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ハルジオン~口だけ野郎一代記~ 作者:曖昧

嘘を重ね続けた末路を知る第二部

121/204

有名じゃない方の加藤! 有名じゃない方の加藤じゃないか!

「貴殿に着く……?」

 怪訝な顔の幸村。
 それも当然だろう。幾ら精神的優位に立たれたからといって所詮紫苑は囚われの身。
 その状態で上から目線で仲間になれなどと言われてもはいそうですかなどと頷けるわけがない。
 もしそんな奴が居るならそれはただの阿呆だ。
 きっと脳方面に多大な障害を抱えているに違いない。

「淀君はお前を飛ばせられんぞ」

 自信満々にそういってのける紫苑。
 この自信満々にというのが肝だ。確信を持った物言いをされれば相手は微かであろうともぐらつく。
 ちょっとでも揺らせば転ばせることが出来る。
 転ばせて手を差し伸べて、取り込む――詐欺師やインチキ宗教の教祖が使いそうな手だ。

「じゃあ貴殿にはそれが出来るとでも?」
「少なくとも兄貴超えの舞台くらいは用意してやれるさ」

 幸村は確かに平時においては乱を起こす存在だ。
 しかしそれは兄というコンプレックスの根源が存在するから。
 そこを超えさせてやればかなり落ち着くだろう。
 兄はどうだか分からないが、少なくとも父はそこらに勘付いていたというのが紫苑の見立てだ。
 だが、父昌幸は信之を選んだ。
 彼が死ぬ可能性を抹消して真田を存続させる道を選択した。

「(コンプレックスを解消してやったら良い駒になる……フフフ)
とはいえ、話を聞かねばどうにもならんからな。なあ幸村、信之は幻想になっているのか?」

 打算ありありの思惑は何時も通り過ぎて安心感すら覚える。

「……ああ。あんちゃんは真田家を存続してくれた徳川のために、今でも忠を尽くしてる」

 兄弟だからこそ感じるのだ。
 東の方に忌々しくも愛おしい兄が居ることを。

「徳川はどっち側だ?
お前達豊臣――というよりも淀君は人類側でも幻想側でもなく家康に復讐することだけを望んでいる。
ならば徳川は? 幻想か、人か、あるいはもっと別の悔いがあるからか」
「幻想だよあの狸は。生き汚いというか保身塗れというか……あーあ、あの首落としてやりたかったなぁ」

 最初から話など聞かぬ、お前になどつかん。
 そう切り捨てて殺せば良いのに、なまじっか頭が良いだけにまずは情報だけでもと思ってしまう。
 紫苑の質問が自分の腹を痛めるようなものでないのも原因の一つだ。
 そこらのラインを見極めつつ話を運ぶのが紫苑の小賢しさである。

「そうか、忠義者だな。日本人が好みそうなタイプだよ」
「ほう、じゃあしーちゃんもあんちゃんが好きなのかい? 評価してたみたいだし」

 しーちゃんという呼称に紫苑が一気に沸騰する。

「(おいおいおい、俺を誰だと思ってるんだ赤い負け犬が!
馴れ馴れしいんだよ! 最低でも様はつけろ様は! 頭が高いんじゃ禿!!)さて、どうだろうな?」

 別に幸村は禿てない、フッサフサである。
 あの時代の人間にしては髷も結っておらず、かなり現代風だ。
 信長もそうだが型に嵌まらない人間というのは何処にでも居るらしい。

「ただまあ、気がかりなこともあるがな。信之は今を生きる人間を害することを良しとする人間か?
それが正しいのだと胸を張って言えるような下衆野郎か? 話を聞く限りじゃそうは思えない」
「まあ、あんちゃん真面目だしねえ」

