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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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黄泉路を越えて

 行動は迅速に。行動方針が決まってすぐに、紫苑はギルドの伝手を使って出雲へと飛んだ。
 今回の随伴者は案内役である藤堂を除くと醍醐姉妹、雲母、天魔の四人で残りは留守番。
 醍醐姉妹は切り札の純化が強力で、雲母の場合はギルドの職員としての関係、今回の異変の顛末を見届ける義務があるのだ。
 天魔の場合は晴明を呼べるということで起用された。
 回復役である麻衣を残したのは留守番組に何かあった場合を想定してのこと。
 出雲遠征組の回復役はその他の支援と同じように晴明が担うことになった。
 麻衣に比べれば回復は劣るものの、それなりの効果を期待出来て尚且つ他の支援効果と智慧も望めるのでトントン。

『では、道を拓くぞ』

 出雲に着いても一時休憩などはしない。面倒なことは手早く終わらせたいからだ。
 素戔男尊の導きにより神々の国、高天原へと通じる孔が眼前に出現する。

「では藤堂さん、俺達は行きます」
「うむ。儂も着いて行ければ良いのだが……力不足ですまぬ。武運を」
「その気持ちだけで十分です」

 藤堂を残し、五人は孔の中へと飛び込む。
 毎度毎度、特殊なダンジョンでは無性に郷愁を掻き立てられていたが今回は特級だった。
 それはありのまま。人が虚飾で塗り固める以前、剥き出しの姿。日本の原風景。
 年齢からして誰も知らないはずなのに、それでも魂にはその風景が刻み付けられている。
 だからこそ、醍醐姉妹も雲母も天魔も感極まったように声を出せずに居るのだ。
 紫苑? あれはやはり何も感じていない、ただ周りに合わせて感動を堪えている演技をしているだけ。

「姉様……」
「ええ……美しいわ……」

 黄金の稲穂の海がそよ風に揺られて波打つ。
 それだけでもう泣きそうになる。そうだ、この国はかつてこうだったのだ。

「(何かさぁ、大昔の日本的な感じがして感極まってんだろうけどさぁ……)」
『あん?』
「(ここって神の国であり、人の国じゃないよね? 葦原中つ国こそ人の領域だろうに。懐かしさも糞もねえよ)」

 クッソくだらねえと白けている紫苑。
 日本の原風景なんぞに心動かされるような感性は一切持ち合わせていないのだ。

『まあまあ……それより、剣呑な連中が見てるぜぇ?』
「(? 見た感じ、誰も居ないが……)」
『遠巻きにってことだ。人間が入り込んで来たのを快く思ってねえんだろうよ』

 それでも直接的な危害を加えて来ないのは素戔男尊の客人だからだろう。
 腐っても三貴子なのだ。他の神とは格が違う。

「――――すまぬ、待たせたな」

 ようやく待ち人がやって来た。これまでは声しか聞こえていなかった素戔男尊だ。
 容姿は悪くないが荒ぶる神の名に恥じぬ獣染みた凶相がどうにも足を引っ張っている。

「(上半身マッパかよ……まあ一応下丸出して無いだけマシか)いや、手間をかけるな」
「何、元は俺様が話を持ち込んだのだ。協力ぐらいはしてやる」
「それでスサノオさん? これから一体何処へ行くのかしら?」

 雲母が手を挙げて質問を投げる。
 イザナミに会いに行くと紫苑が決めた後、
素戔男尊は「ならば一旦高天原に来い」としか言わず詳細を聞いていないのだ。

「ん? そういえばお前の名を聞いていなかったな」

 雲母は素戔男尊来訪時に拠点に居なかったので名を知らなくてもしょうがない。
 いや、道中にでも聞いておけば良かったといえばそこまでだが。

「逆鬼雲母よ」
「雲母か、良き名だ。説明は歩きながらしよう、皆、着いて来い」

 素戔男尊の先導に従って歩き出す。
 直に見る彼は流石三貴子、ただ存在しているだけで清らかでありながら嵐のような神気を放っている。
 物怖じしない四人ですら意識せねば呑まれて一歩退いてしまいそうだ。
 尚、紫苑はその倣岸さでナチュラルに受け流している模様。

