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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

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俺はこう見えて子供好きだ

 雲母を慰めてから場を移した三人は、殺人鬼について思考を巡らせていた。

「雲母さんはどう思いますか?」

 紫苑の仲間の中では雲母が一番経験を積んでいる。
 その踏んだ場数は血肉となり、今でも彼女を支えている――ゆえに問うた。
 その血肉が導き出す仮説が無いかどうかを。
 雲母は顎に指を当て、思案し――首を横に振る。

「やはり特異ですか」
「ええ。鎌田さんとも一緒に、調べてみたんだけどねえ……」

 可能性は限りなく低いとはいえモンスターという線も無いわけではない。
 ゆえにギルドのデータベースを検索してそれらしい敵が居ないか調べたのだが空振り。

『そりゃそうだろ。ギルドが蓄えてるモンスターのデータなんぞ、殆どが雑魚ばっかじゃん』

 紫苑が構ってくれなくて暇なのかカス蛇まで話に入って来る。
 未だに雲母はこの何処からともなく聞こえて来る声に慣れない。
 肉体を捨てたということは発声器官も何も無いのに一体どうやって声を……。

「そりゃ知能を有するモンスターに比べれば相手は容易いけど、弱い奴らばかりでもないわよ?」
『いいや、雑魚だよ。強いって言っても膂力が半端じゃないとかその程度だろ?』

 他にも毒液を吐いたり岩の中を泳ぐなどの能力を持つ敵も居るが、カス蛇から言わせればまとめて雑魚だ。
 考える頭を持っていなければ殺すことは容易い。
 あれらは所詮、幻想の中でも表層も表層。ジャンクのように雑多で、皮膚にこびり付いた垢程度の存在。
 脅威というならばその数と復活が早いことくらいだ。

『少なくとも今回みてえにコソコソ殺しまわれるような智慧を持つ奴ぁ居ねえ。
じゃあ智慧を持つ奴ならっていうと……それもなぁ。
今回の事件みてえな真似が出来るのはかなり居るだろうが、そいつらはそもそもコソコソする必要が無い』

 魔術や呪いに秀でた幻想ならば一般人を怪死させることも容易いだろう。
 だが一人一人チマチマやる意味が無い。
 そんなことをしなくても大量虐殺なんて余裕なのだから。
 まあ、それ以前に出て来られるかも問題だが。

「成るほど……ならばやはり敵は冒険者か。それも恐らくは純化に至っている」

 そこらが妥当だろうというのが大方の見解だ。

『うーん……それもなぁ……』
「あれ? カスくんは何や別の意見あるん?」
『そもそもお前らが言うところの純化ってのは根底に強い想いありきだぜ? 例えば逆鬼雲母』

 突然自分の名前を呼ばれて驚いた雲母が目を瞬かせる。

『お前は喪失の痛みを知り、二度と愛しい者を喪うかと想いに狂った。
他の連中もそうだわな。結果として単純な強化だったり想いが色濃く反映された能力が芽生えた』
「……ええ、そうねえ」

 苦い顔で頷く雲母。未だに紫苑を攫った時のことを引き摺っているのだろう。
 だがカス蛇はそんなことお構いなしに舌を回す。

『じゃあ今回の犯人が純化に至った冒険者だとして――――その祈りは何だ?』
「ああ、成るほど。そういうことか」

 確かにそれは解せない、カス蛇の疑念も尤もだ。

『殺され方は多種多様で、共通しているのはどうやってその死因を与えたか分からない。
つまり……何だ? 誰がやったかを悟らせず色々な方法で殺したいって祈りか? そりゃちょっとなぁ……』

 そんな祈りで純化を果たしたとしても、やはり解せないのだ。
 基本的に純化を果たせばその祈りに狂って戻れなくなる。
 紫苑という標を持っている雲母達ならば別だが……。

「確かにそうだ。それならもっと被害が大きくなければおかしい」

 現に犯人は街中で人を殺してもバレていないのだ。
 不可視なのか何なのか、兎に角そういう能力ならば一々事件の露呈を気にする必要は無い。
 もっと大胆に多数の人間を殺せるはずだ。

