い付けないならば威力で、鬼子母神としてもそうしたいだろうが単純に当たらない。
 当たらなければどんな威力を秘めた一撃であろうとも意味は無く闘争の天秤が雲母に傾いていく。

「ねえ鬼子母神」

 躱しざまに腹部を斬り裂く。

「改めて言うわ」

 背後からその背中を斬り付ける。

「ありがとう」

 側面に回り込み脇腹から反対側の肩目掛けて斜めに刃を突き刺す。

「あなたのおかげで私、生きている」

 突き刺た太刀の柄を思いっ切りぶん殴って刃を貫通させる。

「生きているし、こうして成長出来た」

 鬼子母神の身体から発射されて上空に打ち上がった太刀を先回りして受け止める。

「ほざけぇええええええええええええええええええええええええええ!!」

 宙に舞い上がった雲母に攻撃を仕掛けるべく鬼子母神が雲母に身体を向ける。
 見下ろす雲母と見上げる鬼子母神、両者の視線が交わった。

「ありがたいと思っているのよ」

 空中から大上段の振り下ろし、迎え撃つは渾身の斬り上げ。

「――――だから死んで」

 雲母の一撃は敵の刃諸共に脳天から股までを切り裂いた。

「が……!?」

 音も無く着地した雲母は真っ二つになった鬼子母神目掛けて横薙ぎの一刀を繰り出す。
 四つの部品に変じた鬼子母神だが、雲母はこれで終わらせるつもりはない。
 念には念を入れて更に刃を振るう。超速の斬撃はあっという間に四つを無数に変えてしまった。
 もはやミンチとしかいえないような状態の鬼子母神を見て、ようやく刃を鞘へと戻す。

「……終わったわ」

 阿修羅を倒し、自らを生かした鬼子母神にお前とは交われないと伝えられた。
 これで過去の清算は終わり。マイナスはようやく零へと回帰した。

「……」

 脱力感、達成感、諸々の感情が胸を渦巻き言葉が出なくなる。
 黙って空を見上げる雲母に誰も声をかけることは出来なかった。
 こんな時、どういう言葉をかければ良いか分からないのだ。

『お前は何か良い感じのこと言わんの?』
「(こういう場面では何も言わないのが正解なんだよ)」

 可愛くないガキだ。

「あら?」

 沈黙を打ち破ったのは四つの光だった。
 ルドルフの身体から出て来た光が雲母に纏わり付く。

「これは……」

 雲母の疑問に答えるように四つの光――霊魂が最後の力を振り絞る。
 徐々に形を成していくそれは……。

「う、嘘……」

 現れたのは四人の妙齢の女性。見上げる雲母の瞳には涙が浮かんでいた。
 この場所で死んだ掛け替えのない友人達。
 どうして? これは幻? 混乱する雲母を友人達は優しく抱き締めた。
 感じる温もりは人のそれではない、だが何とも心が癒される。
 肉体を失った彼女らにあるのは友を想う優しい気持ちのみ。
 その友愛の情が温もりを齎しているのだ。

「ゆっこちゃん、ちぃちゃん、はなちゃん、あっちゃん……!!」

 言葉を話せるほどに強い魂は無い。
 それでも彼女らと雲母の絆が触れ合うだけでその想いを伝えてくれる。
 ずっと、ずっと此処に居たのだ。殺された無念もあるが、それ以上に一人残されてしまった友達が心配で。
 壊れてしまった友達のことが気がかりで、ずっとずっと、此処から動けずに居た。

「わ、た、し……わたし……!」

 胸がいっぱいで言葉に出来ない。
 申し訳なさ、嬉しさ、綯い交ぜとなった感情はしっかり友人達にも伝わっていた。
 頑張ったね、仇を討ってくれてありがとう、感謝の感情が雲母に染み渡っていく。

