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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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黄泉路を越えて 参

 もうどれくらい時間が経っただろうか。
 見ているものにとっては正に地獄の時間だった。
 春風紫苑の苦難の道行きは正視に耐えられるものではない。
 ただただ痛々しく、もう止めて、もう楽になれと言いたくなるようなものだったから。
 だが、その道行きもようやっと終わりに辿り着く。

「……三貴子の皆さんに聞きたいのですが、あれがイザナミですか?」

 信じられないといいたげな口調の紗織に三貴子が揃って頷く。
 満身創痍の紫苑の前に現れたのは邪神――禍津神としか形容が出来ない醜い存在だった。
 辛うじてその起伏から女であることは窺えるが、
全身が焼けて腐れて蛆が集っており――否、見た目もそうだがこれはそういう問題ではない。
 魂が忌避するような醜さなのだ。

「ああ、あれが母上だ。俺様達の……母」

 神である素戔男尊ですら直視したくはない。
 だがそれも今の状態では無理だ。
 直に見ていないだけマシだが、それでも不快感は拭えない。
 愛する気持ちはあるのに……。

「おらにはもう何が何だか……」

 一応の説明は受けたジャンヌだが、当事者ではない彼女からすれば何がどうなっているかまったく分からないのだ。
 蚊帳の外に置かれてしまったような寂しさを感じながらジャンヌは今も戦っているである紫苑を想う。
 その身を案じることしか出来ない己の無力がこんなにも辛い。

『あなたが、イザナミか?』

 神すらも目を逸らしてしまう"醜"を前にしても紫苑は決して目を逸らさなかった。
 醜いものを見下すことで優越に浸っているから逸らす理由が無いのだ。
 そういう部分は誰しも持っているが、紫苑の場合はもっと下劣。
 無残な死体を発見して醜いと哂って自分の美を誇るようなもの――屑だ、それしか言葉が見つからない。

『――――如何にも』

 金切り声――とはまた違う、だが不愉快な声だった。
 聞いているだけで頭の中をミキサーにかけられたような悪魔の音。
 イザナミという存在は"醜"という概念を体現しているかのようにひたすら醜い。
 姿形から声に至るまで一切の美が存在していないのだ。

『汝は何を語る? 我を前にして何を言の葉に乗せる?』

 優しさなんてものは微塵も無い。厳粛な裁定者の如き冷たい声色。
 被告人は紫苑とこの光景を見せられている者総てだ。

『……まず、自分語りをさせてくれ。少し前、俺は嫌なものから目を逸らした』

 まずは罪の告白から。
 いきなり人は良いところもあるんですぅ! なんてほざくのは馬鹿のやることだ。
 紫苑はそこら辺を弁えている。
 だからこそ、少し前にあった丁度良い事件を取り上げるつもりでいた。

『続きを』

 イザナミは感情の見えない顔で続きを促した。

『子供が、子供が俺の目の前で殺されかけた。酷い、酷い有様だった。
その子は少し前に、街を歩いている時に出会った子で……。
誰もが遠巻きに俺を見ている中で俺に話しかけてくれて、頑張ってって言ってくれたんだ。
宝物だっていうシールを俺にくれて……俺は胸がいっぱいになったよ。
拙い言葉で、それでも一生懸命な気持ちを伝えてくれた。
俺はその子にシールと交換ってピアスを渡して別れた……でも、今、こう思う。
俺に関わったばかりにあの子はあんな辛い目に遭ったんじゃないかって!!』

 紫苑は冷たい大地に膝を突き天を仰ぐ。
 その瞳から零れ出す雫がほんの少し、冷たい身体を温めた。

『でもそんなこと言えなかった……俺のせいでと思いたくなかったんだ……。
情けない……自分が情けなくて死にたくなる!!
それだけじゃない……俺はあの子が死に掛かっている時、冷静に対処しようとしてたんだ!
どうにか命を繋いでもらうためとはいえ……何だ、俺は血も涙も無い人間か!?
犯人探しがどうたらなんてことより……いや、分かってる! 俺には回復魔法も何も使えないって!』

