挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

13/204

夜に慰め朝に慰め、僕は猿かっての

「ん……」

 下腹部に奔る鈍痛で目を覚ます。
 春とは言え早い時間に目を覚ますと暗く、寒いのだがそいつは黒パンツオンリーだった。

「月の御客様かな? アイリーンとの戦いん時じゃなくてラッキーだったよ」

 そいつ――外道天魔はフカフカのベッドに深く身を沈めて、
もう一度寝入ろうとしていたようだが痛みが気になり結局眠れなかった。
 仕方ないと諦め、背筋に力を込めて飛び上がるように起床する。

「ふぁぁ……毎度のこと、面倒だねえ」

 本人からすれば別に隠しているわけでも何でもないが、
外道天魔を分類するならば男子生徒ではなく女子生徒に入る。
 私服可の学校なのだ、別に男子の制服を着たって何ら問題は無い。
 周りが勝手に勘違いしているだけ。
 まあ、わざわざ男子の制服に身を包んだ人間に性別どっち?
なんてファンタスティック非礼を働ける人間もそうそう居ないのだが。

「一応、薬飲んでおこうかな?」

 当然のことながら冒険者の――それも前衛に適正のある者の肉体は桁が違う。
 生理であろうとも多少煩わしいと思う程度で、格段にスペックが落ちることはない。
 激しい戦闘だろうと何でもござれ。
 少しばかり判断力が鈍ることもあるだろうが命の危機を感じるレベルの戦いになるとそれも消える。
 極限にまで高まった集中が痛みを忘れさせるのだ。

「つーかまだ五時じゃん。普通の学生まだ寝てるよ」

 外道天魔は一人暮らしをしている。
 別に紫苑のように親が居ないわけじゃないし、疎まれているわけでもない。
 ただ何となく普通の家庭の空気が彼女の肌に合わないだけ。
 だから冒険者学校に入学するのを機に一人暮らしを始めた。
 その時に過保護な部類に入る両親から高級マンションを買い与えられ、
毎月頼んでも居ないのに学費などとは別途に馬鹿みたいな額の小遣いが送られて来る。
 愛されていると言う実感はあるが、それでもやっぱり肌に馴染まない。
 感謝はしているのだがどうにも……
 難儀な性だと彼女自身も自覚はしている。

「あ、帰りに牛乳買って来なきゃ……」

 冷蔵庫からリットルパックの牛乳と白い箱を取り出しソファーの前にある机に置く。

「いただきます」

 ソファーに深く腰掛け、箱の中のシュークリームに手を伸ばす。
 一個を一口で食べきるその姿は、やはり女の子と言うよりかは男の子にしか見えない。
 別段、男らしくしようとも女らしくしようとも思っていない天魔だがどちらかと言えば男性的だ。
 まあ、男にアーンして♪ と強請るような可愛らしさもあるにはあるのだが。
 しかしそれも躊躇い無く腕を捨てたり自分の首を掻っ捌く時点で帳消しにされるだろう。

「しかし、朝ごはんにシュークリームってのは失敗だったかな?」

 確かに余り朝食に適しているとは言えない。

「エクレアにしときゃ良かったよ。もしくはチーズケーキ」

 そっちかよ、結局甘味かよ。
 パクパクと次とシュークリームを平らげていくが……カロリーは大丈夫なのだろうか?
 普通の女の子なら間違いなく肉がつくことを心配するはずだ。
 確かに冒険者ならば消費も激しいが、それでもこれはやり過ぎ。
 一個辺りのカロリーが約二百としても三十個も食べれば六千カロリーだ。
 女性が一日に摂取する平均が約二千――朝食だけで三日分の摂取カロリーになる。
 正気の沙汰ではないとはこのことだ。

「んぐ――――ごちそうさまでした」

 口の中に残った甘味を牛乳で流し込み手を合わせる。
 いただきますとごちそうさまをちゃんと言えるのは良いことだ。
 しかし、牛乳をコップに移さずにパックからそのままと言うのは如何なものか。
 これがミニパックならともかく、満タンのリットルパックなのだ。
 しかも一滴残らず飲み干している……健啖にもほどがあるだろう。

「どうしようかなぁ……」

 めいっぱいソファーに身体を預けて仰け反るように天井を仰ぐ。
 年頃の少女らしい瑞々しい肌と、未成熟な肢体。
 青い果実とはこれを指すのだろう。男ならば生唾ものだ。
 尚、紫苑は除く。奴にも性欲が無いでもないが自分より優れた者には好意も欲情も抱けない。

