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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

125/204

俺達は皆! ずっ友さ☆

 翌日、晴明が見せた夢のおかげか紫苑以外の面々は晴れやかな表情をしていた。
 一番心配だった麻衣もすっかり翳が取れているので心の洗濯はバッチリと言えよう。

「(クッソ暇だわ……)」

 朝食を食べ終わってから部屋に戻ったは良いもののやることがない。
 書庫から持って来た民話・神話の類もいい加減食傷気味なのだ。
 遊戯室からゲームでも持って来ようかと考え始めた矢先だった。

「ッッ……!?」

 額に熱が迸る。これは信長を召喚する時のそれだ。
 しかし紫苑は別段、今信長を召喚しようとなどとは思っていない。
 なので彼が此方に用があるとしか思えないのだが……。

「……誰?」

 熱が収まり、紫苑の目の前に現れたのは信長ではなかった。
 黒い着流しを纏った長髪の陰鬱な文学青年――何かそんな印象の男が現れたのだ。
 何が酷いって美形なのに身に纏っている鬱々とした空気が総てを台無しにしている。
 紫苑的には中々の好印象を抱く人物だった。

「お初に御目にかかります、紫苑様。突然の訪問、御許しください。此度は御願いの儀がありまして……」

 跪いて頭を下げる男、ますます以って良い具合だ。
 紫苑のツボを的確に捉えていると言わざるを得ない。

「いや待て。それよりお前は誰だ? まず名乗ってくれ(そして仲良くしよう、君はとっても良い人だ)」

 薄汚い好意を忍ばせながら自己紹介を促す紫苑。
 目の前に居る男からは今は亡き大天使に通じるものを感じるのだ。

「――――私は明智光秀」
「(ミッチーか! ミッチーこんなんか! いやだが、成るほど……ああ、そういうことか)」

 男――光秀がどうしてこんなに欝っているのか大体の見当がついた。
 紫苑は笑いを堪えながら困惑の眼差しを向ける。

「実の娘の異変にすら気付けずあっさり操られてしまった間抜け、
もしくは戦国時代を延長させてしまった大罪人――御好きなように御呼びください」

 何時まで本能寺引き摺ってんだテメェ。

「(やっぱりな! 死後も罪悪感でいっぱいなんだな! もう、ミッチーったら最高!)い、いや……流石に……」

 表面上は引いたようなポーズを取る紫苑に、光秀は暗い笑みを返す。

「ふふふ、私のような屑にも御優しいのですね……ですがどうかお気遣いなく。
己がどれほど愚かであるかは私がよーく分かっていますので……。
如何なる悪罵を尽くしても足りぬでしょう。ふふ、私ってホント馬鹿……」
「(ふぁーwww良いね、こういう身の程を弁えてる奴は良いね。俺もこういう下僕が欲しいわ)そ、それより光秀!」
「何でしょう?」
「お前一人でも俺のところに来れるのか?」

 純粋な疑問だった。
 カス蛇曰く、信長は生前有していた軍事力をそのまま幻想に変えて力としているらしい。
 主体はあくまで織田信長。なのに家臣が一人で勝手に信長つけたマーキングを使用出来るのだろうか?

「ひょっとして信長の命令で此処に?」

 考えられるとしたら信長が光秀を遣いとして寄越したという可能性だが、

「いいえ、私が此処に来たことに信長様の意思は介在しておりません」

 光秀はそれをあっさり否定して自らの意思でここに来たことを仄めかす。

「まあ、私は信長様や他の煌びやかな英傑とは違う意味で歴史に名を刻んでおりますので……」

 良きにしろ悪しきにしろ幻想というのは人の認識が大きく影響している。
 実在していたはずなのに、居ないものとして幻想に貶められたり姿形が変わったり。
 信長や義経が良い例だ。
 彼らは当然のことながら生前は額に目も無ければ天狗の翼も所持していなかった。
 光秀の場合は自身の魂の質も良いのだろうが、更に人の認識がブーストされてり強化されているのだろう。

