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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

144/204

逆鬼雲母 弐

 逆鬼雲母という人間を端的に表すならば馬鹿の一言に尽きるだろう。
 十四歳で男と駆け落ち、少し思慮がある人間ならば義務教育も終わらぬうちから親元を離れるなんてしない。
 離れてやっていけるなんて楽観を抱くなんてあり得ない。
 だが雲母はその楽観のままに同年代の――当時の恋人と故郷を離れた。

 男は彼女よりも早くに現実に気付いて逆鬼雲母とその胎に宿っていた責任から逃げた。
 残された雲母はそこで故郷に帰れば良かったのだ。
 本人は勘当されたと言っているがそれは思い込みである。
 親にとって子供は何時まで経っても子供。十八にもならぬ雲母が素直に頼れば母子共に保護していたはずだ。
 だが雲母はそうせずに身重のまま働き、心身に負担をかけ続けた。

 他人に頼るということを知らないのだ。
 なまじっか冒険者の肉体を持っていたからというのもあるだろうが身体はともかく心は幼い子供のまま。
 その結果が流産――帰るチャンスはまだあった。
 だが、そこでも雲母は故郷には帰らず一人で生きる道を選んだ。

 子供を殺した己を罰するように冒険者として無茶な仕事をこなして自分を苛め続けた。
 もしもモジョらと再会しなければ雲母は二十を数える前に死んでいただろう。
 そこからの雲母は少しばかりの安定を見る。
 十代で故郷を出たのは変わらないが明確な目的を持った友人達が居たからだ。

 雲母の至らなさをカバーする友人達のおかげで彼女はかなり回復した。
 だが、それも長くは続かない。子供の次は仲間の死――そこで完全に壊れてしまった。
 故郷に戻るが既に親は死去しており、彼女を癒す者は誰一人として居ない。
 そこからしばらく逆鬼雲母の暗黒時代が続く。

 闇が晴れる切っ掛けは親友が連れて来た春風紫苑との出会い。
 だが、そこでも逆鬼雲母は持ち前の馬鹿さ加減を披露した。
 あろうことか紫苑を己の子供の生まれ変わりだと思い込んで閉じた世界に逃げ出そうとしたのだ。
 春風紫苑の献身が無ければ逆鬼雲母という人間は本当に終わっていただろう。

 馬鹿、馬鹿、本当に馬鹿――――そして本人もそれを自覚している。
 自分にのみ降りかかる苦難や困難を前にして己が馬鹿になることを本人も理解している。
 理解した上で恥じてはいるのだが、具体的にどうすれば良いか分からない。
 子供なのだ、逆鬼雲母の時間は故郷を出た時から止まったまま。
 だからこそ成長せねばならない。カス蛇の言葉やイザナミの存在、我が子である紫苑の成長。
 それらを受け止めた雲母は自らの手で時計の針を進めようとしていた。
 だが、その方法もやっぱり馬鹿のそれである。

「あら、雲母さん今日はお休みじゃありませんでしたっけ?」

 ギルド大阪に入ると何時だったかカマキリを食事に誘っていた女と出くわす。
 雲母は何時も通りの柔らかな笑みを浮かべて対応する。

「ええ。でも、少しやり残したことがあったから休日出勤よ」
「はぁ……でも無理しない方が良いんじゃ……だって春風くんと一緒に動くことも多いんですし」
「あらあら、大丈夫よ。身体を動かすのは苦じゃないもの」

 それは本心からの言葉だった。
 雲母にとっては命懸けの戦いの方が随分と楽な仕事だ。

「そうですか? でもやっぱり休める時に休んでおかないと。ほら、最近は随分情勢も落ち着いて来てますし!」
「分かってるわ。仕事を済ませたら買い物にでも行くつもり」
「なら良いんですけど……」
「それじゃあね」
「はい!」

 女に別れを告げ、再び目的地目掛けて歩き出す。
 途中幾度か職員に親しげに話しかけられ、感慨が胸に染み渡った。
 こんな風に皆に良くしてもらえるなんて自分は本当に幸せだと。