「母上――イザナミに会うということは根の国に行かねばならん。
となると姉上二人の力も借りねばどうにも出来んのよ。今から天照と月夜見に会いに行く」

 天照に月夜見、早々に三貴子全員と面識を持てるとは運が良いのか悪いのか。

「天照と月夜見に会う……この国に住まう人間としては光栄ですが……」
「あちらはどう思っているのでしょうね」

 神が人の味方ではないことは周知の事実。
 天照や月夜見が都合良く味方になってくれると楽観は出来ない。

「天照に月夜見かぁ、僕はゲームでぐらいしか聞いたことないや」
「私は何となく名前を知ってる程度ねえ。神話なんて興味無かったし」

 ほどなくして集落のような場所に辿り着く。
 そこには人に近しい姿の神や、まんま異形の神が居た。
 彼らの視線は決して好意的なものではない。
 それでもボソボソと陰口を叩かない辺りは品がある。

「姉上達に会う前に一つ言っておく。紫苑、俺様はお前が母上に会いたいというのなら協力するつもりだ。
しかし姉上らは反対するだろう。だがそれは何も意地悪でそうするわけではない。お前を気遣ってだ」
「? 根の国に行かねばならんからか?」
「まあそれもあるが……いや、これから先の説明は姉上らに任せる。行くぞ」

 集落の奥には一際大きな神殿がそびえ立っている。
 恐らくはそこが天照の住処なのだろう。
 素戔男尊の後に続いて中に入り、奥へ奥へと進む。
 神殿内は清浄な空気に満ちており、そこに居るだけで心が洗われそうだ――紫苑以外の。

「入るぞ姉上!」

 勢い良く扉を開け放つと室内では絶世の美人――いや、美神が紫苑らを迎えた。
 煌びやかな衣に身を包み上座で此方を見ている金髪の女が恐らくは天照。
 派手さこそないが静かな品を感じさせる衣を纏っている青白い髪の女が月夜見だろう――印象的に。

「どうしましょう月夜見、あたし、やっぱり素戔男尊を見ると眩暈が……」

 口火を切ったのは天照だった。
 素戔男尊を見て額を抑えているのは過去の屈辱を思い出したからか。

「何時まで大昔のこと引き摺ってんだ糞ババア!!」
「駄目だよ素戔男尊。お姉ちゃんに何てこというの」
「ケッ……紫苑とその仲間達、テキトーに座れや」
「家主を無視した傍若無人な振る舞い……あたしもう限界だわ」

 限界早くありませんか天照様?

「……御姉弟、仲の良さを見せ付けるのも結構だが本題に入らせてくれないかな?」

 姉弟のやり取りは酷くつまらない。
 関係の無い第三者からすれば見ているだけで時間の無駄。
 軌道修正するべく紫苑が口を挟むと天照は真面目な顔で頷いた。

「俺は春風紫苑、素戔男尊の導きにより仲間と共に此処高天原へ来させてもらった」

 紫苑が名乗ると残る四人も同じように名乗りを上げる。

「これは御丁寧に。あたしは天照、こっちは妹の月夜見」
「よろしくね」
「姉上、自己紹介はこれぐらいで良いだろ。
名前だけ知ってりゃ十分だし、他はともかく春風紫苑については知っているだろうよ。本題に入るぜ」
「どうしてこの子はセッカチなのかなぁ……」

 月夜見が困ったような顔で溜息を吐く。
 不肖の弟だが、愛していないわけではなさそうだ。でなくば小言を口にすることすらないだろう。

「あなたが素戔男尊の我が侭に振り回されて難題を押し付けられたのは知っています」
「いや違う。俺は俺で今の状態を良しとしないから来た。だから一方的にどちらが迷惑をというのはおかしい」
「お前良い奴だよな」
「というより律儀な子だね」

 紫苑ほど不義理な男もそうはいない。助けられても恩一つ感じない男なのだから。

「あなたは我らの母に会いたいそうですね。どんな意図があるかは分かりませんが、あたしは反対です」
「同じくも私もお母さんに会うのは反対だよ」
「その理由を聞く前に御二人のスタンス――立場を聞かせて頂きたい」

