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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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……ガキまで利用してようやるわ

「――――立て」

 紫苑の発する怒気にあてられて、雲母が拘束を緩める。

「こ、殺すのか……? お、俺は一般人だぞ!!」
「……」

 無言で男の胸襟を掴んで強制的に起立させ、

「この――――腐れ外道がぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 その頬に渾身の一撃を叩き込む。
 ところで腐れ外道というのは自己紹介かな?

「あぐぅ……!?」

 数回バウンドして公園の遊具に激突した男が呻き声を上げる。

「……子供を、殺そうとしたんだぞ」

 砕けた拳からはポタポタと血が流れている。
 それは何処か涙にも似ていて、ギャラリーが息を呑む。

「それだけじゃない、お前は何人ああやって殺したァ!?」

 男に駆け寄り、再び胸倉を掴んで引き起こし、砕けた拳でもう一度顔面を殴る。
 倒れた男に馬乗りになった紫苑。その表情は赫怒で彩られていた。

「な、何が悪い!? 冒険者でも何でもない俺が掴んだ生き残るチャンスに縋っただけだ!!
生きたいと願って何が悪い!? 死ねよ、自分以外なんて知ったこっちゃねえ!!
俺を生かすためにお前ら皆死ね! 死にたくないんだよ俺は!!」

 その身勝手さに、誰もが嫌悪を露にする。
 紫苑も似たような考えで日々を生きているが、だからといってクズっ友になれるわけではない。
 奴は自分は良いが他人は駄目という身勝手な性格だから。

「そうだな、生きたいという願いそのものは誰にも否定出来ない。
この世に生を受けた命は皆、生きたいと願っている。死にたくないと思っている」
「ハ! 何だよ、あれか? 俺が殺した人間も死にたくないと思ってたってか!?」

 男は紫苑が自分を殺さないと踏んでいる。
 それは春風紫苑という人間がこれまで成して来た善意に基づく行動を知っているから。
 恐らくは司法の手に委ねられるだろう。
 だが、それならそれでチャンスはある。
 貰った"目"は魂に埋め込まれているので摘出は不可。
 封じようにも封じることが出来ない、だから必ず逃げるチャンスはあると思っている。

「知らねえよ! 俺は俺が生きたいんだ! そのために他人を踏み付けて何が悪い!?
お前らだってそうだ! そんな目で俺を見てるがお前らだってチャンスがあれば絶対に同じことをする!」

 自分に侮蔑の視線を注ぐギャラリーに向かって叫ぶ。
 大抵の人間はそんなことはないと思っているが、紫苑としては同感だった。
 彼は人間というものを大そうな生物だとは思っていない(尚、自分は除く)。
 汚物を煮詰めた肉袋のくせに無理矢理綺麗に飾り立てようとしている滑稽な生き物――それが紫苑の人間という種に対する評価だ。

「――――だがそうしない人間も居るだろう」
「あ?」
「人間がそういう醜さを持っていることは否定しない。俺も、嫌というほど見せ付けられた。
幻想の連中が言うように、人は愚かなのかもしれない。だが、愚かなままじゃない。
時間を重ねて遠回りでもゆっくりと成長している。それは歴史を振り返れば確かなことだ。
ちょっとずつちょっとずつ良くなって来ている。人は己の中に潜む悪性を抑えることだって出来るんだ。
お前が人類代表みたいなツラしてんじゃねえよ下衆野郎!!」

 そういってもう一度男の顔面に拳を叩きこむ。
 砕けた拳で何度も人を殴ったせいで、紫苑の手は見るも無残な状態だ。
 それでも痛みに苦しむ様子は見えない――それ以上に怒っているから。

「綺麗ごとを……!」

 晴れ上がった顔面、鼻からは止め処なく血が流れている。
 ここに来て男は気付く――ひょっとして春風紫苑は自分を殺す気なのでは、と。

「綺麗ごとが好きで何が悪い? それは責められることじゃないだろう。
俺は人間が大好きだ。醜さもあるけれど、確かな輝きを持っている人間が大好きだ。
だから俺は戦える、そういう優しい光があるから俺は今日の今日まで戦って来れた!」