「まだまだ時間あるよねえ。僕、こう言う暇な時間苦手だ」

 朝食に使った時間だって三十分もかかっていない。
 始業時間にはまだまだ間がある。かと言って二度寝と言う気分でもないのだ。
 テレビをつけてみたって十分もすれば忘れるようなニュースしかやっていない。
 天魔は今、完全に暇を持て余していた。

「――――」

 こんな時、思い浮かぶ顔は決まっていた。
 春風紫苑――――彼女の心を大きく占めている男の顔だ。
 生まれて初めて自分の性癖を話し、否定するでもなく肯定してくれたハジメテの人。

「……Durch Leiden Freude.《苦悩を突き抜けて歓喜に至れ》」

 貰った言葉は胸の中に大事に仕舞ってある。
 悩め、悩み続けてその果てに答えを見出せと言った。
 一見すれば無責任な言葉だし、実際にはその通りなのだが天魔は別の受け取り方をしていた。
 背中を押してくれた――――彼女はそう受け止めているのだ。
 天魔の視点において紫苑は目を逸らさずに、見捨てずに、徒に否定せずに、
自分のことを抱き締めてくれて、その上で一つの答えを示してくれた大恩人になっている。

"俺は祈っているよ、その苦悩の果てに辿り着く歓喜がお前を満たすものであると"

 この言葉を思い出す度に天魔は胸が熱くなる。
 祈る=ずっと見守っている、そう理解しているからだ。
 紫苑の本音から言うならば誤解も甚だしいだろう。
 何せ突き放すだけ突き放してそのまま帰って来るなと思っているのだから。

「……我ながら、度し難いね」

 何かに気付いた天魔の頬が朱に染まる。

「睡眠、食事、その二つの欲求を満たした思ったら性欲こっちかよ」

 下腹部に感じる熱と湿り気、人間としては極自然な生理現象だ。
 流石の彼女でも恥ずかしいと感じる感性はあるようで本気で恥ずかしがっている。

「夜に慰め朝に慰め、僕は猿かっての」

 フルフルと首を振って欲求を追い出す。
 それでも中々消えないが、もうそうなると無視するしかない――慰める気が無いのなら。

「とは言え、結構……でも自分でってのは虚しいし――よし、紫苑くんに会いに行こう!」

 別に紫苑にアレをソレしてもらうつもりはない。
 ただ、気になる彼と居る時は三大欲求をも忘れられるのだ。
 心の底から落ち着けて、何をしているわけでもないのに楽しくなって来る……
 色々アレな部分も多いが天魔もまた乙女なのだ。

「ゆっくり歩いて行けば六時くらいにゃなってるだろ。まあ、朝からお邪魔するのは多少無作法だけど……」

 優しい紫苑なら何時もの真面目な顔で赦してくれる――と天魔は考えているがんなことはない。
 確かに彼女が怖いから家には入れるだろう。
 しかし、ただでさえ心の狭い紫苑だ。
 心の中では口にするのも億劫な罵倒を繰り広げるはずだ。

「~♪」

 とは言え愛しの彼がそんなことを考えてるなんて想像もつかない彼女には何の関係も無いことだ。
 鼻歌交じりに身支度を整えている天魔の中では、
既に紫苑の家に行くと言う選択は決定事項だった。

「っし、施錠OK。そんじゃ行こうかな」

 まだ冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら紫苑の家を目指す。
 アイリーン戦後の打ち上げの際に初めてお邪魔したわけだが、

「……ああ言う家も良いよね」

 天魔は存外あの狭いアパートが気に入っていた。
 広過ぎると虚しさが広がり心が冷たくなるだけ。
 好きな人の顔が間近で見える広さの方がずっと心地良かった。
 彼女は逸脱した側の人間であると同時に、何処までも人間らしい。
 自分の性が他人に受け容れられるとは思っていないが他人を求めてしまう。
 家族やこれまで出会った人間に強くそれを求めなかったのは諦観があったから。
 自分の歩く道に着いて来れないし巻き込むのも忍びない、
ならばいっそ変な期待は持たずに距離を置いた方が良い……そう思っていたのだ。