 その言葉に天照と月夜見は一瞬、目配せを交わし、小さく頷く。

「これはあくまであたしと月夜見の意思ですが、
栄えるも滅びるも好きにすれば良いと思っています――――人間への好悪はどうであれ」

 やはり天照と月夜見も人間を良くは思っていない、というより嫌いなのだろう。
 それでも積極的に滅ぼさないだけマシといえよう。

「あたしとお姉ちゃんは素戔男尊のように敗者がどうたらってわけじゃなくて戦う気力が無いの。
憎くはある、だけど積極的に殺して殺して殺し尽くすなんて頑張るほどやる気があるわけではない」
「これで良いですか?」
「ええ、十分です」

 くたびれきった定年間近のサラリーマン、
もしくは定年を迎えてすっかり老けてしまったサラリーマンのような倦怠感を見るに二人の言に偽りは無いだろう。
 であれば十分だ。積極的に邪魔をして来ない確信が持てた。

「ならばその上で御聞きしたい。不干渉を貫いているあなた方がどうして謁見に反対を?」
「不干渉とは言いますが、あたし達も情が無いわけではありません」
「わざわざ死にに向かうような真似を見過ごすつもりは無いよ」

 死にに向かう――何とも穏やかではない台詞だ。
 だが、イザナミの寝所は根の国にあるのであながち間違いでもない。

「それは根の国に向かうから? それともイザナミが危険過ぎるから?」
「前者は問題無いでしょう。気の弱い者ならばともかく、あたしが見るにあなた達はどの方も強靭な魂を持っている」

 中でも抜きん出ているのは春風紫苑。
 天照も月夜見も一目見て理解した。彼の持つ魂の熱量を。
 現実と幻想の重さが釣り合ったこの時代に生れ落ちた規格外。
 尋常ならざる祈りが二つ螺旋を描いて絡み合い奇跡の陰陽を描いている。
 もしも人である矜持が欠けてしまい片方の祈りだけになってしまえばただ強いだけの存在になってしまうだろう。
 その状態であろうとも真正面切って一対一で戦うならば自分達は軽く滅ぼされるであろうことをニ柱は理解している。
 だが所詮は強いだけ。どちらが稀有かと問われれば今の状態だ。

「黄泉醜女の軍勢が襲おうともそちらのお嬢さん方は鎧袖一触で蹴散らせるでしょう」
「イザナミという神様の前では無力、かしら?」
「純粋な戦闘能力――という意味では勝てないとは言いません」

 今ここに居る面子プラス信長と織田家全軍、ジャンヌ、ジルドレ、晴明が全力で戦えば早々遅れは取らないだろう。
 だがそういう問題ではないのだ。

「ならどういう意味さ?」

 挑むように問いを投げると天照と月夜見は何とも複雑な表情に変わる。
 三貴子は皆、イザナギが黄泉の穢れを落とす際に生まれた神だ。
 イザナミの胎から生まれたわけではない。
 だが、素戔男尊がかつて駄々を捏ねたようにイザナミのことを母だと思っている。
 だからこそ、あまり口外したくはない。

「姉上達が言わんならば俺様が言うぞ?
そもそもからして理由も説明せずに止めろというのはおかしいだろう」

 今回に限っては紫苑の行動を全面的にバックアップするつもりの素戔男尊が空気を壊す。
 彼にとっても口にはし難い事実なのだがいわねば話が進まない。
 苦い顔をする姉二人を放って素戔男尊は紫苑に向き直る。

「俺様達の母上は――――醜い」
「(神話級のブスなのは知ってる)」

 紫苑の性格も神話級のブスなので気にすることはない。

「それは……その、御三方の母たるイザナミの醜い姿を見られたくないという子の心という意味でしょうか?」
「そういう意味じゃないよ紗織。勿論、その気持ちが無いわけでもないけど」