 兄を疎みながらも愛している。
 だからこそ幸村は苦い顔をしながらも何処か嬉しそうなのだろう。

「己を殺して人道に背く主に忠を尽くす……まあ、それも一つの道だろう。
だがそれが俺の美観とは相容れない。だから好きかと言われれば困るな。
そりゃ幸村達の時代と価値観が違うのは分かってる。
だが、主が――忠を捧ぐ相手が間違っていたのならば道を正すべきだと俺は思う」
「価値観……いやいや、拙者らの時代にもそういうのは居たよ?」
「あー……そういえば平手とかがそうか。あれって結局、ホントに信長の放蕩さを諌めるためだったのか?」

 主に刃こそ向けなかったが、
間違っている主を諌めるために信長の家臣である平手政秀は自刃したという説がある。

「いやどうだろ? つーか居るじゃん信長。直接聞けば良いんじゃない?」
「出来るならそうしたい」

 話が随分逸れているが、それは意図してのものだ。
 紫苑がそういう方向に舵を切った。
 精神的にぐらついている幸村からすれば、軽い生殺しだ。
 何かを聞けそうだったのに煙に巻かれてしまったのだから。
 ゆえに、

「で、あんちゃんが狸に着いてたらどうだってのさ?」

 幸村自身が軌道修正を行う。

「(引っ掛かった……!)」

 そしてそれは紫苑の狙い通り。
 幸村が聞きたがっている、その形を作ることもまた重要なのだ。
 わざわざ逸れていた話を軌道修正してまで続きが聞きたい。
 それはつまり、幸村という魚の口にどんどん針が食い込んでいるということ。

「何、そう大したことでもないさ。分かり易く超えられる目標がそこにあるならそれで良い。
もし信之が居なければ――――まあ、前人未踏に挑ませてやろうと思っただけのこと」

 幾らかの情報は集まった。後はここから詰めていくだけ。

「俺を餌にして戦力を増やす、まあそれは良いさ。
しかしその場合、俺の仲間達は全力を出せるのか?
豊臣方に囚われるということは純なる想いが穢されるということでもある。
まあそれでも一騎当千の兵ばかりだ、戦力にはなるだろう。
だがな、それだけで徳川に勝てるのか? 積み重ねた歴史が違う。それはイコール戦力の差でもある」

 となると、ものを言うのは兵の動かし方だ。

「徳川が人間の敵となったのならば、俺の力を利用するのも良い。
実際、俺も放って置けんからな。
俺を利用して信長やジャンヌを召喚すれば更に戦力は増える。だがそれでも不足だ。
ならば俺が知覚していない、俺自身が殺している力を目覚めさせるのも良いかもな」

 紫苑を殺し、幻想の領域に引きずり込めばどうなるか。
 十中八九、チート紫苑が誕生するだろう。
 そして豊臣の束縛を抜け出てしまう。枷を失った紫苑を豊臣という幻想風情がどうこう出来るわけがないのだ。

「だがそれも不安だろう? ならば正攻法。
兵隊の数だけで戦争を決めようと思うならば敵の三倍は必要だ。
このまま俺を協力させるとしても三倍には届かない。となるとものを言うのは――――」
「頭脳、だろ? 生憎と、うちにもホモ兵衛と半兵衛、左近やら優秀なのが居るんだよね。勿論拙者も」
「そうだな。それは徳川にも言えることだが……決定的なものを忘れてる」

 そう、戦で一番重要なファクターが足りていない。

「率いる者、その差は歴然。負けるぜ、お前ら。
お飾りでも周りが支えれば良いとでも思ってるのか? 甘いな、認識が。
淀君は決定的に統率者として欠けている。何なら俺がそれを証明してやっても良い」

 お飾り君主を盛り立てる、それは周りが優秀であれば酷く簡単なことにも思えるだろうがそれは違う。
 お飾りにはお飾りとして必要な資質があるのだ。
 そして茶々はそれを所持していないと紫苑は哂う。