「春は出会いの季節と言うけれど――――成るほど、確かにその通りだ」

 しかし出会った、自分の傍に居てくれる人に。
 優しくて、厳しくて、冗談が余り得意ではない不思議な男の子。
 その顔を思い浮かべるだけで冷めた心がギューっと熱くなる。
 外道天魔十五歳――――恋してます。
 それでも悲しいかな、想い人との心の距離は月よりも遠い。

「っと、着いた着いた。もう起きてるかな?」

 短い距離ではなかったが愛しい彼のことを考えているとあっという間だ。
 313号室のチャイムを鳴らすと、すぐに紫苑は出て来た。

「(ゲッ……朝からやーな顔見ちまった。最悪な一日の始まりだぜ)天魔? こんな時間にどうした?」

 学生ズボンにTシャツと言う微妙に支度が整った状態のアイツは、
今日も今日とて他人をナチュラルにディスっていた。

「早く起きてね――――紫苑くんの顔が見たくなったんだ」

 今日も素敵な日になる、そう考えている天魔とは何処までも対照的だ。

「(ホモ臭え野郎だぜ……いや、これも俺の美貌の成せる業か)おかしな奴だな。まあ、上がれ」

 勝手に機嫌を良くした紫苑が天魔を部屋に招き入れる。
 まあ、機嫌が悪かろうとも彼女を追い返す度胸がコイツにあるはずもないのだが。

「アイスコーヒーで良いか?」

 兎に角外面を気にするので持て成しは怠らない。
 ある意味でしっかりしているとも言えるだろう。

「うん、砂糖とミルクはたっぷりでよろしく」
「(厚かましい奴だぜ……日本人の癖に謙虚さが足りねえよ)分かった」

 栞の家を散々利用したお前は厚かましくないって言うのかよ。
 お前はそれで謙虚さ足りてるって胸を張って言え――――るんだろうな……。

「あれ? 朝食の途中だった?」
「ん、ああ」
「トーストに目玉焼きとハム……質素だねえ」

 身体が資本の冒険者、それで保つのか? と言う意図での言葉だったが……

「(俺が貧乏だってか!? クソクソクソ! 地獄に堕ちろ金持ちめ!)朝は余り食べないんだ」

 紫苑が許容出来るのは良くて中流家庭の人間まで。
 その中流家庭の人間にしても何かしら才に溢れているのなら完全アウトだ。

「ふぅん……」

 テキトーに相槌を打ちながら天魔は部屋を見渡す。
 打ち上げの際は飲んで食べてはしゃいでとじっくり観察出来なかったからだ。

「飾りっ気が無いんだね。何だか――――らしいや」

 飾らず、真っ直ぐな紫苑らしい部屋だと言う感想だが別にそんなことはない。
 この男は嘘と見栄で塗り固められた飾りだらけの男だよ。

「(また俺を馬鹿にした! また俺を馬鹿にしたぞコイツ!?)そうかな?」
「うん。でも、趣味とか無いの?」
「(小銭貯金、ポイントシール集め、懸賞……色々あるが言えんな)」

 言えよそれくらい。どんだけ自分を飾り立てたいんだ。
 別にそんな趣味で馬鹿にするほど天魔は小さい女じゃないんだから。

「絵を観るのが、好きだな。よく美術館に足を運んでいる」

 それは本当のことで、休みの日などは安い入館料で入れる美術館に入り浸っている。

「へえ、それは意外――でも無いのかな? 結構似合ってる感じだし」
「(インテリイケメンだからね、似合っててもしょうがないね!)」

 自分でインテリを自称する奴の胡散臭さよ。
 さて、紫苑が絵を観るのが好きな理由だが……
 無論のことながら芸術に感心があるわけではない。
 そんな高尚な精神があればもう少しマシな人格になっていだろう。
 では何故? それは単純――――馬鹿にするためである。

「どんな絵が好きなの?」
「言っておくが別に詳しいわけじゃないぞ? 誰が描いたとかも余り知らないし」
「じゃあ何で絵が好きなの?」

 この時代においても天才と名高いパブロ・ピカソ。
 彼の作品は独創的である。それは代表作のゲルニカなどを見れば顕著だ。
 そんな作品を見て紫苑はこう思うのだ――――下手糞じゃねえか!
 こんな落書きみてえなのを評価するとか昔の人間バッカでえ!
 人と違ってる俺カッコ良いですか? 大爆笑だよ! と。
 そんな風に名だたる芸術家達の感性の発露をひたすら虚仮にするのだ。
 そうすることでストレスを解消したり愉快な気分になったり出来るから紫苑は絵画を好んでいる。