 醜い母の姿を見られたくないという気持ちはある。
 だがそれだけで止めるほど狭量ではない。深刻な問題が存在しているのだ。

「例えばあなた方が上手く根の国を踏破して母の下に立ったとしましょう。そこからが問題なのです。
会話は愚か、直視することさえ出来ないでしょう。眼前に立っただけで気が狂う。
それは意思云々の話ではない。あたし達神格でさえそうなのですから」

 イザナミの前に立てば深刻な精神汚染が始まる。
 歪み壊れて狂うのだ。どれだけ強靭な意思を持っていようとも関係は無い。

「術で防げるような類の汚染じゃないんだよ。
あの汚染が何なのかは私達にも正確には分からない。
だけど意思とかそういう要素を捻じ伏せるんじゃなくてすり抜けて作用するの。
ある種の拒絶のような念があるような気もするけど……正に親の心、子知らず。私達には分からない。
お母さんと言葉を交わせる存在が居るとすればお父さんぐらい、
だけどそのお父さんもお母さんと顔を合わせることはないから真意が確かめられない」

 何故イザナミに会いに行くのかは知らない、だが会った瞬間に汚染が始まるのは自明の理。
 即座に逃げるぐらいしか選択肢は無い。
 留まり何かをするにしても汚染による心の死は避けられない。
 自殺しに行くのと何も変わらない。

「そもそもからしてあなたは何故、母に会いに行こうとしたんですか?」

 それは仲間(一方通行)も、あるいは相棒(一方通行)であるカス蛇にも真意は分かっていない。
 表面上のことすら説明していないのだから紫苑の考えが分かるはずもない。
 無論、推測することは出来る。

「お父さんに対するカウンターとしてお母さんを引っ張り出したいの?」

 これが紫苑以外が共有する認識だろう。
 確かにカウンターという意味では間違いではない。だが、その意図するところが違うのだ。
 単純にイザナギにはイザナミをぶつければ良い。ああ確かにそれは間違いではないさ。
 実際に紫苑もそのつもりなのだから。
 だがそもそもからして彼らは病理を理解していない。
 根本的な治療を行うにはイザナミの真意を読む必要がある。

「それならばまだあたし達を引き込む方が目がありますよ。
無論、協力するつもりはありませんが母の前に立つということよりは余程容易い」

 それほどまでにイザナミの汚染は絶対なのだ。
 今の春風紫苑に物理的な力が無い以上、彼に出来るのは言葉を尽くすことのみ。
 しかし話をすることすら出来ない――それほどまでに拒絶は強い。
 言葉を交わせる可能性があるとしたらイザナギのみという月夜見の言葉は実に正しいのだ。

「……平坂でイザナギと別れて以降、イザナミは誰とも言葉を交わしていない。
それはこんな状況になって仕組みが変わってからも同じ。三貴子であるあなた達ですら姿しか見られなかった」

 それに相違は無いな? 紫苑の確認に三貴子は躊躇いがちに頷いた。
 この人間が一体何を考えているか、神々にも理解が出来ないのだ。
 天照と月夜見がその力を用いて心を覗き込もうとしたがまるで見えない。
 それはすなわち、魂の格が違うから。

「イザナミはイザナギと別れて以降、虚無に堕ちるまで彼女はその呪いを行使し続けていた」

 呪いとは言わずもがな、一日千人絞め殺すというあれだ。

「そうだが……」

 素戔男尊が困惑を滲ませたまま頷く。

「だが、再びこうやって現世に干渉出来るようになったが呪いは行使されていない、違うか?」
「そうですが……そもそもする必要が無いでしょう」

 千殺さずともイザナギが根絶の呪いをかけたのだから滅びは不可避。
 やる必要が無いと答える天照もまた困惑を隠せない。
 一体この人間は何処を見ている?