 今日の今日まで紫苑が戦って来れたのは自分を守るため。
 つまるところ動機でいうならば男と何ら変わりない。

「護るなんて大そうなことは言えない。俺は人間だから、無欠ではないから。
取り零すことだって多々あるし、無力感に打ちひしがれることもある。
それでも逃げずに居られたのは、優しい誰かがこの世界で生きていてくれるから!
俺はなぁ……別に聖人でも何でもない。
言い分は理解出来ても、その優しい誰かを奪うような奴を前にして冷静でなんか居られない」

 至極冷静で、打算的なことを考えているくせに何を仰る。
 紫苑は感情のままに男を糾弾することで、自分の印象を操作しようとしているのだ。
 自分が無欠の英雄という虚像で見られていることは承知の上。
 だからといって、それも度を過ぎれば面倒ごとしか引き起こさない。
 誰もが紫苑ならば、紫苑が何とかしてくれるなんてなれば笑えない。
 ゆえに無欠ではなく感情に流されることもあるのだと知らしめたい。
 目の前で絆を結んだ子供を無残に殺されかけ、
酷くショックを受けて冷静で居られないというのは絵的に見ても"アリ"だ。

『英雄のお洋服を捨てちゃうの?』

 そんな紫苑の意図を察知したカッスが問う。
 見栄の化身である屑野郎が英雄という立派な洋服を捨てることが解せないのだ。

「(いや、捨てないよ。無欠の英雄じゃなくて結果的に英雄になってしまった可哀想な少年になりたいんだ)」

 ややこしいにもほどがある。というか素面でそんなことほざける思考回路がおかしい。
 多くの脅威を解決して来たその所業はまさに英雄のそれ。
 だが、少年は別に英雄なんてものになりたかったわけではない。
 何時でもその善性と勇気で目の前のことに必死で立ち向かっただけ。
 そうして結果的に誰からも英雄として見られるようになってしまった哀れな少年。
 紫苑が言いたいのはつまりはそういうことだろう――やっぱりややこしい。

「(そうすりゃ、幾らか面倒ごとも軽減されるだろうし、何より絵的に良い感じだ)」

 日本人というのは快活で華々しく活躍する英雄よりも、何処か悲哀を感じさせる英雄に心を打たれ易い。
 判官贔屓の源義経、真田幸村などもそうだろう。そういうお国柄なのだ。
 まあ、全員が全員そういうわけではないが。

「それにな、感情だけってわけでもない……理性でも、お前を放置出来ない。
こんな時でも、そんなことを考えなきゃいけない自分が嫌になるが……。
お前が得た力、それはそう簡単に剥離出来るようなものじゃないだろう?」

 その指摘に男が固まる。

「でなきゃそんなに冷静で居られるものかよ。
さんざっぱら人の神経逆撫でるような発言をしたのは俺がお前を殺さないと踏んでいるから。
俺がお前をギルド――ひいては司法の手に委ねるだろうと確信していたから。
司法の手に委ねれば死刑は確定だ、なのにお前は司法の手に捕まりたいと思っている。
それは何故だ? どうにかなる算段があるからに決まっているだろう」

 どうにかなる算段、幾らか案は思い浮かぶ。
 例えば公権力側に強力なバックがついている――だがそれは違うだろう。
 もしそうならばそのバックアップでもっと上手く殺せたはずだ。
 であれば覚の能力を使ってというのが一番自然である。

「俺という心を読めない例外は居るが、大抵の人間には通用して来た。
雲母さんは一流の冒険者だ、元旦のあれもあったから知っているだろう。
だから彼女の心が読めたという事実から考えるにお前の能力はほぼ無欠。
上手く立ち回ればジャイアントキリングも容易い。
そしてその能力は封じることが出来ない、あるいは取り除くことが出来ない。
だからこその自信、どうとでもなると思っているんだろう?」