「ちがう! あ、ありがとうっていうなら……わたし、わたしも!」

 沢山のごめんなさいと沢山のありがとうを伝えたい。
 子を喪って自暴自棄になり、やがて訪れる破滅を待つ身だった自分に寄り添ってくれた。
 楽しい思い出をくれた、こんな自分と友達で居てくれた、万の感謝でも足りないぐらいだ。

「あ……」

 阿修羅は討たれ、雲母も新たな道を歩み出した。もう心残りは無い。
 霊魂は更に希薄になっていく……消えてしまうのだ。
 雲母はそれが分かったからこそ、伝えるべき言葉を精一杯の想いを込めて言の葉に乗せる。

「――――ありがとう、私、生きる、皆の分まで、それで、幸せになるからぁ!!!!」

 友人達はその言葉を聞き、満足そうに微笑む。
 そして紫苑に向かって深々と頭を下げる――どうか私達の大切な友達をよろしく御願いします、と。

「……ああ、任せてくれ」

 紫苑が涙を滲ませながら力強く彼女らに返事を返す。
 すると、涙を流して、それでも笑顔のまま四つの霊魂は完全に消滅した。
 降り注ぐ魂の残滓は夏の雪のように淡く、触れた瞬間から溶けていく。

「~~ッッ!」

 雲母は俯き、涙を堪え、天に向かって飛びっきりの笑顔を見せる。
 大切な友達を見送るのだから湿っぽい涙なんていらない。
 幸せになると誓ったのだから笑顔でなければ嘘だ。

「さようなら」

 逆鬼雲母の止まった時間は本当の意味で、今日この日、動き出した。
 多くの悲しみと痛みを乗り越えた彼女は此処でもう一度生まれたのだ。

「紫苑ちゃん、皆、心配かけてごめんなさい。そしてありがとう。さあ、帰りま……しょ……う……?」

 笑顔のまま顔から地面に倒れ伏す雲母。
 ギョっとした一同が駆け寄ると彼女は完全に意識を失っていた。

「神と二連戦だったわけだし、疲労困憊になるのも無理ないよね」

 ペチペチと天魔が頬を叩くが苦しそうな顔をするだけ。
 命に別状は無いのは確かだろうが、このまま放置はマズイだろう。

『そりゃ違うな。気力体力は充実してるはずだ。
ただまあ、急激に身体が若返るなんてやらかしたから歪みが出たんだろうて。
命の心配は無いが……まあ、ゆっくり出来るところで休ませてやりな』

 発声を切り替えてカス蛇が解説を入れる。
 確かに若返りなんて非常識なことをやらかしたのだからそれなりのしっぺ返しは来るだろう。

「……頼まれたからな」

 誰かに言われるより先に動く方が印象は良い。
 紫苑はハンカチで顔の泥を拭い雲母を背中におぶる。

「皆、帰ろう」

 ルドルフと天魔、アリスが周囲の警戒をしつつ転移地点を目指す。
 道中は皆、無言だった。仲間の喪失と、そこからの復帰。
 雲母達が見せたものはまだ歳若い彼らには大きな衝撃だった。
 各自で考えることもあるのだろう――尚、紫苑は除く。
 その後、特に敵と出会うこともなく転移地点に戻った六人はそのままギルドへと転移する。
 転移室には出掛けに居た職員が詰めており、全員が紫苑らの帰還を待っていたようだ。

「全員無事に戻ったか! 良かっ……た……?」

 帰還報告を受けたカマキリが部屋の中に飛び込んで来て喜色を露にするが、
紫苑の背に居る見覚えのある、それでも見たことがない少女を見てどんどん困惑顔へと変わっていく。

「き、君の背に居るのはひょっとして……」
「雲母さんです。まあ事情は後で説明しますので、医務室か何処かへ案内してくれませんか?」
「! 分かった」

 背に居る雲母が消耗していることに気付いたカマキリは即座に紫苑の願いを聞き入れ医務室へと先導する。
 部屋数は少ないもののギルド内部にも病院のそれと遜色ない病室が幾つかあり、その中の一つに雲母を運び込む。