「ふふふ、日ノ本で一番嫌われている歴史上の人間かもしれませんね私は……。
信長様という偉大な光を穢してしまった大馬鹿者。畜生にも劣る汚物ですよ」

 陰々欝欝。光秀は放って置けば何処までも沈んでいくだろう。
 彼のネガティブは底なし沼だ。

『何というか、人から幻想に成った連中ってお前好みの奴多いな』
「(一服の清涼剤だわマジで)……それで光秀、お前は何だって俺のところに? 頼みって何だ?」
「ああ……頼みというのは私――というより家臣一同からの御願いでして……少々付き合って頂けますか?」
「丁度暇していたから構わないが……」
「では、お手を拝借」

 光秀に手を握られた瞬間、紫苑の視界が暗転する。
 一瞬の酩酊の後に視界が開けるとそこは純和風の武家屋敷の前だった。

「……ここは?」
「以前紫苑様が訪れた信長様の領域ですよ」

 すっと光秀が指差す方向には巨大な城が建っている。

「あれは安土城か……となると、ここは家臣の?」
「ええ。一応私の屋敷となっております。では、皆も待っているので此方へ」

 広間へ通されると、中ではむさ苦しい男達が車座になっていた。

「おお、紫苑殿で御座いますな。よう来てくださった。某は柴田勝家でございまする」

 代表格らしき髭もじゃで角の生えた巨漢が紫苑に頭を下げる。
 他の者らもそれに倣って一礼、紫苑はとても気分が良かった。

「これはご丁寧に。して、俺は何故呼ばれたのだろうか?」
「ハ! 実は殿のことでちと御相談がありまして……」

 勝家以下、他の家臣らも渋い顔をしている。
 そこはかとなく香る面倒ごとの匂いに紫苑のテンションが下降線を描き始めた。

「信長の?」
「ええ……まあ、そのぅ……」
「勝家殿、呼んでおいて言い渋るのはいかんよ。ああどうも、あっしは丹羽長秀ってケチな男でさぁ」

 優しげな顔つきをしているが、飄々としていて何処か油断なさげな長秀が勝家を窘める。

「紫苑殿を御呼びしたのはですね、殿と茶々様のことについてなんですよ」
「……二人の不仲をどうにかしろと?」
「や、そこまでは申しません。ただまあ、ちぃと殿の機嫌がよろしくないんでさぁ」

 ついこの間、紫苑にお前は茶々から怨まれていると指摘され、
大阪城でちらっと顔を合わせた時に彼女から嫌悪を剥き出しにされることで信長は自分が怨まれていることを自覚した。
 他人の好悪など知ったことではないというのが彼のスタンスだが……。

「どうにも茶々様はお市様そっくりでしょう? だから何というか……察してくださいな」

 ようは可愛がっていた妹の面影を色濃く残す姪からの悪感情はスルー出来なかったというわけだ。

「お気付きかもしれませんが、殿は割りと身内のことになると……ねえ?」
「ああ、そこは俺も何となく分かるよ。視野狭窄というか、甘くなるというか……」
「ちと情が強くなるんでさぁ。特に、殿は昔に弟を手にかけとりますから余計に……」

 長秀の視線が勝家に向けられる。

「……某に言いたいことがあるようだな長秀」
「いや別に? しっかり馬鹿主の手綱握って寺にでもぶち込んでおけば良かったのになんて思っとりゃしませんよ」
「(そういや勝家って元は信長の弟の家臣だったか。つーかアイツ謀反され過ぎだよ)」

 光秀は例外としても信勝や三好、松永、別所、荒木、
織田信長の人生は常に裏切りと共に在ったといっても過言ではないだろう。

「――――皆さん、落ち着いてください」

 険悪な空気が流れ始めたところで光秀が割って入る。

「殿に御迷惑をかけというなら私でしょう……ふふふ、皆さんが凋落する切っ掛けを作ったのも私ですし……。
織田家を割ったのは秀吉ですが、その原因を作ったのは私……。
信忠様だって私が居たせいで自害してしまったし……。
勝家殿もお市様も……ふふふ、ここは私が腹を切りますのでどうか皆さん、仲良く……!」

 勢い良く腹を掻っ捌こうとする光秀に、

「俺達は皆! ずっ友さ☆」

 家臣連中が額に汗を浮かべてフォローに入る。
 光秀の謀反で総てが壊れたとはいえ、彼も被害者なのだ。
 信長を慕っていた気持ちも知っているのでどれだけ無念かもよーく分かる。
 なので彼らとしては光秀に対する怨恨は無いのだ。
 無いのに当人は気にしまくっているのでやり難いことこのうえない。