『会ってもねえのに欠けた云々分かるんかよ?』
「(会う会わない分かる分からないは関係ねえ――――俺が削り取る)」

 生鮮食品にわざと傷をつけてまけろというクレーマーより性質が悪い。

「俺が淀君の欠落を見せてやる。どうする幸村? のるか、そるか」

 ここで先ほどの無駄話が活きて来る。
 信之は唯々諾々と主に従う、では幸村は?
 兄を超えたいと願う彼にとってこの提案は酷く魅力的だった。
 元々真田幸村にとって主というのは重要ではない。
 精々が一度頭と仰いだのならば裏切ることだけはしない程度。
 しかし、心情はどうあれ行動だけを見ていれば兄と何ら変わらない。
 だというのに明確に勝敗が定まってしまった。
 このまま、与えられた戦場で戦い続けて兄を超えられるのか? そんな疑問が脳裏を渦巻く。

「人生は選択の連続とはよく言ったもんだ。死んでからも選ばなきゃならない」

 選ぶのはあくまでお前だ、紫苑は暗にそういっているのだ。
 幸村の顔に微かな葛藤が浮かび上がる。
 躁病状態に鬱病を混入させられたことで今の彼は酷く分かり易い。
 常時ヘラヘラしてる躁状態では分からないことも今ならば瞭然だ。

「悪いが、俺もこれで必死でな」

 右手の人差し指を左手首にめり込ませる。

「?」
「最善を掴めないならば即次善の手を打つしかない」

 ブチュ、と爪で貫いた皮膚から血が流れ出す。

「!」

 幸村は頭で考えるよりも早くに牢獄をブチ破っていた。
 そして紫苑の右手を万力のように締め付けることでそれ以上動けないように拘束。

「つまり、それが答えなんだな?」
「……負けたよ。ああ、拙者の負けだ」

 動かされてしまった、幸村は自嘲を滲ませる。
 自らの手で血管を抉り切ろうとした紫苑の気迫に負けてしまったのだ。

「まるで悪魔の囁きだ。頭で理解っちゃいても、抗い切れない」

 自分の核を丸裸にされて疵を抉られた。
 疼き出す望み、しかしその望みを完遂する具体的な道筋はなかった。
 そこに紫苑がそっと手を差し出したのだ――――お前の望みを叶えてやると。
 正に悪魔、正に詐欺師、持てる能力の総てがロクな方を向いていない。

「悪魔にでも何でもなるさ。必要とあらばな(抗えないように膳立てしてやったんだよバーカ)」
「で、拙者は何をすれば良い?」
「別に逃がせとは言わんし、そもそも言葉だけじゃ不安だろう。淀君の欠落を見せてやる。
最終決定はそれを見てからにしろ。それまでは豊臣方に居ると良いさ」

 幸村はキョトンとした顔をする。
 自分は半ば紫苑を信じきっているのに、わざわざ茶々の欠落を見せる?

「ぷふ」

 小さく噴き出す。

「しーちゃん、決定的なところで悪い奴にはなれないタイプだよね」

 協力はさせる、しかし表立って裏切るのならば見極めてからに。
 協力の内容自体は分からないが、己の不利になることはしない。
 幸村にはそんな確信があった。だからこそ、思わず噴き出してしまったのだ。
 悪辣な癖に何処かで甘さが残っている。

「いいや、これからするとこ見れば良い奴には思えないだろうよ」
「ふぅん……で、拙者は何をすれば?」
「俺に手枷を着けて淀君の前に突き出せ。それぐらいなら、お前はしそうだ」
「あー……まあ、確かに拙者ならそれぐらいのことはしそうだ」

 突飛な行動をしても不思議ではないし、
それが幸村の美学なり何なりに沿ったものであれば違和感はない。
 淀君の前に突き出すこともそう。
 理由さえ整えてやれば幸村ならばやりそうだと周囲の者らは思ってしまう。