「己の魂を絵筆に乗せてキャンバスに描かれた絵は観ているだけで楽しくなるからな」

 芸術は素晴らしいし多くの人の心を掴む。
 それでも万人の心を掴むことは出来ない、その例の一つがコイツだ。
 と言ってもここまで腐ったものの見方をしている人間も稀だろう。

「へえ……そう言う視点で、か」

 自分を差別しない、誰をも尊重している紫苑らしいと笑う天魔。
 勘違いも極まっているが、どちらに損があるわけでもないので別に良いか。

「そう言う天魔はどうなんだ? 趣味とかは無いのか?(社交辞令もしんどいな……興味ねえのに……)」

 じゃあ聞くなよ。
 そうやって無理に会話を繋げたりするから面倒な思いしてんじゃねえか。
 確かにここで何も言わないと言うのはちょっとコミュ力に欠けているだろう。
 それでも別に他人は気にしない――と言うかそこまで考えねえから。

「僕の趣味? 命をチップにして遊ぶことと……甘味を食べること、かな」
「そりゃまた可愛らしい趣味だな(聞きましてカス蛇さん? 男の癖にスイーツ(笑)ですわ!)」
『どうでも良いけどそのウザイ口調止めろ』

 カス蛇に涙不可避。
 紫苑が心の中でしている不毛な発言も総て彼? には届いているのだから。
 こんなクソ野郎に寄生しなきゃ生きていけないなんて残酷過ぎる。

「紫苑くんは甘いの嫌い? 前クレープ食べてたけど」
「いや、好きだよ。洋菓子も和菓子も(値段が高ければな)」

 お前もスイーツ(笑)じゃねえか。
 ああいや、金がかかっている食べ物が好きと言うしょっぱい奴だから……スパイシー(笑)。

「へえ、じゃあ今度一緒に甘味巡りでもしようか」

 さり気ないデートのお誘い、
何でもないことのように口にしているものの内心ドキドキものだったりする。

「それは良いな(絶対嫌だ)」

 でも奢りなら行くんでしょう?

「やた♪ 絶対だよ?」
「ああ(絶対嫌だ)」

 でも奢りなら(ry

「えへへ……ああ、そう言えばさ。換金終わったらしいね」

 換金――とは例の岩蛇から取り出した宝石のことだ。

「そうらしいな(クソぉ……俺の懐を温めるはずだったのに……! お、お前のせいで……!!)」

 苦渋の末に手放したあの宝石のことを紫苑は今でも悔いていた。
 本当に未練がましい男である。

「今日の放課後、皆で買い物行くことになってるけど紫苑くんは何買うつもり?」
「俺か? まあ、アクセサリー……かな」
「防具は良いの? って必要無いか。後衛は必要最低限でさ」

 冒険者学校の制服はただの制服ではない。
 防刃、防弾を始めとして最低限防具としての役割を果たせる機能を備えているのだ。
 常に攻撃に晒される危険性がある前衛ならば制服では不足だが、
守られている後衛の紫苑には今のところ不足は無い。
 いずれはちゃんとした防具を買った方が良いだろうが今はまだ必要ないだろう。

「ああ、今のところはな。だから無難にアクセ系を揃えるつもりだ」
「毒とかの耐性系、魔力を底上げするブースト系、確かにアクセサリー系は無難だね」
「(つまらない男だとディスってんのか、あーん?)だろう?」

 ディスってねえよ。その被害妄想止めろ。

「僕も義肢に埋め込むアクセでも探そうかなぁ……あ、お揃いのピアスとか良くない?」
「ははは、恥ずかしいなそれは(お前とお揃いとかゲロが出そうだ)」

 と、そこで紫苑は時計に視線をやる。

「……六時半か。そろそろ行くかな」
「? もう学校行くの?」
「いや違う。ちょっと電気屋に用があるんだ」
「こんな時間に開いてるのかい?」
「ああ。俺の行き着けの電気屋は爺さんがやっててな。朝早くに店開いて夕方には閉めるんだ」