 男の顔が死人のように青褪めていく。己の打算を知られたからだ。

「余計な死人を出さないために、俺が、今ここでお前を封殺出来るこの俺が殺らねばならない」

 実に理に適った物言いだが、それでも紫苑の表情には隠し切れない憤怒が滲んでいた。
 理性と感情の間で揺れ動く様がありありと見て取れる。
 これこそが演技、演技の真骨頂。欺くという能力がカンストしている男の立ち振る舞い。

「ま、待て! 俺を……俺を殺せば俺に力を与えた奴とか――――」
「それがどうした? 一般人に、それも剥離不能ということは魂に力を埋め込んだんじゃないか?
だとしたら、そんな芸当の出来る者が自分についての手がかりを残すと思うか?
お前のそれはハッタリだ。実のところ、誰が自分に力を与えたか分かってないだろ?」

 言葉に詰まる、それは紫苑の指摘が正鵠を射ていたからだ。
 あらゆる虚飾が剥がされてゆく、だというのに春風紫苑の虚飾は永久不変。

「……お、俺を殺すのか!? 俺は力を与えられたとはいえ一般人だぞ!?
選択すら与えられていなかった、ただの人間だ! 情状酌量の余地はあるだろう!?
お前は人殺しになるぞ! 人殺しだ! 俺と同じ、人殺し! どんな大儀を掲げてもお前は人殺し!」

 理で翻意させられそうにはない。であれば情に、情に訴えて生存を掴み取る。
 男は紫苑を吐き気がする善人だと思っているし、だからこそ殺人の咎を忌避すると信じたい。
 だが、

「人殺しの咎を背負ってやろうじゃないか。ああそうさ、どんな大儀があろうとも人殺しは人殺し。
その論法に否は無い。俺も正しいと思う、お前と同じ場所に堕ちよう。報いはいずれ俺も受けることになるだろうさ」

 紫苑からすれば実にどうでも良いことだ。人殺しの咎など意味を成さない。

「嫌だ! 待て、もうしない! 本当にしない!」

 その嘆願も、悲しいかな紫苑の耳には届かない。
 まあ実際は届いているが敢えて聞こえていないように振舞っているだけだが。

「能力の発動条件が不明である以上、手足を拘束しても意味が無いかもしれない。
最後の悪足掻きにと殺しまくられれば目も当てられない。となると、傷口を最小限に抑えるためにお前を……。
ッ! ああ……嫌になる……怒りがあるのに、こんな風に冷静に物ごとを考えなきゃいけない自分が嫌になる」

 それは何処か独り言染みていた。
 揺れる揺れる、理性と感情が揺れて捻れて心を蝕む。

「――――お前はここで死ね」

 万感の一言だった。大きく拳を振りかぶって殴り殺そうとした紫苑だったが、

「……だめ、だよ」

 背後から小さな温もりを感じる。
 純化もどきを解除され、安らかな表情で眠っていたはずのりんが紫苑を抱き締めているのだ。

「!」

 だめだよ、りんはそれ以上何も言わず黙りこくっている。
 だが、その抱擁は何よりも雄弁だった。

「……世界中で、今も人間同士が殺し合っている、生きるために。
戦い続ける限り俺も何時かは人を殺すだろう……多分、それは避けられない」

 それでも今、殺すべきではないと君は言うのか?
 感情のままに、憎悪のままに殺すべきではないと言うのか?
 紫苑は今にも泣き出しそうな顔で男を睨み続ける。
 振り向くことが出来ないのは幼子の純真が眩しいからか。

「俺は、何も答えを出しちゃいない。今も己に問い続けている。
殺すこと、報い、自問自答し続けている……答えが出ぬまま短慮に走っちゃ、駄目、なんだな」

 五分か、十分か、どれだけ拳を振りかぶったまま止まっていたのだろう。
 振りかぶった拳を男の顔面のスグ真横に叩き込んで紫苑はりんの行動を噛み締める。
 りんは何も言わずにそっと紫苑の身体から離れた。
 振り向いた紫苑が目にしたのはりんの優しい笑顔。