「単純に誰にも自分の存在を知られたくないっていう祈りじゃないのかしら?」
『それだったら殺す必要はねえだろ。
つーか、気取られなくなった時点で祈りは満たしてるしそれ以外をする必要がねえし考えられん。
祈りの障害となるから殺した? 被害は一般人にも出てるしそりゃねえだろ』

 ならばもっと別の祈りかといわれると、事件に合致するような祈りは思い浮かばない。

「んー……前に紫苑くんと、サイコパスな人らの資料読んだことあるけど……」

 そういう人種が純化に至った結果が今回の事件だとしよう。
 にしてはこだわりが無さ過ぎる。
 そういった手合いは偏執的なまでに何らかのこだわりを感じさせるものだがそういうものが見えない。

『だからどうにもしっくり来ねえのよ』

 だが絶対に有り得ないわけでもない、だからカス蛇も何処か歯切れが悪いのだ。

「"不可能なものを除外していって残ったものが、たとえどんなに信じられなくても、それが真相である"
名探偵はそう言ってるが、今の世の中……不可能なことがそうそう有り得そうも無いからな」

 モンスターかもしれない、純化を果たした冒険者かもしれない。
 有り得そう、だけどやっぱり無さそう、結局のところそう判断するしかないのだ。
 不可能と切り捨てられない以上はどうにもならない思考の迷路に辿り着くだけ。

「(いかん、マジでむかついて来た。何だってこんな面倒な案件を何とかせにゃならんのだ?
単純に戦うだけなら馬鹿ども嗾けるだけで済むってのによー!! あーもう気分は最悪だ。
何で空が青いんだよ、太陽輝き過ぎだろ調子乗るなよマジでさぁ)」

 鬼と真正面から殺り合ったり腹を掻っ捌くよりかは随分穏やかな仕事だ。
 だが、比較してマシだからといって受け容れられるかどうかはまた別の話。

『(遂には空や太陽にまで文句つけ始めたよこの人……』

 大真面目に天体へ向けてイチャモンつける馬鹿はコイツくらいである。
 何てどうしようもなくてこの上ない不名誉なオンリーワンなのだろう。

「ホームズやっけ? 紫苑くん推理小説も読むんや」
「ジャンルは絞らないからな」
「……私、よくよく考えれば小説とか読んだことないわねえ」
「(低能乙!)」

 小説読んでたからって偉いわけじゃねえよ。
 さて、どん詰まりの推理から離れて他愛ない雑談をしながら街を練り歩いていた一行は気付けば公園の近くまで来ていた。

「ちょっと休んでこか。ああでもないこうでもないって無闇に歩き続けるのもあれやし」

 という麻衣の提案で公園に入り、三人はベンチに腰掛ける。
 冬だが今日は温かく何とも良い陽気でこのまま寝てしまいそうだ。

「そういえば雲母さんもここ最近は忙しいみたいですけど……大丈夫ですか?」
「あら、心配してくれてるの? ふふ、でも大丈夫よ」

 書類仕事であれば雲母も随分消耗していただろうが、彼女の仕事は体力を使うものばかり。
 そういう系統の仕事であれば雲母はあまり疲労を感じないのだ。

「身体を動かすだけなら随分楽だもの」
「(ううむ、見事な底辺っぷりだな。知的なあてくしとはそりが合わないわ)それなら良かった」

 知的というか恥的だろう、恥の多い人生を送っているんだし。

「紫苑ちゃんと麻衣ちゃんはどう? ちゃんと休めてる?」

 特に紫苑は誘拐記録を更新したりと馬鹿みたいに忙しい。
 雲母としてはそこらが心配で心配でしょうがなかった。
 とはいえ変に気遣い過ぎると紫苑も困るだろうことは予想出来る。なのでソフトな感じの質問を投げた。