「だろう。どうする? 理由は俺が考えようか? 頼んだのは俺だしな」

 幸村が紫苑を突き出しても不審に思われない理由ならば幾つか思いついている。
 それでもやるならば彼自身が考えたものの方が違和は少ないだろう。

「いや良い。拙者が考える」

 万全を期すならば自身で考えた方が良い。
 それに何から何まで至れり尽くせりではあまりにも情けなさ過ぎる。

「とりあえず枷を持って来るからしーちゃんはしばし待っていてくれたまへ」
「ああ」

 幸村を見送った紫苑は檻に背を預け瞑目する。
 これからについて思考を巡らせているのだ。

「(こんなチンケな舞台で死んでたまるか、醜態晒してたまるか。
俺を攫ったことを後悔させてやるぜ茶々ぁ……! ぐちゃぐちゃに引き裂いてやる)」

 物理的に誰かを引き裂ける力は無い。
 しかし、紫苑に敵意を向けられる者にとっては物理的に引き裂かれた方がマシだ。
 何せ春風紫苑の武器は肉体ではなく心を引き裂くのだから。
 心無き肉体はただの肉塊に過ぎない。
 心が在って初めて人は人足りえるのだ。
 その心を引き裂こうとする紫苑は意思ある者の天敵だ。

『猛ってんなぁ』

 今の紫苑が少々危ういことに気付いているのはカス蛇のみだろう。
 春風紫苑という人間は常時他人へのストレスを感じている。それでも心の均衡は崩れない。
 常軌を逸したメンタルを有しているからだ。
 しかし、今現在の紫苑はストレスが臨界を突破しかけていた。

「(あ゛?)」

 幻想回帰を起こした世界の空気が紫苑の魂を刺激し、力を呼び覚まそうとする。
 しかしその度にカス蛇がそれを抑制。
 そうする度に魂が軋み、その影響で精神に影響が滲み出る。
 結果として回帰を起こす前のように完全な均衡を保てないでいた。
 それでも表面上は一切の綻びを見せないのが紫苑の恐ろしさだ。
 いや、綻びが出たとしてもそれを利用して演出に繋げることこそが恐ろしい。

『とはいえ、流石になぁ』

 今はまだ敵対する者への過剰な攻撃性に留まっているが、
このままストレスを溜め続ければカス蛇にとっては望まない結果が訪れてしまう。
 内部から力の抑制を行っているカス蛇だが、それでも結構ギリギリなのだ。
 ストレスが臨界に達すればストッパーをブチ破ってチート紫苑になってしまうかもしれない。
 カスは聖書の蛇で、幻想としてもかなりの大物だ。
 しかしその彼でさえ紫苑の魂と伍することは出来ない。
 一番深い部分にまで潜り込んでようやっと制御出来るというのが現状である。
 ちょっとでも気を抜けば紫苑の魂に押し流されてしまいかねない。
 そうなってしまえばカス蛇は本懐を果たせなくなってしまう。

「(さっきからブツブツうるせえぞカァッス!)」

 幻想回帰から目先の面倒を片付けてもすぐまた別の面倒ごとがやって来ていた。
 終わりの見えないマラソンをしているような現状に自分は苛立っているのだと紫苑は誤認している。
 カス蛇は勘違いを正して藪から同類を出すつもりはない。

『そいつはすまんね。しかしあれだな紫苑よ。何をするか知らんが愉しいことなのか?』

 豊臣の人間には申し訳ないが紫苑のガス抜きとして役に立ってもらおう。
 それがカス蛇の出した結論だった。

「(ああ、そりゃもう……根元から圧し折って踏み砕いてやるぜ。んで大笑いしてやらぁ)」

 そうこうしていると手枷を持った幸村が戻って来る。
 紫苑に手枷を嵌めて、牢獄の外へ。
 ここからは親しげに話すことも出来ず、二人ともだんまりになった。
 刀を首筋に押し付けながら城内を歩いていると……。

「む、真田の! お前何をしておるか!?」

 何というか、地味としか形容出来ない男が姿を見せる。
 特別秀でた容姿があるわけでもなし、特別耳につく声でもなし、普通の人としか形容出来ない。
 幸村は一瞬誰か分からず首を傾げるが、すぐにああ! と答えに辿り着く。