「りん……俺は……!」

 感謝の言葉を伝えようとした紫苑だったが、先にりんが限界を迎える。
 再び意識は途切れたらしくその身体がくず折れ、地面に倒れる寸前で紫苑が抱き留めた。

「……」

 小さな身体を抱き締めて、深く尊さを感じ取る。
 穏やかな鼓動は生の証。男に殺された者達が生きられなかった今日を生きているという生命のサイン。

「雲母さん、この男の意識を刈り取ってください」

 冷静になった紫苑が雲母に呼びかける。

「……ええ」

 青くて真っ直ぐで、だからこそ危うい情動に呑まれかけていた紫苑はもう居ない。
 何時もの思慮深さが窺える瞳だ。
 我が子が感情のままに暴走しかけていた時、雲母は何も出来なかった。
 そのことを情けなく思いながらも紫苑がいうように一撃で男の意識を刈り取る。

「麻衣、ギルドに連絡を。犯人を見つけた、迎えに来て欲しいと伝えてくれ。
此方へ来る際は拘束具と手術用の強力な麻酔が出来る人間も同行させるように。
何にしろこのまましばらくは寝かせておく。意識が無ければ力も使えんだろう。
尋問やら何やらは晴明立会いの下行わせよう。あれならば上手いことコイツを無力化させられるかもしれん。
それまでは手足を拘束して個室に監禁、誰も顔を合わせないようにすれば問題ないだろう」

 先ほどは男はここで殺すしかないと口にしていた。
 だが今は理に適った方法で被害が出ないように指示出来ている。
 つまりそれは先ほどは冷静でなかったことの何より者証明であり、今が冷静であるという証明でもあった。
 何時もの紫苑に戻ったと麻衣はほっと胸を撫で下ろす。

「分かった! ついでに皆にも伝えとくわ!」

 壊れている紫苑の拳に回復魔法をかけて麻衣は指示通りに動き出す。

「ああ、頼む」

 指示を終えた紫苑は男には目もくれずりんの母親の下へ歩み寄った。

「……りんが居なければ、俺は短慮を犯していました」

 母親にりんを預け、ポツリと呟く。
 彼女は何も言えなかった。住んでいる世界が違い過ぎるから。
 春風紫苑は善良な少年で、強い意思を持っている。
 平時であればきっとそこで終わっていた。だが今の状況が彼をただの少年であることを赦してはくれない。
 あんな風に先々を見据えて殺す殺さないなんて、とても十代の少年がする葛藤ではないだろう。

「いずれそんな時が来るとしても、激情に駆られてするのとじゃきっと違う。
俺はまだ自分に問い続けていて、まだ確たる答えは持っていないから……。
彼は、りんは本当に強い子ですね。救われました、心から」

 深く頭を下げる紫苑を見て、りんの母親は堪えきれずにポツリと漏らしてしまう。

「春風さん、そこから身を引くことは出来ないんですか?」

 善良な人間だからこそ、思ってしまう。
 重責を負わずに春風紫苑がただの優しい少年のままで居られる世界を。
 息子であるりんと遊んでいた時の柔らかな顔こそが彼の本質なのだ。
 なのに時代がそれを赦さない。
 どれだけショックなことがあっても冷静であれ冷静であれと必死に感情を殺し、
だけども犯人の身勝手に我慢が出来なくて激情のままに拳を振るって殺そうとした。
 見るも無残なあの拳を思い返せばその赫怒が容易に想像出来る。それだけ情が深いのだ。
 そんな紫苑が過酷な世界で心身を磨り減らすなどあまりにも惨いではないか。

「俺が選んだ道です……俺は、あの日、あの夜に選んだんです」

 希望を信じていたい、明日は明るいと信じていたい、この世界で生きる、神の代理人を前に紫苑はそう宣言した。

「今でも自分の選択は間違いだとは思っていない。普遍的な正しさじゃなくて、自分にとっての正しい道。
俺はきっと、そこから離れては生きていけない。茨が身を裂き、血が幾ら流れ出ようとも止められない。
俺は俺としてこの生をまっとうしたい。これは誰に課せられた義務でも責任でもなくて、俺の我が儘だ」