「っしょっと……」

 そっと雲母をベッドに横たえてから部屋を出ようとする紫苑だったが、

『行かないでって言ってるみたいだぜ』

 ベッドを離れる寸前に、左手を掴まれてしまい動けなくなる。
 勿論雲母に意識は無いのでこれは無意識の行動だ。
 左は義肢なので外して離れることも出来るのだがキャラ的にそれは出来ない。

「……皆、鎌田さんへの事情説明を頼む。俺はもうしばらく付き添っているよ」
「思うところがないでもないけど、良いわ、今日ぐらいは譲ってあげる」
「じゃあ僕らは出るからまたね」
「雲母さんが目ぇ覚めたら連絡してや」
「ではな」

 四人が出て行き残されたのは雲母と紫苑と看護師だけ。
 その看護師も雲母に点滴を繋げるとお大事にと告げて出て行った。

「(はぁ……ホント何時も損な役回りだ。善人ばかりが損をする世の中に物申したいね俺は)」
『善……人……?』

 独り言のようなぼやきにも律儀に反応するカッス。そのリアクションは正解である。

「(何か?)」
『いや別に。それにしても、やるもんだなぁオイ』
「(何が?)」
『雲母だよ雲母。何が驚いたって若返る前の不安定な状態ですら阿修羅を倒し得たってことだ』

 紫苑の周りに居る純化を果たした面子は単独でもそこそこの神ぐらいならば倒せるだろう。
 が、それでも阿修羅とアンチエイジングする前の雲母では割と分が悪い。
 阿修羅の慢心があったとしても、スペックの差を埋めたのは雲母の頑張りだ。
 カス蛇はそこを高く評価していた。

『どんな立ち回りをしたのかは知らんが純粋に凄いと思うぜ』

 潜り抜けた修羅場が齎した経験値、分の悪い賭けを実行する勇気と覚悟。
 逆鬼雲母という冒険者の能力は賞賛されるべき代物だ。

「(ケッ、面白くねえなぁオイ)」
『ま、お前にとっちゃそうだろうなぁ』

 自分が褒められるのは好きだが貶されるのは反吐が出るほど嫌。
 他人が褒められるのは反吐が出るほど嫌だが貶されるのは大好き。
 カス蛇も紫苑のそんな糞面倒で屑い性格を知っているが、それでも尚、思わず褒めてしまうほどに雲母は素晴らしかった。

『だが事実は事実だ』

 評価すべき点はしっかりすべきだろう。
 先に挙げたところもそうだが相手の領域で戦ったこと。
 人間の領域に引きずり込んでならばともかく幻想の領域で戦って勝利する。
 そこもカッス先生としては評価するべきポイントだ。

「(へーふーんーあーそー?)」
『心底興味なさげだなぁ』
「(実際どうでも良いってか不快だもん)」

 フリーの右手を使って携帯を操作する。
 カッスとお喋りをしているだけでは暇が潰せないのだ。

「(ゲヘヘヘ……)」
『うわぁ、すんげえ俗さと下衆さが滲み出た笑い声だぁ』

 紫苑が見ているのは自分の評判だ。
 ネットで春風紫苑と打ち込めば幾らでも高評価が出て来る。
 雲母が褒められているのを面白くないと思ったから自尊心を満たすためにネットを開いたのだが、すぐに機嫌は直った。
 何とも単純な男である、いやホントに。

「(いやぁ、やっぱ俺すげくね?)」

 古くからあるネットの百科事典にもページが作られておりその功績がこと細かに記載されている。
 実際、やらかしたことだけを考えれば歴史上の偉人にも負けぬ功績なので不思議は無い。
 しかも多くの偉人がそれなりの年齢になってから偉業を成したのに比べて紫苑の場合は二十にもなっていない。