 でも、でもと嗚咽が漏れる。
 これを聞いている者の中で事情を知る者は深く同情するだろう。
 知らない者でも朧げに見える事件は紫苑にとってトラウマ染みたものであり、深く悔やんでいることが分かっただろう。
 もっとも、他人に見られていると知らぬ本人からすればイザナミへのアピールでしかないのだが。

『それだけじゃない……あの事件で、俺はまざまざと自分の駄目さを知った……。
蛇の助力もあって犯人を見つけて拘束した後だ。
そいつは一般人で、こう言った"俺を生かすためにお前ら皆死ね!"って。
生きるために他人を踏み付けにして何が悪いって喚き散らしていた。
ああ、そういう人も居るだろうさ……好悪はともかく、それは事実だ。
だけど、その時、俺の中で何かがキレた。あの子は……りんはこんな奴を生かすために殺されかけたのかって!!』

 イザナギは真剣な目で紫苑を見つめ、その言葉を聞いていた。

『気付けば殴ってた。何度も何度も殴り付けていた。拳が砕けても全然痛くなかった。
俺は殺す気だったんだ、そいつの人生を奪うつもりだったんだ――あれこれと理屈を並べ立ててな!
赦せなくて、怒りのままに殺そうとしていたのに俺は取り繕っていた!
並べ立てた理屈は一見すりゃ正しいかもしれないが、そんなものは欺瞞だ!!
俺は自分の中にある憎悪から目を背けて人を殺そうとした!』

 紫苑の告白は雲母にとっては衝撃的なものだった。
 かなり参っていたようだが、此処まで考え込んでいるとは思っていなかったのだ。
 場に立ち会っていた彼女ですらそうなのだ、知らぬ面子からすれば……。

「そんなことが……どうして僕らに相談……いや、出来ないか」
「出来ないでしょうね。紫苑さんの性格上」

 頼られなかったことが悲しい、少女らは自分の無力を恥じる。

『俺は俺が赦せない。憎悪を抱く醜い自分から目を逸らして人を殺そうとした事実が……!』
『……汝はその者を殺したのか?』
『いいや……だが、それは俺が自分で自分を律したわけじゃない。助けてくれた人が居たんだ』

 子供を幻術で操っておいてよくもまあいけしゃあしゃあと助けてくれたなどと言えるもんだ。

『一命を取り留めた子供……りんというとても強くて真っ直ぐな男の子が俺を止めてくれた。
"だめだよ"――短い言葉だったけれど、その想いは何よりも胸に響いたよ。
そんな風に人を殺しちゃ駄目だ、大事なことから目を逸らしちゃ駄目だ、沢山教えられた』

 紫苑が他人から何かを学ぶなんて生涯あり得ないだろう。
 何せそれは他人の能力を認めるということに他ならないから。
 己こそが至高と恥知らずにも謳い上げる紫苑が他人――ましてや子供から何かを学ぼうはずがない。

『だから?』

 そんな話をしてどうするのか、イザナミはそう言いたげだ。
 分かってる、紫苑も理解している。これはイザナミが望む頼み方ではないと。
 その上でやっているのだ。正しい頼み方に繋げるための布石。

『俺はあの子が生きる未来を諦めたくはない。
朧げだけど、僅かかもしれないけれど……俺は未来に繋げることの意味を知った気がする。
イザナギがかけた根絶の呪いのおかげ……というと不謹慎かもしれないが、切っ掛けになった。
子を成すとは何だろうって。俺は父親じゃないからやっぱりまだ完全に理解は出来ていない。
でも、りんが大人になった時、好きな人と結ばれて子を成し次代に繋げて欲しいと思う。
そのために、未来に可能性を繋げるために、俺は今ここに立っている。これは俺のためでもある』

 身体が軋みを上げる、ぐちゅぐちゅと何かが潰れる音が不愉快だ。
 それでも紫苑は立ち上がった。

『十年』

 その言葉の意味を理解したのは晴明だけだった。

『?』
『ことによっては一年』

 イザナミは少しだけ紫苑が震えていることに気付いた。
 だがそれは腐食に対するものでも、自身に対してのものでもない。

『――――俺の余命だ』

 一瞬、何を言っているか分からなかった。
 紫苑を愛する少女らにとっては決して理解して良い事実ではなかった。
 よめい? よめい? 一体何を言っている?