「……私、幸せね」

 周囲に人の気配が無いことを確認し、自分のIDを使用して転移装置がある部屋へと踏み込む。
 しばらく使われていなかったので埃を被っているがメンテナンス自体は怠っていない。
 だったら問題なく使用出来るはずだ。

「……」

 装置を起動し転送ポイントを探す。
 雲母のIDならば基本的にどの座標でも観覧及び転移が可能だ。
 彼女が一流の冒険者であると同時に紫苑の仲間だから。

「見つけた」

 探し当てた座標にはロックがかかっていたがこれも雲母の権限ならば解除は可能。
 長々と留まっていればバレてしまう。

「私、行かなきゃ」

 座標を入力して転移装置を起動させて目的の場所へ。
 転移する際の浮遊感と酩酊にも似た苦手な感覚すら今は気にならない。

「……」

 足下に伝わる土の感触、懐かしく忌まわしい空気。
 それらを踏み締め、噛み締めながらゆっくりと目を開く。

「何もかも、あの時のままね」

 木々のざわめき、川のせせらぎ――総てを喪った日からずっと同じまま。
 此処は世界で一番最初に確認された深い幻想が住まう領域。
 逆鬼雲母にとっての過ちそのもの。
 友を喪い自分一人だけが生き延びてしまった罪が生まれた場所。
 以前までならばインドまで直接出向かねば侵入することが叶わなかった。
 だが、幻想回帰以降は転移装置でも飛べることが確認されたのだ。

「眩暈、吐き気、指先が痺れて喉が乾く……」

 止まった時計の針を動かすために、総てを清算するためにやって来た。
 ゆえに今口にした体調不良以上に闘志が昂ぶっている。
 覚えている、逆鬼雲母は覚えている。
 首を刎ねられ、心臓を握り潰されていった掛け替えのない友人達の死を。
 何も出来なかった自分の無力さを一日だって忘れちゃいない。

「皆、ただいま……私、帰って来たわ」

 古き己を踏破して前に進むために、私は此処へ帰って来た。

「あれから私も色々勉強したのよ。ねえ、戦いを望む者を前にしてあなたは姿を見せないの?」

 紫苑と同じヘーゼルの瞳に重く沈んだ紫色の光が宿った。
 極自然体のまま純化に移行した雲母が怨敵に語りかける。
 その挑発染みた物言いに呼応するように空間が歪み、その眼前に阿修羅が現れる。

「……」

 出現と同時に刃を振るい雲母の首を刎ね飛ばそうとする阿修羅だったが彼女は実に冷静だった。
 軽く身を仰け反らせることで刃を躱し、同時にその勢いで蹴りを放つ。
 阿修羅は即座に身を引いて蹴りを回避するが僅かに掠ってしまったようで頬がザックリを切れている。

「久しぶりだなぁ人間」

 クツクツと愉快そうに笑う阿修羅、今の先制は挨拶のようなものだ。
 無論、雲母もそこは理解している。
 闘争の化身たる三面六臂の化け物にとっては今のやり取りは攻防ですらないと。
 そしてそんな攻防とも呼べぬやり取りで友人達は殺られてしまい、自身も重傷を負ったのだと分かっている。
 分かっているのだが、やはり割り切れない。悔しい。
 胎の奥で暗い怒りが泥のようにうねり出したことを雲母は何処か他人事のように感じていた。

「前はこれだけで終わっていたのに、いや見事、強くなった。
その活躍は聞いているぞ……と言っても、お前個人の武勇についてじゃないがな」
「それはどうも。彼女はどうしたのかしら?」

 以前のやり取りを思い返すに鬼子母神が来ていなことが解せない。
 当人からすれば複雑な気持ちだが彼の鬼神は雲母を助けた張本人で、同情を抱かれている。
 であれば顔を見せるはずと思っていたのだが……。

「俺が出て来ないよう言い含めた。何せあの奴が見逃した人間が攻め入って来たのだからな」

 鬼子母神に雲母の処遇を任せるわけにはいかないというのが阿修羅の言い分だ。

「ふぅん……まあ、良いわ。まずケリを着けなければならないのはあなただし」
「敵討ちか?」

 そう口にした阿修羅から嘲りを感じ取った雲母だが、それは彼女の誤解だ。
 別に阿修羅は敵討ちというものを否定はしない。
 何にせよ闘争に繋がる理由なのだから否定する理由が無いのだ。
 雲母が嘲りだと感じたのは彼女が冷静ではないから。