「はい! うちはまあ、元々後衛で動いたりもせんし」
「俺も基本的に皆に助けてもらって(やって)るので大丈夫です」

 こんな奴ならもう見捨ててしまっても良いのではなかろうか。

「そう……それなら良いわ」

 どう考えてもハードスケジュールとかそういうレベルではないのだが、本人がこういうなら仕方ない。
 せめてこの時間だけでも穏やかに過してくれればと雲母は願う。

「あ、せやせや雲母さん」
「なぁに?」
「雲母さん来る前に紫苑くんと話してたんやけど、やっぱ前衛の人ってお金かかるよね?
武器だけでもそやけど防具とか……雲母さんは冒険者として先輩やしそこら辺教えてくれへんかな」
「そうだな、俺も知りたいな。雲母さん、教えてくれますか?」

 紫苑達も濃密な修羅場を潜っているとはいえ、普通の冒険者についてのあれこれはそこまで詳しくはない。
 学校に行っていればそこらも授業で習ったのだろうが……。

「そうねえ。確かにお金はかかるわ。基本的に装備をケチるのは駄目だもの。
今はそうでもないけど、以前は私も防具とか使ってて手入れなんかにも専門の業者さんに預けたりして結構……」

 モジョらと合流するまでは自棄っぱちで冒険者をやっていたため、装備もロクに揃えていなかった。
 だが、仲間を得た後からはそこらもしっかりやるようになった。
 結構な出費だったと若き日を思い出し、ちょっぴり切なくなる。

「でも私は武器に関してはお金使っていないから……他の人達に比べれば幾らかはマシだったけど」
「武器に関しては……って、刀とかって研がなあかんのちゃうん?」
「普通はそうで、私も今使っているのを手に入れるまでは研ぎに出したり折れたら買い換えたりしてたんだけどねえ」

 軽く腕を振って愛刀を召喚し、ゆっくりと鞘から抜き取る。
 陽光を反射して輝く刀身は溜息が出そうなほどに美しい。

「不思議なことにこれ研がなくても平気なのよ。頑丈だしよく斬れるし返り血で錆びることもないし便利よねえ」

 朗らかに笑っているが、それは便利とかそういうレベルではない。
 研がなくても問題はない――通常そんなことが有り得るだろうか?
 如何な達人とて斬れば僅かに刀身は消耗するし血を浴びれば刀身が錆び付く。
 だからこそ、繊細な手入れが必要なのだ。

「ほへえ……そら確かに便利やわ」
「でしょう?」
「手に入れたってことは買ったわけじゃないんですよね?」
「ええ。貰ったのよ」
「(貰った!?)」
「女威ちゃん達と一緒に仕事で三重の方に行ったのよ」
「依頼の報酬やったん?」
「ううん。仕事とは関係ないわ。仕事を終えてから観光してた時に大福ってお寺に行ったんだったかしら?」
「大福――大福田寺かな? ということは桑名に?」
「紫苑ちゃん詳しいわねえ。そうそう、桑名よ桑名。ハマグリが美味しかったわぁ……」

 焼きハマグリをツマミにパカパカと酒をかっ喰らっていた友人達を思い出し苦笑が浮かぶ。

「そのお寺さんで私、迷子になったの」
「(迷子って……モジョと組んでた時期ならもう十八超えてただろ? それで迷子ってマジで愚鈍だなコイツ)」
「携帯も宿で充電器に繋ぎっぱなしだったから途方に暮れててねえ」
「知らん場所で迷うと焦るよなぁ。うちも修学旅行で似たような経験あるわ」
「でしょう? もうどうしようかと思って」

 どんどん話がずれていくのはのんびり気質の二人だからだろう。

「(面倒くせえ……)迷子の時にその刀を?」
「ええ。うろうろしてる時に御婆ちゃんが不良に絡まれててそれを助けたの。
そしたら御婆ちゃんが優しい人で一緒に女威ちゃん達を探してくれたのよ。
で、合流した後で盛り上がって御婆ちゃんのお屋敷に招待されてね? 御飯をご馳走になったの」
「(だからこの女……!)」