「(え? 切らないのかよ……良いじゃん切らせよーぜー。生切腹みたーい)」

 他人ごととはいえ最低だ。というか切腹は見世物じゃない、人を愚弄するにもほどがある。

「それでお前達は俺にどうしろというんだ?」
「和解のための御知恵を拝借出来たらなぁ……と。
ふらんすのじゃんぬとやらを救ってのけた御身ならば、何か妙案も思い浮かぶかと思いましてね」
「知恵ねえ……」

 ぶっちゃけ紫苑としては身内が憎み合ったままという状況の方が見ていて楽しい。
 茶々と顔を合わせる度に腹の中で複雑な感情を滾らせる信長を見てニヤニヤしたいのだ。

「某らはあくまで臣。対等の立場で言葉を交わせるのは紫苑殿しか居らんのです」
「ええ。御身の心、才覚、殿は高く評価しておられますゆえ」
「そう言われてもなぁ……」

 浅井を滅ぼしたことを謝罪させる? 気位が高い信長に謝罪をさせるのは骨が折れるだろう。
 それに謝罪ぐらいで赦せるほど茶々は器が大きくない。
 茶々の方を折れさせる? それも無理だ、だって茶々は頑固だから。

「某にとって殿は唯一無二の御方。そして茶々様は……まあ、某にとっても義理の娘であるからして……」

 何とかならんでしょうか? 強面を情けなく歪ませながら勝家は問うた。

「確かに一つの家庭の不和は俺も気になる。
まったく関係が無いならまだしも、俺は両方と関わっているからな……分かった、少し考えよう」

 どの道、見栄を重視する紫苑に断るという選択肢は無い。

「(浅井が滅んだのは四つか五つぐらいのことだろう?
殺されたのは父と兄と祖父で……ぶっちゃけそれぐらいなら思い出もそんなにねえだろうに……。
 何時までも面倒くせえこと引き摺りやがって……これだから女は嫌いなんだ。陰湿な奴とかマジ勘弁)」

 そういう紫苑こそマジ勘弁。

「……なあ、お前達の目から見て信長と長政の仲はどうだった?」
「長政殿、ですか? 某の私見になりますが、中々に良き御兄弟であったかと」
「それだけに浅井が牙を剥いて来たのは……いやまあ、朝倉を攻めた織田にも非はありますが……」
「具体的にはどれほど仲が良かったというか評価していたんだ?」
「盟約破りの朝倉攻めが成れば、奪い取った領地をそのまま浅井に譲るつもりであったと殿から聞きましたよ」

 長秀の言葉に流石の紫苑も驚きを隠せない。

「それでは家臣――というかお前達から反発が出て来るだろう?」
「ええ。何のかんの最後は殿に従うでしょうが、まあそりゃ不満ですわな。
ゆえに殿も譲歩として秘蔵の茶器と大量の金銀をあっしらにくださるおつもりだったようで」
「……随分可愛がられていたんだな浅井長政は」

 義兄弟とはいえ破格の厚遇だ。
 そこまで長政を可愛がっていたとは予想もしていなかった。

「信忠様に天下を譲り渡した後、その後見として長政殿を置くつもりのようでしたから」

 野心に満ち、才覚に溢れ覇道を進んだ信長。
 しかし厳密にいえば彼は別に天下そのものが欲しかったわけではない。
 あくまで日ノ本を人の手に取り戻したかっただけ。
 とはいえ取り戻したら後は好きにしろと放り出すほど無責任でもない。
 散々無茶をやらかした自分は権力を捨てて坊主にでもなり、
後のことは信忠と長政が上手くやれるようにと考えていた。

「何故、長政はそこまで可愛がられていながら信長と敵対関係に?
いや、そりゃ朝倉との関係もあることは分かるが……」

 朝倉とは古くから繋がりもあっただろう。
 しかし、信長が評価するほど長政の能力が高かったのならば損得ぐらいは分かったはずだ。
 才覚の差、朝倉に義理立てをするよりも信長に着いた方が間違いはないと判断出来たはず。
 なのに結果は浅井・朝倉連合VS織田家。
 これは少々腑に落ちない。