「疑問に思わないか?」
「あなたが言ってることがよく分からないよ……」

 直接的な暴力に訴えれば小指一本で殺せるほど紫苑は脆弱な存在だ。
 だというのに貴き三子は完全に呑まれていた。

「栞、紗織」
「は、はい!」
「な、何でしょうか?」

 突然名を呼ばれた二人は思わず声が上擦ってしまう。
 あまりにも静謐な空気を漂わせる紫苑に気圧されていたのだ。

「何故、イザナミは一日に千人殺すという呪いの言葉を吐いて実行した?」
「何故って……春風さん、それはイザナギが……」
「ええ。殿方にあるまじきヘタレ具合のせいでは?」

 熱いイザナギディス、確かにそれも間違いではないのだろう現に三貴子も否定の言葉を紡がない。
 だが本質は違う。断言しよう、本質に看破し一番近い場所に居るのは春風紫苑だ。
 己の本質を完全に覆い隠し見る者の目を眩ませる紫苑こそが、他者の本質を掴むことが出来る。
 何て滑稽、諧謔が効き過ぎて毒を超越して失笑しか出て来ない。

「イザナギへの憎悪――――ならば何故、今、イザナギの邪魔をしない?」

 理屈で考えるならばおかしいだろう。
 死ぬほど大嫌いな――訛った感じで言うなら死ぬほどでぇきれぇなイザナギが動いているのだぞ?
 なのに何故邪魔しない? 何故人の側に着かない?

「そりゃお前、母上だって人に駆逐された側だぞ? 何を都合の良い……」
「イザナミの気性は直に会ったことのない俺ですら容易に推察出来るものだ。その気性は苛烈の一言なのでは?」
「それは……確かにその通りでしょう」

 天照はイザナミに会いに行った時のことを思い出す。
 汚染の中で感じる拒絶と赫怒――炎のような、なんて形容すら生温いほどだ。

「道理に合わんだろう」

 イザナギと人間、両方憎いならば両方ぶん殴るぐらいの苛烈さがあって然るべきだろう。
 だが素戔男尊の言い分では両方憎いから我慢しているとしか思えない。
 いや、だとしてもイザナギが憎いのならば人間を放置して喧嘩を売れば良い。
 それでイザナギを叩きのめした後に人間を滅ぼせば良いではないか。

「神だから人の尺度で測るなと? 成るほど、正論だ。
だが憎悪という感情を持ちえる程度には人と近しいし、実際そうでない神も居るだろう。
人の理解がまったく及ばぬ神も確かに存在しているはずだ。
だがことイザナミに限って語るのならば俺はそうではないと思う」

 気性の激しいイザナミが動かない、深く考える必要が無いのだ。

「イザナミが動かない、それが何よりもの感情の発露なのでは?」

 人間――日本人にとっては言わずもがな、根絶という意味で。
 イザナギにとっては……それこそが核心なのだ。

「己を拒絶したイザナギに激怒した、それは確かだろう」

 そう、だがそこでもう一歩踏み込まねば見えないものがあって、紫苑はそれを見た。
 しかし他の者にはそれが見えない。

「――――イザナミは己を拒絶するイザナギに何を見たんだろうな?」

 紫苑は何時でも自分に全賭け。
 完全に目論み通りに進んだことはあまりないが、目先のことにかけては百発百中。
 ことを成した結果に起こる枝葉の部分でこそ読み違うし墓穴を掘ってしまうが決して核は外さない。
 それは欺くことに長けているから。
 他者の一番深い部分に毒を仕込んで己に酔わせねば自己の無謬さに皹が入るから。
 だから、そこだけは絶対に外さないし取り零さない。
 そして今、この瞬間、紫苑の読みが正しいことが証明される。

「な!?」

 三貴子は揃って驚きの声を上げる。それは目の前で起こった現象が信じられないから。

「うぅ……な、何ですかこれは……吐き気が……」
「し、栞……しっかり……!」
「気持ち悪い……何だよ、これ……!?」
「うぷ……!」

 人間四人が揃って口元を押さえて吐き気を堪えている。
 それは部屋の中心に出現した黒い孔から漂う空気に耐えられないから。

「これは根の国に通じる……? 馬鹿な、あたし達が開けたわけでもないのに……!」

 皆の眼前に出現したるはイザナギへと通じる黄泉路への孔だ。
 それは本来三貴子の力を以ってせねば開かないはずだった、かつてはともかく今はそうなっている。
 なのにどうしてこれが出現した? 語るまでも無い――――イザナミが紫苑を招いているからに決まっているだろう。

「……」

 紫苑は無言で立ち上がり、孔の前まで歩を進めてそこに手を突っ込み、再び手を引く。

「し、紫苑さん!?」

 腐っている、腐食している。左手の肘までが腐れている。
 何だこれは? どうなっている?