 ほんわかとしたペースに血管がハチ切れそうになる紫苑。

「その時に、御婆ちゃんが私には悲運の相がどうたらで切り開く一助に?
何かそんな難しいこと言ってて私にこれをくれたのよ」

 ようはお前不運そうだからこれやるよってことである。

「へえ……不思議な感じやなぁ」
「でしょう? その時に名前も教えて貰ったんだけど……何だったかしら?
武器の名前とかに興味はなかったから聞き流してたけど……せ、せんじ?」
「千子!?」

 過剰な反応を見せた紫苑に二人がビクつく。
 だがしょうがない、彼にとっては聞き逃せない銘なのだ。

「ど、どうしたの紫苑ちゃん?」
「真贋は分かりませんが、本物ならば価値ある業物ですよそれ。
……いや、研がなくても良かったり血を浴びても錆びないという時点で本物の可能性が高いですね」
「よく分からないけど……良い刀なのね?」
「ええ。まあ、何処ぞの狸にとっては忌むべき物でしょうが」

 かつて三重県桑名――伊勢国桑名には高名な刀鍛冶が居た。
 その名は村正。RPGなどでもよく聞く名で、徳川家にとっては忌むべき存在だ。

「(む、村正をタダで貰うとか……あ、有り得ねえ……この女、ずるくね!?)」
『待って。お前もタダでロンギヌス貰ってるよ?』

 村正とロンギヌス、価値でいうならば圧倒的に後者の方が上だろう。

「? よく分からないけどやっぱりお得だったのねえ」
「良かったなぁ雲母さん」
「(チッ……)」

 急激にやる気を無くした紫苑。
 公園で楽しく遊んでいる子供達や楽しそうに歓談している主婦達ですら目障りだった。

「――――あれ? おにいちゃん!!」

 ふと、底抜けに明るい声が紫苑の耳に届く。
 駆け寄って来るのはピアスをあげたあの男の子だ。
 何人かの友達も一緒のようだが紫苑に近付いて来たのはあの男の子だけだった。

「君は……」
「おにいちゃんようじは?」
「今は休憩中だ。君は友達と遊びに来たのか?」
「うん! サッカーする! おにいちゃんもやろ!」

 今は休憩中なら少しくらい遊べるはず、そう思っての誘いだった。

「それは良いが、その前に君の名前を教えてくれるか? 次会った時に聞こうと思ってたんだ」
「りん! おにいちゃんはしおんおにいちゃんでしょ?」
「ああ。よし、じゃありん。俺もサッカーに混ぜてくれるか?」
「うん!」

 少し良いかな? 目で問うと、

「頑張ってな紫苑くん」
「楽しんでらっしゃい」

 二人は優しく紫苑を送り出した。

『しかしどうしたお前、何か子供には優しいな。風邪でも引いた?』

 わざわざ一緒に遊んでやらずとも問題はなかったはずだ。
 やれば周りの人間が良く思うだろうが今は一応殺人事件の調査中で休憩中。
 そんな気分じゃないと少し辛そうな顔をすれば子供にも遠巻きに見ている人間にも伝わっただろう。
 煩わしい些事にかまける必要も無い。

「(俺はこう見えて子供好きだ)」

 ナイスジョーク――というのはともかくとして、それは本当だ。
 幼い子供とはどうしようもなく劣る存在だと認識しているから。
 ゆえに基本的には優しい。例外の枠に入るのは特別秀でた能力があるとか特別秀でた容姿でチヤホヤされているような子供だけ。
 まるで支配者の目線だ。賢しい市民を嫌い、愚劣な市民に愛を注ぐ――そんな醜悪な支配者。

「も、申し訳ありませんうちの子が……」

 りんの母親らしき女性が近付いて来てぺこぺこと頭を下げている。
 どうやれ少年達はそれぞれの母親を伴って公園に来たらしい。
 このご時世に一人歩きをさせられないのでそれも当然か。