「有名じゃない方の加藤! 有名じゃない方の加藤じゃないか!
ごめん、拙者あまりにも自分が有名過ぎて木っ端な貴殿忘れてた!
ねえねえ、同じ加藤で虎殺してる方は何かと有名なのに何で貴殿は影が薄いの!?
ちょっとガチで廊下でもすれ違っても分からないんだけど! ひょっとして忍!?
何か意図してそういう感じにしてる系? ちょっとサァスケェ!
忍の癖に有名なお前はちょっと有名じゃない方の加藤を見習えやァ!!」

 男――有名じゃない方の加藤の額に青筋が浮き上がる。
 そりゃこんだけ馬鹿にされたら普通怒る。怒らないのは仏だろう。
 ちなみに佐助とは創作であるとされていた真田十勇士の猿飛佐助である。
 十勇士は本当にあったんだ!

「(ブハハハハハwwwコイツ加藤嘉明かwwwどうりで何かパッとしねえわけだ!)」

 有名じゃない方の加藤――本名は加藤嘉明。
 その能力はかなり高いはずなのだが同じ七本槍では加藤清正の方が有名で影が薄い。

「……真田の、拙者は何をしているのかと聞いているのだが?」

 同じ陣営ゆえに幸村の躁っぷりは嘉明も承知していた。
 なので怒りを鎮めてこの状況を問いただすことに。流石沈勇の士と謳われた男である。

「……この真田幸村はいわゆるキ●ガイのレッテルを貼られている!
ケンカの相手に必要以上の嫌がらせをして父親にディスられた奴も居る……まあ秀忠なんだけどね。
威張るだけで脳なしなんで真田丸で気合を入れてやった連中はもう二度とこの世に戻って来ねえ。
一国で拙者を買おうとした狸の使者を肥溜めにぶちこむなんてのはしょっちゅうよ!
だがそんな拙者にも道理の通らないことは分かる!!」

 一体この男に何が分かるというのか。
 嘉明は死んでも治らない馬鹿を目の当たりにして額を押さえている。
 こういう苦労している人間――紫苑は大好きです!

「……つまりどういうことだ?」
「いやね、だからさぁ有名じゃない方の加藤。そりゃ拙者らは勝つためには何でもするよ?
こちらのしーちゃんを餌に色々釣り上げて戦力増やそうとか思っちゃってるよ?」
「おい真田の!」

 敵の目前で意図を明かすとは何ごとか! 嘉明はそう叱責するが、

「阿呆。その程度も読めないってのは過小評価で拙者らがしちゃいけないことだろうが」
「む……それは確かに……驕りの原因となるからな」
「そうそう。そうやってすぐ反省出来るのは有名じゃない方の加藤の良いとこだと拙者思う。だから花丸あげる」

 懐から取り出した筆で嘉明の額に花丸を描く幸村。
 これが演技なのか素なのか判断するのはとても難しい。

「……おい加藤嘉明、俺が言うのもあれだがこの男は本当に大丈夫なのか?」

 心底困惑したような演技をかます紫苑を見て幸村は大笑いしたくなった。
 いや見事、分かっていなければ自分も騙されていただろうと。

「クッ……敵にまで心配されるとは……! ええい! 真田の、良いから早く目的を言えい!」
「だ、か、ら、さ、あ!」

 はぁ……やれやれ! とばかりに肩を竦める様は馬鹿にしているようにしか思えない。
 そりゃ常時こんな振る舞いしてりゃパッパだって懸念するわ。

「そりゃ我らは徳川打倒だけを目指して他にゃ何も目を向けてないけどさ。
拙者らも見ただろう? この男が今の世に生きる者にとってどんな存在であるかを。
背負ってるものがちげーんだよ。だからといって逃がせとは言わんよ。
拙者らには拙者らのやることがあるからな。どんなに小さくても」
「うむ、では何故牢から……」

 嘉明も逃がすというのは間違いなくないだろうとは思っていた。
 何せ手枷も着けているし刃だって何時でも切れるよう首筋に押し当てられている。
 加えて紫苑本人が困惑顔なのだから。