『表舞台に出たのが京都のアレで、まだ一年も経ってねえのにこれだけやらかせばなぁ』

 京都大虐殺を行った酒呑童子の討伐から幻想回帰においての誰よりも早い宣戦布告。
 フランスはパリにおける英雄ジャンヌ・ダルクの救済に豊臣&徳川攻略。
 一番新しい事件であるイザナミの裁定についても微に入り細を穿って説明されている。
 最も偉大な日本人という評価に表面上はともかく、腹の中では大歓喜。

「(そうだよなそうだよな。織田信長でも徳川家康でも豊臣秀吉でも坂本竜馬でも伊藤博文でも無理だ。
イザナミの裁定を乗り越えて可能性を継続させることが出来たのはこの俺!
日本人はちょっと一人一万円ずつくらい俺に払うべきだよな。大恩人なわけだし!)」

 恩があるのは確かだがこんな屑に素直に金を払うのは何か嫌だ。

「(フヘヘへ!)」

 上機嫌のまま今度は匿名掲示板を覗く紫苑。
 そこでも春風紫苑は話題の的であり美辞麗句で埋め尽くされている。
 勿論否定意見もあるが、それらは大体この一言で覆すことが出来る――――じゃあお前に同じことが出来るの?
 直接戦闘を行った酒呑童子はともかく、それら以外では基本的に紫苑は雑魚のまま。
 一般人よりちょっと腕っ節が強い程度の人間だ。
 ゆえに一般人でも紫苑と同じスタートラインに立つことは出来る。

 その上で彼と同じようにジャンヌ・ダルクの痛みを看破し業火の中で抱擁出来るか?
 真田幸村を口先で踊らせて豊臣総大将である茶々を言葉で篭絡出来るか?
 徳川家康を謀るために本気で腹を切ることが出来るか?
 身を苛む腐食の中でも心を折らずに這ってでも進み続けて正しい答えを出せるか?
 そんなの無理に決まっている。そこまで人間は強くない。

 少なくとも日本人という人種が紫苑を非難するのは不可能だろう。
 日本人という人種が未来への可能性を手に入れられたのは代表者たる紫苑が居たから。
 紫苑がイザナミという神の本質を看破しその上で正しく振舞ったから。
 だがまあ、他国の人間に関しては文句を言うことぐらいは出来るが。

 何故それだけの偉業を成しながら自分達を助けてくれない、と。
 それは餌を待つ家畜の如き言葉だが人間というのは元来そういうものだ。
 実際、他国から見れば日常を取り戻し始めている日本は目障りだろう。
 自分達が辛い想いをしているのにどうして? と思うのが当然だ。

『そろそろ国外での活動も増えそうだな』
「(……良い気分だったのに水を差すなよ死ね)」

 紫苑もそこらは分かっている。
 日本において虚構の英雄春風紫苑は十分にその役目を果たした。
 つまりこの国ではもうやることがあまり残っていないのだ。
 英雄を自国のために使いたいという人間は幾らでも居る。
 実際に一月の頭に訪れたフランスは今、かなりの安定を見せている。
 幻想の攻勢は今も続いているし国力も消費しているが、そこに住まう人間の士気は高い。
 紫苑は知らぬことだがフランス政府は勲章授与やら名目をつけて再び紫苑を自国に招き入れるつもりだ。
 無論、その存在を利用するために。

『タイムリミットもあるしな。十年、しかもそれだってフルに使えるわけじゃねえ。
最後の一年はお前も下手すりゃあ寝たきりとかになって動かせねえかもしれねし?』

 余命の一件は日本人総てに、そこから世界へ認知されてしまった。
 そうなると焦りも出て来るだろう。早いうちに出来る限り自国ために利用せねばと為政者は焦っているはずだ。

「(うるせえ分かってるんだよそんなこたぁ……)」

 抱えきれないほどの名誉が得られる、だがそれは決して楽ではない。
 楽に名誉と金銭が欲しい紫苑からすれば煩わしいことこの上ない。
 しんどい未来を想像してうんざりした彼は不貞腐れたように目を閉じた。
 嫌なことがあると寝て現実逃避する――いかにもな小物らしさである。