「先ほども貴重なものを頂いてしまって……」
「いや、気にしないでください。俺も宝物を貰いましたからね。それに、嬉しいのは確かですから」

 子供を利用した好感度アップ作戦が出来て嬉しいという意味ですね分かりたくもねえ。

「こんな状況になる以前から……ほら、俺ってあまり子供に好かれるような顔じゃないでしょう?」

 硬そうな表情をデフォとしている紫苑、それは感情を発露する時にギャップを見せるためだ。
 が、その弊害として気の弱い人間や子供は近付き難くなってしまっている。

「だからこんな風に物怖じせず話しかけてくれるってすっごく嬉しいんです」
「――――」

 りんの母親は少しだけ呆気に取られていた。
 息子との最初のやり取りを見ていた時も思ったが、紫苑は何処にでもいる少年にしか見えない。
 あの日、元旦、誰よりも早くに勇気を見せた英雄のような姿は嘘のよう――いやまあ実際嘘だけど。

「……そうですか。それでも、ありがとうございます」

 親近感を覚え、心の距離が(一方的に)近付く。
 母親は柔らかな笑顔で感謝の言葉を告げる。
 息子と遊んでくれることも、戦えない人間のために必死で身体を削ってくれていることも、様々な感謝を込めたありがとうだった。

「おにいちゃんはやくいこ!」
「はは、そうだな。じゃあ、失礼します」

 手を引かれて少年達の輪に加わる紫苑。
 りん以外の子供らは何処か緊張しているらしく表情が硬い。

「(フッ……子供心を掴んでやろう)なありん、サッカーって言ってたけどゲームか?」
「ううん。リフティングのれんしゅうだよ。おにいちゃんできる?」
「出来るぞ。まあ見てな」

 転がっていたボールをつま先で掬い上げてそのまま一回二回とボールを蹴る。
 つま先で数回、脛で数回、膝で数回、そのまま一際高く跳ね上げる。
 高く跳ね上がったボールをお辞儀するように背中で受け止めそのまま数回リフティング。

「よっと」

 背中でもう一度空高く跳ね上げて、
ボールが落ちるより早く両手を地に付けて鞍馬の選手のように足を回転させて両足で落ちて来たボールをキャッチ。

「どうだ?」
「すっげえ!!」

 アウトドア派の子供は運動が出来る年上の人間を好む。
 りんを皮切りにして距離を置いていた子供らもわらわらと紫苑に駆け寄って来る。

「ねえねえ、どうやってやるの!?」
「かっこいい!」
「ぼくにもできる?
「(チョロいもんだ!)練習すればきっと出来るさ」

 こんなことをほざきながら子供好きを自称するのだからやってられない。

「さあ、次は皆の番だ。普通のリフティングで良いから何回出来るか見せてくれよ」
「うん!」

 子供達が喜び勇んでサッカーボールを蹴り始め、大人達は少し離れた場所で彼らを温かな眼差しで見守る。
 穏やかな時間。世界が壊れてしまっても、せめてこの一時だけは安らぎを。
 昔日と呼ぶにはまだ早い、平和だったあの日を思い出して。
 だが、悪意というやつはこんな瞬間にこそ、その触手を伸ばす。

「――――」
「? どうしたりん」

 ポテン、ポテンとボールが転がっていく。
 りん少年の表情から一瞬にして感情が消えた。だがしかし、それは津波の前に静かになるようなもの。

「うわぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 恐怖の感情が爆ぜると同時にりんの腕から鮮血が噴出す。
 獣に噛み付かれたかのように、牙の痕のようなものが彼の腕に刻まれている。
 突然のことに、一瞬誰もが思考を停止させた。
 いち早く復帰したのは、