「そこはまあ某らも少々疑問でして。
家臣らが久政を担ぎ出して反織田の流れを浅井に作ったと噂では聞きましたが……」

 元々信長との同盟に反発していた家臣らが、
朝倉攻めを口実にして隠居させられていた親朝倉の久政を立てた。
 紫苑もそういう説は聞いたことがある。
 しかし、

「それでもあの長政殿がそう簡単に実権をくれてやるとは思えないんですよねえ。
長政殿が積極的に殿に敵対を? じゃあその理由は何だってことになりますし。
だって長政殿は別に親朝倉ってわけでもなかったはずですしねえ」

 戦の当人である彼らにすら不明確なことが多いのだ。
 他人であり、当時の価値観すら持っていない紫苑では何も分からない。

「(こりゃ流石に……ん? いや、待てよ……)

 少しだけ引っ掛かるものが見えて来た。
 それは昨日、晴明との語らないの中で聞いた言葉だ。

「ちょっと聞きたいんだが、金ヶ崎の退き口で小豆が贈られたってのは本当か?」
「? ええ。それがどうかしましたか?」
「いや……(市が贈ったってことになってるが……多分それは……)」

 思考を回転させる。

「(信長が朝倉を攻めた時、浅井の家臣連中が長政の親父を担ぎ出したのは確かだろう。
多分、その時長政の脳裏に甘い誘惑がよぎった……。
だから金ヶ崎の戦いを止められなかった。だが、そこで踏ん切りがついたんだ。
そして小豆を贈った……けど、それは決別の証だ)」

 何となくではあるが絵が見えて来た。
 そして予想通りならば信長と茶々の関係を変えられるかもしれない。

「少し、確認したいことがある。信長に会いに行きたいんだが奴は城か?」
「ええ……お供致しましょうかい?」
「いや良い。俺一人の方が良いはずだ」

 屋敷を出た紫苑はそのまま安土城を目指す。
 途中で餓鬼兵らに出くわすが、
敵ではないことを分かっているのか阻むどころか会釈までして来る始末だ。

「(さて……城に入ったは良いが信長は一番上か?)すまない、少し良いか?」
「?」
「信長に会いに来たんだが奴のところまで案内してくれないか?」
「ギギー!」

 城に詰めていた餓鬼兵は「はい喜んで!」と言わんばかりに背筋を正した。
 餓鬼兵に連れられて辿り着いたのは茶室で、
中に入ると信長が作法も何もかもガン無視でダラダラと茶を啜っていた。

「ん? 御大将か。わざわざ此処に来るとは何用だ?」

 だらーっとしていた信長だが紫苑の顔を見ると居住まいを正す。

「いや、個人的な相談とこれからのことについて話がしたくてな」
「ほう……個人的な相談か。良いぞ、俺で良ければ聞こうではないか」

 紫苑は困惑を不安を織り交ぜた表情を作る。

「昨日、晴明に言われたことが妙に引っ掛かってな。
俺自身はそうは思わないが、他人の目に映る俺はどうやら眩いらしい。
晴明はこう言った"何時かお前の輝きに目が眩み道を誤る者が現れる"――と。
過大評価にもほどがあると思ったんだが、どうにも不吉を感じてな。
なあ信長、もし俺が眩いとして……そのせいで俺は誰かの道を歪めてしまうのかな?」

 胸を押さえ縋るように問う紫苑。
 彼は見逃さない――信長の顔に一瞬だけ浮かび上がった後悔の色を。

「……まあ、そういうこともあるであろうよ。
が、そんな者が現れたとしてもそりゃ御大将の責ではない。
道を誤る選択をしたのは、あくまでその者。御大将が気に病む必要は無い」

 何処か自分に言い聞かせているような響き。

「(ビンゴ!)」

 紫苑は自分の予想が正しかったことを悟る。

「……そうか、そうなのかなぁ……」
「まあ何にせよ起こってもいないことで悩み過ぎるのも馬鹿らしいぞ」

 バンバンと励ますように紫苑の背を叩く信長。

「……すまん、少しだけ気が楽になった」
「構わんよ。しかし御大将よ、お前さん一体何処から此処に来たんだ?」
「ああ、実は光秀が現世に来てな。何でも本能寺の変について書かれた書物を読みたいだとかで……」
「アイツまだ引き摺ってんのか……すまんな、迷惑をかけて……」