 利用する側としては不便だが、
それでも何故紫苑が贔屓にしているかと言うと――――言うまでもなくマネーの問題。
 修理やら工事やらが格安なのだ。

「お前が来る少し前……朝食を作り終えた辺りで急に電気コンロとレンジが故障してな。
自炊していないとは言え二つとも使用頻度が高いから修理を頼みたいんだよ」

 コンロは湯を沸かすために、レンジは冷凍食品のために必須。

「へえ、そりゃまたついてないねえ」
「(ああ、それに加えて朝一でテメェの顔も見たからな。天中殺だよ)ホントにな」
「じゃあ僕も着いて行って良い?」
「別に構わないが……(マジかよ。とっとと学校行けよ。一応開いてるんだしさぁ)」

 言うまでもなく天魔を家に残して行くなんて選択肢は無い。
 一分一秒足りとて自分の領域に居て欲しくないのだ。

「じゃ、決まりだね! 荷物持ちくらいは手伝うからさ」
「ああ(本当に最悪な日だ)」

 レンジと電気コンロを抱えて二人はアパートを出る。
 学校への道とは少しズレるが、
電気屋に行ってそのまま学校に行けば七時くらいにはなっているはずだ。

「人、少ないねえ」
「そうだな。何時もこんな感じなんだが……今日は特に少ないように見える。

 道路を見ても車が走っていないし歩道にも自分達以外の姿は見えない。

「変な感じ。何だか世界で二人きりになっちゃったみたいだ」

 そう漏らした天魔の顔には何時もの笑顔とは少し違う種類の笑顔が浮かんでいた。

「……今日はやけに、テンションが高いな(うへえ……想像したら気持ち悪くなって来た)」
「え? そ、そうかな?」

 猫のように身体を震わせたのは心当たりがあるからだろう。
 誰にも言えない今朝のアレだ。
 朝っぱらから下着を湿らせていたとか言う奴は痴女だ。
 人前で頚動脈は斬れても性的なことを暴露出来るほどの胆力は無い。

「ああ。良いことでもあったのか?」

 そう問いかけてすぐだった。

「むしろ恥ずかし――――」

 前方から走って来ていたトラックが二人が居る歩道に突っ込んで来たのだ。
 天魔は咄嗟にレンジを捨て、紫苑を抱き抱えて飛び上がった。

「(――――え)」

 離れた場所に着地した紫苑は一瞬何が起こったか分からなかった。
 しかし、すぐに理解が追いつき総てを把握する。

「折角、良い気分だったのに……こりゃないだろうよ」

 民家に突っ込んだトラックを見て天魔は大きな溜息を吐く。
 これが前衛で制服も着ている彼女ならば軽い打撲くらいで済んだだろう。
 しかし、制服を着ていても後衛である紫苑ならば死にはせずとも大怪我は免れない。
 そう考えると溜息の一つ二つは吐きたくなる天魔の気持ちも分からないでもない。
 と、同時に彼女は自分が居て良かったと胸を撫で下ろす。

「(いやぁああああああああ! もうやだ! コイツマジで疫病神じゃないか!?)すまんな」
『いや別にそいつが何かしたわけじゃないだろ』

 むしろ助けて貰った立場だろうが。

「良いよ、紫苑くんに怪我が無くて何よりだ。にしても……」
「とりあえず救急車だ。天魔、運転席から運転手さんを出してやってくれ」

 即座に119をプッシュし状況を伝える紫苑。
 人も集まって来ているので既に通報しているかもしれないが一応やっておかねばなるまい。
 外面を取り繕うためだけではなく、
あのトラックの運転手には何が何でも生きていてもらわねばならないのだ。

「了解」
「(慰謝料ふんだくってやるぅうううううううううう! 絶対赦さねえ!)ああ、頼む」

 自分に大怪我を負わせかけたのだ、タダで済ますつもりは無い。
 それに加えてレンジまでおしゃかになってしまったのだ。
 迷惑料の一つ二つは貰わねば採算が合わないと紫苑は内心で憤っていた。
 人命よりも何よりも己優先、この小者っぷりである。