「(畜生ォオオオオオオオオオオ! 当たり引いちゃったじゃねえか!!)麻衣!!」

 それらしいフラグを立てるから……。
 清廉潔白な自分だけが不幸な目に遭うと嘆く恥知らずの紫苑だが、行動は早い。
 即座に麻衣に回復魔法をかけるよう指示する。

「りん! りん?!」

 紫苑の叫びに少し遅れてりんの母親が愛する我が子に駆け寄る。

「何……何が起きてるの!? きゅ、救急車!!」

 恐怖に涙し絶叫する我が子を抱きかかえて助けを求める母親。

「お母さん! うちに任せてください! 回復魔法使えます!!」

 あちこちを見えない獣に齧られ、
死に続く十三階段を駆け上がっていくりんだったが、麻衣の回復魔法により一瞬で全快する。
 だがしかし、

「~~~~~!!!!」

 治した瞬間にまた同じ傷が刻まれていく。
 毒に侵された醍醐姉妹の時と同じシチューションだが……。

「(あかん……どうする? まだまだ魔力はあるから治せる、でも……)」

 醍醐姉妹は痛みに耐性がある。
 だからこそ再生と破壊を繰り返されてもそう簡単に心の均衡を崩しはしない。
 だがりんは幼い――冒険者の素養も持っていないただの子供だ。
 そんな子供が回復と破壊を交互にされて無事で居られる保障は無い。

「(常に魔力を……これもあかん、傷付いてない状態のまま魔力を送ったら過回復に……)」
「御願いします! この子を助けてください!」
「ッッ!」

 迷う麻衣だったが、母親の嘆願に突き動かされ再び回復魔法を行使する。
 どの道、見捨てられるはずもなく選択肢は実質無いに等しかった。

『紫苑! 今すぐ見える範囲に居る人間をこの場に留まらせろ! 理由は後で話す!』

 ギャラリーが遅れて恐怖に駆られ逃げ出そうとするのを見て即座にカス蛇が紫苑にのみ声を届ける。

「(あ!? 訳分からんが……しゃあねえ!)皆さんこの場から離れないでください!
バラバラになって離れてしまうともし、同じような状態になった時、麻衣が回復させられません!
ギルドの冒険者を呼ぶにしても、すぐには来られない! この状況を維持してください!
何者かが無差別に狙って居る可能性があるんです! だからどうか、御願いします!!」

 逃がすなと言われた紫苑は即座に指示通りに人々へと呼びかけた。
 もしこの状況で逃げて同じことになったら助からないよ、と人々の恐怖を暗に煽ることで見事に足止めに成功。

「(おいカッス! 説明!)」
『この坊主をこんなにしたのは視認出来る範囲に居る誰かだ』
「(あ? だが冒険者っぽいのは居ないぞ……?)」

 冒険者であれば何となく分かる、
幻想回帰が起こる以前からそうだったが起こってからはそれが顕著だ。
 恐らくは世界の空気が変わったからだろう。

『ああ、その通り。犯人は一般人だ、それも恐らくは幻想の力を植え付けられた。
比較的穏やかな連中でも人嫌いはあるから、そんなことする奴が居るとは思わなかったが……。
多分、これもお前のことが大好きな甲殻類ちゃんの仕業じゃねえかな?』
「(順序立てて話せ)」
『この坊主は強制的に純化もどきともいうべき状態にされちまってる。
良いか? 純化ってのは一つを除いて全部を捨てるってことだ。
それは通常強く想っているその個人の祈りのようなものだがこれは違う。
恐怖という感情で他の総てを強制的に塗り潰されちまってんだ。
死に瀕した人間でも普通は恐怖だけじゃない。だけど恐怖だけにされている』

 カス蛇は正確に状況を把握していた。
 直に殺されようとする現場を見られたおかげで真実を掴むことが出来たのだ。

『良いか? 下手人は心を読んで感情を増幅させる力を与えられてる』
「(……最初は滋賀だったな? となると、滋賀で心を読めるような化け物……覚か?)」

 以前に栞に借りた本の一節を思い出す。
 曰く、飛騨美濃の深山にカクあり。山人呼んで覚と名づく。
 色黒く毛長くして よく人の言をなし、よく人の意を察す。あへて人の害をなさず。
 人これを殺さんとすれば、先その意をさとりてにげ去と云。

『それより紫苑、神便鬼毒酒を飲め。幻術を使えれば状況は打破出来る』
「(お、おう……)」

 指示通りに腰のバッグから酒を取り出して流し込む。
 周囲の人間は奇異の目で紫苑を見ているがその真剣な表情に何も言えなくなる。

「(だが覚は害を与えるような奴じゃ……いや、覚の力を使う人間なら関係ねえな)」
『この坊主やこれまでの被害者は皆そうだ。
心の中を暴かれて自分が最も恐れる死に方で総てを塗り潰した――その結果がこれだ』
「(だがこのガキや他の被害者の中には冒険者以外も……)」
『関係ねえんだよ。冒険者であるかどうかは。何時か言っただろ?
人が俺様達の領域に踏み込む、あるいは凌駕出来るとしたらその想いだけだと』