「は、ははは……や、やだなぁ……何言ってるのさ紫苑くん」

 認められるわけないだろう。
 おかしいだろう、そんなことがあって良いわけがない。

「ブラフ、ですよね? さ、流石紫苑さん……神々にも心理戦を……」
「そ、そうね栞。きっと春風さんは……」

 年頃の子らは疑いも無く未来を信じているものだ。
 子供から大人になって、やがては老人になっていくと当然のように思っている。
 そりゃ難病に侵されている者ならば話は別だろうが大多数の人間はそうだ。

「何で……そんな……」

 雲母は大人だ。大人だからこそ、子供らよりは死について理解している。
 紫苑の言葉を冗談やカマかけだなんて現実逃避することが出来ない。

『神便鬼毒酒の力に頼って、捨てた力を都合良く利用し過ぎたツケだ、自業自得だな……』

 自嘲を混じらせた苦笑が酷く痛々しい。

『あなたは慧眼だよ。死があれば、人はもっと己について見つめ直せる。自覚を促せる。
俺も余命を知らされてから色々と見つめ直すことが出来た。
怖い、死にたくない、生きたい、もっともっと生きていたいと泣き叫びたいよ……』
『恐れを抱く人間のようには見えんが?』
『恐怖から、死が遠くないという目を逸らしたい事実と向き合ったから答えを出せたんだ』

 紫苑は何処か誇らしげだった。

『余命、そして根絶の呪い……ここに来る道中で、色々考えた。
俺に出来ることは何だろう? 当たり前の限りある命をどうやって使うべきなのか。
俺がすべきこと、俺がしたいこと、それは何だろうって。
考えて考えて……さっき言ったように、未来に繋げることを思いついた。
りんだけじゃない、今を生きる俺よりも小さな子供達、これから生まれて来るはずだった子供達に未来をあげたい。
そりゃ今の御時世だ、気休めは言えない。絶対に幸せになれるよなんて無責任にもほどがある』

 だけど幸せになれる可能性は零ではない。
 未来が続いていれば零にはならないのだ。だからこそ、自分は戦っている。

『最低限の可能性を残す、それが俺の戦いだ』

 世界を救ってやる、そんな大そうなことはいえない。
 だが最低限の可能性すら摘み取られた今の状況ぐらいは覆してみせる。
 瞳の奥で揺れる闘志の炎。

『だから……』

 ここからが正しい頼み方だ。

『――――ごめんなさい、お母さん』

 膝をつき、両手をついて頭を下げる――いわゆる土下座の格好だ。
 プライドの高い紫苑だ。ハラワタが煮えくり返っているのだろうがそんな様子は微塵も窺えない。

『俺達子供はとても情けない姿を見せてしまいました』

 言葉にすれば実に簡単だ。
 子供が母親を怒らせた時、どうすれば良い? 簡単だ、謝れば良い。

『随分と失望させてしまいました』

 だが、ただ謝るだけでは意味が無い。
 反省し、これからどうするのかをちゃんと言わなければいけない。
 それが成って初めて母への謝罪というものは成立するのだ。

『俺達人間は一人ではどうしたって間違ってしまう。嫌な現実から目を逸らして逃げてしまう。
だけど、俺達は一人じゃないんです。友が家族が、見知らぬ他人であろうとも人は誰かに手を差し伸べられる。
道を正してあげることが出来るんです。俺が勇気ある少年に教えられたように……。
駄目なところも多々あって、多くの人はそれから目を逸らしたままだけど、そのままじゃない。
俺達は無為に時を重ねることはしません、少しずつ少しずつ成長していくんです。
時には一歩下がってしまうこともある、なら今度は二歩進めば良い』