「ええ。でもこれは皆のためってわけじゃないわ」

 死んだ人間にしてやれることなんて存在しない。
 だから口が裂けても死んだ友人達のためなんて言えるわけがない。

「今でこそ立ち直ったけど、やっぱり此処での一件は私の中で終わっていないのよ。
そうしなきゃ前へ進めない、これは私のエゴ。私が進むために敵討ちって名目を使わせてもらうわ」

 随分自虐的な発言だが、元々雲母は自罰的な人間なので仕方が無い。
 何をやっていても負い目を捨てられないのだ。
 紫苑並の図太さと狡すっからさがあればもっと楽に生きられただろうに。

「だから、ねえ――――私のワガママに付き合ってくれる?」

 それはぞっとするような笑顔だった。
 紫苑に出会う前に幾度となく浮かべていた壊れた笑顔。
 ケリを着けるために戻って来たというのにトラウマを刺激されて狂っていた時分に回帰しているのだ。

「お前が言ったことだろう人間――――戦いを望む者を拒否する気は無い」

 瞬間、周囲の木々が根こそぎ吹き飛んだ。
 別段何もしていない。単純に二人の殺気がぶつかり合ってその余波で吹き飛んだだけ。
 戦いの神阿修羅、かつてない深度で純化を果たしている雲母。
 怪物二匹が発生させた闘争の空気は心臓を握り潰されそうなほどに重い。

「死ね」

 先手を取った――取らせてもらったのは雲母だった。
 ノーモーションで得物を投擲し獣のように低い体勢で駆け出した。
 阿修羅は顔面に目掛けて放たれた刀を薄皮一枚で回避。
 自分に接近して来ていた雲母の脳天目掛けて剣を振り下ろす。
 だが雲母はそれを見ることもなく回避し背後にすり抜けて行った。

「!?」

 阿修羅は一瞬攻撃が来なかった事実に疑問符を浮かべるがすぐにその疑問は氷解した。
 背後で急ターンを決めた雲母の手には投擲したはずの太刀が握られていたのだ。
 何時だったか栞に教授した召喚を利用した戦法である。
 これは人が編み出した技術であり、幻想には必要の無い小細工の類だ。
 基本的に人より優れている幻想は小技を必要としない。
 ゆえに完全に虚を突かれた阿修羅にこの一撃を回避する術は無い。

「浅い、か」

 股間からの胸までの切り上げは成功したものの絶命に至るほどではない。
 即座に傷の具合を看破した雲母は冷静に現状を把握し阿修羅から距離を取る。

「カッ――――!!」

 距離を取った雲母に向けて阿修羅が火炎を放つ。
 だが彼女は焦ることはなく火炎に向かって手を翳し特殊合金の防火扉を召喚。
 火炎は雲母の柔肌を焼くこともなくあっさり防がれてしまう。

「甘く見ないでちょうだい。あの時、あなたは幾らか手の内を明かしているのよ?」

 純化に至り幻想の領域に足を踏み入れたとはいえ雲母に驕りはなかった。
 だがそれも当然。かつてこの場所で友が死んだのはその驕りのせいなのだから。
 ゆえにリベンジマッチを果たすに当たって雲母は出来る限りの準備をした。

「クハ……! そうだな、忘れていた。人間は賢しいんだったなぁ……!!」

 阿修羅は戦いの神らしく、サッパリとしていた。
 やられたのは自分の手落ちだとカラカラと笑っていた――それを見て雲母の心は更に冷え込んだ。

「紫苑ちゃん……」

 一歩間違えれば死に繋がる舞踏の中で思い浮かぶのは紫苑の顔だった。
 本人は否定するだろうけれど、彼は何時でも誰かのためだけに戦っている。
 誇りを以って超常の力を捨て、弱い身でありながらも心身を削り仲間との絆を胸に懸命に日々を生きている。
 それに比べて己の何と矮小なことか。