 狂気的な祈りを有し、それ以外の一切を切り捨てる――言葉にすれば実に容易い。
 だが実際にそれを行える者がどれだけ居るだろうか?
 そう多くは居ないだろう、だが犯人の力は強制的に余分なものを殺いで恐怖を増幅させることが出来る。

『それにこれは純化じゃねえ、あくまでもどきだ。もしも純化であるならば力は目に見える形で具現している』

 りんの恐怖は生きながら怪物に食べられることなのだろう。
 しかしその怪物は彼以外には見えていないし、彼以外を傷つけはしない。
 だってその恐怖はりんのものだから。彼以外に見えるわけがないのだ。
 もしも純化で恐怖が具現したのならば怪物は無差別にその恐怖を振り撒いていただろう。
 しかしそうはなっていない、だから"もどき"なのだ。

「(まあそれはどうでも良い、そしてこの状況を打破するために酒を飲めって言ったのも大体予想出来た。けどさ……)」
『あん?』
「(――――この思考も筒抜けなんじゃねえの?)」
『愚問だな。そんじょそこらの雑魚に……っつーか、誰にも見通せるかよ、お前をな。メタトロンでも無理なんだからな』

 あんなに沢山目がついているのにと哂うカッス。

『そしてお前という強固な魂に潜んでいる俺様も同じ。どうやっても読めねえ』

 と言っているがこれはあくまでご機嫌取りである。
 カス蛇本来の身体であっても格の違いで読心は不可能だったはずだ。

「(ん……来たな)」

 ドクン、と魂が脈打つ。均衡が崩れたことで幻術の使用が可能となった。

「麻衣、後は俺がやる」
「え?」
「助ける方法が分かった――――りん、よく頑張ったな」

 そっと、りんの額に手を当てて幻を叩き込む。
 恐怖だけで塗り潰されたのならば更にそこから別のもので上書きしてしまえば良い。
 不純物が混ざった時点で純化もどきは無効化してしまう。

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

 りんを抱いた母親が涙ながらに何度も何度も紫苑に頭を下げた。
 それ以外のギャラリーは突然のことに驚きを隠せず大口開けて固まっている。

「(ふぅ……ええ気持ちやのう……)いえ、りんは俺の友達ですから」
『よう、どうやって敵を燻り出す?』
「(気になる奴は居た。が、確証が持てないからもっと揺さぶってやるよ)」

 紫苑はりんを治す瞬間、この場に留めている人間達に向けて視線を走らせた。
 その中で怪しい驚き方をする人物を見つけたが、今はボロが見えない。
 心を知るだけあってそれなりに演技が上手らしい。
 十中八九犯人だろうが、念には念を入れねばならない。

「雲母さん、こっちへ」

 りんに異変が起きた瞬間から街灯の上に昇って怪しい者を探していた雲母を呼び寄せる。

「なぁに?」
「ちょっと耳を……」

 ボソボソと雲母に何かを吹き込む、すると彼女は茹蛸のように真っ赤になった。

「し、紫苑ちゃん? わ、私……お、お母さんで……い、嫌ではないけれど……人目もあるし……」

 胸の前で指を組み合わせてモジモジと羞恥を見せる雲母。

「嫌じゃないんだな――――やるぞ、雲母」
「は、はいぃ……」

 俯く雲母の顎を片手持ち上げ、その唇に己の唇を重ねる――いわゆるキッス、噂のキッス。
 突然のことに呆気に取られるギャラリー、だが紫苑は止まらない。
 舌をねじ込み雲母の口腔内を蹂躙。