 どうか自分達の成長を認めて欲しい、これから先へ進むことを赦して欲しい。

『お母さん、俺達にやり直すチャンスを下さい。まだ俺達を見限らないで下さい』

 願いはただ一つ。

『――――生まれては消えてゆく命の営みを絶やさないで下さい』

 別にこの国の神として人間を護ってなんていわない、そこまで厚顔ではない。
 ただ、生まれては死んでゆく当たり前の輪を閉ざさないで欲しいのだ。
 ただただ死に往くだけの命がどうして輝けようか?
 次代に繋ぐことを知っているからこそ、人間は頑張れるのだ。
 親は子に恥じぬ親であろうと立派な背を見せる。
 その背を見て育った子供がやがて親になった時、自分の親がそうしたように立派な背を子に見せる。
 そうやって人間は繋がっていく。
 だが、根絶の呪いはそれら総てを奪ってしまう。
 見せるべき子が居ないのならば自棄になってしまっても仕方ないじゃないか。

『……』

 イザナミは静かに目を閉じた。結論からいうと、イザナミは赦すつもりである。
 不公平であると自覚しているからだ。
 言葉で正さないことに勿論意味はあった、だが同時に人の弱さも知っていた。
 言って聞かせ、やって見せねばというのが人だ。
 ゆえにイザナミは自身の行いが愛ゆえとはいえ独善であると分かっていた。

 だからこそ、救済措置を残していたのだ。
 過ちを犯したらどうすれば良いか、母である己にどう向き合うか。
 紫苑のやったことは百点満点の正解である。
 まずは過ちを認め謝罪、その後、これからどうするか――すなわち反省を見せる。
 気が遠くなるような昔からずっとずっとその当たり前の救済措置を残していた。
 別に人でなくても良い、人を導く立場にあった神々がそうしていたのならばもっと早くに赦していた。
 だが三貴子を始めとする子らはそれが出来なかったから今に至ったのだ。

 もう一度チャンスを、欲しければ正しく過ちを認めて謝れば良かった。
 そうすればイザナミもまた己の独善を省みて零からやり直せたのだ。
 二度目、それは子供にとっても親にとっても公平な始まりだ。
 今度は言葉で正さなかったという負い目も無い。
 間違えれば今度こそ総てを絶やしてしまえる。

『命の営みか』

 だが、イザナミにはすぐには赦せない理由があった。
 目の前に居る手のかかる我が子を叱ってやらねばならない。
 何せこの子はまだ謝罪が終わってないと思っているから。
 この真っ直ぐな子がこれから何を言おうとしているのか、分からないわけがない。
 そしてそれは母であるイザナミにとっては赦せないもの。

『はい。勿論、これまで俺達人間が間違い続けて来たことは事実です』

 イザナミの愛に気付けぬまま長き時が流れた。
 馬鹿みたいに長い時間気付かずに間違え続けて来たのだ。
 当然、今からやり直すから赦してという言葉だけでは足りないだろう。

『まずは罰を、証を立てねばならないことは百も承知』

 それを以って、初めて仕切り直すことが出来る。

『ふむ……証、とな?』

 辛い現実や罪科から目を背けてはならない、それはイザナミの願いそのもの。
 しかし、目の前の子供は生真面目が過ぎる。
 だからこそ、何を言おうとしているのかが手に取るように分かってしまう。
 何故母と呼びながらそこに気付けないのか。
 怒りとそれ以上の慈愛を以ってイザナミはそれを正すつもりだ。

『――――この命を以って、可能性を繋ぐことを赦して下さい』

 日本人のこれまでの歴史を総て背負って、紫苑は此処に立っている。
 先人らが犯し続けて来た罪を、その身一つで贖おうとしている。

『その命で贖えるほどに歴史は軽いか? 簡単に捨ててしまえるほど軽いその命で?』
『俺の命が軽い? お母さん、あなたは勘違いをしています』

 ようやく頭を上げた紫苑の瞳には漆黒の闇でも塗り潰せない光が宿っていた。

『今までは、確かにそういう面もあった。
立ち会った困難の中でも、この命でどうにかなるなら……って。
だが、余命を知ったことで俺は俺の命の重さをちゃんと理解した。
少し視点を変えればすぐに気付けるのに随分と時間がかかってしまった……』

 俺の命は宇宙よりも重い――紫苑は心底から確信している。
 そんな男が自分の命が軽いなどと思っているわけがない。

『ルドルフ・フォン・ジンネマン、桝谷麻衣、外道天魔、醍醐栞、醍醐紗織、
アイリーン・ハーン、アリス・ミラー、ルーク・ミラー、逆鬼雲母、りん、鎌田桐緒、
花形元、織田信長、真田幸村、ジャンヌ・ダルク、ジル・ド・レ、安倍晴明……他にも沢山』