「だからさぁ、だとしても通すべき筋はあるだろうってこった。
うちの太閤殿下が狸を捕縛したとして、殺すとしても一度も顔を合わさず言葉も交わさずって変だろ?
我も人で彼も人ならば、何某かのやり取りがあるべきじゃん?
そりゃ木っ端の人間なら主自らが顔を合わすまでもねえけど、しーちゃん違うじゃん?」

 成るほど、それは確かにその通りだと嘉明も納得を見せる。
 彼らの時代の人間は総じて義理やら何やらを重んずる傾向がある。
 勿論、そうではない者も居るがそれらの方がマイノリティーだ。
 だからこそ、嘉明も幸村の言わんとしていることとやろうとしていることが分かった。
 まあ、総てカバーストーリーなわけだが。
 幸村は自身が紫苑を茶々の下に連れて行ってもおかしくない理由をでっちあげただけ。

「……ところで加藤嘉明、俺は何故しーちゃんなどと呼ばれているんだ?」

 関係ない疑問、しかし無駄なことではない。
 困惑をアピールすることで幸村と通じていないことをアピールしているのだ。

「いやそれを拙者に聞かれても……幸村に――聞いても訳が分からんよな」
「ああ……(さて、これで準備は整ったな)」
「しーちゃんはしーちゃんじゃん? それより有名じゃない方の加藤よ。丁度良いから場を整えてくれ」

 じゃなきゃ自分は納得して戦えないと幸村が溜息を吐く。
 彼の行動は身勝手極まるが豊臣方にとって真田幸村の存在は大きく無下にも出来ない。
 嘉明はしばし思案した後、分かったと告げて去って行った。

「さぁて……じゃあ、行くかね」

 手筈は整えた、ここから先は紫苑の一人舞台だ。
 どんな見世物があるのかとっくり見極めさせてもらう――幸村の人はそう語っていた。
 紫苑は頷くことも何もせず、ただただ幸村の先導に任せて歩き続ける。
 辿り着いたのは優に百人は収容出来そうな大広間で、そこには既に人が揃っていた。
 とはいえ紫苑と幸村を含めても数十人程度でかなり寂しい。

「よう来たのう。春風紫苑や」

 上座から声をかけたのは豪奢な着物を纏ったうら若き美女――茶々だ。
 気の強そうな瞳や整った顔立ちは何処か信長にも似ている。

「(拉致っておいて随分な態度じゃねえか糞アマ)あんたが淀君か?」

 ニコニコと笑っている茶々、大体の目的は察している。
 懐柔――という言い方もあれだが自分を引き込むつもりだ。
 自主的に協力してくれる方がやり易いのは確かだから。
 紫苑は看破しているが、その上で茶々の心を踏み躙ると決めていた。

「茶々で構わん。誰ぞ、茶と菓子を用意してやれい」

 表面上愛想は良いが、

「(コイツ、自分を上だと思ってやがる。この俺より……!)では、茶々と呼ばせてもらう」

 茶々はあくまで上から紫苑を見下ろしている。
 まあ、この状況では無理からぬことだがそれでも一部の賢者達は何処か不安そうな顔をしている。
 クロカンや――その隣の口元に血が滲んでいる優男、恐らくは半兵衛などがそうだ。

「うむ、赦そう」
「(俺はお前を絶対に赦さない!)」

 余裕の笑顔を浮かべている茶々が憎くて憎くてしょうがない。
 常時切れてる紫苑の堪忍袋はもうオーバーヒートだ。

「秀吉から話は聞いた。お前は我が子を奪った徳川家康への復讐を果たそうとしているようだな」
「それの何が悪い? 母でもないそなたには母の気持ちは分からんであろうよ」

 少しだけ機嫌が悪そうな顔をする茶々。
 この段で紫苑は自分の勝利を確信した。
 まず第一に茶々は感情的だ、これは幻想になる前からそうだったのだろう。
 そして第二に母であることを柱としている。
 秀頼の母である己が果たすべきことするだけ、行動原理は総てそこに集約されているのだ。

「まあ、確かにいきなりそなたを攫ったのは礼を欠いていた。
それに……私がやろうとしていることも、そなたの心情的には赦せまいよ。
何せ民草を犠牲にしようとしておるのだからな。じゃが、少し私の話を聞いておくれ」