『ウケケケ』

 すぐに寝入ってしまった紫苑を見てカス蛇が小さく笑う。

『まあ安心しろよ。お前の余命も、俺様の目論見が嵌まれば何とかなる――いや、何とかする。
そんでこの上ない名誉もくれてやる。しんどいがその分の見返りはしっかりあるよ』

 カス蛇は紫苑を利用するつもりだが、それ相応の見返りは払うつもりだ。
 ただ利用してポイなんて出来ない、それをするにはあまりにも好ましいから。

『綴れよ、誰でもないお前だけの神話を。世界で最も新しく、最も煌びやかで最も滑稽な物語を』

 紫苑が描く未来に思いを馳せてカス蛇も眠りについた。
 紫苑は自分にとっての都合の良い夢を見ながら、
カス蛇は愛する人間の未来を夢見ながら一人と一匹は静かな寝息を立てながら眠り続ける。
 穏やかな時間が流れていく。
 やって来た看護師や仲間達は紫苑らの姿を見て苦笑を零しながら部屋を退去する。
 そうして緩やかに時間は過ぎ去り、気付けば夜になっていた。
 それでも紫苑とカス蛇はグースカと眠ったまま。

「ん、あぁ……」

 一番最初に目が覚めたのは雲母だった。
 彼女はしばしばと目を瞬かせてぼんやりする頭で現状の把握に努める。

「あしゅらとたたかって、きしぼじんとたたかって、しおんちゃんにびんたされて……」

 鬼子母神を倒し――――友と再会し、今度こそ本当の別れを告げた。
 そこまで思い出したところでようやく自分が意識を失ったことに気付く。

「……迷惑かけちゃったのねえ」

 己の傍迷惑さが恥ずかしくなり頭を抱え――ようとして気付いた。
 自分が紫苑の手を握り締めていることに。
 だから彼は動けなくて此処に居るのだろうとも。
 雲母は申し訳なさそうに手を離して紫苑の頭を撫でる。
 白と黒で分けられたサラサラの御髪。
 あどけない寝顔を見ているとこれまでとは違った想いが胸を満たしていく。

「ああ……私、本当に恋しちゃってる」

 頬がにやける、どうしようもなく胸が高鳴る。
 雲母は紫苑の身体を自分が寝ていたベッドに横たえ、看護師が用意したであろう着替えを引っ掴んでシャワールームへ。
 血臭やら汗の臭いが気になってしょうがないのだ。

「うーん、小さくなってるわぁ」

 脱衣所でセーラー服と下着を脱ぎ捨て、鏡に映る自分の身体を見つめる。
 かつての豊満でこれでもかというくらい女を感じさせる肉付きは見る影もない。

「天魔ちゃんとアリスちゃんよりは大きいけど……」

 本人達が聞いたら激怒していたであろう発言だ。
 事実とはいえ口にして良いことと悪いことがある。

「背も小さいし……これ、お洋服とか下着、全部買い替えなきゃマズイわねえ」

 ペタペタと自分の身体を触りながら大きな溜息を一つ。
 とはいえ若返ってしまったものはしょうがないと諦めて浴室へ。
 熱いシャワーが疲れた身体をギュっと引き絞る。
 何ともいえない感覚に色っぽい吐息を漏らし、雲母は頭を洗っていく。

「女威ちゃんにも皆のこと話してあげなくちゃ。ああでも、今の私を見たら驚くかしら?」

 同い年で良い感じに熟れていた友人がいきなり女子中学生に戻ればそりゃ驚くだろう。
 野暮ったく婚期の見えないモジョが今の雲母を見れば卒倒するかもしれない。
 一体どんなアンチエイジングをしたのかと問い詰めることだって有り得る。