 言い訳のしようもない――これは私闘だ。
 仮に此処で阿修羅を討ったとしても長い時間をかけて復活するだけ。
 確かにある種の時間稼ぎにはなるだろう。
 だが現実問題として阿修羅は未だ現世に干渉していない、つまり被害はまだ出ていないわけだ。

 だというのに自分一人で勝手に死地に飛び込んでこうやって戦っている。
 意味は無い、大局を見渡せばこの私闘に意味なんて無いのだ。
 あくまで自分が精神的に一歩踏み出せるだけ。
 今現在の己の立場を省みればこれは軽挙としか言いようが無い。

 それでも止められない。止められずにこうして戦っている。
 嗚呼、本当に情けない。こんな愚か者が母親を名乗っているなんて酷い冗談だ。
 紫苑が裁定の際に言っていたことが頭に蘇る。
 子は親の背を見て己もそうあらんと奮起すると彼は言っていた。

 今の自分の何処に誇れるべき背中がある?
 こんな背を見ても反面教師にもならないだろう。
 自分よりも賢明で勇気ある紫苑に与えられるものなんて何一つ無い。
 分かっているのに、分かっているのに止められない。

「何を笑っている?」

 阿修羅は心底不思議そうな顔だ。
 自分と同じように戦いを楽しんでいる様子も見えないのに雲母は笑っている。
 それが腑に落ちないらしい。

「自分の滑稽さがおかしくておかしくてしょうがないのよ」

 愚か、本当に愚か。けれども紫苑は決して自分を哂わないだろう。
 あの子は何処までも真摯に他者の意思を尊重するから。
 そんな彼の傍に今の自分は害悪でしかない。
 紫苑の意思を捻じ曲げて彼を攫い何処かへ逃げようなどと思ってしまう自分は害悪だ。

 身を引けば良い、でもそれが出来ない。
 ならばあの蛇が言っていたように成長するしかないだろう。
 胸を張って紫苑の隣で彼を護るためにも。
 何が喪われても決して喪われてはならない光がある。
 それが春風紫苑――その想いが今の雲母を支えていた。

「? 分からんな。あの女ならば分かったのかもしれんが」

 二人はもう下手に距離を取ることもなくなっていた。
 ニメートル以上の距離を開けずに渾身の一撃を見舞っては回避してはを繰り返している。
 常人には視認不可能の速度域での戦闘、無論その余波も凄まじい。
 静かな森は二人の戦闘で破壊され見るも無残な状態になっている。

「さあ、どうかしらね?」

 阿修羅は三面六臂――顔三つで腕が六本あるわけだ。
 六本も腕があれば一本ぐらいを絡め取るなんてワケない。
 得物を真上に放り投げた雲母は阿修羅の腕を掴み足を跳ね上げて身体を回転させる。
 天地逆さになったものの阿修羅はまるで動じていない。
 むしろ人間が編み出した技術を堪能している節すらある。

「これならどうだ?」

 逆さのまま阿修羅は雲母の足を掴み取った。
 このままでは掴んだ足を基点に回転の勢いを止められてしまうし足首の骨もタダでは済まない。
 ゆえに雲母はフリーの足で大地を蹴ってすぐに逆回転の力を加えて自分ごと跳ね上がる。

「しっちゃかめっちゃかだわ」

 超近距離で組み合って凄まじい勢いで回転する二人。
 このままでも戦闘は続行出来るだろうが少々やり難い。
 互いの考えることは同じようで阿修羅は蹴りを、雲母は拳を相手の肉体に叩き付けて距離を取る。

「仕切り直し……か。やっぱり、強いわねえ」

 上空から落ちて来た太刀をキャッチし溜息を一つ。
 阿修羅――――複数でならばともかく単独で討ち滅ぼすには容易な相手ではない。
 分かっていたことだがここまで戦況が拮抗するとどうにも焦れて来る。

「俺としてはむしろここまでやり合えることに驚きだ」

 神である己に対して単独で喰らい付ける人間なんて初めてだ。
 幻想の領域に足を踏み入れていることは分かるが、それでもここまで楽しめるとは思っていなかった。

「人間を舐めないことね」

 言いながらも状況を打開すべく、雲母は更なる深みへと潜っていく。
 もっともっと、成長せねば紫苑の傍に居られない。居る資格が無い。
 それはつまり喪失するということだ。
 嫌だ、そんなの嫌だ。嫌ならば――――もっと強くなれ。