 人は誰しも幸せになれるわけではない。
 限りある命を幸福だけで満たすなんてことは出来ないのだ、悲しいけれどそれが現実。
 その現実に嫌気が差して死を選ぶ――それも一つの選択だ。
 だが、死を選ばず生きると決めたのならば例えどれだけ苦痛に塗れた生であろうともそれをまっとうすべきだろう。
 選んだのは他でもない己なのだから。

「そう、ですか」

 りんの母親は静かに目を伏せた。その生き方を翻意させられないことを悟ったのだ。

「はい。お心遣い、感謝します」

 あなたの気持ちは伝わりました、その優しさが何よりも嬉しい。
 紫苑はりんの母親に向けて精一杯の笑顔を見せた。

『……ガキまで利用してようやるわ』

 そう、りんが目を覚まして紫苑を止めたのも演出である。
 絵になるシーンを作るためにわざわざ屑監督が役者に仕立て上げたのだ。
 無論、本人の意思など無関係に。
 幻術を上手く使えば他人を操ることなど児戯にも等しく、紫苑は上手い使い方を心得ている。
 決して乱用はせずに必要なタイミングで必要な仕掛けを最小限施し、
自らが望んだ結果のみを掴み取る――――悪魔染みた所業だ。

「(カカカ! 活躍させてやったんだからむしろ感謝して欲しいね!)」

 このエゴイスティック。
 分かり易く他人を踏み付けにするよりもよっぽど性質が悪い。

『正に役者が違う、か』

 その言葉は気絶した男に向けられたものだった。
 確かにその通り、文字通り役者の違いがこの結果に繋がったといえよう。

『それよりそろそろ効力が切れる……血を吐くから喉に詰まらせないように気を付けろよー』
「(吐血!? ちょっと待て、何でそこまで反――――)」

 瞬間、紫苑の口から決して少なくは無い量の血が零れ出す。
 それだけでも辛いのに、どうしようもない倦怠感まで襲って来る。

「は、春風さん!?」

 血を吐いて地面に倒れ込んだ紫苑を見て周囲がざわめいている。

『何度も魂の均衡を崩して戻してを繰り返してりゃあそうなるわな。
まあ今までも乱用はしてなかったから良いけど、これからも気ぃつけて使えよ。マジで死ぬからな』

 そしてそれこそがカニの狙いなのだろう。
 苦しみを解消し、リスクを完全消滅させるためには人の皮を捨て去るしかない。
 だからこそ、今回のような事件を引き起こした。
 春風紫苑が神便鬼毒酒に頼らざるを得ない状況を。
 とは言ってもこの一回程度で目論みを達成出来るとは露ほども思っていないが。

「(もっと早く言えやこの糞がぁああああ……! ま、まあ良い……それならそれでカァッス!)」
『ホントポジティブだなお前……あいあい、お前の望む通りに』

 名を呼ばれただけだがカス蛇にとってはそれで十分だった。
 通じ合っているのだ――困ったことに。

「し、紫苑くん! しっかり!!」
『ヒャハハハ! 無駄だぜ麻衣よ。そりゃそうだ、こうなって当然だろうて』

 カス蛇の哄笑が公園内に響き渡る。
 わざわざ切り替えたのは説明するまでもなく茶番を行うためだ。

『コイツは、自分で人であれと決めて力を殺したんだぜぇ?
だってのに都合良く利用した……そりゃしっぺ返しが来るさ。来ないと思う方がおかしい。
どうしようもない状況の時とはいえ、コイツは押し殺したはずの力に縋った。
まあ京都の時とかはコイツは自分の力を自覚していなかったが、元旦の時に俺様は説明したはずだ。
お前、魂ってのを甘く見てねえか? 均衡を崩して力を使用、時間が来れば均衡を戻す。
そんなことを何度も繰り返してりゃあ魂が傷付いてもしょうがない』

 あざとい、本当に本当にあざとい、それしか言葉が見つからない。
 紫苑を馬鹿にするような体でカス蛇が異変をこと細かに説明。
 分かり易く身を削っているのだとアッピール、あざとさとあざとさが止まらない。