 胸に手を当て、噛み締めるように名を呼ぶ。

『俺は仲間である彼らを心の底から誇りに思っている。
そんな彼らの優しい想いを一身に受けている俺の命が軽いわけねえだろうが!!!!』

 誇り? 埃の間違いではなかろうか?
 紫苑が他者を誇りに思ったことなぞ一度も御座いません。

『気付くのが遅過ぎたというべきか……ああそうだ、俺は酷く視野狭窄だった。
俺が自分の命を軽んじることは、俺を想ってくれている人達を軽んじることでもあったんだ。
俺は余命を知り、命に向き合い、ようやく自分の命の重さに気付いた。死にたくない、生きたいと、心の底から想う!』

 だからこそ、その命は誠心足り得る。

『俺の命は安くもないし軽くもない。重い、重いんだ。過去の歴史とだって釣り合ってたまるか。
だが、都合良く赦しを得るわけにはいかないだろう? だから、自分の大切なものを捧げるんだ。
これが俺の余命の使い方……限りある命をどうまっとうするべきかという自身への答え』

 紫苑は昨日余命を知らされてからずっと考えていた。
 世間にカニの脅威が認知された辺りで道連れにして歴史に名を刻むか、
これまで通りに幾つもの困難を打破して名声を高め穏やかに死ぬか。
 だがそれらは等しくしんどいことだ。考えるだけで億劫になる。
 戦うのも痛いし面倒だし、立ちはだかる困難をプチプチ潰していくのも未来が無い身ではやる気も出ない。
 そんな時に今回の事件がやって来た。これを利用しない手は無い。

『俺の命で赦されるのならば、どうか御願いだ。
俺が何を想って生き、そして死んだのかを仲間達に伝えて欲しい。
決して皆を軽んじたのではない、胸を張って誇れる生き方を貫いたのだと伝えて欲しい』

 そうして情報を流すことで、死後を操作するつもりなのだ。
 賢い大人ならば戦意高揚のために春風紫苑を利用するだろう。
 利用された名は世界中に広がり今ある名声を更に押し上げる。
 それは実に素晴らしい未来だ。
 ネックは日本人という人種だけしか救っていないことだがその高潔さは誰にも否定出来ないし文句なしの偉業である。
 これ以上ストレスに塗れて日々を過し死を迎えるよりかは大分マシ。
 あらゆる打算の下に紫苑はこの選択を選び取ったのだ。

『成るほど、確かに己の命を軽んじているわけではないらしい』
『ならば――――』
『だが、愚かしい選択をしたと言わざるを得ん』

 パン、と渇いた音が響き渡る。
 一瞬何が起こったから分からない紫苑だったが、すぐに自分が平手打ちを受けたことに気付く。

『な……(何しやがるド腐れババアカッコマジ! お前のような醜い糞が永世イケメン春風紫苑の美顔を叩くとは何ごとだ恥を知れ俗物!!)』

 俗物がどちらかなど語るまでもない。

『過ちを認め、素直に頭を下げて赦しを乞うた我が子を殺す母親が何処に居る?』

 過ちを認めない我が子をぶっ殺すって母親も何処に居るんだよ馬鹿野郎。

『反省し、これからやり直すはずの我が子を殺す母親が何処に居る?』

 割と身勝手な論法だが、イザナミからすれば何も矛盾はしていない。
 省みなければ滅べという苛烈過ぎる性は同時に愛情の裏返しでもある。
 永き時の中でようやく現れた過ちを知る者。
 総てを理解しその上で正しい選択をした我が子。
 その子の死を望むなど母親ではない。

『何故、大切だと分かっているならば生きようとしない。
何故、己が先頭に立って他の者らに背を見せようとしない。
例え十年しか生きられぬとしても子を成すことは出来るし、
そうでなくてもお前に憧れる子供らは多く居て、その者らに生き様を見せ付けることは出来るだろう。
限りある命を何故、このような暗き場所で使い切ろうとする。
人の過ちに気付き反省するのならば……お前自身が言ったように、他の者の道を正すことにその命を使え。
言葉で、行動で、それこそが耐え続けた母への何よりもの報恩ではないのか?』

 何故こんな場所で死のうとするかって? 本人視点で楽な方向に流れた結果である。

『それは……でも……』
『我が厳しいだけの母親だとでも思うたか?』

 気付くまで毎日千人殺すとかいってのける母親が優しいとでも?