 厭らしい笑顔に変わる。
 コロコロと表情を変えるのは感情的であることの何よりもの証明だ。
 紫苑も常々必要とあらば表情を変えるが、それはあくまで自らの制御によるもの。
 彼は茶々の表情の移り変わりが自分のものと同種でないことを見抜いていた。

「そなたが協力してくれるのならば、私も民草に犠牲は出さずに済む。
それにな、そなたは知らんかもしれないが家康は関東で既に民草を殺し始めている。
これもそなたには知る由もないだろうがあの薄汚い狸めはまっこと醜悪な男でな?
 ただただ己が生きたいがために何万人でも平気に犠牲するような男なのよ」

 聞いても居ないのにベラベラと家康の事実に基づいた悪情報を流す茶々。
 紫苑は家康の情報を知ったことで自身の策を更に強化する材料を得てしまった。

「私達は家康さえ討てればそれで良い。
関東にて暴虐を尽くしているあれを放って置けんのはそなたも同じであろ?」

 断るわけがない、断れるわけがない、茶々の顔はそんな自信に満ちていた。
 周りの者らが口を挟まないところを見るに、紫苑と手を結ぶという点では同じ意見なのかもしれない。
 ただ、まるで警戒していない茶々と違い賢い者らは紫苑を警戒しているようだが。

「っと、その前に信繁よ。何時まで客人にそのような無粋なものをつけておるのか。失礼であろう?」

 施しをくれてやると言わんばかりに枷を外すよう命じる茶々。
 幸村は表面上、それで良いのか? と周囲を窺うように不安げな顔を作った後に枷を斬り外す。
 それでも幸村が首筋に当てている刃を引けと言わない辺りが厭らしい。

「ふむ、これで良い。春風紫苑や、改めて提案しよう――――私達と手を結べ」

 協力しよう、そういいながら命令形。
 これはつまり、自分が上で紫苑が下であると考えていることの何よりもの証左だ。
 しかし、春風紫苑は他人が調子に乗ることを許容出来るような心の広い男ではないのだ。
 尚、自分が調子に乗るのはOKな模様。

「――――断る」
「……何?」

 形の良い眉が危険な形を描き始める。
 承諾以外の答えが赦されるとでも思っているのかと言わんばかりの態度だ。

「重ねて言おう断る。短期的に見ればお前の提案を呑めばこれ以上、犠牲は出ないだろう」

 提案を呑めば大阪城を使った釣りは一旦止まるだろう。

「しかしな、お前達は俺を狙って大阪城をこんなにしたわけじゃない。
不特定多数を釣り上げるためにこんなことをしたんだ。
分かるか? お前らは結局のところ目的を果たすためならまた同じことをする。
今を生きる人間を何とも思っちゃいないんだからな」

 それは紫苑も同じである。

「そんな輩を放置しておくほど、俺は御人好しでも何でもない」

 正座し、ピシっと背筋を正して堂々と謳い上げる紫苑の姿はとても凛々しい。
 仁と義を掲げて正道を往く者、対して茶々はどうか。
 感情的で、どうにも小物臭さが拭えない――まあ、小物レベルでは紫苑の方が上なのだが。

「そなた、己の立場を理解しておるのか?」
「理解しているさ。その上で、俺は俺が正しいと思うことをするだけだ。
それより茶々、何人かの家臣が殺気立っているな。
ここで俺を殺しておかねばマズイことになるとでも思ったか?
それも良いだろう。ああ、見えない恐怖に屈するのは悪いことじゃない。情けないがな。
それに俺としてもここで死ねるのならば後顧の憂いは断てるというもの」