 げんなりとする信長。
 殺された当人が気にするなといっても気にしてしまう光秀は信長からしても鬱陶しいのだろう。

「いや良い」
「そうか、そういってくれると助かる。さて、次はこれからのことだったな?」
「ああ。今のところ指示は出されてないが、徳川とやる可能性は高い。大阪方も交えて話がしたい」

 茶々に会わねばならぬということで若干苦い顔をするが、
それでも必要なことを感情で台無しにする気はないらしく信長は静かに頷いた。
 二人は揃って現世に戻り、ギルドの車で大阪城へ。

「あれれー? しーちゃんじゃん、今日はどしたん?」

 大門前には半裸の幸村が居た。

「諸々の話し合いをしに……というかお前は何で半裸なんだ?」
「日光浴だよ日光浴。日の光を浴びて太陽の子供として覚醒するんだよ拙者」
「……そうか。で、茶々は居るか?」
「居る居る。奥に籠ってるから呼んで来るよ。前に遊んだ大広間で待ってて」

 半裸のまま城内に入っていく幸村だが、

「なあ信長、あれって無礼打ちものじゃないのか?」

 半裸のまま主君を呼びに行くとか礼を欠いているにもほどがある。

「普通ならな。俺は若い時分にあんなナリでウロウロしてたから不問にするが」
「親父さんの位牌に抹香ぶちまけたりとお前はホント好き勝手やってるよな」

 そんなことを話しながら大広間に行き、寛ぎながら茶々を待つ。

「ふぅ……」

 茶々を待つ間煙草を吹かしている信長。
 一体何処でこんなものを手に入れたのだろうか?

『ヤンキーだなこのオッサン』

 実に的確な表現だ。
 まあ、信長も若い頃は半ばヤンキーみたいなものだったので間違いではないだろう。

「待たせたの」

 部下を引き連れて仰々しく茶々が姿を見せる。
 偉そうな態度にイラっと来たがここは我慢。

「今日は何用じゃ?」

 信長には目もくれずに紫苑に話しかける茶々。
 そのせいで信長が若干不機嫌そうな顔をするがお構いなしだ。
 二人の間に横たわる溝はそれだけ深い。

「なあ茶々、あんた親父さんのことは覚えているか?」

 場の温度が一気に下がる。
 信長と茶々が居る場所で長政のことを話題にするのはタブーなのだ。

「……朧ではあるが、な。とても優しい人じゃった」
「おい御大将、どういうつもりだ?」
「信長、お前の家臣から頼まれたんだよ。お前と茶々の関係をどうにかしろと。
と言っても俺は和解しろとかそういうつもりはない。
ただ、信長が知る長政を茶々は知らない――――その不公平を取っ払うだけだ」

 付き合っていられないと立ち上がる信長だったが、

「良いのか? お前が居なくなるならば俺は憶測で語ることになるぞ。
お前でもないのにお前の気持ちをさも理解していますと言わんばかりにな。
俺の読み違いならば長政の人物像だって歪められるかもしれない。それでも良いのか?」
「……」

 厭らしい言葉を投げられ、渋面のまま腰を下ろす。

「さて茶々よ、お前は信長と長政の関係を知っているか?」
「……義兄弟、じゃがそ奴に裏切られて果てた」
「一側面だけを見ればそれも真実だ。しかし、お前はもっと知っておくべきだろう。
なあ茶々、知ってるか? 信長は長政をとても高く買っていたんだぞ」

 信じられぬと茶々が信長を睨み付ける。
 しかし彼は黙ったまま。沈黙はすなわち肯定だ。

「茶々、お前の従兄弟でもある信忠に天下を譲った後は、
その片腕として長政を使うつもりだった……それほどまでに信長は長政を評価していた。
朝倉攻めもそうだ。成功して朝倉を滅ぼした後、獲得した領地は総て浅井に――長政に譲り渡すつもりだった。
部下らには代わりに自分の大事な茶器と莫大な金銀を与えることで納得させてな」
「それほど可愛がって居た義弟を殺すか! 流石は魔王じゃ! 吐き気がする……!!」
「そう結論を急ぐな。話はまだ終わっちゃいない」

 苛立ちを隠そうともしない茶々を諌める。
 そう、まだ話は序盤も序盤。ここらが本番なのだ。

「長政もまた、自分が評価されていることを理解していた。
理解していて、織田信長という男に敬意を抱いていたからこそ金ヶ崎の退き口の際に小豆を贈った。
信長がそこで死なないようにと願いを込めてな」