「……」

 興味深そうに雲母を観察する阿修羅。
 純化に器が耐えられず肉体が破壊と再生を繰り返している。
 壊して直して更に強固なものに器を強化しているのだろうか。
 何にしろ、ここからの戦いは更に次元が上がる。

「――――往くわよ」
「ぐが……!?」

 轟音、衝撃、阿修羅は自分の横っ面が蹴り飛ばされたことを一瞬遅れで理解した。
 木々を薙ぎ払いながら吹き飛ぶ阿修羅を追って雲母は疾走する。
 初撃を成功させられたのは単純に速かったこともあるが、それ以上に阿修羅の隙を突けたのが大きい。
 隙と言っても、常人やそこらの冒険者にとっては掴めないほんの僅かな隙。
 誰だって常に張り詰めていることは出来ず、一瞬ではあるが緩む時がある。
 雲母はその緩みに合わせて攻撃を繰り出したのだ。
 無論、それは容易いことではない。培った戦闘経験と確たるセンスの合わせ技である。
 紫苑の仲間達の中でそれが出来るほどの戦闘巧者といえば雲母を除けばアイリーンくらいだろう。

「これはこれは、少し、楽しくなって来た」

 自身に並走しながら攻撃を加えて来る雲母を右腕三本で対応しつつ左腕二本で素早く印を結ぶ。
 瞬間、半径百メートルほどのドーム状結界が張り巡らされ二人を囲い込んだ。

「――――さあ、これに耐えられるか?」

 その言葉と同時に、結界内部を極炎が埋め尽くした。
 普通の人間、そして並みの冒険者であろうとも一瞬で消し炭になるほどの熱量。
 自爆技のようなもので阿修羅も無事では済まないし純化状態の雲母でも深刻なダメージは免れないはずなのだが……。

「!?」

 しかし雲母は全身に酷い火傷を負いながらも攻撃の手を緩めない。
 むしろ更に加速して激しく阿修羅を攻め立てている。
 おかしい、明らかにおかしい。阿修羅は驚愕を隠せなかった。
 表面的な火傷だけならば動けただろうとは予想していた。
 だが、ここは密閉空間。結界内部の酸素は消費し尽くされ呼吸をすれば呼吸器が焼けて息も出来なくなる。
 少しは動けてもすぐに酸欠になるはずだった。
 だというのに雲母は一切の緩みを見せずに苛烈な攻撃を放ち続けている。

「だから言ったじゃない、あなたは手の内を見せているんだって」

 口を開くことで熱気が喉を焼き声が罅割れていく。
 それでも雲母はまるで堪えていない。無論、痛みはある。
 だが女性はただでさえ痛みに対する耐性があり、雲母はその中でも郡を抜いている。
 全身が焼け爛れようとも耐えられるだけの精神力を有している――根性論万歳!

 しかし現実問題として人の身体は酸素無くして立ち行かない。
 無呼吸で活動するにしても、じっとしているならばある程度は耐えられるだろう。
 だが、雲母はじっとしているどころか常軌を逸したレベルで大暴れしている。
 そんな暴れ方をしていれば一分と経たずに酸欠でゲームオーバーだというのにもう五分は続いている。

「こういう技も想定内。使って来るだろうとは思っていた」

 阿修羅の目には雲母が戦いを始めた時よりも更に強くなっているように映った。
 無論、エンジンに火が点いたり純化の深度が増したこともあるだろう。
 だがそれ以上に刻まれたダメージも大きいはずだし、何より酸素の問題がある。
 なのに加速度的に強くなっていくのはどういう道理だ?