「何が起こっているかは分かりませんが……春風紫苑、これで分かったでしょう?
その汚染の恐ろしさを。神ならぬその身では、孔から漂う僅かな汚染ですらそうなってしまうのです。
例え如何なる術理で身を固めても……しかし何故、母の汚染がこんな場所にまで……」

 天照の知る限りではイザナミの汚染は根の国全体に満ちているがここまでではなかった。
 少なくとも紫苑ならば根の国の最深部手前までは辿り着けるはずだと思っていた。
 そうしてイザナミの前に立った瞬間、完全に終わるはずだ。
 しかし僅かに手を突っ込んだだけでもこうなるなどおかしい。
 これでは半ばに達する前に汚染で死んでしまう。

「素戔男尊」
「……何だ?」
「神話の時代、母に会いたいと駄々を捏ねたあなただが……姉二人も会いたかったんじゃないか?」

 いきなり何を言っているのだろう? まるで意味が分からない。
 というか意味深に訳知り顔で色々語るのは紫苑の大嫌いなことの一つなのによくもまあ……。
 どんな状況でも自分だけを棚上げする腐れた根性は汚染にも劣らず醜い。

「だから、会いに行けるようになってから全員が会いに行った。
じゃなきゃ汚染も糞も分からないもんな。でも……うん、多分そうだ。
親の心、子知らず――――あなた達が言った通りなのかもしれない」

 一歩、更に孔へと近付く紫苑だが、

「……」

 その首筋に刃が突きつけられた、それは素戔男尊が持つ神剣だった。
 そして三貴子の残るニ柱も美しく細い腕を手刀の形で同じように紫苑の首筋へ。
 前方を除く三方から突きつけられたそれは、動かば斬ると雄弁に語っていた。

「天照と月夜見はともかく、何故止める素戔男尊? そも俺に話を持って来たのはお前だろうが」
「それは……見れば分かるだろう? ちょっと手ぇ突っ込んだだけでそれだ。
むざむざ死にに行くようなもの、こりゃ流石の俺様でも予想外だった。
お前はここで死ぬには惜しい。人間は嫌いだがお前は嫌いではない」

 言いながらも素戔男尊は疑問を抱いていた。
 これは真の心から出た言葉なのか、と。

「あたしも同じです。人は嫌いですがあなた個人は好ましいと思います」
「うん。だから、無謀な旅に出るあなたを放っておけない」

 己への疑心を抱いているのは素戔男尊だけではなく天照と月夜見も同じだった。
 どうにもしっくり来ない、己の言葉が心からのものだとは思えない。

「……だから無理なんだよ(だから阿呆なんだよ)」

 申し訳なさそうに、悲しそうに呟く。
 紫苑は孔の出現で己の予想が正しいことの確信を得た。
 ゆえに三貴子らがおかしくてしょうがない、と同時に腹も立っている。

「(コイツらがしっかりしてりゃあよぉ……挽回のチャンスはあって、俺がやらなくても良かったのに……)」

 紫苑はイザナミを欺くつもりだ、嘘という名の救いを与えて願いを叶えてやるつもりだ。
 心底やりたくはないが、春風紫苑という"キャラ"を遵守する以上は避けて通れない道。
 不満なのはギャラリーが居ないことだが……。

「(ことによっちゃ、ますます俺の名声が……ゲヒヒヒヒwww)」

 ゲヒヒヒヒとかいう下卑た笑い声がこの上なく紫苑には似合っていた。
 誂えた服のように下衆、外道、屑、そんな概念がピタリと嵌まる。
 そしてそれはイザナミの望みとは真っ向から反するもの。
 だがしかし、紫苑の本性は決して白日の下には晒されない――未来永劫。
 でなくばどうして誰もが気持ち良く酔っ払うことが出来よう。