 そこまでしてもらったのに信長は父を殺したのか?
 そう言いたげな茶々だが、紫苑がまだ話は終わっていないというのでグッと我慢し疑問を口にする。

「母が贈ったのではないのか?」
「違う。あれは長政だ、そうだろう信長」
「……」

 ここでもダンマリ、やはりこれも真実。
 となると自分が立てた予想は間違いなく正しい――紫苑は更なる確信を得た。

「なあ茶々、何故長政は小豆を贈ったと思う? 何故生きていて欲しかったのだと思う?」
「それは……敬愛する義兄だからじゃろう」
「それは正しい、しかしそれも一側面でしかない。
長政は金ヶ崎のような小さい戦――それも自分が主導したわけではない戦で信長に死んで欲しくなかったんだ」

 いまいち紫苑の言わんとしていることが分からない。
 分かっているのは話をしている当人と、かつて当事者であった信長だけ。

「そも金ヶ崎の戦いは信長との同盟を快く思っていなかった浅井家の家臣らが、
隠居していたお前の祖父さんを担ぎ出して始めたものだ。
しかしな、長政は止めることが出来た。それだけの才覚があるからな。
家臣を叩きのめして爺を再び押し込んで浅井家の混乱を収めることが出来たんだ。
しかし、彼はそうしなかった。混乱があったんだ。
約定破りで朝倉を攻めたからでも、家臣が爺を担ぎ出して来たことでもないぞ?」

 思ってしまったのだ、心の何処かで抱いていた願いが顔を出してしまったのだ。

「信長と戦う好機ではないのか――そう思ってしまった自分に戸惑った。
だからこそ、止められなかった。そして取り返しがつかなくなった時点で決心した。
男児たるもの、常に上を目指さずしてどうする?
織田信長という巨大な壁に寄り添うだけか? 挑まねば後悔する……となぁ」

 そこそこの才覚を持つ者や、
凄まじい才覚を持っていながらも秀吉のように個人的に信長に尽くそうとする者ならば良かった。
 前者ならば信長という男を知った時点で膝を折ることを選べる。
 後者ならば迷い無く信長の覇道を支えることが出来る。
 しかし長政は違う。信長が認めるほどの才覚で、秀吉のように個人的恩義が無かった。
 だからこそ、甘い誘惑に勝てなかった。

「天下への野心などではない、ただ純粋に一人の漢として信長と戦いたかったのだ。
分かるか? つまりな、長政は選べたんだよ。道をな。
家臣共を落ち着かせて信長との同盟をより強固なものにし、共に朝倉を滅ぼし更なる繁栄の道を選べた。
あの時点では信長もそこまで大きく躍進してはいなかった、
しかしな、その才覚と覇気は抜きん出ていた……長政も分かっていたんだよ。
この男はいずれ必ず天下を飲み喰らうとな。歴史もそれを証明している。
光秀の――幻想の息がかかった邪魔さえなければ信長は天下を統べていたからな」

 あの当時の日本に、人間で信長に並び立つ才覚と覇気を持った者は存在していなかった。
 現に秀吉や家康も信長の存命時には従属を選んでいた。
 だが、長政はそれを良しとしない。
 どうして高い山があるのに登らないの? そんな登山家的なハートの持ち主だったのだ。

「信長という巨大な光に魅入られ、誰よりも愛していたからこそ敵対を選んだ。
全力でぶつかって欲しい! 全力でぶつからせて欲しい! それは一種の愛情の発露だろう」
「……安土ではカマをかけたか」

 ようやく口を開いた信長、その顔は心底忌々しげだ。

「いいや、晴明には言われたのは本当だよ。だからこそ、気付けた。
お前んとこの家臣らの話を聞いている最中に、な。経験者だ、どうりで言葉が重いわけだよ」
「……」
「茶々、お前は父を知らず、伯父を知らず、一体何を怨んでいる?」
「……」

 伯父と姪、共に黙りこくってしまう。
 詐欺師の詐術に見事に引っ掛かっていると言わざるを得ない。
 今すぐ弁護士に相談だ!