「よいしょっと……生きてるかーい?」

 トラックが突っ込んだのは運が良いことに借り手の居ない民家だった。
 天魔は邪魔の瓦礫を取り払ってトラックの運転席に近付き運転手を引きずり出す。

「うぅー……あー……」

 怪我を負ってはいるが命に別状はなさそうだ。
 しかし、天魔はそれよりも何よりも気になることがあった。

「何だい、こりゃ?」

 運転手の焦点の合っていない瞳、口から流れ出る涎。
 衝突のショックでこうなったようには到底思えない。

「ふぅむ――――薬、かな? でも何かおかしな感じも……」

 色々気になることはあるが今はそれを考えているような時間は無い。
 サイレンも聞こえて来ているし運転手を病院に運ばねばならないだろう。

「詳しいことは後で聞かされるだろう。一応被害者なわけだし」

 この後警察に事情を聞かれるのはまず間違いない。
 そして警察も被害者である二人には事故の理由をある程度は説明してくれるはずだ。
 しかし、

「どうにも……気味が悪いな」

 胸にあるモヤモヤが晴れない。
 天魔は今自分が感じている引っ掛かりに明確な答えを出せずにいた。

「天魔! 救急車が来たぞ!」
「了解。とりあえず運ぼうか」

 二人は救急隊員に運転手を引き渡し、
通報を受けてこの場にやって来た警察の人間に事情を話すことになった。

「つまり、いきなり突っ込んで来たと?」
「そうだよ。前から来てるトラックがさ、急に進路がブレてねえ」
「咄嗟に天魔――彼に助けてもらって無事に済みましたが……(ホントマジで不幸だな俺……)」
「助け――ああ、その制服……君達、冒険者学校の子らかい?」

 突っ込んで来たトラックから無事逃れられる人間なんて冒険者くらいだろう。

「はい、俺は春風紫苑と申します。これ、生徒手帳です」
「僕は外道天魔。どうぞ」

 学校にも話を通しておくべき事柄で、それをするのは警察の役目だ。
 ゆえに手帳を提示し身分を証明。
 この年頃の子供にしてはやけに落ち着いた振る舞いに警察官は感心したように頷いている。

「じゃあちょっと控えさせてもらうね。詳しいことが分かったら学校と親御さんに連絡するから」
「あ、すいません。俺、両親居なくて一人暮らしなんです」
「おっと……それはすまないことを聞いたね。なら、直接君に連絡がいくだろう」
「御願いします(何が何でも金踏んだくってやらなきゃなぁ……!)」

 紫苑の頭の中には運転手に対する報復しか頭になかった。
 らしいと言えばらしいし、気持ちが分からないでもない。

「それにしても……春先で皆、気が緩んでるのかなぁ。事故が多くてねえ」
「そうなの?」
「ああ。交通事故やら何やらが全国で多発してるんだよ」

 ニュースなんかで取り上げられるのは一部だけどね、と補足が入る。
 確かに全国で起こった事故を一々取り上げていたらキリが無いだろう。

「どれもほんのちょっとしたミスなんだよ。うちらの仕事なんて無い方が良いんだがね」
「大変ですね(無ければ無いで税金泥棒じゃねえか公僕さんよぉ)」
「そうそう、この間も危ないのがあったんだよ」
「そうなんですか?(つーかやけに御喋りだなコイツ。真面目に仕事しろよ税金泥棒)」

 紫苑は公務員とか大嫌いだ。
 でも自分が公務員になった場合はあっさりと手の平を返すだろう。
 税金美味しいです! とばかりに駄目公務員ライフを満喫するのが想像に難くない。

「幸いと言うのアレだが被害者の方がさ、
君らと同じ冒険者学校の生徒だったから命は助かったんだけどね」

 それでも重傷を負って入院中らしい。
 恐らくは後衛の人間だったのだろう。
 前衛の人間ならば日常で起こる事故であろうと大概は処理出来るし。

「へえ……」
「それじゃ、私は仕事に戻るよ。引き止めちゃってごめんね」
「いえ、それではお仕事頑張ってください(馬車馬の如く働けば良いさ)」

 ありがとう、と笑って去って行く警察官もまさか紫苑がアホなこと考えてるとは思うまい。

「紫苑くん、これからどうする?」
「コンロを持って学校に行くのも間抜けだ。とりあえずこれだけでも電気屋に預けておくつもりだ」

 ちなみに紫苑はおしゃかになった電子レンジに未練タラタラだ。

「だね。じゃ、行こうか」
「ああ(ホント、厄日だなぁ……コイツとの付き合いも考え直すべきか)」

 紫苑は後々知ることになる。
 ――――今回の事故は厄介ごとの序章でしかなかったのだと。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