『我から目を逸らさず、己から目を逸らさず、業を認め頭を垂れた。
宣言しよう――――ここに禊は成った、我はしばしの継続を認める!!』

 高らかに裁定の結果を謳い上げるイザナミ。
 日ノ本の神々が、日本人の血を持つ人間達が、その裁定を確かに聞いた。
 生まれては消えてゆく命の営み、それが続くことを赦されたのだ。

『これからまた永き時をかけて、人を見極めよう。お前の誠心が無駄になるかどうかはこれからだ』

 ゆえに生きろ、限りある命を使って日々を真面目に生きろ。
 それこそがお前の役目だ――――イザナギは厳しくも温かいエールを贈った。

『……重いな(クソ! 何でだ、何で俺の思う通りにことが運ばん!?)』

 死んで一抜けを狙っていた紫苑は憤慨していた。
 どうして楽な方向に流れさせてくれない、どうして自分の思う通りに動かない。
 この俺の素晴らしい命を貰えるのだから涙して受け取るのが道理だろう!
 などと君、頭大丈夫? なことを本気で考えている紫苑はトコトンまで道化だ。
 やはり目先のことしかどうにも出来ない。
 悉く本筋以外の部分で外してしまう。この道化芝居を間近で見せられていたカス蛇は爆笑寸前だった。
 笑ってしまえば紫苑の機嫌を損ねてしまうので我慢をしているが、これは腹筋に悪い――ところで蛇に腹筋あるのだろうか?

『では目を逸らすか? 重責から目を背けて逃げ出すか?』

 厳しい言葉だがその表情は柔らかだ。
 それはここまで辿り着き誠心を見せた我が子を信頼しているからに他ならない。

『はぁ……意地悪だな、出来るわけがない。俺よりもずっと小さい子供ですら立派に生きてるんだ。
先達足る俺が無様な背を見せられるか。俺の前を生き、立派な背を見せてくれる大人達。
俺の背を見て大きくなっていくであろう子供達に恥じぬよう、己が生をまっとうするつもりだ』

 目論みが破綻したことで紫苑のテンションは地獄の最下層にあった。
 もう何もかもがどうでも良くなって投げやりに。
 ジワジワと死に近付くよりさっぱり殺してくれる方が俗人的にはありがたかったのに……。
 イザナミという神は本当に酷なことをする――笑いが止まらない。

『ならばよし』
『!』

 イザナミが手を翳すと同時に紫苑を蝕んでいた腐食がみるみるうちに小さくなり元の綺麗な身体に回帰する。
 だが、腐食が消えたというのは何も紫苑に限った話ではない。
 存在しているだけで頭がおかしくなりそうな醜悪さを誇っていたイザナミが見れるようになっていく。

『どうした、何を驚く? 我は神ぞ』

 ハイライトの無い真っ暗な瞳が足を引っ張っているものの、往時の姿を取り戻したイザナミは非常に美しかった。
 膝辺りまで伸びる夜を閉じ込めた御髪に、整った目鼻、母と女を両立させた豊満な肢体。
 憂いを感じさせる表情は女神そのもの。
 これがあの姿になったのだからイザナギが現実から目を逸らしてしまう気持ちも理解出来る。

『――――』
『先の我には怖じておらんかったくせに、妙な男だな』

 闇色の薄い羽衣だけを纏ったほぼマッパのイザナミ。
 この光景を見せられている日本人の男達は大歓喜だろう――尚、紫苑は除く。

『(どう考えてもさっきまでのが良かっただろうが畜生め……!!)』

 お前は何を言っているんだ? と思うかもしれないが紫苑の思考形態からすれば当然のこと。
 醜いからこそ見下して優越に浸ることが出来るのだ。
 美しいものは自分だけで良い、そう考えている紫苑からすれば女神状態より邪神状態の方が良いに決まってる。