「うぅ……ぐ、別に、甘く見てなどいない……! むしろ、安いぐらいだ……。
自分の意思で封じたはずの力を、規格外の力を僅かとはいえこの程度の代償で使用出来るならな……!」
『そりゃ結構。ただ、随分と無様晒してるぜえお前。ほら、みーんな見てる』

 ケラケラと笑うカス蛇、姿は見えないものの声は聞こえて確かに存在することを誰もが知っていた。
 何て不愉快なんだろう――本当にカス蛇は尽くす爬虫類である。

「あんたなぁ! いい加減にせえや!?」
『怒るなよ。俺様なりの愛情表現じゃねえか。俺様はちゃーんと紫苑を評価してるんだぜ?』

 こんな茶番をさせられる羽目になったが、カス蛇には不満一つ無い。
 紫苑が望むならばと諸手を上げて協力している。

「……蛇、動けるようになるまで……どれぐらいだ……?(まあまあだな、及第点ぐらいはくれてやらぁ)」
『一時間すりゃとりあえずは動けるようになるだろうて。それまではゆっくり休んでな(厳しいねえ)』
「そう、か……まい、きららさん……皆には、どうか……内緒に……」

 その言葉を最後に紫苑は意識を失った。
 同時に要請していたギルドの車が公園に乗り込んで来る。

「! 何があった?」

 職員を引き連れてやって来たのはカマキリだ。
 その視線は麻衣に抱き留められている紫苑に注がれていた。

「鎌田さん……後で説明するから、とりあえず紫苑くんが言うた通りに」
「……分かった」

 麻衣は電話をする際に紫苑の言葉をそのまま伝えた。
 なので意思の齟齬は無く、カマキリの指示の下、手際良く犯人は護送されていく。

「事情はまた後で聞くが、彼は大丈夫なのかい?」
「すぐに命の危険があるというわけじゃないわ」
「そうか。どうする、このままギルド系列の病院に連れて行くかい?」
『その必要はねえよ。ゆっくり休ませときゃあそれで良い。それよりコイツの意を汲んでやれよ』
「鎌田さん、とりあえずこのことは他の子達には内密に御願い出来るかしら?」

 心配をかけさせたくない、紫苑の意を汲んで頼み込む。
 カマキリもそこらを察したのか一言分かったとだけ頷く。

「彼はギルドの用事で戻るのが遅くなるということにしよう」
「ええ。その間、拠点じゃなくて私の家に運んでおくわ」
「分かった。なら後は頼んだよ」

 雲母達に紫苑を任せカマキリはいそいそと去って行った。
 犯人が捕まったことで色々仕事があるのだろう。

「よいしょっと……麻衣ちゃんは先に戻って居てくれる? もし他の子が拠点に戻って来たら……ね?」
「分かった。上手いこと言うとくわ」
「ありがとう」
「雲母さんも紫苑くんのこと御願いな」
「ええ、勿論」

 紫苑を抱きかかえて公園を離脱する雲母。
 カス蛇が命の危険は無いと言っていたので取り乱しはしなかったが、その胸では不安が渦巻いていた。
 今日は色々あり過ぎた。その中でも初めて紫苑が見せた負の感情の発露は特に……。

「カス蛇ちゃん、起きてる?」

 家に辿り着いた雲母はすぐに紫苑を寝室に運び込み、そっとその身体を横たえさせた。
 傍らに腰掛け紫苑の顔を眺めていると、どうにも気が重くなる。
 それを紛らわすためにカス蛇に呼びかけると返事はすぐに返って来た。

『ああ、起きてるぜ。消耗してんのは紫苑であって俺様じゃねえからな』
「……どうして、どうして紫苑ちゃんなのかしら?」

 世界中を見渡しても、こんな数奇な運命を辿っている十代は居ない。
 どうして紫苑はこんな場所に来てしまったのだろうか。
 それが苦しくて苦しくてしょうがない。

『俺様と出会ったから――――とでも言えば八つ当たりがし易くなるか?
だが残念、コイツも言ってただろ? 自分で選んだってな』
「逃げることは、逃げることは恥なのかしら?」