「あなた自身も言ってたじゃない、人間は賢しいって」

 雲母はこれまで意図して呼吸を行いながら戦っていた。
 だが、本来ならばそんなことをする必要は無かったのだ。
 阿修羅は炎を使う、ならば酸欠状態に陥る可能性も織り込み済み。
 ゆえに紫苑らが平泉や千丈ヶ嶽で使った酸素タブレットを事前に服用していた――それも用量を守らず、大量に。

 体内の各所に過剰に蓄えられた酸素のせいでかなり辛かった。
 呼吸をせずに戦闘を続けてようやっと消費出来るくらいなのに呼吸を続けていては消費も出来ない。
 だが、そうする必要があったのだ。想定していた技を使って来るまでは。
 呼吸不可で人間ならばどう考えても死ぬ状況を作れば阿修羅の気は絶対に緩む。

 その瞬間こそが留め続けていた酸素を消費して無呼吸連撃を叩き込む好機。
 ぶっちゃけるとこれは賭けだった。
 雲母が想定していた技を阿修羅が必ず使うか、いやそもそも使えるか分からなかったのだから。
 だが、雲母は勝った。今この瞬間の事実が総てだ。

「く、くは……クハハハハハハ!!」

 斬って殴って蹴って突いて、間断なく繰り出される嵐のような攻撃の中で阿修羅は豪笑した。
 もう敗北は免れない。自爆技でダメージを負い、その上更に追撃をかけられているのだ。
 読み違えたしここから挽回する手なんて持っていない。
 それでも笑えるのは彼が闘争の神だから。
 あの時見逃した子猫が大虎になって自分を喰らいに来た。
 それが愉快で愉快で堪らない。

「……不愉快ね」

 三対六腕を斬り飛ばし首を刎ねる。
 それでも絶命したかは分からないので全身をくまなく切り刻む。
 何度も何度も刃を振るって原型が無くなるまで攻撃を続ける。
 そうして、蓄えられた酸素が空になり新たな酸素を欲し出した頃には辺り一面は血の海になっていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 酷い火傷と返り血で今の雲母は酷い有様だ。
 感傷に浸りたいが、現実問題としてロクに思考も出来ないほどに消耗している。

「んぐ……!?」

 希釈されたアムリタをバッグから取り出して口の中に流し込む。
 苦しくて痛かったが、どうにかこうにか飲み干すと一瞬でダメージが帳消しになる。
 焼け焦げてボロボロの服から覗く肌も顔も傷一つ無い。
 回復が発生する瞬間の痛みこそ辛かったが、今はそれもなく落ち着いている。

「はぁ……とりあえず、着替えなきゃね」

 周囲に気を配りつつ替えの服と下着を取り出して手早く着替える。
 自分のことに無頓着とはいえ流石にほぼ全裸のままというのは嫌なのだろう。

「さて! これで一つケリが着いたわ。後、もう一つね」

 地面に突き刺していた太刀を引き抜き、すっかり荒地となった森を見渡す。
 焼畑農業も真っ青な被害だが所詮ここは幻想の領域。
 環境破壊しようとも喧しい団体に怒られることはない。

「――――気は済みましたか?」

 優しい、慈しみだけを閉じ込めた声が雲母の耳を癒す。
 片手に子供、片手に果実を抱いた柔らかな印象を受ける女性――鬼子母神が姿を現した。

「……」
「彼の者を倒したことで御友人の敵討ちは終わったはずです。
無論、真なる意味での死ではありませんが放って置けば数百年は肉体を取り戻せないでしょう。
あなたは死ぬまで殺すというような方でもないようですし」

 逆に言えば放置しなければもっと早くに肉体を取り戻せるわけだ。
 紫苑が此処に居ればここぞとばかりに揚げ足を取って遊んでいただろう。

「そう、ね」

 殺すこと自体が目的だったわけではない。
 過去に大切なものを奪った阿修羅を倒し、それを超えることでかつての自分に別れを告げたかっただけ。
 現実問題としては幻想を完全に殺し切れる術は無いのだ。
 何百年も生きてまた殺すなんていうのも現実的ではないし満足といえば満足である。

「その上で、何時かあなたに言ったことを思い出して頂きたいのです」

 人の世界には痛みだけが満ちている。
 人間という種が愚かで残酷で恥知らずだから。
 己以外の一切を容赦なく踏み躙れる、存在してはいけない生き物。
自分達が犯した罪を忘れ、恩を忘れ、一時の享楽に耽る救いようのない塵。
 罪を犯せば悔いるのが当然。なのに人はそれをしない。
 己が罪を忘却した挙句に、総てをなかったことにしようとしてる。
 赦さない、赦してなるものか。ゆえに滅ぼす――――かつて鬼子母神はそう断罪した。
 その上で雲母を痛みの無い自分達の世界に誘ったのだ。