「驚くといえば、あの場に居なかった子達もビックリするわよねえ、きっと」

 ワシャワシャと女性にしては雑な具合で頭を洗い終え、今度は身体へ。
 あるべきはずの起伏が無いのはどうにも不思議な気分らしく雲母は何度も首を傾げていた。

「ふぅ」

 一通り身体を清め終わったが、雲母はまだシャワールームから出ない。
 熱い湯に打たれながら今日の己を振り返っているからだ。
 独断専行での殴り込みを仕掛けて阿修羅を撃破。
 その後の鬼子母神戦では絶体絶命に追い詰められて紫苑達が来なければ死んでいただろう。

「また、叱らせちゃったわね」

 故郷で壊れていた時も叱られ、今日もまた叱られた。
 怒るということはそれだけ相手を想っていることの証明だ。
 そう思うと申し訳なさよりも嬉しさが湧き上がって来る。

「お母さん、お父さん……」

 故郷を飛び出した頃の肉体に戻ったからだろう。
 これまで考えることが無かった両親についても思いを巡らせることが出来るようになっていた。
 負い目があって帰れなくなり死に目にも会えなかったとんだ親不孝者だ。
 夫婦揃って早くに死んでしまったのは自分のことで心労をかけたからだろう。
 そう考えるとどうしようもなく申し訳なく思う。

「ごめんなさい。そうよね、子供が不幸になって悲しまない親なんて居ない」

 どの段階で自分の辿った道を両親が知ったかは分からない。
 それでも知らなかったということはないだろう。何となく、そう思う。
 そう思うからこそ両親が自分のことで心を痛めたであろうことも分かる。
 雲母は静かに父母に謝罪し、これからはしっかり生きることを誓う。

「……」

 身体を拭いてパンダ柄のパジャマに着替える。
 サイズは今の身体にピッタリだが、これはわざわざ買って来てくれたのだろうか。
 そんな疑問を抱きながら部屋に戻った雲母はベッドの端に腰掛ける。
 ベッドの上では未だに紫苑がすやすやと寝ていて、安らかな寝顔は歳相応の少年にしか見えない。

「あ、あら……やだ、私ったら一体何を……」

 気付けばその胸元に顔を埋めていた雲母。
 正気に戻り顔を離すが、どうにも名残惜しく感じてしまう。

「……も、もうちょっとだけ、ね?」

 逞しい胸板に顔を寄せ、鼓動の音を聞くだけで心が落ち着く。
 鼻を擽る汗と石鹸の香りが脳を蕩けさせる。
 これまでも密着する機会は多かったが、女としてではなく母親として接していたからこんな気持ちになったことは一度も無い。
 異性として意識し始めたことで世界が完全に顔を変えてしまった。

「これが、本当の、好き、か」

 恋愛経験という意味では雲母はメンヘラーズよりも一歩先に居る。
 失敗に終わったゴッコ遊びのようなものだが本物だけではない偽物を知っている意味は大きい。
 偽りを知るからこそ本物の貴さがより実感出来るのだ。

「生理は一週間前に終わってるし……って、落ち着きなさい私」

 本能がこう、色々刺激されて来たらしい。
 かなりやばめのことを口走っている自覚は当人にもしっかりあった。

「やっぱりこういうのは段階を踏んで、まずは……」

 と、そんな誰にとも知れない言い訳をしていると紫苑が目を覚ます。
 クワッ! という音が聞こえそうなレベルで目を見開く彼と雲母の視線が交わる。
 何というか言い訳のしようもない状況だ。

「……」
「……」

 戦闘ならばともかく、こういう時の機転を雲母に期待してはいけない。
 テンパった彼女はわたわたとしながら、

「す、好きです!!!!」

 全力で告った。そりゃもう耳が痛くなるくらいの大声で。
 気の利いた台詞でも何でもない、直球ストレートなところが如何にも雲母らしい。

「ど、どうも(寝起きに最悪な気分だ……)」

 で、テンパった雲母はこの程度では終わらない。

「え、あの……ちょ……」
「に、妊娠してからずっとなので……その、無作法があるかもだけど……いざ!」

 ガバ! っと押し倒された紫苑――――本日最後の戦いが今、始まる。
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