 重責を放り出してしまえば良い、どだい一個人が背負う運命にしては重過ぎるのだ。

『恥ではないし、紫苑も別に恥だとは思っていないだろうさ。
その上で逃げることを選ばなかっただけ。向き合い続けると、己の生に真摯であることを選んだんだだけさね』

 そうだ、その通りだ。その意思を否定することは出来ない。
 その誇り高い選択を貶めるようなことは誰にも出来ない。
 だがそれでも、それでも雲母は……。

「私は、逃げて欲しかった」
『逃げることを選ぶような奴ならばアンタと出会うことも無かっただろうぜ。アンタは狂ったままだ』
「それでも良い。私が例えあの地獄から抜け出せなくても……」

 意味の無い仮定だとは分かっている。
 それでもこう思ってしまうのは、紫苑を愛しているから。
 我が子として、そして恐らくは一人の男性としても。

「だって――――楽しそうだったのよ?」

 子供達と戯れるその姿は歳相応にしか見えなかった。
 キラキラと輝いていた、そこには小さな、それでも確かな幸福があったじゃないか。

『……』
「一言で良い、一言で良いの。辛い、逃げたいって言ってくれれば……!」

 堰を切ったように流れ出す涙が紫苑の顔を濡らす。
 もしも彼が起きていたのならば罵倒をぶつけていただろう。

「私は世界を敵に回しても、紫苑ちゃんを連れて何処までも逃げられる!!」

 立ち塞がる者が居るならば、総て切り伏せよう。
 我が子の幸福を護れずして何が母親だ。
 しかし雲母の願いは所詮、あり得無い仮定でしかない。
 春風紫苑は逃げない、逃げられない。
 本音では何時だって逃げたいと思っているがその性根が逃げることを赦さない。

「このまま、このまま逃げてしまいたい。この子を連れて逃げてしまいたい。
例えそれが紫苑ちゃんの意に沿わぬことでも、私は……私は……!!」

 どんどん欲求が高まっていく。
 気付けば雲母は紫苑の身体を抱き上げていた。

『――――お前紫苑を舐め過ぎだぜ』

 この会話自体が茶番だ、しかしカス蛇はその茶番を愉しんでいる。
 誰も見ていなくて、演者二人の小さな舞台であろうとも心底から愉しんでいる。

『護りたいって気持ちは分かるがそれも度が過ぎたらただの侮辱だ。
これまで必死に戦って来た、これからも必死で戦い続けていく春風紫苑を馬鹿にしているとしか思えねえ。
子は何時までも子じゃない。いずれは親元を巣立って行くんだ。
あんたは偽りであろうともコイツの母親になりたいって思ったんだろ?
迷うし惑うし、時には愚行も犯しそうになる。まだまだ紫苑は未熟だ、それでも必死に進もうとしているんだ』

 巣立ちはそう遠くない。

『疵だらけの翼でも、羽ばたこうとしているんだ。いずれ来る巣立ちをアンタは邪魔する気か?』

 それは決して母親がして良いことではない。

「……」
『紫苑に惚れている女達も、お前と似たような気持ちだろう。
無茶して欲しくない、逃げて欲しいと思っている。それでもコイツの意思を尊重している』

 意思を捻じ曲げて逆レをかました女子が数名居る件について。

「そんなの、そんなの分かってるわよぅ……!」

 自分の身勝手は自分が一番よく分かっている――尚、紫苑は自分の身勝手をまるで理解していない模様。
 それでも愛しい我が子を想う気持ちが止まらないのだ。喪失が恐ろしい、この子を喪うことが何よりも恐ろしい。

「でも……でも、愛しているの! 幸せになって欲しいの!!」

 涙で歪む視界はこのまま総てを閉ざしてしまいそう。
 だけど、

「――――あ」

 その視界が急激に晴れる。
 寝ているはずの紫苑の手が雲母の涙を優しく拭ったのだ。

『筋金入りの御人好しだなコイツ。意識もねえのによぉ。
なあ雲母、逆鬼雲母。アンタも先へ進む時が来たんじゃねえか?』
「……」
『(ふぅ……ナイス演出だぜ! 俺様有能)』

 ちなみに動かないはずの手が動いたのはカス蛇の仕業である。
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