 これ以上紫苑に喋らせたら何か良くないことが起きる、
そう判断した何人かの家臣が動くよりも先に手を打つ。
 こういう物言いをすれば、

「そなたら、私の命令も無しに勝手を働こうとは言うまいな?」

 プライドの高い茶々が釣れる。
 キッと瞳を細めて家臣を睨み付ける茶々に、家臣らは出鼻を挫かれてしまう。

「(阿呆が)この先、俺を真っ先に助けようと一人の人間がここに来るだろう」

 これ以上何かを喋られる前に口を開きペースを握る。
 この時点で紫苑の策は八割方完成していた。

「何を……」

 怪訝な顔をする茶々だったが、すぐにその表情が険しいものに変わる。
 そしてそれは紫苑を除くこの場に居る者も同じ。
 城内に居ても分かる、この禍々しい気配……恐ろしい誰かが来た。
 そいつは徐々に此処に近付いて来る。
 俄かに動揺が広がるものの、ここに人質が居るという事実が彼らの平静を保っていた。

「――――紫苑ちゃん」

 大広間の襖が蹴り破られ、現われたるは母性の鬼――逆鬼雲母。
 紫苑との間には結構な距離があり、このままでは雲母も嬲り殺しにされるだけだろう。
 ゆえにここで紫苑が動くのだ。

「聞け、茶々。今ここに来たのは――――俺の母だ。
血は繋がっていないが、だからといってお前は彼女、雲母さんを母ではないと断ずるか?」

 それは無理だろう。
 茶々も母だからこそ分かる、雲母という女は母そのものだと。
 纏う禍々しい気配は我が子を取り戻さんとする母の情念。

「俺は彼女を母だと思っているし、彼女もまた俺を我が子と愛してくれている」

 静かな声、しかしその裏にある不吉さに誰もが警戒をしていた。
 だが、警戒をしたからといってどうなるものでもないのだ。

「どうする? 我が子を救わんと単身、敵地に乗り込んだ母親を嬲り殺すか?
お前の子の命が惜しければと、戦うことすら赦さずに殺すか?
ハッハハハハハハハハ! 良いだろう、それも良いだろう茶々!!」

 茶々の顔が歪む、この段で家臣らは紫苑の策が如何なるものであるかを看破する。
 何人かが紫苑を殺さんと詰め寄るが、

「――――駄目じゃないの。有名な方の加藤に右近ちゃん。茶々様は勝手は止めろと言ったはずだぜー」

 紫苑の首筋に刃を押し当てたまま、
フリーの片手で幸村が加藤清正と島左近を制する。

「ただし、お前はその時点で母ではなくなるぞ。
ただただ我欲で子のためと嘯いて自分が殺されたこと、
自分の権力を奪われた報復をしようとしている薄汚い女に成り下がることを理解しろ。
秀頼のための復讐などと嘯いてもそこに中身は伴わない空っぽだァ!!
家康と同じだ、醜悪な我欲で害を撒き散らす畜生にも劣る存在だ!」

 何が凄いって自分を棚上げにしてここまで容赦なく他人の心を踏み躙れるのが凄い。
 柱となるもの、大義名分を根こそぎ奪い去るという悪どいながらも効果的な策。
 幸村は今にも大爆笑したかった。
 ああ、ここまで来れば分かる。紫苑が口にした茶々の欠落、それが今にも見られるだろう。

「~~~~ッッ! 者共、その女を討てい!!」

 その命令はつまり、紫苑を人質に使わないということに他ならない。
 人としては正しくとも、君主としては間違いだ。
 重要な局面で感情に流されて足を引っ張るなど君主失格。
 一度やってしまえば二度三度と続くだろう。そうなれば敗北は必至。
 こんな女の下に着いていては信之に勝つなど不可能だ。
 かつての関ヶ原や大阪の陣では、生き残るためにと全権を委任していたのだろう。
 しかし、今は死後。だからこそ、足を引っ張ってしまう――感情が制御出来ずに。

「(――――はい、欠ぁけた♪)」

 宣言通りに紫苑は茶々から見事に削り取った。

「(お飾りにも劣る畜生が俺に上から目線でもの言うなんざ億回生まれ変わっても赦されねえんだよ!!)」

 お飾りにも劣るようにしたのは紫苑だし、本当の畜生はコイツである。
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