「ん、やぁ……んん!!」

 少し強めに胸を揉み、その後、ゆっくりとその手を下へ下へ……。

「な、なななななな何してんねん!? ちょ、気でも狂った!?」
「――――雲母さん、あれだ、あそこの茶髪で十字架のアクセを首から下げてる男を拘束してくれ」

 有無を言わせぬ口調で、考えるよりも先に雲母は火照った身体のまま指示された男を取り押さえる。

「ぐ!? な、何するんだあんたら!?」

 顔を地面に押し付けられた男が抗議の声を上げる。

「今回は準備がし易かっただろ? 俺がりんを治した時は突然のことだったから心の準備が出来なかった。
だけど今回はわざわざ教えてやったからな。雲母さんにキスするってな。
俺の心は読めずとも雲母さんの心は読める。だから、ちゃーんと周りに合わせて呆気に取られたような演技が出来た。
そしてその後、思考停止から抜け出してざわつく演技だってバッチリ、百点満点だ」

 謳うように男を嘲る紫苑。多くの者にとっては彼が何を言っているかまったく分からないだろう。

「俺はこれでも芝居が好きでな」

 芝居を見るのではなく、芝居をするのが好きなんですね分かります。

「何時だったか役者さんに聞いたことがある、演技のいろはをな」

 その役者さんとは本当に実在している人物でしょうか? どう考えてもあなたの演技理論では?

「な、何を……おい、幾ら英雄だからってこんな横暴を……」

 男の言葉はガン無視である、こういう場面では確信を持って語り続けるのが効果的なのだ。

「突発的に周りに合わせて演技をするってのは、割と簡単らしい。
例えばさっきのシチュエーションなら、何故自分の業が破れたのか分からない。
だがボロを出すわけにはいかないから周りに合わせて驚きを表現した。
何せお前自身にも驚愕はあったからな、咄嗟の演技でも上手く合わせられた」

 紫苑演技監督の講釈が続く。

「だが、前以て何があるかを伝えられてその通りに演技をしろと言われるとな、これが中々難しい。
こうしよう、こうしなきゃ、心の準備は出来る。だが同時にそれは演技の匂いが混じり易くなる。
何処かわざとらしさが鼻につくんだよ。その匂いを消せるかどうかが役者の腕の見せどころだ」

 あくまで淡々と語っているようだが、衆目の目には立ち上る静かな怒気が見えた。
 ゆえに何となくではあるが察することが出来た――拘束されている男が犯人だと。
 本当に素晴らしい役者うそつきである。

「だから分かった、お前が犯人だ。りんをあんな目に遭わせたのはお前だな?」
「何だそりゃ!? 訳が分からん! おい、名誉毀損も甚だしいぞ!? 地位を傘に着て……!!」

 男の振る舞いはとても演技には見えない――紫苑以外には。
 紫苑は片膝を突いて男の顔を覗き込み、凄惨な笑みを浮かべる。

「そうかそうか。ならば同じことをして良いんだな? 見ていたなら分かるだろう?
俺はりんを治せた、つまるところお前と同じことが出来るというわけだ。
どれだけ残酷なことか……ああ、知らないなら分からないから怯える必要も無いよなぁ?
どんな死因になるんだろうな? じっくりと探らせてもらおうか……ほら、顔をよぉく見せてくれよ」

 甘い声で囁かれる死刑宣告、耐えられるわけがない。
 何せその死に様を幾度も見て来たのだから。

「ひ、ひぃいいいいいいいいいいい! やめろ、やめてくれ!?」
「おやぁ? お前は違うんだろう? これから何をされるかも分からないのに何だって怯えてる」

 静かにキレている――ようにしか見えない。
 外道に対して心の底から怒っている――ようにしか見えない。

「お、俺が……俺が犯人だ! だからやめてくれぇええええええええええええええええええええええ!!」
「(ボロが見えないなら出させてやれば良い……チョロイもんだ)」

 白蟻の如くに穴を穿つこの害人よ。

「(つーかこの程度の脅しで自白するような野郎が俺を騙し抜こうなんぞ四十六億年早いわ!)」

 さあ、ここからは紫苑演技監督の独り舞台である。
+注意+
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