『ああ、照れておるのか?』

 にしてもこの女神、声に抑揚が無い。
 寝惚けて――否、ぼんやりと夢現のまま発言しているのではなかろうか?
 そう思ってしまうほどに生の感情が感じられない。永いこと死の国に居た弊害だろうか。

『もしくは欲情か? まあ、死に瀕すると屹立し易いらしいからな。
処理してやろうか? 既に離縁は済ませておるし不貞には当たらん』

 またまたご冗談を。
 どうしても抱かないといけないというのならば紫苑は女神形態よりも邪神形態を選ぶはずだ。
 美しさは敵だ、自分以外に美しい奴は死んでしまえ! なある意味B専野郎なのだから。

『(死の寸前まで追い詰めたのは誰だよ……って、あれ……力が……)』

 ふらつき、倒れる寸前でイザナミが紫苑の身体を抱き留める。

『外側は消したが蝕んでいた不浄は骨の髄まで染みておる。
精神力で耐えておったようだが、糸が切れたようだな。しばらくは安静にしていろ』

 どの口で言ってんだこのBBA。

『母の胸で眠るが良い』

 色々不満はあったがやる気ZEROの紫苑はその言葉に頷いて意識を落とした。
 紫苑を抱き上げたイザナミはそのまま眼前に開いた孔を通って高天原へと姿を現す。
 突然現れた女神に誰もが息を呑む。
 裁定は終わったとはいえ、どうにも彼女の行動は読めない。

「我が声は聞こえるな? まずは、人よ、お前達からだ。
この者は黄泉路を踏破し、我が眼前にて過去と現在を背負い頭を垂れた。
ゆえ、継続は赦す。だがそれで安堵するなど愚の骨頂」

 そこで思考を止めてしまっては紫苑の誠心も意味を成さない。

「この者は次に続く子供らに立派な背を見せた。子供らよ、今は多くを理解せずとも良い。
それでも胸に響いた何かがあったはずだ。それを忘れず健やかに育て」

 そして自分が大人になった時、同じように子供らに背を見せてやれ。
 イザナミの声にはやはり抑揚はなかったが、そこには確かな愛があった。

「同世代に生きる者らよ。
子供と大人の中間で揺れるお前達は先達の背を見ながらも後輩に背を見せる立場でもある。
これからだ、時を重ねて大人になる中で艱難辛苦がお前達を襲うだろう。
折れそうになったのならば同じ時代を担うこの者がどうしたかを思い出せ」

 そうやって奮起し、立派に大人の階段を駆け上がれ。
 少し厳しいがイザナミのエールが厳しいだけのものではないことは語るまでもない。

「大人達よ。皆が皆そうだとは言わんが、多くは愚か者だろう。
だが、子供は背を見ておる。大人であるお前達の背を見て一喜一憂しておる。
その背は子らに恥じぬ背であるか、もう一度己を見つめ直せ。
遅いなどということはない。それはこの者が今日この日、証明してみせた。
次代に繋ぐことの意味を忘れているのならばもういっそ己の手で首を絞めて死ね」

 厳しい、ひたすらに厳しい。
 しかしそれは大人だから。大人たる者は本来、立派でなくてはならないのだ。

「そして次は、神々だ」

 その言葉に三貴子を始めとしたイザナミ以下の神らが身を固くする。
 どんな厳しい言葉でも受け止めて、これからに活かす――彼らは皆、神たる己を自覚しているようだ。

「……」

 が、どういうわけかイザナミの言葉が始まらない。
 無言のままでその瞳は何処を見ているかすら定かではない。

「あれ?」

 イザナミはダン、と一度軽く足踏みをする。
 すると彼女の眼前には一軒の平屋が出現。簡素だが品があり、実に素晴らしい匠の作品だ。

「ええ!?」

 イザナミは何も言わずに紫苑を連れてその平屋に入って行った。
 恐らくは看病するつもりなのだろうが……。

「は、母上……お、俺様達は……?」

 マザコン涙不可避。
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