「……俺にも引け目はあるさ。本来なら、あなた達三柱がやるべきことなのだから。
だって、お母さんだもんな。でも、気付いたのは俺で……資格を与えられたのは俺だ。
それは彼女が、俺を……クソ、本当に俺はこういうのに弱い。恐ろしいのに何処か嬉しく感じている」

 更に一歩踏み出そうとする紫苑を見て、三柱は彼を殺す決意を固める。
 それを察した四人も動こうとするが少し遅い、一歩間に合わない。
 だが、

「我ぁあああああああああああああああああああ!?」
「きゃっ!?」
「くぅ……!」

 孔から飛び出した八つの雷が三柱を吹き飛ばす。
 余波で神殿が吹き飛んだが紫苑も、その仲間にも傷を付けることはなかった。

「はぁ……はぁ……何故、だ? 何故お前らが出て来る……」

 神剣を杖にして立ち上がった素戔男尊の身体には酷い火傷が刻まれている。
 それは天照と月夜見も同じだ。
 しかし、そこは神様。すぐにその火傷は回復して跡形も無く消え去った。
 だが、彼らは戸惑いだけはどうにも出来ない。
 紫苑が不可解なことを言い始めてからずっと、それを拭えずに居る。
 八つの雷が出て来たことでそれはもうどうしようもないレベルにまで達してしまった。

「――――答えろ八雷神!!」

 火之迦具土神を出産したことで死したイザナミ。
 黄泉に堕ちた彼女はかつての美しい姿を失い、目を覆いたくなるような有様へと変わっていた。
 火傷が腐り、蛆が集り、身体中には八つの雷が纏わりついていた――それこそが八雷神。
 イザナミから生まれていないとはいえ三貴子はイザナミを母だと認識している。
 そんな彼らからすれば八雷神いわば兄弟のようなものだ。

「何故、あなた達が出て来るの?」

 兄弟のようなものとはいえ八雷神と三貴子に接点は無い。
 存在こそ知っているし、黄泉に居る母の下に赴いた際に姿ぐらいは見たことがある。
 だがそれだけだ。互いに干渉しようとすら考えていなかった。
 だというのにこの局面で邪魔をするとは一体どういうことか。

「春風紫苑を死なせたくないからと嘯いて止めたくせに、殺そうとするとは道理が合わんな」

 八つの雷鳴が轟く、それは空で見下ろしている八雷神の言葉だ。
 彼らは揃って三貴子の矛盾を指摘していた。
 彼らの指摘は正しく、三貴子は言葉に詰まる。
 だがそれは別に意図した欺瞞ではない。本当に自身の想いを理解していないからだ。

「皆、聞いて欲しい」

 何ごとかと集まり出した他の神々には注意も向けずに紫苑は仲間達に語りかける。
 三貴子と同じく状況を把握出来ていない四人だがそれでも分かることはある。
 春風紫苑はこれから戦いに往くのだ。
 それはきっと、単純な戦闘行為ではなくもっとも難しい戦い。
 であれば、

「――――三貴子の足止めを頼む」

 それこそが自分達の役割なのだろう。
 戦いに向かう愛しい人の背を護る、傍で戦えないのは残念だけど心は何時でもあなたの傍に。

「ああ、任せてよ紫苑くん。どうせ後々神様とは戦うんだ。良い予行演習だよ」
「そうですね。些か恐れ多くはありますが私の唯一は春風さんですもの」
「何を恐れることがありましょうや。お任せください、決して邪魔はさせません」
「……紫苑ちゃん、気を付けてね?」

 瞬間、空で轟いていた八つの雷が四人の身体に纏わりつく。
 それは力を貸してやるという意思表示に他ならない。
 三貴子は何が分からずとも、一つだけ分かることがあった。
 八雷神を動かせるのはイザナミだけ、つまりこれはイザナミの意思であると。
 闘争の空気が満ちる場を軽やかにスルーして紫苑は根の国へと通じる孔へと足を踏み入れる。

「(さぁて――――待ってろよ、ド腐れババアカッコマジ!)」

 イザナミさん、コイツ追い払った方が良いですよ。
+注意+
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