「……私の名前は逆鬼雲母よ」

 次に会った時に名を教えて欲しい、そうも言われた。
 知っているかもしれないが忘れていないという意味で雲母は自分の名を口にする。

「あなたの子、春風紫苑。我らにとっても大きな人物です」
「……」
「ゆえ、あなたと共に此方へ来て頂きたいのです」

 鬼子母神の発言には打算があることは否定出来ない。
 だが、根底にあるのは雲母という母から紫苑という子を引き離したくはないという母として気遣いだ。

「彼の少年は人が滅びるのに心を痛めるでしょう。
ですが、そうされて当然な生物であると根気強く語りかければ分かってくれる。
それだけの賢明さがあるように私は思います。
優しく賢い彼ならば何が正しいかと必ず見極めてくれるはず」

 鬼子母神がわざわざ阿修羅を先に行かせたのは雲母に踏ん切りをつけさせた上で、改めて大事な話をするためだった。
 もしも阿修羅が居れば何を甘いことを言っていると邪魔するのが目に見えている。

「私を、私を助けてくれたことは感謝しているわ」

 あの場で死んでいれば楽だっただろう。
 それでも、今の自分があるのは鬼子母神がアムリタで自分を救ってくれたから。
 生かされたことで暗闇を彷徨いはしたけど、その闇の中で紫苑に出会えた。
 紫苑は闇の中に居る自分を救ってくれて生きることを教えてくれた。
 それはきっと何よりもの幸運だ。偶然掴んだ幸運――だからこそ大切にしたい。
 その幸運も生きていればこそ掴めた。

「今の私が居るのはあなたのおかげ」
「……」

 今度は鬼子母神が黙り込む番だった。
 少し察しの良い者ならばこの会話がどんな位置に着地するかを容易く予想出来る。

「ごめんなさい――――私は人間として紫苑ちゃんと共に戦います」

 そう言い切った瞬間、鬼子母神の腕から赤子と果実が消失する。
 俯く彼女の表情は見えず、だがその肉体から漏れ出る殺気がこれからを如実に語っていた。

「――――この恩知らずがぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 大口を開け鋭い犬歯を剥き出しにし、鬼女の形相で咆哮する鬼子母神。
 先ほどまでの穏やかさとは打って変わってのこの態度に流石の雲母も面を食らう。

「私が、この私が情けをかけてやってるのに何だその態度ふざけてんのかテメェ!?
お前とお前の子が幸せに暮らせるようにって配慮に泥ぶっかけよがってよぉ!!
一度助けられた恩も忘れてその言い草……やっぱ人間だなぁオイ!」

 ガリガリと自分の爪を血が出るほどに齧りながら繰り出す怨み節。
 髑髏の眼窩が如くに暗く沈んだその瞳は只管に恐ろしい。
 鬼であり母、名は体を表すとはいうがここまでとは……。

「屑だ、塵だ、カスだ! お前もお前の子供諸共に殺してその首を晒し挙げてやるよ!!」

 何時の間にか両手に握られていた二本の湾刀。その切っ先が雲母に向けられる。

「殺す? 私はともかく、紫苑ちゃんを殺すと言った?」

 無理矢理繋ぎ合わせたような継ぎ接ぎの笑顔を浮かべて雲母が問い返す。
 いいや、最早会話などをするつもりはなくこれは独り言だ。

「ふざけるな。私の紫苑ちゃんをお前なんかに殺させやしない。
殺すというなら私がお前を殺してやる。
目玉を抉って頭蓋をカチ割り心臓を射抜き脊髄と臓物を引き摺りだしてあげるわ。
痛みの中で死ね、紫苑ちゃんを奪おうとする塵に慈悲なんてあーげない」

 ニタニタと嘲笑を浮かべながら刀身に付着していた阿修羅の血を舐める。

「覚悟なさい」
「覚悟しやがれ」

 二大鬼BBAインドギリギリ! ぶっちぎりバトルの始まりである。
+注意+
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