「ここからは俺の予想だ。信長は浅井との戦いの中で幾度か和解を願う文を贈ったんじゃないか?
だが長政はそれを跳ね除け続けた。頼む、あなたと戦わせてくれ。
そして敗れた後は、しかりと敗者として己の屍を踏み付けて欲しい――とな」

 髑髏の杯の逸話こそが正にそれだ。
 残虐性を見せ付けるだけの意味の無い行為。
 それは義弟の願いを汲み取ったからではないか。

「対立の理由を作ったのは信長で、そこは言い訳のしようもない。
しかし、長政に非が無いかといえばそれはまた別だ。
生き残り妻や我が子らと幸せな暮らしをする道を選ぶことも出来たはずなんだ。
ハッキリ言うぞ茶々、浅井長政は父親、ひいては夫失格だ。
家族のことよりも個人の我執を優先してお前達の光ある未来を閉ざしたのだから」

 長政が生きていれば本能寺もまた別の形になっていたかもしれない。
 IFの話だが、可能性は零だと言い切ることは出来ないだろう。

「信長も苛烈ではあるが情が無いわけではない。俺の悩みに真摯に応えてくれたりな。
そんな男が好き好んで二度も自分の弟を殺して平気なわけがないだろう。
茶々、魔王だなんだと呼ばれちゃいるが信長も人だ。お前と同じ人なんだよ。
心が無いわけじゃない。だから、そこを念頭に置いて一度じっくり話してみろ」

 自分の話はこれで終わり。
 次はお前達の番だ、そう暗に告げて紫苑は部屋の隅に移動する。
 茶々に付き従っていた臣もそれに倣い、茶々と信長から距離を取った。

「……」

 無言のまま向かい合う伯父と姪。

「……母は、織田を怨むなと言うた。
それは庇護を受けるからじゃと、今の今までずっと思っておった」

 先に口を開いたのは茶々だった。
 何処か遠くを見るように語る彼女の心境は如何なるものか。

「それは、父の非を知っておったからか?」
「……」
「母はこんなことも言っておった。その五体に流れる織田と浅井の血を誇りとして生きよと」

 死してから見えて来たもの、それは……。

「織田信長という巨星に膝を折り、寄り添う道ではなく、向かい合った父浅井長政。
そして理解し総てを受け止めた織田信長の血を誇れと言うたのか?」

 生前は額面通りにしか受け止めていなかった。
 しかし、こうして真実を知った上で考えるとそれ以外の答えが出て来ない。

「答えられい伯父上」

 信長でも魔王でもなく、伯父上と呼んだ。
 そこに心境の変化が表れていることは語るまでもない。
 だからこそ、信長もこれ以上だんまり続けることは出来なかった。

「……長政は、文で俺をこう言っておった。
"義兄上は星です。明るい昼間でも尚、誰もが見つけられる星。
多くの星が輝く夜でも一際強く輝き誰の目をも捉えて離さぬ星。
多くの者が織田信長という綺羅星に魅せられたように、私もまた魅せられました。
不出来な義弟で申し訳ない。しかしこれも我が愛の形。なればこそ、全力で受け止めていただきたく"――とな」

 それはつまり、紫苑の言が正しかった。

「俺が、俺が長政を狂わせた……俺の短慮が、破滅を招いた。
それは否定出来んことだ。お前の父を奪ったことは変えようのない事実だ」

 弁明も何もするつもりはない、信長は静かに目を閉じた。
 死んでやるつもりはないが憎悪くらいならば幾らでも受け止めてやる。
 長政を抱き締めたようにお前もまた抱いてやる――これこそが英傑たる男の器なのだろう。

「……」

 茶々は静かに己の感情を整理してゆく。
 紫苑の茶々に対する評価は散々なものだが、彼女も本質的に愚かというわけではない。

「伯父上」
「ああ」
「私にはあまり父の思い出がない。だから……」

 ぎこちない、それでも確かな笑顔を浮かべて茶々は答えを示す。

「――――伯父上、父の話を、時々で良いから聞かせてくれんか?」

 信長は少し驚いたように目を見開き、同じようにぎこちない笑みを浮かべる。

「ああ……そう多くもないが、語れることは語ってやろう」

 さて、これで一つの和解が成ったわけだが……。

「(あーあ、糞して寝る方がまだ有意義ってもんだぜ。くっだらねえ)」

 ぐうの音も出ないほどの畜生とはコイツのことである。
+注意+
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